勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2013年04月

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いまや、熊本県内はくまモンだらけだ!



熊本にはくまモンがいっぱい

久しぶりに熊本を訪れた。で、とにかくびっくりしたのは、もうあっちこっちがくまモンだらけであったことだ。たとえば九州自動車道の宮原サービスエリア。おみやげグッズの一角が全てくまもんグッズで占められていた。カウンターに行くと、横にあったぬいぐるみ(お話しするくまモン)を10個単位で購入しているお客が。いや、とにかく熊本をドライブするとあっちこっちにくまモンが出没するのだ(黄色いくまモンなんて”珍種”もあった)。こういった「くまモンだらけ現象」は著作権フリーにしたことで、地元の人々がどんどん利用していった結果と分析されているが……はたして、そうだろうか。僕はこの分析は、明らかに的外れだと思う。というのも、著作権フリーのご当地キャラ・ゆるキャラは他にもあるからだ。もし著作権フリーでブレイクするなら、くまモン以外のキャラクターも同様にブレイクしていなければならないはず。つまり、そのキャラクターを要する地域は、熊本みたいにあっちこっちにご当地キャラが出没するという現象が起きていておかしくないはずだ。しかし、必ずしも、というか、ほとんどはそうなってはいない。今回、九州で長く滞在した宮崎にはやはり「宮崎犬」という「ひぃ」「むぅ」「かぁ」3匹からなるご当地ゆるキャラが存在するが、このキャラを見るのは土産物屋などの一部の空間に限られる。くまモンみたいに、われもわれもとくまモンを掲げるというふうにはなっていないのである。ということは、くまモンが熊本県内のあちこちに出現する理由は別のところに求められなければならないはずだ。じゃあ、なぜ、熊本県内はくまモンでいっぱいなのだろう。

全国区化したくまモン

以前本ブログで紹介したが、くまモンはゆるキャラのフリをした究極のキャラだ。ツッコミどころ満載の緩さが小山薫堂という稀代のプロデューサーによって意図的に仕込まれている。だからブレイクした(詳細については本ブログ「くまモンはゆるキャラではない」http://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/64091214.htmlを参照)。事実、くまモンはとっくに全国区だ。熊本のみならず、今や日本中のあちこちで見かけるし、マスコットやぬいぐるみを買い求めることもできる(宮崎空港ですら売られていた)。僕の勤める関東学院大でもこの現象は明らかで、学生たちのバックにぶら下げられているキャラクターは一年前まではディズニーのダッフィーとその彼女のシェリーメイという感じだったが、最近ではシェリーメイが外され、ダッフィーの横にくまモンがぶら下がっているという風景があたりまえのように見かけられるようになった。「くまモン、かわい~っ!」というわけで、大学内でもあっちこっちでくまモンがいる(そういえば学食でもくまモンのカップ麺”太平燕”が売られていた)。また、このあいだ所要で吉祥寺に出かけたのだけれど、駅近に熊本物産店があって、やっぱりくまモンだらけ。店内はお客さんでごった返していた。

で、実はこういった「全国区的人気」が結果として熊本県内にくまモンを出現させているのではと、僕は考える。

東国原というブランド

もう6年も前のこと。宮崎では「東国原旋風」が駆け抜けていた。タレントから知事に当選したそのまんま東こと東国原英夫が、鳥インフルエンザ事件をきっかけに地元名産品を大キャンペーンを始め、これが全国区になってしまったのだ。東国原は鳥インフルエンザ事件で宮崎鶏(しばし「宮崎地鶏」と表現されている。本当は「地鶏」ばかりではないのだが)がネガティブな意味で全国的に知れ渡ったことを逆利用し、この宮崎鶏を大々的に売り始めてしまう。その結果、宮崎鶏は一気に全国区にのしあがり、やがてそれが全国に定着。現在では塚田農場のような宮崎地鶏を食べさせる宮崎料理の居酒屋があちこちに展開するようになり、宮崎ブランドを作り上げてしまった。

地元を地元民が発見した

こういった東国原旋風がもたらした現象は、翻って県民意識、県民の地域アイデンティティーを大きく変容させることになる。2007年、宮崎に暮らしていた僕は、自分の意識の変化に気づいた。当時、僕が勤めていた大学は宮崎公立大。地方で公演したりして紹介を受ける際にはしばしばその名前を「宮城公立大」と間違えられるということが起きていたのだけれど、これがピタッとなくなってしまったのだ。「あの東国原の、地鶏の、宮崎の」ということで周囲が認知してくれるようになったからだ。これは結構、キモチイイことでもあった。「おっ、みやざき、イケてるじゃん!」ってなわけだ。

