なんだかんだで関わり続けた24年間

82年、浦安に移り住み、翌年オープンしたことで、なんだかんだと長きに渡り関わり合いを続けてきた東京ディズニーランド。初年度はオープニング・キャストとしてアトラクション、グランドサーキット・レースウェイで働き、彼女(現カミさん)をデートに誘い、その後、アトラクションやレストランがオープンするたびに出かけ、ショーが変わるたびに出かけ、年パス買ってヒマつぶしに出かけ(仕事をするのがイヤで、気分転換にラッキー・ナゲット・カフェにパソコンもって作業をしに行ったことがあった。これじゃ傍目からは完全にオタクと思われただろうなあ。ちなみに、この時、パソコンをカタカタ叩いている自分の肩を突然揉まれた。揉んでいたのはグーフィだった)……。都合300回くらいは遊びに行っているのかなあ?大学の講義すべてをディズニーだけでやってみたりもした。

気がつけばあっという間に24年。こっちの年齢も四十代。

で、今回は年末年始特集?として、東京ディズニーランド(そして東京ディズニーリゾートも含めて)の24年をメディア論的な視点から振り返ってみたい。

しかしその前に、ディズニーランドがやってくる前、日本でディズニーがどうやって受け入れられていたのかについて考えてみたい。ただし以降の文面は、あくまでも僕が個人的に調べたもの、そして個人的な経験によるものの二つに拠っていることをお断りしておく。だから正確性については、やや怪しいと言うことを踏まえておいてもらいたい。(続く、次回はディズニーランド以前からランドオープンまで)