勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2013年05月

「とくダネ!」での小倉の魅力はシステムがあって初めて成立していた

ゼロ年代、「とくダネ!」はその形式=システムの妙で聴衆を惹きつけることに成功していた。キャストの役割分業が明確に規定され、その中で各メンバーがインタープレイ=ジャムセッションを繰り広げる。こういった安定した構造の中、リーダー=スタープレイヤーの小倉智昭は思う存分自らのアドリブを展開することが可能だった。しかも、それが多少乱暴なものであってもショックアブソーバーの機能がビルトインされていたので、何ら問題はなかった。この時期、「とくダネ!システム」という形式は魅惑的なアンサンブルを提供することで聴衆=視聴者を巻き込んでいたのだ。

いいかえれば、「とくダネ!」の魅力はこのアンサンブルにあるのであって、個人の力量には還元されない。その最たる存在が実は小倉自身だ。小倉は「とくダネ!」以外の番組に出演する際には以外とパッとしない。小倉の出自は東京12チャンネル(現テレビ東京)の競馬中継だ。だから原則一人で仕切るというのがパターン。番組を小倉に丸投げし、好き勝手なことを、多少乱暴にやらせるというのに妙がある。ニッポン放送で夕方に放送されていた「夕焼けアタックル」はその典型で、持ち前の博識と好奇心を前面に出しリスナーを獲得することに成功していた。

だから仕切れない番組に登場する際には、全くもってパッとしない。嵐の番組などに出演した際には、ほとんど「借りてきた猫」状態で、「とくダネ!」での輝きはない。また「とくダネ!」の全盛期、番組はゴールデンタイムにまで進出したことがあったが、これは名前こそ同じだったが、メンバーも異なり観客席を設けたりしたこともあって、朝のシステムとは全く異なった、小倉の仕切りをマイナスに作用させるものになった。その結果、システム=形式は作動せず、これを楽しめない視聴者はそっぽを向いてしまったのだ。

要するに小倉は、仕切らせ、そしてその仕切りを十全に発揮できる形式=システムが備わることで輝くパーソナリティなのだ(だからラジオ番組のパーソナリティや競馬の実況中継といったピンの番組が向いている)。それが多少乱暴であったとしても、だ。

じわじわと押し寄せるシステム崩壊の影

「とくダネ!」は2010年くらいからその形式がゆっくりと崩壊し始める。原因は、次第にメンバー全体が「小倉イズム」に染まっていったことにある。番組のスタッフ構成自体は小倉、メインアシスタント、プレゼンター、そしてコメンテーターと変化はないが、このうちメインアシスタントとプレゼンターがその役割をだんだんと失っていったのだ。

「お利口」になった笠井信輔とプレゼンター

先ずメインアシスタント。男性メインの笠井信輔は、前回示したように日和見の狂言回し的な「視聴者=素人の代表」的役割を演じていたが、次第に勉強し意見するようになっていった。つまり日和見ではなくなっていった。そして小倉の意見に追従するような語りを見せ始める。だが、これはそれまでのメインアシスタントに振られていた役割の逸脱に他ならない。そして、それはイコール狂言回し=視聴者の代表というコマが失われたことを意味する。

プレゼンターたちも同様だ。彼らもまた笠井と同様「賢く」なっていった。つまり、マスゴミ的なベタな語りはやめ、小倉に頷いてもらえるような語りになり始めたのだ(相変わらずマスゴミ的なベタな語りをやるプレゼンターはデーブ・スペクターだけになってしまった。もっともデーブはコメンテーターでもあるのだが)。

こうなるとマスゴミのベタな図式にツッコミを入れるという第一の相対化の図式が崩壊する。なんのことはない、み~んな小倉(プチ小倉?)になってしまったのだ。だが、これは言い換えれば小倉のクリエイティブだけれど乱暴なパフォーマンスの「乱暴」な部分が前面に出てくるということでもあった。いわばスタッフ全部で小倉的な「クドさ」「乱暴さ」を視聴者に投げつけるという図式になったのだ(小倉が以前にも増してクドくなったとか、乱暴になったとか言うわけではない。あくまでシステム=形式の関係上、そうなってしまっただけだ)。

女性メインアシスタントによるショックアブソーバーの機能の喪失

そして、ショックアブソーバーの役割を演じる女性メインアシスタントもその役割が縮小、消滅していく。さながら「お釈迦様」の存在であるかのように「小倉孫悟空」の乱暴なパフォーマンスを寡黙と東大卒という権威で押さえつけるというパフォーマンスに成功していた佐々木恭子が降板し、2009年中野美奈子に変更した途端、ショックアブソーバー機能が弱化したのだ。中野もまた佐々木と同様、寡黙で地味な役割に徹していたのだが、彼女には東大という権威はない(中野は慶応出身)。そして、いわゆる普通の女子アナ(いわゆるアイドルっぽいフジテレビの女子アナ)のイメージが強い。この二つが結びつくと、中野の寡黙は佐々木のそれとは違い「頭が悪い」というイメージに結びついてしまうのだ(これも佐々木の「頭の良さ」というイメージ同様、実際に中野が頭が悪いということとは一切関係ない。そのようにみえるというイメージの問題に過ぎないことをお断りしておく)。こうなると中野は佐々木のような小倉の乱暴さ、勝手気ままさのかすがいになるような威厳=役割を持つことができない。


