勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2012年05月


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メディテレニアンハーバーに堂々と登場した花で作られたダッフィー


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ケープコッド・クックオフは花飾りの缶までがダッフィーだ


長期にわたってディズニーランド(TDL、TDS)の熱狂的なファンだった人間たちが、近年、ファンから離脱しつつあるのではないかという現状について考えている。今回は「パーク内における物語」が崩壊し、それに心酔していたファンたちがTDL、TDS二つのテーマパークから離脱していくプロセスについて展開する。

幼年時代~ディズニーという「ゆりかご」の中で過ごす

彼らは子供時代、おもちゃをひっくり返したようなTDL、TDSに熱狂する。そしてディズニーフリークとなる。さしあたり興味を抱くのはキャラクターだ。ミッキー、ミニー、プーさん、ドナルド。これらはいわば「萌え要素」。そのわかりやすい記号的な、そして攻撃性を抑制する「丸いかたち」を中心とした姿顔立ちは、物語やテーマ性を理解する年齢に達していない子供たちにとっては実に取っつきやすい「危険性を感じない」存在だ。で、そんなキャラクターが一挙に集合しているTDLは実に魅惑的な空間となる。また、家庭でも、その身の回りはこれらキャラクターに取り囲まれた状態(当然、親が買い与えている)。ということは、TDLそしてTDSは安心できる環境でもあるわけで、とどのつまり、彼らにとって二つのパークは「ゆりかご」なのだ。

ティーンエイジャーにとってパークはコミュニケーション空間

10代、つまりティーンエイジャーともなれば、当然子供たちはおませになってくる。ちょっとナマイキにファッションにこだわりはじめたりするのだ。こういったファッションは友だちとのコミュニケーションを形成する格好のメディアでもある。そして、ファッションと同様、こういったコミュニケーション・メディアのひとつとしてディズニーグッズ、そしてTDL、TDSも位置づけられることになる。彼ら(とりわけ女子)がバックに必ずといっていいほどぶら下げているキャラクターグッズ、それがダッフィー、そしてシェリーメイだ(もはやミッキーではない)。これをぶら下げていることが、互いが環境を共有していることの記号となっている。

で、このダッフィーを販売しているのがTDSだ。だから、友だちと連れだったTDSへ出かける。その目的は言うまでもなく、ダッフィーと出会い、新しいダッフィーグッズを買い求めるため(もちろん身体にはダッフィーをぶら下げて、あるいは抱えてパークにやってくるのだけれど)。パーク内のあちこちには自分が持ってきた、あるいは購入したダッフィーを置いて写真を撮影するフォトスポットが用意されている。ダッフィーだけを撮影したり、自分や仲間を入れて撮ったり。TDSという名のダッフィー・ランドはこうやって、今、大いに盛り上がっている。女の子たちはパーク内でパスポートを持ち歩くように、身体の一部にダッフィーかシェリーメイを装着しているのだけれど、そんな子だらけなのだ。

大人になったディズニーファンが辿る二つの道

さて、こうやってディズニー世界で育った子供が大人になるとどうなるか。その方向は二つある。

一つは、相変わらずディズニー・ライフを続けるというスタイルだ。恋人とパークを訪れ、ディズニーをコミュニケーションのメディアとし、結婚して子供ができたらディズニーグッズを買い与え、足蹴にパークに通い続ける。まあ、これは普通のディズニーファンだろう。

