勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2013年07月

岩手の「小泉光男県議」がブログ炎上によって自殺に追い込まれた事件について、新しいメディアの出現とメディアリテラシーの関連から考えている。メディアが新しく出現する際には必ずと言っていいほど、ちょっとおかしな事件が発生する。それは、新しいメディアのメディア性がまだ認識されておらず、定まってもいないがために、オールドメディアの捉え方でこれらニューメディアを捉えてしまうことによって発生する事態と考えていい。そして、その際、起こる議論は必ず二つ。ひとつは「カーゴ信仰」的な礼賛的とらえ方。つまり、メディアが備えるテクノロジーによって「幸福な社会が約束される」というもの。そしてもう一つが、それとは正反対の「メディアが害悪を及ぼす」というものだ。後者の典型としては、たとえば六十年代のテレビやマンガの普及がある。これらが社会深く浸透することで、人々のあいだに無知や不道徳が広がると警鐘が鳴らされた(大宅壮一の「一億総白痴化」といったテレビへの指摘は、その典型だった)。しかし、結局のところ、メディアはそういった当初の思惑とは異なった方向で普及、定着する。そして、その過程でメディアは相対化され、ある意味「適正」に運用されるようになっていく。

今回の事件も、この「ニューメーディア出現による初期不良」的な認識がもたらしたものと考えられるだろう。言い換えれば、インターネットについてのメディアリテラシーが熟成していないがために発生した出来事。そして、前回は「小泉県議」自身について言及し、ブログとインターネットの特性についての認識の低さが自殺の引き金になったと指摘した。

しかし、これだけで「小泉県議」が自殺したとしたなら、ちょっと「県議」は繊細すぎる。だから、原因を「県議」のメンタリティだけに集約してしまうのはマチガイだろう。これは、あくまでプッシュ要因。むしろ、このブログでの「失言」を周囲がどう扱ったか、言い換えればプル要因が自殺の引き金になったと考えるべき。そして、このプル要因も、ネットに対するメディアリテラシーの低さがもたらした事態と考えるべきだろう。

メディアという容疑者

先ず、メディア。メディアは「小泉県議」のブログが炎上しているのを知ると、これを一斉に取り上げた。県議は「公人」、だから取り上げても叩いてイイ(つまりプライバシーに抵触しない)というのがそのスタンスだろう。ただし、最近、メディアは自分からネタを探してくるような地道な努力はしなくなっている。これはおそらく取材能力の低下と予算の削減が影響しているだろうが、もっと大きな影響力を及ぼしているのは、やはりネットだ。ネットだったら、ググればあっと言う間に「特ダネ」をゲットできる、しかも安上がりに。だからこそ「公人」という記号がついた「小泉県議」の炎上ネタに飛びついた。そして、これにスケールメリット、あるいは「勝ち馬に乗れる」と踏んだ他のメディアも一斉にこれを取り上げた。つまりプッシュしたのだ。

こうなると炎上の力は二乗化される。つまりプルメディアのインターネットで取り上げられた後、プッシュメディアのテレビが大々的取り上げることで「小泉県議」の失言はメディアイベント化し、さながら巨大なスキャンダルであるかのようにメディアによって媒介されることになる。ワイドショーはこぞってこれを取り上げ、「小泉県議」を叩きまくったのである。

しかも、これは循環する。つまり1.ネットが取り上げる→2.テレビが取り上げる→3.テレビが取り上げたものをネットが取り上げるという循環が起こり、「小泉県議」に対するバッシングは国家大の規模に膨れあがったのだ。そして、この循環のお陰で普通の炎上にはない持続性を、この炎上は持つに至る。そう、ブログを閉鎖してもバッシングは続いたのだ。そこで「小泉県議」は謝罪会見を開いたのだが、炎上は収まらない。さらにこの謝罪についてもネットでバッシングが続くという循環が起こった。

こうなると当の「小泉県議」が、たとえ鈍感力を備えていたとしても精神的なダメージは相当なものとなる。そして「小泉県議」は、さほど鈍感力の強い人間ではなかったようだ。……だから、彼が最終的にチョイスしたのが自殺だったのだ。皮肉なことに、これがバッシングを終了させる最適な手段だったのだから(実際、この事件は彼の死後、突然終息した。つまりメディアイベントを終えてしまった。そして、これもまた、後述するネットリテラシーの低さがなせる業だったのだけれど)。