で、こういった感覚を覚えたのは何も僕だけではないはずだ。つまり、こういった「恩恵」を感じたのは、実は宮崎県民全体だったろう。そして、こういったかたちで、一旦全国区化した宮崎ブランドを改めて地元宮崎の人間が認知するという現象が生じる。

地元の人間が”恥部”とみなした宮崎焼酎

宮崎の人間が一杯やるのは地鶏と焼酎と決まっている。そしてこの組み合わせをあたりまえのように延々続けてきた(もちろん今もそうだけれど)。ただし、ちょっと恥ずかしいものとして。たとえば焼酎。一般の焼酎のアルコール度は25度。ところが県内の焼酎は基本20度だ。今や全国区の黒霧島も、県内ではもちろん20度だ。だが、みなさんが最寄りのコンビニに行って黒霧島をチェックすると意外なことが起こる。すべて25度なのだ。県内はい20度で県外が25度という設定は不可思議な話なのだが、これにはちゃんとした理由がある。

戦後、宮崎は貧困にあえいでいた。それでも酒=焼酎は飲みたい。そこでやたらと密造酒が流行った。一般の焼酎を買い求めたくても高くて買えなかったのだ。これに業を煮やした行政側は密造酒を排除するためにアイデアを思いつく。目をつけたのは酒税法。25度の酒税率では宮崎県民は手が届かない。そこで20度を認可し、税率を下げることで一般庶民が買い求めることができるよう配慮したのだ。その結果、密造酒は駆逐され、県内は20度の焼酎がデフォルトということになったのだ。

だが、これは「負の歴史」でもある。なんのことはない「20度」という記号は「貧乏」という意味を含んでいるからだ。僕はこの二十度焼酎が大変美味しいと思っている。そこで、県外の人間におみやげを持っていこうとして焼酎を求めようと酒屋に行くと、店の主人はなぜか店の奥の方から二十五度を出してくるのだ。「いや、いつものやつでいいんです」と告げると、件の店主は「いや、これは二十度ですよ!」とダメ出しをするかのように言い返してくる。つまり、こんな貧相なものを県外に持ちだされては困るというわけだ。ということは、これとセットになる宮崎鶏も同様のカテゴリーに押し込まれているということになる。つまり、地鶏と焼酎で一杯やるなんてのはみっともないことこの上ないというわけだ。だから、決して表には出さないような、そして外部に自慢することもないような、文化の語彙としては認められない産物だった。

遠心→求心の循環で貧乏の記号である地鶏をふるさとの誇りにしてしまった東国原

ところが、焼酎と同様「貧乏の記号」を伴い、さらに鶏インフルエンザでネガティブがイメージがつけられて「弱り目に祟り目」となってしまったこの宮崎鶏を、東国原はあろうことか、おおっぴらに売り出し大ブレークさせてしまったのだ。

宮崎県民はテレビで宮崎鶏や焼酎が大々的に取り上げられていることを知る。そして、実際県外に行くと「あの地鶏の、焼酎の、東国原の」というかたちで宮崎のことを外部の人間に言われるようにもなる。こうなると「こりゃ、いい気分」ということになった。

そして、この「こりゃ、いい気分」というのは、めぐりめぐってふるさとに対するアイデンティティーを構築することになる。つまり、次のような遠心→求心の循環が起こる。


・地元で地元の名産物(宮崎の場合は宮崎鶏)を大キャンペーンする

・全国でブームになる(ここまでが遠心)

・そのブームを地元の人々が知る。いい気持ちになる。

・地元のよさを発見する(ここからが求心)

・その地元に暮らす自分はイケている。


少し理論的に説明すれば、自らのことについてあたりまえのように捉えていて対象化されていない存在が、全国区になることで外部からそのあたりまえを再認識され(遠心)、それが賞賛されているので、自らの優れた側面として受け入れる(求心)。言い換えれば、自己対象化、地域的な視点から述べれば「地域アイデンティティの再生」いや「創造」「発見」ということになる。つまり、遠心→求心の循環によってアイデンティティが外部から獲得されるのだ。

