勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2011年11月



マック赤坂の大阪府知事選政見放送。放送の内容を除くと(内容はほとんどスマイル党の宣伝)、そのパフォーマンス=形式の派手さは橋下と共通する。2人の違いは社会的コンテクストなのだ。



橋下徹が起こした大阪での騒動について考えている。

橋下が辣腕の、そしてパフォーマティブな弁護士であることは、バラエティ番組「行列のできる法律相談所」で一般にも周知されている(実際、TVに出演していた頃には『図説 心理戦で絶対負けない交渉術』という本すら出版している)。だから山口二郎が指摘したたハシズム的なやり方など、元々お手の物、これくらいのネタをバラされたくらいで橋下にとっては屁でもないなのである。とっくの昔に自分でバラしてるんだから。そして、このパフォーマンス能力が遺憾なく発揮されているのが、現在の大阪維新の会をめぐる一連の活動に他ならない。

ハシズムを稼働させる社会的コンテクスト


ただし、そうだからといって、必ずしも大阪全体を巻き起こすだけの力があるかと言えば、そうでもないだろう。ハジズム、そして「独裁」という言葉をメディア、評論家、政治家が振り回し、それが予言の自己破壊を起こすためには、そのための十分条件=コンテクストが必要だ。そして、それこそが現在の大阪の、そして日本の窮状に他ならない。大阪は現在、全く持って元気がない。生活保護を受ける人間の数は大都市圏では飛び抜けているし、財政も借金だらけ。産業も活気がない、の「ないない尽くし」なのだから。

橋下からコンテクスト抜き去るとマック赤坂になる


この十分条件=コンテクストという考え方は重要だ。これがなければ、ややもすれば荒唐無稽にすら思える橋下のパフォーマンスなど一蹴されるはずだからだ。よく考えてみれば、あの派手なパフォーマンスは、ちょっとやり過ぎ、バカっぽく見えないこともない(東国原よりはるかに派手で安っぽい)。でも、これが大阪の閉塞状況というコンテクストに置かれると、突然リアリティが出てくるから不思議だ。

これを考えるためには、全くコンテクストを持たない例と比較してみるのがいいだろう。たとえば、同時期に府知事選に立候補していたマック赤坂はまさに典型だ。そのエキセントリックな政見放送で一部では有名なマック。だが、政見放送からその内容の荒唐無稽さを除いたパフォーマンスは橋下のそれと大して変わるところはない。しかし、マックは今回の候補者七名中、最下位で落選している。なんのことはない、彼には十分条件としてのコンテクストが全くといっていいほど存在しないのだから、あたりまえなのだ。つまりマック赤坂は空気を読めていない(ま、本人は一向に構わないんだろうけど)。

空気を読んだ橋下


こういった閉塞状況にハシズムが乗っかってくれば、歯車は高回転で回り始めることになる。橋下はその責任を大阪市と大阪府の二重行政のせいと決めつけ、大阪人の「共通の敵」を作ることに成功した。そして、それに対する正義の味方こそは「大阪維新の会」を掲げる橋下自身としたのだ。これまたハシズム。

ハシズムに拍車をかける平松の自爆


さらにこれに対立候補の平松邦夫が、自らの予言の自己破壊で自爆していくことでハシズムに拍車をかける。「『おおさか満足度日本一』なんて脳天気なこと言っているわけで、これじゃ現状を全くわかっていないバカ」ってな印象になってしまうのだ。つまり、このキャッチは大阪人の感情を逆撫ですることにしかならないわけで、だから平松はこのキャッチでキャンペーンをやればやるほど自爆していったのである。前回に引き続きボコボコにするようで申し訳ないが、やはり平松は全く空気が読めていない。単なる橋下の“ムード盛り上げ楽団”でしかなかったのだ。

で、くどいようだがこの図式を援護射撃するのがこの二重行政が生んだと思わせた大阪の財政の窮状なのだ。もちろん、これだけが責任と言うことはないだろうし、実際大阪維新の会が市と府を統合して大阪都としても、現在の状況を打破出来るかは疑問だ。でも、窮状というコンテクストがあると、これを打破したい、一発賭けたいという気分になる。そういった心性を見事に橋下は煽っているのだ。

じゃあ、いったい橋下がいじることになる大阪はどうなるんだろう?橋下にはその度量があるんだろうか?(続く)

橋下徹の大勝

周知のように大阪府知事市長選同時選挙で大阪維新の会の候補・橋下徹と松井一郎がともに勝利した。結果は予想以上の維新の会の大勝だった。

この時、メディアで争点になったのは大阪都構想、つまり大阪市・堺市と大阪府を統合し、東京のように「都」、つまり特別区(東京なら23区)と市としてしまうという考えだったが、実は大阪都以上に争点ならぬ話題になったことがある。それは橋下徹の「ハシズム」と「独裁発言」だ。そして、実はこの二つの言葉をめぐってのお祭り騒動が、結果として大阪維新の会の大勝利を生んだのではないかと僕は踏んでいる。つまり、この二つの言葉をめぐって、メディアが騒ぎ、橋下はバッシングを受け、それがかえって結果として票に繋がった、そんなふうに考えられないだろうか。今回はちょっとこれを考えてみよう。