ところが、もう一つある。それは熱狂的なファンだ。彼らは二つのテーマパークに通い続けていく中で、ディズニーに対するリテラシーを上げていき、最終的にウォルトの精神に関心を抱くようになる。つまりこの物語の重層性によって作り上げられたテーマパークの魅力に取り憑かれる、言い換えれば大人の鑑賞眼でパークを見るようになるのだ。だが、そうなってしまったとき、二つのパークに対する熱狂は反転する。自らがウォルト的な美意識を身につけたお陰で、彼/彼女らがウォルトの立場で二つのパークを見つめ始めてしまうからだ。その結果、意識に芽生えるのはパークに対する幻滅だ。ここには単なるスクラップ・アンド・ビルドがあるだけで物語の重層性がない、いやそれどころかかつては存在した物語性、そしてテーマ性が年々破壊され続けている……。今回、僕が二つのエピソードで語った女性二人の発言、「私のディズニーじゃない」「あそこは終わっている」は、そういった認識が生まれていることを示唆している。そして、彼/彼女たちは二つのテーマパークに愛想を尽かし、脱TDL、TDS化していく。ただし、ディズニーが好きなことはそのままに。だから、彼/彼女たちが本家のアナハイムやフロリダのテーマパークに行ったときには評価は全く逆となる。つまり、あそここそが「私のディズニー」「私のディズニーランド」となる。

日本人にとってのこれからのディズニーランドとは

こうやって考えてみると、アメリカ人にとってのディズニーランドと日本人にとってのそれとはかなり位置づけが違っていることが考えられるだろう。能登路雅子が『ディズニーランドという聖地』で指摘するように、アメリカ人にとってディズニーランドは「聖地」。僕の解釈を加えれば人生に二度出かけ留場所。つまり、子供の時、そして大人になって子供を連れてくるとき。そしてアメリカのパークはテーマと物語の年輪を重ねるがゆえに「大人だましの世界」でもある。だから、子供と大人が楽しめるファミリー・エンターテインメントの空間を構成し続けている。

一方、日本人にとっては通過儀礼的な消費の空間。子供の頃熱狂するけれど、物語の年輪がないために大人の鑑賞に堪えない「子供だましの世界」を構築している(というか、30年間の内に構築してしまった)。だから子供の頃熱狂し、大人になるとやはり子供を連れてくるところではあるけれど、結構醒めてしまっているので、大人にとってはその辺の遊園地とあまり変わるところはなくなっていく。子供の頃入れ込みすぎた人間なら興ざめして遠ざかるところ。

とはいうものの、その需要が消え去ることはないだろう。ディズニー世界はすっかり定着し、子供用の遊園地としてもすっかり認知されてしまったのだから。で、さらにこのテーマ性の破壊を経営母体のオリエンタルランドは推進していくだろう。なぜって?その方がカネがもうかるからだ。ただし、そこにウォルトの精神のような高邁な理念はない。だから目先の利益に目がくらんでいることも確か。そして、こういった状況に企業が陥ったとき、最終的に生じるのは組織、環境そのものが飽きられ崩壊するという運命なんだが……TDL、TDSは今後どんな運命を辿っていくんだろうか?

ちなみに、僕はこれからも二つのテーマパークには通い続けるつもりだ。ファンとしての関心ではなくメディア論研究者としての関心を持って。心底ディズニー世界を楽しみたかったら、もちろんアナハイムに出かけるつもりだけれど。



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もはやTDSのメインキャラクターはダッフィーだ




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TDSにはぬいぐるみのダッフィーを撮影するポイントが置かれている



長期にわたってディズニーランド(TDL、TDS)ファンだった人間たちが、近年、ファンから離脱しつつあるのではないかという現状について考えている。前回は、この議論の前提として、前回は「パーク内における物語」というウォルトが一貫して示していた理念を示しておいた。今回は、その物語が崩壊し、それに心酔していたファンたちがTDL、TDS二つのテーマパークから離脱したという前提で話を進めていく。