そして、そういった記号を自らが消費することで、それは結果として自らと地域の同一化が図られる。そう、これこそが地域アイデンティティーの形成に他ならない。

遠心→求心の循環で地域アイデンティティーを構築したくまモン

熊本県内のくまモンだらけ現象は、宮崎で六年前に発生したこの東国原旋風と全く同じ構造に基づいている。まず、くまモンが全国中でちやほやされる、つまりくまモンが「遠心的に」広がる。それを熊本県民=くまもん(くまもともん=熊本の者)が知る。だがそのちやほやされているのは地元のキャラクターだ。「おらがふるさとのくまモンがイケてるぜ」ということは、そこに暮らす自分もまたイケている。ということは、自分の周りにくまモンを配置することは、そこに地域アイデンティティーを構築=確認する作業となる。だから、熊本県民は嬉々としてあちこちにくまモンを飾ったり、看板に掲げたりするというわけだ。つまり、今度は求心的にくまモンが広がる。あとは、この循環がぐるぐる回り続けることで地域アイデンティティーはますます高まっていく。ちなみに、前述した宮崎のゆるキャラ「宮崎犬」にはこの循環がない。遠心がないからだ。もちろん、それは求心もないということなのだけれど。

熊本のくまもんだらけ。これは熊本にやって来た観光客に向けられているようでいて、実は、自分たちに向けられているのだ。くまもん=熊本県民がくまモンに見ているのは自分自身に他ならないのである。

必要なのはボトムアップで構築され、柔軟に変容する民主主義的な大きな<物語>

前回は、物語ること、つまり単語を並べるのではなく、単語をつなぎ合わせ、自らの「語り」として論理を展開できる力の再生が、翻って社会のイメージ、国民が共有できる大きな<物語>を再生可能になることを概念的に示しておいた。しかも、それがかつての皇国史観や高度経済成長神話のようなメディア先導によるトップダウンの物語ではなく、きわめて民主主義的で柔軟性に富んだボトムアップな物語として。そして、このような<物語>の再生はヘタレ日本の再生にも繋がると。ならばどのようにしたらこれは獲得可能になるのだろうか。今回は「歴史教育」という、ちょっと危ないネタを使って考えてみたい。

正しい、真の歴史など存在しない

領土問題や教科書をめぐっては、しばしば歴史の認識が問題とされる。つまり竹島はどこのものかとか、南京大虐殺はあったのかとか、正しい歴史が必要だとかなどの国家の利害を立ち位置とした議論だ。

だが、こういった議論は胡散臭い。そして政治の臭いばかりが漂うものだ。歴史というのは「事実」ではあるが「真実」ではない。歴史とは過去の事実を拾い上げてそれを物語るもの。そしてその物語はイデオロギーによって色づけられる。このイデオロギーは二つの側面から歴史に付与される。一つはあまたある歴上の事実のどれを歴史として拾い上げるかという側面、もうひとつは前述したようにその事実をどうつなぎ合わせるかという側面だ。そしてこのイデオロギーこそが政治的なものに他ならない。つまり、権力を掌握する側が自らの立ち位置を正当化するために、それにふさわしい事実だけをチョイスし、そしてそれをさらに都合のよいようにつなぎ合わせる作業が歴史というものの言説ということになる。だから、そこに「真実」はないのである。加えて述べれば、「歴史的事実」として取り上げられるものは「残されたもの」に限定される。つまり時の権力者が、自らを誇示したり正当化するためにその事実、あるいはフィクションを何らかのかたちでどこかに書き留めたもの。ということは、チョイスされる歴史的事実もまた、すでにその時点で別の権力者のイデオロギーが込められている(ということは三重にイデオロギーが付与されている)。言い換えれば、権力を有していない一般の人々の事実は歴史に直接的に残ることはない(こういった、歴史上に痕跡を留めない大多数の人間たちをポスト・コロニアルの研究者G.スピヴァクはサバルタン(=自らを語ることのできないもの)と呼んでいる)。

トップダウンの大きな<物語>が危険な理由

だから、ようするに歴史とは現代の権力者=ヘゲモニーを握った者・体制が自らの存在を正当化させるために紡ぎ合わせた物語=フィクションに他ならない。そして、権力を掌握するがゆえに、その物語をあたかも真実と思わせるような<物語>化をメディアイベントとしてトップダウン的に繰り広げようとするのだ。つまり歴史とはフィクションなのである。ということは歴史を学ぶ側としては歴史を「どの歴史が正しいのか?」というのは客観性の問題ではなく、もっぱら政治的な問題として捉える必要がある。言い換えればトップダウンの大きな<物語>は危険。だから、歴史を学ぶ側は、これをフィクション、あるいはあまたある歴史の物語=ディスクールの一つとして対象化、相対化して捉えなければならないのだ。

