勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2013年12月

議員辞職、都知事ねらいと、Twitter上では「悪者扱い」されている東国原英夫氏を「安心理論」に基づきヨイショしている。三回目の今回は⑤オリンピック東京誘致に反対していたこと、⑥東国原の行政手腕について。

⑤「オリンピック東京誘致に反対した人間には立候補の資格はない」という理屈は後出しジャンケン

Twitterでは都知事選出馬時、東国原がオリンピックの東京誘致に反対し、代替として広島・長崎への誘致を提唱していたことがやり玉に挙がっている。つまり、東京オリンピックは決定したのだから、それに反対していた人間にこれを仕切る資格はないというモノのイイだ。これは選挙プランナーの三浦博史氏もブログで指摘していた(http://www.election.ne.jp/planner/96633.html)。

だが、このモノのイイはダメだ。これは社会学でいうところの「前史化」というレトリックそのものだからだ。前史化とは現在発生していることを正当化するために、過去の歴史の中から都合のよいものだけを抜き出し、これを強化するというやり方だ。例えば以前、アメリカのフェミニストが「ウォルト・ディズニーは女性差別主義者」と批判したことがあった。ディズニーはご存知のように白雪姫・シンデレラ、眠れる森の美女と言ったプリンセス三部作を手がけているが、ここに登場するプリンセス全てが「いつか王子様が」という文脈で語られており、男性優位、女性蔑視を助長するイデオロギーを煽ったと指摘したのだ。

ただし、ウォルトは六十年代半ばにはこの世を去っている。そして、これら作品が制作されたのは三十年代後半から六十年まで。この時期は女性差別、そして人種差別がまだまだ激しい時代。当然、一般の認識としては男性優位はあたりまえだった。そしてディズニーはそういった社会的文脈の中にあった一人の男性でしかない。つまりディズニーを批判するためには当時のアメリカ男性(そして女性)全てを批判することに等しいわけで、ディズニーを男女差別主義者と特定することは「現在、ディズニーがいたら」という前提でしかない。

東国原のオリンピック東京誘致反対もまったく同じ図式だ。東国原が立候補した2011年、オリンピック誘致についてはまったく盛り上がっていなかった。ライバルとなるマドリッドやイスタンブールよりも住民たちの支持はぜんぜん低かったのだ。だから東国原のような誘致反対の都民もかなりいた(逆に言えば、東国原はそこに目をつけていたとも言える)。ところが本年九月、結局2020年オリンピックは東京に決まり、一気にオリンピックムードは盛り上がった。そして現在、気がつけばオリンピックを開催することはあたりまえといったムードが立ちこめ、あの頃反対したり、関心なんかなかったなんてことは、多くの人間がコロッと忘れてしまっている。さらに、反対することなど許されないような雰囲気に。そんな時、オリンピック誘致に尽力した猪瀬が辞めた。そして国是となったオリンピック東京開催という現在から逆算して「あの頃、東国原は反対していた。だからダメ」というのはまさに前史化なのだ。東国原が仮に都知事になったとしてもオリンピックをやめるなんてことはありえないし、いや決まったことには当然、尽力するはず。東国原は大のマラソン好きで、立候補したときには首都高マラソンなんてことをぶち上げていたくらいなのだから。当時のことをあげつらったところで、ほとんど意味などない、そして後出しジャンケンなのだ。

⑥東国原は、県政についてかなり勉強していた。

2007年5月、統一地方選=県議会選が終了した直後、宮崎の民放UMK(フジテレビ系のクロスネット)では、スーパーニュースの時間枠を利用して東国原と当選した県議との討論番組を生放送した。これはテレ朝の「朝まで生テレビ」的な構成で、県政について知事と議員がバトルを繰り広げるものだったのだけれど、東国原はたった一人で県議会議員約四十人ほどと対峙したのだった。県議としては東国原をただのタレント、人気があるだけくらいにしか思っていないので、これがチャンスだとばかり、番組では一斉に東国原に攻撃を仕掛けたのだが……結果はその逆。たった一人の東国原が四十人を手玉にとって、いわば返り討ちにしてしまったのだ。もちろん話術の巧みさが大きな武器になったこともあるが、最終兵器はなんと「県政についての知識」だった。

たとえば県議会議員の一人が自分の地盤で起きている問題点についてとりあげ、こんなエラいことになっているのにオマエは何も考えてない、いやその前に知らないだろう?みたいな上から目線の攻撃をしてきた。当然、地元有権者へのリップサービスも意図してただろう。

だがこのとき、東国原はその議員が取り上げたネタを倍返しで深掘りし、「アンタはこのことを知っているのか」とやり返したのだ。すると、相手はタジタジとなってしまった。地盤出身の県議より東国原の方がその地盤の問題について詳しかったのである(このやりとりをテレビで見ていた県庁職員の中には、普段、行政についてろくに勉強もしていないのに自分たちにデカい面をしている県議たちが、東国原に一泡吹かされたこの番組を見て、おもわず「ざまあみろ」と溜飲を下げる者もあった。職員たちの東国原への信頼が高まったのは言うまでもない)。そして、東国原のこの地域に対する知識の豊富さが、最終的にマニフェストに掲げた「100社の企業誘致」を退任間近で達成することで見事に実を結ぶ。

