勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2012年07月

僕の講義(メディア社会論)を受講している学生たちのスマホの利用形態アンケート結果についてお伝えしている。

Wi-Fiを知らない?

最後に、スマホをどういった環境で使用しているかについても聞いてみた。スマホと言えばWi-Fi環境の上手な使い方が、その効率性、利便性をアップさせるということについては異論はないだろう。Wi-Fi環境ならパケット代を気にする必要はないし(まあパケットし放題にしてあれば関係はないけれど)、スピードも速い。だから、当然ながらスマホを頻繁にWi-Fiに接続していると行ったことが想定されたのだけれど……結果は逆だった。Wi-Fi利用率は48.8%。なんと半分以上のユーザーがWi-Fi環境を利用していないのだ。そして接続しているユーザーのWi-Fiの使い方もきわめて限定されている。利用者がWi-Fiを最も使う環境が家庭で74.6%、大学19.3%、公共の無料Wi-Fiスポット32,6%、有料Wi-Fiスポット4.6%といった具合。つまりWi-Fi環境というのは原則家庭内ということになる。奇妙なのは大学での利用率。キャンパス内にはWi-Fi環境が整備されていて、学生には利用するためのアカウントが割り当てられているのにもかかわらずこの数値なのだ。中にはキャンパス内にWi-Fiが飛んでいることを知らない学生もかなりいた。で、もっとすごいのはWi-Fiの意味を知らない学生すらいたこと。もっともウチの大学のWi-Fiが強くないのでプチプチ切れ、再び接続する際にIDとパスワードをきいてくるという、オマヌケなシステムであることも問題なのだけれど(^◇^;)。

またスマートフォンとパソコンのデータ共有=同期率についても、かなり興味深い結果が出ている。同期はスマホが故障などでデータを消失してしまったり、スマホ自体を紛失してしまった才のバックアップとして欠かせない機能。しかし共有率は34.1%で、全体の三分の二がスマホをスタンドアローンで使用しているのだ。なくしたら、どうするんだろう?

つまりスマホって?

さて、今回の調査を総括しよう。僕の大学の講義受講生からスマホの利用について考えられることは1.様々な機能の利用率アップ、2.牧歌的な使用法、3. コンサマトリー(消費)的な利用の三つだ。

まず、一つ目。とにかくあらゆる機能の利用頻度が上がる。これは、要するにコンピューターがウエアラブルになり、なおかつものすごく簡単になったことで各機能に積極的にアクセスするようになったことを示唆している。いいかえれば、ユーザーインターフェイスの問題といっていい。パソコン普及の歴史はまさにこのユーザビリティの歴史だった。つまり、どうやって一般の人間が、これをさながら家電のように使いこなせるようになるか。そして、その一つの到達点がスマホということになる。ITリテラシーの高くない高齢者、そして女性までもがスマホに職種が伸びるというのは、ユーザビリティがある程度の熟成を見たからだとみなしてもいい。

ただし、調査報告の最後に示した学生たちの意外な使い方、つまりWi-Fiの利用率があまり高くなく、利用していたとしても家庭内が中心であること、そしてデータ共有を三分の二がやっていないという牧歌的な使い方は、ユーザビリティがまだまだ頂点に達しているのではないことを物語ってもいる。だから、ユーザビリティを高めていくという課題はまだまだ残っている。たとえばWi-Fiならば、これがあちこちに偏在するようになり、ほとんど無料で接続可能になるようになって、ユーザーがWi-Fiのことなど気にしなくてもいいような環境を作り出す必要があるし、データ共有もスマホ=キャリア側が自動的に行うといった環境を整備する必要がある(もちろんプライバシーのことを十分踏まえつつということになるけれど)。

