勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2012年05月

Appleがクローズド・プラットフォームを頑なに維持し続けることで20世紀末に消滅の危機にいたり、また21世紀にはわれわれのメディア・ライフを根底から変容するような大復活を遂げたことについて考えている。前回あげておいたように、21世紀に入ってからのAppleのクローズド・プラットフォーム戦略は90年代までのそれとはちょっと異なっている。そのひとつが前回あげておいたiPhone、iPadリリース時のロケットスタートが一部のアーリー・アドプターだけでなく、一般の消費者まで取り込んだことでAndroidの出現まで時間稼ぎができ、その品質が一般に知れ渡ったことだった。

しかし、21世紀のクローズド・プラットフォーム戦略はこれだけにとどまらない。さらに二つほど、その戦略をあげることができる。

セミ・クローズド・プラットフォームというトロイの木馬

一つはS.ジョブズがこだわり続けたような完全に閉鎖的なクローズド・プラットフォームの形をAppleのスタッフたちが採用しなかったことだ。これはiPodが嚆矢と言える。iPodは2001年のリリース当初からパソコン・ソフトウエアのiTunesとの連動で使用することが可能な音楽ディバイスだったのだけれど、当初、このアプリはMac専用だった。つまりクローズド・プラットフォームな環境の中に置かれていた。ところが2002年、iTunesはマイクロソフトのWindows上に移植される。ジョブズ自身は大反対したのだが、現在のCEOであるティム・クックたちがジョブズに強くWindowsへの開放をせまったのだ。そして、ジョブズはこれに折れた。すると……ご存知のようにiPodは音楽プレイヤーの覇権をSONYのWALKMANから奪い取ることに成功する。

これはいわばセミ・クローズド・プラットフォームとでも言うべき巧妙な戦略だ。ハードのソフトの連携についてはiPodとiTunesの連携でがっちり押さえる(iPodはiTunes以外のアプリでは作動しない)。その一方でiTunesをWindows上でも動作可能にする。つまり肝腎なところだけはクローズドな環境を維持しながら、マイクロソフトの作り上げた広大な市場に乗っかることが可能になったのだ。

そして、この戦略は、その後iPhone、iPadにも踏襲された。しかも、これらもまたiTunes上でのみ情報のやりとりを行うことにしたのだ。つまりiPod、iPhone、iPadは全て同じアプリ上で、同じインターフェイスでやりとりが可能。さらにこれらはiTunesを経由することで自動的に相互のデータを共有することも可能となった。

こうなると、iTunesはAppleのクローズド・プラットフォームをWindows上にねじこむOS=プラットフォームのように機能してしまう。しかも、もっと巧妙なのはiTunes上でやりとりされるこれら機器の情報がWindows上へはほとんど提供されないことだ。その一方でiTunesはWindowsを利用し、そしてWindows上で作動するデータを取り込むことができる。つまりiTunesはWindowsユーザーの膨大な情報と利点を取りこむマシーンになっているが、自分からは相手には一切貢献しないという寄生虫的な存在なのだ(たとえばiTunesでやりとりされているデータにGoogleは入り込むことができない)。言い換えればオープン・プラットフォームの中に入り込んだクローズド・プラットフォーム=閉鎖系、そしてやはりWindowsに置かれたユーザーを確保する「トロイの木馬」なのだ。