TDLにおけるテーマ性・物語性の喪失

90年代後半からTDLはそのテーマ性を失いはじめる。たとえば昼間のパレード。98年から始まったディズニー・カーニバルからは、それまで存在したフロートやフロート間のテーマ性そして物語性が失われていた。そして、この傾向はその後も続き、さらにテーマ性・物語性を失って、現在開催されているジュビレーションではただひたすらキャラクターが顔を出す、つまりお披露目だけという、単なる「オールスターショー」になってしまった(だいたい「ジュビレーション」というタイトルが、実はなんのテーマ性も持ち合わせていないことを示している。これは「祝祭」という意味。つまり、祝祭にふさわしい出し物ならなんでもいいことになる。ちなみに僕は昼間のパレードにおけるこのテーマ性・物語性の喪失について、2009年、立教大学で開催された日本社会学会大会で報告を行っている)。また、トゥモウロウ・ランドのショーベース内に2004年、ワンマンズ・ドリーム・マジック・リブズ・オンという名前で復活した、かつて人気を博し93年に終演したワンマンズ・ドリームにも同様のテーマ性の破壊を見ることができる。アトラクションやレストランも同様で、2000年あたりから各所にグリーティング・ポイントが設けられ、キャラクターとゲストが記念撮影するという施設が作られたり、アドベンチャーランドにラーメン屋がオープンするといった事態が発生している。つまり物語性が全く無視されるようになってしまったのだ。

ダッフィーという悪魔がTDSから「大人のディズニー」の看板を剥ぎ取った

一方、2001年にオープンしたTDSは、TDLの脱物語化とのコントラストとしての役割を与えられていたといっていいだろう。テーマ性や物語性といったものは子供にはわかりづらい。しかし、大人はわかる。だったら、いっそのことTDLは思い切って子供に振ってしまえ。ただし、TDLがオープンして30年近くたったのだから、子供の頃TDLに親しんだ大人が楽しめるディズニーランドがあってもいい。それが大人のディズニーとしてのTDSの位置づけだ(実際、TDSは2009年、女優の黒木瞳を起用し「大人のディズニー」というキャンペーンを行っている)。TDSは物語性を重視し、またディズニー精神を持った大人が楽しめる場所として、ちょっとリッチな料理とアルコールを用意した。こんなかたちで二つはパーク客の棲み分けをするはずだったし、実際、当初はそうだった。実際テーマ性を失いつつあるTDLに「ファンとしての立場」からは、その深みを感じなくなっていた僕はTDSのオープンを諸手を挙げて歓迎した。

ところがTDSにもテーマ性、物語性の喪失はやってくる。オリエンタルランドが考案した一つの戦略がバカ当たりし、それがTDSを覆い尽くし「大人のディズニー」というTDSの役割を喪失させてしまったのだ。その戦略とは……ダッフィーという「物語を持たないキャラクター」の出現だ。ミニーが航海に行くミッキーのために、ダッフルコートに入れられるようにと作ったぬいぐるみダッフィー(アメリカではディズニーベア)は、キャラクターとして大ブレイクし、ついでに彼女のシェリーメイとか、ユニバーベアといったオマケキャラクターまで誕生した。その結果、日本中にダッフィーが溢れ、そしてTDSはダッフィーの総本山・聖地として位置づけられることになる。

その結果、TDSはどうなったのかと言えば、なんのことはない、「ダッフィーランド」になった。当初、テーマ・シーの一つアメリカン・ウォーターフロントのアーント・ペグズという店だけで発売されていたダッフィーグッズは同じテーマ・シーのマクダック・デパートメント・ストアにまで進出。そして今やパーク内のあちこちで売りに出され、ショーもマイフレンド・ダッフィーという具合にダッフィーを大幅にフィーチャーしたものになっている。パーク内はダッフィーのぬいぐるみを抱いたりカートに載せたものすごい数のゲストが闊歩している。その多くがティーンエイジャーの女の子たちだ。そう、全ての物語がダッフィーによって台無しにされ、こちらもまた大人のディズニーから子供のディズニーへとその位置づけが変更されたのだ。

積層しない物語は大人の鑑賞に堪えうる文化性を帯びることはない

もちろん新しいアトラクションやレストラン、そしてキャラクターにも物語は付与されてはいる。ただし、これは既存のテーマや物語との関連を持たないスタンド・アローンな物語。だから、物語といっても、物語の積層によるパークの文化的厚みはいつまでいっても出来上がらない。いや、それぞれがバラバラのテーマで無意味に並べられているがゆえに、現実はますます薄っぺらい、奥行きのない、それでいて派手ばでしい、子供だましの世界が現出してしまうのだ。これはTDLではすっかり完成されており、完全な”お子様ランチ”状態になっていたのだが、この煽りがダッフィーという刺客によってTDSにまでやってきたのだ。

