勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2013年10月

タモリは、タレントたちがトークを集団で展開するという、今日のバラエティ形式を「笑っていいとも!」で構築した。しかし、この番組は来年3月で終了する。しかも、それをタモリ自身が生放送中に発言した。このことの意味するところは何か。僕は、これはタモリが「いいとも!」的なバラエティという形式を見限ったからだと考えている。後半はバラエティとタモリの芸風の関係についてみていこう。

視聴率低下はタモリのせいではない

先ず、最初に前提を述べておけば「笑っていいとも!」の視聴率がジリ貧になっていったのはタモリのせいではないということ。ジリ貧になるのは必然的と考えた方が的を射ている。原因はいくつか考えられる。それは情報の多様化の中、テレビ離れが進み、視聴率そのものが相対的に低下したこと。また、タモリが構築したバラエティという形式がすっかり一般化し、「笑っていいとも!」の独自性が薄れたこと。そして、こういった「ジリ貧状態」を脱却しようと制作側が番組をいじったのが、かえって裏目に出たこと。タモリ色を排したお陰で、ますます他のバラエティと大差がなくなってしまったのだ。

相変わらず好調なタモリ

で、タモリの方はどうかといえば、実はそんなことはまったくお構いなし、知ったことではないと言うところではないだろうか。「いいとも!」同様、三十年続くテレ朝の「タモリ倶楽部」は相変わらず絶好調だし、NHKの「ブラタモリ」は続編が待望されている。また同じくテレ朝「MUSIC STATION」も25年間、相変わらず適当にやり続けている(タモリの座右の銘は「適当」)。また、今後、他のプロデューサーがタモリの芸風を生かした企画をタモリに持ち込むのも目に見えている(これまで「今夜は最高!」「夕刊タモリ、こちらデス」「タモリのボキャブラ天国」「「トリビアの泉~素晴らしきムダ知識」など、数々の傑作番組を生み出してきた)。

これらの番組(かつての番組も含む)の中で、タモリが最も重視しているのは密室芸的な要素だ。つまり、前回も指摘したが、やはりアドリブの部分、そしてマニアックな視点(「MUSIC STATION」は適当にやっているので、こちらはちょっと該当しないが)が基調になっている(その極致は、言うまでもなく「タモリ倶楽部」だ)。

時代は、やっぱりタモリに向けられている

そして、時代は低視聴率の時代。しかも低予算。逆に言えば万人受けするものよりもある程度的を絞り、突っ込んだ展開をやった方が安定した視聴率が確保できるし(ただしかつてのような高視聴率を獲得するのは難しい)、予算も低く抑えられる。ということは、タモリのようなマニアックな視点は、実はきわめて現代の嗜好の多様化した時代のテレビコンテンツとしては適合的ということになる(「トリビアの泉」はやり過ぎで予算がかかりすぎてしまった例外だが)。つまり、そこそこの視聴率とリピーターを創出してしまう。しかも、タモリの場合、そのアドリブ性の豊かさゆえ、一般よりははるかに高いレベルで之が可能になる。たとえば、扱っているジャンルが一般にはわからないものであっても、そのマニアックさのバカバカしさとアドリブで多くの視聴者の好奇心を惹起してしまうのだ(「タモリ倶楽部」が扱うネタは、たとえば直近のものだと横須賀の隧道、工事中のEXシアター六本木、そしてたった一人の監督が制作する山歩きのDVDと、一般の人間がまったく知らないものばかり。ここに伊集院光、水道橋博士、なぎら健壱といったアドリブに長けたパーソナリティをゲストに呼んで、どうでもいいことを適当に喋らせ続ける。しかも時にはタモリは休んでいたりさえする。ただし、必ず一人だけマニアックなエキスパートが登場し、これにツッコミを入れるかたちでそれぞれがアドリブを飛ばし続けるのだ。それは、密室の中で繰り広げられていたインタープレイの再現に他ならず、まさにジャムセッションという表現がふさわしい)。

「笑っていいとも!=バラエティ」という「女」に飽きたタモリ

だから、タモリにとって「笑っていいとも!」みたいなバラエティなど、もはやどうでもいいのだ(やめる発言をしたときも、ほとんど未練といったものが感じられない。ギネス認定の長寿番組なのだが「ただワンクールやったから終了するだけ」という感じだった)。タモリからすれば「いいとも!終わり?あっ、そう」ってなところではないだろうか。そして、タモリに魅せられている視聴者からしても、おそらく、まったく同じ印象を番組終了に感じているはずだ。「いいとも!」でのタモリは、タモリの魅力の一部、しかもマイナーな部分に属するものでしかないからだ。ネット上に「タモリ倶楽部があるから、いいや」とのコメントがあったが、まさにその通りだと思う。

