(※注意:最初にお断り。本稿はネタバレ満載です。しかもオイシイところが。なので、映画を見終わった方にお奨めします。)

エイブラムス版スターウォーズは合格!

スターウォーズⅦ/フォースの覚醒が予想通りというか、爆発的な勢いで観客を確保している(日本では同時期の妖怪ウォッチに観客数で敗北するという、笑わせる事態もあったが)。今回の作品では生みの親のG.ルーカスは関与していない(ルーカスは自らを「私は離婚した父( ”I am a divorced father”)」と称し、「離婚した父親は元妻に連れて行かれた子供の結婚式には出ない」といって、今回の一連のイベントにプレミアを除き参加していない)。代わってメガホンを握ったのがM:i:Ⅱやスタートレックの製作、監督で知られるJ.J.エイブラムス。40年近い歴史があり、熱狂的なファンを抱えるスターウォーズシリーズを担当することは大変だ。なんのことはない、どうやっても批判の的になるからだ。マニアたちはスターウォーズの世界を熟知している。ちょっとでも話がそこから逸脱すれば、それこそクレーマーのように非難の嵐を起こす。

しかし、今回のエイブラムスのスターウォーズ。僕は合格とみた。それは過去を踏まえつつ未来を見ることを強く意識していたからだ。それぞれについて見ていこう。

過去をどう踏襲するか

まず過去を踏まえる、あるいはスターウォーズの世界をリスペクトするという点について。本シリーズを熟知しているのであれば言うまでもないことだが、このシリーズはエピソードⅣ(77)から始まり、Ⅴ(80)、Ⅵ(83)と続き、その後16年を経てⅠ(1999)、Ⅱ(2002)、Ⅲ(2005)が製作された。当初はⅣしか作られる計画がなかったのだが、大ヒットを遂げた結果、続編が作られ、さらにその後もファンの強い熱望によってⅣの前編が製作された。当然、物語の歴史としては遡るが、製作としては後発となったⅠ~Ⅲについては、膨大な情報と辻褄合わせが作品の中心的な作業となり、少々窮屈な感は否めなかった。

だが本作については、こういった「辻褄」面での縛りは少ない。新たなトリロジーのための種をまくことがむしろ中心の作業になる。だがエイブラムスは、しっかりとシリーズの遺産を踏襲し、なおかつリスペクトまでしている。そういった側面はたとえば物語上のいくつかの設定の中でもしっかりと見て取ることが出来る。ここでは、その典型なシーンとしてハン・ソロが死ぬ場面を取り上げてみよう。

ハン・ソロは海賊、一匹狼のならず者だ。そして無敵。だから戦いで敗れるという状況を設定することは難しい。ただし、弱点も持っている。そして、それがソロの最も魅力的な部分なのだが。それば人間くささ、情にもろいというところ。木枯らし紋次郎、ブラックジャックと同じで「関わりがない」と言いながら、最終的には情にほだされて関わってしまう。エイブラムスはこの性格をしっかりと踏まえソロを葬っている。というのもソロは戦わずして殺されてしまうからだ。
ソロを殺害する相手は、何とソロの息子、カイロ・レンだ。レンはレイアとの間にもうけた息子ゆえ、当然フォースを備えている。ただしフォースの闇に落ち、帝国軍が再建したファースト・オーダーに加わり、亡きダースベイダーを慕っている。する必要もないマスクをつけ、あたかもダースべーダーを気取り、フォースの闇の力をもって銀河系を最高指導者スノークの下で支配しようとしているのだ。これにソロは待ったをかける。

ソロが行ったのは戦わず、丸腰に近い状態(レンはライトセーバーを持っている)で、レンに「やり直そう」と説得するという行為。それによってレンは涙を流すが、次の瞬間、レンはライトセーバーでソロの体を貫いてしまうのだ。デッキから奈落へと落ちていくソロ……。