ハシズムと独裁

まずは二つの言葉について確認しておこう。
ハシズムとは北海道大学教授・山口二郎が橋下の乱暴な手法を揶揄するために作った造語。敵を作り、これを徹底的に叩き、大衆の感情を煽り人気を獲得して、自らの主張を通してしまうゴリ押しを指している。もちろん、橋下とファシズムの語呂合わせだ。

ハシズムという言葉は、これに先立って橋下が講演会で、これからの政治は「独裁」と発言したことがヒントとなっている。つまり、橋下はヒトラーを彷彿とさせる独裁に他ならない、だからハシズムというわけだ(まあ山口さんも、これで一儲けしたんだろうが)。

で、この議論。かなりマヌケだ。というのも、こうやってハシズムを煽り、独裁発言を危惧すればするほど、実は橋下の術中にはまってしまい、それが結局、橋下の「独裁」を実現させてしまっているからだ。

予言の自己破壊

これは社会学ではR.マートンの「予言の自己成就」のサブ・カテゴリーに属する概念である「予言の自己破壊」に該当する。予言の自己成就とは誤った状況の定義、つまり飛ばしで「こうなる」と言ってしまうと、それが本当になってしまうということ。一方、予言の自己破壊は、「こうなる」と発することで、かえってそちらの反対の結果を呼び込んでしまうこと。一例を挙げてみよう。「5月5日はゴールデンウイーク最後の日だから東京ディズニーランドが混雑する」とディズニーランドのゲストたちが予想し、それが広がったとする。すると「だったら5月5日にTDLに言っても仕方がないな」とみんなが思い、行くのをあきらめることで、当日は入場者がガラガラになった。こんな状況を指す(ちなみに、これ、実話です)。

この予言の自己破壊パターンに、メディア、識者、そして市長選で橋下の対立候補である平松邦夫が見事ハマってしまったのだ。これらは橋下をハシズムだ、独裁だと非難することで、橋下の評判を落とそうとしたのだけれど、そういったキャンペーンをやればやるほど大阪都構想がクローズアップされ、そこからパフォーマティブに選挙キャンペーンを繰り広げる橋下に注目が寄せられてしまったのだから。言い換えれば大阪都構想の宣伝役をやったのはこういった橋下バッシングを繰り広げた連中だったのだ。

とりわけそのイメージを助長したのは平松前市長で、橋下が独裁だと訴えるものの、その半面、自分は人のいいおっさんであり、逆にガンガンやる橋下の方が魅力的に見えてしまう。だから「こんなおっさんにやらしといても、しゃーないな~っ」てな印象を与え、思いっきり橋下とのコントラストを明瞭にしてしまった。ボンクラ=平松、やり手=橋下という図式は、善悪対決図式が基本のハシズムのお手本のようなパターンに他ならない。いわば対立候補、バッシングする側が「橋下祭り」の御輿を自ら担いでしまった。 こんな構造を作ってしまったように僕には思えてならない。 

だが、こうなってしまうには、橋下というメディアの魔術師だけではもちろん成立しない。実はそういった事態を引き起こさせるコンテクスト=必要条件が存在する。それは何か?(続く)


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サントリーのコンセプトの結晶・Green Espresso



サントリーはくっきり

サントリービールの快進撃について考えている。今回は最終回。全体をまとめてみたいと思う。

プレミアムモルツ、金麦。どちらにしてもサントリーの戦略は一貫している。商品に明確なイメージを付与し、そのイメージの魅力=記号で売る。そしてその魅力をアップするためにイメージを徹底させるためのおびただしい戦略が組まれるのだ。しかも、これは意味の一元化に主演していくという点で共通している。つまり、広報展開をやればやるほどイメージがくっきりしてくる。これは同じビール類を提供しているサッポロと好対照で、サッポロの場合黒ラベルを「大人」というコンセプトで売り続けているのだけれど、何のことやらさっぱりわからない。それに対してサントリーはイメージ作りを徹底的に煮詰めたかたちでやり、最終的にはビール類を取り巻くライフスタイルまで提案している。

抹茶をエスプレッソのイメージで売ると缶ボトルがむしろお茶っぽくみえる?

