勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2014年05月

イメージ 1

ダッフィー専用のフォトポイント。ここにマイダッフィーを乗せて撮影する。成熟したゲストへのTDR側の見事な対応だ(東京ディズニーシー―)



情報消費空間としての利用の肥大が進む東京ディズニーリゾート(TDR)について考えている。TDRはあらかじめディズニーに関して仕込んだ情報(コピー)を確認に行く空間。本来なら物理的空間がオリジナルで情報はコピーであるところが、TDRでは逆転、つまり現物=コピー、情報=オリジナルといった現象が極端なかたちで起きている。このことについて、前回は90年代までのマスメディアとパークの関連で分析しておいた。マスメディア情報が先にあり、これをチェックするためにTDRへと向かうという図式だ。今回は後半。21世紀、インターネットの到来で、この肥大がさらに極端になっていくプロセスについて見ていく。

インターネットが開く情報過多

日本人にとってディズニーランドは、もともとこういった情報消費空間的な特性を備える土壌にあった。国内が狭いこと、東京都市圏に3700万人もの人口を抱えることによって、TDRはチェックした情報をすぐにに確認できる空間だったためだ(広大なアメリカではこうはいかない)。そこに、ネットの普及でこの情報消費における情報=ヴァーチャルの極端な肥大が発生する。それは、成熟したディズニーファン、ディズニーを訪れるゲストたちが、マスメディア経由でなくインターネットを通じて独自に情報を入手しはじめた必然的結果だった。つまり、もはやあちこちから情報を入手できる。いや、それだけではない。ホームページやブログなどを利用して自ら発信するようにもなった。この肥大化は現在、SNSとスマホの普及によてさらに極端な拍車が掛かっている。

そして、こういった情報アクセスの易化・多様化、発信のカジュアル化は、翻ってマスメディア誘導によるゲストの情報消費といったこれまでのスタイルを瓦解させていく。インターネットにアクセスするディズニーファンのユーザーが、それぞれの嗜好に合わせて情報をアクセスし、また発信することで、ディズニー、そしてパークに関する情報は無限の広がりと方向性見せるようになったからだ。そして、その勢いは、必然的にディズニーに関する「マスメディア情報<ネット情報」といった勢力関係を作り出した。

こうなると、あたりまえの話だが、もはやマスメディアがどんなにディズニーに関する一元的な情報を提供してもゲスト(もはやデズヲタ=ディズニーオタクだが)は言うことをきかない。映画『グレムリン』の中に登場する小動物モグアイ・ギズモから分裂して生まれる破壊の小悪魔モグアイ・グレムリンのように、ディズニーから生まれたにもかかわらず、マスメディア経由の一元的ディズニー世界を破壊するような存在に転じていくのだ。

つまり、こうだ。ファンのゲストたちはそれぞれ任意に自分のお好みのディズニー世界を作り上げる。これはフィルター・バブル的な情報処理によってどんどん個人専用にカスタマイズされていく(もちろん、それはウォルトが当初考えたものとはかけ離れたものだ)。また、その情報をさらにカスタマイズしてネット上に発信する。もっとも、こういったゲストたちがパーク内で行う行為は、形式的にはかつての一元的な情報消費と同じだ。つまり「頭の中のAR=セカイカメラ」状態。彼らにはパーク内にタグづけられた「自分だけにしか見えない情報」を確認するために、ここに頻繁に繰り出す。ただし、そのタグは個人的にタグ付けしたもので、同じパーク内の空間を見ても、それぞれの「頭の中のセカイカメラ」には別のタグ付けがなされている。だからパークのゲストたちは、そこに別のものを見ているのだ。

グレムリンたちに対応を見せるTDR

たいへんなのはTDRの方だ。こういったグレムリンたちの無限に多様化したディズニー世界のニーズに対応をしなければならなくなったからだ。TDRは、それぞれにアドホックに空間を位置づけするゲストたちに対応するような環境世界の形成を命題として掲げることになった。だから、たとえばパレードやショー、空間からはストーリーの一貫性を破棄し、個別のタグ付けに併せた膨大な数の情報の羅列という対応策を採っていったのだ。これは、要するにハイパーリアルという言葉がピッタリということになるだろう。現物=リアルよりも情報=ヴァーチャルが肥大化し、挙げ句の果てにはその肥大化した情報イメージに従って現物=リアルな環境が再構築されていく。

で、この対応は見事に功を奏する。もはやデズヲタ=グレムリンとなったファン=モグアイたちにとって、こういったバラバラの世界は、自らカスタマイズして構築した世界を情報消費するためには、むしろ最適。そこで自由に「マイ・ディズニー・ワールド」を構築していくことができるのだから。いや、それだけではない。ネット上で気軽に情報を発信するように、パーク内でも情報発信を始めるようになる。パーク内の道に沿ったオープンテラスに持ち込んだダッフィー(パイレーツやジャック・スケリントンの衣装を纏っている。もちろんお手製のダッフィー用コスチュームだ)を、他のゲストたちに向けてこれ見よがしに並べる。白衣を着て、そこに数百のプーさんのピンを貼り付け、頭にはプーさんのハチミツ壺の帽子をかぶる。大人が全身ミニーのコスプレでやってくる。お手製?の、マリーをあしらったド派手な和服でパーク内を闊歩する。なーんちゃって女子高生として、かつての制服姿で仲間とパークを訪れる(制服ディズニー)などなど。そして、これはもはやテーマパークと定義づけられるような空間を形成しなくなっていった。

実はアジア的文化様式がテーマパークという欧米の形式の中で融合しただけ?

