勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2015年06月

マスコミへの苛立ちを展開した勉強会?

自民党国会議員の安倍首相支持者による党若手議員からなる「文化芸術懇話会」。その勉強会での議論が物議を醸している。内容は安全保障関連法案に対する国民理解のなさについてのいらだち(愚痴?)を展開したものだが、ポイントはむしろマスコミの報道の有り様についてのいらだちが中心だった。講師として招聘されたのは作家の百田尚樹氏。大西英男議員は「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番」、井上貴洋議員は「(マスコミの)スポンサーにならないこと」とコメント。さらに長尾敬議員が「沖縄のメディアは左翼勢力に完全に乗っ取られている」とすると、講師の百田氏は「沖縄の二つの新聞社は絶対つぶさなあかん。……沖縄のどっかの島でも中国にとられてしまえば目を覚ますはずだ」と答えた。

この辺はすでに報道されているので、どなたもご存じだろう。これについて、当然のことながらマスコミからは一斉の反発報道が展開された。言論の自由を弾圧するような言語道断の発言だ的な脈絡がそれだ。しかし、どうなんだろう?ここで議論されている「マスコミの現状」「現在のマスコミの本質」的なものについて、このメンバーのコメントは、その前提においては当たっていないこともないと考えることも可能だ(政治的なコメントについては、僕の立場からは全く容認できないことをお断りしておく)。そして、その構造それ自体が、今回の報道を生んでいるとも考えられる。

「「マスコミという暴力団」に「オマエは乱暴だ」と言ったら殴られた」的状況

そこで、今回はメディア論的に今回の勉強会を巡る構造を考えてみたい。
まず、はじめにこの勉強会の出席者をヨイショしておこう。つまり、今回の議論について当たっている部分について評価してみよう。それは「マスコミがやっぱりどうしようもない状態にある」という認識だ。自らの視点からすれば都合のよい部分だけを報道し、そうでない部分は一切報道しないという認識。これは十分理解できる。そしてマスコミの「自らの視点」とは、煎じ詰めれば商業主義、つまり視聴率と発行部数、そしてリスク回避にたどり着く。その際の報道のポイントはスキャンダリズム。そのためには弱気をくじき、強気を助けることも厭わない。これに勉強会のメンバーは苛立ち、同様にこれに苛立っている百田氏を講師として招いたというわけだ。

ただし、この勉強会、きわめてマヌケなものであったことは否めないだろう。自らが批判する構造の中に入り込んで、その構造の餌食になっているのだから。たとえて言えば、暴力的な人間の前で「オマエは暴力的だ」と発言して殴られるようなものである。

つまり、こうだ。

前述したように、マスコミの基本的な立ち位置は、もはやスキャンダリズムとしよう。そしてそのことをこの勉強会メンバーが批判した。だが、それを、たとえ私的な勉強会といってもマスコミ報道に触れる形で開催される中で展開し、そこで「マスコミは広告収入がなくなるのが一番」だとか「マスコミのスポンサーにならないこと」なんて発言したら、そりゃ、スキャンダリズムの奴隷であるマスコミにとっては思う壺。一斉に報道して叩きはじめ、メディアイベント的にメディアを賑わすに決まっているし、事実、現在、これが物議を醸すに至っている。当然ながら、彼らはマスコミの餌食になってしまった。もちろん、この勉強会ではそれ以外の内容も議論されたはず。だが、例によってそれらをマスコミが取り上げることはなかった。重要なのはスキャンダリズムだから、あたりまえだ。いつも通りのことをやられたのに過ぎない。つまり勉強会のメンバーは批判するマスコミの構造に従って自らが批判=バッシングされてしまったのである。その結果、会の代表で今回の勉強会を開催した木原稔青年局長はら一年間の役職停止処分を受けることになってしまった。何とも、お粗末と言わざるを得ない。