まさに、情にほだされた挙げ句、命を失うわけで。やはりこういったかたちで命を落とす以外にはソロが殺されるというパターンはあり得ない。エイブラムスはリスペクトをもってソロに最高の最後の場面を用意したと言っていいだろう。

エピソードⅤとⅦにおけるクライマックスの相同性

そして、この親子が対峙するシーンはエピソードⅤ「帝国の逆襲」のクライマックスとほとんど同じ風景、そして設定も同じものになっている。「帝国の逆襲」のクライマックスはルークとダースベイダーの一騎打ちのシーンだ。ここでルークはダースべーダーに腕を切り落とされ、事実上の敗北となる。ところがベイダーはルークへとどめを刺さず、帝国軍に加わって自分と銀河系の支配をしようと説得する。そして、その理由がわからずルークがベイダーに問い詰めた時、ダースベイダーは、このシリーズの中で二番目に有名な台詞を吐くのだ。つまり”I am your father.”(一番有名なのは、もちろん”May the force be with you”)。そのことを認めることの出来ないルークは自らデッキから奈落へと落ちていく。

そう、2つはまったく同じシーン。そして父と子の確執の末、息子が父を拒絶するという構図になっているのだ。ただし、ルークはジェダイであることを譲らないために、レンはフォースの闇の存在であることを譲らないために。つまりダースベイダー=ハンソロ、ルーク=レン。ただし、立ち位置が全く逆。これはお見事!


未来に向けての種まき

ソロの死は、これまでのスターウォーズシリーズでばらまかれた様々な要素の在庫一掃を象徴的に現している。こうすれば、もはやソロにまつわる過去の話は全て精算される。その一方でソロの背後にある様々な設定はそのまま継承可能となる。ミレニアム・ファルコン号、チューバッカ、R2-D2、C-3P0、そしてルークとレイアは温存されているのだ。恐らく今後、旧シリーズの人物キャラクターは何らかのかたちで順番に映像から姿を消していくだろう(ルーク→レイアの順あたりか?)。

こうやって過去の清算は着々と済まされていった。ただし、今度は未来に向けての種まきをしなければならない。スターウォーズ・シリーズは第一作からすでに38年が経過している(僕は現在55歳だが、最初の映画を見たのは高校生の時だ)。当然、配役、そして観客双方の世代交代が行われなければ、このシリーズは維持されない。だから、新しい種まきをしなければならない。それが女性キャラクター、レイだ。

映画のタイトル「フォースの覚醒」からもわかるように、本作はレイがフォースの能力に目覚めるまでを描いている。そしてサブストーリーは「親さがし」だ。フォースの能力を備えるものは、当然、親もまたフォースを備えていなければならない。それゆえフォースに目覚めることは、親が誰なのかを同定するヒントが与えられると言うことでもある。レイのフォースへの目覚めはカイロ・レンとの戦いの中で生まれる。レンがフォースの力を使って人間を思うがままに操作する(たとえばフォースの力によって、反乱軍のパイロット、ポー・ダメロンにルークの居場所を示すMAPのありか(BB8の中)を喋らされたがその典型)。レンは同じようにレイに向かってフォースの力で襲う。だが、窮地に追い込まれたレイは、逆にそこで自らのフォースを発揮してしまう。こうやってレイはフォースに目覚める。

だが、ご存じのようにフォースは扱うのが難しい。場合によってはフォースの闇に落ちてしまう。その典型がダースベイダーことアナキン・スカウォーカーであり、カイロ・レンなのだ。レンが闇に落ちていることは、事がうまく運ばない時にライトセーバーを振り回したり、フォースを乱用して周辺のものを片っ端から破壊するといった行為によって表現されている。一方、レイは正当なジェダイ・マスターへの道を歩むことを予感させるふるまいを見せる。レンとレイの戦いで、レンは感情にまかせてセーバーを振り回し続けるが、レイは窮地に立たされると却って冷静になり、感情を押し殺した状態でレンに対峙、そして勝利する。スターウォーズの第一作が公開された時、フォースは字幕では「理力」と訳されていた。これ自体はイケてはいないので、その後「フォース」ということになったのだが、この「珍訳」は理性的にフォースを操作しなければジェダイマスターになることはできないゆえのものだったのだろう。レンとレイのコントラストは、明らかに新しいトリロジーの未来を垣間見せている。