こういったパークのクレオール化は、今後さらに進んでいくだろう。そしてパークは壮大なオタクランドを形成するはずだ。もちろん、かつてのディズニーの一元的世界を支持していた旧世代は、ここから退場していくだろうが。

こうやってオリジナルとは異なる独自の変化をしていくことで、輸入された文化は定着する。そしてTDRの場合、最も興味深いのは、ある意味日本の未来を先取りしたかたちで、さまざまな事態が発生することだ。ということは、数年後、人々は同じ空間に、それぞれが異なったタグ付けを行って情報消費をしている、そしてそういったニーズに合わせて僕らの生活空間もごった煮的な状況を構築していくということになる。アキバ、ドンキのように。つまりディズニーにおけるテーマ性の破壊が数年後にわれわれの日常空間でも発生する。でも、これって、実はきわめて汎アジア的風景、いや日本的なそれなのかもしれないけれど(笑)


※付記:この手の記述を本ブログで、僕は何度となく書き綴ってきたが、その際、僕がかつてのディズニー世界を「正」、現在のオタクランドの状態を「誤」と捉えているとしばしばカン違いされてきた。デズヲタ層からは「そんなに嫌ならパークに来なけりゃいいだろ」、一方、旧主派からは「もう、あそこはディズニーじゃない。よくぞ言ってくれた」みたいな反応だ(ちなみに、こちらは元キャストだった人からのコメントが多い)。だが、僕の立場は「TDRへの興味関心は尽きることがない」というものだ。「ディズニーランド、たかが遊園地と侮るなかれ。情報化社会の近未来を、あそこは照らし出しているのだ」と、僕は考えている。

情報消費におけるオリジナルとコピーの逆転

観光とは、その多くが「情報消費」といっていい。情報消費とは「それ自体を楽しむよりも、むしろそこに付随する情報を確認すること、そして楽しむこと」。とりわけ海外旅行のパックツアーはその典型と言える。たとえばパリの観光ならばエッフェル塔、凱旋門、オペラ座、モンマルトルの丘、ルーブル美術館、セーヌ川クルーズ、そしてちょっと出かけてベルサイユ宮殿。あとはフレンチを舌鼓し、カフェでパリジャン・パリジェンヌ気取りになり、ブランド物を買いあさる。

こういった観光をしているとき、われわれはある種の認識の逆転現象の中に置かれている。「コピー=ヴァーチャル」と「オリジナル=現実」の逆転という現象だ。観光客はパリの観光地を訪れる前にガイドブックやビデオでこれらの情報や画像・映像をチェックする。そして、現地ではそのチェックした情報を確認するのだ。ということは「オリジナル=パリ/コピー=パリの情報」が、「オリジナル=パリの情報/コピー=パリ」に転じてしまっている。「パリ(1)はやっぱりパリ(2)だったわ」とその感想を述べれば(1)が現物、(2)がコピーになる。そう、ヴァーチャルなオリジナル(2)を確認するためにリアル=現物というコピー(1)をチェックしに行くわけだ。こういった「現物に付けられたタグが最初にあり、そのタグを付けられた現物を確認すること」こそ情報消費に他ならない(ちなみに、一見わけのわからない抽象画を鑑賞する場合もこの情報消費が該当する。われわれはタイトルを見たり、解説を読みながら作品を見るのだから)。

そして、日本人にとって東京ディズニーリゾート(ディズニーランド+ディズニーシー+α、以下TDRと略)は究極の情報消費空間とみなすことができる。TDRを訪れるリピーターのゲストのほとんどがパークに関する情報を「徹底的」に仕込み、これを「確認するため」にパークに出かけるからだ(一見客は含まない)。

ただし、この「TDRにおける情報消費」、インターネット出現以前とその後(厳密には2000年あたりからの急速な情報化の進展前と後)では、かなり様相が異なっている。そして、それがパークの雰囲気を一変させている。今回はこのことについてメディア論的に考えてみよう。結論を先に述べておけば「TDRはどんどんヴァーチャル=情報が肥大し、膨大な情報消費空間と化していく、そしてそれがリアル=現実の空間を変容させていく」となる。

