パリ市内の主要エリア、しかも一般人が集う場所に一斉テロが勃発した。これについてISはその実行を宣言している。世界一の観光都市でのテロ。世界は一斉に反応したが、これはISによるこれまでの攻撃の延長線上にあるやり方であり、また新しい方法でもある。今回はこれをメディア論・記号論的に分析するとともに、ISが次に何を企てるかについて考えてみたい。最初に結論を述べておけば、次に狙われるのはルーブルかメトロポリタン美術館、あるいは大英博物館ということになる(たとえばの話だが)。そして、これは戦争というゲームルールの変更を示唆している。

戦争はゲーム

以前から指摘していることだが、戦争はゲームである。大量殺戮をゲームなどと表現すると顰蹙を買いそうだが、社会学的な立場から考えればこれはしごくあたりまえのことだ。ゲームにはルールがある。缶蹴りなら鬼は逃げているプレーヤーを発見し、その名前を挙げながら缶を足をタップすることでプレーヤーを捕虜とする。捕虜は、他のプレイヤーが缶を蹴飛ばしてくれるまでは逃げられない。この時、例えばプレーヤーが集団で缶を蹴りに来たり(こうすると鬼は全員の名前を挙げることが出来ないうちに缶を蹴られてしまう)、プレイヤーが缶の近くに立ち続け、蹴られた缶を鬼がサークルの中に入れた瞬間再び蹴るというようなことをやった場合(鬼は回避不可能となる)には反則となる。ゲームが成立しないからだ。

戦争もこれとまったく同じだ。攻撃対象を明瞭化するために戦闘員と非戦闘員は軍服を纏っているかどうかで分類される。そして戦闘員は非戦闘員を、非戦闘員は戦闘員を攻撃してはならない。さらにもうダメだと思ったら白旗か両手を挙げて降伏すれば、その瞬間戦闘は終了する。捕虜は捉えた側が生命を保証しつつ管理しなければならない。要するに、缶蹴りも戦争もまったく同じ構造・ゲームなのだ。ただし、戦争の場合、人が死ぬ、しかも大量の人がという危ないゲームなのだが。

ゲームルールを破ると戦争は新陳代謝する

当然、ルールを破ると戦争というゲームは成立しなくなる。そしてそのルール破りがヘゲモニーを握れば、新しい戦争スタイルの誕生になる。かつて、敵に負けたことのない大国アメリカが小国に敗北するという事態があった。ご存じベトナム戦争である。ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)は戦争のルールから逸脱することでアメリカを苦しめることに成功する。民間人が突然、米兵を攻撃するという、誰が戦闘員で誰が非戦闘員かわからないとう状態で戦争を展開したからだ。こういったルールからの逸脱は当時ベトナムに従軍していた米兵を混乱させ、それが結果としてソンミ村の大虐殺のような惨事を発生させることになる。ソンミ村では女子供を含めて500人以上が米兵によって虐殺されたのだが、米兵には全員がベトコン、この場合は非戦闘員の恰好をした戦闘員に見えてしまったのだ。

現在のISに対する西側諸国やロシアの混乱は、まさにこの状況といってよいだろう。これらの国々はISがかつてのルールに基づいた戦争ゲームなどとっくに捨てており、新しいルールを、いわば「提案」しているのだけれど、それにどう対処していいのかわからないのである。そこでISはやりたい放題ということになる。たとえば捕虜とした人間を片っ端から殺害したりするのは人道的に許せないといっても、その「人道的」というのはこれまでのゲームのルールから逸脱しているからという前提でわれわれは認識しているに過ぎないのだ。

今回のパリ襲撃もまたこれと同じやり方だ。一般人(ベトコンのような戦闘員である可能性すらない市井の人間たちなのだが)、そして彼らが集まりそうなところを無差別に襲撃するというやり方は、やはりゲームからは逸脱している。われわれが暗黙に了解しているゲームとは「一般人=非戦闘員を殺すことはしない、そして一般人がやってくる平和な場所に攻撃は仕掛けない」というルールに基づいているからだ。そんなルール、ISにはもちろん通用しない。