ここで考えるべきは、今度はメディア側のネットについてのメディアリテラシーの低さだ。前回述べたように、ブログを炎上させる人間たちは世論の趨勢ではなく、そういうクレームをつけて公人を「酒の肴」にしたい、ネタにしたいという輩が大多数。だから、メディアもそうならないためには、「小泉県議」に求められたのと同様、こういった炎上をまっとうには取り扱わないリテラシー=鈍感力が求められる。ところがメディア、とりわけテレビはネットの普及でジリ貧の状態が続いており「溺れる者は藁をも掴」みたい状況。だからこそ、こういった末節な事柄をことさらに取り上げ、バンドワゴン効果的に「小泉県議」をバッシングしてしまった。ようするに、メディア=テレビもまたネットが放出する情報を成熟し、相対化した目で見極めることができなかったのだ。当然、「小泉県議」を死に追いやったのはメディア=テレビであり、その責任は重大だ。メディアの無知が一県議の生命を奪ったと言っても過言ではない。言い換えれば、メディアはもっと熟成しなければならないのだ。自殺された瞬間、突然口をつぐむようなやり方などもってのほかで、むしろ、なぜこうなってしまったのかについて、自らの責任も含めて検証するような姿勢が必要。というか、それくらいのことをやらないと、いずれメディア=テレビはその存在根拠を失ってしまうだろう。

で、僕らとしてはこうったメディアのやり口にも、そろそろ慣れるべきだろう。つまり、メディアのこのやり方を見抜き、「もうそれはいい、飽きた」と一蹴するようなリテラシーを涵養すべきなのだ(ただし、こちらはテレビに関するメディアリテラシーだが)。商業主義=経済原理に基づいて動くことが基本になりつつあるメディア=マスコミを、僕らは最近「マスゴミ」と揶揄するようになっているが、こういった非難は、そういった意味ではきわめて健全なものと考えてもよいのではなかろうか。

ネットに書き込みするユーザーもまた容疑者

最後に、もう一つ、この事件の首謀者の一つとしてネットに関するリテラシーの低さを持った集団を挙げておこう。それはいうまでもなく「小泉県議」のブログを炎上させた人間たちだ。「匿名」という隠れ蓑をよいことに、市井の人間を「公人」であるからといって、あることないこと書き立て誹謗中傷する。でも、これってほとんど「通り魔」あるいは「無差別殺人」と同じ心性と言っても過言ではないだろう。もし、これが実名だったら絶対にできないこと(返り血を浴びる恐れがある)。で、そのことは無意識のうちに十分知っている。だから匿名で「便所の落書き」のように他者のブログに罵詈雑言を浴びせる。で、これは「便所の落書き」よりはるかに質が悪いものでもある。攻撃する他者が特定されているのだから。しかも執拗に繰り返されるのだから。

これはいつも新しいメディアが出現するときに起こること

さて、話をプロレスの流血事件に戻そう。この事件はモノクロテレビで放送されるプロレスの流血シーンでショック死した老人についての話だった。そして、もし、今、プロレスで流血シーンを見て(しかもカラーテレビのそれを見て)ショック死する人間がいたら、それこそ「珍事件」として別の意味でニュースになると指摘しておいた。逆に言えば、いまどきそんな人間はいない。なぜなら、いわば「流血リテラシー」=流血慣れっこ的心性がすっかり醸成されているからだ。

今回の「小泉県議ブログ炎上、そして自殺」事件は、まさにネットリテラシーに関する「プロレス流血シーン、ショック死」事件とまったく同じ構造といえる。ということは10年後、この事件を振り返った際には、人々のネットに関するメディアリテラシーが向上していて「いやー、そういえばそんなこともあったよね。でも、もし今こんなことがまた起きたとしたら、珍事件としてしか取り上げられないだろうなあ」ということになっているのかもしれない。そうなっていれば、今回自殺した「小泉県議」も、これを取り上げたメディアも、「県議」のブログを炎上させたネットユーザーたちも「恥ずかしい存在」で括られることになるはずだ。僕は、そうなることを祈っている。

要するに、僕らはまだまだインターネット社会の入り口いるに過ぎない。そのことを、この事件は僕らに教えてくれているのだ。

6月25日、岩手の小泉光男県議が自殺した事件。その原因にブログ炎上が関与しているのではないかと話題になったのは記憶に新しい。小泉県議は6月5日に更新したブログで、県立中央病院で受診した際、名前でなく番号で呼ばれたことに腹を立て「オレは刑務所に来たんじゃないぞ!」というタイトルで「会計をすっぽかして帰ったものの、腹の虫がおさまらない」等の書き込みを行い、これが元でブログが炎上。それを苦にして自殺したのではという論調が広がったのだ。

ちょいと古い話で恐縮だが、今回はこの事件をメディアリテラシー、とりわけネットリテラシーを軸にメディア論的に考えてみたい。ちなみに、こういった事件は新たなメディアが社会に普及する際に必ず発生する現象=副作用と僕は捉えている。県議を自殺に追いやったのは、こういった新たなメディアに対峙する様々な立場の人間(本人も含めて)のメディアリテラシーの低さが発生させるものと考えるのだ。ちなみにお亡くなりになった方には申し訳ないが、ここでは小泉県議が「ブログの件を苦にして自殺した」という前提で展開させていただく。いいかえれば、これを読まれる方は、ここでは実在した「小泉光男県議」というより「ブログでの誹謗中傷を苦にして自殺した岩手県議」という架空の設定で考えていただきたい(それゆえ以降、小泉光男県議を「小泉県議」と括弧書きで区別して表示する)。なんのことはない、ホントのところは絶対にわからないので。

