勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2012年04月

スマホを「賢いケータイ」ではなく「機動性の高い持ち運びのできるウエアラブル・コンピュータ」とみなした場合のスマホ・ライフについて、僕の例を基に考えている。前回まで紹介したように、僕のメディア・ライフはほぼスマホ・ライフとなった。

棲み分け?消滅といった、さまざまな「重層決定」メディア・ライフ

スマホがあらゆる領域でメディアとしてしゃしゃり出るようになると、当然、これと機能を重複させているメディアは何らかの変容を受けることになる。あるものはスマホに凌駕されてしまい消滅する、あるものは棲み分ける、そしてまたあるものはメディアとして再定義されていく。いわばカルチュラル・スタディーズが言うところの“メディアの重層決定”という現象が発生する。で、前々回までは僕の現在のスマホ・ライフ、前回はスマホ以前のメディア・ライフについて、一日を時系列で追っかけるスタイルで紹介させていただいた。今回は、ではこういうかたちでメディア・ライフがスマホ・ライフになることで、僕のメディア・ライフが実際どう変わっていったのかについて、今回は旧メディアのその後との関連で展開してみたいと思う。

パソコンはスマホのベストパートナー

先ずは、モロに機能が重複すると思われるものから考えてみよう。その最たるものは、言うまでもなくパソコンだ。これはスマホが「携帯できるパソコン」なのだから、まあ当然なのだけれど。で、パソコンはかなりの機能をスマホにとられていく。とりわけ機敏さを必要とするような作業については、パソコンの出番がなくなっていく。ちょこっとメールを打ったりニュースをブラウズしたり、スケジュールをチェックしたりというのがその典型。その一方で、腰を据えてやる作業については、パソコンの役割は、かえって大きくなる可能性が高い。長い文書を書くとか、大がかりな検索を行うとか、あるいはビデオや雑誌の編集をするとか、統計調査を行うとか、スマホのアプリや機能を整理するとか、年間スケジュールをスケジューラーに打ち込むというのがこちらの領分になる。たとえば僕は、こうやってほぼ毎日ブログを書き続けているけれど、これをスマホで書こうという気にはさすがにならない。フリック入力や手書き認識機能などで入力方法は進歩したが、やっぱりパソコンのフルキーボードにはさすがに迅速性では全く叶わない(だから、結局、通勤中も未だにパソコンを持ち歩いているのだけれど。ただしMacBookAirで計量化を図りはした)。また情報の細かい処理も、当然パソコンだ。ようするに出先でちょこっちょこっとという場合にはスマホで、家でじっくりという場合にはパソコンでと言う棲み分け図式が完成する。で、その用途としてはパソコンはよりビジネスや仕事、作業といったカテゴリーにシフトし、エンターテインメントの要素は減っていく。

新聞や雑誌はモロに食われた

同様にモロに機能が重複するものに新聞や雑誌がある。で、これははっきり言ってかなりヤバい。そのほとんどが重複し、なおかつ利便性、経済性でスマホの方が勝ってしまうからだ。もはやスマホでインターネットにアクセスすれば、新聞とほぼ同様の情報、いや場合によっては新聞より深掘りの情報を獲得できる。しかも、お代はほとんどタダ。で、こういった情報のチェックはかつてはパソコンがその中心を担い、新聞雑誌の領域を浸食していたが、これにスマホが戦列に加わることで新聞雑誌は波状攻撃を受けているといった状況だ(ちなみに情報のチラ読みはスマホ、じっくり読みはパソコンといった使い分けも発生している)。

新聞の購読をやめた二つの理由

僕は一年ほど前、新聞の購読をやめてしまった。その理由は二つ。一つはこれまで産経新聞を購読していたのだけれど、なんとこれがスマホで読めるようになったからだ。しかも産経新聞は太っ腹にも全文が無料。で、他の新聞についてはネットの新聞サイトを見ればダイジェストの部分は判る。ちなみに最近、毎日新聞も読むようになったのだが、これは雑誌アプリ「ビューン」を購読しはじめたから。毎日新聞はビューンに毎日掲載されている。