ちなみに本家アナハイムのディズニーランドはこうはなっていない。物語=テーマ上に新しく付与される物語は、そのコンテクストを踏まえ、さらにそれらに厚みを加えてウォルトの精神を上塗りするという作業が繰り返されている。だから、ここは文化、芸術としてのテーマパークであり、独特のアウラを発しているのだ。それは年輪を重ねるがゆえに、必然的に大人たちの鑑賞眼にも耐える、そしてその文化的変容をゲストが加齢とともになぞることのできる真の意味でのファミリーエンターテインメントを維持し続けている。

で、前述したようにTDLおまけにTDSは無意味なモザイクによって形成されるチープなごった煮的世界なのだ。たとえばTDSのアメリカン・ウォーターフロントの二つのアトラクションタートル・トークとトイ・ストーリーマニア。一つはファインディング・ニモに登場する亀のクラッシュとの会話、もうひとつは3Dを使ったトイ・ストーリーのキャラクターが出現する的あてゲーム。この二つがアメリカン・ウォーターフロントに配置される理由はほとんど希薄だ。ちなみにフロリダのウォルトディズニー・ワールドでは前者も後者もディズニースタジオという映画のテーマパーク内のピクサーコーナーに設置されていて、テーマ性と物語性をしっかり踏襲している。

テーマと物語のない空間は子供だまし

こういったウォルトの精神なきTDL、TDS二つのテーマパークの将来はどうなっていくんだろうか。そのことを示唆するのが今回の特集で取り上げた脱ディズニーランド化したかつての熱狂的なディズニーファンたちなのではなかろうか。(続く)

長期にわたってディズニーランド(TDL、TDS)ファンだった人間たちが、近年、ファンから離脱しつつあるのではないかという現状について考えている。この前提が正しいと仮定して、ではなぜ彼らはなぜ離脱するのか。

ウォルトが徹底的にこだわった「物語」

このブログでは何度も指摘しているけれど、Disneyの創始者ウォルト・ディズニーはコンテンツ作りについて、一貫した姿勢を貫いていた。それは「何よりもストーリーが大事」という考え方だ。つまり、アニメを作る際、どんなに絵が美しくあっても、結局のところストーリーがしっかりしていなければダメ。ストーリーはいくつもの層を織りなして重厚な物語を構築していくことで人々に感動を与えることができる、とウォルトは常にスタッフたちに語ってきた。

で、この考え方はテーマパークを建設する際にもやはり踏襲された。ウォルトはディズニーランド(55年オープン)を建設するにあたって、これを自ら実践してみせたのだ。構想の段階から徹底的に関与し、さらに建設にあたっては現場に自分用の詰め所を作り(ディズニーランドパークのエントランスを入ってすぐ左手にあるファイヤーステーションの二階(現存)がそれだ)、建設のプロセスを厳しく監視した。その有名なエピソードのひとつには建設されたものを全部やり直させた事件がある。ある日、建設中のパーク内を歩いていたウォルトはあるものを見つけ、火のように怒った。

「なぜパーク内に電柱があるんだ!!!」

ウォルトからすれば夢の国=ウォルトの国(だから「ディズニーランド=Disneyが作った国=オレの国=剛田武ワンマンショー」なんだけど)には電柱なんて現実的なものはいらないのだ。電柱は非日常=夢を破壊する。

「全てを撤去して地中に埋めろ!!」

って、べらぼうな費用がかかるじゃないか?って、そんなことはお構いなしである。全てやり直しになり、かくしてパーク内には電柱が一本もないということになった。そう、物語の徹底はこういう些末なところにまで神経が行き渡っていたのだ。