番組は当初一時間(午後5時~6時)の予定だったが、事の重大さを察知したUMKは急遽変更を変更し、結局六時台の枠の部分も潰すかたちで(全てではない)七時まで討論を延長した。そして、この番組は大評判=一世一代の大芝居となり、東国原の政治的手腕=行政手腕を県民に知らしめる格好の機会となる。実際、この生中継は、その後、深夜枠で数回再放送すらされたほど。そして、東国原の支持率はさらに上昇、90%台を獲得するに至ったのだ。

県議会は「タレント=お笑い出身の知事など赤子の手をひねるようなもんだ」とタカを括っていたが、実際に赤子の手をひねられたのは県議会の方だった。県政の知識は東国原の方が圧倒的に抱負だったのだ。これは僕が東国原氏と何度か話す機会を得たときにも同様の印象だった。まあ、とにかく地域について細かいことをよく知っていた。

「安心理論」を展開する意義

さて、ここまでとにかく東国原という人物を「安心理論」に基づいてヨイショし続けてきた。また、それを実証すべく僕の東国原にかんする生のデータをいくつか紹介した。だがこれは、いわばディベート的な手法。つまり、先ず自らの立ち位置を自らの主義主張にかかわらず形式的に決定し、それを正当化するためにいろいろな事実や論理を持ってくる、その一方で都合の悪いものは隠蔽するというやり方だ。だから、当然、僕の論理の方にもデフォルメと省略がある。ちなみに、たとえば宮崎の実績をデフォルトに現在を語るのは、上にあげた「前史化」の反対の「後史化?(過去の事実=実績に基づき現在の行為を正当化する)」とでも言うべきレトリックになる。

で、こんなことをやったのは、本特集の冒頭でも述べたようにTwitter=マスメディア的な東国原のイメージを相対化してもらいたいから。いわばポジ・ネガ二つの視点から東国原を見てもらおうというわけだ。僕たちが必要とするのは、タレントではなく政治家として東国原の費用対効果なのだから。

東国原の問題点

ただし、東国原ウォッチャーをやって来た僕としては、彼に対して「?」と思うところがいくつもある。

1.2009年の衆院選に自民党からの出馬要請があり、これに対し「総裁候補」とすることを前提としたこと。ギャグや自民党への皮肉かと思ったら、本人、結構本気だった。

2.現在、用もないのにテレビに出続けていること。もはやバラエティに出演したところで、背後に宮崎を前提しているわけではない。資金稼ぎ?ただのデタガリ?

3.(やはり)すぐに政治家を辞めてしまうこと。宮崎知事を一期で、衆議院議員をたった一年で辞めてしまった。

ちょっとあげてみれば、まあ、こんなところだろうか。ただし、これらを細々とあげつらってもポイントがズレてしまうし、単なる揚げ足取りにしかならないので、最後に僕が感じた東国原の問題点について、これらをまとめるかたちで展開してみたい。

「プラーっ!」としてしまう性格が×

東国原は興味を持つと、それに対して集中的にエネルギーを投入する。しかも、ものすごいスピードで。で、このスピードに周囲が振り回されて追従し、その結果、政治がどんどん進んでいったというのが宮崎での展開だった。

ただし、この性格は裏腹なものでもある。興味がないもの、興味を失ってしまったものについてはまったくやる気を見せないということでもあるからだ。つまり「飽きっぽい」。これを象徴するのが2009年の衆議院への自民党からの出馬要請騒動で、結局話はお流れになるのだが、その後がいけなかった。すっかり県政への興味を失ってしまったのだ。いわば「県政」よりも「国政」という女の方に関心がいってしまった(実際、東国原は「県政だけではどうにも県を変えられない」といった文脈のコメントをし、心変わりを正当化している)。で、その後、本人の言葉をそのまま引用すれば、残りの任期一年半は「プラーっ!と」してしまったのだ(宮崎の東国原番の記者からも、かなりやる気を無くしていたという情報が僕のところに頻繁に入ってきた)。僕が就任半年の時点(2007年10月)で彼にインタビューしたときには「宮崎に骨を埋めるつもりでやります」と宣言していたのだから、 こりゃイイカゲン。まあ、自分の力が十分に発揮できないと思うと辞めてしまうような感じは、はっきりいってあるし、今回の衆議院議員辞職もこの文脈で理解することも十分に可能だ。で、結局、今回はここのところにツッコミが入れられた。