62年に発生した視聴者のプロレスショック死事件

このことを考えるにあたって、一見なんな関係もなさそうな例を取り上げてみたい。時代は50年以上前の1962年4月27日に遡る。この日、プロレスの生中継が放送されたのだけれど、そこで銀髪鬼と呼ばれたフレッド・ブラッシーがお得意の噛みつき攻撃を力道山を中心とする三人に行った。その結果、当然のことながら対戦相手が額などから出血。ところが、これを見ていた視聴者の老人がショックで死亡したのだ。そして、このことからプロレスの流血シーンが過激すぎると問題になり世論を賑わせたのだった。それ以降、テレビ局は残虐なシーンは大写しにしないよう自粛したという。

カラー放送が始まった初期の頃の話なのだが、当時、一般家庭でカラーテレビを所有している世帯はほとんどない。だから、ショック死した老人の家庭のテレビもおそらく白黒テレビで見ていたと考えられる。つまり、映像に流れていたのは「赤」ならぬ「黒」の血だったはずだ。ということは、現在のスプラッター映画がするような派手な演出とはわけが違う。ところが、これが死に至らしめるまでの映像となった。

こんなことになってしまった背景には、当然ながら普及し始めたテレビという当時のニューメディアに対するリテラシーの低さが関与していると考えるべきだろう。プロレスはショーであるし、前述したように血は黒。ところが、これをリアルなものと捉えてしまう老人には、こういったメディアに対する相対化が働かない。だから映像は衝撃的となものと映ったのだ。一方、メディア=マスコミの方も同様で、こうやって死に至らしめたテレビのプロレスというコンテンツをやはり相対化することなく「問題系」としてクローズアップし、物議を醸す話題に仕立ててしまったのだ。まあ、当時、プロレスはエンターテインメントであるにもかかわらず、さながらスポーツとして扱われていたことを踏まえれば、こうやって問題視してしまうのも無理のないことかもしれないが。

だが、今や、こんな映像にすっかり慣れっこになってしまった現代人が、プロレスを見てたらショック死するなんてことは、先ずありえないし、もしそんなことがあったら、別の意味でニュースになるだろう。つまり「いまどき、こんなことでショック死する人間がいるのか?」という珍事件として。

ブログ、そしてインターネットリテラシーへの脆弱性

今回の「小泉県議」の自殺騒ぎは、50年前に発生した、このプロレスショック死事件と同じ構造で説明することができないだろうか。つまり新しいメディア(この場合インターネット)へに対するメディアリテラシーの脆弱性がなせる業、いいかえればインターネットを相対化できていないがために発生する事件であると。そして、このメディアリテラシーの低さはこの自殺騒ぎに関わった全ての人間たちが共有しているものであると。

それぞれについてみていこう。先ず自殺した「小泉県議」の低メディアリテラシーについて。

そのひとつはブログというメディアについてのリテラシーが低かったことだ。ブログは誰でも簡単に開設できる「放送局」。広く世界に情報発信が可能なメディアだ。ただし、一般の人間にとってはそれはあくまで「可能性の域」にとどまる。というのも、可能であったとしても、無名の人間のブログを閲覧しようとするような人間はほとんどいないからだ。だから、多少ヤバいことを書いたとしても、まあ、だいたいは馬群に埋もれてしまい、どうってことはない。

ところが、これが公人や知名度の高い人間となるとそうはいかない。つまりブログの「世界に向けての発信性」と「公共性」という特性が突然前面に現れる。だから、こういった「有名人」はブログをパブリックなものとして扱うことが前提になる。それを怠るとどうなるかというのが、今回の「小泉県議」のやったことだった(ちなみに、これはペニオクの宣伝をやってしまったタレントたちも同様だ)。つまり、本来だったらプライベートなエリアでのみ公開するようなネタ(外に出なけりゃ、別にこんなこと言っても問題がない)を、政治家のブログというパブリックなメディア上でおおっぴらにやってしまったのだ。要するに「ブログの使い方に対するリテラシーが低すぎた」というわけだ。で、一斉に非難ののろしが上がり、ブログは大炎上となった。