ちなみにこういった「イメージくっきり戦略」は近年のサントリーの他の商品にも反映されている。その典型が抹茶のGreen Espressoで、これは抹茶を苦み、そして苦みの先にある甘みとのつながりでエスプレッソと関連づけてしまった。そしてボトルも黒と緑と抹茶とエスプレッソの混合。ただし、これをペットボトルで提供したら真茶のイメージは「青汁」みたいでダメだ。だがこれを缶ボトルにすれば中は見えないので青汁感は払拭出来る。さらにアルミボトルを広口にすることでお茶を湯飲み、あるいはデミタスカップでいただくといったイメージも演出。さらにボトルのキャップには「上下に五回振ってからあけてください」と断り書きがあり、その通りにやるとボトルの中の抹茶が泡だって、抹茶を点てたようになる。実に巧妙な商品戦略と言えるだろう。

で、まとめてみると、サントリーの強みは一番手ではないゆえにスキマ市場を狙い、イメージを明確化した後、ライフスタイルを提案し、固定客を獲得するという点では一貫している。そう、これがサントリービール類が快進撃を続ける理由だったのだ。

正直なところ、実は味の区別が結構難しいビール類(だから、今回は味そのものには一切言及しなかった)。だからこそイメージ戦略が大きくものを言う。そのことをサントリーは熟知しているのでは?僕はそんなふうに考えている。


金麦のCM


金麦の戦略(下-2)

金麦の戦略が家庭に振られていることを前回は示していた。そして家庭で待つ妻を檀れいが見事に演じ、しかもそのあまりの見事さに女性たちの反発を食らったことも指摘しておいた。しかし女性たちが反発するのにも、実は一理ある。それはこのCMが著しくジェンダー・バイアスに抵触する展開になっているからだ。そして、そのバイアスが金麦を金麦に惹きつける材料になっているからだ。

なぜBitter Sweet Sambaが使われているのか

金麦のCMで一貫して用いられている音楽が”Bitter Sweet Samba”だ。これはニッポン放送の深夜番組、オールナイト・ニッポンのテーマソングとして長く親しまれてきたもので、深夜放送に親しんだ世代ならなじみ深い、懐かしい曲だ。ただし、前回示しておいたように、金麦が想定する購買層は30代。まあ現在オールナイトニッポンを聴いている層もいるだろうが、時代的には深夜放送が最も盛況だった70年前後をイメージさせることは間違いないだろう。そして、こういったイメージを、実は現在の30代も持っている。つまりBitter Sweet Sambaは昭和四十年代に消費者をタイムスリップさせるツールなのだ。

金麦に魅力を感じる男性は、実は男尊女卑

でも、なぜこのCMは昭和四十年代にわれわれを引き込もうとするのか?それはこの時代のライフ・スタイルをイメージさせようとするからだ。四十年代は高度成長期。男性はサラリーマンとしてバリバリ仕事をし、一方、妻は専業主婦としてさながら銃後の守りのように家事に勤しんだ。つまり「男は外、女は家」という区分が明確だった時代だった。この時代のムードの中に視聴者を巻き込もうとしているのだ。実際、壇が演じているのは可愛い、それでいて家庭をしっかり守り、そして男性に傅く「男性にとって都合のいい妻」なのだ。当然、そこには当時の男尊女卑の感覚が流れている。つまり、CMの中で壇が演じる妻に女性がいらだちと怒りを感じるのは、壇自身と言うより、彼女が演じている、こういった「劣勢の女性」に対してなのだ。

あり得ない「古風で可愛い女性」への憧れ=金麦

しかし、これが逆に男性たちには魅惑的なものに映る。今やこんな男尊女卑みたいな、そして専業主婦みたいな女性はほとんど存在しない。男と女は当時に比べたらすっかり関係はフラットになった(もちろん依然として女性の方が劣勢に置かれてはいるのだけれど)。だから、実際に家に帰ったところで、こんなかわいらしい、それでいて従順な「飼われている」ような妻なんか絶対に待っていない。しかし、金麦を購入すると、こういったファンタジーに浸ることができるように思えるというわけだ。

これはかつて自動車がワゴンを売り始めた頃の戦略と全く同じだ。あんな洗車も大変なデカいクルマのどこが便利と言えるのだろうか?でも、売れた。それはワゴン車に家族を乗っけるとファミリーを感じることができるという記号=ファンタジーを売ったからだ。たとえばホンダのオデッセイに使われていたのはアダムス「ファミリー」だったし、ステップワゴンのコピーは「子どもと一緒にどこへ行こう」だった。で、実際のところ、この馬鹿デカいクルマを転がす機会が一番多いのは父か母が1人で買い物に行くようなシチュエーションばかりだったのだ。しかし、こういった「あったらいいな」といった夢が、これらワゴンの売り上げに拍車をかけたのだ。金麦もありもしない貞淑な妻というイメージで製品を売ることに成功している点では全く同じやり方なのだ。(続く)





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極めてエロティックな記号を隠し持っている金麦のCM「食べようat home」

金麦の戦略(下-1)