その後、都知事選に出たり、日本維新の会に入ったりしているが、やっぱり全般的にプラーっ!としている感は否めない。テレビへの出演も、維新の会での存在も、なぜ東国原がそこにいるのかという存在根拠が感じられないのだ(辞職の弁を自分のブログで表明したときにも、維新の会に対して「最初からあまり役に立っていない」と表明している)。

で、そんなことをしているうちに、かつての宮崎の名声も賞味期限切れになりつつある。一方、この曖昧なイメージは世間的にも広がり、そこで議員辞職にあたっては「都知事選で一発逆転を目論んでいる」と、Twitterやメディアで憶測が流れることになったわけだ。

東国原という男。僕は密着する中で政治家としては極めて高い能力、そしてファンタジスタ的才能を備えた人材と判断したのだけれど、このプラーっ!は、はっきり言っていただけない。メディアの怖さを熟知し、それをうまく利用してきた東国原のことだから、現在、風当たりが強いことは重々承知だろう。フラフラあっちこっちに目移りする「権力亡者」みたいにすら思われていることを。しかし、こうなったのは、ちょいと一般には理解しがたい行為を連発させた結果であることを自覚すべきだ。もし、このブログを本人が読んでおられるようなことがあれば、僭越ながら一言申し上げたい。「東さんそろそろ、シャキっと方向を定めてしっかり、じっくりとやってください。じゃないと、せっかくの才能がもったいないですよ」と。

まあ、都知事選には出ない方がよいのかも。ただしファンタジスタの東国原のことだから、僕らの思いもよらないトリックプレーで政界を引っかき回すなんてことがあるかも知れない。でもって、都知事になってたりして……

最後に僕が考える東国原ファンタジスタ的、都知事選のシナリオ(ただし、もちろんギャグ)を一つ。

自民党は勝てる候補が欲しい。それは東国原の出馬を恐れるから。しかし適切な人材がみつからない。一方、東国原もネガティブなイメージが広がっていて、おいそれと出馬というわけにはいかない。つまり、三すくみならぬ「双すくみ」の状態。そこで出てきたウルトラCとは……自民党推薦による東国原の出馬だった(笑)

都知事選をめぐってTwitterで非難されている東国原英夫氏を、僕が脚を使って、あるいは本人から直接聞き出した内容をもとに「安心理論」でヨイショし、東国原のメディア的イメージを相対化するという作業を都合三回でお届けしている(最後にちょっとひっくり返しますが)。今回は③テレビ、とりわけバラエティに頻繁に出演して小銭を稼いだ、④衆議院議員になって間もないのに職を辞してしまった、の二つについてみていこう。

③バラエティに出演して宮崎を売る

知事就任時、確かに東国原はやたらとテレビに露出した。しかも報道ではなくバラエティに。しかし、これは本人も語っているのだが、宮崎を活性化するための確信犯的な戦略だった。バラエティは報道よりも露出時間が圧倒的に長い。東国原はこのメリットを利用したのだ。テレビに出演し、出ずっぱりになっているあいだに、ひたすら県産品を宣伝し続ける(前述の宮崎鶏はその典型。東国原+県産品というセットはほとんど毎回やっていた)。県産品の宣伝を報道でやることは出来ないのだから、これは効果的。しかも宣伝料は=広告費はタダというわけで、テレビの性質のスキマを利用した見事な作戦だった。で、宮崎鶏、マンゴー、焼酎、宮崎牛が全国に知れ渡ることになる。また、この四つの県産品に関する情報をテレビを利用して傾斜集中的に流すことで、その背後にある「宮崎」のイメージを全国に認知させることにも成功する。なんのことはない、宮城と宮崎を間違えたり、宮崎が日本のどこにあるのかわからなかったりする人間が格段に減ったのだ。

つまり、

「あの東国原の、地鶏の、焼酎の、マンゴーの宮崎」

というかたちで県のイメージを全国区にしていった。さらに、そうやって「全国区」になった宮崎を宮崎県民が中央メディア越しに確認することで、今度は県民アイデンティティが醸成されてもいったのだ。当然、東国原の人気は高まった。


ちなみに、テレビに出て「小銭を稼いだ」(この表現で相手を批判する場合、「小銭」といってもかなりの額になるのが一般的なモノのイイ)なんてのはまったく的が外れている。出演したのは県知事=政治家としてであり、こういった場合、タレントとは違ってギャラは格段に下がる。ヘタすれば桁が一つくらいは下がってしまうし、公人として出演した場合にはギャラはゼロである(たとえばスターだったプロスポーツ選手が引退した際には芸能プロダクションと契約するケースが多いことを考えれば、これはよくわかる。彼らは事務所に所属し「選手」ではなく「タレント」として登録されることでギャラを跳ね上げているというわけだ)。だから、東国原の場合には本当の意味での「小銭稼ぎ」、つまり「お駄賃」程度しかギャラをもらってはいないわけで(印税の方がはるかに高い)。これで私腹を肥やすなんてことは、はっきりいってムリ。つまり、東国原は小銭を稼ごうとしたのではなく、宮崎を効果的に宣伝しようと努めた。その結果としての戦略がバラエティへの頻繁な出演だったのだ。政治家のパフォーマンスとしてはとてもクリエイティブな、ファンタジスタ的なメディア利用であったといっていい。