そして、最後の三つ目、コンサマトリーな側面だけれど、実は単に便利と言うことよりも、こちらこそがスマホの魅力の大きな側面、あるいは人々に購入を促すメディア性なのかもしれない。パソコンやガラケーに比べれば、スマホは格段に遊べる、ヒマつぶしができるツールなのだ。アプリで利用されているトップがSNS、ついでゲームというのはこれを物語る。つまり、この二つはとっても遊べる、コンサマトリーなツールだからだ。このハマり具合は、ガラケーでは、ちょっと得られないものではないだろうか。「これからもスマートフォンを使おうと思うか」という質問に対する肯定的な回答は92.1%、ガラケー所有者で「将来的にスマートフォンを使ってみたい」と応えたものは71.0%だった。

どうやら、世界がスマホで埋め尽くされるのは時間の問題のようだ。

僕の講義(メディア社会論)を受講している学生たちのスマホの利用形態アンケート結果についてお伝えしている。今回は各機能の利用状況についてみてみよう。

相変わらず、使われていない通話機能

先ず通話について。一週間の電話の回数は平均4.7回、時間にして36.8分。意外なほどに電話の機能が使われていないことがよくわかる。ただし、これはガラケーの時よりもやや頻度がアップしている。おそらくスマホにはLINEやSkype、Viber、Tangoといった無料通話アプリの存在があるからだろう。有料電話と無料電話の利用頻度の割合は3:2だった。しかし、この通話回数の少なさは、スマホにしてもガラケーにしても、これらが結局のところ「電話」ではなく他の機能のためのツールとして使われているということを意味している。もっとも、通話に関するこの結果は、調査対象が学生ということも留保しなけりゃならないだろう。なんと言っても、学生はカネがないので(^_^;。

メールは若干増加

一日の平均メール送信数はガラケー→スマホで9.3→12.7回とやや増加している。これは、おそらくPCメール=パソコンのメール・アドレスベースのメールの利用が影響をしているのではないだろうか。学生たちにとってメールと言えば、原則キャリアメール、つまりガラケーのメールで、これをスマホに持ち帰ることでPCメールデビュー、あるいはこれまで登録だけだったものが本格的に使われるようになるといったことが予想される。でも、だったらもっと利用頻度が増えていいのではないか?との疑問もでてくる。で、これを否定するのがPCメールとキャリアメールの利用頻度だ。「両方使う」が39.5%、「キャリアメールのみ」がなんと60.2%、「PCメールのみ」に至っては0%だったのだ。つまり、依然として学生たちにとってメールの利用はキャリアメールなのだ。ちなみに両方とも使っているユーザーの利用方法の使い分けがおもしろい。「連絡用」、つまり相手との一般的なメールのやりとりについてはキャリアメールで95.3%、一方PCでの利用頻度は9.3%に過ぎなかった。要するに、僕のところの学生たちはメールの利用スタイルについては、ガラケーの頃とほとんど変わっていないと考えることができる。

スマホはインターネットマシン+SNSマシン

インターネットについてはその利用率はスマホで99.7%、ガラケーで83.9%だった。やはりスマホはインターネットの利用を加速させるというか、要するにスマホというのは電話機を装ったインターネットマシンと表現するのが正鵠を射ているということになるだろう。

またネットの利用方法について「最も頻度の高いものは何か」という質問にはスマホがSNS69.0%、検索7.1%、ソーシャルゲームとブログ4.8%の順。ガラケーがSNS36.7%、ソーシャルゲーム13.3%、ニュース10.0%といった順だった。ということはスマホはSNSの利用率を加速させる、あるいはスマホでSNSはほとんどあたりまえの機能になると言うことなのだろう。また、スマホにあってガラケーにない機能としてあげられるのが検索だ。とにかくマメに調べる。これは、別に勉強で調べるのではなく、レストラン検索、住所検索といったGPS機能を生かしたものがおそらく影響しているのではなかろうか。ちなみにガラケーの場合、多いのはクーポンだ。MCDONALD’Sで画面を見せると料金割引になったり、おまけがついたりするサービスが考えられる(もっとも、こちらはスマホでも利用可能だけれど)。ちなみにソーシャルゲームは比率が減少しているが、これはスマホになったらソーシャルゲームをやらなくなったと言うことではなく、他の機能を使うようになったので、相対的に比率が下がっただけと考えるべきで、アクセスの絶対数が減少したのではないだろう。

