勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2011年12月

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限定販売のヴァイツェン。要冷蔵なので、あまり出回っていないがネットで購入可能。要チェック!



銀河高原ビールをはじめとする地ビールの凋落と銀河高原ビールの生き残りについて考えている。最後に、日本のビール業界の中で銀河高原ビール、そして沢内銀河高原ホテルはこれからどういったスタンスをとればよいのかを考えてみたい。

銀河高原ビールの売り方:ビール界のベンツ、BMWをめざす!

前回のおしまいで指摘しておいたように、銀河高原ビールはその味が日本の食文化とは合わない。だからスーパードライのようなメジャービールに対抗できるようには決してなることはできない。言い換えれば、それは銀河高原ビールがフォローできる市場が極めて小さいということを意味している。で、僕はそんな立ち位置にある銀河高原ビールには、だからこそ次のような売り方がよいのではないかと考えている。

サントリーはプレミアム・ビールを「ご褒美」「ごちそう」「お祝い」といったイメージで売り込んでいる。いわば”ハレの日のビール”というわけだ。で、銀河高原ビールはこれよりもっと上、つまりスーパープレミアムビール。価格もちょっと高い。だったら「究極のご褒美ビール」とか「本当に味のわかる人のためのビール」とか「気取りたいとき飲むビール」といった、さらに上を行くイメージで売るのがよいのではないだろうか(ビヤたんで飲むなんてのは、もってのほか。ピルスナーグラスで)。ただし、こうするとプレモルよりもっと市場は狭くなるが、この狭さをきちんと維持すれば、それでいい。それはベンツやBMWのシェアが小さいのと同じこと。つまり、限定されているからこそ、より輝くビールとなるわけで、そういった「素性のよさ」を堂々と個性として売り出せばいいわけだ。

沢内銀河高原ホテルもニッチで

さて、最後に今回冒頭にあげておいた、銀河高原ビールを製造している沢内銀河高原ホテルに話を戻そう。説明しておいたように、事業清算の後、銀河高原ホテルも東日本ホテルグループの傘下となり、なかなかキビシイ営業を強いられている。施設は縮小するわ、トナカイは死ぬわ、従業員も削減されるわ。ビールもかつてはフラスコ瓶のデカいヤツが売られていたけれど、いまは缶と瓶(スターボトル)のみ。掃除の従業員が朝、朝食会場で目玉焼きを焼いてたなんてことになっていた。

しかし、それでも凄くがんばっているのはよくわかった。そんなに大きな施設ではないのに毎日イベントやっているし、料理も地物がいっぱい。前沢牛入りソーセージ(当然ながらビールにピッタリ)、厚焼き燻製ベーコン、湯田牛乳、湯田ヨーグルト、凍だいこんの煮付け(ホテルの軒に大根がいっぱい干してあるのが提供されている。ウマい)。

そして何よりウレシイのは、やっぱり、ここでしか飲めない生のビール。白、ヴァイツェン、ペールエール、スタウト(スタウトは缶や瓶でも販売していない)の「とって出し」をいただけるわけなんだけど……これがやっぱり最高だ。こういったワン・アンド・オンリーをもっと前面に押し出していくべきだ。

気になることもひとつあった。それは部屋にテレビが据え付けられたこと。以前は大自然の中に宿泊してもらう、つまり大自然での宿泊を堪能してもらうことを考え、テレビを設置しなかったのだが……これはよろしくない。ちなみにここでは、現在ネットの接続もない(だから宿泊当日は、ブログを一日お休みしました)。SoftBankももちろん圏外だ。でも、これでいい、いやこれがいいと思う。ホテルの方も、このコンセプトを徹底的に貫いて欲しい。そうすれば、そのコンセプトに惚れ込んだ宿泊客がリピーターになるはずだ。だからテレビは、やっぱり、外そう。

こちらのホテルの方もビール同様、大衆に阿るのではなく、プライドと品位を保ってもらい「わざわざやってくる」というニッチなリピーターをつかまえてもらえばと僕は願っている。さしあたり「大自然の中で究極のビールを味わえるホテル」というイメージを徹底的に押し進めるというのがいいんじゃないんだろうか。