「小泉県議」のブログリテラシーの脆弱性はこれだけではない。どんなに炎上しようが、無視すれば問題がないからだ。つまり「鈍感力」でこれを乗り越えることも十分可能。だいたい、炎上させようとしている人間はネタとかヒマつぶしのために書き込んでいるというのが一般的。だから、ネタとして機能しなくなれば書き込みなど止めてしまう。ということは、しばらく黙っていれば、終わるもの(実際、もう終わっているし)。また、炎上させている人間たちの書き込む内容は必ずしも民意を反映しているわけではない。彼らのほとんどは匿名をいいことに、相手をそれこそ「酒の肴」に楽しむ輩。そして、こういった失言をネタにしてツッコミを入れる人間は、ほんの一部でしかない。だから、いちいち真に受ける必要などほとんどないのだ(例えば「とくダネ!」の小倉智昭などは「炎上なんてのはしょっちゅう」とネタにすらしている。あたりまえだが小倉は鈍感力が強いのだ)。つまり「どうせ、すぐに終わる。一部の人間たちのヒマつぶしの誹謗中傷遊びだ!」ということでタカを括ってしまえば問題はなかったのだ。

ところが、「小泉県議」はまあ、結構マジメな人間だったのだろうか。そのようには受け取らなかった。いいかえればブラッシーの噛みつきによる日本選手の流血シーンを真に受けてしまったものと同じ心性を持っていたのだ。「小泉県議」に必要だったのは「流血リテラシー」ならぬ「炎上リテラシー」だったのだ。

もっとも、これだけで「小泉県議」を自殺に追いやったと考えるのは、ちょっとナイーブすぎるだろう。今回については、ブログ炎上だけにとどまらなかったからこそ、事態は悪化したのではなかろうか。つまり、これにさらにかけられた「追い打ち」が決定打になった。そして、これをやってしまったのが本件に関わった人間たちのネットリテラシーの低さと僕は考える。じゃあ、それは何か?(続く)

僕の住んでいる川崎で、先日納涼盆踊り大会があった。場所は地区の小学校。町内会の一つとして僕らのマンションも出店した(マンションが大型なので、これで一町内の扱いになっている)。出し物はポップコーンで、僕はひたすらこれを作り続けたのだけれど(出店は、全て町内が出店することになっている)、店のテント越しに櫓の方を見続けていて、不思議に感じたことがあった。

川崎音頭と東京音頭が交互に流れ、状況に応じて太鼓が打たれることも。 催しは盛況でとにかく人がたくさん。ところが……櫓を囲んで踊っている人間がほとんどいないのだ。じゃあ、この賑わいは何を目的にやって来た人たちなのかと言えば、それは僕らの開いているような出店で買い食いをするため。前述したように町内単位での出店で(事前に学校前ではテキ屋が入らないようにロープなどを強いてロックアウトしている)、儲けを考えているわけでもないので、とにかく安い。たとえば僕の町内の出し物のポップコーンも一袋50円といった具合なので、こどもたちはワンコイン(しかも穴あきのそれ)で、いろんなモノを買い食いできるのがかなり楽しいらしい。おかげで出店は最後まで売りっぱなしだったけれど。

だが、この風景。ちょっと複雑なものを感じてしまった。

踊っているのはお年寄りだけ

僕が子どもの頃の60年代。地区の盆踊りは僕ら子どもたちにとってはプールの開放、海水浴と並んで夏の大きなイベントの一つだった。とにかく、当時は貧乏。だから海外旅行どころか、泊まり込みで行楽になんてことをする家庭も町内ではごく僅か。だから、子どもの僕、そして近所のガキたちにとっては盆踊りは待ちに待った大きな催しだった。

開催日の夜はとにかく盛況、足の踏み場もないほど。そして多くの人間、もちろん老若男女が櫓の周囲をゆっくりと回転しながら踊り続けた。子どもも同様で、その踊りの中で他の住民とシンクロし踊りに興じた。その渦のなかに入って一体になることがすごく楽しかったのだ。そして、ちょっと飽きてくると、周辺に出店したテキ屋の屋台でかき氷や綿菓子、リンゴ飴なんてのを購入するのがイベントの大きなアトラクションだった(メチャクチャ不潔だったが)。つまり、踊り→買い食い→だべり→踊り→買い食い→だべりみたいな循環が続く中で夜が更けていくというのが定番だった。そして、そこで、町内のいろんな人と顔を合わせたものだった。言うならば、集団的トランスの中に巻き込まれホリスティックなめまいに包まれた。

今回、見た風景はこれとは全く異なる。子どもたちの多くは踊ることなくとにかく買い食いを続ける。ちなみに、僕らの頃、これは当然ムリだった。貧乏だったから、買い食いできるのはせいぜい2~3品。しかもテキ屋がやっているので高い。だから買い食いするモノを慎重に選んだ(まあ、今考えればこれも楽しみの一つだったといえないこともないけれど)。一方、今の子どもたちにとっては、前述したようにほとんどがワンコインだから、実質バイキングに等しい。まあ、これはこれで子どもたちは十分楽しんだことだろう。そして、櫓の周りで踊っているのはごく僅かのお年寄りたちだけだったのだ。

