勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2012年09月

9月28日、AppleのCEO、ティム・クックがiOS6用に開発した地図アプリ「Maps」について謝罪した。Google Mapsへの対抗として独自に開発し、今回、鳴り物入りで搭載したアプリだったが、不具合が頻発したため非難囂々となったことを受けての表明だった。

実際、このマップがかなりビドいのはちょっと使ってみればすぐにわかる。たとえば第二東名高速がなかったり、羽田にいくつも鉄道駅があったりする。僕が以前勤めていた宮崎の大学も地図からは消されていた(^_^;。

しかし、僕が今回注目したのはMapsの出来のことではない。むしろこの不祥事へのクックの対応だ。というのも、そこにジョブズ亡き後のアップルの行方が垣間見えた気がしたからだ。そこで今回は、このクックの謝罪の意味とアップルの今後について考えてみよう。

ジョブズ流でないところが○~バカ正直、ノーガード戦法?

繰り返すが、とにかくMapsは出来がヒドい。だが、もしジョブズがこの事態に遭遇していたら、おそらく非難したユーザーに「だったら、使わなくてもいい」みたいな無茶苦茶な反応をするだろう。実際、iPhone4で持ち方によって感度が変わることの指摘(通称”アンテナゲート事件”)を受けた際、ジョブズは「どのスマートフォンでも起こることだ」と開き直ったほどだった。

ところが、今回、クックは全く逆の対応をみせた。先ず、苦情については「指摘に感謝する」とのメッセージを発し、不便を囲っていることについて「世界最高の製品を顧客に届けるという公約を果たせていなかった」と謝罪し、代替アプリの使用を奨めた後、さらにそのリストをApp Storeのコーナーとして準備しさえした。つまり全面降伏だったのだ。

この対応にはアップル・ユーザーの多くが面食らったことは想像に難くない。しかし、僕はこれはクックなりの見事な対応、そしてクックイズムの高らかな宣言にも思えた。というのも、こういった対応、実はリスク回避としてはきわめて巧妙なやり方だからだ。

そのまんま東=東国原が宮崎でやった手法と同じ

同様のリスク回避、さらにリスクを逆手にとって利用する典型的な例を一つあげてみよう。2006年、そのまんま東は突如、宮崎県知事選挙に立候補する。だが、この時点で東のイメージは否定的なものだった。通称「イメクラ事件」とよばれる不祥事で、事実上、芸能界から干されるという状況にあったからだ。だが、東は選挙運動で、なんと演説の冒頭にこの不祥事を自ら言い出し、笑いを取るという戦術をとることで支持を獲得してしまったのだ。こうすることで不祥事がロンダリングされるとともに、演説の枕として有権者の関心を惹起したからだ。さらに東は知事に当選し東国原英夫となってからも同様の手法を使っている。就任二週間目、宮崎では鳥インフルエンザが発生。これで宮崎の養鶏業も壊滅かと思われたとき、むしろこのネガティブな報道で宮崎地鶏の知名度が上がったことを逆手にとって、大々的に売り出してしまったのだ。これによって宮崎鶏は全国で知られるブランドになってしまったのはご存知の通りだ。

クックのやり方も、全く同じだ。いわば”ノーガード戦法”。自らの過ちをさっさと認めてしまい、それに対して迅速に対応をとることで、ブランドとしてのアイデンティティを維持するとともに、Mapsというアプリの存在、さらにアップルがマップを作ることも認知させることに成功してしまったのだ。こういった、マイルドな、そしてバカ正直な、それでいて 漁夫の利を得るやり方は、ジョブズだったら決してできなかっただろう。明らかにこれはクック独自の手法、だからこそ、これはクックイズムを知らしめる、言い換えればアップルの新しいやり方を認知させる事件と後々に位置づけられるのではないだろうか。

ジョブズ流でないところが×~緩い!