ビジネスでも大人の戦略をとるようになった

さて、最後にもう一つだけ、Appleが21世紀になってクローズド・プラットフォーム戦略として付け加えたことをあげておこう。それは価格戦略だ。本ブログの特集であげておいたように20世紀のAppleの戦略は、いわばお高くとまった「上から目線戦略」だった。その圧倒的な性能にあぐらをかき、べらぼうな粗利をハードに加えて、ユーザーに「買いたきゃ、買えば」ってな感じで、とっても傲慢な販売方針を貫いていた(カスタマーサービスも最低だった)。僕が初めてMacを購入したのは91年、MacintoshSE/30だったけれど、とにかく高かった。ひとそろい揃えるの70万円くらいしたのだから。つまり、Macは「高級会員制クラブ」だったのだ。そのお陰で、質は悪いし使いづらいしMicrosoftのMS-DOSと、見た目も野暮ったいハードメーカーの組み合わせが、その価格の安さで一般に普及した。で、そうこうしているうちに市場はMicrosoftのオープン・プラットフォーム戦略が功を奏し、技術やインターフェイスもMacに肉薄し、95年のWindows95の発表でAppleは息の根を止められる瞬間まで行ったしまったのだ(もちろん、粗利もどんどん減っていった。そして、苦肉の策としてOSをサードバーティのハードメーカーにライセンスしたりもした(AXIAやPower Computingなど)。

ところがiPod、iPhone、iPadの戦略は違う。はじめから対抗機種と価格差はさほど変わらない。いや、ここ数年の商品ラインナップは、その性能を踏まえればむしろAppleの方が割安ということにすらなっている(3代目iPadは明らかにバカ安だ)。つまり、商品価格展開として粗利をドッと稼ぐことを止め、いわば「下から目線」で、一般の消費者を取りこもうとするような懸命さを身につけたのだ。要するに薄利多売戦略。

ちなみに、今ここで「薄利多売戦略」と書いておいたが、実は案外そうでもない。Appleの商品戦略の基本はシンプル。ミニマリズムという必要なモノ以外はとことん切り落とす商品・環境開発を全てに渡って徹底させている。だから商品のラインナップもものすごく少ない。iPhone、iPadに至ってはメモリーなどのごく僅かの違いをカウントしなければ、実質的には1種類しかないのだ。だが、このやり方が利益につながる。要するに1種類しか作らないのなら、開発費はそれだけに投入すればよいし、1種類だから同じモノを膨大に生産することになるわけで、当然、少品種大量生産がもたらすスケールメリットの恩恵にあずかることができる。つまり売れば売るほど利益が生まれ、価格も下げられるというわけだ。

また、こういったミニマリズムは、ここまで展開してきたクローズド・プラットフォーム戦略にも有効だ。たったひとつの機種しかなく、インターフェイスも同じものを多くの人間が所有することになれば、その使いこなし方についての情報がメディア、口コミ等を通じて大量に出回る。つまり、わからなければネットで調べたり、iPhoneやiPadを所有している人間に聞いてみればいい。そういった情報入手口があちこちに転がっているというわけだ。こういった情報環境もまた、もうひとつのエコシステムを形成してしまうのだ。(続く)

Appleがクローズド・プラットフォームを頑なに維持し続けることで20世紀末に消滅の危機にいたり、また21世紀にはわれわれのメディア・ライフを根底から変容するような大復活を遂げたことについて考えている。前回はクローズド・プラットフォームがいかに現在の情報化という流れに適合的なのかについて「エコシステム」という観点から考えた。ハードとソフトを一体化し、さらに周辺機器もこの連携の中にクラウドの形をとって生態系の中に閉じ込めることで、ユーザーは極めて快適な環境を獲得できる。これを最も先進的なかたちでやる方法がクローズド・プラットフォームであること、そして、これを実際に実践していたのがAppleであったことを確認した。

しかし、こういったエコシステム的な発想を90年代のAppleはすでに展開していた。MacOSというクローズドな環境はもちろんのこと、AppleTalkという、当時としては他が思いつきもしなかったLAN=ローカルネットワークまで備えていたのだ。だが、それでもAppleは衰退した。ところが、現在、同じことをやっていながら復活している。これはなぜか?