イメージ 1

産経新聞スマホ版・なんと全文タダ。タダしiPadは有料。

もう一つの理由は、新聞が「大して面白くないこと」を発見してしまったため。もちろん、以前に比べて質が落ちたといっているわけでは、必ずしもない。「面白くない」というのは、新聞というメディアのメディア性が備える宿命に基づいている。新聞はマスメディア、つまりマス=大衆・膨大な数の人々に向けて情報を伝達するメディア。それゆえ、必然的に情報の内容はこういった大衆が理解可能な範囲を超えてはいけないという制約が課せられている。だが、それは結果として、記事の内容が「深すぎず、浅すぎず、そして当たり障りのないように」というスタイルを採らざるを得ないことになる。

で、かつてだったら、それでもまだよかった。報道に関する情報が新聞やテレビに限られていたからだ。で、当時のわれわれ一般大衆は、こういったレディメイドの情報に満足していたのだ。

ところが、インターネット環境が充実することで、情報についても非常に広範な分野から、しかも多彩な価値観を持って情報が提供されるようになった。また、より深く知ろうと思った場合でもインターネットから情報を引っ張ってくるのが便利ということになった。つまり広さでも深さでもネットの方が新聞より上。で、こうなると、今度は新聞の情報=報道が「帯に短したすきに長し」の中途半端なものになっていく。また、さまざまな情報を多面的に入手するようになったので、新聞の情報もかつてのようには信頼を置かず、「情報の一つ」として捉えるようになったのだ。当然、新聞の情報も頼るべきものではなく相対化された(いいかえれば、それはかつて信じられていた「新聞の客観性・中立性」という幻想が剥がされたということでもあったのだけれど)。まあ、要するに膨大な情報の海の中に投げ込まれた、言い換えれば新聞は馬群れに埋もれてしまったのだ。

じゃ、雑誌はどうなった?(続く)

スマホを「賢いケータイ」ではなく「機動性の高い持ち運びのできるウエアラブル・コンピュータ」とみなした場合のスマホライフについて考えている。前回まで紹介したように、僕のメディア・ライフはほぼスマホライフとなった。つまり朝起きてから寝るまで、いや、寝てからですらスマホに依存するものになったのだ。こういったスマホへのメディアライフの一元化は、必然的に、これまで僕がやってきたメディア・ライフはを大幅に変更することになる。で、今回はその変容について展開する。ちなみに、これはあくまでも僕の場合ということになるということをお断りしておくけれど、近い将来、つまりスマホが現代人の必携メディアとなったときには、恐らく同様のメディアシフトが発生するだろうと僕は考えている。だからその一例と考えていただければ幸いだ。

じゃあ、どう変わったのか。だが、その前に叩き台として、今回は最初にスマホ導入前の僕のメディア・ライフを示し、それとの比較で導入後の状況をお話してみたい。

スマホ導入以前~ノート・パソコンライフな日々

スマホを導入するまで、僕のメディアライフの中心は ノート・ パソコン、iPod、テレビ、本・雑誌、新聞、ケータイ、メモ帳、そしてカメラだった。そして、これらをそれぞれバラバラに使うというパターンだった。で、これを前回みたいに一日の時間軸で展開してみよう。

朝は新聞、テレビ、iPod、iPodShuffle、ときどきパソコン

朝起きると朝食をとりながら新聞に眼を通す。ただし、時間があまりないのでザッと眼を通すという感じ。で、その傍らテレビは朝のワイドショーを付けっぱなし。「目覚ましテレビ」「朝ズバ」「やじうまワイド」など、その日によって番組を使い分ける。八時からは「特ダネ」にスイッチ。しかし、そうこうするうちに出勤の時間となる。移動中はiPodShuffleで英会話を聞く。電車内で運良く座ることができる場合にはパソコンを開きスケジュールをチェックし、さらにブログを執筆。その間はイヤフォンをiPodに切り替え音楽を流す。大学最寄りの駅からはバスになるので、ここで再びShuffleにチェンジして、再び英会話。

