LINE=mixiの長所-mixiの短所+LINEの魅力
国産SNS・mixiの行く末について考えている。前回は「LINEのソーシャルネットワーク化の先にあるもの – SNS難民は救われ、mixiは死ぬ」(http://www.littleshotaro.com/archives/1777)というブログで指摘された「LINEによってmixiは死ぬ」という議論の穴を明らかにしておいた。今回からは、この穴を塞ぐかたちで、やっぱりmixiの行く末は暗いという結論をメディア論的側面から考えていく。
前回、上にあげたブログの穴として、FacebookやTwitterと行った“外来種”のSNSに乗り換えた元mixiユーザーが、これら外来種が敷居が高すぎて馴染めなかったにもかかわらず、なぜ古巣のmixiに戻らず、新しいLINEを選択したという理由が説明出来ていないことを突いておいた。そして、その穴を埋めるかたちとして「 LINE=mixiの長所-mixiの短所+LINEの魅力」という図式を提示しておいた。つまりLINEはmixiの魅力を共有している一方、その欠点を覗き、さらに独自の魅力を加えていることで支持を得た。ということは、LINEのこの魅力三つを説明すればmixi→LINEという流れが説明出来ることになる。ということで、いってみよう!
その1:LINEとmixiに共通する長所=牧歌的
これについては、ここで叩き台として取り上げた前述のブログがだいたい解説している。つまり、SNSとしてのアーキテクチャーが比較的単純なので参入しやすいというもの。mixiの場合は日記、つぶやき、コミュニティがその中心。一方、LINEはトーク(一対一、グループ)と通話だ。つまり機能が限定されていて、FacebookやTwitterのようにゴチャゴチャしておらず、使いやすい。でもって、コミュニケーションの相手は原則、身内や友人だ。言い換えればリアルな関わりを活性化するヴァーチャル・コミュニケーションツールという位置づけだ。実際、インターネットが世界中に情報をばらまくメディアであったとしても、そのコミュニケーションは、基本的には身内の域を出ない仕組みにもなっている。ということは、ここでパブリック-プライベートの線引きを間違えたコミュニケーションをやったところで「バカ発見器」として機能する可能性がほとんどない。だから、あんまり周りのことを気にせず、自由に発言出来る。つまり”牧歌的SNS”という言葉がぴったりくる。
低年齢層向け?
この牧歌性は、翻って、こういった牧歌的な使い方しかできないユーザーたちを収容することになる。だからmixiもLINEも、そのユーザーのコアは低年齢層だろう。断言してしまえば大学生以下。いや、もはやその中心ゾーンは高校生くらいにまで下がっているかもしれない。
その2:mixiの短所=ウザい
mixiの短所を単刀直入に表現すれば、それは「ウザい」ということになる。ただし、このウザさは、当初は魅力でもあったのだけれど。
mixiの大もとの機能は日記だ。自らが日記を綴り、それをマイミクに公開するというのが基本。これに、やがてタイムラインなどで流れるつぶやきが追加されている。またコミュニティ機能もある。但し、この日記の部分がウザいのだ。とりわけ、当初、重要なチャーム・ポイントとみなされた「足あと」がウザい。mixiの機能はリアルな人間を結びつけるには実に便利なのだけれど、反面、お互いの関係を強く拘束するという側面を持っている。つまり、足あとを見れば、実際は日常的に接している友人が自分の日記を見たかどうかが一目瞭然。 マイミクはハンドルネームでこそあるが、身内・友人間でのコミュニケーションだから、実質的には誰が訪れたのか判ってしまうからだ。 だが、こういった機能を必要とする層がいる。高校生以下のティーンエイジャーだ。
限定されたコミュニケーション環境がmixiを必要とさせた
ユーザーのコア層である彼/彼女たちはまだ子ども。だから自らが関わるコミュニケーション環境がきわめて狭い範囲に限られている。ただし、これから彼/彼女たちが関わるようになる社会はきわめて大きい。だから、そのままその環境に身を投じるなんてことはちょっとおっかない。そこで、彼/彼女たちは自分たちが今関わっている狭い環境=グループを強化して、実際の大きな社会の恐怖、あるいは見えづらさを回避しようとする。
みなさんは、高校や中学校の頃、非常に奇妙な女の子たちを学校で目撃したことがないだろうか。たとえば休み時間に廊下で二人でずっと抱き合っているとか、二人の椅子をロープで繋いでいるとか、あるいはわけもわからず二人で泣き合っているとか。これって、ようするにこういった複雑なコミュニケーション環境を縮減しようとするある種の防衛反応なのだ。つまり、この女の子たちは、常に、さながらレズビアンのように始終接触を続けることで、自分たちの居場所=安定したコミュニケーション空間をを確保するという戦略を採っている。
まあ、これは極端な例だけれど、ほど同様な自己防衛戦略を行為を多くのティーンエイジャーたちは実践している。で、この格好のツールとしてmixiが利用されてきた。つまり、互いに日記をつけ、足あとを調べ、相互に関わりが続いていることをリアルとヴァーチャル相互でチェックする。言い換えれば、相互監視の状態において、互いに規制しながら自らの居場所を確保する。
ただし、mixiの場合は、この関わりの程度を詳細にチェック出来るわけで、こうなると無理矢理足あとをつけるみたいなことが日課になってくる。要するに過同調状態になってしまい、だんだんと日記をつけること、足あとを見ることが義務みたいになってくる。というのも、足あとをつけないと相手をハブいたことになるし、逆に日記をつけないとハブられた気分になってしまうからだ。で、こういったことがもとで、グループ間で不協和音が生じると言うことも出現するわけで。その結果、出現するのが「mixi疲れ」というわけだ。
さすがに、このことに気付いたmixi側は「mixiボイス」という足あとをつけずに済む機能や「イイネ!」ボタンやを追加したりした後、2011年6月に「足あと」の機能を削除し、ているが、やはり「先週の訪問者」(「足あと」の置き換えで、機能を簡略化したもの)という機能が残っている。で、これもまた、やっぱりウザいのだ。これは余談だけれど、僕の教え子たちに訊ねてみると、もはや彼/彼女たちのかなりがmixiから退会するか、利用を停止している。そう、そして彼/彼女たちが共通にmixiを表する言葉が、この言葉だった。つまり
「mixi、ウザい!」
そこで、mixiの牧歌性をそのままにmixiのウザさを削り落としたのがLINEだったというわけだ。ただしLINEの魅力はこれだけにとどまらない。mixiにはないプラスα=新しいメディア機能を備えているがゆえにLINEは広がっているとも考えなければならない。じゃあ、それは何か?(続く)