タモリは「笑っていいとも!=バラエティ」という女に飽きたのだ。ちなみに、タモリが好む女は「キレイな女」ではない。ひたすら好奇心を惹起してくれる「オモシロイ女」だ。だから、またその好奇心を満足させる女、アドリブをかましたくなる女を求めて彷徨い歩く。そして、僕を含めたタモリファンはその「彷徨い」に熱い視線を向け続ける。

「笑っていいとも!」が終わろうと、タモリは決して傷つかない。いや、そもそも終わろうが終わるまいがタモリには関係がないのである。

メディアですっかり話題になっていることだが、来年3月をもってフジテレビのお昼の看板番組「笑っていいとも!」が終了することになった。終了のアナウンスは突然、しかも司会のタモリ自らの口から飛び出した。番組の終わりに突然、笑福亭鶴瓶が登場し「いいとも終わるんやて?」と切り出し、それに対してタモリはハッキリとその旨を表明したのだ。誰にも知らされていなかったのだろうか。会場、出演者ともに唖然とした状況になった。

ちょっとこの演出はきわめて唐突とともに不自然な感じがした。なぜ、鶴瓶がわざわざ登場し、タモリにこんないわせ方をしたのだろうか?で、ふと思い出したのは最近「いいとも!」がどんどん変わっていったことだ。テーマソングが歌われなくなったり、テレフォンショッキングが「友達の輪」ではなくなったり(平気で知らないタレントが紹介される)、タモリがコーナーの多くに出演しなくなったり(体調不良なのではと疑われたこともあった)。「笑っていいとも!」は「森田一義アワー」とサブタイトルが振られていたが、現在の「いいとも!」は、いわばこの看板が取り外された状況。つまり普通のバラエティと大差がなくなっていたことは事実だ(言い換えれば、もはや「いいとも!」がタモリである必要がなくなっていた)。で、穿った見方をすれば「究極のワンパターン、マンネリズム」を旨とする(そして、このマンネリズムの中で無限のアドリブを生み出す)タモリが(詳細については本ブログ「タモリのマンネリズムは偉大だ!」http://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/64432521.htmlを参照)、この対応に怒った。だから鶴瓶を引っ張り出して打ち切り宣言を一方的にやってしまったのではないかとすら思えないでもない(もちろん真相はわからない)。ただ間違いなく言えることは、こういった番組改変が、次第に低下する視聴率への局側の対応策であったこと、そしてそのやり方がタモリのスタイルからすれば大きく逸脱してしまっていること、さらに付け加えれば改変がさらに番組の視聴率の低下に拍車をかけたことだ。

今回はタモリとバラエティの関係について考えてみたい。はじめに結論を述べておけば「タモリはバラエティというテレビ番組の分野を生みだし、そして今回これを葬り去った」ということになる。ここでいうバラエティとはスタジオを会場にして、ひな壇にタレントを並べトークさせたり、トークしながらゲームをさせたりするというスタイルだ。これを「いいとも!」という番組を通じて一般化させたのがタモリで、また自ら降りることでこのカテゴリーを三十年間で終わらせると宣言したのが、今回のハプニング?である、と。

「笑っていいとも!」で培われた今日におけるバラエティの形式

1975年、山下洋輔や赤塚不二夫に後押しされデビューしたタモリは、その芸風を「密室芸」と称された。新宿ゴールデン街の小さな店の奥で繰り広げられる芸をそのままメディアに持ち込んだといわれたそれは、明らかにマニア受けのものだった。70年代の活躍の場の中心はラジオ深夜放送「オールナイトニッポン」で、ここでは芸能人のパロディ、モノマネ、メディア機器を使った編集ものなど(「編集もの」の典型はNHKのアナウンサーのニュースを録音し、これをつぎはぎして架空のニュースを作り上げたもの。相撲と事件の音声をミックスし、輪島が北の湖を凶器で襲ったなんてニセ報道に作り上げ、大いにウケていた。ファンだったリスナーがこの面白さを父親に喋ったところ、この父親がNHKの職員だったため、これがきっかけでこのコーナーは取りやめになるのだが、これすらタモリはネタにした)。しかもネタは下ネタ、芸能界ネタ、差別ネタ等満載、これらはまさに密室空間でのオーディエンスとのコミュニケーションの中で培われていったもの。だから、どうみてもマスメディアで流せるようなものではなかったが、深夜ラジオという限定されたメディア空間だったからある程度許されてはいたし、また次第に露出するようになったテレビ番組の中でタモリは人気を博すようにもなっていた。そして、デビュー7年目の82年、漫才ブームの終了に合わせ打ち切られた「笑ってる場合ですよ」の後釜番組「笑っていいとも!」の司会に抜擢される。