「とくダネ!システム」が備えていた二重の相対化機能の消滅

そして、この威厳の無さは二つ目の相対化、つまり「小倉のモノのイイもあまたある視点の一つに過ぎない」というモノの見方を視聴者に促す働きも喪失させてしまう。つまり、笠井とプレゼンターの「プチ小倉化」と女性メインアシスタントのショックアブソーバー機能の喪失によって、小倉の「勝手気まま」「クリエイティブ」は「乱暴」というイメージに転じてしまったのだ。

こうして「とくダネ!システム=形式」は小倉イズムに浸食されていった。だが、それは必然的にクドい!ウンザリだ!ということになる。しかも、そこから視聴者が啓蒙されるものもなくなった。情報相対化の促しとジャムセッションの楽しみを提供する機能を「とくダネ!」は喪失してしまったのだ。(ちなみに、繰り返すが、これは小倉自身が変わったからそうなったのではなく、システムが変わったがゆえに小倉の乱暴さ、クドさが浮上しただけに過ぎない。だから、このシステムの崩壊を小倉の責任に特化するという”単純化”はできない)。 

テコ入れをすればするほど、番組は小倉だらけになってしまう!

「とくダネ!」としてはテコ入れをしなければならない。そこでいくつかの手を打った。一つはオープニングトークの廃止だ。番組内では冒頭で小倉が任意にチョイスしたトピックについて五分程度のトークを展開していたのだが、これをやめた。そうした理由は言うまでもなく、小倉イズムでクドくなった番組を多少なりともマイルドにしようとしたからだ。言い換えれば番組スタッフはオープニングトークを小倉イズムの象徴的な存在とみなしたからに他ならない。しかし、これは視聴率低下の原因である「小倉のクドさの前面化」をシステムではなく小倉個人の資質の問題とみなしてしまったことの誤りだ。つまり処方を間違っている。だって、問題はシステム側にあるのだから。

二つ目は女性メインアシスタントの変更だ。12年7月からは中野に代わり、タレントの菊川怜が起用された。こちらはおそらく、というか間違いなく「権威」の復権を図ってのものと思われる。菊川も佐々木と同様、東大卒。だから、その威厳が働くと考えたのだろう。だが、初代の佐々木恭子がとくダネ!システム=形式の中で果たした最も重要な役割は、小倉の乱暴に対するショックアブソーバーの機能。東大卒の威厳はこの機能を十全に働かせるために副次的用いられていたに過ぎない。

そして、菊川にはショックアブソーバーの機能は全くといっていいほどなかった。彼女はまさに「東大出の才女」というキャラクターで番組の中に立ち入り、さまざまなコメントやトークを展開したのだ。ということは、これはとんでもなくまずいことになる。小倉と、プチ小倉と、小倉ばりに乱暴にモノを言う女性メインアシスタント菊川=もう一人の小倉、という構成で「とくダネ!」が進行してしまうからだ。つまりみ~んな小倉になってしまった。それは、要するにクドさの上塗りにほかならないわけで、こりゃどうみても視聴者は、引いていくことになる。さながらテレビから視聴者が攻撃されているようにすら思えるのではないだろうか(だから菊川がクドく見えるのは、実は彼女自身のせいではなく、こういった構造の中でそのように見えるようになってしまっただけのことなのだ。つまり「み~んな小倉化」にトドメを刺した。まあ、もちろんちょっと癖のあるキャラクターであることは否定できないけれど)。

コンテンツのテコ入れも負のスパイラルを招く

システムがだんだんとまずくなっていったとき、これをなんとかしようともがき始めると、かえってもがいたぶんだけ、いっそうまずくなっていくという「負のスパイラル」=底なし沼現象が発生することがあるが、「とくダネ!」はその典型だ。前述のキャストの入れ替えがまさにそうだったのだけれど、番組編成の変更もまたこのスパイラルに陥っている。「とくダネ!」のスタッフたちが番組のテコ入れとして考えたのは「情報密度のアップ」だった。つまり、これまでの「情報量はともかくとして、丁々発止でやっていく」というスタイルを排し、情報量を多くして本格的な情報提供=報道番組的な色彩を濃くしていったのだ。具体的には、同時間帯のワイドショーとかぶらないネタを多くし、それをマジメに報道するというスタイルだった。

しかし、これが全くもってマイナスにしかならない、つまりいっそうの「負のスパイラル」を招いてしまうであろうことは、ここまで今回の特集に付き合ってくださった方ならもはやお解りだろう。ワイドショーの魅力は情報内容=Whatではなく、情報形式=Howにあるのだから。「とくダネ!」スタッフがやっているのは本来の魅力であるHow=形式が崩壊したことに対して、What=内容でカウンターをあてようとしている。しかしワイドショーの魅力は形式、プレゼンテーションにあるわけで、こういったテコ入れ戦略は全く的が外れているどころか、いたずらに情報量を多くすることで番組をわかりづらくしてしまう。しかも、他局と重複しないネタは原則マイナーなので、それ自体が魅力的ではない。そして、それを「み~んな小倉軍団」が乱暴に喋りまくれば……究極のクドい、暑苦しい番組が出来上がってしまうのだ。そして、そこに楽しいジャムセッション、インタープレイはなく、「金日成生誕百年祭」のようなマスゲーム的で硬直した、一方的で、直線的で、絶対的な情報の投げつけが繰り広げられる。そう、それが現在のシステムが壊れた「とくダネ!」の現状なのだ。