個別化した盆踊り

僕が40年前、子どもの頃に楽しんだ盆踊りと現代のそれは、ひとつ根本的な違いが存在する。それは「みんなの盆踊り」なのか「個人あるいは家族の盆踊り」なのかの違いだ。つまり、同じように人が集まってはいるけれど、現在の盆踊りは地区の人間が一体となった状態ではなく、それぞれの家庭がモザイクのように混ざり合うことなく会場を埋め尽くしている。言い換えれば、それぞれがブラウン運動をしている。ようするに勝手に動いているのだ。それが同様の賑わいに見えるというわけだ。これが川崎という古い歴史を持つ地区の盆踊りでさえもという現実は、なかなかシビアなものと僕には映ったのだ。

翌日、盆踊りを主催した地区町内会のメンバーが神社の社務所に集まり反省会を開いたのだけれど、この催しでは、当然のことながら、この「踊らない盆踊り」が話題になった。まあ、これではいかん、というわけだ。伝統文化を守るためには、もっと踊りに力を入れなければという意見が趨勢を占めたのだけれど。

ただし、話はそこまでだった。おそらく、このままでは来年も同じことが繰り返されるのではなかろうか。というのも、これは言い換えれば地区、そして町内会という「共同体組織」の機能が弱体化していることを象徴する構造的問題だからだ。つまり、これは町内を構成する単位が「町内という組織」ではなく「家族」という単位となり、その利害に関わる限りで町内の活動が活性化するという図式なのだ。だから、普段の会合はなかなか盛り上がらず、メンバーも固定してしまっていて、しかも高齢化が進んでいる。ところが、こういったレクリエーション的なものについては住民がドッと押し寄せる。もちろん、それは町内(あるいは地区)のことを考えているのではなく、家族のちょっとしたレジャーの一環という位置づけで。

ということは、こういったイベントは、このまま続いて高齢者たちが地区や町内組織を仕切ることがなくなった場合、危機的な状況を迎えることが想定される。必然的に、これを維持させるためにはそのシステムの変更を行わなければならないということになるだろう。そう、「町内の個別化」という流れに対応したような再編成の必要が出てくるのだ。

こういった地区・町内組織の弱体化という問題は、もはや全国的な流れだろう。ただし、町内会的な自治組織が消滅するというのはかなりアブナイことでもある。だったら、どういったかたちでこれを存続することが可能になるだろうか?

家族単位、そして家族間が楽しめる町内会を

町内会は防災、相互扶助といった機能を満たすという意味できわめて重要だ。また、互いの顔が見えたり、相互に関わったりするメディアとなることで、住民の精神的安定を図る機能もある。ただし、現状の町内会的なやり方、つまり相互を拘束するようなかたちで半ば強制的にやらされるようなやり方はもはやダメだろう(妙ちくりんな政治力学が働いたりもするので、これもまた「うざったい」ものでもある)。ということは、本当に必要なこと(つまり防災や治安)以外はお金だけを集めてアウトソーシングしてしまう方が早い。それこそ「どぶ掃除」の類い(もうないか?こんなもの)は全てカネで解決したほうが、いい。

で、盆踊りのような純粋に娯楽に関するような催しでは、むしろ一見、マイナスに働いているかのような家族中心主義を、逆に町内活性化のために活用してしまうのがよいだろう。つまり、催しの多くはカネで解決するけれど、盆踊りについては、例えば地域の学校なども取りこんで、事前に子どもたちに練習させ(会場となる小学校が全学的に1時間でも同じ場所で練習すればそれで十分)、当日の参加を煽れば、出店だけでなく盆踊りそれ自体も盛り上がることになるだろう。家族揃って浴衣で登場なんてこともありそうだ。 こんな感じで踊り→出店→だべり(正し家族中心)という循環を復活させる。 そして、この盛り上がりが楽しければ、ワクワクドキドキ感はこれまでよりはるかに高まり、その結果、今度はその家族たちのいくつかが盆踊りの企画に参加してくれたりするという契機ともなり得る。こういった、もっぱらレジャーを前面に押し出す町内会となれば、若年層が参加することも期待できるのではなかろうか。「しがらみの町内会」ではなく「楽しい町内会」なのだから。そしてファミリーイズム?を高めることもできるのだから。

ようするに盆踊りがこんな状態になっているのは「盆踊り」がオールドファッションなのではなく、盆踊りを取り囲む環境の変化が問題なのであって、やり方次第では十分復活は可能と考えるべきなのだ。盆踊りも若者が入れ込んでいる「ダンス」というカテゴリーのひとつであることにかわりはない。ということは、やってみりゃ、これもすごく楽しいはずなんだから(そして今やダンスは中学校の必修科目になってもいるし、最近じゃフラッシュモブも大流行だ)。で、そこに新たなコミュニティのあり方が生まれる可能性もあるのではないか?