デビュー当時からタモリのファンだった僕は、この番組の第一回を見たときの印象が忘れられない。爬虫類?イグアナを意識したタモリのルックスはオール―バックの真ん中分けに(油をべったり髪に塗っていた)レイバンのサングラス(70年代のテレビ出演の際にはアイパッチを多用した)。ところが「いいとも!」ではオールバックだが横分け、メガネの枠を小さくし、なおかつブレザーにネクタイという姿。「あの、密室芸のタモリが?なんでこんな格好で一般視聴者向けの昼番組に?」と首を傾げざるを得なかったのだが(そして、当初、タモリも明らかに違和感を持って番組を進行していたのだが)、次第に番組はある形式を獲得するに至り、マニア向けタモリは一般性を帯びたものになっていく。

その形式は、要するにタモリの密室芸を無理矢理昼番組に持ち込むというスタイルだった。そして、それが最も生かされたのがテレフォンショッキングのコーナーだ。タモリは密室芸の中で繰り広げられる出演者同士、あるいは少数の顧客とのコミュニケーション形式をこのコーナーの中に持ち込んだのだ。ゲストに対しては若干の仕込みネタがあるものの、ゲストが応えた内容に深く立ち入るというよりも、それと同様の自分の経験とか、その話題に対するまったく別の話をするという「ゲストを使ってのタモリのモノローグ」のような喋りを展開したのだ。ただし、これはタモリの一方的な会話というわけではない。タモリのこのモノローグを聞いたゲストは、この語りにインスパイアされて、今度はそれに関する自分の経験を語りはじめる。それはさながらジャズミュージシャンがスタンダードナンバーをインタープレイで演奏するかのようだった。つまり1.ゲストの語り→2.それにインスパイアされてのタモリの語り→3.タモリの語りにインスパイアされてのゲストの語り→再びタモリの語りといった具合に。つまり、タモリは自らアドリブを奏でることで、ゲストからもアドリブを引き出すという独特なスタイルを作り上げる。しかも、その時、タモリは密室芸でしか通用しないマニアックなネタは排すという周到さも持ちあわせていた。いいかえれば形式だけがここに持ち込まれたのだ。

こういったインタープレイ的な語り、言い換えれば聞き手と話し手の役割が明確に分離されていないようなラフな形態をタモリはテレフォンショッキング以外のコーナーにも持ち込むようになる。さらに、これらのコーナーでは出演している他のタレントにもこういったインタープレイに参加するように仕向けた。いわば「集団テレフォンショッキング」的な演出がここでは繰り広げられることになったのだ。こうすることで「密室芸のコミュニケーション」は見事に一般向けのものになると同時に、この手法が後続のバラエティで次々採用されるようになっていった。現在、展開されているバラエティの多くがこの形式を採用していることは言うまでもないだろう(たとえば「お試しか!」はその典型)。ひな壇にタレントが並ぶバラエティは進行役のタレントがそれぞれのゲストたちに話を振り、それに進行役が対応して、さらに他のゲストたちもこれに加わる。だがタモリの場合は、これにさらに一歩踏み込んだかたちになる。多くの場合、タモリは進行役を勤めない。自らも参加者の一人としてインタープレイに興じるのだ(ただし、そうであっても、やはりタモリの番組、タモリのコーナーであることに代わりはなかった)。 そう、これがタモリが開発したバラエティの形式なのだ。

バラエティを捨てるタモリ

にもかかわらず、今回、元祖であるタモリが「笑っていいとも!」を降りる。と同時に、後継を指名することなくこの番組を終わらせる。一方、タモリが築いたこのバラエティ形式は花盛りではあるものの、もはやすっかり定着したクリーシェで、全般的には大した視聴率がとれているわけではない。じゃあ、これは三十年間続いたバラエティの形式をタモリ自らが終わらせるということを意味するのだろうか?僕は、前述したようにタモリはそうするつもりなのだと考える。少なくとも発案者のタモリは、ここから降りる。