物語の重視はアトラクションにも現れている。

ウォルトが最も気に入っていたのは「魅惑のチキルーム」と「イッツァ・スモールワールド」だった。二つはオーディオ・アニマトロニクスによるショーだけれど、どちらにも物語がある。一方、ウォルトはジェットコースター・タイプの絶叫マシンについては否定的だった。要するにこれは身体的な「衝撃に訴える乗り物」で「物語がない」から。だから生前、ディズニーランドにあった絶叫マシンはマッターホーン・ボブスレーだけだった(しかも、これもストーリーがある。ゲストは最後にイエティに吠えられる)。スペースマウンテンが建設されるのはウォルトの死後だ(スペマンにも、やっぱり、物語はつけられている)。

物語がどんどん崩壊していくTDLとTDS

一方、東京ディズニーリゾートの二つのテーマパークは21世紀になってどんどんと物語性を喪失していった。

TDLとTDSは、ここまで表記してきたように、一般には「テーマパーク」と呼ばれている。テーマパークとは一定空間をテーマによって統一し、環境を作り上げてしまうことで、ハイパーリアルな空間を創造する娯楽施設を指している。そしてこのテーマの統一を可能にする仕掛けが物語なのだ。つまりテーマランドの中にあるアトラクション、レストラン、みやげ物屋、アトモスフィアといったものが同一テーマの中で相互に関連して幾層ものストーリーを作り上げる。これが、結果としてパークのテーマ性としてのリアリティと重層感を作り上げる。なんのことはない、年季の入った家具みたいに何回も塗装されて黒光りし、歴史の厚みと家具の味が出てくる、それによってますますテーマ性がリアリティを帯び、空間全体がアウラに包まれていくというわけだ。それは「この空間には何か深いいわれがある」いう感覚によってフィードバックされ、ゲストたちを物語によるホーリスティックなめまいに誘い込んでいくのだ。

これが完璧に実践されているのがアナハイムの元祖ディズニーランド(ディズニーランド・パーク)で、パーク内を散策すると、その50年以上にわたる歴史を年輪をあちこちに感じることができる。例えばかつてのアトラクションがあったところが完全には解体されず、一部アトモスフィアとして残されていたり、同じ場所に全く同じタイプのアトラクションを現代ふうにアレンジして建設したり(トゥモウロウランドにあるファインディング・ニモ・サブマリン・ボヤージは、かつて潜水艦のアトラクションがあった場所に建設されている)。こうすることによって、子供は最新のアトラクションに興じることができるし、一方でかつて子供だった頃ここを訪れた大人も、ノスタルジーに浸ることができるという、ウォルトがパークオープン時に提唱した「ファミリー・エンターテインメントの」理念が具現されている。

さて、一方の東京ディズニーリゾート二つのテーマパークはどうだろう?もう、言うまでもないことだけれど、こういったテーマの重層による物語の厚みが感じられることはほとんどない。むしろ、年を経るにつれて、どんどんテーマ性が破壊し、物語が薄っぺらになっているのだ。そして、こういった脱テーマパーク化といった現象が、かつてのディズニーランドフリークたちを離脱させていると僕は考えているのだけれど。

なぜ?(続く)


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TDSに新しくオープンしたアトラクション”ジャスミンのフライング・カーペット”


ディズニーランドを修士論文のテーマにした人間が二つのパークに見切りをつけた?

先日のこと。研究会の中で雑談になったとき、大学院OBの女性がふと、次のようにつぶやいた。
「TDL(東京ディズニーランド)へ行ってもTDS(東京ディズニーシー)に行っても、最近はウンザリする。とにかく、もうあそこは私のDisneyじゃなくなっているし。はっきり言ってゲストにはかなりむかつくわ」

彼女は修論でディズニーランド論を書いた。そしてそのためにTDLでキャストとして働きフィールドワークまで行った人物。もちろんDisney大好き人間でもある。ところが、二つのテーマパークに関しては、このモノのイイなのだ。フィールドワークをやっている頃からもゲストの自己中さや、Disneyの精神、つまりウォルトの理念など踏まえないオリエンタルランドの運営方針に彼女はいらだちを覚えていたのだけれど、それを通り越してもはやTDS、TDLに行くモチベーションを失いつつあることを告白したのだ。