かくして「とくダネ!」はどんどんと凋落していくということになった。しかし、じゃあもう「とくダネ!」はダメなのだろうか?いや、そういった結論は時期尚早だろう。まだ、やるべき手立ては残っている。小倉も、菊川も相変わらず”逸材”であることにかわりはないのだから。でも、どうやって?……それは、ようするに形式の復活、具体的には相対化システムの復活にあるということになる。つまり「情報プレゼンター」という、看板通りの番組に戻すことにあると僕は考えるのだ。

でも、どうやって?次回は最終回。これについて考えてみたい。(続く)

形式化は番組に対する親密性を形成する

ワイドショー「とくダネ!」の凋落について考えている。前回はワイドショーの魅力が「情報内容」よりも「情報を伝える形式」、すなわちWhatよりもHowにあること、そして「とくダネ!」は形式=Howを突き詰めたがゆえに人気を獲得可能になったこと、だがその形式が今やマクロレベルでもミクロレベルでも崩壊していることを指摘した。そこで今回は全盛期の「とくダネ!」の形式がどのようなものであったのかについて見てみたい。

前回の復習になるが、われわれがワイドショー、いや番組全般に関して魅力を抱くのはその内容よりもむしろ番組の形式=Howだ。そして、その形式=Howが安定した構造、つまり一定のパターンを確保したとき、視聴者にとって番組は親密なものになる。ちなみに、この時、そのパターンはどんなものであっても構わない。とっかかりの魅力に安定した構造が備わり、そして維持できれば、視聴者はこれに愛着を覚え、継続的に接するようになるのだ。

ワイドショーではないが、テレビ番組として安定した構造=形式を備えているものをあげてみよう。最も典型的なのはアニメ「ドラえもん」で、これは問題状況の出現(ex:ジャイアンに殴られた)→解決手段の提示(ex:ひみつ道具)→一旦解決(ex:道具を用いての問題解決)→悪用(ex:道具の応用)→因果応報というパターンで構成されているのだが、この構成が全ての作品の九割以上を占めるのだ(これは「水戸黄門」や「生活笑百科」「笑点」なども全く同じ)。視聴者は、この同じパターンを身体的に熟知するがゆえに、作品全体が了解可能なものとなる。そして、このパターン上で繰り広げられるアレンジ=バリエーションを楽しむのだ。

登場人物たちが繰り広げる役割に基づいたインタープレイ

この安定した構造=形式がミクロ、マクロ二つのレベルでがっちりと作られ、それによってさらに創発的な魅力を放っていたのが全盛期の「とくダネ!」だった。

はじめにミクロレベルの形式=登場人物の役割について。役割は司会者=小倉智昭、メインアシスタント=笠井信輔・佐々木恭子(二人の役割は全く違っている)、プレゼンター(アナウンサー、レポーター)、コメンテーターの四つ。そして、それぞれの役割は厳密に固定されていた。そしてそれぞれが自分の持ち分を堅持つつ、さながらジャズのようにインタープレイを繰り広げた(リーダーかつスターミュージシャンはもちろん小倉だ)。これがマクロの構造、つまり登場人物間でのコミュニケーション形式=互いの絡みだ。

その展開を見てみよう。先ず、番組の中でトピックの口火を切るのはプレゼンターだ。この役割が演じるのはきわめてベタなマスコミ的な語り、いわば「マスゴミ的語り」だ。メディアの常套句=クリーシェを並べるのがお約束。中にはこのクリーシェをやたらとデフォルメするキャラクターも存在した。これが説明をカリカチュアライズするにはわかりやすいので取り上げてみよう。典型例は当時リポーターだった大村雅樹だ。大村はサッカーのジャパンーコリアワールドカップの際には「安心理論」と称してもっぱら日本チームに都合のよい情報ばかりを集め、必ず日本が勝つという荒唐無稽な図式を一貫して展開し続けた(ちなみにデーブスペクターや、当時芸能レポートをやっていた芸能レポーターも全く同じ役所だった)。

大村のやり方は、まさに「マスゴミ」と揶揄される、独断と変更に満ちた、それでいてクリーシェ=定型からは外れないという報道のやり方を拡張したものだが、これを「爽やかモード」で展開していたので、いわばパロディ的なところにまで昇華されていた。こういったベタな語りが先ずは番組の「叩き台」になる。そして、これをまさに「叩く」かたちで番組は進行する。先鋒を切るのはいうまでもなぐ小倉だ。小倉は、大村のようなプレゼンターのそのベタなモノのイイに対して豪快にツッコミを入れる。その典型的な決め台詞が「みたんかっ!?」だった。芸能レポーターのように、伝える内容を強引な解釈と憶測で展開するプレゼンターに、見てきたような嘘をついていると”待った”をかけたのだ。つまり、小倉はマスゴミ的な嘘っぽい報道を、根拠なきものとして、笑いとともに相対化するまなざしを視聴者に向けさせたのだ。そしてメインアシスタントの笠井はいわば日和見の狂言回し(あるいは”うっかり八兵衛”)。ベタな図式と小倉のツッコミの間で右往左往する。言い換えれば笠井は状況が読めずにテレビを見ている視聴者の代表的存在だ。一方、コメンテーターたちは原則、小倉のツッコミ、そして見解に同意を示しながら、これを傍証したり、考え方のバリエーションを示したりする。援護射撃と議論の広がりを示すのがその役割だ。そして残りのメインアシスタントである佐々木恭子はいわば「ショックアブソーバー」。小倉の過激なパフォーマンスで毒気が番組内に充満してしまういそうになるところを、彼女がテキトーにあしらうような喋りをして全体のムードを和らげる。そして、こういった「ジャムセッション」に視聴者たちは熱狂したのだ。ということは、視聴者たちはこの形式、そしてそこから発せられるインタープレイ=アドリブの妙が楽しくて、ワクワクドキドキしながら「とくダネ!」にチャンネルを合わせていたということになる。いいかえればネタ=情報内容はなんでもよかったのだ。これこそ、まさに”形式の妙””メディアのメッセージ性”と呼ぶものに他ならない。

