福田前事務次官を巡るセクハラ問題、そしてTOKIO山口達也氏のわいせつ問題がメディアを賑わせている。しかし、この二つのメディア報道、あまりに稚拙、無知といわざるを得ない。しかも害悪。どれだけこれが酷いのかを、わかりやすいよう小学校社会科で学ぶ学習項目「基本的人権の尊重」「三権分立」で説明してみよう。題して「小学生でもわかるセクハラ問題報道の誤り」。
福田前事務次官の人権保障は当然
先ず基本的人権の尊重の点から考えてみよう。これは「人間は誰でも生まれながらに備えている人間らしく生きる権利が尊重されなければならない」という、誰でも知っている日本国憲法の三大基本原則の一つ。この視点から考えると福田事務次官のセクハラ疑惑についてはセクハラという前に、先ず人権問題として捉える必要がある。言い換えればセクハラ、パワハラといったハラスメント全般は人権問題のサブカテゴリーだ。麻生財務大臣は「福田の人権はどうなるんだ」とコメントしたが、これは「人権尊重は国民全体に向けられるべきで、セクハラ被害を受けたとするものもの、セクハラをしたとされるものも等しく人権が守られなければならない」という意味だ。それゆえ麻生大臣のこのコメント自体は憲法的にはしごくまっとうだ。野党やメディアがこの発言それ自体を非難するのはお門違いも甚だしい。ネガティブな文脈を勝手につけて非難しているだけだ(大臣のその他の不用意な発言については話は別だが)。だから、この人権尊重に基づく「疑わしきは被告人の利益(あるいは「疑わしきは罰せず」)」を適用すれば、どれだけ疑惑があったとしても福田事務次官の人権も守られなければならない。ところがメディアは確たる証拠もなく福田次官を「クロ」と勝手に認定し、バッシングを展開した。いうまでもなく、これは人権蹂躙、つまり憲法違反。だから、後に福田氏が人権侵害としてメディアを訴えたとすれば勝訴の可能性が極めて高い(これは仮に福田氏がセクハラを行っていたことが確定したとしても同様だ。事実を踏まえず被疑者を攻撃した事実はセクハラの有無とは関係がない。「疑惑の銃弾」でバッシングを受けた三浦和義氏が起こした数々の訴訟の件を振り返ってみれば、これは容易に想像がつく。三浦氏はほとんどの訴訟でメディアに対して勝訴している)。もちろん、福田氏のパワハラが実証されたならば、もはや「疑わしくはない」ので、叩くのは問題ないが(もちろん、事実に基づかなければならないけれど)。
財務省は福田氏を裁けない
でも、財務省が今回の件をセクハラ認定したから問題ないじゃないの?いや、そんなことはない。福田氏についての人権は、それでもまだまだ有効だ。少なくとも本人が否定しつづけるうちは。なぜか?それは日本が三権分立に基づいているからだ。三権分立は司法(裁判所)、立法(国会)、行政(内閣)がそれぞれ独立し、互いを牽制することで権力の一極集中を回避するシステムだ。ということは、裁判沙汰の白黒は最終的に司法がやるべきこと。財務省がセクハラ認定したところで法律上はセクハラ確定にはならない。言い換えれば福田氏が裁判に訴え出て、そこで初めて白黒がつくのだ。そして、万がいち福田氏側が勝訴した場合には、損害賠償が発生する。その賠償金を支払うのは誰?いうまでもなく国民、つまり税金によって賄われるわけだ。これは言い換えれば財務省が腹を括ったということでもある。
実際、セクハラ認定は極めて難しく、慎重を要するものなのだ。僕は職業柄(大学教員)、あちこちの大学内でのセクハラ問題についてはしばしば耳にするのだが「極めてクロに近い」としても、最終的に裁判でハラスメントを受けたとされる側を擁護した大学当局側が敗訴する(つまり被告の勝訴)例は多いのだ。それは「疑わしきは被告人の利益」という原則に沿っているからに他ならない。
人権侵害(パワハラ・わいせつ)が確定していても無罪を言い渡すメディア