ただし、手放しで褒められないところもある。というのも、もしこれがジョブズ体制だったら、そもそもこういった混乱は起きなかった可能性が高いからだ。完全主義のジョブズは自ら製品開発に関与し、納得しないものは決してリリースすることはなかった。ということは、このMapsがリリースされる前にジョブズの目にかかれば「こんなものはクソだ!」ということになったはず(そして開発陣を罵倒し続けたはず)。つまり、ジョブズだったらこんな不完全な状態でリリースされることは決してなかったのだ。

MapsのリリースにあたってはGoogleとの確執もあったようだ。現在のGoogleMapには音声ガイダンス機能があるが、それがiOS5までのiPhoneのMapにはない。ところがこのMapはGoogleMapを利用しているもの。つまりGoogleはAndroidとiOSの差別化を図っていたのだ。そこで同じレベルにすることをアップルは交渉したが、これをはねつけられた。そこで意を決して自らマップを開発することにしたのだけれど。GoogleMapの利用権はまだ一年残っているにもかかわらずに、だ。

ジョブズだったら、やっぱりこんなやり方はしないだろう。交渉をし続け、その背後で極秘裏に独自のマップを開発し続け、契約期間完了の時点で突然、完成度の高い、そしてGoogleMapにはない魅力を備えたMapsを出し抜けにリリースしたはずだ。そしてGoogleを狼狽させたはずだ。つまり、クックのノーガード戦法はビジネス面でも反映されている。でも、それは言い換えればジョブズ的な狡猾さに欠けるということでもある。

クックの場合には脇の甘さも目立つ。iPhone5のリリースにあたっては事前に情報が山ほどリークされ、発表時にはすでにそのモデルが多くのユーザーに知られるところとなっていた。そして、それは新商品iPhone5発表のインパクトをいくらかは減らしてしまったはずだ。もし、こういったクックの“緩さ”が、今後アップルの社風にクックイズムとして浸透することがあるとすれば、それはアップルがジョブズという軸を失って迷走しはじめたことを意味する危険性を孕んでいる。

全てはMapsにかかっている?

ではクックはどうするべきか。僕は次のように考える。まずこの「バカ正直=ノーガード戦法」はクックイズムとして貫徹させる。ただし、今回説明しておいた「ジョブズでないところが○」という方針で。つまり、誤りをすぐに認め、そのフィードバックを迅速に行い、顧客の不信を振り払うこと、そしてブランドイメージを維持すること。さらに、それを逆利用すること。そしてジョブズのように「脇を締めること」。つまり、製品のリリースは煮詰めてからにする、さらに事前リークを厳密に取り締まることだ。

当面、クックにいちばん求められていることはMapsの完成を急ぐことだ。つまり、これだけボロクソに批判されてその知名度を上げたのだから、逆にアップル開発陣の全エネルギーを投入して、できるだけ早い時期にGoogleMapを凌駕するようなアプリを開発し、批判したユーザーの鼻を明かすことなのだ。これが可能になるならば、アップルの評価は復活し、いや、それどころネガティブイメージをポジティブにすることで「MapsのあるiOS」「ドライブするならiPhoneかiPadを持ちこんで」というイメージを一般に浸透させることができる。そう、とりあえず「謝罪」というかたちでアップルのブランドを維持することには成功した。そしてその知名度を知らしめることにも成功した。しかし、本当の勝負はこのMapsをどう扱うかにかかっているのだ。もし仮に、開発をあきらめGoogleMapに戻るようなことがあれば、それはアップルというブランドの失墜を意味することになる。そして、それはスマホ、タブレット市場で覇権を争うGoogleのAndroidに敗北することを意味するのだ。

冒頭に記したように、クックの謝罪は「クックイズムの宣言」と読み取れないこともない。しかし、本当の意味でクックイズムが成立するかどうかはこれとは別の話だ。そういった意味でMapsをどう扱うかがアップルの今後、いや「ジョブズのアップル」から転じた「クックのアップル」の行方を決めていくのではなかろうか。

インターネットという情報環境の出現?

大学祭が盛り上がらなくなったことを、大学祭のキャッチフレーズをヒントに考えている。

80年代までは政治色がある、ないは別にして学祭は盛り上がっていた。当時、学生といえば「カネがない」というのが相場(まあ、今もそうだけれど)。だから学祭は年に数回しかない楽しいイベントの一つとして多くの学生が位置づけていたことも確かだった。