いずれにしても大衆に媚びる必要など、全くないのだ。

また飲もう、そしてまた行こう!銀河高原


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最もポップな銀河高原ビール「小麦のビール」



銀河高原ビールをはじめとする地ビールの凋落と銀河高原ビールの生き残りについて考えている。

前回は地ビールが経済的、技術的、食文化的要因によって地ビール・バブルの後、撤退、縮小を余儀なくされたことについて説明した。そして銀河高原ビールも地ビール・バブル後、この流れの中、同様に後退を余儀なくされたのだが、にもかかわらず、現在もしぶとく生き残り、全国展開が可能になっているのはなぜだろう?僕は上記の地ビールが根付かない三つの要因の内、前者二つをクリアしたからだと考えている。とりわけ二番目の技術的要因がモノを言っているのではなかろうか。

本質にこだわった

ちょっと順番をずらして技術的要因から考えてみよう。前回、地ビールが開発される際、実はかなり限られた仕掛け人=技術者によってビールが開発されたこと、それによって味が似たり寄ったりになってしまったことを指摘しておいた。ところが銀河高原ビールは全く違う。こういったものとは全く関係なくスタンドアローンで、そして「マジメ」に一から作ったのだ。開発にあたってはわざわざドイツに技術者を派遣し、またドイツからブラウマイスターを招聘した。さらにホップなどもドイツ製を使用。そして水はもちろん日本有数の豪雪地帯である沢内村の源水だ。だから、飲み比べてみればわかるのだけれど、他の地ビールに比べると味の個性、緻密さが全く異なっている。で、こういった品質の高さが、翻って僕のようなリピーター、愛好者を生み出すことになった。

そして、こういった高品位な品質によるコア・ユーザーの全国レベルでの獲得が技術的なハードルをクリアすることに成功していく。つまり「美味ければ飲む」というあたりまえの図式を徹底的にやり抜いただけなのだけれど、その馬鹿正直さが固定客を創出することに成功したのだ。そして、これは地ビール・バブルの際、とにかく全国展開し、結果として味を日本中に知らしめることになったという、今から考え直してみれば「幸運」ともみなすことのできる機会を得たこともあっただろう。

今考えれば、地ビール・バブルこそが「低価格」を可能にした

この技術的な馬鹿正直さと地ビール・バブルの追い風(あるいは遺産)は経済的要因にも波及していく。銀河高原ビールは広く全国展開することで一般の地ビールに比較してロットを多くすることが可能となり、それがスケール・メリットを生んで、ビール価格の低廉化に成功したのだ。銀河高原ビールは確かに高いが、一般のビールの二割増し程度。プレミアムビールと比べても一割増し程度の価格。となると「銀河高原ビールは高品質ビールだから一般のビールよりお金を払ってあたりまえ、プレミアム・ビールよりも上の、いわば「スーパープレミアムビール」だから、これより高くてもいい」ということになり、費用対効果的な旨味を消費者に感じさせる。だから「高い」という印象をぬぐい去ることができている。一方、一般の地ビールの場合、前回指摘しておいたように「高くて、大して美味くもない、味も似たり寄ったり」、つまり費用対効果を感じられないものとなるのだ。

銀河高原ビールがメジャーになることは、絶対にない。でも、それでいい

ということで、銀河高原ビールは今後も根強く生き続けることになるだろう。ただし、これが売り上げでスーパードライや一番搾りといったメジャー・ビールに肉薄するということは絶対にない。それは、このビールの味が日本の食文化とほとんど合わないからだ。つまり要因の三つ目である文化的要因についてはクリアすることができない。これは試しに銀河高原ビールを寿司や刺身でやってみればよくわかる。お互いの旨味をすっかり相殺してしまうのだ。やはりこれだけの甘みと香り、コク(軟水を使用しているので、これらの要素がいっそう引き立っている)のあるビールは、料理の方もそれに対抗しうるコクと香りが必要。だから、洋食系の料理やスナック(ピーナツはよく合う。意外なことにせんべいや柿の種もよく合う)でやるか、あるいはビールだけをゆっくりと噛むように味わうというやり方がいいだろう(ゴクゴクやるビールではない、というかそんなことやったらもったいない)。こういったニッチな飲み方ならば、銀河高原ビールの独壇場となるのだ。

じゃあ、これから銀河高原ビール、そして沢内銀河高原ホテルはどうやっていったら、よいんだろうか?(続く)