墓穴を掘る百田氏の言い訳

百田氏はその後、「沖縄の新聞社はつぶすべき」的な発言をしたのは報道陣が退出し、一般には公開されない内輪の席での発言と弁明している。曰く、「飲み屋でしゃべっているようなもの」。ただし、声が大きいので外に丸聞こえになってしまい、それがマスコミの耳に入ったというわけだ。
この弁明は「もう報道向けのものは終わったところで内輪話をやっているだけなので、それを報道するのは卑怯だ」というニュアンスだろうが、実はこれは自家撞着に陥っている。そんなおおらかなジャーナリズムが通用したのは、もうとうの昔のこと(ただし、このおおらかさを利用して特ダネを取り出す辣腕記者がいたことも事実)。批判するマスコミは、しつこいようだが、今や先ずスキャンダリズムありき。それこそハイエナ的にスキャンダルになりそうなネタであればどんな手を使っても入手しようとする。ということは「内輪でやるので、これをネタにすべきではない」というモノノイイは通用しない。マスコミの構造を知っているのならば(あの批判からすれば知っていなければおかしい)、当然ながらこれに対する周到さがなければならないからだ。彼らはあまりに無防備。自分の言っていることが自分の身に降りかかってくることについての自覚がなかったのだ。

他者への想像力の欠如は政治家の資質を疑わせる

国会議員、そして百田氏に共通する最大の欠点は「他者に対する想像力の欠如」だ。つまり、前述したように相手が暴力団とわかっていてケンカを売るような状況。だから批判した内容の形式に基づいて、彼らは一斉に批判=バッシングを受けてしまった。マスコミがこうやることがわかっているはずなのだから、この勉強会も完全にクローズドでやる、あるいはオープンでやる場合にはマスコミがどうやってこれを報道するのかを十分考えてからやらないといけない。

そして、こういった「他者に対する想像力の欠如」は、翻って政治家としての資質に疑問を投げかけるものとなる。この人たちはちゃんと国政が見通せているのか、有権者の意見を反映させる力があるのか……。今回の件は、それがないと言うことを「語るに落ちる」状態で証明してしまったことにならないだろうか。そして、そういった資質(「資質の無さ」という資質だが)が、結果として、今回の乱暴なコメントを生んでしまったともいえないだろうか?

ちなみに百田氏だが、ま、これはこれでよろしいのではないか?彼は政治家ではないし、小説という「妄想(imagination)を芸術に昇華する」世界で生きているのだから(もちろん、政治の世界に入ってきてしまっては困るけれど。はからずも、今回はそういうことになってしまったので、というか最近はやたらと政治の世界にコミットメントしているので、ちょっと困るが)。問題は、これをことさらに登用する自民党だろう。ここにもまた他者への想像力の欠如が感じられる。物議系の百田氏を使えばどうなるかなんてことは、最初からわかっていなければならない。

4月28日、オリエンタルランドが今後十年にわたる東京ディズニーリゾートのリニューアル案を提示してからと言うもの、その方向性についての議論がかまびすしい。

ストームライダークローズに見るポートディスカバリーの混乱

ディズニーランドのマニアックなファンについては、二つの傾向がある。
一つは「ディズニー情報消費享受者」。ディズニー側の新しい情報に徹底的にアクセスし続け、それを消費する。とにかくガンガン購入し、二つのパークを頻繁に訪れてくれる。こんな連中ばっかりだったら、ディズニー側も、そりゃラクだろう。

ところが、もう一つ辛口のマニアがいる。それはディズニー、いや厳密に言えばウォルト・ディズニーの思想(テーマパークとファミリーエンターテイメントという考え方)に心酔し、これに忠実な「ディズニー原理主義者」たちだ(これは、パークオープン時からディズニー世界に親しんできた、そこそこ年配(三十代から上)の人間が多いのではと、僕は踏んでいる)。

今回、OLCの方針に「ちょっと待った!」をかけているのが後者の原理主義者たちだ。
彼らがやり玉に挙げたのが東京ディズニーシー(TDS)のテーマポート、ポートディズカバリーにあるアトラクション「ストームライダー」のクローズだ。このアトラクション。2016年にリニューアルされることが発表された。ストームライダーは気象観測施設「気象コントロールセンター」から飛行型気象観測ラボ「ストームライダー」に搭乗するという想定だが、これが映画『ファインディング・ニモ』とその後編にあたり16年公開予定『ファインディング・ドリー(原題)』の世界を再現したアトラクションに置き換わる。だが、この変更が彼らには問題なのだ。