熱狂から醒めてしまった弟夫婦

そういえば、これと同じことが、以前にもあった。それは僕の弟だ。弟と僕は29年前、TDLのオープニング・キャストとして働いた経験がある。弟はスペースマウンテン、そして僕はグランドサーキット・レースウェイだった。そして、弟は熱狂的なファンだった(弟が初めて行った海外はアメリカ、ロサンゼルス(85年)。要するにそのちょっと先のアナハイムにあるディズニーランドに行くことが目的だった)。現在の奥さん(義妹)も恋人時代には彼女をシンデレラ城のミステリー・ツアーで働かせたほど。結婚後、子供ができてからは典型的なDisneyファミリーとなった。年パスを持ってパークに出かけ、世界中のテーマパークも訪れたのだけれど……21世紀に入ってから、これがパタリと止まってしまったのだ。

で、全然行かなくなってしまった理由を尋ねたとき、それに真っ先に答えたのは弟ではなく奥さんのほうだった。

「もうあそこは、終わってる。ディズニーランドじゃない。ゲストも酷いし」

”ふ~ん、そういうもんかなぁ。TDLもTDSももっと奥行きがあって、掘り下げるところはあるんじゃないの?”

彼女の捨て台詞に近いこの発言に僕はそう思ったのだが……今回の院生OBの発言にもまたディズニーランド・フリークの離脱という状況に遭遇したと僕は感じたのだった。

僕はTDLとTDSのファンではなかった

でも、なんでだろう?そう思ったとき彼女は僕に質問してきた。

「先生は、まだTDLやTDSに行きますよねえ。でも、どう見ても面白そうには見えないし、酷いことになっているとおっしゃっているでしょ。行く理由なんかないように思えるんですが。なぜ、それでも出かけるんですか? 何を見に行っているんですか?」

そう指摘されて、ハタと自分のことを考え直し、その答えに窮してしまった。確かにそうだ。このブログでもずっと展開してきているけれど、僕はTDLやTDSがどんどんDisneyらしさを失っていることを指摘してきた。だったら、彼らと同じように出かける理由など確かにないはずだ。でも、僕は相変わらず出かけている。

しばらくの沈黙の後、僕の口は、彼女に次のことばを発していた

「二つのパークの崩壊加減とか、ゲストの嗜好の細分化とか……」

思わずそう答えた時、僕は、TDL、TDSに対する自分のスタンスに気付いたのだった(というか、自分の発言によって自分が気付かされたのだけれど)。つまり、弟や義妹、そして院生OBの彼女は二つのパークの熱狂的なファン。だから、その変わり果てた姿に気持ちが萎えてしまった。一方、僕は、実は本当のところ、この二つのパークのファンではない。メディア論、そしてシステム論という観点からパークに、そしてDisneyというメディア企業に関心を持っているに過ぎない。だから、僕はパークのテーマ崩壊過程も、ゲストの自己中化もそういった社会学的関心の延長上に位置づけているから好奇心が萎えない……(^_^;。

熱狂的なファンであればあるほど、いずれパークに飽きる?

まあ、僕のことはいいだろう。でも、こうやって長きにわたってDisney世界に徹底的に耽溺した人間たちの離脱、実は僕の弟夫婦や院生OBだけに限ったことではないのではなかろうか。そして、そういった現象があちこちに発生しているとしたら、それはそういった「通過儀礼」的なものとして二つのパークが日本人に受け入れられているということでもある。そして、それは本家アメリカとは異なる、もう一つの「通過儀礼」を生んでいることになるのだけれど。

次回は、ちょっとこれを、考えてみたい。(続く)


Appleがクローズド・プラットフォームを頑なに維持し続けることで20世紀末に消滅の危機にいたり、また21世紀にはわれわれのメディア・ライフを根底から変容するような大復活を遂げたことについて考えている。

さて、21世紀におけるAppleのクローズド・プラットフォームを軸とした戦略をおさらいしておこう。それは1.クローズド・プラットフォームによってハードとソフトの最適な環境を構築したこと、2.これを情報化社会の情報システムに化よって高く評価される環境が整ったこと、3.対抗機種が出現する前に市場にその存在を広く認知・浸透させることでアドバンテージを稼いだこと、4.セミ・クローズド・プラットフォーム戦略でWindowsのユーザーを取りこんだこと、そして5.低価格戦略でユーザーの購入意欲を促進したこと、の五つだった。

結局、Appleが売っているモノは?