インタビューはどう見るべきか

さて、これまでインタビューが送り手と受け手の政治力学によるフィクションであることを指摘してきた。つまり実際に当人=インタビューイーから聞き出したにもかかわらず、結局は架空の作り話でしかないことを。では、メディアリテラシー的観点からすれば、インタビューについて、これに関わるわれわれはどういうスタンスを取るべきだろうか。最後にこれを考えてみよう。

先ず受け手=オーディエンスだが、これについては、ここまで展開してきたように、これをフィクション+政治的関数として捉える視点を持つ必要がある。つまり、すでに述べたように「prosumer=producer(送り手)+consumer(受け手)双方の視点を備える受け手」という立ち位置だ。言い換えれば、作り手=送り手側の視点を兼ね備えること。そのためには、先ずはインタビューを信用しないこと、インタビューが編集されているものと捉えることが肝要ということになる。ただし、これをインチキだと言って怒っていてもはじまらない。そんなことをやっているのは無意味だし、だいいち、これじゃあメディアリテラシーが養われない。それよりも、このインタビューがどういう構造になっているかを析出し、実際のところどうなのかを推測するような積極的な視点の方が重要。プロデューサー感覚で、インタビューを一つの作品として捉えることで、かえってここから必要な情報や、インタビューイーの実際のところを引き出すことができるからだ。

事実、どんなに加工された情報であったとしても、よっぽど出来が悪くない限りは、そこには得るものがだいたいは存在する。やるべきことは二つ。一つは、ここまで示してきたように編集を見抜き、この合間をかいくぐって必要な情報を抽出すること、もう一つはその編集の形式を読み取ることだ。前者は、ここまで展開してきたように、送り手の編集をめぐる構造をイメージすること、つまり誰がどのような意図でこのインタビューを編集しているのかを見いだし、それらを整理し腑分けすることによって可能になる。後者はインタビュー自体がどのようなスタイル=パターンでアプローチされているのかを見抜くことで可能になる。

NHKがイチローへのインタビュー番組でやったこと

前者については、すでに展開した。そこで、後者について一つエピソードを示そう。
イチローが262安打の新記録を打ち立てたときのこと。NHKはこれを取り上げ、「NHKスペシャル」で1時間のイチローへのインタビュー番組を企画した。ところが、これには問題があった。というのも、イチローは徹底して秘密主義を貫く男。だから質問が肝腎なところになると、全く答えてくれなくなるのだ。しかも、イチローはこのことをインタビューワーに明言している。つまり、肝腎なところになると少し沈黙し、考えた後、決まってこうコメントしたのだった。

「それは……言えませんね」

でも、これじゃあ話にならないというか、番組にならない。そこで、苦肉の策としてインタビューに資料映像を交え「お茶を濁す」形式で番組を構成したのだ。つまり番組自体を希釈するやり方に出た。

一見すると、これはNHKスタッフの完敗に見える。ところがそこはプロ。そうではなかった。番組スタッフはイチローから本音を引き出せないとなると、今度は別のアプローチでインタビューの様子を伝えたのだ。それは、まさに、このイチローの秘密主義を逆手にとって秘密主義それ自体を前面に押し立てるというやり方だった。つまり、肝腎なところになるとしばし沈黙し、言葉をゆっくりと探しながら、にもかかわらず「それは……言えませんね」と答えるイチローの姿をずっと映し続けたのだ。画面にはひたすら音のない映像が流れた。そう、「語りの少ないインタビューによるインタビュー番組」という形式が出来上がったのだった。

こうすると、たしかに本音=本来聞きだしたかった情報はわからない。ただし、イチローという人物がどういったキャラクターを持っているのかについてはきわめてビビッドに伝わるのだ。だから受け手としては、話をしないイチローに苛立つのではなく、イチローという人物像を見抜くと言うこと、それからNHKスタッフが焦って、こういう苦肉のスタイル=形式でコンテンツを編集していることを見抜くことが課題となる。実は、ここにこそ、インタビューを見る(あるいは読む)醍醐味がある。そして、そこにイチローの真実が垣間見える。

オープンリーチ式インタビューのススメ

一方、送り手の側にも課題が残る。ベタなインタビューを繰り返していれば、やがてパターンを受け手=オーディエンスに見抜かれることは必定だ。つまり、これまで展開されていた形式が見破られ飽きられてしまう可能性が高い。最近「マスゴミ」と批判されてしまう背景には、おそらく、こういったパターンへの受け手の「慣れ」が存在するだろう。だから、送り手としては新しい手法を考えなければならない。ただし、これまでのようなお茶を濁すような姑息なやり方にでは、もうダメだろう。というのも、受け手は情報化社会の中でかなりの成熟を見せているからだ。その多くが、あちこちから情報入手可能な環境に置かれているため「情報すれっからし」になっている。様々な情報の中で暮らしているので、一つの情報を相対化する視線が養われているのだ。だから、既存のインタビュー手法も、いずれ見破られるときが来る(というか、もはやかなり見破られている)。

