勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2011年02月

2.2バックパッキング熱の低下

80年代の後半から右肩上がりに上昇していった海外旅行者数。ところが1996年の1780万人をピークに海外渡航者数は漸減していく。そしてこれに付随するかのようにバックパッキングという旅行スタイルも人気が低下していった。しかも、その人気の低落は、一般の海外旅行よりも著しかったのだ。
 
この原因として考えられる要素はいくつかある。一つは旅行スタイルの多様化である。80年代、若者にとって海外旅行のための選択肢はパック・ツアーかバックパッキング程度に限られていた(留学というスタイルもあったが、現在と違って留学はまだそのインフラが整備されておらず、留学可能な若者は国費留学生などの特権的な存在にのみ可能なものだった)。ところが、90年代後半ともなると海外旅行スタイルの選択肢が多様化、バックパッキングはあまたあるスタイルの一つという位置に追いやられることになった。つまり「客層」が他のスタイルへと分散してしまったのだ。
 
また、バックパッキングが最も低廉な旅というわけでは必ずしも無くなったことも大きい。海外旅行インフラの整備によって、短期の旅ならスケルトン・ツアーと呼ばれる「航空券とホテルをセットにした滞在型のパック・ツアー」の方が安くつくという状況も出現した。また、海外の知人・友人宅への宿泊といった「お手軽」な手段も一般化していく。加えて、経済的な変化も要因として加味する必要があるだろう。景気低迷に伴い、可処分所得の減少した若者たちが、比較的高くつく海外旅行をレジャーの一つから除外したことが考えられるのだ。
 

2.3海外イメージの相対化とバックパッキングの凋落

また、こういった外的要因だけでなく内的要因、すなわち若者の意識の変化もバックパッキング、そして海外旅行の人気が低落した原因と考えられるだろう。その最たるものは「海外イメージの希薄化」あるいは「海外イメージの日常化」、集約すれば「海外イメージの相対化」に求められる。
 
90年代以降の若者に特徴的な傾向として、しばしば指摘されるのが「内向き」指向だ。上昇志向が低く、日常生活を謳歌することをライフ・スタイルの中心とするその心性は、まず身の回りに関心を持つという行動傾向を形成するようになった。その一方で、インターネットを中心とした情報環境の充実で海外の情報は頻繁に入ってくる。また流通システムの発達で海外の商品も低廉なかたちで身の回りに配置されるようになる。こういった変化は、かつて日本人が海外に対してあこがれていた「非日常としての場」としてのイメージをすっかり相対化させた。その結果、現在、若者たちに起きているのが「洋風文化離れ」である。映画ではかつての”洋高和低”という構図が09年には逆転し、音楽においても好まれる中心は海外のそれではなくJ-POPになっている。
 
旅行においてもこの傾向は顕著で、とりわけ海外旅行の人気は全般的な低下が見られる。中でも、二十代若者の海外旅行離れ、とりわけ二十代女性のそれは著しい。また、海外に関するこういった情報、消費インフラの国内における充実は、翻って、海外に出かけることに対するデメリットを引き立たせることにもなった。「言葉が通じないのは大変」「食事が合わない」「時差ボケがイヤ」「治安が悪い」といったイメージの台頭がそれだ。
 
また、バックパッキングに付随していた「スノッブ」なイメージが相対化されたことも大きいといえるだろう。かつて、自分の足で歩くバックパッキング、しかも旅自体が安易ではないアジアを旅すると言うことは、ちょっとした「蛮勇」とみなされ、他者との差異化においては格好の手段と位置づけられていた。だが、アジアのイメージが相対化され、また現地においても、そういった「蛮勇をふるう」ようなエリアが近代化とともに消滅していったと言うこともあって、バックパッキングは差異化のための有効的な手段としては位置づけられなくなったのだ。
 

2.4メディアにおけるバックパッキン情報インフラの減少

一方、バックパッキングについては、その人気の低落がいっそう著しい。1996年以降、バックパッキングに関する情報誌・紀行文などの出版数は著しく低下した。たとえば、海外の格安航空券と安宿を紹介した雑誌「格安航空券ガイド」(ぷれいすα)は03年に休刊。バックパッキングのノウハウをコンテンツとした雑誌「旅行人」は1996年には月刊であったが、次第にその発行間隔が広がり、現在では年二回にまで発行回数を減少させている。『地球の歩き方』も90年代前半には、読者投稿記事を外し、反面で高級ホテルを紹介するなど、バックパッカーの貧乏旅行向け編集を打ち切り、一般向け海外旅行ガイドへと編集方針を変更している。また、バックパッカーを相手に格安航空券を手配していた四季の旅社、アクロスといった旅行会社も消滅(アクロスはエイチ・アイ・エスが吸収)。その業態を一般向けに変更し、パック・ツアー、とりわけ個人向け短期・低予算・滞在型のスケルトン・ツアーを全面展開した格安航空券会社のエイチ・アイ・エスが旅行業界を席巻することとなった。これらはバックパッキングがもはや若者の旅行スタイルからも後退しようとしていることを物語る。
 
