旅行人山荘。チョー有名な赤松の湯
露天風呂の入り口にある傘。露天なので雨の日にはこれを被って風呂に入るという、細かい気遣い。
十年間九州を回って、施設が貧弱、料理も質素。風呂も小さいものがある程度。余分な設備はない。但し低料金でホスピタリティー最高。古い設備だけれどメインテナンスが行き届いているという条件に叶うホテルのベストを紹介している。前回は北阿蘇・杖立溫泉の葉隠館だった。で、今回紹介したいのが霧島温泉内の旅行人山荘だ。
ヘンな名前の溫泉「旅行人山荘」
しかし、この温泉の名前、ちょっとヘンだ。溫泉旅館というカテゴリーより、むしろ山小屋の方がイメージされる。実はこれにはそれなりのいわれがある。ここの以前の名前は「霧島プリンスホテル」だった。ところが、このホテル。平成11年に、ご主人と女将さんが相次いで亡くなってしまったのだ。そこで、後を継ぐことになったのが長男の蔵前壮一氏だった。それまで蔵前氏は東京で弟である仁一氏(『ゴーゴー、インド』『ゴーゴーアジア』などの紀行文で知られるイラストレーター)とバックパッカー向け情報誌「旅行人」の編集を手がけていた。壮一氏はこちらの仕事を弟に委ね、家の仕事を継ぐことになったのだ。だから、その名前も旅行人山荘にしたというわけ(当然、雑誌の知名度を踏まえての命名だろう)。
旅行人山荘は、それゆえ、よく見るとかつての霧島プリンスホテルの面影をしっかりと残している。建物は六十年代の鉄筋コンクリートで古めかしい。ただし、ここに壮一氏が東京の編集者としての生活で培ったノウハウがたっぷりと注ぎ込まれており、充実した施設の中で、洗練されたサービスが受けられる。
確かに建物は古いがリニューアルを重ね、室内は清潔で新しい。一階にはライブラリーがいくつかあり、東郷青児や山下清などたくさんの絵が飾ってある。また、今回は特集として弟・仁一氏のイラスト展が行われていた。イラストに氏の著書で親しんできた僕にとっては、そのオリジナルが見られることで、これは思わぬ幸運だった。
ゴージャス、そして実は有名な温泉
だが、設備面で最も誇るべきところは、肝腎の溫泉だ。大風呂の錦江の湯と大隅の湯はともに露天風呂付なのだけれど、どちらも湯船から錦江湾と桜島の絶景が見渡せる。
さらに、これよりもっと楽しめるのが貸し切り風呂だ。敷地の林の中に赤松の湯、鹿の湯、もみじの湯、ひのきの湯の四つがあり、宿泊客は45分間の貸し切りが可能だ。中でも最も人気なのが赤松の湯で、これはAGF Blendy CoffeeのCMでロケ地として使われた(出演は原田知世)。秋の紅葉の時期に行けば紅葉に囲まれて露天を楽しむことができる。ちなみに、言い忘れたけれど、湯質は九州でも随一と評判の高い霧島の湯そのもの。濃厚な硫黄の臭いが漂い、湯船は白濁、湯ノ花がいっぱいだ。
料理もシンプルだが細かいところに配慮が行き届いている。朝食のアジの開きは甑島から取り寄せた逸品。壮一氏直々に自家製の四十年ものの梅酒をいただいたけれど、これも濃厚で、ガッツリ楽しめた。ちなみに、こういった様々なサービスは宿泊客のリクエストを参考にしながらだんだんと築いていったものだと壮一氏は説明してくれた。うむ、なるほど。
洗練された都会的なホスピタリティ
しかし、最も評価すべき点は葉隠館同様、やはりホスピタリティだ。とにかく教育が隅々まで行き届いているという感じ。ちょっとした質問でも、どの従業員も実に丁寧に応対してくれる。エピソードをひとつあげてみよう。朝食会場での出来事。会場からは露天と同様錦江湾と桜島の絶景を楽しむことができるのだけれど、あいにく当日は霧。すると、僕の接待をしてくれた従業員が
「今日は牧園町の街並みしか見えませんねえ。でも、まるで山の中にぽつりとある小さな街みたいで、こんな風景も実は結構、貴重なんですよ」
と楽しみ方を説明してくれた。そう、従業員の誰もが職場にアイデンティファイし、プライドを持って宿泊客に接しているのだ。しかも、従業員のホスピタリティは押しつけがましくならないように、細心の注意が施されている。そういった意味では葉隠館のコテコテの家庭サービスとは対極の、極めて都会的で洗練されたサービスなのだ。で、今回の宿泊料は9800円。やっぱりこの価格もちょっと信じられない。では、葉隠館と旅行人山荘に共通する特徴とはなんなんだろうか?(続く)