2.5次元のパーソナリティ、小倉智昭

さらに、こういった「とくダネ!システム」は、視聴者を啓蒙することも可能にしていた。レポーターやアナウンサーがマスゴミ的報道に徹し、それに対して小倉がツッコミを入れるとき、小倉はテレビのディスプレイの向こうからこちら=茶の間に飛び出してくる。つまり、茶の間の側の視聴者の側にまわってテレビにツッコミを入れているのだ。もちろん、実際には小倉はディスプレイの向こうにいるのだけれど、こうやって二次元的なベタな報道に異を唱えることで、報道のもう一つの視点を提供することに成功していたのだ。これはメディア論=マスコミ論で行くところの「オピニオン・リーダー」という役割になる。つまり、小倉はマスメディアの情報をかみ砕いて一般大衆に伝えるとともに、その読み方を提示する(これは「コミュニケーションの二段の流れ」と呼ばれている)ディズプレイ内の「公衆」を演じていたのだ。僕はこういった小倉の役割を「2.5次元のオピニオン・リーダー」と名付けておいた。ディスプレイ上の向こう=二次元に身を置きながら、さながら茶の間=三次元にいるかのような立ち位置で語ったからだ。もちろん、これを可能にするのが他のメンバーの役割で、言い換えれば小倉の2.5次元性は、こういった「とくダネ!システム=形式」によって可能になっていたのである。

視聴者のメディア・リテラシーを涵養していた

そして、この形式が視聴者に与えた啓蒙とはメディアリテラシーの涵養に他ならない。具体的には、ひとつは前述したように、先ずそれは情報ソースを相対化する視線を提供するというものだった。マスコミ的なベタなクリーシェとしての情報提供を、ただ単に「マスゴミ」といって片付けるのではなく、これにツッコミを入れ、別の視点を提示することで情報のオルタネティブな見方を提供したのだ。

ただし「とくダネ!システム=形式」によるメディアリテラシーの涵養はこれだけにとどまらなかった。というのも、さらに一歩進んで小倉のオルタネティブな見方が相対化されるような構造も出来上がっていたからだ。この時、重要な役割を演じていたのが、実は佐々木だ。佐々木は一応は小倉の意見に相づちをうっているようにみえるのだが、その一方で、前述したように小倉の意見を流してしまうような役割も演じていた。実際に流していたかどうかはともかく、世間にそのように思わせるのを可能にしていたのは、要するに彼女が「東大卒」という学歴だったからだろう。つまり、小倉のことをハイハイと聞いているように見え、何も抵抗しないが小倉よりも学歴が上(小倉は獨協大学卒)、しかも最高学歴であるということから、実は何でも知っているけれど黙っているだけ、といったような印象を与えることに成功していたのだ(実際に佐々木が知っているかそうでないかは、この際どうでもいい。要は「そのように見える」ことが重要なのだ)。こうなると小倉は佐々木恭子というお釈迦様の手のひらで暴れている孫悟空ということになる。

だから、結果として情報は二重に相対化(情報の相対化+小倉の相対化)されることになる。そうすることで視聴者は情報の多面性を理解し、そこから主体的に判断する、あるいは自分もとくダネ!のメンバーとなって自分なりの視点で考えなければならないというような姿勢をとることが啓蒙されていたのである。

これを傍証する最も典型的な形式が、小倉の各コーナーでの最後の決め台詞だった。

それは

「私はこのように思いますが、みなさんはどうお考えでしょうか?」

つまり、自分の意見を明確に主張した後、自らそれをあまたある意見の一つとして相対化し、決定権を視聴者に委ねたのである。

こういった「相対化を促すシステム」の中にあったからこそ小倉は自由に振る舞うことができたといっていいだろう。つまり、どれだけ自説を過激に説いたところで、佐々木が、そしてこのシステム全体がしっかりとショックアブソーバーとして作用し、その結果、これによって小倉の毒気が抜かれるとともに、その一方で小倉はこういった「安全弁」があることで、一層自由に振る舞うことが可能となっていたのだ。そして、このようなメンバーのやりとりの形式=インタープレイは視聴者にとってはきわめて知的な刺激であった。


だが、このシステムが壊れるときがやって来た。それは、菊川怜が登場したとか、小倉の賞味期限が切れたからとかという矮小化された原因によってではない。それは、長い時間をかけてじわじわと進行していったのだ。次回は、このシステム=形式の崩壊過程についてみていく。(続く)