こういった一連の戦略は、巡り巡って本家本元のパソコン=Macの売り上げを伸ばすことにも成功している。iPod、iPhone、iPadからなるエコシステムの一環として再定義され、しかもこれらディバイスを最もイージーかつ効果的に操作する道具としてMacが再認知されたからだ。

その最たるものがMacBook Airだ。極薄、高速、スタイリッシュで低価格なこの製品は、iPadとの二重攻撃?で、2008年頃から広がりはじめたNetbookという商品領域を駆逐してしまった。そして、これにかわってウルトラブックというカテゴリーを作り上げたのだ。

さて、こうやって見てみるとAppleがクローズド戦略でやっていることの本質がみえてくる。要するにAppleが売っているのは製品ではなくエコシステムという環境なのだ。そしてiPod、iPhone、iPad、Macという製品は、その環境を実現する端末と位置づけられることになる。これはPOS(Point of Sale)=販売時点情報管理システムをイメージしてもらえればいいだろう。といってもPOSのことを知らなければ何のことやらわからないのでちょっと説明を加えておこう。

POSという環境

コンビニに行って商品を購入する際、レジでバーコードに当てる掃除機の先のような装置がある。「ピッ」と鳴るアレだ。アレは商品価格を読み取るだけではない。読み取ったデータが瞬時にコンビニのデータ管理センターに送られ、リアルタイムにその店の売り上げやら、商品の売れ行きやらがわかるシステムなのだ。セブンイレブンは全国に1万店ほどあるが、ここで今、この時間までに、たとえばサッポロ黒ラベルがどれだけ売れたのかなんてことがわかってしまう。だから、このリアルタイム・データフィードバック・システムによって商品管理と販売戦略が可能になる。

で、このとき、あの掃除機の先はこういったシステムのための端末でしかない。まあ、言い換えれば水道の蛇口と同じで、それだけがあったところで、それだけではどーにもならない。これを端末とするシステム=環境(この場合上水道システム)があって初めて成立するものだ。つまり、これらに対し消費者=ユーザーは結局のところ環境を購入しているというわけだ。

そして、この環境は閉じていなければならない。システムの中心から端末まで一括管理されていなければ、この環境は適切に機能しないからだ。

Appleはこういったエコシステムをクローズド・プラットフォーム戦略によって構築し、ユーザーを抱え込んでいった。その結果、それまでどんどんとシェアを落としていたMacもまた、このエコシステムの端末としてユーザーたちが捉えるようになり、それが結果としてMacの売り上げを押し上げたのだ。つまり、繰り返すようだがMacを売っているのではなく、Macによってアクセスできる環境=エコシステムを売っている。その快適さに気付いたユーザーがMacを求めるようになったというわけだ。

これからの時代、売るのは商品ではなく環境

そう、要するにこうやって情報化が進むと、人々は快適な環境を求めるようになる。その環境を用意するために、環境を一括管理できるクローズド・プラットフォームという戦略は極めて効果的なのだ。

そういえば、こういった環境を古くから用意し、世界を席巻し、未だに世界を支配している企業があったっけなあ。そうDisneyだ。A.ブライマンが指摘しているように、ポストモダンの時代、人々は物語と環境を求めるようになっている。だからこのAppleの戦略は、今後とも強力な効果を発揮していくだろう。もちろん、オープン・プラットフォームがクローズド・プラットフォームと同等レベルの快適な環境を構築可能になるようなやり方とテクノロジーを見つけられるまでは。

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