現在、バックパッキングは、もはや一部の若者の、いわば「オタク的な趣味」と位置づけられようとしている。そして、このことは今回のカオサン調査でハッキリと浮き彫りになったのだ。(続く)


イメージ 1

2010年夏のカオサン。夜になると露天で通りが埋め尽くされる。

 

バックパッカーの聖地・カオサンなう

今回は80年代以降、若者を中心に普及していったバックパッキングという海外旅行のスタイルでの情報行動、対メディア行動の変化について、タイ・バンコク・カオサン地区でのフィールドワーク・サーベイを通して報告してみたい。とりわけ今回は旅における危機管理に焦点を当てる。考察の中心は1996年と2010年に実施された二つの調査比較だ。
 

1.バックパッキングとカオサン

はじめに今回対象となるバックパッキングという旅行スタイル、そしてバックパッカー(バックパッキングを行う旅行者の通称)が投宿するカオサン地区について概略確認しておこう。
 
世界では70年代、わが国では80年代以降、若者の間ではバックパッキングという旅のスタイルが流行し始める。バックパッキングとは、航空券のみを購入し、海外を宿泊地の予約などなしで周遊、滞在する自由旅行スタイル。こういった旅行スタイルの普及とともに、タイ・バンコクは欧米、そして日本からの旅行者が世界を旅するためのハブ的存在としてバックパッカーが集結するようになった。
 
またこの旅行スタイルに合わせ、バックパッカーが集結する、通称“安宿街”と呼ばれるエリアを世界各地に形成されるようになる。そして、そのうちの世界最大のエリアがバンコク中央、王宮北に位置するカオサン通り(以下、カオサン)一帯だ。カオサンにはゲストハウス、レストラン、旅行代理店、土産物屋などのバックパッカー向け施設が数多く存在する。たとえばゲストハウスひとつとっても百件以上が軒を連ねている。ここには欧米、アジア、オセアニアからたくさんのバックパッカーたちが集結している。
      

2.バックパッキング史概略~アジアを中心に

 

次に日本でのバックパッキングの歴史についてちょっと見ておこう。

 

2.1バックパッキングの普及

小田実の紀行文『なんでもみてやろう』に象徴されるように、60年代、すでにバックパッキングを行う若者が出現している。だが、当時は外貨持ち出し制限(なんと2万円。これで一体何ができると言うんだ?)、為替レートの固定相場制(1ドル=360円、今だとMac1コが360円となる)などもあり、一般の若者にとって海外は遠い存在だった。それゆえ、若者のバックパッキングの歴史は、実質的には70年代後半あたりからと見なすのが妥当だ。とりわけ78年に出版を開始したバックパッカー向けガイドブック『地球の歩き方』の影響は大きい。本書は、若者たちに出来るだけ長い期間、安く海外旅行することを提案する。そして、これが当時の若者の支持を受け、バックパッキングが若者、とりわけ学生たちの間で流行し始めるようになったのだ。また、この時期からテレビや雑誌などのメディアにおいても海外の情報が頻繁に流されるようになるなど、メディアを通して海外イメージの一般化が進む(日本テレビ「アメリカ横断ウルトラクイズ」がその典型)。そして86年のプラザ合意によって急激に円高が進行すると、経済的負担が大幅に減少したことから日本人の海外旅行熱は上がり、91年には年間と後者数が一千万人を突破。バックパッキングも、大いに人気を博するようになっていった。
 
若者たちのバックパッキングという貧乏旅行は80年前後までは、その行き先が欧米中心であったが、次第にアジアへとシフトし始める。その理由の一つに、八十年代前半から半ばにかけて『地球の歩き方』が立て続けにアジア各国版を刊行し、これを読んだ若者たちが、アジアが欧米よりもはるかに安く旅行できることを発見したという経緯があった。82年インド編、85年タイ編が出版されると、これらの国には若者が大挙して押し寄せるという現象が発生した。

 

