勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2016年04月

「支援という形をとって偽善を行うセレブたち」というモノノイイ

熊本地震にまつわるセレブの対応についてのネガティブな意見がかまびすしい。
たとえば「偽善」「売名行為」といった類いの非難がその典型。さらに穿った見方に「配慮に欠ける」というものも。これは人の不幸を利用して自分の利益を獲得しようとするハイエナ的な行動という意味だろう。藤原紀香、紗栄子、上地雄輔、ダレノガレ明美、西内まりやなどなど、被災地に対し個人的に寄付などの支援をした芸能人がネットを通じて(とりわけソーシャルメディアを介して)批判に遭っている。また熊本在住の井上晴美は自らの被災状況をブログで逐次報告し続けたことに非難が殺到。井上は発信をやめてしまった(4月26日再開)。

「偽善パワー」を炸裂させましょう!

こういったセレブの行為について非難を加えること。はっきり言って馬鹿げている。偽善?売名行為?、は?どこがいけないの?ボランティアというのは辞書調べればわかることなんだけれど「自発的」って意味で,好き勝手でやっていること。それで,相手が助かれば何ら問題はないはず。それが結果として自分の知名度や好感度を上げたって、それはそれで構わないでしょ?いちいちケチをつけて,こういった援助を蔑ろにしてしまう人間の方が、かなり常軌を逸しているだろう。こういうケチがつくことを百も承知の高須クリニックの高須克弥院長の発言が興味深い。震災直後、早速自ヘリによる支援物資の提供を宣言をしたが,その際「僕はみなさんから募金を募りません。資材をばらまくだけです。信用なんかいりません」とツイートした。これ、要する「自発的に」、つまり勝手にやっているだけ。「信用なんかいりません」というのは、どうみても「どうせ偽善と言われるんだろうが,そんなことは知ったことではない」という、いわば「偽善、どこが悪い?」と開き直った発言だろう(個人的には高須氏に拍手を送りたい)。


炎上、非難をする輩は全体の0.5%という究極のマイノリティ

で、こういったセレブたちの支援に対する罵声、非難。実は全然気にすることなんかないのだ。

慶応大学経済学部の田中辰雄准教授らがつい先日出版した『ネット炎上の研究』(田中辰雄、山口真一、勁草書房)の指摘は注目だ。残念ながら現在,僕はロス在住中で現物を手に取ることが出来ていないゆえ、サイトのチラ見を参考にさせていただいたのだが、とにかく帯布でその要点は語り尽くされている。曰く「炎上参加者はネット利用者の0.5%だった」。これ,ブログをアップして、しばしば炎上を被っている自分からすると納得だ。実際、炎上が発生している時、これに誹謗中傷等の書き込みを続けてくる人間は限られているからだ(BLOGOSブロガーの場合、マイページでPVを確認できるので、それと誹謗中傷系のコメント数を比較すれば一目瞭然。本当にマイノリティで、しかも同じ人間が何度も繰り返すことも多い。紗栄子も自分への誹謗中傷社がマイノリティであることを突き止めたという)。それが0.5%の中身ということになる。ただし,こちらとしては田中氏の文面(どのような統計的手法を採用したのか)をきちんと改めていないのでなんとも言えないのだが、少なくともこのパーセンテージはブログのコンテンツによって微妙に変わってくることも留保する必要があるだろう。ただし,炎上させる人間が実に実にマイノリティであることは、まあ間違いはない。

だから,セレブのみなさん。ブログやソーシャルメディアで、みなさんがおやりになっている支援活動にケチをつける輩を気にすることなど全くありませんよ。ごくごく少数の意見ですから、気にせずどんどんやってください。ということは,井上晴美さんがブログを再開させたことは完全に正解です。

みなさん、どんどん「偽善パワー」を発揮しましょう。因みに間違えないでくださいね。ここで「偽善」といっているのは,あくまで非難している人への皮肉ですから。みなさんのはただのボランティアと、僕、そして一般のほとんどの人は思っていますよ。安心してください。