インターネット以前:マス的な情報消費

83年に東京ディズニーランドがオープンしたとき、多くの人間はディズニー世界についての知識=情報をほとんど持ちあわせていなかった。六十年代、日テレで「ディズニーランド」という番組が放送され、ディズニークラッシックが定期的にロードショー公開されていたので、この時代の世代(現在の五〇代半ば以上)はそれなりにディズニーを認知していたが、七十年代に入るとディズニーはオールドファッションとみなされ、いわば「荒唐無稽な絵空事」として、わが国からはほとんど駆逐されてしまっている状況だった。だから、パークがオープンされたとき、日本人のディズニー情報は一旦リセットされた状態=初期値にあったといってよい。

そこで、パークを軸にディズニー世界のプロモーションが展開されることになった。それはマスメディアを用いた一元的な情報の流布だった。ビデオの普及とともに、かつてのクラッシックアニメ映画が販売=レンタルされ、さらに80年代の終わりからはディズニーアニメの第二の黄金期(「リトル・マーメイド」「美女と野獣」「アラジン」「ライオンキング」)到来によって、広く認知されるようになる。

そして、この時、TDRは(当時はディズニーランドだけだが)、こういったマスメディア(テレビ+雑誌等)によって流布された一元的な情報を現物(=「リアル」というヴァーチャル)のかたちで回収する場所としての役割を果たすこととなるのである。つまりマス・メディアとパークの往還という情報消費。マスメディアで情報をチェックし、これをリアルなものとしてパーク内で確認する(あるいはパーク内でチェックしたものをマスメディア上でチェックするという”逆向き”の情報消費ともなった)。この流れの中でゲスト、そしてディズニーファンたちは一元的なディズニー世界のイメージに沿ったかたちで、ある意味、マスメディアに管理されながらディズニーリテラシーを涵養していったといっていいだろう。マスメディア越しにディズニーを知る→パークを訪れ、それを確認するという図式だ。ネット的に説明すれば、これは電子メディアを利用しないAR(Augmented Reality=拡張現実)ということになる。ARでは現実の物理空間に、その空間に関する情報がタグ付けによって追加され、リアルとヴァーチャルで情報を二重化する(かつて存在したアプリ・セカイカメラがその典型)が、パークを訪れたゲストたちは、いわば頭の中にスマホ=セカイカメラをビルトインさせ、パークの施設を見ては、そこにタグ付けされた情報を確認するという情報消費していたわけだ。ただし、そのアナログなタグ付けによって、ゲストたちがそこで消費する情報は、ほぼ同一のものだった。だからTDRとしても、こういったマスメディア=送り手主導の情報消費を行うことで、パークにおけるテーマの重層性を高めることが可能だった。

ところがインターネット普及に伴う情報化の急展開の中で、この「マスメディア―パーク―ゲスト」の図式は崩壊していく。そして、それを加速したのがネット環境の充実で、さらにスマホが普及するに至って情報消費の仕方はヴァーチャルの部分がきわめて肥大化していくものになっていくのだ。(続く)

古舘伊知郎というパーソナリティがメディアに登り詰めるに至ったエネルギー源である権威主義について考えている。今回は最終回。「報道ステーション」の古舘について考えてみたい。

報道ステーションの開始

2004年、古館は久米宏の「ニュースステーション」の後釜番組、「報道ステーション」のキャスターに抜擢される。名前こそ「ステーション」で同じだが、スタッフを自分の会社の「古館プロジェクト」のメンバーで固め、実質的に古舘の番組となった。伝えられるところによると、この企画を取り付けたとき、古館は「天下を取った」と叫んだとか。これが本当だとしたら、権威主義者=古館のホンネだったことになるだろう。彼にとってニュース・ショーは最終到達点。一介の局アナからプロレス中継、F1中継とステップアップし、ついに報道というメディアの本丸へ、しかも報道の歴史を変えたといわれる、あのニュースステーションの、そして久米宏の後任である。うれしくないはずはない。まさに「我が世の春」を迎えつつあったのである。

しかし、しかしである。開始された番組は当初、低空飛行で始まってしまう。なにかと久米と比較され、そしてすべてが低い評価。「あんなもん、やるんじゃなかった」と当初は思っていたかもしれない。だが、裏番組のNHKの「ニュース10」が終了とともに競合する番組が消滅したため、次第に視聴率は上がりはじめ、13%程度を維持するようになる(ただし、ニュースステーションは平均視聴率14%超だったので、これに比べると低い)。これで、番組は安定した。

しかしながら「報道ステーション」での古舘の評判は相変わらず悪い。で、批判として指摘される部分が、まさにその権威主義にあるといっていいだろう。本番組では古舘のパフォーマンスの背後に隠れていた権威主義が、結果としてベタに全面展開されるという構造になってしまったからだ。