ただし、ここで留保しておかなければならないのは、そもそもの基幹システムであるMacOSがiPhone、iPad、iPodのような周辺機器とエコシステムを作り上げても、やはり依然としてマイノリティであることと、その一方で、ここであげた周辺機器が覇権を掌握したことだ。だから、分析するにあたっては、MacOSとそれ以外の違いについてメスを入れなければならないことになる。つまりなぜMacOSはダメでiPod・iPhone・iPad=iOSはよかったのか。

iPhoneはスタートダッシュで圧倒的にリードした

iOSを搭載するiPhone、iPadについてついて考えてみよう(iPodは後述)。先ずiPhoneについて。これが発表されたのは2007年1月だ。そして6月に発売されるや、爆発的な売れ行きを示すようになる。そして2008月7月にリリースされたヴァージョン2.0からはAppStoreの開始によってアプリをダウンロード可能となり、売り上げが加速していく。一方、その後ライバルとなるAndroidのリリースは2009年末、これが実質的に使いものになるOSとして各スマホに搭載されるようになるのは2011年だ。つまりiPhoneはライバルが出現するまで3年間に渡って揺籃期を獲得することができたのだ(iOS以前にもBlackberryなどのスマホ用OSもあったが、これはほとんど普及していないので考慮外)。おかげでこの時期まではスマホ=iPhoneと言う図式が生まれていた。というより実質的にスマホはiPhoneしかない状態で、スマホということば自体が社会的認知を受けていなかった。このことは2010年の学生たちの就活の用語に「Phone活」ということばがあったことからも窺える(つまり「スマホ活」とか「スマ活」とは呼ばなかったのだ)。つまり就活用に迅速に情報を得る手段としてiPhoneが注目を浴びたのだ。

そしてこの長い揺籃期でiPhoneはその性能や使いやすさの評価が定着する。だから、その後、Android搭載のスマホが登場しその売り上げを伸ばしiPhoneと拮抗、凌駕するということがあっても、相変わらずiPhoneは売り上げを伸ばし続けた(これは今も続いている)。そして、未だに携帯利用者の顧客満足度としてはAndroidを凌いでいる。つまり、この三年のアドバンテージはAndroidのオープン・プラットフォーム戦略(AndroidはGoogleの開発。OSは無料で配布されており、各社がこれを自社のハードに搭載している。だから、当然、オープン・プラットフォームのメリット=各社が容易に参入する、とデメリット=使いづらい、双方を備えている)に対抗しうるほどの評価を一般化する期間として機能したのだ(だから、僕は“揺籃期”と表現したわけだ)。ここがかつてのMacOSとMicrosoftOSの攻防と違うところだ。MacOSがリリースされた当時、これがいかに卓越したものであったとしても、パソコンというメディアそれ自体の認知度が低く、購入するユーザーはごく一部に限られていた。そこにMicrosoftのMS-DOSが登場し、オープン・プラットフォーム戦略によってMacOSが窮地に追いやれたのだ。いいかえればiPhoneの場合、ある程度、iPhoneが市民権を得、地ならしが終わった状態でAndroidが登場したというところが異なっている。

iPhoneの財産をそのまま引き継ぎロケットスタートに成功したiPad

では、iPadはどうか?
iPad(発表は2010年2月)の場合、期間こそ短いが、発売時から熟成したインターフェイスを備えていたこと、そしてそれがiPhoneのiOSと同じものにしたことが(ともにiOSで作動する)iPadのロケットスタートを可能にした。iPadのアーリー・アドプター、つまり初期導入者の多くがiPhone所有者だったことはこれを傍証する。だからiPhone所有者はiPadを手にした瞬間から、その使いこなしができていた。そう、新しいメディアへの親和性がものすごく高かったのだ。iPhoneはiPadにとっては「トロイの木馬」だった。