④就任間もないにもかかわらず衆議院議員を辞めることは政治のルールに適っている

東国原は維新の会を離党すると同時に議員職も辞した。これは今回の争点にもなっているところで、東国原への批判は1.当選間もないのに辞めたこと、2.都知事のポストを睨んで辞めたのではないか?ということ、がポイントになる。要するに政治的に一貫性がなく、「イイカゲン」で「機を見るに敏」な政治「屋」というネガティブな、まとめてしまえば「腰が軽く」て「品がない」というイメージだ。

しかし、猪瀬の辞職=都知事選と東国原の議員辞職の動機を無関係として捉えると、評価はまったく反対になる。

東国原は比例区選出である。比例区はもともとは投票が拘束名簿式だった。つまり「個人名」ではなく「党名」を記入することになっていた。ところが2001年からは非拘束名簿式に変更され、「党名」「個人名」どちらでもよいということになった(だから、その後、浮動票を集めやすい有名人がどんどんリストアップされていったのだけれど)。

だが、この変更で選挙のシステムそれ自体が中途半端なことになる。本来、比例区は「個人」ではなく「政党」への支持票なのだが、それが個人の人気にも依存するということになってしまったからだ。しかし、「政党に投票する」という原則は相変わらず、ある部分では守られている。比例区の議員が何らかの場合に職を失った(逮捕や死亡など)場合、比例順で落選している候補の上位が繰り上げ当選となるのというのがそれ。

で、ここで問題が起こった。それがみんなの党の集団離党問題だ。ご存知のように江田憲司衆議院議員を中心に14名が離党したが、その内、なんと12名が比例区。比例区を拘束名簿式にした当時の理念に従えば、この12名は当然、自動的に議員職を退き、代わって比例順で下位のみんなの党の党員が繰り上げ当選になるはず。実際、その原則に基づいて党首の渡邊喜美は議席を返せと訴えている。ところが、この12名はなぜか「個人票」にプライオリティをおいて考えており、返上の意志がない。う~ん、なんて政治的に一貫性がなく、「イイカゲン」で「機を見るに敏」な「品のない」政治家たちなのだろう。

さて、東国原である。繰り返すが東国原は日本維新の会離党と同時に職を辞した。これは、要するに国会の理念に基づいた当然の行為であると考えれば、きわめて潔しと評価することが出来る。「政治理念を貫くからこそ、政治のルールの下でそれを貫徹する」という立ち位置が明確化する。だから職を辞するのは当然。東国原は「イイカゲン」でもなんでもない。国会を尊重しているだけだ。だから、みんなの党を離党しても議席にこだわる政治「屋」たちとは一線を画する、高潔な「腰の重い」「品のある」政治家ということになるのだ。

ちなみに東国原は記者会見で「議員辞職と都知事選を結びつけて報道されるのははなはだ迷惑」的なコメントをしている。

※おことわり:しつこいようですが、これはあくまで東国原に対する評価を相対化するための「安心理論」であることを踏まえて読んでくださいね(笑)。

次回は⑤オリンピック東京誘致に反対していたこと、⑥東国原の行政手腕について触れる予定。(続く)

猪瀬東京都知事が特集会からの金銭授受の問題をめぐって辞職した。それ以前に猪瀬の辞任は時間の問題とされていたのだが、その最中に衆議院議員比例区の東国原英夫が維新の会からの離党届を出すと同時に、議員もまた辞職した。東国原は橋下徹代表と根本的に政治方針で異なってしまった点、そして太陽の党からの冷遇にウンザリしたとの見解をブログ等で表明しているが、ネット上やマスメディアのあいだでは、柳の下のドジョウというか、辞任まちがいなしの猪瀬の後釜を見込んで、あるいは宮崎県知事選に再出馬を狙っての行為という憶測が流れている。実際、Twitterで東国原と検索にかけてみると……出るわ出るわ、この手の憶測に基づいた東国原への誹謗中傷が。

東国原への罵詈雑言をまとめてみると

これらをまとめてみると、こんな感じになる。

①逮捕歴、淫行歴のある「宮崎の恥」が、事に及んで都知事のポストをめぐってハイエナのようなたくらみを企てている。②アイツはただのお笑いタレントなので、政治手腕などない。宮崎で当選したのは、単にパフォーマンスが受けただけ。③そして、テレビに出演して小銭を稼ぐことに血道を上げた。結局、宮崎にはなんの貢献もせず、たった一期だけで職を辞した。④そして、今回に至っては衆議院当選まもなくでこの体たらく。⑤よくよく思い返してみれば東国原が都知事選に立候補した際にはオリンピック誘致に反対だったはず。そんなやつは政治家の風上にも置けないし、オリンピックを開催する都知事としての資格もないわけで、早々に政界を去って芸能界に戻るべきだ。⑥政治=行政は政治のプロパーがやる、つまり餅は餅屋に任せておけばいいわけで、芸人しかできないようなヤツは引っ込んでいるのが正しい。