「傲慢と卑屈の二元論」の図式が通用しない報道番組

古舘のパフォーマンスの醍醐味は、権威主義からくる「傲慢と卑屈の二元論」からなる。そのジャンルの権威にすり寄り、これを一方的にヨイショして、それ以外には手下や敵といった脇役の役割を振り、当該世界を極端に単純化、つまりデフォルメと省略を徹底させて、世界の複雑性を縮減し、シンプルでわかりやすい物語に変えてしまうところにある。プロレスの場合はアントニオ猪木とのその他であり、F1はA.セナとその他(悪役としてのA.プロスト)だった(つまり猪木ややセナという権威側に立ち、こちらには卑屈になるが、それ以外にはこれら権威を借りてゴーマンをかます)。こうすることで、そのジャンルについての、古舘によるもう一つのワールドが展開される。これこそが醍醐味だった。ただし、これはあくまでデフォルメと省略。エンターテインメントにはどんぴしゃりとハマるが、報道という事実を踏まえたもの、そして様々なジャンルを取り扱う複雑性を備えたものには適合性が悪い。このスタイルは「事実を恣意的にねじ曲げること」が前提となるからだ(昔からのプロレスマニア、F1マニアには評判が悪かったのはこういった事情による)。

また、お得意の「傲慢と卑屈の二元論」をあてはめる場所がない。誰にすり寄ればよいのかがわからないからだ(まさか首相の小泉や安倍にすり寄るなんて出来ないだろう)。その結果、すり寄る相手は恣意的に選択したポピュリズムに基づいた大衆となった。つまり「さしたる所得もなく、さしたる見解も持たない視聴者」を勝手に設定し、これに迎合するスタイルを取った。しかしながら、この卑屈になってすり寄る相手は猪木やセナのような、ナマの、そして権力を掌握している具体的な人間ではない。だから雛形がない。さらに古舘自身も、元々政治的信条はなく知識も見識も疎いので、このポピュリズムはしばしば偶有する。つまり例の「コロコロちゃん」になる。これに基づき「私はみなさんの味方ですよ」と、したり顔で媚びを売るようなパフォーマンスを展開する(パフォーマンスがこのパターンしかないので仕方がないのだけれど)。で、実際には本人は高額所得者なわけで、こうなるとどうしても「虎の威を借る狐」という偽善的なイメージばかりがクローズアップされてしまうことになるのだ。

また、出演する解説者にべったりというのも、この卑屈さを全面に展開したものと言える。とにかく解説者の言うことには全面的にひれ伏し、そちらの側に「荷担」する。そして、こちらでも虎の威を借る狐のように解説者の権威の立ち位置からドヤ顔でモノを言うのである(しばし解説者の意図をカン違いしているのだが)。



古舘のキャスターの資質を他のキャスターと比較してみる

こうなってしまうのは古舘のパフォーマンス・スタイルが報道に馴染まないためということだけによるものではない。加えて古舘が報道番組を仕切る「キャスター」としてはその資質を備えていないという側面も踏まえなければならない。

ここまでの古舘の方法論を、今回は他のキャスターたちとの比較で考えてみよう。ここでは村尾信尚、久米宏、大越健介、池上彰をとりあげてみたい。キャスターの資質を以下の四点からそれぞれ考えてみる。1.キャスティング能力:番組のネタを投げる=キャストすること。いいかえれば自らが他の登場人物に役割を振って、その場を仕切ること、2.情報量:取り上げる題材に対する知識量の多さ、3.情報の質:取り上げる題材に対する造詣の深さ、4.パフォーマンス能力。これらの資質をそれぞれに振ってみよう。

村尾信尚:村尾は情報量も多くなく、情報を展開する力も弱く、パフォーマンス能力も凡庸だ。ただしキャスティング能力は抜群だ。そのことを本人も心得ているのか、個人的な論評はきわめて控えめで、専ら担当者に投げる。NEWS ZEROが落ち着いてみられるのは、ひとえに村尾のこのキャスティング能力、言い換えれば本人の「透明性」に依存するところが大きい。これによってZEROのスタッフが一体となったチームに見えてくるのである。一方、古舘の場合、キャスティング能力は低い。とにかく、最終的には自分が仕切らないとおさまらない。それゆえ、他のメンバーを引き立てるという状況を作れない。つまり「独り相撲」。だから古舘以外のメンバーの顔を思い浮かべにくい。


久米宏:キャスティング能力は抜群で、小宮悦子、若林正人、角澤照治、川平慈英といった出演スタッフがどんどん出世していった。ただし、情報量は多くはなく、情報質もあまり深くはない。久米が賢かったのは、自分がアナウンサー上がりであることを常に自覚し、ほとんどコメントしなかったことだ。つまり「無知の知」があった。その一方で、確信を持っているものについてはハッキリとコメントした。また、登場する解説者に対して同意できない場合、反論こそしないが、そのコメントをスルーしてしまうと言う「無言の抵抗」も行っていた。また、村尾同様、キャスティングをする中で場全体を盛り上げるというパフォーマンス能力を発揮。こういった美意識が久米宏ワールドを作り上げ、スタッフのチーム性を感じさせ、これが親密性に繋がって視聴者をニュースステーションに引きつけることに成功する。一方、古舘の場合、少ない情報、そして情報判断能力不在であるにもかかわらず、堂々とピント外れのコメントをしてしまう(パワポを知らなかったのは象徴的事件だった)。いうならば「無知の知を知らない」。これがただでさえパフォーマンス的にうるさい古舘の喋りを(まあ、これがウリなのだが)、内容的にもうるさいものにしてしまう。