ボトムアップの大きな<物語>を生成し続ける方法

そこで必要となるのが、お仕着せではないボトムアップの民主主義的な、柔軟性のある大きな<物語>の構築ということになる。これを歴史教育に適用するとだいたいこんなやり方が考えられる。

現在、歴史教育といえば、その指導方法は通史、つまり歴史全体を教えるということになるが、先ずこれをやめる。変わって時代史を教える。たとえば江戸時代だけとか、さらにその中でも元禄時代だけとかに絞ってしまい、ピンポイントで学ばせるのだ。ただし深く、さまざまな分野に渡って徹底的にやる。その際、はじめはたったひとつの見方=イデオロギーで歴史をレクチャーするのだが、一段落ついたら、今度はそれと同じ歴史的事実を異なったイデオロギーからレクチャーする。つまり、ひとつの限定された歴史領域についてさまざまな視点からこれを掘り下げることで歴史を相対的に捉え、さらにその中から歴史についての自らのパースペクティブ=イデオロギーを醸成させるのだ。こういった個々人の立ち位置からなる歴史のパースペクティブは一般には「史観」ということばで表現される。そう、ここでやろうとするのは一般的な「歴史教育」ではなく「史観教育」に他ならない。

で、この史観が養われたら、今度は別の時代の歴史をやる。そうすると、歴史は教科書に書かれているような平板な、それでいてトップダウンのイデオロギーに基づく解釈ではなく、史観=個人をイデオロギーを備えたを個人の所有物になるのだ。

こういった個人の歴史の物語は、翻ってその個人の社会についてのイメージの苗床となる。また個人の私的な大きな<物語>の苗床ともなる。そしてこの<物語>が重層的に絡み合いボトムアップ的にまとめ上げられる形で社会大のディスクールとしての民主的な大きな<物語>が形成される。もちろんこの<物語>は1カ所にとどまってはいない。個人の史観、<物語>が不断に変容するなかで、同様に柔軟に変容する。だからこそ民主主義的な大きな<物語>として機能するのだ。そして、それは当然ながら権力者の<物語>ではなく、僕らの<物語>になる。だからこの<物語>に対するアイデンティファイは強い。それゆえ、そこに抱く歴史や社会のイメージについても強いモチベーションを抱くはずだ。そして、それがヘタレ日本に凝集力を復活させる……そんな展開になることを僕は期待している。

物語能力の低下は社会の凝集力の低下

物語を語ることの能力は社会の凝集力と大きく関わっている。物語を語る能力が社会の凝集力を高め、社会の凝集力が物語を語る能力を高めるという「相補関係」になっているのだ。だが、現代はこの関係が崩壊している(だから社会もヘタレ、個人もヘタレてしまっている?)。じゃあ、どうやったらこの関係を再生させることが可能だろうか。今回はこのことについて考えてみたい。

大きな物語と小さな物語

現代思想でよく議論されているタームに「物語の消滅」というものがある。ちなみに、これは前回まで示したきたような、個々人の「物語を語る能力」の物語とは、ことばは同じでも意味は異なるので、区別するためにこちらを山括弧で<物語>と表記しておくことにする。

「<物語>の消滅」は次のように語られる。かつて日本には社会のイメージを形成する大きな<物語>が存在した。これは日本国民全体が共有する社会についてのイメージのことで、たとえば戦前なら「皇国史観」、六十年代なら「高度経済成長神話」、八十年代なら「バブル」がそれにあたる。

もう少しわかりやすく説明するために、一例として高度経済成長神話を取り上げてみよう。六十年代、日本人は年率10%を超える経済成長率に促されるかたちで社会や国家のイメージを描く、いいかえれば社会の<物語>を語ることが可能だった。「今はまだ開発途上。しかし刻苦勉励していけば、やがて一億総中流になり、アメリカに追いつき、さらには追い越すことができる。だからガンバレ」という<物語>だ。そして、こういったイメージを定着させることに貢献したメディアがテレビだった。アメリカのテレビ番組が流れ(番組内で登場するアメリカの生活スタイルは、消費生活に溢れており、これが到達すべき目標と設定された)、また刻苦勉励することがアニメで子どもにまでプロパガンダされたていた(「巨人の星」などの一連の”スポ根もの”と称されるアニメは、まさにストイックなまでにこの神話を後押ししていた)。