ちょっとデフォルメしてまとめるとこんなところになるだろうか。
どうやら、東国原を生理的に受け付けない層がいるらしく、これがTwitterでつぶやき続けて言るといった印象を受けた(ちなみにTwitterでの書き込みは必ずしも民意を反映していない。言いたいやつが言っているだけとおもったほうがメディア論的には正しい)。

さて、じゃあ、今回はちょっとへそ曲がりに「だったら東国原を擁護する」ことにしてみよう。ケンカを売っているわけではないけれど、もう少し東国原という人間を冷静に見てみる必要はあるだろうから。ちょいと「東国原安心理論」を展開してみたい(「安心理論」とは、あえてポジティブな側面ばかりを並べ立てヨイショするやり方。サッカー解説者の松木安太郎の日本チームへの解説がその典型)。これを、三回程度に分けて展開してみたい。ただし、安心理論=ヨイショばかりをやってもなんなので、最後は問題点も示しながら。ねらいはメディアによって作り上げられた「東国原」という記号=イメージを相対化することにある。

そこで、上に連ねた東国原への罵詈雑言を検証してみたい。ちなみに僕は東国原がそのまんま東として立候補した頃、宮崎に在住し、その選挙の戦い方をウォッチングした経験がある。僕が地元のメディアでテレビやラジオのコメンテーターをやっていたこともあって、そのまんま東の情報が逐次入ってきた。また選挙選出馬以前には番組でご一緒させてもらったこともある。当選当日は本人へのインタビューもやった。さらに東国原英夫として知事に就任してから一年間のあいだは地元テレビの「東国原番」的な仕事をやらされた経験もある(テレビでの単独インタビューをやったこともあった。内容は本ブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/archive/2007/10/14参照)。つまり、何度となく「ナマ東国原」に遭遇しているので、ある程度、事実を把握しているという自負もある。ちなみに、東国原という男は「頭の切れる政治家、ただし気分屋的な側面も」という印象だ。

で、手順は上の「Twitter上の東国原への罵詈雑言まとめ」の中に振った項目に番号が振ってあるが、これをひとつずつ剥がしていくかたちで進行する。第一回は①逮捕、淫行歴、②政治手腕について見ていく。

①淫行による逮捕歴など、ない

先ず「逮捕歴」について。これは、ある。ビートたけしの講談社フライデー襲撃事件に参加し、逮捕されたからだ。次に「淫行歴」だが、これは証拠がない。未成年者を雇っていたイメクラが摘発され、その顧客リストの中にそのまんま東の名前があり事情聴取を受けただけだからだ。ただし、これがその後「淫行事件」と名付けられ、そのまんま東は「淫行歴のあるスケベ男」「宮崎の恥」ということになった(しかも「淫行で逮捕」と話がこんがらがってイメージが形成されている)。もちろん、逮捕などされてはいないし、不起訴にもなっていない。

②宮崎で発揮した政治手腕

②-1.県庁職員と議会に対してイニシアチブを握る

「タレントで政治手腕がない」について。宮崎時代、東国原はきわめて見事な政治手腕を発揮した。例えばタレントで知事になった青島幸男や、横山ノックなどは、就任した瞬間、役人のいいなりになっていたし、たいしたことをやったわけでもなかった(青島は前都知事の鈴木俊一のぶち上げた「都市博覧会開催」への批判のために立候補しただけだったのだけれど、当選してしまって、代えって慌てていたという印象が強い。ノックに至っては政治どころかセクハラで辞任・逮捕というていたらくだった)。ところが、東国原は就任するやいなや県職員を手なずけてしまった(中には「あの方は、県知事の仕事をするために芸能界で27年間修行をされてきた」と、ものすごい惚れ込みようの県庁職員すら存在した)。また、オール野党の県議会に対して長野県知事を務めた田中康夫のような完全対決をすることもなく、これまた手なずけることに成功する。就任三ヶ月後の統一地方選=県議会議員選挙で、東国原はその圧倒的な支持率を背景に「東国原チルドレン」を指名して議会内に対抗派閥を構築すると目されたのだが、これをいっさいやらなかったことで、かえって自民党議員からは歓迎され(まあ、貸しを作ったというところか)、その結果、自民党県議と波風を立てることなく、なおかつ自らの政治方針を貫くことに成功している。東国原は議会に対しては横暴になることもなく、政権を主導しながら、見事にバランスをとっていたのだ。