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銀河高原ビールの総本山、沢内銀河高原


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沢内銀河高原だけで飲める生ビール。写真はヴァイツェン



沢内銀河高原ホテル

久しぶりに岩手県和賀郡沢内村(現和賀郡西和賀町)にある沢内銀河高原ホテルを訪れた。訪れたのは四年ぶり、宿泊は七年ぶり。沢内村は日本有数の豪雪地帯。ここに96年ビール工場併設のこのホテルは建設された。ビールはご存知、銀河高原ビール。今や大型スーパーに行けば、必ず置いてある、あの本格ドイツ・ビールの製造元だ。銀河高原ビール、開始当初は地ビールブームの後押しもあって好調に事業展開し阿蘇、飛騨、那須と工場を増設。ところが地ビールの収束と共に失速。二度の事業清算の後、現在存在する工場は、ここ沢内だけだ。つまりあなたの近所で購入できる銀河高原ビールは全てここで生産されている。

事業縮小を受け、ホテルも様変わりした。かつてはレストランが二つあり、一つは大きな吹き抜け、もう一つは工場併設で、開放的な気分とビールの製造工程を間近に見る、二つの気分を堪能することができた。ところが、現在レストランは吹き抜けのあったところ一つのみ。光熱費のことを考慮したのか吹き抜けは低い天井とパーテーションで区切られた普通のレストランになっていた(暗い)。現在、工場の方に一般客は立ち入れない。

また、かつてはトナカイを飼っており、ソリにお客を乗せるというアトラクションが人気だった。クリスマスの時にはスタッフがサンタに扮し、一面雪世界の星空の中をトナカイに乗ったサンタが通り過ぎるという、すばらしい演出を見ることができた。このトナカイも死んでしまい、今は寂しい限りだ。

失速した銀河高原ビール。でも生き残っている

さて、銀河高原ビール。たったひとつの生産拠点となってしまったが、しぶとく生き残っている。でも、なぜ銀河高原ビールは失速してしまったのか、そしてなぜまだしぶとく生き残っているのか。今回はこれについて考えてみたい。ちなみに、これは94年以降誕生した地ビールの栄枯盛衰の歴史について語ることでもある。

最初に考察の結論を述べておこう。ひとつは、銀河高原ビールが失速したのは銀河高原ビールの責任では全くない、しかし必然的結果」というもの、二つ目は「銀河高原ビールがしぶとく生き残っているのは銀河高原ビールの質による必然的結果」というもの、そして、三つ目は「銀河高原ビールがこういった運命を辿っているのは、実は日本という食文化と大きな関わりがある」といういこと、の三つだ。

個人的に銀河高原ビールを評価しておけば

僕の銀河高原ビールに対する立ち位置をはっきりさせておきたい。個人的にはこのビールは国内ではベストのビールと評価している。最も出回っている”小麦のビール”はちょっとバナナの香りがするクリーミーなビールで(ヴァイツェン酵母を最後に濾過していないので少々濁っている、どうみても本場ドイツで飲むビールそのもの。しかも、ドイツビールの中で評価してもトップレベルに位置する高品質。この評価はその他の“白ビール””ヴァイツェンビール”“ペールエール”についても同様だ。日本国内で様々な地ビールが売られているが、その洗練度と本格さではちょっと格が違うと考えている。”小麦のビール”は飲み始めて十数年。阿蘇白水に工場があったときには近場の溫泉に宿泊し、そこから歩いて工場に飲みに行ったこともあった。まあ、要するに銀河高原ビールの熱狂的なファンの1人である。

銀河高原ビール、なぜ当たったのか?

96年創業当時、銀河高原ビールは絶好調だった。前述したように、その後、日本国内に四つの製造拠点を構えるほどに成長していく。ただし、これはビールの味とは関係のない「地ビール・バブル」の波に乗ってしまったからだろう。94年、酒税法の改正に伴い地域の産業興しの一つとして注目されたのが地ビールだった。その結果、国内のあちこちに地ビールが誕生する。地ビールは地元の名称が冠せられたたり(たとえば”オホーツクビール””那須高原ビール””綾の地ビール”)、地元の産物を原料に使ったりしたすること(”こしひかり越後ビール”(エチゴビール)、”ゴーヤーDRY”(ヘリオスクラフトビール))などが特徴だ。

とにかく、当初はその物珍しさもあって注目を浴びた。銀河高原ビールもそういったビールの一つだった。

失速した地ビール

その原因1:価格が高い

しかし、こういったバブルがはじければビールとしての正当な評価が下されるようになる。そして地ビールはここで曲がり角をむかえる。つまりすっかり売れなくなってしまったのだ。

その原因は、まず、価格が高めに設定されていたことだった。一般のビールより三割、ものによっては倍以上するものもあった。だが、この価格はスケール・メリットがもたらす必然的結果だった。前述した酒税法の改正では最低製造数量基準が2000klから60klに緩和されることで、地ビールはビール製造への自由な参入が可能になったのだけれど、それは少量であればあるほどコストに跳ね返るということでもある。だから、大手のビールよりも価格を高く設定しないことには経営が成り立たないのだ。となると、懐の痛む地ビールを、そう毎日地元の人間が飲んでくれるということにはならない。だから新奇性が失われていけば、彼らは飽きて手を出さなくなり、その後は自分は飲まず贈答用くらいしか、購入する理由がなくなってしまったのだ。

その原因2:味がどこも同じ?