やはりスマホはアプリマシン。ということは……

さて、スマホと言えばやっぱりアプリだ。実際その利用率は97.7%で、ガラケーのアプリ利用率43.9%と比較するとその差は歴然。さっき、スマホはインターネット・マシーンと表現したけれども、当然、アプリ・マシンということでもある。ということはスマホは「ネット+アプリ・マシーン」、言い換えれば「持ち運べるパソコン」というところに最終的に落ち着くことになる。で、実のところ、これこそがスマホの正体と言えるのではないだろうか。

コンピューターとはスマホのこと?

かつて70年代前半、ゼロックスのパルアルト研究所の研究員だったアラン・ケイは「ダイナブック」という構想の中で、スケッチパッドというコンセプトを提示した。これはA4サイズの板状のディスプレイに様々なアプリを提示し、これを操作するというもので、芝生で子どもたちがこのスケッチパッドをいじっているという絵が、その使用形態のイメージとして表現されていた。そして、この考え方は後のコンピューターのたどり着く最終形としてみなされるようになる。結局、これはiPadという形で具現化したが、コンピューターのあるべき方向は、それよりもむしろさらに小さいスマホだったと考えていいのではないか。要は、コンピューターと言えばデスクトップやノートパソコンと考えていたのがマチガイで、ホントのところコンピューターというのはスマホのことなのだ。

カメラ機能はどう使われているか

次にカメラ機能について。利用率は84.1%。一週間での平均撮影枚数は5.4枚。ガラケーがそれぞれ83.3%、5.3枚なので、その利用率についてはほとんど変化はない。この辺の機能はメールと同様、ガラケーの利用の時代にそのリテラシーを成熟させてしまっていると考えられる。ちょっとおもしろいのは動画撮影で「する」「たまにする」と回答したものが47.6%で、ガラケーの28.0%に比べると明らかに増加している。おそらくスマホがガラケーよりも動画の画質がよいこと、そして簡単に撮影出来るといったところが、その仕様を促進させている可能性が考えられる。

さて、それじゃあ全般的に見るとスマホはどのように使われているのだろう?(続く)

本ブログでは、ここのところスマホやSNSについての特集が増えているのだけれど、実はこれ、この二つについて現在調査を始めているため。プロジェクトチームを立ち上げ、ゼミ生たちにもこの研究に取り組ませ、外部団体から助成資金を獲得しなんてことで、まあいろいろと調べている。

で,今回はそのアウトプットの端緒を、ちょっとだけご紹介したいと思う。ネタは「ガラケーからスマホに持ち帰ると,若者の情報行動はどう変わっていくのか」。まあ,若者といっても今のところはうちの学生の一部、つまり関東学院大学文学部現代社会学科の学生にアンケートをとってみた程度で一般性があるわけではないのだけれど。とはいっても,なかなかおもしろい結果が出たので、参考までにお伝えしておこうと思う。ちなみに、これ以降、さらにインタビューやアンケートを取り、分析を重ねていって、より一般性の高い統計を最終的に出す予定ではある。で、結論から言っておくと「ガラケーをスマホに持ち帰ると、以前より、やたらと様々な機能を使い始めるようになる」。つまり、スマホはドンドンと若者たちのメディア・ライフの中心に食い込んでいく。

さて、今回はその一回目。スマホ利用の概要についてお伝えしたい。アンケート回収数は88票。その対象は僕の講義「メディア社会論」を受講している学生たちだ。

平均を上回るスマホの所有率

まずスマホの所有率について。これは66.3%だった。正確な統計を取っていたわけではないけれど、一昨年後期、同じ講義でスマホ(当時は全てiPhone)を所有している学生に手を挙げてもらったときには100名程度の受講生のうち3名足らず。それが昨年の後期では四割近くになり、そして今回は3分の2に達しているわけで、その普及率にはめざましいものがある。平均利用歴は8ヶ月ほどだった。

OSの割合ではAndoroid=53.3%、iOS=44.3%、WindowsPhone=2.2%で、現在、市場でのシェア比率がAndroid:iOS=6:4ということを踏まえると、ややiOSが高い。またWindowsPhoneの利用者がいることにはスタッフ一同、”へーっ!いたんだ~っ”と、びっくり!