②-2.宮崎鶏インフルエンザ事件というネガティブ・ファクターを逆利用して県産品を売り込む

また、ご存知のように鶏インフルエンザ事件をめぐっては、宮崎鶏(一般的には宮崎地鶏と呼ばれるが、これは間違い。地鶏には定義がある)がネガティブに全国に知られたことを逆手にとって、これをトップセールスで大々的にキャンペーンを繰り広げ、宮崎鶏を全国ブランドにまでの仕上げることに成功している(同じパターンについてはマンゴー、焼酎、宮崎牛でもやってみせた。今や、コンビニにおいてあるいも焼酎は鹿児島の「さつま白波」ではなく、宮崎・都城の「黒霧島」だ)。こんなこともあって、東国原は就任二週間で「もう、元を取った」と県民からは評価され、さらに商工会議所の会合では会頭が「今東風(東国原がおこした風)が吹いている。この風に乗れ!」と発破をかけるなんて状況にまでに至った。そしてその支持率は90%超えとなり、この高い支持率は辞任するまで続いたのだ。

まあ、もちろん口蹄疫や集中豪雨など東国原就任期間中には宮崎にアクシデントが頻発し、これに東国原が完全には対応しきれなかったことも事実だが、これが、もし東国原でなかったら、もっとヒドいことになっていただろう。少なくともあなたが、今や関東近辺のあちこちに出来た宮崎料理の居酒屋(塚田農場みたいなところね)でおいしい宮崎鶏に舌鼓を打つと言うこともなかったはずだ。

こうやって考えてみれば、東国原という男、大した政治手腕の持ち主なのだ。宮崎人をすっかりその気にさせて元気にしたのだから。うまい具合に宮崎人が乗せられただけと思うかもしれないが、立ち位置を変えれば宮崎が東国原をうまく利用したということでもある。みやざき人をナメてはいけない!

次回は③以降をお送りする。(続く)

先日、興味深い、そして正反対の判決が下された。一つは性同一性障害で女性から性別変更した男性とその妻が、第三者から精子提供を受けてもうけた子について、最高裁が「夫の子」と認めたもの。もう一つは60年前に生また東京の男性について、東京地裁がDNA鑑定の結果から病院で別の赤ちゃんと取り違えられたと認めたうえで、「経済的に恵まれたはずだったのに貧しい家庭で苦労を重ねた」として病院側に3800万円の支払いを命じる判決を言い渡したもの。
二つは「血のつながり」をめぐってまったく正反対での立ち位置での判決だ。前者は血がつながっていなくても親子と認めているが、後者は血がつながっているがゆえに親子と認め、病院側に賠償責任が生じている。
さて、この二つ、どう評価すべきか。僕は法律の専門ではないので、そちらについてはよくわからない。だから、僕たち社会の未来を考えたときにどちらの判決の方が費用対効果的にメリットがあるのかという基準で今回は考えてみようと思う。結論から言えば、圧倒的に前者を支持したい。

性同一性障害を持つ夫婦に子どもができると人口減少を食い止める一助となる

前者のメリットは何か?それはなんといっても人口減少の食い止め効果だ。現在、出生率は1.4、離婚率36%、生涯未婚率・男35%、女27%。これじゃあ人口がどんどん減少するのもあたりまえだ。この循環が続けば高齢化社会はさらに加速していくわけで、日本の将来が危ぶまれる。
で、こういった性同一性障害者を抱えた夫婦のあいだに、精子提供(あるいは母胎提供)さらには養子縁組といったことが合法となれば、少子化にある程度のカウンターをあてることが可能になる。
「えっ、なんで?ゲイばっかりになったら子どもなんかできなくなるから、人類ゼツメツだ!」
なんて思うかもしれない。ところが、そういうことにはならない。ゲイ=ホモもいるだろうが、ヘテロもいる。で、当然ながらゲイカップルのあいだではセックスによって子どもが生まれることはない。しかし子どもを授かりたいという願望はある。だったら、ヘテロではあるが子どもが欲しくないにもかかわらず妊娠してしまった、あるいは経済的に子どもを育てることが困難なので子どもができても中絶するしかないという夫婦やカップルからゲイカップルが子ども譲り受ければ、この問題を解決することができる。いいかえれば、性同一性障害の夫婦が増えたとしても、これを人口減の要因とつなげることには無理があるのだ。ちなみに、あたりまえの話だけれどこれは性同一性障害を抱えた夫婦のみに限定された話ではない。何らかのかたちで子どもを授かれないヘテロの夫婦にも該当する。もちろん、これを拡大解釈して子ども=赤ん坊が売買されたりするような状況を避けるための制度を設けて、いたずらな子どもの授受は避けなければならないけれど。

クレイマー文化の誕生?

