前回まで新しい「つながり」(=自分がご主人様として、相手を相互にモノ=メディアのように扱うコミュニケーション)のスタイルとして「相手の動きだけを抜き取ること」「一期一会コミュニケーション」「第三の空間コミュニケーション」の三つを取り上げてきた。で、こういった「つながり」の要素を重ね合わせたモノは、必然的に多くの人々の関心を生むので、次々と開発されるようになっている。とりわけこれはネットでのサービスに顕著だ。そして、その典型としては、たとえば現在爆発的に広がりつつあるソーシャルネットワーク・サービスがあげられる。
ソーシャルネットワークとして、ここではTwitterをあげておこう。Twitterの魅力は、その名の通り「つぶやく」こと。それは、誰に向けてというわけではない。不特定の他者に向けてだ。しかし、つぶやくことに対してこれをフォローしてくれる人間が出現する。またハッシュタグという機能も便利だ。タイトルに♯をつけることで、ここがフォーラムに変わる。で、これが「つながり」を感じさせるというわけだ。しかし、その多くは匿名。つまり、フォローしてもらうということで「相手の動きだけを抜き取る」ことが出来る。そして自分もまた匿名であることで、今度はその場限りの関わりが可能になる。つまり「一期一会」。で、ヒマになったらTwitterをチェックしたり、テキトーにつぶやけばいいわけでこれは「第三の空間」となる。
「つながり」の副作用
さて、こういった新しく求められている「つながり」は、確かに快適だ。他人のうざったさのほとんどを排除可能だからだ。しかも、もし深入りしそうになったら撤退すればいいわけで。ひたすら、自分の都合のよいときに、他人のぬくもりだけを抜き取ることができる。
しかし、こういった「甘口のつながり」「おいしいところだけをいただくつながり」は当然副作用を伴っていることを忘れてはならないだろう。
「つながり」を感じられるイベントへの参入の頻繁化
まず深入りすることは、かつてのつながり=しがらみに戻る恐れがあるので極力避けなければならない。だから、自らが相手をモノのように扱って、それで満足したら即刻撤退し、次の「つながり」を求めていくということになる。要するにこのつながりはさながらスプリントのように短いスパンで、相手も変えて、しかも頻繁に行うということが要求されるようになるのだ。なるべくたくさんの友人やツイートする相手を求め、それぞれの人間と少しずつだけ関わるというやり方がデフォルトとなる。「浅く、広く」というわけだ。
そして、これは長期に関わる相手にも適用される。例えば家族。家族はずっと同居し、長く関わりを続けていく。つまり家族=うざったい、自由が効かない関係。じゃあどうすれば、これを「つながり」として維持可能にしているのか。それは、家庭内においても原則バラバラな関係を持つことによってということになる。それぞれが自室を持ち、そこにパソコンやケータイ、オーディオ、エアコン(場合によっては冷蔵庫)を持ち込み、通常はそれぞれが密室内でよろしくやる。だが、家族は一つ屋根の下に暮らしている。これが「つながり」を保証する。まあ、とはいっても、このままではむなしい。そこで、家族は頻繁にイベントを起こす。パーティをやり、レジャーに出かけといった具合に。その時、家族はこういったイベント、リクレーションを共有することができるわけで、シンクロしているがゆえに、その時ばかりは「つながり」を感じることができるのだ。しかし、前述したのと同様、「家族であること」、つまり「つながりを確認すること」のために、こういったイベントを頻繁に行うことが必要経費となる。
生身の他者が現れた瞬間の恐怖
ただし、こういった「甘口のつながり」は、いいかえれば「カタストロフの先送り」といった側面もある。つまり、相互のプライベートには関わらないし、うざったいことをしないということを徹底すれば、必然的に、その逆、つまり互いが利害などを通じて現実に関わり合う、言い換えればそれぞれのプライベートや利害にダイレクトに抵触するようなことが発生した場合には、それに対する処方箋は全くなくなる。こういったことについての経験が全くないのだから、あたりまえだ。だからそんなことが発生した時にはコンフリクトが最大化されるのだ。
実は、近年、人間間で発生しているコンフリクトの多くは、こういった他者に対する脆弱性の必然的結果なのではないだろうか。
つながりと「つながり」を飼い慣らせ!
僕は、こういった「つながり」を「だからいけない」と一刀両断するつもりはない。こうやって互いにシンクロすることはわれわれが繋がることを感じる基本だからだ。さらに誰もが、これを快適なものとして選択したのであるし、またかつてのつながりには戻りたいと思ったから選択したものでもあるからだ(もちろん、僕もそう思っている)。しかし、こういった新しい「つながり」を享受し、その一方で既存のつながりと関わり合うしたたかさも必要だ。だから、この二つを併存させつつ、スキルとして利用するしたたかさ、そしてそれを可能とするシステムの構築が、さしあたっての僕らの課題ということになる。