ただし、「いいとも!」が終わっても、タモリは決して傷つかない。タモリはバラエティ形式を作りはしたけれど、これになんのこだわりも持っていない。いや、むしろやめる方が自らにとっては重要と考えているのではなかろうか。これまで、どんなにバラエティの形式を守ったとしても、タモリは「いいとも!」の中で必ずタモリ的芸風を一貫させていた(それはアドリブに最も重要性を置くというものだった)。つまり「いいとも!」はバラエティ+タモリの芸風による「森田一義アワー」だった。そして、双方とも自らが生み出したスタイルとは言え、タモリにとってのこだわりは後者にあった。ところが視聴率低下に対する局側の対応で、後者を発揮する機会が取り払われた(タモリがコーナーのスタイルに固執したのは、それがアドリブを飛ばすための苗床になっていたからだ。これは、たとえばドラえもんのワンパターン形式を取っ払ったら、藤子・F・不二雄がドラえもんを描けなくなってしまうのと同じだ。つまりワンパターンゆえにこそ、無限のアドリブ「たとえば様々なひみつ道具」を繰り出すことが出来るのだが、これが封じられてしまう)。で、後述するが、メディア的な訴求力については、もはや「バラエティ<タモリの芸風」という図式が成り立つ。また「いいとも!」の視聴率低下はタモリの責任ではなく、メディアの変化がもたらす構造的な問題だ。だったら、タモリにとって「いいとも!」は時代遅れの古い衣装。もはや用なしである。とっとと捨てて、自分流のスタイルで次をやればいい。僕にはそんなふうに思えるのだ。

後半はタモリがバラエティと決別する理由ついてタモリとの芸風との関係で、もう少しツッコンで考えてみたい。(続く)

本格的な普及を見せるタブレットPC

23日未明(米22日)、第5世代iPad(iPad Air)、第2世代iPadminiが発表された。新製品の特筆すべき特徴は、A7チップによる高速化はもちろんだが、iPadが200gの軽量化を行ったこと(400g台に突入)、そしてiPadminiがRetinaディスプレイに対応したことだろう。それに先だって、ほぼ同時期にNOKIAとMicrosoftが新型タブレットPCを発表し、これに対抗しているが、これはタブレットPCというカテゴリーが新しいメディアとして実質的に認知されたこと、そしてiPadがやはりタブレットPCのリーダーであることを意味するのではなかろうか。

スマホの新規購入者はマーケットの普及曲線(E.ロジャース)からするとレイトマジョリティからラガードの領域に達しつつあるし(新規購入者の88%がガラケーではなくスマホをチョイスしている)、パソコンに至っては下降曲線を描いている。一方、タブレットPCは今が旬だ。

この市場拡大を牽引するのがiPadシリーズで、現状ではこれに各社がぶら下がるかたちでユーザー包囲網を作り上げようとしている(だから、iPadの発売に他社が新製品をぶつけてきているわけだけれど)。興味深いのは前述したように、タブレットPCの普及とパソコンの低下が逆相関を示していること。僕はここに一定の因果関係があるとみている。つまり「パソコン売り上げの低下原因はタブレットPCの普及のため」という関係だ。今回はこれについて考えてみたい。

パーソナルコンピューターの理念は「家電」

1972年、ゼロックス社パルアルト研究所のアラン・ケイは「A Personal Computer for Children of All Ages」の中で、パーソナル・コンピューターの未来のあるべき姿として「ダイナブック」というコンセプトを立ち上げる。これはA4サイズの板にディスプレイとキーボードが配置されたコンピューターで、誰でも容易に操作することができ、かつ持ち運び可能な個人ユースのディバイスというものだった(イメージ図上では芝生の上で子どもがダイナブックをいじっている)。

このときケイが発想していたのはナード=パソコン・オタクのツールではない。つまりプログラムを書いたり、難しい計算処理をしたりする機械ではなく、文字を書いたり、音楽を聴いたり、音声をやりとりしたり、絵を描いたりするという「家電」的なイメージだった(前述のイメージ図では女の子はヘッドフォンを装着している)。そして、その端緒として73年にAltoというマシンを開発する。これは現在のデスクトップ、ウインドウ、マウスからなるパソコン・アーキテクチャーの元祖で、Appleのスティーブ・ジョブズがこれをヒントにMacintoshを開発したのは有名な話だ。そして、その発展系がタブレットPCだった(これもジョブズが手がけたわけで、それゆえにこそジョブズは「パソコン=PCを生み、PCを葬り去った男」と呼ばれたのだけれど)。

ということは40年を経過して、この構想はタブレットPCで達成されたということになる。しかもタブレットPCにはキーボードはない。その一方で無線システムが標準装備されインターネットに接続するという機能が加わった。つまり40年もかかったが、実現したものは、当初の構想のさらに先を行くものだった。

パーソナルコンピューター=家庭用の、家電としてのコンピューターを「パソコン」と定義した場合、既存のパソコン(デスクトップマシンやノートパソコン。以下、ケイの構想するパソコンと区別するため、これらを”PC”と呼ぶことにする)はダイナブック→タブレットPCという流れの中間形態と定義づけることが出来るだろう。ただし、それは重くて、しかもバッテリーが持たないので携帯しづらく、操作も難しいものだった(加えて高価格だった)。だからPCはダイナブックのカジュアルさからは、はるかに遠いところにあった。