※前回、「とくダネ!」の表記を間違えて、ひらがなとカタカナを逆にし「トクだね!」としてしまいました。お詫びして訂正します。

長期低落を続ける「とくダネ!」

かつて朝のワイドショーの王様だった小倉智昭の「とくダネ!」の失速が止まらない。かつてこの時間帯ではぶっちぎりだったが、現在では「スッキリ!」「モーニングバード」二つに抜かれている状態で、視聴率も5~8%程度で低迷している。

この原因として指摘されているのが昨年7月から女性メインアシスタントが中野美奈子に代わり起用された菊川怜の存在と小倉の賞味期限切れだ。前者は「やたらとベラベラ意見を言ってうるさい!」というような批判が典型で、これまでのどちらかといったおとなしいキャラ(中野と佐々木恭子)と違うところに違和感を感じるらしい。後者は、要するに小倉の方法論がワンパターン化してしまい、見抜かれてしまってアキたというところだろう。

僕はかつて「とくダネ!」について本ブログで絶賛したことがある。2007年のことで(「小倉智昭~2.5次元のオピニオン・リーダー」http://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/archive/2007/02/20)、この番組、そして小倉が旬であった頃だ。その頃と見比べてみると、やはり明らかに番組の劣化は覆い隠すことができない。かつてのようなワクワク感、華やかさが欠け、取り上げている特集もつまらないものになってしまっているように思えないこともない。気がつくと、僕も最近は他のチャンネルに番組を合わせることが多くなった。

そこで、今回は「とくダネ!」のこの凋落原因について考えてみたいと思う。ただし、前述したような菊川怜のでしゃばりだとか小倉智昭の賞味期限切れという個人に責任を特化するようなやり方ではなく、メディア論的視点から。言い換えれば「トクだね!」というシステムが崩壊しているという視点から考えてみたい。

ワイドショーの魅力は情報ではなくプレゼンテーション

先ずワイドショーといったジャンルの魅力はどこにあるかについて確認しておく。一般にワイドショーは「情報を提供する番組」という認識がなされている。確かに政治や事件、経済、芸能、スポーツなどについての情報が満載されてる。ただし、その「魅力」はどこにあるのかと言えば、実は情報それ自体にはほとんどない(あるのは特ダネをスッパ抜く場合に限られる)。魅力のポイントとなるのは情報の内容ではなく、むしろ情報を伝える形式にある。つまり「What=何を伝えるか」ではなくHow=どう伝えるか」が重要なのだ(これはメディア論では「メディアのメッセージ性」と呼ばれている。「情報それ自体よりも情報を伝える手段の方がモノを言う」というM.マクルーハンの考え方だ)。これは、たとえば同時間帯に放送されるニュースやワイドショーの取り上げる情報内容はほとんど同じであるにもかかわらず、視聴率に差が生じるのだけれど、これは、要するにその番組の形式であるとか、それを伝えるパーソナリティの魅力によって決まるのだ。

その具体例を、直近の例で見てみよう。ご存知のように5月5日の午後一時から東京ドームで長嶋茂雄と松井秀喜の国民栄誉賞授賞式と、松井の引退セレモニー、そしてこの二人による始球式が行われ、生中継された。その後、このシーンは翌日まで何度となくニュースやワイドショーで放送されたが、同じ映像を何度も繰り返し見た人間はおそらく非常に多いだろう。だが、もっぱら情報内容が必要であるならば、このような行為をする必要はない。一度見れば情報は充足されるからだ。じゃあ、なぜやるんだ?ということになるが、それはこの情報内容の「伝え方」に興味をもっているからだ。つまり夕どきや深夜のニュースがが、そして朝のワイドショーがどう伝えるか、誰がどう伝えるかに関心が向かっているのだ。たとえば徳光和夫がこの式典の後に記者会見を開き、その様子があちこちで報道されたのはこの典型。ようするに徳光が受賞するわけではなく、長島フリーク、巨人フリークの徳光がこのセレモニーをどう見たかを知りたい、つまりHowの視点にもっぱら焦点を当てたものだったのだ。だから番組の魅力はプレゼンテーション=形式にあると考えていい。

「とくダネ!」は、この形式的側面=メディアのメッセージ性に特化した番組の典型的存在だった。それを傍証するのが番組タイトルだ。先ず「トクだね!」の前に「情報プレゼンテーター」とあり、これがプレゼンテーションを意図した番組であることを示している。そして、その後に「特ダネ」ではなく「とくダネ!」が続くが、これは情報内容:「特ダネ」=とってだしのスッパ抜きではなく、「とくダネ!」=おとくなダネ(種=ネタ)を意味しているというわけだ。

そして、この「形式」にこだわった「トクだね!」という番組は、21世紀のゼロ年代、見事にメディアの流れに乗ることができたのだ。

だが、その特ダネの形式的側面が、現在は崩壊してしまっている。崩壊しているのはミクロな形式=登場人物に割り振られた役割の崩壊、そしてマクロな形式=登場人物間でのコミュニケーション形式の二点。言い換えれば「トクだね!」というワイドショー番組全体の形式=システムが崩壊している。

では、旬だった頃の「とくダネ!」の形式はどのようなものだったのか。そして、その形式はどのように崩壊していったのだろうか?(続く)