さて、それではレイとは何者か?エピソードⅦでは遂に明かされることはなかったが、フォースを使うのだから、これは恐らく要するにソロとレイアの間に設けられたもう一人の子供ということになるのだろうか。名前も「レイア」から「ア」を省いただけの「レイ」だし(笑)(そういえば「レン」というのも「レイア」の「レ」と「ハン・ソロ」の「ン」を合わせただけってことか?)。そうだとすれば、この映画は兄妹対決ということになるのだが、この辺は続編がどうなるかを期待したい。(カイロ・レンが生きていればの話だが。第2デススター?が破壊される寸前にスノークが瀕死のレンを救出して、晴れてマスクを付けないと生きていけない存在、つまりダースベイダーになるなんてシナリオがあったりするかもしれないが。ま、これじゃⅢの「シスの復讐」とまったく同じになってしまうが……)。

女性を軸とした物語展開

レイをソロに変えてこのシリーズの中心に据えることは、作品の新しい種まきとしてきわめて重要だ。これまでのスターウォーズシリーズは結局のところ男性中心の物語だった。レイアが男勝りであると言っても、それはあくまで「男勝り」。結局はソロやルーク、アナキンといった男性が中心に作品は展開されてきた(レイアは黒澤明監督の映画『隠し砦の三悪人』に登場する男勝りのお姫様・雪姫がモデル)。ところが、今回のトリロジーは違う。レイは完全な主役だ。

さて、ソロの死はイコール、ファルコン号の船長を交代を意味している。今回のヒロイン・レイだ。それはラストシーンでチューバッカとファルコン号を操作していることで明確に示されている(先頃、ディズニーのD23のイベントで、アメリカの2つのディズニーランドでスターウォーズのテーマランドが建設されることが発表されたが(建設は2017年から)、その際登場したエイブラムスは「ファルコン号はライトセーバーより重要」とコメントしている)。レイはジェダイ・マスターとソロを兼ね備えたキャラクターとして、以降のシリーズを支配することになるのだろう。フィンやポーはその脇役ということになる(つまりヤッターマンのドロンジョ様とボヤッキー、トンヅラー?)。こうすることで役者はかつての三人ソロ、ルーク、レイアのキャラクターを踏襲しつつも総入れ替えということになる。

親が子へと伝えてきたスターウォーズの物語。若者や子供たちはもう、話を親から聞く必要はない。新しく映画を見ればよいのだ。そして、それは彼らのためのスターウォーズとなるのだ。もちろん、旧世代も目を細くしながらこれを眺めるのだけれど。そして、こういったファミリーエンターテイメントを膨大な費用を使って展開していいるのが、今やスターウォーズのオーナーであるディズニーなのだ(だんだんディズニーが帝国軍に思えてきたが(笑))。

エピソードⅣのリセット、そして未来へ

最後に、この作品が明らかに第一作・エピソードⅣ「新たなる希望」のリメイク的な色彩を帯びていることはスターウォーズを見てきたものなら誰でも分かるだろう。第2デススターは登場するわ、惑星がやられるか第2デススターがやられるかというったクライマックスが登場するわ、前述したレイがフォースに目覚めるわ(これはⅣでルークが目覚めるのと同じ)。R2-D2はBB-8に進化するわ(これはテクノロジーの進歩も影響しているだろう。BB-8はきわめて愛らしい仕草を見せ続ける)。恐らく次回はレイの家族構成とルークの隠遁生活、そしてレンが闇に落ちたことの理由が明かされるということになるのだろうか。

スターウォーズはルーカスの下を離れ、新しい世界へと旅だった。つまり「フォースの覚醒」はシリーズの「新たなる希望」だったのだ。