もちろん、こういったハンディは次第に克服されていった、つまりPCは家電には近づいていったが、結局、タブレットPC、そしてスマホの出現によって、そのアーキテクチャー自体がオールドファッションになってしまったことは否めない。致命的なのは、家電としてのパソコンというレベルではPCはきわめてとっつきにくかったところだ。だからユーザーはスマホとタブレットPCへと移行していったのだ。ちなみに、2015年にはPCとタブレットPCの売り上げが逆転することが予測されている。

タブレットPCとPCの融合

もちろん、現状ではその性能面からして、タブレットPCはまだまだPCにはかなわない。大がかりな作業、たとえば大量の文書作成、DTP、Webデザイン、ビデオ編集、そして高度な統計解析といったCPUの性能を要求する作業には非力だ。また、タッチパネルによる操作は、マウスやペンタブレット、キーボード入力での迅速な処理といった作業と比べて能率が悪い。

ただし、これは時間的な問題だろう。ムーアの法則(CPUの処理能力が18~24ヶ月で倍になるという経験則だが、実際そうなっている)の通りにテクノロジーが日々進歩を遂げれば、当然、こういった処理能力と負荷のかかる作業もタブレットPCに搭載されるCPUで十分可能になるだろう。また、いずれタブレットPC用に、こういった入力ディバイスも出回るだろう。で、こうなったとき、おそらくタブレットPCとPCは統合されてしまうのではなかろうか。実際、現在MicrosoftやAppleが取り組んでいるのがPCのOSとタブレットPC/スマホのOSの統合だ。たとえばMicrosoftのSurfaceはタブレットPCにキーボードを合体させるという発想だ。まあ、サーフェスを見ると、どう見てもノートパソコンなのだから(ただし、PC自体は一部のニーズ、つまりヘヴィーユーザー用に限定されるかたちで残存するだろう。そして、それはいわば現在スーパーコンピューターと呼ばれているマシンの仲間入りということになるのではないだろうか。ただし、いずれにしても一般向けとしては不要なものになることは確かだろう)。

パソコンって、何?

ダイナブックとしてのパーソナルコンピューターが、タブレットPCによってその正体を現した現在ではあるが、実を言うとタブレットPCはPC同様、パソコンであるがゆえにPCが抱えているのと同じ問題を相変わらず抱えている(もっともその「問題」は「諸刃の剣」でもあるのだが)。

タブレットPCがiPadとしてその姿を現した2010年時、iPadは先ず「電子書籍」として注目を浴びはじめる。メディアはこぞってiPadを「紙媒体に変わりうる書籍」といったイメージで報道したのだ。「数年後には全て電子書籍になっている」とまで報道したメディアもあった。

ところが、実際にはそうはならなかった。相変わらず紙媒体は販売されているし、iPad、そしてその後のアンドロイド系のタブレットPCが電子書籍とみなされることもなかった。もちろん、タブレットPCで電子書籍を読む層が出現したことは事実ではあるが、タブレットPCの普及原因はそれだけに限定されるわけではない。むしろゲームや文書作成、インターネットブラウズ、スケジュール管理、画像・映像編集、あるいはシステム管理の端末といったかたちで実にさまざまな用途に用いられるようになったことの方が大きい。そう、これがPCが抱えていたのと同じ「汎用性」という問題なのだ。つまり「いろいろなことに使えるが、どうもイメージが曖昧模糊としていて、つかみどころがない」。

PCの場合、これがマイナスに作用した。つまり「取っつきにくさ」と「汎用性=曖昧さ」がシナジーを引き起こし、多くの人間が、これを「難しそうなマシン」と認識してしまったのだ。一方、一般の人間にとってはPCとやれることがほとんど同じであるのにもかかわらずスマホが普及したのは、前者の「取っつきにくさ」がなかったからだ。「ケータイとiPodのセットにインターネットブラウザがオマケについている」というのがスマホに対する当初のユーザーの認識だったろう。つまり、前者の日常携帯品の二つが合体したツールというイメージが取っつきにくさを打ち消していた。それゆえ、この「汎用性=曖昧さ」はむしろ「便利なもの」、例えばゲームハードでいろいろなゲームをやるような感覚で好意的に捉えたられたのだった。

だが、スマホは小さい。携帯性は極めて高いが、さすがにこの小ささだとやれる作業が物理的に限定される。だがタブレットPCはこの「小ささ」のハンディを越えるとともに、携帯性を維持し、なおかつ取っつきやすさはスマホと同じ(OSが同じなので、スマホユーザーにはこちらの面でも取っつきやすい)。だからスマホ同様、汎用性がポジティブなもの、つまりアプリがゲームのような便利なものに見える。そして、こういったとっつきやすく、親しみやすいものこそがパーソナルコンピューター=ダイナブックの本質なのだ。