ストームライダーがあるテーマポート、ポートディスカバリーの物語=バックグラウンドストーリーは「ストームライダー計画の研究成果を発表するために、お祝いをしている」というもの。それゆえ、ストームライダーの存在はポートディスカバリーの根幹をなしている。だから、ファインディング・ニモへの変更はテーマポートの存在それ自体の否定になってしまうのだ。そこで、テーマ性を重視するファンからは反対の声が上がっている。Twitter上では「#ストームライダークローズ反対」のハッシュタグが登場。クローズ中止を求める署名ページも立ち上がった。彼らの反対の趣旨は「エリアの世界観が崩壊する」のいうものだった(ただし、オリエンタルランド側としては、このテーマポートには「自然と科学の調和」という世界観があり、それについて変更はないとコメントしている)。


世界観の崩壊とジャパンオリジナル化

原理主義者たちが眉をひそめる要因、つまり東京ディズニーリゾートのリニューアルによる世界観の崩壊はこれだけではない。

TDSに新たに加わることになったテーマポートは『アナと雪の女王』が舞台になった北欧をテーマとしたもの。これが、前述のポートディスカバリーとロストリバーデルタの間に建設される。前者は「20世紀初頭の人々が描いた架空の未来」、いわゆる「レトロフューチャー」、後者は「1930年代の古代文明の遺跡の発掘現場をモチーフにした、中央アメリカ熱帯雨林地域。レトロフューチャーと北欧の間には運河?が流れており、これがテーマを隔てているからまだよいが、密林の隣に北欧というは、かなり支離滅裂。熱帯が突然、寒くなってしまうわけで。

こういったテーマ性の崩壊。実は、今回の件に始まったことではない。パーク内は当初のディズニーランド的なもの、いいかえればウォルト・ディズニーが構想したものからはどんどんかけ離れていく傾向がある。パーク内にラーメン屋やドリンクの自販機が置かれるようになったのはその典型だ。また、最近はキャラクター重視の傾向が強く、ストーリーや設定がおろそかにされがちなのも事実だ。

しかし、これがジャパン・オリジナルとしてのTDR(東京ディズニーリゾート)の変化のあり方なんだろう。リピーターたちのニーズに応じることをモットーとし、そして膨大な数のファンの多様なニーズに応えた結果、TDRはテーマパークとしての体裁、つまり世界観を崩壊させ、どんどんと変わっていった(それが、たとえばキャラクター重視という方向に向かった)。それは現在もさらに進行している。おそらく、気がつけば、本家本元(アナハイムのディズニーランド・パーク)とは全く異なったパークが出来上がっている……そんなところではないのだろうか。そして後続世代のリピーターの多くが非原理主義者となり、これを楽しむ。

でも、このゴチャゴチャの世界、とっても日本のサブカル的な世界に近いという感じもする。AKB48、ジャニーズ、宝塚、アキバ、ドンキホーテにも共通するところがある。かつて香港にあった九龍城のように、どんどんと新しい要素が脈絡なく加えられ、原形を留めなくなっていくという傾向だ。

そして、このゴチャゴチャ感、きわめて日本的、そしてアジア的とも言える。日本人は日本人としてローカライズされたディズニー世界を楽しむ。そして、それが日本発信の「ディズニー文化」ということになる。そんなふうになるのではないかと僕は予想している。

「遂にこの日が来た!」

6月9日早朝に開幕したAppleのWWDC2015で、6月30日からAppleが新たな音楽ストリーミングサービスを開始することが発表された。ストリーミングサービスとは動画や音楽の配信サービスを意味するのだけれど、ここで発表されたのは、さしあたり音楽に関するもの(一部動画も含まれる)。サービスのポイントだけを一言で言ってしまえば、そのうちのサブスクリプション・サービスの部分、つまり「音楽の定額聴き放題」ということになる。月額9ドル99セントでサービス側が提供する楽曲をいくらでも利用可能。Appleは2009年にストリーミング=サブスクリプションサービスを展開するLalaを、そして昨年はヘッドフォンメーカーとして大人気のBeats Electronicsを買収しており(AppleのBeats買収のねらいは、Beatsが所有するサブスクリプションサービス”Beats Musicにあったと言われている。当然、これらがApple Musicのベースになっていると考えられる)、サービス開始は時間の問題と言われていた(ちなみにサブスクリプションについての僕の論考についてはhttp://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/65404213.htmlhttp://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/65045539.html、およびhttp://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/61609826.html、を参照されたい)。