大学ではパソコンとメモ帳ライフ

大学に到着すると授業用の資料をプリンターで印刷(研究室内はWi-Fi環境なのでワイヤレスで接続)。次に大型ディスプレイにパソコンを接続してネットを開き、メールとサイトをチェックする。プレゼンテーションツール(Keynote)を使用するときには、こちらの準備も。この時、もちろん研究室内はMacのiTunesからオーディオから音楽が流れている。アポ取りや連絡のメモはメモ帳で。ただし、これがパソコンのスケジューラーソフトと連動していないので、なかなかややこしい。パソコンのメモパッドにちょこっとメモって置いたものをメモ帳に転記するのを忘れてしまうなんてこともしばしば。煩雑だ!

会議にはパソコンを持ち込む。手書きメモでもいいのだけれど、僕は字が思い切りヘタ(文章をキーボードで打つという生活を始めてから既に三十年が経過。漢字リテラシーについては読めても書けないレベルにまで退化した)、半面キーボード入力がものすごく速いので(かつてNECが開発したM式(母音字を左手、子音字を右手に分割することで、常に入力が左右交互となるという、日本語入力にとっては画期的な方式)という入力方式をキーボード配列をカスタマイズして使っている)、どうしてもパソコン持参になるのだけれど、まあ、がさ張ることにかわりはない。

学生相手の作業は膨大、だから分業体制で

学生の管理については、ゼミ生それぞれに役割を振り、彼らに担当させる。学生と密接に関わり、それぞれにいちいちに指示を出していたのではこちらの能力の限界に達してしまうので分業体制を採っているのだ。ただし、これだと学生の力量もあり、僕のうっかりもあるので、しばしば連絡はちぐはぐになる。この間、事務連絡でケータイがしばしば稼働していることはいうまでもない。

で、帰宅の道では朝の通勤時と同じように音楽=iPod、英会話=iPodShuffle、ブログ=パソコンという展開に。

帰宅後もメディアをマルチに使いこなす?

帰宅後、自宅では ノート・ パソコンを自室の大型のディスプレイに接続(面倒くさいときは居間でそのまま使う)、作業の続きとかネットのブラウズとかメールをチェック。で、その後ゆっくりと新聞を読み、テレビを楽しみ(報道や深夜のバラエティが中心。ドラマはほとんど見ない)、読書に耽る。ただし、アルコールという「メタ・メディア」がこれに加わると、実質的なメディアライフは終了になってしまうのだけれど(酔っ払って、友だちに電話するという非常に相手に迷惑なメディアライフを除きだけれど(^_^;)。

読書と撮影は目的意識を持って、時間を作ってやるしかない

この中で、結構、抜けているメディアは雑誌と本、そしてカメラだ。雑誌と本は帰宅途中スポーツクラブに行くついでに書店をチェックし、気になるものは購入する。専門関係の本は置いてないので帰宅後Amazonでチェックしたり(これぞと思ったものは速攻でポチる。これはCDや映像メディアも同じ)、休日に神保町に出かけたりして物色。しかし、じっくり読む時間がないので、読書の楽しみは休日とか長期の休み中(春・夏・冬休み)に、リゾートに逃げ込んでじっくりやる。こうなると仕事からも学生からも、くだらないメディアコンテンツからも逃避できて勉強に集中できる。カメラ(RICOH GX200)についてはほとんど利用することがない。どこかに出かけるとき、つまり旅行や調査、取材といった用途で初めてこれを持ち歩く。だから普段は引き出しの中に収まったままだ。いざとなったとき、こいつが登場する。

