ウォルトのいないパーク~拡散するアトラクション、ショー、イベント(上)

ストーリー性はウォルトの魂

ストーリー性は生前、ウォルトが最も強く主張してきたことだ。たとえばウォルトはジェットコースターのような絶叫系のアトラクションを評価していなかった。それは肉体に直接スリリング感を感じさせるだけだからだ。だからウォルトの時代、ディズニーランドにジェットコースター的なものはほとんどなかった。どんなアトラクションにもストーリーが織り込まれている(逆に、それが現在のロスのディズニーランドの魅力(意味的に非常に奥行きがある)にもつながっているのだが)。たとえば、ウォルトのお気に入りのアトラクションは鳥たちが踊り歌う、ストーリー性に裏打ちされた「魅惑のチキルーム」だった。オープン当初からある例外的なものはマッターホーン・ボブスレーで、これはマッターホルンの中を二人乗りのミニコースターで駆け抜けるものだが、これとてラインは二系統あり、それぞれにストーリー性を持たせるために雪男や氷河などの展示物、そしてちょっとした仕掛けが配されている。またライドからディズニーランドの景色を見下ろせるのも魅力となっていた。つまりストーリー性の消滅とは、いいかえればウォルト的精神の消滅でもあった。

90年代半ば以降、東京ディズニーランドでのストーリー性の不在はその後、新しい企画の多くに浸透していく。

夜店の的あて?アストロ・ブラスター

それは前回(第7回1月12日)紹介した、トゥーンタウンだけではない。新たに登場するアトラクションも同様にストーリー性のないものになる。それを象徴するのがトゥモウロウランド、ビジョナリウムの後にはじめられたバズライトイヤーのアストロブラスターだ。これはゲストがバズライトイヤーの天敵であり父であるザークを倒すという設定。ライドに乗ってシューティング、得点を稼ぐという、チョー古典的なアトラクション。まあライドがついているところがちょっと付加価値といったところ。でも、これってキャラクターの存在以外、取り立ててディズニーランドにある必要などはない。ちなみにこれは日本以外でもファストパス扱いだが、ロスではからっきし人気がない。

萌え要素がひたすら続くパレード

一方、ショーも同様だ。例えばパレード。もっぱらフロートが派手になり、出演するキャラクター数が増える。これ自体は悪いことではない。問題は、パレードにストーリー性が失われ、とにかく次から次へと脈絡なくフロートとキャラクターが出現し続けることだ。ヤマなし、意味なし、オチもなしといった、さながら「やおい」みたいな演出が主流となっていく。もう、そこに文脈を見て取ることはできない。でも、もうそんなことはゲストにとってはどーでもいいことだった。ディズニー・リテラシーが高く、勝手に思い入れているゲストにとっては、こうやって、ただひたすら「萌え要素」が出てくれば、それで十分なのだから。あとは勝手に連中が、自分の意のままに、そこに思いをぶちまける。(後半へ続く)