ところが価値観の多様化とともに、こういった大きな<物語>はリアリティを失っていく。それぞれがバラバラな嗜好を持つようになると、大きな<物語>はむしろその個別の嗜好を疎外する「ウザいもの」へと転じてしまったからだ。その結果、こういった社会をイメージする<物語>は細分化され、小さな<物語>へと縮小。やがては極小化し雲散霧消するという状況を生んだ。

<物語>の消滅が結果する物語能力の喪失

だが、こういった<物語>の消滅は、翻って人々の物語喚起能力を奪い取ることになる。前回まで示したように、物語喚起能力は少ない語彙をさまざまなシチュエーションで繰り返し運用し、これを織りなしていくことで可能となる。大きな<物語>は、社会を限定された語彙による単純なストーリーに縮減することで了解可能にし、それをクドクドと復習することで、個人が物語を構築する揺籃の役割を果たしていたのだ。大きな<物語>が、学習し、繰り返す語彙として成立していたのは、要するに日本国民全体がこの<物語>を共有していたからに他ならない。つまり、どこに行っても同じ<物語>を前提としたコミュニケーションが交わされる。そして、前述したようにそれ自体は語彙数が少ない。だから安定している。それゆえ日本人はこの大きな<物語>の中に含まれる単語、そしてストーリーをカスタマイズするという作業を続ければ、必然的にそれぞれが物語を織りなすことが可能になったというわけだ。ところが、この<物語>システムが崩壊した。だから個人の物語もまた瓦解していったのだった。

トップダウンでの大きな<物語>の再生はもはやありえない

だったら、こういった大きな<物語>を復活させればいいということになる。大きな<物語>はこれまでメディアを利用してトップダウン的に作られてきた。皇国史観であるならばラジオと新聞、高度経済成長ならばテレビ、そしてバブルはテレビと雑誌と広告が煽動し、国民たちに一元的なイメージを構築することを可能にしてきた。いいかえれば常にメディア誘導型の「メディア・イベント」として作られてきた。

ということは、同じようにメディア・イベントをでっちあげれば大きな<物語>は復活し、それに合わせて人々の物語喚起能力も復活するということになるのでは?と考えたくもなる。実際、現在こういった大きな<物語>として唱道されているのがアベノミクスだ。

しかし、このやり方ははっきり言って×だ。インターネットの時代、もはや価値観は徹底的に細分化されている。だから、かつてあったような巨大な求心力を備えるメディアが出現する可能性は薄い(インターネットは巨大なメディアだけれど、むしろ拡散力を備えるメディアだ)。だからアベノミクスをさまざまなメディアを使ってメディア・イベント的にプロパガンダを展開したところで、すぐさまこのカウンター的な議論が登場する。また、インターネット社会は情報が高速で循環する社会でもある。だから仮に大きな<物語>として盛り上がったとしても瞬間的に終了するような、揮発性の高いものにしかならない。

いや、だいいちこういったトップダウンのメディア・イベント的なプロパガンダは危険ですらある。いたずらに価値観の一元化を促し、国民全体が思考停止に陥る可能性があるからだ。30年前までならともかく、現在では現実性は低いし、現実化してはいけない方法論でもある。

物語から<物語>を紡ぐ

ではどうするか?それはトップダウンではなくボトムアップに<物語>を紡いでいくようなシステムを構築することにあると僕は考える。実は、それこそが前回提案した「情報の断捨離による物語能力の再生」なのだ。つまり、まず若年層に物語を作ることを可能にするような教育を施す。そして、彼らが物語を語ることができるようになり、それぞれが大きな<物語>=社会イメージを語るようになる。そしてその集合体として社会全体を包摂する一元的な大きな<物語>が再生される。しかも、こうやってボトムアップに構築された大きな<物語>はファシズムや価値観の一元化を必ずしも生まない。というのも、その<物語>は固定したもの=言説ではないからだ。むしろ人々がそれぞれの<物語>を物語り、これを運用し、議論し合う中で不断に変更=メインテナンスされていく。だから柔軟性が高く流動性の高い、民主主義的な<物語>となるのだ(言い換えれば、大きな<物語>について個々人全てが責任を担うということでもあるのだけれど)。

次回は、この具体的なあり方を再び教育の議論に戻して考えてみたい。取り上げるのは「歴史教育」だ。(続く)

情報の氾濫に伴う価値観の多様化、そして教育システムの細分化によって物語を語ることのできなくなった若者たち。しかし物語は自己を、そして社会を知るために必須の条件。だったら、こんな時代にどうやったら物語る能力を復活させることができるのだろうか。今回はこれについて考えてみたい。

情報の断捨離

やるべきことは「情報の断捨離」と「学習項目の断捨離」だ。とにかく余分な情報を全部削ぎ落としてしまう。ただし、問題はどうやって「余分とそうでないもの」を腑分けするか?残念ながら、物語能力がない若者たちには、これはムリ。だから、こちらがこういった環境を用意する。つまり、必要と思われる情報しか、先ずは提供しないようにするのだ。

英語嫌いだけど、タイ語は好き?