しかし90年代半ばをピークに海外旅行人気は、なぜか下り坂になっていく。(続く)


マツコ・デラックスの立ち位置逆転発言

ニューハーフ・タレントたちのメディアでの社会的機能について考えている。
以前マツコ・デラックスのノーメイク・髭もじゃの写真が東スポにでかでかと掲載された際、マツコはコメントを求められて次のようにコメントしたのだ。

「まあ、これも一つのファンタジーとして捉えてくれればいいんじゃないの?」

これは実に見事な切り返しだった。このコメントでの彼女のレトリックはつぎのようになる。

1.私はマツコ・デラックスという女性である」
2.ところが、髭もじゃの男姿の写真がスクープされた
3.でも、それはマツコ・デラックスがファンタジーとして演じた姿

つまり、本来窮地に立たされる「素顔暴露」というシチュエーションで、マツコは自らの記号的存在=彼女という立場をデフォルト、言い換えれば前面に押し出し、生物学的存在=彼という立場を脇に置いてしまう逆規定を行ったのだ。もう少し簡単に言ってしまうと、本来ファンタジー=記号は「彼女」としての存在なのだが、マツコの発言は「彼」を記号、つまりファンタジーとして定義し、一方で「彼女」を実体として再定義し、この暴露によるツッコミを逆手にとって、自らのニューハーフ・タレントとしての存在をアピールしたわけだ。

なぜ、彼女たちはことばを操れるのか

ここまで見てきたようにニューハーフ・タレントは話術の点ではきわめて優れた芸を披露する。これは、やはり彼女たちが宿命として背負っている条件に由来した必然的結果と捉えることができるだろう。

彼女たちは生物学的には男である。整形して女性性器と豊満な胸を装着することは可能だが、子供を産むことは不可能だ。そして放っておけば口周りには髭が生えてくる(永久脱毛すれば別だが)。だから、常に自らが女性であることを意識し、自らに向かってそのことを働きかけなければならない。言い換えれば、それは「女性」「女性らしさ」の記号を常に自らに提示すると言うことになる。また、その一方で自らが生物学的に男性であることを徹底的に否定し続けなければならない。あるいは少なくともメディア上ではその存在を否定しなければならない。

で、こういった記号=ファンタジーとしてのアイデンティティを具現化する作業を日常的に続けることで、それが記号というものをある程度対象化=相対化して扱うスキルを身につけることを結果させたのではないだろうか。彼女たちの芸は、要するに芸と言うよりは「ゲイとして生きる」ために行っている実践と捉えることができる。つまり「記号的存在でしかない」ないという立場が、常に記号についての意識を働かせるという心性を作り上げたわけで。

トリック・スターとして視聴者のメディア・リテラシーを高めている

ということは彼女たちをコメンテーターとして起用することは、記号を弄したメディアの異化作用という側面からすれば、きわめて理に叶った方法と言うことになるだろう。いわば、社会的常識に脱臼=膝かっくんを入れるトリック・スターとしてのニューハーフたち。ある意味、彼女たちはメディア上でメディア・リテラシー教育をオーディエンスに向かって実践してくれる格好のメディア論教師であると言える。その出番は今後とも広がっていくのでは無かろうか。

メディアを席巻するニューハーフはいずれもレトリックに長ける

前回はニューハーフが、価値観の相対化とともに次第に市民権を獲得し、メディアに露出するようになったこと。そして、この一般化に多大な貢献をしたのが、自らの性同一性障害の人生を告白したはるな愛であること。この二つを指摘しておいた。

さて、ニューハーフは、もはやタレントの「1ジャンル」と見なされるほど社会的には認知されている。だから、もう単なる「ニューハーフ」という記号だけでは、メディアで露出し続けることは出来ず、何らかの高度な芸風を備えていることが必要となっている。実際、現在、芸能界でその名を馳せているニューハーフたちは芸達者揃いだ。そして、もちろん、彼らの芸とは「話芸」。つまりことばを記号的にに取り扱うテクニック=レトリック能力だ。これがスゴイ。

ミッツ・マングローブが看破した沢尻エリカの「涙」の意味

先ずはミッツ・マングローブ。彼女のコメンテーターとしての能力について考えてみよう。

沢尻エリカが夫・高城剛との離婚問題でコメントさせられるという映像が映し出された。沢尻は途中から涙を浮かべ、時に絶句しながらコメントに答えたのだが。なぜか、この後、このビデオについてコメントを求められ、登場したのがミッツだった。沢尻とミッツ。二人は何の関係もない。そして、ここで彼女がコメンテーターとしてわざわざ別撮りのビデオで、これが放映されるのも実に不自然。つまり、ミッツがコメントする必然性はゼロなのだが……だが、ミッツのコメントには実に巧みなレトリックが配されていた。