これに対抗すべく、まもなくAndroidを搭載したタブレットが登場した。Samsung、SONY、富士通などがそれで、もちろんオープン・プラットフォームを利用したものだったのだけれど、これに関しては現状ではiPadに全く太刀打ちできない状態だ。使ってみればわかることだがAndroidのタブレットとiPadのインターフェイスや性能は、スマホにおけるAndroidとiPhoneのそれよりもはるかに大きい。しかも、前述したようにiPhoneのユーザーを同じインターフェイスで取り込むことによって、iPadはタブレットとしてはスマホ以上にアドバンテージを稼ぎ、早期取り込みに成功してしまったのだ。そして、Appleはタブレット市場についてはこの差をスマホの時のように急激には縮められないよう、常に先手を打っている。2012年に発売された3世代目のiPadはその典型的な攻撃だ。見た目はiPad2とほとんど変わるところはないのだが、ユーザーはこれに触った瞬間購入意欲をかき立てられる。それは、既存のiPadユーザーならなおさら。画像の解像度が飛躍的に向上し、画像のくっきり度が比較するiPadがなくても歴然としているからだ。たとえば雑誌の電子版は、それまではそのままで一ページ全てを閲覧するのはちょっと難しかった。画質が荒くて文字が読めなかったからだ。それが、いまではそのままでもくっきりと読める。しかも、価格も同じに押さえるという”攻めの姿勢”を忘れない。

その結果、2012年3月現在、iPadは6700万台を売り上げ、そのシェアも依然として60%と極めて高いレベルを維持している。

しかし、クローズド・プラットフォーム戦略はまだこれだけではない。そしてMacOSの時とは異なった戦略が他にも組まれているのだ。(続く)

Appleがクローズド・プラットフォームを頑なに維持し続けることで20世紀末に消滅の危機にいたり、また21世紀にはわれわれのメディア・ライフを根底から変容するような大復活を遂げたことについて考えている。前回はその復活の社会的背景について考察した。つまり、情報化が進展することで、商品やシステムについての情報が洗練され、その結果誰もが最適値を得られるという超管理社会が出現したことでApple製品の卓越性が青天白日の下に晒され、それが21世紀のAppleの再生を結果したと。

今回は、社会的背景ではなくAppleそのもののやり方に注目して考えてみよう。ポイントは三つある。一つは、今回のテーマとしてあげてきたクローズド・プラットフォームだ。これがなぜ卓越性を生むのか。

クローズド・プラットフォームはハードとソフトの関係を最適化する

クローズド・プラットホームは他のメーカーやソフトウェア・ハウスを除外するがゆえに企業の運営方針としては自閉的になり、それが結果として自らをマイノリティに貶め、その技術の卓越性を覆い隠すことになるというデメリットがあることについてはすでに説明しておいた。そして、その典型が Appleだった。利益を独占的に確保しようとするがあまり、かえって自らの立場を危うくしてしまったのだ。

だがその一方でクローズド・プラットフォームにはメリットも存在する。それはOSを他にライセンスせず、自らが開発したハードだけに適応させるというやり方がソフト=OSとハードの接続を最適化可能にする点だ。外部企業の場合、当然ながら外部企業の都合がある。だがらOSを提供するソフトウェア・ハウスとハードメーカーの間ではある程度の妥協を行わねばならない。だが、そういった妥協は必然的に機能面での制約やトラブルを発生させることになる。そして、その制約は結果としてユーザーに跳ね返ってくる。つまり、ソフトとハードが別々に開発されることでユーザーは繁雑な作業や故障という現実に遭遇させられることになるのだ。

だがOSとハードを一体にして開発すれば、これをクリアすることが可能になる。二つとも同一企業の監視下にあるから、これは、まあ当然だ。そして、この恩恵は必然的にユーザーに還元されることになる。さらに、自らが開発するさまざまなパソコン以外機種とのリレーションについても当然一企業が担うことになるので、双方のインターフェイスやリレーションは最適化される。つまりMacというMacOSを搭載するパソコンは、iPod、iPhone、iPadと最適な関係を構築することが可能になるのだ。その最たるシステムがiCloudで、これは住所録、写真、書類、音楽、書類などが一括管理できる。例えばiPhoneで撮影した写真は自動的に同じアカウントを登録しているiPadやMacにネットを介して自動的に転送される。こうなるとそれはMacを所有していることでも、iPhoneを所有していることでもiPadを所有していることでもなく、iCloudという環境を利用しているということになる。