かなりたくさんの機能を使いこなしている

次に、スマホで利用している機能についてきいてみた。電話=100%、メール100%、インターネット=97.8%、音楽プレイヤー=64.4%、カメラ=91.1%、前記のものに該当しないアプリ80.0%といったところ。つまり主要な機能のほとんどが使われている。ちなみに音楽プレイヤー機能の割合が少ないのはiPodやWALKMANとの二台持ちで、音楽の方はこちらの方で使っているためらしい。この理由は、学生たちによれば1.スマホで音楽を聴いてバッテリーを消費したくない(Androidの場合は音楽プレイヤー機能でもバッテリーの消耗が激しいので音楽専用プレイヤーとの二台持ちにすることが結構多い)、2.音楽プレイヤーに慣れているので変更するのが面倒、ってところが考えられるとのこと。

スマホに切り替えると全ての利用率がアップ

ガラケーからスマホに切り替えるとそれぞれの機能の利用頻度はどうなったかについてきいてみた。で、全ての機能の利用率がアップしている。最も利用頻度が増えたのがアプリで、「以前より増えた」という回答はなんと81.9%だった。次いで頻度が増えたのがインターネットで77.3%。要するにスマホというのはインターネット&アプリマシーンということになるわけで、これが意味するところはスマホとは「ケータイ」ではなく「持ち運ぶパソコン」ということになる。また、カメラ機能については43.2%、音楽プレイヤー機能については36.3%が増えたと答えているので、こちらについても利用はかなり上向きだ。

電話についても29.5%の上昇が見られるが、これはLINEやSkypeなどの無料電話の存在があるからだろう。

一方、メールについては13.6%の増加にとどまっている。おそらくPCメール分の増加と言うことが考えられるけれど、他の機能に比べると上昇率が低いのは、メールそれ自体の利用がケータイの時代で熟成してしまっているからではないだろうか。

さて、今回はスマホ利用の概況をお伝えしてきた。次回以降、その詳細をお伝えしたい。(続く)



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LINEのスタンプ。チャットする同士が知らない間にアドリブを展開してしまう,楽しい機能だ


国産SNS・mixiの行く末について考えている。ここまでLINEの魅力をmixiと比較し、 「LINE=mixiの長所-mixiの短所+LINEの魅力」図式で示した後、それぞれについて説明してきた。今回はLINEのさらなる魅力について考えてみよう。

前回指摘しておいたLINEの魅力は「ほどよい距離がとれるSNS」であることだった。スマホとSNSが結びついたときには,双方が備える他者との密着性によって関係が過剰に濃密になるゆえ、何らかの緩衝装置を用意しないとコミュニケーションがうっとうしくなる。それを回避するためにFacebookは実名性、Twitterはつぶやきによってこれを回避している。ただし,敷居が高い。ところがLINEはぜ~んぜん敷居が低い。しかも緩衝装置がある。じゃあLINEの緩衝装置はなんだろう?

スタンプという強力な武器

その一つは,SNSについては原則タイムラインだけで構成されていることだ。つまりチャットの体裁を採っている。だから,会話はアドホック=その場その場で展開すればよく、気楽。mixiの「足あと」にあたるものは、吹き出しの下に掲示される「既読」という文字程度。だから「ねっとり」しない。

でも、これじゃあ一般のメール、いわゆるショートメールと何ら変わらない。いや,たったひとつ違うところがある。それはスタンプの存在だ。吹き出し以外に大判のスタンプがいろいろと貼り付けることができるのだ(ちなみに,今回特集で掲示したイラストもLINEのスタンプだ)。これが,ものすごくシンプルな技術で、グッと表現力を高める。しかも,ほどよい距離を保つことも可能になるというスグレモノなのだ。