これを英語と同じ語学学習で説明してみよう。僕は毎年、自分のところのゼミ生をタイに連れて行くのだけれど、彼らにはほんの少しだけタイ語を教えている。あいさつ、行き先のたずね方、食堂での注文の仕方、メニューの見方、タイ人との簡単なコミュニケーション用の表現など。単語は全部で100語程度。8月のタイ行きに合わせて4月くらいから毎週40分ほどタイ語学習の時間を用意するのだけれど、これをやると面白いことが起こる。彼らは前回述べたように英語が全くもって苦手(だから偏差値50を割る)。僕が授業で英語の話をした瞬間フリーズしてしまうほどの”英語アレルギー”。徹底的な英語嫌いなのだ。ということは同じ語学のひとつであるタイ語もダメなはずなのだが……ところが全然、そんなことはないのである。「タイ語のメニューを覚えると食べられるもののバリエーションが増えるよ!」とかいって彼らを煽り、料理を写真で見せ、それらをクイズ方式や暗唱で覚えさせ、さらに事前にみんなで国内のタイ・レストランに行ってそれらを確認するなんて作業をやると、語学についての関心は俄然アップする。

で、こんな状態で現地に向かうと、彼らには、そこがこの国内でのタイ語シミュレーションを現実に移す格好の場と映るのだ。だから嬉々として、そして「どや顔」で、色々と注文する。そうすると、 たった100語で結構、コミュニケーションをとるようになる。 気がつくと、今度は学ばなかったメニューまで自学するようになっているほど。また、タイ人にタイ語を使ってみると、相手が驚いて急に親しげに対応してくれたりする。こういったことが実に楽しいようなのだ。

「先生、タイ語は英語なんかよりぜんぜんカンタンで面白いっすよねぇ!」

こんなことをゼミ生の一人に言われたことがあったほど。

いや、違う。英語だって同じだ。じゃ、二つはどこが異なっているのか。それは英語の場合、断捨離していないから。タイ語はたった100語とチョー簡単な運用法しか覚えていない。ところが、それらは、少ないがゆえに、かなりのシチュエーションで使いこなすことができる。だから、その少ない語彙数を用いて、彼らなりに相手と情報のやりとりを行おうとするわけだ。当然、ここには「たった100語での物語」が存在する。その語りを作ってコミュニケーションすることが面白くてしかたがないのである。

断捨離教育は物語教育

一方、英語はこういうふうにはなっていない。語学は基本的な部分が確実に定着して、応用が可能になるもの。ところが、英語教育はこの逆。 断捨離せず、べらぼうな情報を未消化のまま投げつけられたのでわけがわからなくなっている。べらぼうな、まとまりのない、薄っぺらい情報だけが次々と関連なくカタログのように頭の中に放り込まれていく。しかも脈絡なく。これじゃあ”拷問”。全く使いものにならないし、なぜ学んでいるのかの理由すらわからず疎外感を感じてしまうのもあたりまえだ。そして、若者たちは英語嫌いになったのだ。ということは、彼らの英語嫌いは「英語が嫌い」なのではなく「英語を取り巻く学習環境によって嫌な目に遭ってしまい、それがトラウマになった」だけ。だから、全く語学学習として同じであるタイ語を学ぶことについては、これがないから純粋に「楽しい」のである。いいかえれば、前述したような断捨離系の学習を英語にも施していれば、こうはならなかったはずなのだ。

ここまで、英語を例にとって物語教育について展開してきたが、ここでの内容、実はすべての学習項目に該当することと考えていい。つまり、先ず情報量を少なくし、それらの情報についての運用をリアルな場で徹底させ、しっかりと定着したところで新しい学習項目を提示するというやり方。この時、「しっかりと定着」するとは、要するに「その項目について物語ることができるようになる」と言うことなのだ。項目が定着していれば自分なりにこれをカスタマイズしていろんなシチュエーションに流し込んで使うようになる。そしてそれが物語を紡ぎ出していくのだから。そしてその周辺に「自己=他者としての自分」と「社会=他者の集合体」のイメージが形成されていく。