あらためて言おう、パソコンは家電でなければならない。そしてタブレットPCはこのパソコンの命題を達成したのだと(スマホとの分業の側面があることも留保しておく必要があるが)。

今回のAppleの二つのiPadのリニューアルは、そういった意味で家電的意味合いを今ひとつ前進させたものと言えるだろう。iPadは「iPad Air」と名称を変え、重量を400g台にまで軽量化させ(同サイズの既存のマシンでは最軽量)、その携帯性を高めた(寝床でiPad Airを使っていて眠気とともに顔の上にiPadが落ちてきたり、腕や肩が凝ったりということから逃れられる重さになった)。iPadminiは高画質化によってその再現性を高めたのだけれど(ともにA7チップによる高速化が図られている)、これは高性能と携帯性をいっそう押し進めることで、「汎用性」の利点を今一歩押し進めたものと言える。おそらくAppleは近いうちにこれに装着する純正のキーボードをリリースするだろう(ただし、あくまで補助的なもの、つまり文字入力などに利用したい層のみにアピールするために。MicrosoftのSurfaceとは異なり、Appleはあくまで「板一枚」というパソコン=ダイナブックのイメージを維持するはずだ。MicrosoftのSurfaceはPCの延長線上のディバイス、AppleのiPadはパソコンの完成形態。だから前者はキーボードが前提されたタブレットPCで、後者はタブレットPCにおまけでキーボードがつけられるというイメージを踏襲する。そして勝者は後者だ。なぜって?キーボードや細々と機能がつけられボタンだらけのリモコンなんてインターフェイスは、家電にはふさわしくない「とっつきにくいもの」だからだ)。

今回のiPadのリリース。パソコン=ダイナブックという理念を着実に踏襲しているという観点を踏まえれば、やはりiPadは他のタブレットPCの追随を許さないとみなすことが出来るのではなかろうか。

前回は、マー君こと楽天ゴールデンイーグルスの田中将大投手が大リーグヤンキースに行き、これを地元との連携を深める工夫をすることで、むしろマー君の海外での活躍が地域活性化、ひいてはプロ野球の活性化を可能にする可能性があるという議論を行った。こういったアイデア。実は、長期低落傾向にあるプロ野球の改革のためには有効な手段のヒントとなるのではなかろうか。

企業やメディアの広告媒体としか見られていなかったプロ野球

これまで、プロ野球はもっぱらマスメディアや企業の広告媒体的な側面で運営されてきた。たとえば、その典型は戦後の読売新聞社主・正力松太郎による読売グループの販売・視聴率戦略としての読売巨人軍の存在だ。正力はプロ野球球団の中でも巨人を徹底的にクローズアップし、さらにその中でも長島、王の二人を前面に押し出すことでテレビ(日本テレビ)を普及させ、読売新聞の販売部数を伸ばすことに成功した(要するに現在の言葉を使えばキラーアプリ、キラーコンテンツという考え方を心得ていた)。そして、これに追随するかたちでプロ野球に鉄道やメディア、食品、不動産企業などが乗り込んできた。

これによってプロ野球は60年代の高度経済成長ドラマの後押しをするような機能を果たすことにもなった。「巨人の栄光は日本の経済成長の証し」みたいなあやしげなドラマがリアリティを持ったのだ。その典型的なカリカチュアライズはマンガ「巨人の星」で、根性で刻苦勉励すれば、やがて栄光を掴むことが出来る、というドラマが当時の人々の心性に宿り、これが翻ってエコノミックアニマル的に、あるいは社畜的に働く日本人を作り上げる役割の一端を担うことになった。高度経済成長=プロ野球という図式が出来上がり、ここに企業が乗っかれば、そのビジネスモデルは成功し、膨大なファン=支持層を獲得することが可能だった(まあ、成功したのはもっぱら読売だったのだけれど。そして、もちろん、巨人主導だったのだけれど)。

あまたあるスポーツの一つでしかなくなったプロ野球

しかし90年代後半あたりから、この戦略は功を奏さなくなる。情報アクセスの易化が起こることで情報の受け手は自らの嗜好に応じて任意に情報を摂取するようになり、それによってスポーツへの嗜好も多様化。かつてのように「スポーツならプロ野球」「野球なら巨人」といった図式が崩れてしまったからだ。サッカー、バレー、パスケット、スケート、スキー、モータースポーツ、相撲……今や人々が「見る」スポーツは実に様々で、そんな中、野球は、もはやあまたある観戦スポーツの一つでしかなくなってしまったのだ(かつて観戦スポーツと言えば野球、相撲、プロレスの三つだけほぼ集約されていた)。