だが、こういったメディアライフのほとんどがスマホの導入によって一元化されてしまったのだ。そして、この集約は翻って、それぞれのメディアの利用方法、利用パターン、メディア意識をドラスティックに変容させることになったのだが……。(続く)

細々とした事務作業もスマホが便利

スマホを「賢いケータイ」ではなく「機動性の高い持ち運びのできるウエアラブル・コンピュータ」とみなした場合のスマホライフについて、大学教員である僕の一日を例に展開している。 前回は学生の管理について見てきた。今回は僕の個人的な仕事について紹介してみよう。

人と出会って名刺交換する場合には、やはりスマホが機能を発揮する。交換したら速攻名刺管理アプリ「Eight」で撮影。このアプリは撮影した名刺をデジタル化してくれるので、撮影すればもはや名刺は不要だ。データはクラウド上で処理されるので、パソコンでも閲覧・編集が可能だ。

大学の予算の運用会計簿もスマホだ。アプリ「予算」を使って、使った先からどんどん書き込む。こちらの予算の残高が打ち込んだ瞬間、リストとともに表示される。
ちなみに、この間検索したい用語・事項もスマホ、購入したい本の検索もスマホ(Amazonのアプリを使用。こいつは、ついつい気軽にポチっとやって購入してしまうのでアプナイあぷりなのだけれど)

で、そうこうするうちにメールやFacebookから次々とメッセージがプッシュで届けられてくる。こうなると、もはやこちらの仕事のほとんどを集約して、なおかつ効率的にやってくれる秘書みたい存在になる。

遊びやスナップも

誰もがやっていることだが、こういった仕事上での利用の他にも遊びや趣味での使いこなしもたくさんある。例えば写真やビデオ撮影。ちょっと気になったらメモ代わりでどんどん撮影する。これもクラウド上にすぐアップされるので、後でパソコンを開いて大画面で見たり編集したりすることができる。簡単な編集をして、すぐFacebookに公開したり、メールに添付したりしてもいい。

レストランや飲み屋を探すのもラクラク。食べログなどの検索アプリで調べ、後はマップをみながら歩いて行けば間違いなく目的の場所に到着できる(おかげで下調べがどんどんいいかげんになっていく。まあ、任せっきりでも全く問題ないんだけれど)。

本を読んだり仕事をするのに疲れてしまったらちょこっとゲーム(もっとも電車の中でやっていると、途中で眠り込んでしまうこともあるが)。「ビューン」などの雑誌閲覧ソフトで雑誌を読んでもいい(「AERA」「ダイヤモンド」「サンデー毎日」などが定額で読み放題)。ビデオを見ることやワンセグ機能を使ってテレビを見ることも(Androidならこれにおサイフケータイ機能がつく)。

寝るまで、いや寝た後もスマホライフは続く……

で帰宅。しかし、家に帰っても依然としてスマホの活躍は続く。寝床で最後のネット・メールチェック、そしてタイマーのセット。で、眠り込んで夜中に起きてしまったときには懐中電灯アプリで明かりをとる。

と、まあこんな具合に僕の一日では、スマホはさながら身体の一部のように使われているのだけれど、こんな使い方をするのは必ずしも僕だけではないだろう。そのことは今回の特集で指摘したスマホを所有する学生たちのメディア・アクセス比率がスマホ>テレビとなっていることからもうかがえる(彼らも、僕とは多少なりとも異なった使い方をしているけれど、スマホに首っ引きになっていることは同じだ)。そしてスマホがこれからますます普及していくことで、こういった「スマホライフ」「スマホの身体化」をはじめる人間が飛躍的に増大していくことは間違いあるまい。

じゃあ、こういったスマホライフの一般化にともなって、僕らのメディア意識はどう変わっていくんだろうか?(続く)

スマホを「賢いケータイ」ではなく「機動性の高い持ち運びのできるウエアラブル・コンピュータ」とみなした場合のスマホライフについて、大学教員である僕の一日を例に展開している。前回は起床から大学=職場に着くまでだった。今回は仕事とスマホの関係から時系列で紹介していこう。