大越健介:大越はインテリだ。キャスターに必要とされる要素をほぼ満遍なく持ちあわせているバランス型。キッチリ情報を集め、言うときはいい、ふざけるときはふざけ(ウルトラセブンをゲストに呼び、インタビューしたこともある)、それでいて画面全体を久米同様、管理し続ける。東大卒かつ野球部のエースだったことが反映しているのだろうか。知力とキャスティング能力を併せ持っている、ザ・キャスターとでも言うべきパーソナリティだ。一方、古舘にはこういった総合力はない。

池上彰:言うまでもなく「ミスター・ニュース」である。様々な要素を高いレベルで保持している。膨大な情報を単純化し、掘り下げ、わかりやすく、しかも時には危険や誤解を恐れず主張する。いわゆる「黒い池上」だが、古舘と違うのは、この”黒さ”が情報と見識に裏打ちされているところだ。だから視聴者は池上の解説に納得し、積極的にこれに接しようとする。一方、古舘の場合、わかりやすさはもっぱら単純化と繰り返しにある。大仰な口調でこれを繰り返すことだから、池上の理論的かつ要点を押さえたわかりやすい単純化とは質が根本的に異なっている。ちなみに池上に欠けているのは古舘同様、キャスティング能力だ。しかし、情報量と情報質、パフォーマンスを豪快に発揮することで完全に仕切ってしまう。だから、池上は正確にはキャスターではなく、やはり「ミスター・ニュース」なのである。

古舘にキャスターは無理

言うまでもないが、もともと古館の個性はアナウンスする中身=コンテンツではなくパフォーマンス=メディア性にある。まとめてみよう。古館の解説は、どんなときでもその情報量が少ない。つまり池上のように情報を頭にバンバン詰め込んで、データベースのように語るというタイプではなく、むしろ少ない情報を仰々しい定型化されたパターンで演出することで情報それ自体を単純化し、視聴者に「古館節」としてフィクショナルに聞かせるところが魅力なのだ。ということは、同じ相手に、同じパターンを何度も繰り返すことで、古館のパフォーマンスは威力を発揮する。だからこそプロレスやF1は見事にハマったのである。

ところがこの図式は基本的にフィクショナルなものに適用することで初めて成立するもの。これを報道でやってしまうと、ウソになる。ということはキャスティング能力×、情報量×、情報質×で唯一秀でている部分であるパフォーマンス能力も報道では生かすことが出来ない。つまり、全部×になってしまうのだ。結局、大衆に迎合したと思うような、それでいてきわめて凡庸というか、月並みな表現によるパフォーマンスが残るのみとなる(「こーいうことって、ほんとうにありうるんでしょうか?」みたいなフレーズが繰り返される)。また、主張したところで見識も何もないのでヘタに喋ると無知をさらけ出すことになる。そのくせ、したり顔がウリなので、結果として視聴者としては傲慢さばかりが鼻につくというように映ってしまうのだ。

僕は今回、古舘を辛口で分析しているが、個人的に古舘伊知郎というパーソナリティが嫌いではない。プロレス、F1ともにフルタチ・ワールドを堪能させてもらった1人である。ただ、これだけは指摘しておきたい。「古舘さん、あなたにニュースキャスターは無理ですよ!かつて渋谷ジャンジャンでやっていたトーキングブルースのような大仰なパフォーマンスに戻って、本領を発揮してください」と。でも、まあ権威好きなので、価値づけとしては報道ステーション>トーキングブルース。だからトーキングブルースには戻らないだろうなぁ。

それにもかかわらず、報道ステーションはそこそこ視聴率を上げている。なぜか?その答えは……なんのことはない。あの時間に競合する番組がない、ただそれだけのこと。実は僕はやむを得ず「報道ステーション」を見ることがあるのだけれど、それはあの時間ニュースがないから。で、見終わると、はっきり言ってウンザリする。同時に、古舘が「もったいないなぁ」とすら思ってしまう。

報道ステーションを潰すのは意外と簡単だ。裏で同じような報道番組をやればいいだけなのだから。たとえば同じ時間帯に池上彰がニュース・ショーを始めたとしたら……報道ステーションは一気に壊滅するだろう。