ちなみに、こういった「物語教育」、実は100年以上も前に、わが国ではとっくに存在していた。それは寺子屋教育だ。ここで行われていたのは「読み、書き、そろばん」、それだけだ。これをクドクドとやり続ける。音読し、書き写し、そろばんをはじき続ける。これを繰り返し、さまざまなシチュエーションに流し込むことで、学習内容は身体化し、知識は生きたもの、実戦可能なもの、要するに「知恵」として機能することが可能になっていた。この時代の学習を受けた人間の多くが字が上手で文章が上手いというのは、こういった情報を限定した質的教育が施されていたからに他ならない(まあ、言い換えれば一本調子ということでもあるのだけれど)。言い換えれば、現代の教育は「知識」だけで「知恵」がない。だから物語れないのである。

物語教育を英語に適用すると~寺子屋式英語学習法

では、具体的にはどうやるか。前述の英語教育を例にとってひとつ示してみよう。つまり、英語教育はいかに断捨離=改善されるべきか。

まず、たくさんある教科書をたったひとつだけに絞る。いちばん適切なテキストは、学習のすべてが凝縮されているリーダーの教科書だ。これを徹底的にやる。具体的には何度も読み、暗記する。そして本文の文脈で登場する中でのみ限定的に文法項目を教えていく。たとえば”She has a pen.”という文章なら、これが名詞、動詞、不定冠詞から構成され、なおかつ第三文型であること、助動詞doを挟むことで疑問文と肯定文が作成できること、人称によって動詞が変化することといった一連の項目を教えるのだ。ただし、これとて一度にやったらわけがわからなくなることは必定。先ずは音読させ、その中で単語を教えというようなことをやり、次に文法の初歩を同じ文章で、そして応用をという形でゆっくりと、同じカ所を視点を変えてクドクドやっていく。この時、ただ理解させるだけでなく、その場その場でさまざまな英作文を作らせ、やりとりをさせる。そして最終的にはリーダー全文を暗記する。また音源を用いて練習する(つまりネイティブをお手本にした音読)ことで、学習内容を身体化させていく。発音すら、ここで学ぶことができるのだ。さらに、このおさらいとして相互に学習内容を説明し合うというところまでやれば、一旦身体化したものを整理して対象化し説明可能なものになるわけで、ここまで来ると学習は完璧だ。つまり「寺子屋式英語学習法」。これまでの学習法が「細分化したものを一つにまとめていく」というプロセスであったとしたら、こちらの方は「一つのものを次第に細分化させていく」というやり方だ。学習のコア=物語の運指が見えているから、確実に定着する。

で、こういった学習方法、実はリーダーの教科書にはすべて昔から網羅されている。だからそれをちゃんと、そしてクドクドやればいいだけの話。ところが学校教育では、このリーダーの教育項目を「簡単すぎる」と言うことではしょり、文法問題集とかドリルといった副教材に依存するという学習方法に切り替えてしまう。だが、それが学習のいたずらな細分化であり、学習内容のイメージを分散化させ、学習を物語に昇華できなくさせてしまうことは、ここまでの説明でもはやお解りいただけるのではなかろうか。

そして、物語教育。実は、われわれの社会の根本的なあり方にまで抵触する問題と僕は考えている。しかもヘタレ日本を作ってしまった元凶が、この「物語教育の不在」に求められるのだと。次回はこれについて考えてみたい。(続く)

自己紹介ができない!

大学で学生たちを教えていてつくづく思うことがある。それは、彼らの多くが「物語」を紡ぎ出すことができないことだ。たとえば自己紹介をしてもらうとしよう。で、紹介時間を二分間与えたとすると、だいたいこうなる。

先ず名前、次に出身、趣味、そして……もう後が続かず二分間が持たない。誰がが妙なアイデアを考えてそのネタ(たとえば自分の名前の由来とか)を切り出すなんてことになると、その説明ばっかりになる。つまり、自分についての語りが展開できないのだ。これはレポートでも同じ。ネタがコロコロ変わって一貫性がない。25メートル泳げない生徒が必死にもがいてゴールにたどり着くような感じと言ったらいいだろうか。泳ぎがメチャクチャ、つまり関連のないトピックが短いスパンで次々と繰り出される。