二つ目は味それ自体の問題だ。あちこちの地ビールを飲み比べてみればわかることなのだけれど、実はピルスナー、ヴァイツェン、エール、ケルシュといったビールの味はどこも似たり寄ったりなのだ。これは仕掛け人=技術者たちがごく一部で、この人間たちが少しずつ味を変えて、あちこちでビールの開発に携わったという経緯がある。だから結局、飲んだときに「なんだかなあ~」とか「そのへんの地ビールの味」ということに評価にだんだんなってしまったのだ。

その原因3:ビール純粋令を踏襲した地ビールは日本の食文化に馴染まない

三つは味と食のマッチングの問題だ。地ビールは原則、本格的なビールを志向している。そのほとんどはドイツが法令で定めているビール純粋令、つまり麦芽・ホップ・水・酵母のみを原料とする製法で作られている(前述した”こしひかり越後ビール”のようなものは例外。これは米を原料にしている)。だが、この製法でビールを製造した場合、日本の大手メーカーが製造するビールよりもモルト感、甘み、苦みが強くなる。こういった味付けは、総じて味も見た目も「透明感に乏しい」という印象を与えることになる。で、こういった味付け、実は日本の食とは合わないのだ。

日本の代表的なビールを考えてみよう。80年代までならキリンラガー(当時は、単に“キリンビール”と呼ばれていた)、80年代後半以降はスーパードライ、そして一番搾りだ。これらは全てビール純粋令を踏まえていない。米やコーンスターチが添加されている。キリンラガーは苦くてそこそこ甘いがドイツビールのようにボディが強くはない。これが80年代までの日本人の食生活である「塩分強め、そのくせあまり脂っぽくない食事」にマッチングしていた。一方、スーパードライ・一番搾りは アルコールちょっと高めで、辛口。ボディは少々軽めで、苦みも少ない。これは食の洋風化に伴った「塩分ひかえめ、以前より脂っこい食事」にマッチしたのだ

さて、一連の地ビールの味だが、これは現在の食文化にマッチしたスーパードライ・一番搾り、そしてこの味を踏襲した発泡酒や第三のビールが主流のビール類市場では、まったくもって主流の一角をなす要素を踏まえていないものとなる。合う料理は、やっぱり洋物、突き詰めてしまえばソーセージ、ザワークラフト、ポテトといったドイツ料理なのだ。あるいは、つまみなしで飲む。

結果として、地ビールバブルが終わったときには、こういった経済的要因、技術的要因、食文化的要因三つによって地ビールというカテゴリーは後退せざるを得なくなってしまったのである。つまり「高い、平凡、食い物に合わない」。すでに製造をやめてしまった地ビールも、実はかなり多い。そして、そういった逆風を受けて銀河高原ビールもまた縮小を余儀なくされていった。

ところが銀河高原ビールだけは、未だに全国の大手スーパーで購入が可能なのだ。なぜだろう。(続く)

コミュニティ系GPSサービス・食べログのレビューにムラがあること、具体的には蕎麦は当たるのにラーメンは案外当たらないこと、そしてこれが情報社会の必然的結果であることについて考えている。さらに、この文脈の延長として、この現象が社会病理としてクレイマーやモンスターペアレント、そして放射能オタクを生んでいることについて考えている。今回は最終回。最後の放射能オタクについてここまで提示してきた情報圧とミーイズムの観点から分析してみよう。

311がもたらした放射能アレルギー

東北大震災以降、あっという間に日本人は放射能について敏感になった。○○ベクレル、○○シーベルトと言った、それまでは聞いたこともないような放射能の測定数値をチェックするようになったのだ。また311直後には、放射能に関する事柄で過敏になっている人間が現れた。「東京はもうアブナイ」と言って脱出してしまった人間が出てくる始末。でも、僕は、こういう一過性のパニックに陥った人は、まあしょうがないと思っている。