フランスのヴァルス首相は今回のテロを「戦争」と表現した。同じくフィガロ紙も「パリの真ん中での戦争」と大見出しを打った。そう、これは戦争なのだ。ただし、新しいタイプの。つまり戦争ゲームのルールが変更されたのである。だから、新ルールを踏まえないと対応策は生まれない。もう、これを戦争と捉え、そちらのモードの中で対応せざるを得ないということになっているのだ。


宇宙人やゴジラがもっぱら世界遺産や文明的要地を襲撃する理由は「文明の記号だから」

SFもので地球が侵略される際、宇宙人が襲撃する典型的な場所はビッグベン、エッフェル塔、タージマハール、ピサの斜塔、自由の女神、パルテノン神殿、クフ王のピラミッドといった、とびきり有名な世界遺産群だ。怪獣物も同様で、キングコングはエンパイヤステートビルに登ったし、ゴジラは東京タワーを破壊している。なぜ宇宙人やゴジラは世界遺産を狙うのか?それは宇宙人やゴジラやキングコングが「人間」だからだ。いや、正確に表現すれば「人間が創造したもの」だからだ。だから、これらは人間が最も恐れる状況を知っている。人間が自分の恐怖するものを考えたのだからあたりまえだ。もし、実際に宇宙人やゴジラ、キングコングが存在したとしたら、いちいち東京やニューヨークにやってなんか来ないで、その辺のものを適当に次々と破壊するだろう。SFや映画の中のこれら異分子的存在が、人間にとっての文明や文化を象徴する記号的なものばかりを襲撃する理由は、ここにある。

いまISがやりはじめていること。それはSFが創造した宇宙人や怪獣と全く同じことだ。お互い人間でそのことをよくわかっているから、そこに攻撃を仕掛けるのだ。そうすることで、最も効果的な働きかけ、つまりISのプロパガンダを展開することが出来る。だからシリア・パルミラの世界遺産を破壊した。

そして、今回のターゲットは前述したように世界一の観光都市、パリ。そのど真ん中のシアターやレストランを襲撃すれば、報道は一気に世界中に拡散される。なんのことはない、宇宙人がタージマハールを破壊したことと同じになるわけだ。そして、メディアがこれを一斉に世界に報道することでメディアイベントとしての大事件となり、この報道に衝撃を受けた世界中の人々がパリへの観光を躊躇することになる。まさに効果は絶大。ISの実に見事なメディア戦略と言わなければならない。

新しい戦争のかたち

僕はISの今回の攻撃はまだ序の口とみている(ISもそう宣言している)。次には、恐らくもっと有名な場所が狙われるだろう。そちらの方がはるかに衝撃が大きく、自らの力を誇示するためには効果的だからだ。だから、たとえば次にはルーブル、メトロポリタン美術館、あるいは大英博物館あたりが標的となるかもしれない。これらが襲撃されれば、そのインパクトは大量殺戮があっただけでは終わらないからだ。たとえばルーブルでモナリザやサモトラケのニケ、さらにはナポレオン戴冠式の絵などが一斉に破壊されたとすればどうだろう?これはさらに西欧文明の結晶、かつその極致であるアートを破壊したのだから、西欧社会それ自体が否定されたことの大きな記号となるだろう。当然、その行為はISとともに歴史に刻まれてしまう。記号というレベルではきわめて効果的なのだ。

だから、たとえばこれらの美術館、博物館はこういったテロに備えて万全の準備をしなければならないということになるのだが……残念ながらそれは不可能だ。現在、これらのミュージアムで行われているセキュリティチェックは玄関での荷物検査、身体検査くらいでしかない。だがこんなものは何の意味も持たない。これはテロリストたちが進入する際に武器等を隠し持っているという前提に基づいているに過ぎないからだ。で、脳天気なことに、それでテロを未然に防止できると考えている。実は、これも既存のテロに対する対策、つまり旧態依然としたゲームルールの範疇を出ていない。ISが設定するゲームのルールはもう少し高度で、そしてもっと邪悪なものだ。