歴史は都合のよいように事実がチョイスされ、それらに都合のよいようなイデオロギー=ストーリーが付与されることによって構築される。だから、歴史は原則的には個別的な多様性を含んだものになっていくということを前回は示しておいた。だが、実際には歴史は政治的な権力発現の装置としてメディア・イベント的に媒介されている。つまり、多様な読みを権力によって一元的な読みに書き換えられ、人々にイデオロギーを提供していく。そこで、今回は一元的な読みがどのように媒介されていくかについてイソップ童話『アリとキリギリス』を例に考えてみたい。

前回の「青の洞門」と同様、先ずオリジナルを示す。Wikipediaではこの作品は次のように要約されている。

の間、アリたちはの食料を蓄えるために働き続け、キリギリスはバイオリンを弾き、歌を歌って過ごす。やがてが来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、最後にアリたちに乞い、食べ物を分けてもらおうとするが、アリは「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだい?」と食べ物を分けることを拒否し、キリギリスは飢え死んでしまう。

この童話のわが国での受容について考えてみよう。

60年代~勤勉でストイックなアリこそが素晴らしい

先ず60年代。この時代はこの時代は高度経済成長神話が国民全体に浸透していた。これに合わせたかたちで物語は近代主義的個人のイデオロギーに基づいた読みがなされている。アリは手本として高く評価され、そのコントラストとしてキリギリスが批判される。夏場に遊ぶことなく勤勉に働くアリは冬になっても備蓄があり、冬を越すことができる。だが、ひたすらバイオリンを弾き遊んでばかりいたキリギリスにはこれがない。だから冬を越せない。要するに「働かざる者食うべからず」というわけだ。高度経済成長神話においては「現在は貧乏だが、マジメかつ勤勉に働き続ければ、やがて豊かな社会と暮らしが約束される」というイデオロギー=ストーリーが、いわば「国是」とされていた。だからアリは勤勉で素晴らしく、働かないキリギリスはダメな存在と決めつけられたのだ。

80年代~アリのように働き、キリギリスのように遊ぶ

これが80年代終わりとなると、ちょっと様子が変わってくる。89年、時代はバブルのフィナーレを迎えようとしていた。そして、この時、マーケティング業界では変わった用語が生まれている。それは「アリギリス」というものだった。豊かさが横溢していた時代、メセナや海外ホテルやエンターテインメント企業の買収など、蓄えたカネを今度は文化を生む糧として運用しようという機運が高まっていた。「ただ単に勤勉に稼いでいただけではダメ。バリバリ働くのはもちろんだが、その一方で一生懸命遊ぶような心性も必要」。つまりアリのように働き、キリギリスのように遊ぶ人間こそが時代にふさわしい。だから「アリギリス」というわけだった。とはいうものの、まあなんとも乱暴なイデオロギーだった。というのも、ホンネのところは無茶苦茶働かせ、今度はそのカネを無意味に無茶苦茶使わせまくるという、成金主義の裏返し的な発想だったのだから。

90年代~アリでもなくキリギリスでもない

ところがバブルはじけた90年代、『アリとキリギリス』に関する評価は全く別の側面を見せ始める。アリもダメ、キリギリスもダメというものだ。それはおよそ次のような物語への評価となる。

先ず、アリ。これはどうしようもない。いつも働いてばっかりいるので精神的な余裕がないし、狭隘な性格になってしまっている。だいたい、苦しくなって助けを求めてきたキリギリスを働かなかったからといって手を貸すことなく、結局死なせてしまうのだから。労働のやり過ぎ、業績原理の徹底に基づく人間疎外は恐ろしい、というわけだ。

一方、キリギリスもバカだ。夏場にバイオリンを演奏することをどうしてうまく利用しなかったんだろう。キリギリスは、夏、演奏する際にバイオリンケースのフタを開けて前に置いておきさえすればよかったのだ。自分は演奏が楽しいし、それを聴いているお客たちも満足しケースにお金を投げる。そうすれば、冬になっても備蓄はバッチリ。キリギリスは夏も冬も楽しく優雅に充実した日々を暮らせたはずなのに。

90年代以降、この物語が示す教訓は労働ー余暇二分法の終焉と自己実現の重要性というイデオロギーだった。つまり自己実現が最もプライオリティーが高く、そのためであるならば自らが取り組むことは労働であろうが遊びであろうがどちらでも構わない。いやそういった二分法すら不要であるという考え方だ。SMAPの代表曲「世界に一つだけの花」に象徴されるように、ナンバーワンでなく、オンリーワンになること、充実した人生を求めることが最も重要なこととみなされたのだ。

歴史の正当性は「真実」ではなく「権力」が決定する

こうやって見てみると、まさに『アリとキリギリス』はR.バルト言うところの「作者の死」ということばが絵を描いたようにそのまんま踏襲されているといってよい。テクスト=書かれたものは作者の意図を離れ、その時代のヘゲモニーを握ったイデオロギーによっていかようにも読み込まれるのだから。勤勉こそ第一→よく働き、よく遊べ→自己充足こそが大事と、物語における解釈は二転三転していった。そして、このような物語に付与されたイデオロギーが権力を掌握する側によって利用され続けてきたことはもはや説明の必要もないだろう。ということは、今後もこのテクストは再び権力によってプロパガンダの装置=イデオロギーとして再利用され続けていくと考えるのが妥当ということになる。