他のSNSにも同様の機能はある。Facebookなら「いいね!」ボタンだ。ところが「いいね!」ボタンは1種類だけ。だから,それで表現される内容が限定される。ところがスタンプはそうではない。たくさんあるから、これでいろいろな表現が可能なのだ。いいかえればFacebookのように文字ベースに表現力を依存しなくてもいい(低リテラシーでもオッケーなのだ!)。しかもスタンプが大きい分、一般のショートメールよりも表現力が豊か,その絵のセンスも抜群だ。

スタンプのコミュニケーション緩衝装置としての表現力

そして,このスタンプが、密接に関わる人間間でほどよい距離を保つことに一役買っている。これは絵文字、顔文字と同じ働きと言っていいだろう。たとえば「あなたには本当にアタマにくる」という表現を取り上げてみよう。この文字列をそのまま送りつけたら、相互に感情的な亀裂が生じるのは自然だ。ところが「あなたには本当にアタマにくる(^_^;」とか「あなたには本当にアタマにくる(^^)」とか「 あなたには本当にアタマにくる凸(ーーメ」 と顔文字を補ったらどうだろう?明らかに言葉のニュアンスが微妙に異なってくるので表現が豊かになる。(^_^;だったら「アタマにくるけど、しょうがないやつ」、(^^)「相変わらずこちらを怒らせて楽しませてくれるよね」ってなニュアンスが生まれる。また、たとえ凸(ーーメを加えても、不思議にそのトーンはマイルドになる。つまり,絵文字は互いのコミュニケーションの密着度を適度な状態に保つ機能を備えているのだ。

軽いからオトナもオッケー

LINEのスタンプはこの絵文字の特性を大判にすることによって,絵文字の機能を大々的にフィーチャーしたものと言える。その結果、mixiのようにねっとりすることはないし、Facebookのように堅苦しくなることもない、さらにTwitterのようにヘタすると孤独なつぶやきになることもない。そして実にシンプルで簡単。スタンプのみで会話なんてこともやれる(これが,結構おもしろい。スタンプを貼り合うことでコミュニケーション遊びができるのだ。で,この遊びの要素と吹き出しの会話の要素が絡まって,アドリブ的なコミュニケーションが加速する)。こういった絶妙な位置を見事に見いだし,LINEは低コミュニケーション=低情報リテラシー層を取りこむことに成功しているというわけだ。いや、それだけじゃあ、ない。この洗練されたスタンプは成人の参入すら許容する。

というわけで最後にLINEの魅力を図式で示しておこう。つまり


LINEの魅力=mixiのお手軽さ-mixiのねっとり感+ほどよい距離を保つ機能



その一方、mixiはなんとが失地回復を図ろうと,様々な機能を付け加えたりしたのだが,それがかえってSNSとしての複雑さ(「煩雑さ」と表現した方が妥当?)を増すことになり、mixiというSNS本来の魅力が見えなくなってしまっている。つまり悪あがきの自爆状態。そこに,お気軽でお手軽で,精神的な加重の少ないLINEがどんどんと入り込んでくる。大人まで巻き込んで。そうそう,仲間とアドレスを交換するのも簡単だ。互いのスマホを近づけて「ふるふる」する、つまり同時に揺すればいいんだから。データの交換ですら、こういったお気軽さをラインは前面に出している。これこそがmixiにはない魅力なのだ。\(^O^)/

SNS普及の過渡期のメディアとして出現したmixi。だが、今やその役割を他のSNSに明け渡そうとしている。 …>_<…

ということで,やっぱりmixiの将来は、ない<m(__)m>

国産SNS・mixiの行く末について考えている。前回はLINEの魅力をmixiと比較し、「LINE=mixiの長所-mixiの短所+LINEの魅力」図式で示した後、前者二つについて説明しておいた。で、今回からはLINE独自の魅力について考えてみよう。