大学でのスケジュール・学生管理をスマホで一括

大学に到着するとカレンダーアプリのリマインダーが十五分前、十分前、五分前と立て続けにスケジュールを連絡してくる。ゼミや少人数の授業は受講生を「Facebook」で連絡ややりとりをこれで行う。メンバーをグループ化して、その中で情報をやりとりするのだ。で、グループごとに連絡が入っている。行事はイベント機能を使用。こういった時のデータのやりとりは「Evernote」を使用する。Evernoteは「クラウド上の引き出し」。クラウド(インターネット上のサーバー)ゆえ、ゼミ生たちとアカウントを共有することで、メンバー全員の「どこでも引き出し」として使用することができる。FacebookもEvernoteもクラウド上でパソコン、そしてiPadと連動しているのでデータ移動の必要はない。

授業、ゼミ、会議、打ち合わせなどでメモが必要となれば手書きメモアプリ「7notes mini」の出番だ。このアプリは手書きをデジタル化してくれるスグレモノ。僕の場合、書き込みの際にはスタイラス(タッチペン)を使用している。これだとサクサクとメモれてすごく便利。文字の認識もスピーディで正確だ。ブログのアイデアが浮かんだときも、こちらにすかさず書き込む。


イメージ 1

手書きアプリの”7note Mini”。サッとメモをとることができる。

海外でも通話は格安。双方がWi-Fi環境にあればタダ

そうこうするうちに電話がかかってきた。で、今度はこちらからかける番。通話機能は住所録アプリと連動しているので、即座に電話をかけられるし、初めてかかってきたダイヤルはすかさず登録すれば(3タッチ程度で登録は完了する)、あとは電話番号を打ち込む必要はない(おかげで、いつまでたっても相手の電話番号が覚えられないのだけれど(^_^;)。

同じSoftBankどうしなら問題ないが(僕の場合iPhoneをSoftBankと契約している。SoftBank同士の通話は夜間を除けば無料だ)、そうでない場合は電話料が発生する。そこで、あらかじめWi-Fi電話アプリ(Line、Viber、Tangoなど)が入っている相手の場合には、そちらで電話をかける。Wi-Fi環境にない場合でかける必要があり、遠距離の場合で通話料が高額になる場合はSkypeの有料電話機能を使用。こうすると海外でも一分二円台の通話料となる。こうなると海外に電話することの躊躇は一切なくなる。どんだけ通話しても懐はさほど痛まないわけで。

学生管理はFacebook・Googleカレンダー・Evernoteの三つを使用

ちなみに、教員ともなると学生の個人指導もやらねばならない。ただし、首都圏の大学ゆえ、気軽に学生と直接対面することが物理的に難しい。学生たちはかなり広範囲から通学しているので、ちょくちょく会うということが容易ではないのだ(通学に二時間を要する学生もいる)。そこでSkypeのテレビ電話機能を使用となる。これはタダ。グループ会議もSkypeでやる。こちらは六人までおしゃべりが可能(ビデオ入りだと有料になるので、音声だけだけれど)。ちなみに僕のゼミに加わる際の条件は「スマホを所有していること」だ。これは以前にも書いたから簡単に書いておくけれど、Facebook、Evernote、Googleカレンダー、そしてSkypeをフルに活用することがゼミ運営の柱となっているからだ。ちなみに、大学には学生と連絡やレポートの出し入れ用に独自にインターネットシステムが構築されているけれど、こちらはほとんど使っていない。それだけのためにサイトに接続するという煩雑さが使用をとどまらせるからだ。一方、前述した三つは頻繁に利用するアプリで、しかも大学の事務以外にも頻繁に使用している。これは学生も同様なので、圧倒的にこっちの方が便利なのだ(プッシュ機能が付いていることも大きい)。前述したようにFacebookで一括連絡(しゃべり場にもなっている)、Googleカレンダーでメンバー全員のスケジュールを瞬時に把握。もちろんゼミ生にとっても僕のスケジュールをすぐに知ることができるので、アポ取りも簡単だ(アポ取りはFacebookのメッセージ機能を使う)。そしてゼミ会議資料や議事録、発表レジュメはEvernoteにアップする。で、会議や演習時間にはスマホ、パソコン、iPadでゼミ生それぞれがこれら資料を開いている。修正事項や思いついたことはすぐに書き足せるし、これら全てはアーカイブとして保存され、しかも共有される。ペーパーレスになるので省エネでもある。(続く)