一方、後者、つまり病院での子ども取り違え裁判のデメリットは何か?正直、この判決、僕にはどうも引っかかるのだ。もちろん取り違えた病院の責任は重い。しかし、この判決は結果論に基づいているともいえる。訴えた側は、本来なら経済的に豊かで幸福な人生を過ごせたはずなのに、取り違えたばっかりに不幸な人生に遭遇することになってしまったというモノのイイなのだが、それはあくまで結果にすぎないからだ。つまり、経済的に貧しい家庭に生まれたからといって、必ずしも不幸になるかどうかはわからないし、その逆に豊かな家庭に生まれ育ったからといって、幸福になるとも限らない。つまり、訴えた側の「不幸」という結果は、病院の取り違えよりも、明らかにその後、自らが辿った人生の過程に依存しているはずだ。つまり取り違えというのは不幸のための必要条件であったかも知れないが、必ずしも十分条件とはなり得ない。ところが今回の判決の場合、あたかも取り違え自体が、結果として必要条件と十分条件を満たしたような判決であったかのようにおもわせるような印象をわれわれに伝えてしまっている(実際には、裁判が下したのは取り違えたことについての責任のみ)。
そして、このような印象の刻印は、翻って、事態の結末に至った原因を必要条件だけに限定してよいという認識を一般化させる恐れがある。そう、これこそクレーマーの論理なのだ。
で、こうなると、必要条件を設定する側(この場合、病院)は、される側に何を言われるのかわからないので、あらかじめ後々そういったことが起こらないような防御処置を採らざるを得なくなる。そう、例の、病院で手術の前に夥しい誓約書を書かされるというような作業が生まれてくるのだ。そうやって自らの立場を防衛するのだけれど……その結果、われわれの心の中に宿りはじめるのは「ちょっとしたことで、相手に何を言われるのか、訴えられるのかわからない」という戦々恐々とした構えだ。そう、ギスギスした関係、相手に不寛容な態度がデフォルト化してしまうのである。こういった事態がどんどん加速していけば、はっきり言って未来は暗い。信用すべき相手、信頼すべき相手などいなくなってしまうからだ。その結果、僕らのあいだに広がるのは孤立化、原子化した、孤独な空間ということになるのだけれど……。

昔から血なんかつながっていなくても家族だった

これは実話である。
某地方の某造り酒屋の話。伝統あるその造り酒屋の夫婦のあいだにはなかなか世継ぎが生まれなかった。四十過ぎてやっとの思いで子どもが生まれ、二人は喜んだ。ただし、生まれたのは女の子。そこで、娘が妙齢となったとき、婿養子を迎えることに。これで家業の継続は大丈夫と思われた。しかし、ここでも問題が……今回もなかなか世継ぎが誕生しなかったのだ。そうこうするうちに娘は病に倒れ他界する。
なかなか世継ぎが現れないこの造り酒屋。そこで、今度は養子の息子に頼み込んで見合いをさせ新しい妻を迎えた。そして、ようやく子ども(男子)、つまり世継ぎを授かることができたのだ。
ちなみに、このエピソード、実は40年ほど前の話。その後、誕生した子ども=孫は順調に成長し、造り酒屋を継ぐと同時に、能力を開花させ、造り酒屋の規模を拡大。地元のしがない造り酒屋が日本、そして世界に知られるに至った。つまり、この造り酒屋は「家」を維持させるために血が絶えたのだけれど、その結果、家業が継続、繁栄することになった。そして夫婦は家を継ぐことをでき、役目を果たせ幸福に一生を終えることができた。
性同一性障害の夫婦のあいだに子どもが認められたことは、血のつながりを踏まえた場合、まだ母親の血はつながっている。ところが、このエピソードの場合、まったく血がつながっていない。でも、これは家族として制度的に認められたのだ。
で、こうやって考えてみると前者の裁判(性同一性障害の夫を父と認める判決)の論点は、生物学的に女性である人間(身体としての女)を「夫」と認めることに抵抗があり、これについての是非を問うことにあったと考えることができる。そして生物学的性別よりも認識(心としての男)としての性別の方にプライオリティーが与えられた判決と捉えるのが、いちばん正しいとらえ方なのだろう。

文化の費用対効果に基づく家族というコードの変容

で、家制度の時代には、前述の婿養子に嫁をとらせて世継ぎをつくるなんてことはいくらでもあったはずだ。つまり血なんかつながっていなくても家族を構築することは常識的にありえたのだ。もちろん、もはや家制度などはとっくの昔に崩壊しているし、現代の僕らは家制度なんてまっぴら御免でもある(前述のエピソードは利点ばかりあげたが、しがらみなどデメリットもたくさんあるわけで、現代人の僕らとしては受け入れがたいものだろう)。ただし、このエピソードはちょっとアレンジすれば僕らの未来を開くものでもある。それは家族を維持するために、このエピソードから「家制度」を、後者の裁判(赤ちゃん取り違え)からは「血のつながり」を削除するという考え方だ。
じゃあ、代わりに何を設定するか。それは、やはり「親密性」ということになるだろう。家父長制でもなく、血のつながりでもなく、親密性というつながりが、実は未来に向けて社会を成立させ、家族というシステムをリニューアルするためにはベストのチョイスなのではなかろうか。言い換えれば「家族のありよう」が根本的に変わりつつある。その未来に向けてのステップを象徴的に示したのが、今回の性同一性障害の夫婦の子どもを認定したと言うことなのだ(しつこいようだが、今回目立ったのは「性同一性障害」ということばによる。しかし本質は別のところにある。だから、性同一性障害の認知と、血のつながっていない子どもを親子と認めることは別問題としないといけない。で、どちらも肯定すべきものであると僕は考える)。
僕は、これを「文化の費用対効果」と呼びたいと思う。
そう、「家族のありよう」は、時代とともに様々に変容を繰り返してきた。ただし、僕らは長い歴史の1カ所にしかいたことがないので、現在の家族のあり方だけを「あたりまえ」と考える。だが、その「あたりまえ」がいま地殻変動を起こしつつあるのだ。「文化の費用対効果」という原則に基づいて。

