AppleWatchの影でMacBookが大幅リニューアルされた。既存のMacBook、MacBookAirはCPUを中心としたスペックアップ、そして待望の12インチRetinaディスプレイ搭載MacBookの登場だ。これは当初予想されたMacBookAir12インチかと思いきやAirではなく、MacBookという名称だった。ということは現状では、セグメンテーションはRetinaディスプレイつき=MacBook、Retinaなし=MacBookAirということになる。
そして、この12インチMacBookについて賛否両論がかまびすしい。で、ここでは徹底的にこの新製品をヨイショする形で展開してみたいと思う。ただしメディア論的に。
とにかくこのMacBook(以下、MacBook12)、いかにもAppleらしい、というかジョブズのDNAをしっかり踏襲したモデルとなっている。そのキモは「潔さ」「セグメントの徹底」だ。これらによってユーザーにパソコンの新しいあり方を提示している。つまり教育しようとしている。それは、さながらかつてiMac投入した際にSCSIとフロッピードライブを取り外してしまったように、あるいは顧客からビジネス層をバッサリ切り落としてしまったように。そしてパソコンが無いと使えないミュージックプレイヤー、iPodをリリースしたように。
こういった潔さは、得てして多くの既存のユーザーを混乱させる。つまり「それ取っちゃ、おしまいでしょ」「これまでのこちらの財産が使えなくなるのはどういうことだ!」。しかし、Appleは常に前しか向かない。そのために過去を「潔く」バッサリと切り捨てる。これこそジョブズ主義というところだろうか。
MacBookへのツッコミ
しかしながら、例によってこういった「潔さ」に突っ込みが入る。論点は次の四つあたり。
一つ目はポートをUSB-Cとオーディオジャックを除き、全て取っ払ってしまったこと。しかも電源込みでUSB-Cのポートは一つだけ。「ディスプレイ表示も、USBディバイスの挿入も、電源供給もこれ一本って、いったいどうやるんだ。電源つないだ瞬間終わりでしょ。え、アダプターがオプションである?で、9000円?ふざけるな!」
二つ目はスペックの低さ。CPUは現状のCore i5より30%遅いCoreMだ。「これじゃあビデオやデッカイ画像を編集しようとしたら、トロくてどうしようもないんじゃね?それからストレージ256GBと512GB。まあ、MacBookAirも同じだけれど、あっちの場合はUSBのポートが複数あるから、そこに外部ストレージをつなげばいい。ところが、こっちは一個しかないわけで。これじゃあ、どうにもならないでしょ。ディスプレイにも繋げないし。クリエイターにとっては使いものにならないよ」
三つ目は見た目。ディスプレイ裏のアップルロゴが光らなくなった。「これじゃスタバに行って、MacBook広げて、ドヤ顔しても目立たないじゃないか。オレってイケてないわけで、スタバに行く意味がなくなる」
四つ目はキーボード。キーボードは少々大きめ。しかもクリックが浅い。「なんじゃ、このペラペラ感は?打ちづらい、許せん」
さて、こういった反論に全てひっくり返す形で説明してみよう。反論する視点は二つ。先ず一つ目は「この新しいMacBook12のユーザーは誰か?」という視点から。
コア層はライトユーザー
よく考えてみても欲しい。MacBook、そしてMacBookAirを利用するコア層はどのような人たちだろうか?その性能から狭義のクリエイターあたりがイメージされるのがマック製品だ。つまり映像や画像を加工したり、音楽を作ったりといった層。そういった人間たちは大型ディスプレイにMacを繋ぎ、CPUをぶん回し、メモリーを湯水のように使う。だからグチャグチャいろいろ差し込むためのポートは無いわ、CPUはトロいわ、メモリーは無いわで、新型MacBook12は明らかに力量不足。おまけにロゴが光ってないから、スタバで「オレって、クリエイター」とドヤ顔することも出来ない(もっとも、このマシンはメチャクチャ薄いので、ゴールドなんか持ってスタバに行けば、ロゴが光らなくても十分に目立つだろうけど(笑))。
しかし、コア層がクリエイターというのはウソだろう。MacBookAirやMacを利用するユーザーのほとんどはテキストの書き込み、パソコンブラウズ、メールのやりとり、ちょこっとゲームをやるといった作業をメインとするライトユーザーのはずだ(これはあまり使わないと言うことでは必ずしもない)。そんなユーザーには機敏に動くスペックも大容量のストレージも、外部に映すモニターもはっきりいって不要。そして、Macをフツーに使いこなしたいので、スタバでもタリーズでもドトールでもどこでもいい。「オレってスタバでMacでイケてる」じゃなくて、「チョコッと仕事したいからスタバ、タリーズ、ドトール、あるいはマック(マクドナルド)へ」なのだ。
そういった人間にとってMacBook12は最高にイケてるパソコンに見えるはずだ。軽くて小さいから携帯しやすい。Retinaディスプレイはキレイ。しかもバッテリー容量は十分。作成した書類はクラウドにあげれば終わり。そもそもデータは重くないので、クラウドじゃなくて内部のSSDに放り込んでおいてもストレージを圧迫しない。つまり、カジュアルに使いこなすコア層にとって、こんなに魅力的なパソコンは存在しない。まさに革命。まあ唯一困るのはiPhoneを充電することが出来ないことか(する場合にはMacBook12のバッテリーから頂戴するということになるわけだけれど、その際にはMacBook12が電源に繋げない)。