だから、僕らとしてはこういった物語=イデオロギー=歴史装置を相対化しつつ捉えるという姿勢を失ってはいけないのだ。繰り返し言う。歴史認識の問題というのは「真実はどれか」ではなく「権力はどこが一番強いのか」という問題にたどり着く。

(オマケ)『アリとキリギリス』については、その他にも別の設定がある。典型的なのはディズニーが30年代前半に制作した、童話をアニメ化したシリーズ”Silly Symphony”で、この中で本作は最終的にアリが食べ物をキリギリスに与える代わりにキリギリスはバイオリンを演奏するという形で話がアレンジされている。解釈のみならず物語すら変更された理由は二つのイデオロギーに基づいている。一つは、この作品が作られたのがニューディール政策下であったということ。F.ルーズベルトは本政策にあたっては公共事業の一つとしてアーティストたちに賃金を与えるという施策を行っていたが、これが反映されている。そしてもう一つはディズニー、そしてハリウッド独特のイデオロギー、つまりハッピーエンドという物語だ。

「歴史」というイデオロギー

以前、このブログで「歴史」が「権力者による自己正当化のイデオロギー」であり、これを読む側は、そのことをよく認識し、この歴史の語りが、あまたある語り=パースペクティブの一つでしかないということを前提にすべきであると指摘しておいた。

今回はこの具体例を一つ取り上げてみたい。つまり「歴史を相対的なものと捉えるレッスン」として。今回=前半はミクロな歴史の解釈、つまり、いかに一つの歴史=物語が勝手=恣意的に捉えられているかについて考えてみたい。とりあげるのは、先週、僕が訪れた大分県中津市にある「青の洞門」についての言説だ。


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青の洞門全景



中津市のオフィシャルサイトでは、青の洞門の歴史は次のように伝えられている。


諸国巡礼の旅の途中に耶馬渓へ立ち寄った禅海和尚は、極めて危険な難所であった鎖渡で人馬が命を落とすのを見て、慈悲心から享保20年(1735)に洞門開削の大誓願を興したと伝えられている。

禅海和尚は托鉢勧進によって資金を集め、雇った石工たちとともにノミと鎚だけで掘り続け、30年余り経った明和元年(1764)、全長342m(うちトンネル部分は144m)の洞門が完成した。

寛延3年(1750)には第1期工事落成記念の大供養が行われ、以降は「人は4文、牛馬は8文」の通行料を徴収して工事の費用に充てており、日本初の有料道路とも言われている。(中津市オフィシャルページ「青の洞門」解説よりhttp://www.city-nakatsu.jp/kankou/kankouti/2011080800440/



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禅海和尚像


一見、なんらイデオロギー的要素が含まれていない、事実関係だけに思えるこの記述。これが、様々なかたちにアレンジされるとどうなるか。

菊池寛の『恩讐の彼方に』は「近代的個人の贖罪と自己超克の物語」

先ず、「青の洞門物語」のアレンジの最たる存在として文学者・菊池寛の語りについて見てみよう。菊池はこの話を『恩讐の彼方に』という小説にまとめている。そこでは禅海和尚は了海和尚と名を変更されている。もともとは市九郎という名で旗本・中川三郎兵衛の愛妾と密通し、これがバレるに及んで、逆に三郎兵衛を斬り殺してしまい、その関連で、さらに強盗と殺人を繰り返したことになっている。だが、後にこれを深く後悔し、出家。全国行脚の旅をする中で樋田郷(青の洞門のある耶馬溪がモデル)にたどり着き、そこにある難所の鎖渡しで馬子の墜死に遭遇する。了海はトンネルを掘って事故死を無くすことが罪滅ぼしと考え、単独でトンネル掘りを開始する。当初、人々は見向きもしなかったが、了海があきらめることなく作業を続けること次第に共感。協力を申し出、最終的に21年の時を経て洞門は完成するのだった。
ちなみに、これに三郎兵衛の子・実之助が親の仇討ちにやってくるという下りが絡むのだが、了海のこの取り組みを見て深く感激し、完成まで仇討ちを思いとどまる。さらに、仇討ちの日を早めるためにみずからも懸命に槌を振るうようになっる。だが、完成したその時、実之助は了海を許すのであった。

ってな具合で、実に感動的な物語に仕上げられている。で、この「やたらとヒューマンなドラマ」は、実に近代主義的なイデオロギーに満ちている。禅海ならぬ了海和尚はどう見ても近代主義者だ。ここにはキリスト教的な贖罪意識に常に苛まれる勤勉で禁欲的な個人が前提されている。また、これを「狂気の沙汰」としてみる一般人もまた、近代人だ。こういった行為が無駄なことと、とりあえずは一刀両断しているからだ。言い換えればこれは「経済原理」。儲からないことに身を粉にする了海和尚をバカにするといった、きわめて功利主義的な人間像が浮かび上がってくる。でもよく考えてみれば、これは思いっきりヘンだ。18世紀半ば、大分(豊前)の山奥にカネ儲けに長けた近代人の集落があり、ここに敬虔で強烈な贖罪意識を持った近代的個人がやってくるのだから。なかなか、笑える。