だが、311から半年以上を経過して、未だに放射能のことについて神経質になっている人間が存在するのを見ると「ちょっと、大丈夫?」と思えてもしまう。とにかく放射能の数値が気になって仕方がない。ちょっとでも危険性があると思い始めたら過敏に反応する。だから福島産や茨城産の野菜は全然売れないなんてことが起きている(困った揉んだ。ちゃんと測定しているのに。安売りになっているので僕にはうれしいけれど……)。で、僕は執拗に放射能を気にする人間たちを「放射能オタク」と呼ぶことにしている。

で、その典型みたいな人間の話をNHKのローカルテレビの報道番組でのレポートの中で見た。

成田に住む家族。震災後、放射能のことが気になって仕方がない。もちろん成田の放射線量は以前に比べれば多いが、政府が規定する数値よりははるかに下だ。しかし、とにかく気になり続け、挙げ句の果ては成田を去って沖縄に引っ越すことにしたのだ。

そのきっかけは、娘を検査したときに娘の体内から放射能が検出されたことだった。もちろん、これもまた政府が指定する規定値よりははるかに低いのだが、とにかく「子どもから放射能が検出された」という事実が耐えられなかったのだ。妻は、自分が周辺から「気にしすぎる、過敏だ、ちょっとおかしんじゃない?」と指摘されることでだんだん気が滅入っていったことも成田を脱出する理由の一つになったという。

そして仕事のある夫1人を残して子ども二人と沖縄へ移住。すると、そこには同様の理由で転居していた人間たちがいた。そこで安堵の日々を過ごしている。いずれ夫も沖縄で仕事を見つけたら移住する予定だという。

本レポートは妻の次のコメントで閉じている。

「私みたいに放射能のことを気にする人間は少ないかも知れないけれど、こういった少数者の意見、そして選択の自由を認めてもらってもいいんじゃないんでしょうか」

そして、レポートした記者も同様の発言をしていた。

個人の自由のためなら国家も信用しない

これは情報圧の低さとミーイズムがもたらす典型的な行動だろう。
この家族は、まず世間の代表とでも言うべき国家を全く信用していない。つまり政府の規定値を全く基準として相手にしていない。信用しないのは、政府もまた情報圧が低くなり相対化されてしまっているからだ。つまり「政府の言う放射能の数値は一つの意見。まったくあてにならない」、これである。

自分の基準で情報を集めれば、放射能はどんなに少なくても危険なものと結論づけられれてしまう

だから、自分の身を守るためには、自ら情報を収集するしかない。そこで、自分の欲望に基づいて情報を収集しはじめる。必然的に、それは「放射能はどんなに低かろうがアブナイ」というネガティブな情報をどんどんあつめていく、つまりネガティブ・フィードバックを徹底的に行うことになるわけで、結果として「全ての放射能は、その存在だけでもアブナイ」という結論に達する(おそらく、この家族はもう二度とレントゲンを撮らないのではなかろうか)。

だから移住という決断は、彼らの価値観の中では理路整然とした「当然のこと」と位置づけられるようになっていく。ただし、それは一般の人間からしたら異常。だから「ちょっとおかしいんじゃない?」といわれるようになる。で、これに耐えられない。だからさらに、こういった「誹謗中傷」から逃れるためにも、移住はベストの解決策となっていく。そして、実際に移住した先には、同様の価値観を抱き、また迫害されてきた人間がいて、自らの価値観が正当化され、絶対化されていく。そう、これは今回の特集で取り上げた白血病になった先輩がネットを見てネガティブ・フィードバックが働いてしまったメカニズム、そして食べログラーメンレビューワー、クレーマー、モンスターペアレントと全く同じ心的メカニズムなのだ。

権利の主張と義務の放棄

しかし、こういった現象はまずいだろう。はっきり言ってこれは社会病理とみなさねばならない。移住するのは個人の自由だが、誰もがこんなかたちになってしまったら、社会が体をなさなくなってしまうからだ。そのくせ社会からの恩恵だけは人権尊重・平等の理念に基づいて頑強に求めてくる。つまり権利を要求する半面義務を果たすことをしない。

社会の一員であるならば、現在の社会が基準として置いているものを信用するという覚悟が必要だろう。それは言い換えれば権利を主張したければ義務を果たさなければならないと言うことだ。

そしてこれを敷衍すれば、この家族が沖縄に移住するのは個人の自由だが、それを風変わりとか、気にしすぎるとか指摘されることはやむなしとすべきなのだ。この家族は社会の一員であることを、個人の人権尊重の権利を逆手にとって拒否しているのだから。そう、社会からすれば「気にしすぎ、風変わり」と捉えるのが健全なのだ。