ところが、これが21世紀に入って様子が変わってくる。その大きな引き金となったのは、やはりインターネットを中心とした電子メディアの普及だ。大学の若者たちは(若者に限ったことではないけれど)、大学キャンパスという限られた物理的空間にその活動拠点を制限されていたことから解放され、インターネット、ケータイ、さらにはスマホを通じてさまざまな環境に身を投じるようになる(しかも経費的にも安上がりだった)。それは必然的に嗜好の多様化をもたらした。狭い空間に閉じ込められるがゆえに、その中でアイデンティティを形成することを余儀なくされるという状況が解消されたのだ。だが反面、それは学生における大学という存在・価値観の相対化ということでもあった。いいかえれば、大学という空間は学生たちが活動する様々な空間(サイバー空間を含む)の一つとして再定義されるようになった。だから、大学へのアイデンティフィケーションも薄れていったのである。

誰でも大学生

こういった大学へのアイデンティフィケーションの希薄化を促したのはそれだけではない。大学進学率の上昇も重要な要因だろう。90年代から大学はその数を増やし、さらに定員も増加。その結果、2005年には大学進学率は50%を超える。だから、大学生だからといってエリート意識を持つことはちょっと難しくなった。一方、少子化によって大学進学該当世代の人口は減少。その結果、文句を言わなければ必ず大学生になれる(しかもほとんど試験らしいものを受ける必要もなく)という時代が到来。かつては受験戦争の中で一生懸命勉強し、やっとのことで入るというのが大学。だから入ったことに誇りを持てたけれど、それすらなくなった。

こういった大学の存在、大学生であることの意味の希薄化の文脈で学祭も位置づけられるようになる。つまり多くの学生たちにとって学祭は「誰かが、よろしく、やっている」というものになった。学祭期間中は授業は休講となる。学祭は土日を挟んで四日程度というのが一般的。となると、ちょっと帰省するにはちょうどいいということで、この間、学生の多くがキャンパスから消えるようすらなっていったのだ。

祭の勢いを殺ぐアルコール・フリーという風潮の出現

これに、さらに拍車をかけたのがアルコールを巡るさまざまな事件だった。2006年8月、福岡の海の中道大橋で飲酒運転のクルマが追突し、相手のクルマが博多湾に転落。乗車していた家族の子ども三人が死亡した事件をきっかけにアルコール自粛というムードが社会全体を覆い尽くすようになった(祭の”振る舞い酒”すら「時節柄」という理由で中止されたほど)。この流れが大学キャンパスにも押し寄せる。キャンパスのあちこちでアルコール・フリー宣言がされるようになったのだ。これは大学側のリスク管理という側面が強かった。世は権利意識肥大の時代。もし、大学で学生が飲酒して何かトラブル(ケンカ、急性アルコール中毒など)に巻き込まれた場合、その責任は学生本人ではなく、キャンパスという環境で飲酒をさせた大学にあるという認識がだんだんと浸透していったのだ。そこで、大学側としてはこういったリスクは未然に回避したい。だからキャンパス内は次々とアルコール・フリー化していった。もう、ゼミ室でゼミ終了後に教員とゼミ生がちょっとイッパイなんていう牧歌的な時代は、責任問題が発生する恐れがあるゆえ、終わってしまったのだ。

当然、壮大な飲み会であるところの学祭の飲酒も次々と中止となった。アルコールのない祭なんてのは「クリープのないコーヒー」みたいなもの(たとえが古くてすいません(^_^;)。こんなスカスカの学祭で、しかも「だれかが、よろしく、やっている」みたいな感覚が学生たちの間で一般化してしまえば、当然、学祭は盛り上がらなくなる。

しかし、学祭は大学の重要なイベントの一つ。大学当局側としては、これがなくなってしまうのも困りもの。そこで結局大学側が学祭にテコ入れすることになった。つまり学生ではなく、大学当局主催のイベント。でも、これじゃあこの祭は、田舎の「○○銀座商店街まつり」みたいなもの。御輿を担いでいるのは子ども、そしてその周りを一緒に歩いているのは老人たちという、全く活気のない、そして管理され尽くした、言い換えればスカスカの催しと何らかわりはない。こうやって学祭における大学生の主体性は骨抜きにされてしまったのだ。

スカスカの学祭で必然的に生まれたスカスカのキャッチフレーズ

こういった、大学祭を巡る様々な要素が結果としてチャラい、やはりスカスカの学祭キャッチフレーズを生むことになる。学祭に携わる学生は一部だけ。そのやり方すら大学当局の指導の下で展開される。つまり「○○銀座商店街の子どもと老人の関係」。当然、キャッチフレーズにも主体性も気合いもない。だから「ま、こんなところで」ということで安っぽい横文字の、さながら売れないJ-POPのタイトルみたいなものになってしまった。まあ、こんなところだろう。そして、この流れはさらに加速していくのではないか。ひょっとしたら、そのうち学祭をやらない、つまり「大学祭フリー」の大学が出現するかもしれない。