この原因を僕は2カ所に求めたいと思う。ただし、たどり着く原因は同じところだけれど。

情報多様化がもたらす八方美人的な情報行動

ひとつは情報ソースの多様化だ。今やインターネットの時代。至る所からいくらでも情報入手が可能というインフラが出来上がっている。だから、必要な情報、欲しい情報を好きなだけ取り込めるように思うのだけれど……しかし、これが可能なのは「必要な情報」「欲しい情報」を自覚している人間に限られる。若年世代は、自分が何が欲しいのか、どういった傾向に自分が向いているのかなんてことは、まだわからない。何かにハマろうとしても、また別の面白そうな情報がやって来て、そちらに目を向けてみると、また別のおもしろそうな情報がやって来るという循環を繰り返してしまう。つまり「八方美人化」。ということは、結局、彼らにとってはこの「情報の海」はつかみどころのない不安だらけのもの=カオスになってしまう。そこで、どう対処するかといえば、前述したような誰かが言ったところに追従するという「付和雷同」スタイルを採用することになる。だから、結局「お話=物語」にはならない。なったとしても、一過性の受け売りになる。

情報のコアを見えなくする教育の細分化

もう一つは教育の問題だ。戦後、学校教育は教育の合理化・効率化を求めそのシステムを細分化させるという作業をひたすらつづけてきた。だが、そういった合理化=効率化は、結果として、かえって作業を繁雑・煩雑にし、子どもたちに学習をどうやったらいいのかを不透明にさせてしまう。いろいろやってはいるけれど、結局のところ何をやっているのかわからなくなってしまうのだ。その典型は英語教育で、文法、リーダー、英作文、そして英会話など、こまごまとした項目に細分化したために、結果としてほとんどといってよいほど英語力が身につかないという事態を結果させている。僕が教鞭を執っている関東学院大学文学部現代社会学科の偏差値は50を割った程度だが、彼らの多くがいまだにbe動詞と一般動詞の区別すらつかないという状況なのだ。でも、この区別って、中学一年でやることなんだけれど……。もちろん英語で物語を作るなんてのは全くもってムリである。

物語はアイデンティティー獲得の基盤

人は自らが何者であるか知りたいもの。そして、何者であるかを知った上で自分が何をやろうかと考えることができる。だが、何者であるかを知るためには、自己イメージ、つまり「対象化された他者としての自分」を知っていなければならない。そして、それは「自分という他人」を物語ること、つまりあたかも他人のように自分のことを語ることができて初めて可能になる。言い換えれば自己についての語りの確かさが他者としての自分を取り入れていることの担保になる。これは社会心理学ではアイデンティティ=自己同一性という言葉で表現されている。

そして、この「自己についての物語」は実際の他者との関わりの中で形成される。つまり、他者と自分が関わり合い、ぶつかり合い、こすれ合う中で、だんだんと「他人とは異なる、他者としての自分」を発見していくのだ。さらにいえば、こういったアイデンティティ確立のプロセスは、翻って多くの他者のと関わりを要求するわけで、その関わりが多ければ多いほど自己は相手の空気を読めて、かつ自由に行動できるものとなる。つまり自己についての物語は社会性を獲得する手段となり、社会との関わりを実感できるようになるのだ。そして、当然ながら、「自己についての物語」はその背後に「社会についての物語」を同時に形成することになる。

「物語れない」と言うことは「自己がない」ということ

だが、現状ではこういった物語を語れない状況が情報化や教育システム双方によって構築されてしまっている。ということは、「物語が語れない」と言うことは、イコール「自らを語ることができない」つまり「自己がない」と言うこと。だから、自己紹介をしてもらったところで自分のことをプレゼンできないし、文章もまともなものを書くことができずに、文面はひたすら情報が羅列されることとなる(精神科医の大平健は、こういった「物語」を語ることができず、ひたすらモノやコトを並べ立てるような性格を備えた人格を「モノ語りの人々」と表現している)。

「自己がない」ということは「社会もない」ということ

これは、実はある意味、原始時代の人間に逆戻りということになってしまうだろう(ただしデジタル的に、だが)。原始時代の人間は個人の意識もなければ社会の意識もない、ただそこに生存と欲求、欲望だけのために生活していた。つまり、自己も他者も社会もない状況。彼らが物語れないというのは、実はこういったところまで先祖返りしているというフシがあると言えないこともないのだ。

だから求められるものは物語教育による自己と社会性の獲得ということになる。じゃあ、それはどうやったらいいんだろう?(続く)

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