一方、今回の件で人権問題的にクロが確定しているものが二つある。一つはテレビ朝日で、件の女性記者が福田氏に複数回にわたってセクハラを受けていると上司に訴えたにもかかわらず、これを握りつぶし、女性記者にただならぬ精神的な苦痛を与えてしまった。もちろん、これはパワハラ=人権問題だ。そして、騒ぎが大きくなったところでテレビ朝日側はこの件を認める記者会見を行った。この時、加害者=テレ朝、被害者=女性記者。両者は事実を認めているので、ここでテレ朝のパワハラは確定している。とんでもない人権蹂躙。しかし、報道ステーションでは「カンベンして」的なコメントがなされた。他局も新聞社もこれを大きくは取り上げない。繰り返すが、こちらは福田問題と異なりパワハラが確定している。ならばなぜ、メディアはおおっぴらに叩かないのだろう?完全に矛盾している。
次に山口達也氏の場合。これもテレ朝とまったく同じ構図で説明が可能だ。加害者=山口達也、被害者=女子高生で、加害者、被害者ともに事実を認定しているわけで、これはわいせつとしてはクロが確定している。書類送検も行われた。しかも相手が未成年なのは状況がさらに悪い。ゆえに、アイドルとしても完全にイメージを失墜させているはずだ。ところがメディアはなぜか山口氏を厳しく責めることはしない。それどころかこの問題に絡んで、メディアは山口氏を「TOKIO山口達也メンバー」という「メンバー」という敬称をつけた呼び方をする。これが極めて奇妙なのは、たとえばダチョウ倶楽部の上島竜兵がこの手の問題を起こしたら「ダチョウ倶楽部上島竜兵メンバー」と呼ばれるなんてことはないと考えればよくわかる(上島さん、すいません。いちばん不祥事を起こしそうもない人と考えたので喩えにさせていただきました)。つまり、もはや人権侵害確定の人物をここでも責め立てることをしないのだ。これまた完全に矛盾している。これは2006年に極楽とんぼの山本圭壱がおこした性的暴行事件を踏まえればコントラストが明瞭だ。山本は完全に干され芸能界へのメジャー復帰が2015年まで叶わなかった(そして、いまだにあまり露出が許されていない)。これと比較すると山口氏へのメディアの扱いは実に奇妙といわざるを得ない。状況的に同じなのだから山口氏も今後10年間くらいはメジャー復帰は叶わないはずだ。しかし、恐らく数年で復帰するだろう。だって天下のジャニーズ「メンバー」なんだから(笑)どうなってんだ、これ?
迷走するメディアの立ち位置
いや、ようするにこれはメディア全般がポピュリズム、スキャンダリズムに基づいたイエロージャーナリズムだから仕方がないと、ちゃぶ台返しをしてしまえば理解は簡単なのだろう。ここで、僕が指摘するような内容、つまり人権尊重、三権分立に基づき淡々と処理するという冷静さを、もはやメディアは失っている(ちなみに、ここで僕が展開している指摘はインターネット上ではかなりの人間が繰り広げているのだが、これをメディアは取り上げない(政治家も同様))。しかし、この問題は小学校の社会科の学習項目だけで理解できる内容なのだ。
そして、こうした報道はジェンダー、人種問題を含む人権問題全てを悪しき方向に導く恐れを備えている。メディアの報道は、むしろわれわれ一般人の「無意識の偏見」(今回の場合、女性への)を助長する可能性があるからだ。むやみにセクハラと騒ぎ立てること(この場合、責め立てる対象が政府高官という権威の階梯の最上位ゆえ、つるし上げると面白い、言い換えればジェラシーを満足させる存在への注目)、パワハラなのに女性差別問題を取り上げないこと(この場合、責め立てる対象がテレビ局という当事者ゆえ、責め立てると天に唾することになり、都合が悪いという事情)、わいせつなのに加害者をあまり責め立てず、むしろ擁護する側にまわること(この場合、責め立てる対象がアイドルかつジャニーズ事務所というお世話になっている団体とその所属員なので、責め立てると今後の営業上都合が悪いという事情)。こうしたメディアの勝手な都合、ジェンダーに対した迷走する立ち位置(しかも無意識なそれ)は、ジェンダー問題についてのより本質的な議論が知らないうちにスルーされてしまうどころか、却ってジェンダーに対する無意識の嫌悪感を生んでしまう恐れさえあるのだ。そのへんの自覚がメディアには全くない。一般女性にセクハラしているのはメディアさん、ひょっとしてあなたの方じゃないんですか?
なので、メディアの皆さん、政治家の皆さん。小学校へ行って社会科の勉強をしましょう。ちなみに、これは小学6年生の学習項目です。