家庭に振った台詞の数々

金麦のCMは徹底して家庭に振っている。つまり家で飲む日常のビールというイメージにターゲットを絞っている。ちょっとこれまでのCMのキャッチコピーを並べてみよう。

かえってくる、おかえり、ご苦労様、がんばって、帰ろう、晩ご飯何がいい?、金麦と待ってる、この笑顔と金麦があれば、よろこんでくれるかな?おいしいのつくるぞ!遅い遅い、たまには早く帰ってこい、今年もがんばりました、こたつ、差し向かい、飲もう、おいしいね、食べよう、好きって言って、あのね、ふーふー、あたし待ってるから、明日はおでんにしよう?、私のあなた、リッチモルト、食べようat home

これらコピーには全て特徴がある。このコピーを発しているのが最後の「食べようat home」というコピーを除いて、すべて檀れいであるということだ(檀が選ばれたのは宝塚出身というゴージャスなイメージを彷彿とさせるという側面もあるだろう。これは金麦の高級感を演出している)。

妻と手料理を金麦を飲みながら差し向かいで、そしてその後には……

壇は1971年生まれなので、現在40歳。しかし、ここで演じている役割は30代前半だろう。壇はTVから茶の間に向かってこれらの台詞を語りかけるのだけれど、壇がTVの向こうに想定している相手は男性、そして夫だ。だから壇は当然、妻という設定になる。家族構成は結婚して二人の生活が馴染んできた頃。子どもはまだ無い。だから夫婦は仲むつまじい。妻は夫がやってくるのを待っているのだ。そして待っている妻が用意しているのは夕食と金麦だ。そこで出される愛妻料理。つまり設定はベタな日常。だから洋食よりも和食=家庭料理のステレオタイプがセレクトされている。しかも鍋やおでんと言った「こたつで差し向かい」で団らんを楽しむと言った料理も頻繁に登場する。そこで壇は子どもっぽく「ディスプレイのこちらにいる夫」に媚びを売り続けるのだ(壇のアップの多用も効果的だ)。

そして、金麦と食事の後には、明らかに夫婦の夜の生活が想定されている。このメタメッセージ性は最新のCMでより明らかだ。上のポスターを見て欲しい。ここでは壇が夜空から飛んで来て家を抱えている。身に纏っているのは寝具を彷彿とさせる衣装だ。だから飛んで来て家を抱えている壇はベッドで枕を抱きしめて、ベッドにやってくる夫を待っているようでもある。そしてご丁寧に壇の肢体に重ね合わせるように”食べよう”とあり、その下に”at home”とある。

「食べよう」の二つの意味

檀と”食べよう”を重ね合わせることには意味がある。それによって二つの視点が生じるからだ。料理を食べるときは「食べようat home」と二行で”Let’s”、つまり「いっしょに2人で食べよう」と、妻が夫に投げかけている言葉。もう一つは壇の肢体に重ね合わせた「食べよう」一行だけを読ませるもので、この時には夫が妻に投げかけている思いになる。そしてこれら視点はそれぞれ異なる意味を含意することになる。前者は「家で妻と金麦を飲みながら手料理を食べること」であり、もうひとつは「そのあと、家で可愛い妻を食べよう=ベッドを共にすること」なのだ。

ようするに、ここで売ろうとしているのは金麦ではなく、妻との生活に他ならない。そして、その生活を演出する、あるいは実現すると思わせる魔法のツールが金麦になるわけだ。

そして、こういったビールの先のライフスタイルを売っている相手は、やはり30代の男性、そしてその妻。彼らは就職してそろそろ仕事に油が乗り始めた頃。役職も与えられつつあるということで仕事もおもしろくなっている。その半面、給料はまだまだ。でも30年ローンでマンションを購入してしまった。だから主体的にも、現実的にも(つまり経済的側面からも)バリバリと仕事をやることになる。で、当然お金はない。だからいつも飲むならビールじゃなくて第三のビールだ。でも金麦はゴージャスなイメージ。で、仕事バリバリやって、家に帰ってくるとゴージャスなビールと愛妻が待っている。だから妻と金麦のある生活は幸せな生活の証しということになるのだ。こうやってイメージができれば、もはや味など大した問題にはならない。つまり、ここで売ろうとしているのは味ではなく、ライフスタイルなのである。金麦を購入するとこういう生活が待っているというわけだ。

女性から総スカンを食った檀れい

で、こういった生活を彩る典型的な愛妻像を壇は見事に演じている。ただし、壇の演技の見事さに、これが「媚び媚びだ!」「男にこびへつらう雌猫だ」みたいな文脈が現れ、このCM、そして壇自身が女性たちから総スカンを食うというオマケまでついたのだけれど。しかし、この女たちから総スカンを食うという壇の演技には、もう一つ深い意味がある。それはこれが極めてジェンダーに関わるものになっているからだ。(続く)

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