ネルソン・マンデラの追悼式で米大統領バラク・オバマと英首相デービッド・キャメロン、そしてデンマーク首相ヘレ・トーニングシュミットが互いに親しげに自分撮りをしている場面が映し出され、三首脳たちが「顰蹙である」と非難された。今回はこれについてメディア論的視点から、二つのことについて指摘したい。

メディア・イベントとしての追悼式の親睦

一つ目の指摘は、この写真があえて首脳たちの顰蹙を買う行為としてメディア・イベント的に取り上げられたことだ。撮影したカメラマン、ロベルト・シュミットはトータルで500枚程度の写真をアップしている。つまり、この写真はそういったあまたある写真の一枚でしかない。ということは、先ずこれを取り上げた報道側(シュミットではない)に「オバマたち首脳陣は顰蹙を買う人間だ」と印象づけたいという意図があり、それにピッタリの画像がたまたまシュミットの撮影した中にあった。そこで、これをメディアにあげればオバマたちは追悼中、常に楽しく談笑していた不謹慎な連中である(三首脳の横で悲しい顔をしているミシェル・オバマは、この不謹慎さを強調する見事なコントラストになっている)というイメージ=ステレオタイプを作り上げることができると考えたわけだ(撮影したシュミットは、この写真がマスメディアによって恣意的にチョイスされたことに危惧を表明している)。ちなみに三カ国の政府からは何らコメントは出されていないが、まあ、あたりまえだ。こんな恣意的な報道にいちいちかかずらっている必要などないからだ。政府は、いわば、この報道を「マスゴミ」として処理したわけだ。正解!

葬儀に微笑みは必要

二つ目の指摘は、葬儀で親しげな表情をしたり微笑んだりすることは、果たして本当にいけないことなのか?という問いだ。結論を述べれば、葬儀の社会的機能を社会学的に考えた場合には、必ずしもそのように断言できないということになる。

われわれはなぜ葬儀をするのか?もちろん死者の魂を弔うためだ。これは社会学的には顕在的機能、つまりベタな機能として捉えられる。ところが、人間が関わる事象には必ずもう一つの機能、つまり裏の機能が存在する。これは社会学では潜在的機能と呼ぶのだけれど、当然のことながら葬儀にもこれがある。それはコミュニケーションを提供すること。つまり、葬儀というイベントを媒介に普段では出会うことのない人間たちが一堂に会し、そこで親交を深めることで、コミュニティや仲間内の紐帯の再確認や活性化が行われる。一般の葬儀であれば、親戚一同が会し、故人を偲ぶと同時に、お互いの久しぶりの再会を喜ぶ。そこで、当然のことながら談笑というシチュエーションもありうるわけで。僕も父や叔母が亡くなったときには親戚が一堂に会したが、そこでは会食しながら談笑するという場面が展開された(叔母の場合、遺族の子息もこれに加わっていた)。父の場合には、一年以上、ほぼ植物人間状態だったので、亡くなったときには一同がとっくに覚悟ができており、葬儀はワイワイガヤガヤの賑やかなものになった。もちろん、最後のお別れの時には多くの参列者が涙していたけれど。でも、こうすることで残された者たちの関係が継続される。こういった意味では、葬儀の談笑、決して悪いものではない(というか、どこでも見られる風景だろう。ただ「不謹慎」ということばの下、黙契的にその行為が封印されてきただけだ)。

追悼式での首脳陣の談笑を期待していたのはマンデラかも?

今回は世界のビッグネーム、ネルソン・マンデラの追悼式。だから錚々たるメンバーが集結した。そして、その際追悼外交が行われた。とりわけ感動的だったのはオバマとカストロが握手するシーンがあったこと。こんなスゴイシーン、マンデラの追悼式でなければ決してありえない。

こうやって追悼式を媒介=メディアとしながら各国の首脳陣が外交を繰り広げ、談笑すること。実は、これこそマンデラが願っていた差別のない平和な世界への未来を開くチャンスではなかろうか。各国の首脳陣が楽しそうに談笑しながら互いに自分撮りをしているシーン。マンデラはこれを草葉の陰で微笑みながら見つめているに違いない。

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