公共性の復権を

そしてこのことは、やはり今回取り上げた食べログラーメンレビューワー、クレーマー、モンスターペアレント、そして放射能オタク全てに該当する。僕らは社会が健全に機能するために、今、こういった個別の価値観を絶対化し他者を排除する迷惑な行為を「ダメ」と非難するような共通感覚=common senseを作り上げる(復活させる)ことが必要な時に来ていると僕は考える。それは月並みな表現になるけれど「公共性」という言葉で括ることのできるものだ。

情報に振り回されては、いけない。

コミュニティ系GPSサービス・食べログのレビューにムラがあること、具体的には蕎麦は当たるのにラーメンは案外当たらないこと、そしてこれが情報社会の必然的結果であることについて考えている。さらに、この文脈の延長として、この現象が社会病理としてクレイマーやモンスターペアレント、そして放射能オタクを生んでいることについて考えている。今回はモンスターペアレントについて、ここまで提示してきた情報圧とミーイズムの観点から分析してみよう。

教室内徘徊を制止するのは子どもの個性伸長を踏みにじる行為だ!

モンスターペアレントは、ご存知のように、我が子を第一とするがために子どもが所属する集団である学校の存在をないがしろにする親のことだ。彼らは自らの主張することが全く間違っていないという確信に基づいて学校側にクレームを付けている。そして、彼らの確信の核心は「子どもの個性伸長は学校教育が最も尊重すべきことである」というところにある。だから子どもの個性伸長を踏みにじることは絶対に許されない。

たとえば、授業中に自分の子どもが教室内を徘徊した。そして、これに対して教師が注意し、これをやめさせたとする。すると、この話を聞きつけたモンスターペアレントは学校側にクレームを付けてくる。曰く「この子は、何かに思いついて教室内を歩いただけだ。ところが先生がそれを制止したから思考が中断してしまった。なんてことをしてくれるんだ」

ミーイズムは個人>社会

この発言は「他人の迷惑をかけないという配慮を失った個人主義=ミーイズム」からすれば全く正当な主張になる。ミーイズムでは人権尊重が絶対視=全てに優先されているからだ。もちろん、かつての世間があった時代からしたら理不尽な話だ。生徒が教室を徘徊することによって、授業が成立しなくなってしまうのだから。だがミーイズムの個性>社会=公共性という図式からすれば、そんなことはお構いなし、他人のことなどどうでもいいのである。

情報圧の低さがもたらす個別価値観の絶対化

そして、こういった立ち位置を形成するのが情報圧だ。繰り返しになるが、情報が多様化し、個々の情報の情報圧が低下した結果、それら情報を共有する絶対数が減少し、個々の情報の価値観が相対化されてしまった。その一方で、自分が支持した情報については絶対化し、欲望に基づいて情報圧を高めていく。そうなると、個人は欲望を最大化させるべく情報収集をおこない、価値観を形成していくわけで、それが結果としてモンスターペアレントを誕生させることになってしまうのだ。そして、彼らは自らの立ち位置を情報武装している、つまり自らの情報については情報圧を高めている。一方で、それ以外の情報圧は低い。だから、彼らの主張は自分たちにとっては至極当然の正当なものにしか思えない。だから、彼らのクレームの付け方は感情的と言うよりは、しばしば理路整然としている。そして、残念なことに価値観が相対化されているので、学校側としてはこれに対してカウンターをあてることができない。つまりモンスターペアレントの言われるがままになる。その必然的結果が学級崩壊に他ならない。

とっても人がいいけど、モンスターペアレント

こういったミーイズムと情報圧がつくり出す価値観の多様化・個別化は、人間の行動に一貫性の感じられない、分裂した行動を促すようにもなる。たとえば、こうやってモンスターペアレントになっている親がボランティア活動に熱心だったり、近所の人間とうまくやっていたりという、全く矛盾した側面を見せることもあるのだ。つまり、本人は善意の人で、人との関わり合いも円滑なのだけれども、モンスターペアレントでもあるという奇妙な人格が形成されるのだ。要するに、これは情報が個別化し、なおかつ社会大で個人を拘束するような社会大の共通感覚=common sense=常識が存在しないので、価値観の編集も個別化してしまい、それが結果としてこういった分裂的、統合失調症的な行動が出現させてしまうのだ。だが、本人はその矛盾を矛盾と考えることはまったくない。それは彼らが構築した価値観の中では全く矛盾していないのである。(続く)

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