古舘伊知郎というパーソナリティがメディアに上り詰めるに至ったエネルギー源である権威主義について考えている。前回は一介のアナウンサーがブレイクするきっかけ=「ホップ」となったプロレス実況について分析した。つまり、その図式は「あるジャンルの実況をはじめる→人気を博す→自らがビッグになる→担当するジャンルが下火になる→見下す→勉強しなくなる→適当にいいわけをして、その世界から離れる(あるいはそのジャンルを捨てる)」というパターンだった。

第二回目はプロレスを捨てた後の第二弾、古館からすれば権威の階梯を駆け上る次の「ステップ」となったF1実況について考えてみたい。

迷走する役所

タレントとして様々な活躍をはじめた古館は、番組のレギュラーを獲得していった。「アッコ・古舘のアッ!言っちゃった」(後の「アッコにおまかせ」)「どっちDOTCH!!」「グッドジャパニーズ」といったバラエティ番組の司会・中心的存在として活躍をはじめるのだ。

ただし、これらはいずれも失敗する。「アッコ」では和田アキ子と全くそりが合わず、それどころか和田にどつかれっぱなしで、古館節のフの字も展開できないほど。つまり芸能界の「ゴッドねーちゃん・和田」の「権威」におされっぱなし。挙げ句の果ては、おべっかばかりをする古館に、和田が「なんで、あんたは、そうコロコロちゃんなの?(「コロコロちゃん」とは、相手の機嫌を読んで、立場をコロコロと変えるの意)とつっこまれる始末。全く掛け合いのできない状態になった古館は、番組から降りた。(この時、古館は和田の失礼な態度に怒ったために降りたと報道されたが、真実は不明)。つまり、和田とのコラボでは古館の「ゴーマンと卑屈の二元論」のうち、その卑屈さだけが助長され、みっともないことこの上ない姿を露わにしてしまったのだ。

「どっちDOTCH!!」はコンセプトが受けず、ワンクールで打ち切り。「グッドジャパニーズ」は身近な問題を視聴者と考えるという報道番組だったが、視聴者との直接意見交換というスタイルに、これまた古館は全く適応できず(電話で自らの心中を告白した視聴者に、みのもんたのように同情することができず、逆に不必要なツッコミを入れ、途中で相手に電話を切られたというシーンもあった。まあ、はっきり言って電話で対応した視聴者を見下していたという感が強い。「したり顔」で同情することもあったが、これも結局は見下しのもう一つの側面でしかなかった)、視聴率もさっぱりで、これまたワンクールで打ち切りとなっていいる。古館自体の行き場が無くなったように思えた。

「渡りに船」だったF1中継

そんなとき、古館節がきわめて有効、かつ古館がアイデンティファイ可能な仕事が古館に舞い込んでくる。それがF1の実況だった。88年からフジテレビがF1の中継を開始。古館は翌年の89年から実況担当となる。

これが見事にどんぴしゃり、ハマった。プロレスよりはるかにステイタスの高いF1。ヨーロピアンテイスト溢れ、しかも膨大なカネが投入され、なおかつ世界三大スポーツイベント(残りはワールドカップ・サッカーとオリンピック)のひとつ。ステップアップ、つまり自らの権威の階梯アップには十分のジャンルだった。だから古館は飛びついた。

やり方はプロレスと同じ。まず、F1パイロットそれぞれにキャラクターをワンフレーズで配置。たとえばナイジェル・マンセルは「荒法師」、ジャン・アレジは「スピード・ジャンキー」(”ジャン”の語呂合わせ)、ネルソン.ピケは「快楽ラテン走法」、頻繁に他車とぶつかるA.チェザリスは「サーキットの通り魔」、F1界唯一の女性にしてメチャクチャ遅かったドライバー、J.アマティは「動くシケイン」、そして後にチャンピオンとなるM.シューマッハーは「F1ターミネーター」だった。次に、これらキャラクターに、例によって戦国時代絵巻風ストーリーを展開する。ストーリーの中心に据えたのが当時マクラーレンに所属していたA.セナとA.プロストのバトル、あるいは確執だった。古館は徹底的にセナに加担、だからセナのキャッチは「音速の貴公子」と最大限の賛辞で形容された。一方、A.プロストには悪代官=越後屋の役割が振られた。だからプロストのキャッチは「顔面フランケンシュタイン」「微笑み黒魔術」であり、その走法には「偏差値走法」「勝ちゃあ、いいんだろう走法」などと、やり方の汚さをデフォルメさせるような表現がもっぱら用いられたのだった。