クローズド・プラットフォームはエコシステムを最適化する

これは一般的にはエコシステム=生態系と呼ばれるものだ。現在、コンピューター業界ではこういったクラウド環境の整備があちこちで行われているが、これもまたオープン・プラットフォームで展開した場合には、それぞれ接続する企業が異なっているとことでクラウド利用が煩雑になる。だからクラウド利用はなかなか進まない。ところがAppleの場合にはクローズド・プラットフォームのおかげでほとんどシームレスにこれが済まされてしまうのだ。S.ジョブズは生涯最後のキーノートで、このiCloudを取り上げ、これを”It just work.”と表現した。つまり「動いているんだ!」という意味。前にもう少し修飾語句を付け加えれば「こっちがなんにもしなくても、iCloudの方で勝手に」ということになる。つまり、従来なら人間がマニュアル的に事細かに設定したり、操作したりしていたものをiCloudはほんのちょっとの設定で全て自動的にやってくれるわけなんだけど、これがAppleの環境で可能なのは要するにクローズド・プラットフォームのおかげでMacOSとiOSのリレーションをユーザーが意識することなく利用することができるようになっているからだ。そう、これこそがクローズド・プラットフォームの圧倒的なアドバンテージと言えるのだ。

ただし、Appleのやり方。これだけで現在の同社の活況を説明し尽くすことは難しい。というのもMacOS単体の時代も、それなりのエコシステムを構築していたからだ。当然二つ目、三つ目のやり方、つまりMacOS時代のそれにはなかったものが説明要因として提示される必要がある。では、それは何か?(続く

Appleがクローズド・プラットフォームを頑なに維持し続けることで20世紀末に消滅の危機にいたり、また21世紀にはわれわれのメディア・ライフを根底から変容するような大復活を遂げたことについて考えている。

前回はMacOSのクローズド・プラットフォームがMicrosoftOS(MS-DOS、Windows)のオープン・プラットフォームという「多数派工作」、つまりOSをハードメーカーにライセンスすることによってマイノリティに追いやられ、消滅寸前に至ったところまでを説明しておいた。

さて、今回は21世紀に入ってからのApple(iOS、そしてMacOS)の反撃についてみていこう。同じクローズド・プラットフォームというアナクロな戦略を採りながら、なぜ復活を遂げたのか。

インターネット社会が要求する取り回しの良さ

先ず、その大きな理由として社会的背景があげられる。それはAppleがベタに関与している情報化社会、ITCにおける環境の変容だ。インターネットの功績は全てのモノをデジタルで世界大に結びつけてしまったこと。文字、画像、映像、音声はもちろんだが、これらを用いて人やビジネスを結びつけてしまったことが最も僕たちの環境を大きく変容させた部分だ。そして、それはモノやコトについての、かなり厳密で、しかも正確な評価を多くの人間に提供することを可能にしていった。

たとえば価格比較サイト・価格コムを考えてみよう。ご存知のように、このサイトは商品の価格をとりまとめたサイトだ。ネット通販を行っているサイトの商品情報が商品ごとに掲載されている。だから、お目当てとする商品の一番安い販売価格にたどり着くことができる(ヤマダやヨドバシよりもはるかに安い)。ただし、ここで重要なのは価格だけではない。むしろレビューや口コミの方が重要だ。購入者がここに書き込みをし評価する。また価格コム自体でも統計をとって人気ランキングや満足度ランキングを掲載しているので、価格だけでなく商品の品定めも実際に手に取ってみることなく可能だ。つまり、価格コムというサイトを開いただけで、最安値と評価が誰でも一目瞭然となるのだ。