こういったサービスは日本ではNapster、Sony Music Unlimitedなどでかつて利用可能だったし、日本以外なら6000万人のユーザーを抱えるSpotifyもすでにある。だから「何を今更、Appleが」の感がないでもないが……。いや、そんなことは全くない。これはミュージックライフの革命と言った方が早い。と言うのも、既存のサービスとはいくつかの点でまったく異なっているからだ。

WWCDのキーノートでは三つの点が強調された。「革命的な音楽サービス」「24時間3カ所からのラジオ」、そして「ミュージシャンとファンの交流」がそれ(今回、ラジオの論考は省略しました)。

「革命的な音楽サービス」と?

先ず「革命的な音楽サービス」について(ちなみに、このコピーは”Revolutionary music service”だが、これは2007年にS.ジョブズがiPhoneのキーノート・スピーチでiPhoneを紹介する際のコピーの一つ「革命的な携帯電話」=”Revolutionary mobile phone”になぞらえているのだろう)。

このサービスは、先ず既存のサービスと同様、クラウド上にある数千万曲に定額で自由にアクセスできること。ストリーミングはもちろん、ダウンロードしてオフラインで聴くことももちろん可能だ。また自分のコレクションを作成できるが、このコレクションは楽曲のデータのみがダウンロードされるだけで曲自体はクラウド=iCloud上にある。だから、パソコンやスマホ、タブレットのメモリーを食わない。ただし、これだけだと、これまでのサービスと代わるところはない。問題はここから。

My Music:お気に入りのコレクションを自分の所有する全てのディバイスで

その1:すでにサービスが開始されているiTunes Matchと同じ機能を備える(AppleではApple MusicとiTunes Matchは独立した機能と公式ページで説明しているが、説明を読む限りではまったく同じ。どうなるんだろう?)。あなたの音楽コレクションがAppleMusicによってデータを読み取られ、Appleミュージックのライブラリーと照合が図られる。しかも、このデータはiCloudと呼ばれるクラウドサーバー上にアップされているので、共有するディバイス全てにライブラリーが反映される。あなたがiPhoneで新しい曲を登録する。そして家に帰ってパソコンのiTunes(あるいはApple Musicというアプリに置き換わっているかもしれない。後述)を開くと、すでにそこには新しい曲がリストとしてリストアップされているというわけだ(iTunes Matchの場合、ユーザーのコレクションの音質が悪かったりした場合には、iTunes上のデータと置き換えてくれるというサービスもあるが、これがこちらに反映されるかどうかは不明)。この機能は”My Music”という名前が付けられている。

For You:あなたのお気に入りの世界を広げてくれる

その2:その1で見たクラウド上へのユーザーデータの収集は、必然的にユーザーの膨大なデータをiCloud上に集積することになる。しかもAppleMusicを利用すればするほどそのデータはいっそう膨大になっていく。そう、ここに世界中の人々の音楽の嗜好に対するビッグデータが誕生するのだ。

そして、このデータは当然グーグルやAmazonと同じやり方でマーケティング、あるいはセールスとして活用される。ユーザーサイドで考えられるのは、当然ながらAmazonのような「リコメンド・サービス」だ。Apple Musicは膨大なデータをアルゴリズムに基づいて、あなたのオススメの曲を紹介してくるのだ。しかも、ここからがAppleらしいところで、単に統計的な処理に基づいてデータを返してくるのではなく(グーグルやAmazonはこれ)、データをAppleのスタッフたちが検討して提案するのである(かつての「ロボ検」に対する「人検」をイメージしていただくとわかりやすいかも)。iTunesにはGeniusという機能があり、これを利用すると、お気に入りのジャンルの曲(スムースジャズ、ラテン、ロック、ポップなど)を集めて勝手に再生してくれるのだけれど、これはあくまで自分のコレクションの整理。ところがApple Musicでは数千万曲の中からあなたの気に入ると思われる楽曲をチョイスして再生してくれる。しかも、これはもちろんタダ。つまり、Amazonがリコメンドサービスのあとに購入を誘ってくるのとは違う。このオススメをダウンロードしても定額料金が変わることはない。当然、自分が好きな音楽についての世界が広がっていくことになる。この機能には”For You”という名前が付けられている。