最後に、まだ盛り上がっている学祭もあることを取り上げておこう。それは、ごく一部の大学に限られる。いいかえれば学生がまだ大学にアイデンティファイしている大学だ。それは……いうまでもなく東大、早稲田、慶応といった高偏差値大学だ。彼/彼女たちは、ここに入りたくて一生懸命勉強し、晴れて入学したのだから。

大学祭が盛り上がらなくなったことを、大学祭のキャッチフレーズをヒントに考えている。前回は現在、学祭のキャッチフレーズはカタカナ=英語表記のまるでJ-POPのタイトルのようなチャラいものになっているということ、そしてこうなった流れの源流を遡りながら、60年代のそれは実に硬派なものであったことを確認しておいた。

政治の季節の終わりと消費生活、そして大学の大衆化

さて70年代に入り、大学の様子は次第に変化していく。これまた六十年代と同様、二つの流れがあると見ていいだろう。その流れは六十年代のそれとは逆方向となる。ひとつは「政治の季節の終わり」だ。東大安田講堂での学生と機動隊との攻防戦の後、学生運動は下火になり、72年、連合赤軍の内ゲバとあさま山荘事件で学生運動はほぼトドメを刺される。学生たちは「われわれ」という連帯を捨て、「キミと僕」というダイアドな関係、言い換えれば私的な生活に閉塞するようになる。音楽一つをとってみても政治的なメッセージソングから個人的な生活を謳う四畳半ソング=フォークや、音楽それ自体や歌詞の叙情を楽しむようなニューミュージックが主流となっていった。

ただし、若者にはエネルギーがあるということにはかわりはない。そこでそのエネルギーを代替したものが消費生活だった。ラジカセ=深夜放送を中心としたメディア生活、ファッションへの嗜好の増大(とりわけ男性)といった現象が若者を取り囲むようになるのだ。もちろん、その中に大学生も部分集合として含まれていた。

もう一つの流れは大学の大衆化だ。進学率が一気に上昇。大学へ進学することはエリートや富裕階層の特権ではなくなったのだ。言い換えれば、それは「社会を引っ張る歯車」になることにさして抵抗を覚えない、保守的な学生たちの出現だった。

こういった大学生=若者を巡る環境の変容にあわせて学祭も変化していく。それは、やはり「消費化」ということばで表現することができるだろう。政治ムードの退潮に伴い、学祭でも政治的な彩りは失われる。また大学の大衆化によって学祭からアカデミズムの色彩も退潮し、その一方で消費=コンサマトリーな側面が前面に現れるようになるのだ。

壮大な飲み会会場の出現

これはとどのつまり「文化を表現する祭」から「壮大な飲み会」への変容を意味していた。学祭では、とにかくあちこちに模擬店=飲み屋台が出現し、一日中飲み続けるという状況が作り上げられる。そして、この消費的な側面に商業資本、つまりイベント屋が入り込んでくる。学祭で行われるライブはイベント屋が持ち込むアーティストやタレントのライブショーとなっていくのだ。学祭自体は形式的には学祭実行委員会が主催していたが、実質的にライブそれ自体はイベント屋が担当するというアウトソーシングスタイルだった。たとえば僕が大学生だったのは八十年代前半。在籍した法政大学の学祭ではRCサクセション、スターリン、そして松本伊代という感じでライブが展開された(ただし、当時、法政はこういったイベントを他大学とは違って、自主的に開催していた。当時、法政はなぜか時代祭のように六十年代の政治的な風潮が残っていた。黒ヘルとか中核とかが学生会館を管理していたりして、結構主体性があったのだけれど、これは例外的だった)。また、応援団が酔いつぶれた学生を収容して介護するために大教室を貸し切り、酩酊した学生たちをそこに収容するというボランティアを買って出ていた(この時、その教室は、当然「トラ箱」と呼ばれていたのだけれど)。

ただし、やっぱり学祭は盛況だった。学祭は学生たちにとって年に一度の楽しいお祭り。それは、さながら当時大人気だったマンガ「うる星やつら」のドタバタてきな雰囲気に他ならなかったのだ。