たとえば、こういう攻撃をされたら身も蓋もない。
クルマでルーブル美術館の前に乗り付ける。そこから銃器を抱えてテロリストたちが一斉に館内に侵入する。身体には自爆テロ用の爆弾が巻き付けられている。ゲートのセキュリティチェックのスタッフ全員をさっさと射殺し内部に侵入、入場者を機銃掃射して次々と殺害。最後はモナリザの前で自爆テロを敢行する。

ジハード攻撃で死ぬことなんかなんとも思っていない連中からすれば、こういったルールから逸脱した行為を実行するのは当然のことなのだ。いや、それは彼らのゲームルールを適用しているに過ぎない。だから、残念ながら、こちらとしてもそのルールに従う(あるいは対応する)しかない。たとえば、こういった対策について完全防備する方法は美術館を閉鎖する。あるいはゲートを数重にして、襲撃が始まった瞬間、自動的に鉄の扉が閉まり身動き出来なくするといった、やはりSF的な装備をするしかないということになる。だが、人が集まるという条件を除いてどこでテロを行うのかはわからないので、あまりメジャーでないところでのテロについては対策を取ることは限りなく不可能になる。今回もカンボジアレストランがターゲットとなったが、こんなマイナーなところになると、実のところ、もうどうしようもないのである。

そしてISが投げかけているルールは、よく言えばきわめてクリエイティブ、とんでもないという視点から評価すればきわめて邪悪だ。前述したソンミ村を攻撃した米兵はまだ戦闘員を殲滅しようとする意図があった。問題は、米兵が戦闘員と非戦闘員の区別がつかず、精神的に混乱を来し、女子供も含めて村の全員が戦闘員=ベトコンに思えてしまったところにあった(まあ、元はといえばそういう混乱を発生させるという戦略を組んだのがベトコンなのだが)。ところがISのやっていることは一歩その先で、戦闘員ー非戦闘員という二分法のルールなどとっくに否定してしまっている。彼らのゲームにこの区分はないのだ。いや、待て!ひょっとしたらこの二分法はまだ持っていて、攻撃対象を確信犯的に非戦闘員に向けているのかもしれない。しかし、こうなると、われわれの恐怖は果てしなく広がってしまう。非戦闘員は戦闘員よりはるかに多いのだから。つまり国民全員!そう、われわれはいつどこで、ISに自爆テロで襲撃されるかどうかわからない。当然、IS掃討に参加している国家の国民全てが、人が集まりそうなところへ足を運ぶことを躊躇するようになる。これはIS側からすれば最少の人数で最大の効果を得るという、戦略としてはきわめて優れたものになる。

ISがいまわれわれ文明、文化に投げかけているのは、われわれが無意識に了解していた戦争というゲームの否定だ。これは、逆に言えば、繰り返すがISに対抗しうるだけのルールをこちらが作り上げるのを要請されていると言うことでもある。たとえば、一気にシリアに攻め込み、ISを殲滅させる作戦を組むというような恐ろしい方法も考えなければならないかもしれない。もし連合国の形でシリア内部を総攻撃したら、ISはシリアの非戦闘員(ほとんど幽閉されているような、本来なら難民になることを希望しているような人々)を楯に使うだろう。しかし、こちら側がIS式ルールにしたがえば、こういった人々も区別せず、一斉に殲滅してしまうような残忍な手段を取らない限り、ISという集団はなくならないのかもしれない(間違いなく効果的な方法だが、やはりわれわれの「人道主義的」という譲れないルールからすると、この実行は非現実的だ。そして「やれない」ことをISは知っていて、これ見よがしに非戦闘員を楯に使っているのだが)。

今回の事件は一歩戦争のルールが前進したことを意味している。ただし、こちら側に新たな課題を提供してくれたという点では、一歩対策を前進させる引き金になったかもしれない。今回のパリ襲撃、西側とロシアがシリアの扱いについて揉めている場合ではないことを、両側に知らしめたという点で。