イメージ 2

iPhoneとGoogleカレンダーを一括管理するSnapCal。ゼミ生のスケジュールも表示できる。

スマホ、実は「スマートフォン」つまり「賢い電話」ではないという視点からスマホを考えている。そして前回までに提示した新しい視点は「スマート・コンピュータ」というものだった。つまり、僕らはスマホを所有することでコンピューターを遂に携帯することになったのだ。しかも、これまでのパソコンよりはるかに容易な操作とアクセスビリティの高さで。

で、こう考えるとスマートフォンと「スマート」の意味は僕らが考えているのとはちょっと違っていると言うことがはっきりしてくる。

スマホとは「機敏なコンピュータ」のこと

“Smart”という言葉にはいくつかの意味がある。「ケータイにコンピュータやデジタル音楽プレイヤーが付いた」という認識なら、この意味は「賢い」ということになる。ところが、もう一つの「機敏な」という意味で捉えると話がおかしくなってくる。ケータイとはモバイル=移動体通信であるのだから「機敏な移動体」になってしまうからだ。移動できるのは機敏に決まっている。でも、これじゃ「腰が腰痛で痛い」という表現と同じ。つまり意味の重複になってしまう。ということは、こちら(=機敏な)の意味で”Smart”という言葉を捉えれば、スマートフォンの「フォン」の部分はコンピューターを意味するわけで、そうするとスマホは「ケータイ=モバイルの稼働性・携帯性を備えたコンピューター/インターネット・ディバイス」ということになるのだ。そして、前回まで紹介してきたようなスマホ所有者の一般的な使いこなしを踏まえれば、必然的に後者の解釈の方が明らかに正鵠を射ているということになる。

イメージ 1

ズラーッと並んだ各種アプリ。これは要するにパソコンだ!


スマホ=機敏なコンピューターライフ。僕の場合

じゃあ、具体的に「機敏なコンピューター」として、僕たちはどうやってスマホを用いているんだろう。ここでは手前味噌で申し訳ないが「僕のスマホの一日(iPhone)」を紹介してみたい。

スマホのアラームに起こされる

朝、お目覚めは時計アプリのアラームがお知らせしてくれる。で、本日のスケジュールをカレンダーアプリでチェック(ちなみに、これはプッシュ機能が付いているので、実はいちいちチェックしなくても、近づいてくると連絡してくれるようになっている)。スケジュールはGoogleカレンダー、iPhoneの「カレンダー」、そして「SnapCal」を連動させている。朝食をとりながら新聞を読む。もちろんこれも新聞アプリ「産経新聞」だ。で、次にアプリ「乗り換え案内」で通勤電車の時刻表を調べる。

大学へ。iPodから音楽が流れている。電車内ではメール、Facebookをチェック。緊急にレスする必要があるものはさっさと書き込む(ただし、長文になりそうなものは後回しにしてパソコンから入力する)。さらに時間があればインターネットを閲覧。この場合「Yahooヘッドライン」などのニュース・ダイジェストをチェック。

で、大学に到着。しかし仕事上での本格的なスマホライフはここから始まるのだ。(続く)

イメージ 2

アプリ「乗り換え案内」。最短コース、最安コースの乗り換えがチェックできる。通勤の必携アプリだ!

↑このページのトップヘ