だが、これが90年代後半あたりからおかしくなってくる。(続く)

カタカナの安っぽい、チャラいキャッチフレーズが並ぶ

先週、東京新聞の記者から最近の大学祭についての質問があった。学祭のキャッチフレーズが次のようなものが増えたことについて分析してほしいというものだったのだけれど。


○東大「Festaholic」……フェスティバル(祭)とホリック(中毒)をかけた意味
○首都大学東京「cool」……すばらしい、知的な、の意味。中央のOOに無限大、というニュアンス
○東京音楽大「DREAM」……夢や希望を与える
○東洋大「Re~新しいスタート」 
○立正大「colorful paint(カラフルペイント)」……参加者の思い出を、カラフルに彩る
○桐蔭横浜大「vintage~伝統ある文化~」 
○亜細亜大「color~みんなの「いろ」で創るアジア祭」
○早大「心に夢を、明日に彩りを」


記者が指摘していたlのは横文字が増え、硬派さが薄れて軽くなっていることだった。たとえば東大の昭和四十三年の東大紛争の際に、当時東大生だった橋本治が「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」という有名なキャッチフレーズ残しているが、これと比べるとその違いがよくわかるという。

まあ、たしかにそうだ。な~んにも考えていないようなコピーに思えないこともない。J-POPのタイトルみたいな薄っぺらさだ。じゃあ、なんでこんなにチャラくなってしまったんだろう?ということで、今回はこれについてメディア論、そして若者文化論の側面から考えてみよう(なお今回の特集の一部は9月20日の東京新聞に掲載され、9月26日の「めざましテレビ」でも紹介されている)。


六十年代、まだ若者が”ヤング”だった頃、学祭は政治色を帯びた、賑やかなものだった

六十年代後半、学祭は盛況だった。各大学が様々な趣向を凝らして学祭を盛り上げていた。祭りゆえ、そこでは飲酒があり、ライブが開催されというお決まりのパターンはあったが、学祭自体がかなり政治的な色彩を帯びていた。政治集会やライブが開かれた(ライブといってもギター一本で政治的なメッセージソングが歌われたのだけれど)。また学祭は「文化祭」でもあるので、部やサークルが自分たちの活動や研究を披露する場面でもあった。つまり、それなりにアカデミックでもあったのだ。

こういった「硬派」な学祭が催されていた原因はいくつかある。ひとつは時代が「政治の季節」であったこと。当時の若者、つまり「団塊の世代」とよばれた層(現在六十台半ば)は、時代の矛盾に「異議申し立て」をするというムードを漂わせていた。第二次世界大戦後、それまで日本のOSとして機能していた皇国史観みたいなものが一切否定された。代わって前面に押し出されたのが民主主義。つまり日本国憲法に謳われている「国民主権」という発想が新しいOSとして扱われるようになったのだ。言い換えれば、それまでの大人はもはや×。これからは新しい世代が新しい次代を担うべきという風潮が世間一般に流れていた。そして、団塊世代(昭和23~25年生まれ)はその第一世代として「明日の未来を担う存在」と定義づけられたのだ。

ところが、彼/彼女たちが学生になってみると様子が変わっていた。時は高度経済成長。産業構造も安定し、企業社会が実現する。となると、社会が彼/彼女たちに期待したのは「未来を引っ張る人間になる」のではなく「未来を引っ張る歯車になる」だった。「それじゃあ約束が違う!」そんなふうに思う若者たちが現れたのだ。

でも、どこに?それが大学だった。当時、大学進学率は一割台。ということは大学に入ってきた若者たちは、今の学生(現在大学進学理手は五割超。しかも大学は供給過多で、文句を言わなければ誰でも大学生になれる大学大衆化の時代)とは異なり「選ればれて入ってきた」というエリート意識を強く持つ若者たちだった。つまり、これから社会を引っ張っていく主体であることを約束されたと思っていたわけだ。にもかかわらず、この約束は反故にされた。

そこで、自らを主張する必要が出てくる。そしてその一つが学祭だった。だからこそ、強いメッセージを放って、ヤング(もはや”死語”だが)としての「われわれ」が大人としての奴らにカウンターをかませようと、強烈なメッセージが発せられていたのだろう。そして、そこで学んだものをしっかりとアピールしようという“主体性”も存在した。つまり「ちゃんと勉強しよう」としていたのだ。