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青の洞門を一躍全国区にした文豪・菊池寛の記念碑

”よかとこBY”の「(禅海、)おヌシもなかなかの悪じゃのう~」

次に九州の観光と温泉を紹介するサイト「よかとこBY」での青の洞門の解説を見てみよう。ここで展開される物語は原則『恩讐の彼方に』を踏襲しているのではあるが、ポイントはその後日談についての史実とコメントがなされている点だ。その部分を、ちょっと引用してみる


その後、禅海さんはこのトンネルを有料(日本最初の有料道路)にして、その“あがり”で優雅に暮らしたという。この話はいただけない。
それも住み込みの女中と共に暮らしていたという話が残っている。住み込の女中? 2部屋くらいしかない小さな家で坊主が同じ屋根の下に女性と? これは常識的に考えて愛人と思われてもしかたないことである。
だいたい、このトンネルを掘るのに後半は村人も手伝ったという事なので、タダにしろタダに! 禅海に対する私の評価は・・「おヌシなかなかの悪じゃの~」と思うのである。(http://www.yado.co.jp/kankou/ooita/yabakei/aodomon/aodomon.htm


ここを読むと、今度は近代的個人などぶっ飛んでしまい、むしろ「俗物・禅海和尚」といったイメージが浮き上がってくる。なかなか面白い。

これって、本当は公共事業?

僕はこのサイトのコメントに興味を抱き、九州出張の合間の休みを取って、ちょいと現場を覗いてきた。現在、禅海和尚たちが掘削した「手掘り」のトンネルはごく僅かで、そのほとんどはその後、いわば「機械掘り」によって姿を変えてしまっているが、まあどこを掘ったのかはよくわかる(その一部が残されている)。



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禅海和尚手掘りの洞窟




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こちらは機械掘り



で、実際現場に行ってみて気づいたことがある。それは対岸だ。この絶壁は山国川を挟んで向こう側に平地が広がっている。これが思いっきりヘン。なんのことはない。なんでこんな絶壁の間に鎖渡りを用意しなけりゃならないのかサッパリわからないのだ。そんな危険なところを通るより、川向こうの平地をグルっと回った方がはるかに安全。もちろん、そうすると歩行距離はずっと長くはなるけれど、その一方で、絶壁だったら恐る恐るゆっくり歩かなければならない。だから身を賭してまでここを渡る必要があるのかと思わないではいられないのだ。どう見ても費用対効果は得られない。ということは、これはいったい何のために掘られたのだろう?でもって、禅海和尚は何を考えていたんだろう?



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洞門側から見た三国川の対岸。あちらから回ればはるかに安全で、しかも早かったのでは?



そこで、ここでもう一つ、今度はこの歴史に僕が物語をこしらえてみよう。実はこれは公共事業、かつ禅海和尚の生活手段なのではないか?つまり、禅海和尚はとにかく青の洞門を掘る。で、これは公共事業だから托鉢なんかが余裕でオッケー。村人は禅海和尚にいろんなものを提供する。これで和尚の生活は確保される。一方、村人たちも、ここにやって来てリクリエーションとしてトンネルを掘る。トンテンカンテンやりながらバカ話に花を咲かせるのだ。でも、これが掘り終わってしまうと和尚は托鉢することができない。だから小屋を建て通行料を徴収して生活の糧にする。で、道も安全なショートカットになる。こうなるとこの公共事業に携わった人間たちは全員万々歳ってなことに。

「作者の死」と「テクストの快楽」

さて、この三つの話のうち、どれがいちばん正しいのだろうか。正直な話、これは全くわからない。そして、間違いなく言えるのは、いずれも本当のこととはほど遠いであろうということだ。

記号論者のR.バルトは、こういった歴史のあやしさを「作者の死」と「テクストの快楽」ということばで説明している。

「作者の死」とは、書かれたもの=テクストは作者の下を離れた瞬間、以降は好き勝手な解釈に基づいて読み込まれるものになってしまうということ(まあ、ブロゴスでの記事に対するコメントはその典型(笑))。そして、この時、このテクストを読み込んでいる側は、そうやって好き勝手に、そして自分の都合のよいように読み込むことに「快」をおぼえるのだけれど、これが「テクストの快楽」だ。つまり、青の洞門は実際にそのような事例があったことは間違いないのだろうが(そりゃ、洞門があるからあたりまえだが)、その事実の解釈についてはどうにでもなってしまっているということ(=作者の死)なのだ。だから、これを読み込む僕らもまた、これを好き勝手に解釈する=テクストの快楽を味わうということになる。そしてこれは歴史というのが、こういった恣意的な解釈によって変容しているということでもある。だから、僕らはこういった前提が存在することを踏まえて、つまり相対化した視線を常において歴史を見なければならないのだ。

で、よくよく考えてみれば中津市のオフィシャルサイトの青の洞門の説明にも、すでに恣意的な解釈が入り込んでいたことにお気づきだろうか。それは通行料を徴収した事実に「日本初の有料道路とも言われている」という文脈を挟み込んだこと。そう、どこまで行っても歴史の解釈は恣意的なのだ。

ただし、そうはいってもこういった解釈は、必ずしもその多様性を維持したままというわけではない。その中に趨勢となるもの、つまりヘゲモニーを握るディスクール=解釈が存在し、それが「定番」として絶対視され、さらにそれが政治的、イデオロギー的に振る舞うというのも歴史の事実だ。後半はこのことについて考えてみたい。(続く)

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