みんなが最適情報に容易にたどり着けるようになる

で、誰もがこういったサイトにアクセスするようになればどうなるか?必然的に商品は淘汰されていくことになる。たとえばどの製品が性能的に優れていて、デザイン的にもよいなんてのがかなりの割合でわかってしまうのだ。つまり、かつては個人が自力で情報をかいくぐりつつ物事の良し悪しを判断していた。しかし、それはそれぞれの任意の判断だったので客観性に乏しく、それゆえ売る側とすれば商品の性能とは直接は関係のないレベル(販売ルートの強力さ、他企業との提携、商品におまけを付けるなどの戦略)での顧客の取り込みを可能にしていた。つまり、売り手は消費者の性能判断が難しいというところにつけ込んでいたのだ。ところが、価格コムのところで見てきたように、情報化によって商品は規格化された状態で、しかも正確性を持って均一に提供されるようになった。そして、こういった情報環境の整備は、人々が物事を誤って判断してしまうような可能性を必然的に低減していく(これは当然、これまでの商品性能以外で販売するという戦略が功を奏さなくなることを意味している)。つまり、消費者は黙って従っていれば自動的に最適なモノ、コトが得られるような環境が整備されていくという「超管理状態」が出現しはじめたのだ。

アップル製品の質の高さが青天白日の下に晒された?

これがAppleのクローズド・プラットフォームというスタンスを援護することとなるのだ。前回指摘していたようにMacOSはそのシステムの先進性、ヒューマン・インターフェイスで80年代から90年代前半にかけてMicrosoftのそれを圧倒的に凌駕していた。しかし、Microsoftはオープン・プラットフォーム戦略によってハードメーカーを囲い込み、AppleのMacOSを少数派に持ち込むことに成功していた。

ところが、iPod、iPhone、iPadという、Appleが21世紀に入って世に放った一連のディバイスは同じクローズド・プラットフォームでありながらMacOSのようにはならなかったのだ。その先進性が情報化の進展で多くの人々に認知されることになったからだ。いや、衰退したMacOSさえも、こういったAppleのMac以外の製品の恩恵を受けてシェアを拡大するに至っている。これは要するに情報環境による機能の優秀性の浸透がオープン・プラットフォームによる囲い込みに対抗しうるだけの説得力を持ち始めたことを意味していると言ってよいだろう。

覇権を握ったiTunesとiOS、依然マイノリティのMacOS

ただし、この話はちょっと先を行きすぎている。というのも、MacOSは21世紀を長らえることに成功こそしたが、パソコンOSの覇権は依然としてMicrosoftが握っているからだ。だから、生き延びたからと言って依然としてマイノリティであるMacOSの存在と、その後にAppleが放ったiTunesという音楽ソフトウェア、そしてiPhoneとiPadに搭載されているiOSは別次元で語らなければならない。前者は価値が認められたと言ってもしょせんはマイノリティだし、しかもMicrosoftのOSはMacOSに肉薄する技術を備えつつある。一方で、iTunesとiOSは覇権を握っていると言っても過言ではないからだ。

だからクローズド・プラットフォームとオープン・プラットフォームのせめぎ合いについての分析は、さらに別の要素を踏まえなければならない。じゃあ、それは何か。(続く)

ご存知のように、ここ数年のアップルの成長はめざましい。90年代末には「余命90日」とすら呼ばれるような苦境に立たされていたのが、ジョブズ復帰後iMac、iPod、iPhone、iPadと次々とヒット商品を生み、メディア革命を起こしてしまったことはご存知の通りだ。そして、この勢いはジョブス亡き後も続いている。

で、今回は21世紀に入ってからのAppleの快進撃を「クローズド・プラットフォーム」という視点から考えてみたい。この時代遅れ的な発想をジョブズは頑なに求め続けたことで、Appleは倒産の危機に陥り、そして今度は逆に世界を席巻することになったのだけれど。でも、なぜかつてはダメと言われたクローズド・プラットフォームの手法が21世紀に入り再び有効な手段とみなされるようになったのだろうか。僕は、実は、これは情報化社会がたどり着いた必然的結果なのだと考えている。また、この手法が未来を作るのだと考えてもいるのだけれど。

