「吉野家祭り」と「マトリックス祭り」

ハワード・ラインゴールドはフラッシュ・モブという概念を提出している。ネットを通した情報に基づいてイベントを起こす群衆を指す言葉だ。たとえばわが国で起きたフラッシュモブによる一連の事件には「吉野屋祭り」や「マトリックス祭り」がある。前者はネットの掲示板で匿名の投稿者が場所と日付・時間を指定し、その時刻に指定された吉野家に大挙して訪れ牛丼を注文するというもの。後者も同様に指定された時刻に指定された地下鉄の車両にマトリックスの格好をして乗り込むというものだ。ともに瞬間的に集まって、瞬間的に解散する。特徴的なのは、その際にこの「オフ」に参加した者の間でまったく交流がないことである。

ただこれだけの行動にすぎないのだが、これがおもしろい、というか当人たちには大きな快感となる。理由は、こういったばかげた行動が集団性故にきわめて目立つ、それによって擬似的な連帯感を得られるからだ。それだけではないメディア上で取り上げられるということもある。つまり、みんなでバカなことをやり、それに参加することで一体感を得られると同時に自らが瞬間的に有名人になる、そしてマス・メディアが取り上げることによって、自分の行った行動に力があることを感じられるのだ。しかも有名人になったということを自覚するのは自分だけ、いいかえれば、相互の交流がないため、個々の匿名性は確保されるのである。


源流は伊集院光のシミュレーション・ごっこ

ちなみに、こういったメディアを用いたバカ騒ぎはこれが初めてというわけではない。すでに15年以上も前、当時ラジオのパーソナリティであった伊集院光はニッポン放送の番組の中で、これと同じようなことをやっている。「伊集院光の大予言」というコーナーで、伊集院は次々と予言をし、それを的中させるというのがこのコーナーの趣旨。たとえば「○月×日、JR水道橋駅東口改札左の自販機のドリンクがすべて売り切れている」と予言すると、これが100%の確率で的中するのだ。なんのことはない、予言を聞いていたリスナーが、その時間までに販売機のすべてのドリンクを買い切ってしまっているだけなのだが……。当時、これは「シミュレーションごっこ」と呼ばれ、そこからヴァーチャル・アイドル芳賀ゆい、荒川ロック・ブラザースなどが誕生したりもした。詳細は省略するが(詳しく知りたければ西垣通『デジタル・ナルシス』(岩波書店)を参照のこと)、この時はまだ、匿名性が完全に確保されていたわけではなかった。なんとなれば伊集院という「有名」な存在があって、リスナーの匿名性が確保されていたのであるし、またラジオ番組を媒介として間接的なコミュニケーションは継続的に行われたのだから。これは中野収に言わせれば「円盤に乗ったコミューン」(『カプセル人間の時代』中野収、時事通信社)に他ならなかった。

自民党大勝はフラッシュ・モブのせい?

一方、フラッシュ・モブにはこういった関係性は存在しない、いやむしろこういった関係性を積極的に回避し、反面で集団の一体感だけを確保するというかたちで行動は発生している。そのためにはラジオなどという責任性が派生するかもしれないメディアよりも、無責任性を徹底可能なBBSが有効であることは言うまでもあるまい。

さて、ここから考察したいのが、今回の自民党大勝についてだ。小泉自民党は無党派層を大量に取り込んで、見事に圧倒的な勝利を獲得したのはご存じの通りだが、この無党派層こそラインゴールドの言うフラッシュ・モブではないかと思うのだ。言い換えれば吉野や祭り、マトリックス祭りの延長上に今回の衆院選がある。このことを考えてみたいと思う。(続く)