mixi=PC、LINE=スマホという出自

先ず二つは出自が異なっている。mixiはもともとはPCベースで広まったもの。それがケータイ、スマホへとプラットフォームを広げていったのだけれど、やはり、最も使いやすいのがPCであることに変わりはない。そもそも中心の機能である日記がそうだ。比較的長い文章を書くのだからケータイやスマホは向いていない。一方、LINEはスマホ利用を前提に考えられたもの。だからベースはタイムラインで短い文章をチャット的に書き込むのが基本。そして時代はもはやスマホだ。ということはPC的なアーキテクチャーを備えるmixiは明らかに分が悪いということになる。

mixiとスマホ/ガラケーは相性が悪い

こういった機能的なデメリットだけではない。mixiはスマホ/ガラケーと絡むとコミュニケーションツールとしても都合の悪い状況ができあがる特性も備えている。というか、こちらの方がmixiを悪い状況に陥れている元凶かもしれないのだけれど。

前回、mixiの特性として、インターネットというヴァーチャルな空間がリアル空間でのコミュニケーションを強化するツールとして使われる点を挙げておいた。これは、狭いコミュニケーション空間しか持てない、そしてそれが唯一のコミュニケーション空間であるティーンエイジャーには居場所が確保出来るゆえ都合がよいものだけれど、大学生以上の大人になってリアル空間を広げるようになると、この強い拘束力はかえってうっとうしいものになっていくことを結果する。大人になるに従って社会的な関わりを持つようになると、若者にとって、それまでの狭い空間でお互いを支え合うようなコミュニケーション関係は次第にそぐわないものになり始める。その時、mixiの魅力だった「強い拘束力を約束する特性」は突然、「ねっとりとしたもの」へと価値を反転させる。それが「mixi疲れ」であり「mixiウザい」という現象を引き起こすのだ。

「mixi+スマホ=チョーウザい」という図式

さて、もしmixiがそのアーキテクチャーがそのままスマホに持ち込まれたらどうなるか?これは、ものすごく鬱陶しい「チョーウザい!」ものになることは必定だ。というか、これはもうすでにガラケーで実証済みと言うところではなかろうか。というのもスマホ、ガラケーと言った移動体通信はヴァーチャルなコミュニケーションを常に携帯するツールだからだ。ということは、始終、こういうねっとりとした関係を強要されるわけで、これじゃあ「ねっとり+ねっとり」、つまりネバネバなわけで、たまったもんじゃあないということになる。そして、その感覚は、実はガラケーベースで利用していたティーンエイジャーたちにも次第に実感されるようになっていったのではなかろうか。つまり互いを拘束するSNS=mixiと移動体通信は、双方が備える他者との密着性が重なり合わさることで精神的なオーバースペック=対人関係における過重な負荷を起こしてしまうのだ。

スマホが必要とする「ほどよい距離」

スマホ(そしてガラケー)もまた、その密着性ゆえ、コミュニケーションを密着化させる特性を備えている。だから「ねっとり=ウザい」を防ぐために、SNSはその密着性を加速させないようなアーキテクチャーが必要となる。

高い情報リテラシーを要求するFacebook、Twitterにはこれが備わっていたからこそ、普及した。前者は「実名」を原則とすることで、コミュニケーションの際、リアル空間におけるマナーの持ち込みを要求し「ねっとり」に歯止めをかけた。Twitterはツイート=つぶやきという一方向と双方向の中間的なコミュニケーション形態を備えることで、やはり「ねっとり」しないような設計がなされている。また140字以下という短い文章によってクドい発言を減らしてもいる。ただし、これらのSNSはブログ記事「LINEのソーシャルネットワーク化の先にあるもの – SNS難民は救われ、mixiは死ぬ」が指摘するように、低情報リテラシーの人間にとっては敷居が高い。

ということは低情報リテラシーであっても、ほどよい距離を保てるアーキテクチャー、しかも移動体通信用のそれが、mixi離れを起こしたユーザー(とりわけティーンエイジャー)に求められていた。そのスイートスポットとして登場したのがLINEだったのだ。

では、LINEはどうやって「ほどよい距離」を保っているのだろう?(続く)

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