クローズド・プラットフォームとは

先ずことばについて押さえておこう。クローズド・プラットフォームとは何か?まあ、これはコンピューター関連のことばで、環境と要素の関係を表している。プラットフォームは駅のプラットフォーム(いわゆる”ホーム”)のことを思い浮かべてもらえばいいだろう。ここにはいろんなところから、そしていろんなところへ向かう列車が乗り付ける。で、次はクローズド=閉じたの意味になるけれど、これは対義語のオープン=開いたの比較で説明するとわかりやすい。鉄道の例を挙げれば、オープン・プラットフォームはいろんな鉄道会社の列車が乗り付けるプラットフォームということになるし、クローズド・プラットフォームなら一社の列車のみが乗り付けるということになる。たとえば日本でのクローズド・プラットフォームの典型は新幹線だろう。線路の幅の違いもあって(日本の一般的な鉄道幅は狭軌、新幹線は標準軌)、新幹線のプラットフォームには新幹線しか入れない。

で、これをコンピューターの世界にあてはめればプラットフォームはOSということになる。MacOSは典型的なクローズド・プラットフォームだ。MacOSはMacintoshというハード専用。他メーカーのハードは全く使えない閉鎖系だ。一方、マイクロソフトが提供しているOSはその逆、つまり典型的なオープン・プラットフォームでデル、ソニー、レノボ、東芝、富士通などさまざまなハードに搭載が可能だ。

クローズド・プラットフォームのおかげでアドバンテージを生かせず沈没していったApple

85年、Appleは現在のウインドウ、ポインタ、マウスという形式(GUI=グラフィカル・ユーザー・インターフェイスと呼ぶ)を採用した画期的なパソコンとしてMacintoshを発売した。その性能と使いやすさは、市場を席巻していた当時のマイクロソフトのOS、MS-DOSが足もとにも及ばないスグレモノだった(マイクロソフトがWindows95によって、MacOSとほぼ同じモノを世に問うまで十年を要した)。

ところが、市場はこの使いづらいMS-DOSを支持したのだ。理由は二つ。一つはオープン・プラットフォームゆえ、さまざまなパソコンハード・メーカーが一斉にこれを採用したから。つまり多数派を味方に付けたことで性能を凌駕してしまったのだ。もう一つはマックの価格。とにかくべらぼうに高かった。これは製作費自体がかかったこともあるが、Apple(当時は”アップルコンピューター”)がかなりの粗利をかせいでいたことによる。世間では医者や弁護士、アーティストの道具みたいな認識が抱かれた。「パソコン界のポルシェ」という仇名はそういった当時のマックの置かれた位置を象徴する。それでも、これを熱烈にほしがるユーザーも多く、彼らは借金までこれを購入した。だからMacintoshは「借金トッシュ」とまで呼ばれたほどだった。

だが、AppleのOSとハードの抱き合わせ販売というクローズド・プラットフォームは続けられた。Appleのスタッフはビジネスを甘く見ていたのだ。その結果、マックそしてMacOSのシェアはジリジリと下がり続け、97年には前述したように余命90日と呼ばれるまでにAppleは弱体化したのだった。世はまさにマイクロソフトの時代。ビル・ゲイツはハードメーカー各社にMS-DOS、そしてWindowsのライセンスを供与することによってパソコン界のガリバーにまでのし上がる(ちなみにマイクロソフトのOSはインテルのCPU上でしか作動しなかったので、インテルもまたマイクロソフトと同様シリコン・チップ界のガリバーとなった。この二つの企業が組んで世界を席巻したことから、二企業の共闘は”Wintel”とまで呼ばれるようになった。

Appleがなぜかゾンビのように蘇った

ところがこのWintelによる支配が21世紀に入り怪しくなってくる。インターネットという新しいメディア環境が本格的に世界に浸透していった結果、もう死ぬはずだったAppleが息を吹き返すどころか快進撃を続け、ついにはマイクロソフトを抜き去るまでに至ってしまったのだ。だが、その間、一貫してAppleはクローズド・プラットフォームというスタンスを変えることはなかったのだ。

ということはAppleはかつて自らが衰退していった元凶であるクローズド・プラットフォームで再生したと考えられないこともないのだ。

クローズド・プラットフォーム、時代はなぜこの古めかしいシステムを支持したのか。(続く)

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