ビートたけしを創始者に見立てたカップヌードル新CM「OBAKA's大学に春が来た! 篇」が新しい。津田大介は「ネットとTVの融合って本来はこういうことじゃないかな」とツイートしているが、その通りだと思う。今回は、このCMの新しさについてメディア論・記号論的に分析してみよう。

広告とは何か

広告は商品・サービスを露出して認知度を高めることで、これらの売上を伸ばし利益を得ようとする行為だ。ただし、商品価値の高め方についてはやり方が二つある。フランスの社会学者J.ボードリヤールは、これをマルクス経済学をヒントに「使用価値」と「記号的価値」と呼んでいるが、これを、ざっくりと説明してみよう。

ひとつは商品・サービスの機能的な優位性を押し出すやりかた。我が社の洗剤の方がよく落ちますよとか、我が社のクルマの方が安全ですよとかといったのがこの典型。
もう一つは商品・サービスに付与された意味=イメージを押し出すやり方。所有したり享受したりすることで他者との差異化を図ることができるもの。典型はブランド品で、身に付けることで「自分は他人よりイケてる」と思うことが可能になる。たとえば、時計は使用価値ならば時刻がわかれば事足りる。これだとガラポンで出てくる時計も、もはや正確に作動する。ところが、大人がガラポンで取ってきた時計を身に付けることは、先ずない。結構な価格の時計を購入する。タグホイヤーのチタンフレーム○○モデルみたいなヤツだったら100万くらいしてしまう。ということは、ここに記号的価値が生まれる。ガラポン時計300円、タグホイヤー100万円なら100万-300円=99万9700円が記号価値、つまり「オレはおまえたちとは違うんだぜ、ザマーミロ」と自慢するための経費となる(米社会学者S.ヴィブレンはこれを「衒示的消費」と呼んだ)。この価格が差異化を保証しているからだ。80年代バブルの頃の、この典型CMがクラウンだった。キャッチコピーは「いつかはクラウン」。つまり「おまえら、今まだカローラだろ。がんばってクラウン買ってみな。社会の勝利者として威張れるから」というイメージを購入するために高々のカネをクルマに投じたというわけだ。

カッコイイ、カッコ悪いだけの広告には意味がないの時代に

こういった記号的価値に根ざすマーケティングが80年代バブルを象徴する典型的な戦略だった。使用価値は近似化して商品は訴求力を持たなくなったと広告会社が吹聴したからだ。だからカッコイイがウリになった。感性豊か、クリスタル、トレンディー、そしてナウい感覚(いまだに、ちょっとゾッとする死語群だが)。で、こういった記号価値に根ざしたCM・広告はどんどん加速し、差異化してさえすればよいという形で過激化した。その典型は「カッコ悪い」をウリにするというもので、当時の仲畑貴志(「タコが言うのよ」)、川崎徹(「ハエハエカカカ、キンチョール」)といったコピーライターたちが意味不明のキャッチコピーでCMを彩ったのだ。

しかしながら、この過激化は商品そのものの価値を売上に結びつけるというCM・広告それ自体が持つ機能から乖離していく。その象徴的な存在が1984年に放送された三菱自動車・ミラージュのCMで、エリマキトカゲという、当時はほとんど知られていない、ジラース(ゴジラに襟巻きをつけた怪獣。ウルトラマンに登場)みたいな動物が2本足、つまりつっ立った状態で砂漠を疾走しているというものだった。CMは大評判となり、エリマキトカゲはアッという間に人気者になったが、肝心のクルマの売上はサッパリだった。これは要するにCMの放つ記号的価値がミラージュというクルマと結びついていなかった(あるいは視聴者が結びつけることが出来たかった)ことが原因だった。いいかえれば購入することで差異化を可能にする機能を持たない、ただの差異化だったのだ。で、当時、こんなCMが勘違いで山ほど登場し、何の有効性もないことが判明すると、やがて作られなくなってしまったのだ。