これはプロ野球が、マスメディアによる一元的な宣伝媒体としては機能しなくなったことを意味する。プロ野球を広告媒体として利用することの旨みが失われた。つまり、企業イメージや販売・視聴率アップのために球団を抱えたところで費用対効果が得られないという状況が生まれたのだ(ただし、プロ野球球団はスタンドアローンでは、それまでもそのほとんどが赤字だった。親企業としては球団経営の費用を広告費用の一部という認識で捻出していたのだ。これは、球団を通じて企業が全国的に知れ渡るという前提に基づいていたためだ。だが、この図式が崩壊した)。前述の巨人で言えば、かつては数十%の視聴率を誇っていたが、現在では一桁、さらにはキー局でも放送されない試合が増えているといった状況だ。

地域活性化のメディアのしてのプロ野球

当然、プロ野球球団としては収益モデルを変更する必要がある。そこで、現在、その方向性として推進されているのがJリーグのスタイルを踏襲した「地域密着」だ。

プラバタイゼーション、情報の多様化によるアクセスの易化(中央・大都市圏の消費的情報へのアクセスの集中)、流通網の整備による空間の規格化(コンビニ、ショッピングモール、ファーストフード、大手家電、ファミレスなどによって全国中の空間が均質化してしまう、いわゆる「ファスト風土化」)によって、地域は地域である根拠を失ってしまった。だが、それゆえにこそ、地域に暮らす人間にとっては地域に住まうことの存在根拠が欲しい。そして、これを記号的に集約するものとして93年、全国各地に誕生したのがJリーグの各球団だった。その理念はチェアマン・川淵三郎によって提唱された「Jリーグ百年構想」。「地域に根ざし、地域活性化の媒体=メディアとして機能することで運営を確保する」というJリーグの考え方は功を奏し、鹿島アントラーズ、ジュビロ磐田、浦和レッズ、アルビレックス新潟、大分トリニータといった球団が地域活性化に貢献することになる(Jリーグはチーム名には親会社ではなく、全て地域の名前がつけられている。Jリーグ開始当初、「企業か地域か」という点でJリーグと揉めたチームがヴェルディだった。リーグ側としてはチームのホームタウンである「川崎」を冠した「ヴェルディ川崎」を要求したが、命名された名前は頭に企業名がかぶせられたプロ野球的なものだった。そして当初それをゴリ押しをしたのが巨人のオーナーである「読売」(渡辺恒雄)であり、実際チーム名が「読売ヴェルディ」であったことは、観戦スポーツの将来のあり方についての当時の立ち位置の違いを示すものだ)。

この成功を見てプロ野球も地域活性化メディアとしての球団経営に乗り出す。パリーグの日ハムや楽天イーグルスがそれだ。これらの球団は、いずれも新天地としてのホームグラウンドをローカルエリアに求め、地域活性化と球団運営の健全性の両立を図ろうとしている。現在では、それなりに地域に根付いているが(以前、北海道民のほとんどが巨人ファンだったが、現在は日ハムファンだ)、やはり資金繰りは容易ではない(プロ野球選手の年俸はJリーガーに比べるとはるかに高い。また球場使用料などの諸経費が足を引っ張る)。

それゆえにこそ、今回提案したマー君のようなビッグネームを海外に放出することで経済的安定を図り、なおかつ地域活性化をより強固にするというやり方は、「企業イメージ」ではなく「地域イメージ」の活性化としての球団経営という新しいプロ野球のあり方という文脈からすればきわめて適合的なのだ。

マー君をヤンキースに行かせよう!そして仙台をマー君グッズでいっぱいにしよう!

大活躍するプロ野球選手はすべからく大リーグへ!

ご存知のように楽天ゴールデンイーグルスの「マー君」こと田中将大投手が歴史的な記録を打ち立て続けている。CSも含めて昨年からすでに29連勝。向かうところ敵なしのマー君だが、当然ながらメジャーリーグから大きな注目を浴びている。ポスティングシステムを利用すればその入札額は60億円にも及ぶとか?ダルビッシュの50億円を踏まえれば、この数字は結構リアリティがある。

前述のダルビッシュではないが、日本のプロ野球選手は球界で頂点を極めるまでに活躍をすると、すべからく大リーグへと言う図式が出来上がっている。野茂を嚆矢として(記録上は村上雅則がいるが)、イチロー、佐々木、松井、松坂、上原、岩隈といったように実力人気ともに併せ持った選手が次々と大リーグに挑戦していくのは、年棒の高さもさることながら、やはり「大リーグで勝負してみたい」という選手の憬れによるところが多い。
だが、その一方で、これは国内のスター選手の流出でもあり、これがプロ野球人気の陰りに影響を与えていると考えることも出来る(もっとも、人気低下はこれよりもプロ野球機構のシステムが時代にマッチしなくなっているところの方が影響としては大きいだろうが)。

で、今球界ぶっちぎりのマー君が大リーグに行ってしまえば、日本のプロ野球はますます人気を低下させるのではないか?そして楽天もまた下の弱小チームに逆戻りするのではないか?だから、プロ野球界のためにはマー君の海外流出はなんとしても阻止するべきではないか?と考えたくなる。行くな!マー君!

