マスメディア報道の定型化からの脱却のためにはマーケティングによるポピュリズム的なやり方をやめ、独断偏向(ただし、相対化した、確信犯としての)の編集方針を採用した方がむしろよいと前回指摘しておいた。いいかえればマスメディア側はワン・オブ・オピニオンとして報道を行い、その判断をオーディエンスに委ねる姿勢が必要。そして、その根拠=前提としてオーディエンス側の価値観の相対化=メディア・リテラシーの向上を指摘しておいた。さらにその具体例として昨年十二月にテレ東が池上彰を起用して放送した選挙特番の成功をあげておいた。
だが、こういった番組編成は指向性が高いゆえに一般大衆受けせず、オーディエンスの数を限定してしまう恐れがあるのではないか?これが可能なのはマイナーなテレ東だからではないか?という懸念がないこともない。そこで今回の特集の最後に、このテレ東的なやり方が実は再びマスメディア的な力を取り戻す方策の一つになり得ることを示してみたい。
ジョブズが消費者に押しつけた独断偏向
わかりやすいように、その具体例を挙げてみよう。それはS.ジョブズが90年代末から逝去するまで行った独断偏向マーケティング?だ。ジョブズが復帰するまで、Appleは迷走していた。コンピューター業界の動向をリサーチし、顧客のニーズに合わせながら様々なモデルをリリース。だが、それは企業イメージを曖昧にし、Appleを並のコンピューター企業に貶め、最終的には「余命90日」と呼ばれるほどまでに弱体化してしまう。ここでジョブズが復帰する。ジョブズはこの時、それまでのポピュリズム的なマーケティングをやめ、たった四種類の商品だけに絞ってしまったのだ(プロとアマチュア向けにそれぞれデスクトップとノートパソコンを用意した)。そして最大の市場であるビジネスユースを捨て、もっぱら個人ユースに商品提供を行った。極言すれば、ジョブズという独断偏向男が好きな物を開発し、これを欲しがる者に売るという、客に媚びを売らない戦略に転換したのだ。ところが、これによってアップルのイメージは明確になる。そしてその独断偏向はアップルを志向する人たちの魅力となり、その後続いたiPod、iPhone、iPadという商品群に継承されたのだ。そしてマックは今やビジネスユースにも広く用いられるようになった。これらは、どれもどこにも無い、ユニークな、そして僕たちのメディアライフを根底から変更する「独断と偏向」に満ちた商品だった。
ジョブズがやったことは何か?それはマーケティングではなく「提案」「啓蒙」、もっといえば消費者への「教育」だ。つまり「上から目線」で独善的に自らのオピニオン(イデオロギーと呼んだ方が妥当だろう)を提示したのだ。しかもそれだけではなく、このオピニオンに責任を持った。つまり、全てのプロダクトに”i”という小文字をつけ(iMac、iBook、iPod、iPhone、iPad……)、それらを全く同じインターフェイス、そしてミニマリズムに基づく同じデザインで消費者に「押しつけた」のだ。この独断と偏見に付き合うあなたは安心!とやったわけだ。
いいかえればジョブズは商品を販売したのではなく、強烈なオピニオンを商品に乗せて提供したのだ。しかも、一切ブレることなく。そして消費者はそのオピニオンに魅せられて、商品を次々と買い求めていったのだ。また、ジョブズはそのオピニオンに責任を持った。つまり自らの発したオピニオン=イデオロギーを死に至るまで延々と維持し続けたのだ(最近のAppleは、ちょっとブレているが)。そうやって消費者から信頼を得ることにも成功した。それがAppleというブランドを再生したわけだ。
そして、こういった一貫性、そしてそれを徹底的に煮詰めていく作業によってジョブズというオタクによるオピニオン=イデオロギーはユニバーサルなものとなった(だからiMacに当初振られた個人ユースが最終的にはビジネスユースにまで広がったのだ)。
責任を持った独断偏向を
つまり、僕が最終的に結論づけたいのはマスメディアの無能が実はオピニオンの無さ、一貫性の無さ、オピニオンを煮詰めることの無さ、そして報道に対する責任の放棄に由来すると言うことなのだ。マスメディアは腹を括り、明快なビジョンを持ち、それを責任を持ってオーディエンスに提示する。たとえ攻撃を受けたとしても、それに対する明確なビジョンでカウンターをあてる。そうすることで、実は初めてマスメディアは定型から抜け出し、強い訴求力を持つことが可能になる。残念ながら、現在のマスメディアは、こういったことをやらず、目の前のルーティーンにひたすら追われ続けている。つまり「思考停止」(強いて言えば、いちばんやっているのは受信料に依存し、視聴率の拘束を受けることのないNHKだ。でも、これこそ、まさに、皮肉なのだけれど)
こういった自由な立ち位置。実はそれこそがマスメディアの創造力に他ならないのだが……。一旦、オーディエンスに目を向けることをやめ、自らの有り様を自問自答してみること。マスメディアに求められているのはまさにこれに他ならない。