「いまだ!バカやろう!」はカップヌードルの売上と、どう繋がるのか

ただし、記号的価値に訴える商品戦略自体が無効になったことを、これは意味しない。記号的価値が消費者の何らかの購買欲と結びつけば、これは功を奏する。前述のクラウンのCMは確実に消費者の利得が約束されていたから機能していたのだ。

今回の「OBAKA's大学に春が来た! 篇」はこの記号的価値を一歩推し進めたものだ。クラウンは単なる他とのクルマとの差異化だが、これは企業それ自体の差異化だ。「いや、そんなものは前からあるよ。『三菱地所を見に行こう♪』とか『クラレのミラバケッソ』とか『旭化成のイヒ』とか『日立のこの木何の木』とか。」

ところが、これはこういった一連の企業存在の差異化CMとは一線を画している。上記のコピーは、ほとんどが未来に向けて自らを奮い立たせるために、いわば思いついたもの。根拠が希薄。ところがこのCMには企業理念の他に歴史もキチッと盛り込んでいる。その表現方法もまた新しい。つまり手法においても差異化が図られている。


CMをよく見てみよう



はじめに「OBAKA's university」の表示とキャンパス全景。大きなケットルが見える。

銅像化している学長のたけしがキャンパス内を闊歩する

たけしのセリフは以下の通り。

「バカになる、それは自分をさらけ出すことだ。」
「しがらみなんて取っ払って、常識とか忘れたふりして、あんた自身の生き方を貫くってことなんだよ。」
「世間の声とかどうでもいい。大切なのは自分の声を聞くってことだろう。」
「お利口さんじゃ、時代なんて変えられねぇよ!」
「諸君、いまだ!バカやろう!」


このセリフにふさわしい人物(教員)が四名登場する。


・小林幸子
キャッチフレーズ:衣装は建設するものへ 
肩書き:機械工学部教授 
小林「人の心は一瞬で掴まなきゃ、ダメなの!」
→ご存じ、小林幸子は紅白の大がかりな演出で有名。しかしスキャンダル絡みで紅白から外された。そこで演歌とは関係のないゲームの世界に道化として入り込み、そこでも大がかりな演出を貫き通したラスボスとなった。つまりバカになり自分をさらけ出した。その結果、小林は復活を遂げ、紅白に復帰した。やはり大がかりな演出で。

小林「ここ、もっと大きく」
→この時、小林はこれまで以上に巨大な2016テラ幸子の作成画面を指示している。いまだ未来を見ているのだ。人の心を一瞬で掴むべく。


・畑正憲
キャッチフレーズ:ネットバズ動画の父 
肩書き:生物学部ムツゴロウ教授
畑「(蛇に噛まれた時)もう息できなかったよ。噛まれて初めて解ることってあるんだよね」
→畑がバズ動画の父かどうかはあやしいが、動物物で50年も貫き通した。周囲から変な人間と呼ばれようとも、しがらみを取っ払い、常識を忘れたフリをして、自分の声を聞き続けた。


・矢口真里
キャッチフレーズ:危機管理の権威
肩書き:心理学部准教授
矢口「二兎追う者は一兎も得ず」 
受講している女子学生:「ね、これ実体験だよね?」「だよね」。
→ご存じ、完全な自虐ネタ。矢口もまた畑と同様、しがらみ取っ払い、常識を忘れたフリをして、自らを貫き通している。

口「やっちゃえ、みなさん」
→矢口も自分の声を聞いた。そして受講生にそういった未来を切り開くことを訴えている。


・新垣隆
キャッチフレーズ:才能はシェアする時代へ
肩書き:芸術協力学部教授
新垣「そうだ、その調子。うん、肩の力を抜いて」(ピアノ指導をしている)
→ここで自虐ネタでは、もっとスゴいスキャンダルの人物である新垣が登場。しかもゴーストであることを正当化するという、とんでもない自己パロディ。念を押すがごとく、ピアノを指導している相手はほとんど佐村河内だ。つまり「ピアノが弾けない=楽譜がわからない。でも才能はある、だからシェア」