古館の実況はプロレス同様、例によってF1ファンからの非難を浴びる。「ルールを全然知らない」(はじめたばかりで、あたりまえなのだが)、「F1が持っている品を下げる」など。しかし、ここでも古館は勝利を収める。プロレスの時にはアントニオ猪木を神格化し、これを中心に物語を展開したように、F1ではセナを神格化し、セナを軸に実況を展開。そうすることでF1は我が国で空前のブームを迎えることになる。そう、ここでもプロレスと同様、F1とは別のフルタチ・F1・ワールドを展開し、結果としてこれが日本におけるF1ブームを牽引したのだった。セナが国民的なアイドルとなったことは言うまでもない。古館は再び「我が世の春」を迎えたのだ。古館は、プロレスなどという「下品」なスポーツでなく、世界が認めている「高尚」なF1で成功することで、さらにその地位をステップアップさせていったのだ。

例の図式でF1と決別 

しかし、F1がバブル崩壊とともに、我が国でのピークを過ぎると、古館のいつもの癖が、また、はじまった。F1に飽きたと同時に、見切りをつけはじめたのだ。92年以降、次第に古館はF1実況から離れていき、レースを選ぶようになる。彼が実況するのは開幕戦、モナコ、サンマリノ(フェラーリのお膝元)、イタリア・モンツァ、そして鈴鹿と、おいしいところばかり。間違ってもハンガリーとかブラジルといった「辺境」で実況をするなんてことはしなくなった。そればかりか93年は実況すること自体が減ってくる。変わって実況回数が増えたのは早坂、三宅といったフジテレビアナだった(ちなみに三宅はF1で実況のスキルをどんどん上げていった)。

たまにしか実況しない、実況していないときにはおそらくレースを見ていないんじゃないか、と思わせるほど情報を収集しない。だから、実況内容を解説の今宮純に訂正されるシーンがしばしば現れた。そして94年、彼は、プロレス時と同様、これまたF1から完全に足を洗うタテマエを見つける。A.セナの事故死である。彼が作り上げたF1の主役が死んだのだから、もう義理は果たしたということなのだろうか。95年以降、古館はF1と一切の関係を切ったのだった。

しかし、この後、古館は仕事こそ継続するもののプロレスやF1で繰り広げたパーソナリティを展開できる場所を失っていく。「夜のヒットスタジオ」「おしゃれカンケイ」などで古館節は展開されこそしたが、番組自体がゲスト相手のアドホックな対応を要求されるものであり、そこにプロレスやF1のようなあやしげな戦国絵巻を展開するスペースは設けられていなかった。逆に、ここでは、このアドホックな対応がかえって「したり顔」のイメージで対応するというスタイルを生んでいくことになる。ゲストは常に持ち上げなければならない。その一方で戦国絵巻は繰り出せない。その結果、例の「コロコロちゃん」的な、場当たりなおべっかが連発されることになるのだ。で、その一方でゲストに無礼になってしまうような失言もやってしまうのだが、これは古館節の「デフォルメ」を基調とするスタイル上、どうしても出てきてしまうものでもあった。古館の語りは”上滑り”を繰り返す。番組が成立したのは古館とパートナーを組んだ吉村真理や渡辺満里奈の場所を押さえた、あるいは空気を読んだ対応があったからだったといってよいのではなかろうか(言い換えれば古舘自身は空気が読めていない)。

もちろん、お得意のスポーツ中継はスポット的に取り組んではいた。世界陸上、世界水泳、そして競輪。ただし、これらはあくまでもスポットゆえ、そもそも情報量が多くない古舘がスポットで実況をおこなっても、中身がどんどん薄くなるだけでやはり”上滑り”をしていた。本格的に取り組んでいたはずの競輪も、その「権威」からすると中途半端なのか(競輪は一部の人間にのみ熱狂的に支持されているに過ぎず、全国放送されるような競技ではない)、やっつけ的な仕事という印象はぬぐえなかった。

そんな古館に権威の階梯をさらに上昇させる、つまり「ジャンプ」する格好の転機が訪れる。それが久米宏の長寿番組「ニュースステーション」の後釜としての「報道ステーション」への起用だった。(続く)

報道ステーション、古館は相変わらずダメ

 
あいかわらず古舘伊知郎はイケていない。報道ステーションでの彼の態度は、ひたすらゴーマンで、中身がカラッポという印象。かつての名調子である例の「おーっと!」に代表される古館節もまったくやらないし(ウリはこれのはずなのだが?)。だから、そのイメージはきわめて悪い(にもかかわらず、そこそこの視聴率を上げているというのも面白い)。
今回、僕は「古館は『権威主義者』=強いものにはすり寄り、弱いものを侮蔑・切り捨てることによって、自らの権威をグレードアップさせていこうとする志向の持ち主=ゴーマンと卑屈の二元論者」という前提で、古館のパフォーマンスと、この権威主義について考えてみた(ただし、これは古館の魅力でもあるのだが)。古館はどうやって現在の階梯にまで上り詰めたのか?これを三回(プロレス編、F1編、報道ステーション編)に分けて分析してみたい。