こうなると送り手=インタビューを作る側としては、もうちょっとまともなことをやらないと埒が開かないということになる。そこで、僕は一つ送り手に提案したい。もはや、これまでのような勝手に文脈を構築し、その文脈に合わせてインタビューイーをはめ込むような決定論的なやり方は止め、むしろオープンリーチ方式でインタビューを構成すべきだと。ちなみにこれは社会学的な言葉を使うとM.ヴェーバーの「価値自由」という立ち位置になるのだけれど。

つまりこうだ。インタビューにあたっては、インタビューイーにこちらの意図を明確に伝え、その意図に同意してもらい、それに基づいて答えてもらう。発表にあたっては、インタビューを掲載・放送する前に、どのような立ち位置、意図でこのインタビューを行ったのかを受け手=オーディエンスに前もって伝えておく。また、どの位置を切り取ったのか、どう編集したのかについても公表する。

で、こういった「馬鹿正直インタビュー」。時間はかかるが、実は結構、面白いのではなかろうか。というのも、これは受け手の好奇心をかき立てる可能性があるからだ。テレビ番組で「シルシルミシル」や「がっちりマンデー!!」など、製造過程や営業方針などの仕組みを紹介する番組が最近ウケているが、これなどは典型的なオープンリーチ的な手法だ(まあ、本当に都合の悪いところは隠されているのではあるけれど)。これは知的なエンターテインメントにもなるし、受け手にメディアリテラシーを涵養する効果もバツグンだ。ただし、原則、全部晒してしまうので、送り手側の制作レベルがモロにわかってしまうものでもあるのだけれど。

もう、そろそろ、このレベルのことを始めるべきと僕は考えている。

前回はインタビューがインタビューイー(話し手)とインタビューワー(聞き手)、さらにこの二人を取り囲む様々な関係者の政治力学による創作=フィクションであることを示しておいた。そうはいっても、インタビューには作り方のパターンが存在する。今回はこれについて展開してみよう。ただし、ここではその最小単位としてのインタビューイーとインタビューワーによるやりとりだけに限定する。

取材インタビューと人物インタビュー

インタビューはその目的によって大きく二分できる。「取材インタビュー」と「人物インタビュー」だ。この二つは「手段」と「目的」が全く逆になっている。

「取材インタビュー」とは何らかの事柄についての情報入手が必要で行われる場合のインタビューをさす。その際、最終的なアクセス先、つまり目的となるのはインタビューイーが持っている知識であり、インタビューイー自体はその知識を入手するための手段でしかない。たとえばポルトガルの経済情勢について情報が必要であるならば、ヨーロッパの経済情勢に詳しい専門家にこれをたずねることになる。この時インタビューワーが必要としているのは専門家=インタビューイーが持っている知識それ自体であり、専門家自身に関心はない。言い換えれば、ポルトガルの経済情勢について語ることができる人物であれば、それは誰であっても構わない。それゆえ目的=情報、手段=インタビューイーという図式が成立するわけだ。ちなみに、こういったインタビューは、一般的にはしばしば「ヒアリング」という言葉で表現されることが多い。

もうひとつの「人物インタビュー」は、逆に目的=インタビューイー、手段=情報となる。つまり、「その人が何を、どのように語るのか」が問題となる。誤解を恐れずに表現すれば、そこで語られる情報それ自体はあまり重要ではない。むしろ、その語り口としての人の魅力が問題。だから、これは他の人間で置き換えるわけにはいかない。で、一般にインタビューと呼ばれるものは、しばしばこちらの形式をさしていることが多い。そして、これがインタビューの魅力の本質でもある。そこで、こちらのインタビューがどのように構成されるかについてみていこう。

二人でもう一人のインタビューイー=分身についての対談を行うこと

人物インタビューは、一言で表現してしまえば「インタビューワーとインタビューイーによる『もう一人のインタビューイー』についての論評」だ。ちょっとわかりにくいので具体例を出しながら説明してみよう。

文春新書に『ポスト消費社会のゆくえ』(2008年)という文献がある。これは80年代バブルがどのようなものであったかについて社会学者の上野千鶴子と直木賞作家の辻井喬が対談しているものなのだが、このとき80年代を語るに当たって二人は一人の人物の評価を中心に議論を進行していく。それはセゾングループの総帥であり、80年代バブルの立て役者であった堤清二だ。ご存知のように堤はパルコや西武美術館、インターコンチネンタルホテルなどを手がけ、まさにバブルの申し子的存在だった。この堤が何を考えていたのかを二人が議論することで80年代消費を明らかにしていくというのがここでの展開。