そして、ここでクリエイターさんにツッコミを入れようと思う。あのね、クリエイターって映像、画像、音楽をいじくり回す高城剛さんみたいな人ばかりじゃないんですよ。そりゃ、定義が狭すぎる。こちらもコア層は、実はテキストベースの仕事をこなす人のはず。だから、クリエイターのうちMacBook12は使えないなんて言っている御仁、ちょっとゴーマンかましているような気がしますが(たとえばhttp://blogos.com/article/107769/)。モノを書くという点では僕もクリエイター。で、僕にとってはこのマシン、とてつもなく魅力的に見える。
要するに、このマシン。端っから狭義のクリエイターさんたちを切り捨てているのだ。だって、マイノリティだから、儲からないし(笑)
パソコンの新しいあり方を提示する
次はメディア論的立場からMacBook12を絶賛してみよう(笑)
で、ここでは権威に頼って、このパソコンがすばらしいことを説得してみたい。メディアに関する預言を当てまくることで有名な二人の偉人の言葉をここで引用する。ひとつはメディア論の父、M.マクルーハンの言葉だ。
「われわれはまったく新しい状況に直面すると、常にもっとも近い過去の事物とか特色に執着しがちである。われわれはバックミラーを通して現代を見ている。われわれは未来に向かって、後ろ向きに進んでゆく」
この言葉は最高にクールだ。人間というのは保守的なもので、新しいものが出てくると面食らってしまう。未来を見ることは好きだが、未知の未来は怖い。それゆえ過去を見ながら、過去の慣習の延長上にしか未来を見ることができない。だから「未来に向かって、後ろ向きに進んでいく」のだ。
で、これじゃあ、何も生まれない。「新しいもの」はつねに「奇異なもの」。それで何が出来るのか全く予想がつかないものだ(Appleに詳しい林信行氏はAppleWatchのハンズオンでこれを絶賛しているが、残念ながら実際に触れてもいない僕には、これが何が出来るの想像つかない。一方、MacBook12は確実に未来が見える)。だから、その出現の際には、その多くが過去、そして既存のものを正当化して、新しいものを否定する。60年代ビートルズが出現した時、大人世代が「あれは騒音」といって一刀両断したなんてのがその典型。だがビートルズはその後われわれの音楽のメインストリーを構築することになった。
MacBook12への批判は、まさにこういった「未来に向かって後ろ向きに進む」人間たちからのものだ。面白いのは、こういった批判を、未来を見ているはずのクリエイターがやっていることなんだが(笑)(ちなみにこういったクリエイターのみなさんは狭義の「クリエイト」という「お仕事」をおやりになられているので、Macの購入はMacProかiMac、MacBookProの15インチがオススメです。っていうか、たぶん持っているはず)。僕はマックを10台以上保有しているけれど、こういう「クリエイター的お仕事」、つまり映像、画像編集をやるのはやっぱりiMacかMacBookPro15、つまり高スペックのマシンでMacBookなら当然ディスプレイに接続して使っている。チョコチョコ物書きは現在MacBookAirの13だが、正直言うと11の方がコンパクトでいい。13にしているのは年齢の問題。つまり老眼の目にはちょっとキツい文字の大きさなのだ(泣)。
MacBook12への批判パターンで、この図式が最もあてはまるのは新しいキーボードについてのツッコミだ。今回のリニューアルでキーボードはシザー構造からバタフライ構造へと変更された。これによってキーは一層薄くなった。で、より軽いタッチ、つまりペラペラな感じで入力出来るようになったのだが、この入力感にツッコミが入ったのだ。
実は、かつて僕も同じような経験をしている。Appleのノートパソコンの名前がiBook/PowerBookからMacBook/MacBookProへ変更された際、キーボードは大幅な変更がなされている。キーが薄くなり、入力時に押し込み感覚が減って現行のペラペラになったのだ。「こりゃ押しづらい」、当初はそう思っていたのだが、慣れてみると全く逆だった。僕みたいにキー入力の速い人間にとってはこの薄さ、ペラペラ感は馴染むにつれて、ものすごく快適なものになった。そして、このキーボードスタイル、その後のウインドウズ・パソコンでもデファクト・スタンダードとなってしまった。で、その後、MacBookAirが薄型パソコンのデファクト・スタンダードになったこともよく知られているところだ。
そして今回そのリニューアル。つまり、さらに薄くなるとともにバタフライ構造によってキーのぐらつきが一切なくなった。で、やっぱり最初はまごつくだろう。しかし、慣れれば、結局、また同じことが起こる。つまり慣れれば慣れるほど速く入力が出来、しかもミスタイプが減る。「う~ん、こりゃスゴイ」ってなことに。で、結局、このバタフライ方式が、数年後にはパソコンのデファクト・スタンダードになっていく。
よくよく考えてみれば、Appleの「潔さ」「セグメントの徹底」はMacBook12に限った話ではなかったのだ。USBにしても、フロッピーの撤廃にしても、Wi-Fiの標準装備にしても、Appleは同じようなうことをやって来た……そしてパソコンの未来を開いてきた。そして今回、AppleはMacBook12でパソコンを再発明したのだ。
未来を創る!
で、シメにもう一人の権威の言葉を援用しよう。ご存知、Appleの創始者S.ジョブズのコメントだ。
「未来を予測することなんか簡単だ。未来を創ってしまえばいいのさ」
MacBookPro12はまさに未来を創っていることが明確にわかるモデルだ(ただし数年先くらいまでだろうけど。そのさらに先を創ろうとしているのがAppleWatchだろう。これが本当に未来を創ることが出来るかどうかは、あまりに壮大すぎてちょっとまだ予想がつかないけれど)
もう数年もしないうちに、街中が(そしてスタバが)、MacBook12の、いやMacBook12のスタイルを真似たパソコンでいっぱいになっていることを予想すること。実は、とっても現実的なことなのではなかろうか。