国際レベルでのマナーを絶対的な側面から評価すると
前回まではマナーが相対的に決定されると言うこと。ただし、特定の文化内においてマナーは絶対性が存在することの2つを指摘しておいた。つまりマナーは文化によって様々で、その内容や項目では優劣をつけられないが、当該文化によって形成されているマナーを遵守しているかどうかについては、その優劣をつけることができる。だから、その絶対性においてポルトガル人は現在の日本人よりマナーのレベルが高いのだと。
ただし、これだと評判の悪い中国人もまたマナーの優れた人々になってしまう。これは、ちとおかしいのではないか……。
だが、絶対的なマナーは2つあると捉えると、この矛盾は解決する。対内的なそれと対外的なそれだ。中国人は前者はきちんとしているが、後者はダメなのではないか?
中国人の海外でのマナーの悪さには定評がある。僕は、世界で唯一香港のディズニーランドを訪れていないのだけれど、その理由の1つには「あそこに行くと中国本土の人間がわんさかやって、マナー無視でやりたい放題のことをやっているので、うんざりする」といううわさをあっちこっちで耳にしているからだ。そして、これは僕の体験だけれど、海外に出かけ、ホテルなどに宿泊すると、トラブルの元凶となっているのは必ずといっていいほど中国人(そして韓国人)。だから、この噂を、結構、真に受けている。さて、僕の見方が正しいとすると、今度は国際レベル、つまり対外的レベルでマナーというのは絶対性が存在することが解る。
その絶対性とは、要するに「自らの文化が相対的でしかないことをよく認識し、異文化を訪れたときには“郷に入れば郷に従え”という姿勢をもって、異文化のマナー=コードを尊重する度合い」ということになる。そして、こういったユニバーサルなレベルでマナーを絶対的視点から捉えた場合、やはり中国人、そして韓国人のマナーはよろしくないと言うことになるのだろう。
では、今回、取り上げたポルトガル人はどうだろう?多分、彼らは海外に出たら、自分のマナーを押し通すことはなく、現地のマナーに従うのでは無かろうか。というのも、以前の特集でも取り上げたのだけれど、ポルトガル人の性格は「個として個人を尊重する」。そして、それは言い換えれば他者の尊重を第一にすることでもある。これは 現在、日本に蔓延するミーイズム的な、自己中心的な個人主義に基づく個とは、もちろん異なる。この精神が通底しているので、海外に出れば、海外の文化・海外の他者を尊重するのではと僕は考えるのだ。
そう考えれば、ポルトガル人のマナーはきわめて優秀と言うことに結論されるのでは無かろうか。
マナーの絶対性と絶対主義
さて、こういったマナーが遵守される社会は、しばしば「絶対主義」とか「独裁主義」と批判されることがある。つまり、行動パターンが政治的に規定されていて、これに反する場合は罰則が待っているという社会だ。そしてこのような「拘束」によって、人々はその規定を遵守し、それが結果として一枚岩的な行動をもたらし、社会は統制のとれたものとなって、ゴミも落ちていなければ、犯罪も発生しないという状態になる。たとえば、その典型は北朝鮮だろう。実際、北朝鮮を訪れた人間の多くが、メディア的に媒介されている北朝鮮のイメージとは全く異なることに驚くという。北朝鮮の人たちは統制が取れていて、しかも訪問した外国人に対して、とても親切にしてくれるらしい。これはポルトガル人と同じではないか?
強制されたマナーと自発的なマナー
「絶対主義」的な国家とポルトガルは根本的に異なる点が一点ある。それは、こういったマナーに関するコードをトップダウンで政治的に強制され、受動的に行っているのか、それとも自発的にやっているのかというところに求められる。当然、かつての独裁国家や現在の北朝鮮は前者、後者が「個の尊重」を絶対とするポルトガルということになる。ポルトガルは「マナーを守ることが、国民的に自覚されている」のだ。GNH(国民総幸福量)の高い国家も、おそらく同様では無かろうか。(続く)