ところが、この文献はもっぱら上野による辻井への質問という形式=インタビューになっている。つまりインタビューワー=上野、インタビューイー=辻井という役どころなのだ。こうなってしまうのは、言うまでもなく堤清二とは辻井喬のことだからである。辻井喬は堤清二のペンネーム。上野はあえて二人を分離することで、一見、辻井との対談の形式を採るのだが、実質的にはこれは堤清二への実質的なインタビューになっているのだ。だから、ときどき「でも、あのときあなたは」的な発言を上野が投げかけたりもする(その時には辻井は突然、堤になってしまうのだが)。

これが人物インタビューの典型的パターンなのだ。つまりインタビューワーはインタビューイーに語りかける中で、インタビューイーにもう一人の自分、言い換えれば対象化されたインタビューイー(区別するために、これを「インタビューイー2」としておこう)を思い浮かばせ、それについてインタビューワーとともに語り合うという状況を作り出す。上記の例に従えばインタビューワー=上野千鶴子とインタビューイー=辻井喬によるインタビューイー2=堤清二についての語り合いということになる(ということは、このインタビューでは上野が本書で指摘しているように、堤と辻井は本名とペンネームが逆転していることになる。つまり辻井こそが本名=本人で堤がペンネーム=イメージする他者としての自分になってしまっているのだ)。

どうやってインタビューイー2を浮かび上がらせるか?

ただし、インタビューイー2をインタビューイーに思い浮かばせ、これをインタビューワーが共有しつつ語り合うためには手続きが必要だ。これができない場合、インタビューはしばし迷走し、わけのわからないものになる。そこで、その典型的な手法を紹介しよう。

具体的な手順は概ね次のようになる。たとえばシェフに自分の料理哲学を語らせるとしてみよう。その際、先ず行うのは「今、どんなことをやっているか」について表層的かつ具体的な事柄をたずねることだ。たとえばどんな料理を作り、どんな経営をし、どんな一日を過ごしているかなどが、日常の属性的項目が質問内容だ。いいかえれば現状のシェフとしての生活の空間軸を引き出す。だが、この時点でインタビューイーはまだ自らを対象化できていない。つまり、インタビューイー2をイメージできていない。これはもちろんインタビューワーも同様だ。

次に、時代をシェフを始めた時点にまで遡る。なぜ、この世界に入ったのかというスタート地点を聞き出すのだ。そして、その時点で何を始め何をやったのかをたずねる。つまり時間軸的に遡り、現在についてと同様、その時点での空間軸を尋ねるのだ。これでシェフの歴史の始めと終わり=現在の間に歴史の軸の両端が出来上がる。

さらに、今度はその軸の中間地点としての出来事についてたずねる。たとえば、修行が終わって一本立ちし店を開いたときとかが、これに該当する。もちろんここでも、その時点での空間軸について話を聞き出す。

こうやると、結果としてインタビューイーとインタビューワー双方に、インタビューイー2についての人物伝がイメージされ、これが共有される。そして、これについて二人が議論を始めるのだ。それは、さながら戦国武将好き二人が織田信長について語り合うような状況になる(ただし、この際、もちろん信長のプロパーはインタビューイーだ)。

最終的に、話は現在に戻ってくる。つまり、現在の仕事について改めて様々な質問を用意するのだ(いいかえれば「ここまで話してきた織田信長って、結局、現在のあなたのことですよね」とインタビューワーが問いただしていることになる)。ただし、本人についての現在の質問であったとしても、これは最初にたずねた内容とは異なり、こういった一連の物語が共有された中で、これを踏まえながら現在の状況を対象化、相対化しつつ語ることになるので抽象度が高まってくる。つまり、最初の現在についての質問が表層であったのに対して、こちらはインタビューイー2についての語りゆえ、その内容は深層に立ち入ることになる。さらに、これらを踏まえて、未来を語らせる。こうすることでインタビューワーはインタビューイーからシェフの料理哲学を抽出することが可能になるのだ。

面白いことに、こういった手続きは、しばしばインタビューイー側に発見をもたらすことになる。つまり、語りながら、自らを省察することになるので、自分がこれまでやってきたことについて新たな発見をすることにもなるのだ。それは要するにインタビューワーがインタビューという行為によって引き出したものに他ならない。

ただし、それは、やはり結果としてインタビューワーとインタビューイーによる創作ということになるだろう。インタビューワーはこうやって話を聞き出すとしても、やはり、この人物のある側面に焦点を当てつつこれを展開していることに代わりはない。前述の上野千鶴子の例なら、彼女は「80年代バブル消費の責任者としての堤清二」という視点に基づいた辻井喬との創作、合作なのだから。

さて、こうやって作られる作品としてのインタビュー。これをわれわれはどういうスタンスで扱うべきなのだろうか?(続く)

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