そう、ここに出る全員がお利口さんをやめた。またこのCMの中でもやめている。言い換えれば「バカ」をやっている。

OBAKA’s Universityとは世間にとらわれることなく、しがらみも非難も乗り越えてバカをやることを教育する大学なのだ。そして、ここに登場した四人は、言うまでもなく「バカやる」ことで時代を切り開いてきたし、これからも切り開いていく。だから、「そうだ!」われわれも未来に向けてOBAKA’s universityで「バカやろう!」と提案しているわけだ。

ここに登場する人物に関連するのはスキャンダル(畑は微妙だが)。しかもこれがインターネット絡みで起きている。つまり、裏でバカをやっているのがバレた。しかし、そのバカを貫き通すことが重要ではないか、恥も外聞もなく。それが時代を変えていくのだからと、高らかに宣言しているのだ。お利口さんじゃ、時代なんか変えられないのである。そう考えるとたけしが学長(銅像化しているので創始者だろう)というのは適役だ。80年代、たけしは暴力的に「毒ガス」を吐き続け顰蹙を買ったが、貫き通した。それが結果としてたけしに芸能界の重鎮の位置をもたらし、さらに映画監督として世界に名を馳せることになる。しかも、いずれにおいても規格外な試み、つまり「バカやろう」を続けた。スキャンダルや犯罪にさえ絡みながら。そして、現在もこのスタンスを貫いている。だから学長なのだ。

究極の「バカやろう!」を続けた安藤百福

これが日清食品の何を示しているかは、その歴史を知っている人間にとっては明白だ。創業者の安藤百福のことなのだ。日清を代表する商品はチキンラーメンとカップヌードルだ。これらに共通するのは「邪道」。どれもラーメンだが本当のラーメンからはほど遠いところにある。チキンラーメンは保存が利くように油で揚げてしまった。カップヌードルは何のラーメンなのか、いまだに解らない。ところが油で揚げるという発明がインスタントラーメンの世界を、あらかじめカップに入れてあるというギミックがカップラーメンの世界を誕生させ、それを世界中に普及させてしまった。つまり日清=百福のルーツは「バカやろう!」にある。インスタントラーメンは日本で最も優れた発明と賞賛されることもあるが、まさに百福は常識外れ、お利口さんではなく、常に自分の声を聞くことで時代を作ったのだ。ようするに、このCMは企業理念を現在のインターネット文化を取り込み、かつバッシングというお利口さんたちがやっている愚劣な行為をやんわりと批判する形で示している。しかも、バッシングされたバカやった当の本人を登場させて。陰でこれら人物を叩けば常識にとらわれていて嫌らしいが、本人が登場すると、このOBAKAはポジティブな洗練されたものとなるのだ。

CMはここで終わらない。最後に”CRAZY MAKES the FUTURE”の表示。横にカップヌードル、
そして「おいしい、の、その先へ。NISSIN」。これは百福の「そうだ!バカやろう!」の精神を未来に向けてNISSINがこれからも続けていくと宣言しているのだ。つまり、これからもOBKAな商品を提供し、世界を驚かせていきますよと。

ただし、最後にたけし学長、いやたけし自身が(目の色が銅像の色から白目に変わっている)、しっぺ返しをする。

「馬鹿野郎!(苦虫をかみつぶしたような顔をして)」

そう、所詮こいつらは馬鹿野郎、つまりどうしようもない連中なのだ。百福も、そしてたけし自身も含めて。だから、すばらしい。

OBAKA’s大学は馬鹿野郎な教員が「バカやろう!」と理念を掲げることで未来を切り開く場所。そして真の創始者は安藤百福その人、そしてOBAKA’s大学とは日清食品のことなのだ(だからシンボルがラーメンにお湯を注ぐケットルになっている)。その精神を購入しようと(ただし、無意識理に)、消費者はカップヌードルを買い続けるのである。

※CMに詳しければ、このCMコンセプトがS.ジョブズ復帰時にAppleが展開した”Think Different”キャンペーンに基づいていることはすぐに解るだろう(キーワードはCrazy)。ただし、OBAKA編は大阪のシャレと自虐が入っているところに独自性、文化があるのだけれど。


"Think Different"のCM


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