
アップルの製品開発ゲームの中心にいるインダストリアル・デザイン担当のジョナサン・アイブ。アップル製品のほとんど全てをアイブが手がけている。
21世紀:ゲーミフィケーションの欠落部分が埋まる
ビジネスとゲーミフィケーションの関係について考えている。ここまではビジネスにおいては「ゲーミフィケーションと金儲けは、ある意味逆立する」という前提で話を進めてきた。そしてその具体例として、失敗例のSONYを取り上げ、次いでAppleを取り上げている。Appleは85年、創業者のS.ジョブズ追放後、ゲーミフィケーション的な活力を失い凋落し、売却寸前にまで至った。しかし、97年ジョブズはAppleに復帰する。もう終わりとみなされていた企業に創業者がなぜ帰ってくる必要があるのか?と、誰もが首を傾げた。しかし、周知のように、その後AppleはV字回復を遂げるどころか株価世界一を記録する巨大企業に変貌する。
Appleはジョブズ復帰後、iMac、iBook(後のMacBook)iPod、iPhone、MacBook Air、そしてiPadと、次々核心的なプロダクトをリリースしてきた。 iMac、iBookではコンシューマー向けにデザインを意識し、インターネット接続をデフォルト化し、さらにUSBを採用することでインターフェイスを統一した。iPodでは音楽視聴をパソコンからiPodにコピーし、コレクションを全て持ち歩かせるというスタイルに変更させた。iPhoneはスマホという「インターネット+音楽+携帯電話」というカテゴリーを作り上げた。iPadではパソコンの家電化を実現した。そしてMacBookAirでは全てを携帯するパソコンとして、後にインテルが名付けたUltrabookというカテゴリーを登場させた。
これら全てはわれわれのメディア生活を根本的に変更させるものだったが、面白いのは、これらがマーケティングに基づいて開発されたのでは決して無く、かつてジョブズが独裁を敷いていたときのように「作りたいもの」「美的感覚」「ほしいもの」という、”作る側の都合”に基づいていたことだ。
このスタイルは80年代ジョブス独裁の時にはジョブズの追放というかたちで、一旦終焉を迎えたはずだ。だが、今回は同じ手法を採りながらも大成功を遂げている。その理由はゲーミフィケーションに対する立ち位置の根本的な変化に求められるだろう。
Appleは「ジョブズ」ではなく「ジョブズというブランド」がプロダクトする
ゲーミフィケーションの三つの要素として、本特集では「ゲームそれ自体の楽しさ」「コミュニケーション」「社会的評価」を挙げておいた。ところが前回も指摘しておいたように、80年代のジョブズは、このうちのコミュニケーションの要素が圧倒的に欠けていたのだ。つまり完全な独裁、独善性に基づいて、いわば自分一人がゲーミフィケーションしていた。にもかかわらず革新的なプロダクトが生まれたのは、ひとえにジョブズの美学の説得力に拠るところにあった。だが復帰後のジョブズには、この「独りよがり」が、ある程度ではあるが、消えていたのだ。
もちろんジョブズが独善的であることは変わりがない。ところが80年代には欠けていた部分、つまりコミュニケーションが、この時期には機能している。初期のジョブズはいわばアイデアマンとしての評価が高かったが、復帰後はむしろ辣腕経営者として賞賛されるようになったことが、このことを傍証する。中でも、その経営手腕としてあげられるのがチーム・スティーブとでも表現するべき首脳スタッフたちの存在だ。現在CEOの ティム・クックを中心としてソフトウェア担当のスコット・フォーストール、インダストリアル・デザインのジョナサン・アイブ、マーケティングのフィル・シラーを中心としたメンバーがそれだ。これらはジョブズ自らスカウトした人物で固められているが、かといって必ずしもジョブズのアイデアを単に実現するだけの”イエスマン”ではない。自らアイデアを提案しAppleブランドを構築することに参画するという存在でもある。
例えばその典型的な人物がインダストリアルデザイン担当のジョナサン・アイブだ。初代iMacのボンダイ・ブルー、トランスルーセントというスタイル、初代iPodのタッチホイール、二代目iMac、iBookーMacBookのホワイト、現行iMac、MacBookで採用されているアルミとユニボディ、さらに現在Ultrabookと呼ばれている小型軽量のノートブックMacBookAirのコンセプト(薄型、軽量、アルミ、ハードディスクレス、バッテリー着脱不可)……。こういったもののデザイン、実はほとんど全てアイブのミニマリズムに基づいたコンセプトに従ったものだ。ミニマリズムは「最小限主義」と呼ばれるもので、とにかく徹底的に余分なものを排し、必要最小限のものだけを残すといった考え方。アイブを登用したジョブズは、このミニマリズム的視点を共有していた(若い頃、ジョブズの自宅リビングにはほとんど家具が置かれていなかった、またiPodを開発するに当たって全ての操作を三回以内で済ますことができるように指示した)。だから、それはあたかもジョブズが編み出したデザインのように一般には思われていたのだが、その実、そのほとんどはアイブのデザインだったのだ(逆に言えば、ジョブズ亡き後の今後もApple流のミニマリズムを踏襲したデザインは継続される)。
また、iPodがブレイクするきっかけはiPodを操作するソフト・iTunesのWindows版をリリースしたことがきっかけだった。だが、ジョブズはMac0Sを他のコンピューターメーカーに決して使わせなかったときと同様、当初はこれに大反対する。しかしクックを中心とする首脳スタッフたちがジョブズを説き伏せた。但し、この二つとも発表される際にはあたかもジョブズ自らが思いつき、そして決定したかのようにジョブズはプレゼンテーションを行ったのだ。つまりジョブズはディズニー亡き後のディズニーブランド的な状況を作り上げていた。実は考えたのはAppleのスタッフなのだが、あくまでジョブズが開発したという体裁を採ることによって「ジョブズ・ブランド=Appleブランド」が構築されたのだ。
ここにあるのは、ジョブズが以前とは異なりブレーンストーミングでものを作ろうとする視点を学んだことだ。つまり「ジョブズのアイデア」ではなく「みんなのアイデア」。そして、これを繰り返すうちに首脳スタッフたちの集団思考が起こり、アイデアを共有してAppleの統一したインターフェイス、企業アイデンティティ、コンセプトが生まれるに至ったのだ。それは、言い換えればみんなが製品開発というゲームに興じた、つまりジョブズ一人のゲームではなく、スタッフたち全員のゲームになった。だからメンバーたちは仕事が面白くてたまらない状態に至った。アイブのオフィスにジョブズがちょくちょくやってきたというのはかなり有名な話だったらしい。つまり「ジョニー、今度はどんなネタ、かんがえたんだ?」ってなところだろう。いわば、スタッフの間でゲームを媒介としてコミュニケーションが発生し、それがAppleブランドを形成するに至ったのだ。
しかし、こういったスタッフ内のゲーミフィケーションは、内部だけにとどまらないという性質を有していた。そしてそれが現在のApple世界を形成することになっていく。しかも、より包括的なゲーミフィケーションという形をとって。(続く)