 プロレス実況中継でフルタチ節は完成 

古館がブレイクしたきっかけはテレ朝アナウンサー時代、新日本プロレスの実況を担当したことにはじまる。ここで大げさな実況をすることで、彼のスタイルは世に知れ渡る。だが古館実況のもっとも特徴的な点は、一般に評価されるこの「大げささ」ではなく、むしろキャラクター設定のわかりやすさにあったといえるだろう。つまり、識別のつきにくいレスラーにすべてワン・フレーズで修飾語句を与え、その文脈でレスラーのキャラクターを組み立てるというやり方だ。アントニオ猪木なら「燃える闘魂」、アンドレア・ザ・ジャイアントなら「人間山脈」といった具合。番組の冒頭には、実況がおこなわれる会場のある都市の特徴を、ほとんどの場合、戦国武将の物語で紹介。さながら街全体が「戦いのワンダーランド」(これも古館が好んで使っていたセリフ)と化しているかのような演出をおこなっていた。これに「おーっと!」という「大げさ実況」が加わる。技の解説についても同様で、ほんとともウソともつかないエピソードを付け加えていた。半面、技術的な内容の詳細についてはほとんど語らなかった。だからプロレス素人のオーディエンスには、きわめてわかりやすい解説と映ったのである。

こうしたやり方が、全体としてきわめて単純化したドラマを組み立てることに成功する。ドラマにたとえれば、一般のドラマではなくかつての大映テレビ室の制作する「赤いシリーズ」(山口百恵が主演していたもの)や「スチュワーデス物語」などの「デフォルメと省略」を全面に展開するやり方。要するに単純化・定型化したキャラクターが、ありえない仰々しい設定の下に、ありえない仰々しい演技をするという演出手法をプロレスに持ち込むことで、プロレスの複雑性を極端に単純化し、実際のプロレス以上に「プロレス的」に演出することに成功したのである。それはプロレス上につくられた、もう一つのフルタチ・プロレス・ワールドに他ならなかった。

古館がプロレス実況をはじめた当初、プロレスファンは彼の実況には批判的だった。「ゆっくり試合を見せろ」「古館はうるさすぎる」「技術をあまりに知らないので、同じことをやたらと連呼している」などなど。しかしながら、古館は経験を積むにつれて知識も増やし、さらにはこういったファンを納得させるレベルにまで技術を向上させていく。


プロレスに飽きた古館 

彼はその勢いに乗じて84年、テレ朝を退社、古館プロジェクトを立ち上げ、フリーのアナウンサーとしてスタートを切る。だが、この時点でひとつの逆転が起こる。その逆転とはプロレスと古館の関係だ。プロレスは猪木の全盛期、厳密には新日本プロレスの全盛期が過ぎ視聴率が低下。テレビ朝日金曜午後八時台というゴールデンタイムでの実況中継権も失い、またプロレス自体も他団体が乱立。地盤沈下を起こしていった。一方、古館の方といえば、例の古館節はすっかり世間に定着。他のアナウンサーまでがこのやり方をまねるようになるというほどカリスマと化していた。
すると、それまで猪木を尊敬しプロレスを絶賛していた古館は、次第にプロレス自体を見下すようになる。試合はメインイベントの中継のみしかやらなくなり、実況の回数それ自体が減っていく(変わってプロレスの実況をはじめたのはテレ朝アナウンサー辻義就(現辻よしなり)だった。辻は一生懸命フルタチ節をパクっていた。だが、彼にはフルタチ的なおどろおどろしさが無く、節回しの切れがなかった。また、ワンフレーズによるキャラクター設定もへたくそ、一方、情報量は古館より多かったために、辻の実況は、ストーリー性に乏しく、ともすればわざとらしさを助長することとなる)。こうなると古館自体もすっかりやる気をなくし、プロレスについての積極的な情報収集などは全くやらなくなる。実況は既存の古い情報だけで展開されリアリティを失っていった。その杜撰さは回を重ねるごとに増していき、プロレスファンでなくとも「ああ、こいつ、手を抜いているな」ということがはっきりわかるほど稚拙なものへと転じていったのだ。そして、古館は猪木の退場を理由に、プロレス界から足を洗っていく。

プロレス実況を降りて数年後。古館は「猪木との約束」というタテマエで、久々にプロレスの中継を行った。ただし猪木のタイトルマッチだけ。この試合の実況は、ただただゴーマン、猪木までもを見下した「エライ古館様が、プロレスなどという二流で下卑た、スポーツともエンターテインメントともつかないものの実況をしてやっている」という態度に溢れていた。「ああ、この人は強い人には卑屈に、弱い人にはゴーマンに対応するのだなあ」。

つまり、フルタチ・システム=古館の権威の階梯上昇パターンは、こうだ! 

あるジャンルの実況をはじめる→人気を博す→自らがビッグになる→担当するジャンルが下火になる→見下す→勉強しなくなる→適当にいいわけをして、その世界から離れる(あるいはそのジャンルを捨てる)という「フルタチ」パターンはこの時期に形成されたのだった。(続く)

↑このページのトップヘ