しかし、メディア論的に考えれば、これは逆だ。マー君を放出することで、むしろ楽天、そしてプロ野球界、さらに東北地方は活性化する可能性がある。「えっ?なんで?」と思われるかもしれないが、やり方さえちゃんとすれば、必ずそうなると僕は考える。

ということで、今回は「マー君放出によるプロ野球の、そして東北地方の活性化」という議論を展開してみよう。

マー君の経済的効果

マー君を大リーグに放出するのなら、最もふさわしい球団はヤンキースだ。現在、ヤンキースは投手の台所が苦しい状況。だから主軸となる投手がなんとしても欲しい。ここにマー君が入団すればいきなりエースとなることは間違いない。

で、ヤンキースならば、当然、60億くらいは出すだろう。ポスティングシステムだから、そのカネは楽天イーグルスに転がってくる。楽天とすれば、この金を使って国内の有力選手をトレードしたり、育成制度にカネを注いだり、施設の充実を図ったり、広報に使うことが出来る。つまり、マー君を放出したカネで球団全体を強化することが出来る。

「楽天=東北のマー君」が大リーグで活躍する、という図式

ただし、これだけだと、ただ「カネ欲しさにマー君を手放した」ということになってしまう。つまり、朝三暮四的な発想の域を出ない。

そこで、楽天としては田中投手を手放しても「マー君」は手放さないというやり方を採る。つまり、ヤンキースに行っても楽天としてはずっと、記号としての「マー君」を保持するのだ。まず、マー君には日本球界に復帰する際には楽天で何らかの活躍をしてもらうこと(選手でも指導者でもいい)を確約させる。そして、東北の地元メディアはニューヨークに特派員を派遣し、マー君の活躍を逐次テレビや新聞で流す。当然、楽天の広報でもマー君をずっと取り扱うのだ。こうなると田中将大投手は「アメリカ大リーグ、ニューヨークヤンキースで大活躍する”楽天のマー君”(厳密には「東北のマー君」だが)」ということになる。

一方、田中将大投手にも引き続き「楽天のマー君」としての活躍をしてもらう。シーズン中には、試合ごとに東北向けのコメントをしてもらう、あるいは東北からヤンキースに観戦に来たファン用のボックスシートをマー君のポケットマネーで用意する。シーズンオフには当然、仙台に凱旋帰国し、地元のイベントに参加する。ちなみにポスティングシステムで充実させた施設にはマー君の痕跡を残す。たとえばトレーニングセンターを建設するなら「田中トレーニングセンター」なんて冠付きの名前をつけてしまう。マー君はシーズン中はアメリカで、シーズンオフは東北で大忙しということになるのだ。そして地元東北も年がら年中マー君で盛り上がる。

マー君が地球の裏側から東北を活性化

こうなると、マー君と東北=楽天の間に相互活性化の循環が発生する。つまりマー君が活躍すればするほど、マー君は「東北の星」「東北の誇り」となり、東北のファン、楽天ファンはマー君を応援したくなる。しかも、それは世界のヤンキースでアメリカをきりきり舞いさせるマー君。そこに自らをアイデンティファイさせれば、東北に、そして自分に自信を持つことが出来る。「アメリカでがんばるマー君、東北のわれわれもがんばらねば!」となるわけだ。

一方、マー君の方も常に東北がバックアップする体制ゆえ、安心して大リーグに打ち込むことが出来る。当然、マー君の東北へのアイデンティファイ率も高まっていく。こういう循環を作り出せれば、だれもがトクをしてしまうのだ。東北は地域活性化、マー君は野球へのモチベーションがそれぞれ付与されるのだから(ちなみ、これを部分的にすでに実行しているのが中日と巨人だ。中日は大リーグに渡った選手を中日スポーツで追い続けているし、巨人はヤンキースで活躍した松井秀喜を徹底的に抱え続けるという方策を講じている)。

ところで マー君をめぐる、こういったアイデア。実は、長期低落傾向にあるプロ野球の改革のためには有効ではないだろうか?後半はプロ野球のこれからのあり方について考えていく。(続く)

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