だが、70年代に入り政治の季節が終わると、学祭の趣は微妙な変化を見せ始める。その賑わいはそのままに。(続く)

結局、ShuffleとTouchの真ん中という苦肉の策

iPodのメディア特性の変容について考えている。2007年のiPhone出現後、iPod nanoのアイデンティティが混乱し続けていることをお伝えしてきた。そして2010年にリリースされた第6世代の失敗の後、今年九月に発表された第7世代はウエアラブルの徹底を廃し、再び新たな方向を提示しようとしている。

まあ、結論を言ってしまえば、新しいnanoの位置づけはShuffle←nano→Touchということになるんだろう。つまりTouchのようにネットやゲームがやれるわけではないし、アプリが落とせるわけでもない。ただしTouchのようにデカくはない。でも2.5インチの16×9のワイドスクリーンなのでビデオを見ることはできる。メモリーは16GB=2500曲のみという割り切りの良さ。これはTouchのようにヘヴィーリスナーがライブラリーを全て持ち運ぶことはできない(新しいTouch=第5世代は32GB=5000曲と64GB=10000曲)けれど、一般のリスナーでは十分な容量となる。


一方、Shuffleのように突き詰めたウエアラブル感はない(Shuffleは12.5g、nanoは31g。大きさはそれぞれ3×3×0.9cmと4×7.5×0.5cm。ただしShuffleはクリップの厚さを含む)。しかしShuffleのように2GB(数百曲分)しか入らないとことはないし、ビデオも見ることもできる。また、確かにShuffleよりは大きいが、薄さとBluetooth(明らかに、ワイヤレス・イヤホンの使用を想定している)がそれをカバーするようになっている。

というわけで、現在のところ、いちおうnanoは残り二つのシリーズの真ん中と言うことができる。まあ、それなりの”解≒落とし所”といえないこともない。それゆえ、ある程度の売り上げを達成することができるだろう。ただし、あくまでも「落とし所」の域を出てはいないことも確かだ。そしてこの「真ん中取り」をした場合、実は競合機種のWALKMAN、とりわけF、Sシリーズあたりと見事にバッティングしてしまう。こうなると、やはり他メーカーとの差異化も難しいということになる。ということは、これを積極的に購入しようとする層は限られる。やはりアイデンティティとしては弱い。つまり、それはつまり爆発的なヒットは望めないということだ。結局、本格的なアイデンティティの獲得は先送りされてしまっているのだ。

ShuffleこそBluetoothを搭載すべき

最後に今回のiPodリニューアルで変更がなかったiPod shuffleについても触れておこう。iPod Shuffleについては2010年の第4世代で、いったん、そのメディア性について“解”を得たと判断することができる。つまり「ズボンのベルト紐に挟める大きさ」「ジョギングに最適」というレベルでのウエアラブルの徹底だ。第3世代のあまりにもやり過ぎた小型化から比べると第4世代は非常に収まりがいい(第2世代に限りなく戻った)。まあ、そう考えたのか今回は何ら変更はなしだった。

ただし、以前よりその売り上げが落ちていることも確か。それゆえ次回のリニューアルではテコ入れを余儀なくされるだろう。このウエアラブル性をより徹底させる方向は案外、簡単だ。一つはNike+iPod機能の追加(ということはインターネット機能の導入ということでもあるのだけれど)、もうひとつはBluetoothの導入によるイヤホンのワイヤレス化の導入だ。これは要するに「フィットネスマシン」としての強化を意味している。これを現在の4200円という価格で実現すれば、かなり大きなインパクトになるだろう。明らかにライフスタイルの提案となるからだ。その時にはもはや”iPod Shuffle”というよりも”iShuffle”とでも読んだ方が正鵠を射ているほどのアイデンティティとなるに違いない。「スポーツタイプのiPod」という提案だ。こういった機能分化を期待したい。

ただし、もしそんなことをしたら、やはりiPod nanoのアイデンティティ構築には大きな障害になることも確か。つまり、これら機能を加えると言うことは、今回nanoに搭載した機能の多くと重複してしまう。そして利便性を考えると、それら機能の使いこなしはiPod Shuffleの方がはるかに上だからだ。

というわけで、iPodという生態系のメディア性=メディアとしてのアイデンティティが固定するまでには時間がかかるようだ。ただし、グズグズしているとそのうち存在価値を失ってしまうかもしれないけれど……。

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