New:あなたの気に入っているミュージシャンや関連筋の新譜を紹介

その3:データは強力なマーケティングの武器としても用いられる。インターネット上には膨大なデータが存在するが、ものすごくトリビアなものになると、さすがにデータを探し出すことは難しい(学術的な資料などがその典型。まあOPACみたいなものもあるけれど)。音楽も同様だ。ビートルズみたいなメチャクチャポップなものならAppleも簡単にライブラリーに並べることは可能だけれど(著作権をクリアしていればという留保は付く)、インディーズのごく一部のファンしか抱えていないようなどマイナーなミュージシャンを効率よくライブラリー化することは現状ではちょっと無理。ところが、Apple Musicはこれを可能にする。サービスを受けているユーザーがそのトリビアなインディーズミュージシャンの曲をコレクション化すると、これが自動的にiCloud上に反映される。Apple Musicとしては、その内、ユーザーのコレクション数が増えてきているような楽曲で、なおかつAppleのスタッフが「これはいい!」と思った場合、今度は同じような音楽を嗜好するユーザーたちにオススメとして提供する。この機能には”New”という名前が付けられている。これって、まあ、ヘタすると市場操作になるんだけど……。

Connect:ミュージシャンにも取り分が

そして、このサービスはミュージシャンとリスナーの関係も取り持つ機能を備えている。これまでのサブスクリプションサービスはミュージシャンたちには評判がよいとは必ずしも言えなかった。「膨大な数の楽曲を一挙ひとまとめにして聞き放題で○○円」ってなのがこのサービスなので、自分の取り分が減ってしまうと考えられたからだ。S.ジョブズはiTunes Storeを開始する際、ダウンロード販売をミュージシャンの取り分を考えていた。インターネットの普及によって違法ダウンロード、そしてナップスターのようなピア・ツー・ピアのシステムによって音楽の著作権に関する無法地帯状態が出現していることに対して、廉価のダウンロード販売(一曲¢99)という形でそれを保証したのだ。そしてiTunes Storeは世界最大の、いわば「レコード・CD販売店」となった。ただし既存の小売店を破壊していったのだけれど 。

しかし、このシステムを破壊するものがサブスクリプション・サービスだった。現状のCDなどのハードメディアやダウンロード販売にサブスクリプション・サービスが加わると、正直、前者二つは食われるだけになる。そして、ミュージシャンの利益はどんどん下がっていく。またダウンロード販売で稼いでいたAppleもここ数年は販売が頭打ち、さらには減少傾向となってもいた。

Apple Musicはかつてジョブズがやったように、再びミュージシャンの利益を保証するようなシステムを考えた。それがこの”Connect”だ。ミュージシャンたちは自分専用のプロフィールページを持ち、そこから自由に情報発信を行うことが出来る。たとえば、アップルのサイトにも記されているように、書きかけの歌詞、バックステージで撮ったスナップ、新しいビデオのラフカットなどをアップできる。これは、いわば「ミュージシャン自らが手がける濃密なライナーノーツ、ジャケット、ミュージッククリップ」と表現できる。しかもミュージシャンはこの機能を利用してファンからのフィードバックを得ることも可能。つまり、ここはミュージシャンにとってもマーケティングの空間となるのだ。そして、この編集権は、すべてミュージシャンの側にある。AppleMusicは透明な存在だ。

Appleだけが、可能なサブスクリプション・サービス

いかにもAppleらしい革新的な音楽配信サービス。「まあ、よく考えてあるわ」と脱帽せざるを得ない。ここで展開されているのは単なる「音楽聴き放題」ではなくて、「音楽聴き放題をメディアとしたわれわれの音楽聴衆スタイルの根本的な変更」だからだ。そして、これは「ガリバーであるAppleだからこそ可能な戦略」と言える。

こういったサブスクリプションサービス。わからない人には取っつきにくいものでもある。「音楽は購入し、そして聴くもの」という固定観念をなかなか外しづらいからだ。だから、これまで日本でも前述したようないくつかのサブスクリプションサービスがあったけれど、さほど普及することはなかった。「一部の音楽大好き人間だけが知っているサービス」みたいなものだったのだ。これを聴くためにはそのサイトにして登録する、専用アプリをダウンロードするという手続きもあり、これがちょっとメンドクサイ。「毎月カネを取られるのもちょっと」と感じる者も多い。つまりこういったサービスは、あくまでプルメディア、つまり消費者が任意に入り込むものだった(音楽大好きな僕のところの学生たちであってもサブスクリプション・サービスを利用する者はごく僅か。ある日、僕が件の学生にSony Music Unlimitedを紹介すると、驚いたように即座にメンバー登録したなんてこともあった)

ところがApple Musicの場合はそうはならない。こいつはプッシュメディア、つまりAppleが働きかけて、こちらが知らないうちに利用するようになってしまうメディアだ。
現在iPhoneを利用しているユーザーがどれだけいるのだろう?iTunesを利用しているユーザーがどれだけいるのだろう?そりゃ、膨大な数だろう。ウチの学生を例に取れば、もうほとんどがこれだ。これがiOS(そしてMacOS、AppleWatchOS)がアップデートされた時(100カ国で6月30日がその日にあたる。間違いなく日本もその一つに入っているはずだ)、そこにApple Musicの紹介が登場し、ポチっとやるだけでこのサービスに加入することになる。これまでのiTunesの上にこれが自動的に乗っかる形だろう(ひょっとしてiTunesは消えてしまい、前述したようにこれがApple Musicという名前に変更されているかもしれない。MacOSの写真編集アプリが”iPhoto”から”写真”へと変更された時のように)。しかも3ヶ月間無料という「トロイの木馬」も付いている。そう、実にスムースにこのサービスに移行してしまうのだ。しかも月額9.99ドル。まあ日本だと1300円くらいだろうけれど、これくらいだったらウチの貧乏学生も喜んで加入してしまうのではなかろうか。こんなことを始めるiPhoneユーザー(アンドロイド版もリリースされる)が一挙に出現するのだ。

ミュージックライフを変更する

そうなると、われわれを音楽聴取スタイルは根本的に変更されてしまうだろう。先ず、考えられるのは「音楽を所有する」という概念の崩壊だ。聴きたい時に聴きたい曲を聴く。そして好みに応じてコレクションする。しかし、コレクションした者は物理的媒体ではないので、本みたいにずらっと並べて楽しむ、つまり「知識をカネをかけて所有する」という感覚が消滅する。音楽は純粋な消費物へと転じるのだ。

また「聴きたい曲」というのは、いわば自分にとって快適なものだから、「快適なものであればジャンルは問わない」ということになる。ということは、ジャンルは目安にしかならない。「私はロックばっかり」ってなことには必ずしもならなくなるのではないか。ただし、その反面、ものすごくトリビアになっていくことも確かだろうけれど。

おそらくほとんどのレコード/CD店は潰れてしまうだろう。また、既存のサブスクリプションサービスも、恐らくApple Musicに回収されてしまうだろう(つまり、消えてなくなる)。そして、前述したようにミュージシャンの活動スタイル、とりわけビジネス・スタイルのそれも根本的に変更されるだろう。言い換えれば、音楽というメディアにおけるパラダイムシフトが、これから数年のうちに発生するのだ。

ただし、これだけは言えることがある。それは、

「われわれは、ますます音楽を聴くようになる」

ということ。しかも、大量のリスナーが加入すれば、むしろ音楽市場規模は拡大する(毎月定額を払ってくれるユーザーが大量に存在すれば、時々CDやダウンロード販売を利用してくれるユーザーよりも売上は増大する。しかも収入も安定する)。

そして、

「Appleはますますガリバー化する」

ということ。(たぶん、そのうち動画でも同じことを始めるだろう。これはAppleTVとのセットになるんだろうけれど)

これは楽しみでもあるし、「怖いもの見たさ」でもある。


Appleは、とうとうパンドラの箱を開けてしまったのだ。

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