まず彼女は、だいたいこんな表現で切り出した。

「これは、涙が全て。涙が全てを語っているのよ」

この発言でオーディエンスは、この言葉の持っている一般的な文脈=コンテクストを思い浮かべてしまう。つまり、

“沢尻は、実につらい思いをし、それが思わず涙という形であらわれた”

ただし、こんな文脈だったらミッツのコメントは凡百のコメンテーターと同様だ。ところが、この後、ちょっと間を置いた後、ミッツは加えたのだ。

「いい?涙ってのは、ぜ~んぶウソなの。ウ・ソ!あたしの叔父(徳光和夫のこと)みれば解るでしょ」

実に見事な切り返しだ。つまり「涙が、全てを語っている」とは、涙が「沢尻の心情」を全て語っているのではなく、「沢尻の本性」全てを語っていると言いたいのだ。言い換えれば涙が伝えるメッセージではなく、「涙を見せることのメッセージ性」、つまり「涙のメディア性」についてミッツは指摘しているわけで、とどのつまり「この女は大嘘つき」とコメントしていることになる。

レトリックはもう一枚あった!

ただし、だからといってミッツは沢尻を批判しているというわけではない。おしまいにはエールまで送っているわけで(これもどこまでが本当か解らないが)。

つまり、ミッツのこのコメントはさらに一ひねり加わり、二段仕立てになっていることになる。

1.涙を流した沢尻の真摯さをリスペクトしていると思わせる。

2.涙というのは全て自らのパフォーマンスのための演技とすることで、沢尻のしたたかさ、ウソつきさ加減を批評する。

3.どんな場面でも演技することのできる沢尻を役者として評価する。

という具合に。僕は、ミッツのこのコメントの巧みさに、思わず唸ってしまった。(続く)

進境著しいニューハーフ・タレント

最近、ニューハーフ系タレントの進出が著しい。はるな愛を筆頭として、マツコ・デラックス、ミッツ・マングローブ、Ikko、楽しんごなどなど、次から次へとメディアに登場しており、ちょっとしたニューハーフ・ブームの状態だ。

ニューハーフという名称は、かつては「おかま」と呼ばれた。ただし、これが自主規制用語、通称「放送禁止用語」に民放連に指定されたことから、これに代わって用いられるようになった(一説によれば、この名付け親は桑田佳祐と言うことらしい。興味深いのは、時折マツコ・デラックスが自らを「おかま」と表現することがあることだが、これはあまりメディアでは指摘されることはない。当事者なら問題ないと言うこと?)。

ニューハーフが市民権を獲得する長い道のり

ニューハーフがメディアで市民権を獲得するのは、結構長い道のりだった。古くは50年代、丸山明宏(現在の美輪明宏)辺りに端を発する。当時から芸能界にゲイと呼ばれる存在は多かったらしいが、それを表に出すと言うことはタブーだった。これが、比較的市民権を得るのが80年代。「笑っていいとも!」にKINYAが登場した辺りだろうか。だが、KINYAはその饒舌さと露出の多さが最終的に嫌われる原因となってメディアからは消えていった。もっとも、それはKINYAがそのようなキャラクターであったと言うことよりも、まだこの年代ではゲイがメディアに登場することが不自然で、KINYAのパフォーマンスが、当時の視聴者の許容の限界を超えてしまったからだろう(ゲイバーのホステスだったら、あれくらいしゃべるのは普通だったし、現在のニューハーフ系タレントもKINYAと同様、場合によってはそれ以上に饒舌だ)。

市民権獲得の立役者・はるな愛

だが21世紀に入り、ニューハーフは、たとえば「性同一性障害」などといった名称を与えられ、差別されるべきではないという認識が一般化する(ちなみに、ニューハーフ・タレント誰もが性同一性障害であるというわけではない。ニューハーフは、後述するが、あくまでも記号的存在であり、その実態は問わないのが原則になっている)。

この認識を前面に押し出し、ニューハーフの市民権獲得に大きく貢献したのは、言うまでもなくはるな愛だ。

はるなは、当初、容貌が松浦亜弥似?ということもあって、そのモノマネ、通称「エアあやや」でブレイク。その後バラエティ・タレントとして活躍するが、その一方で自らが性同一性障害であること、性転換手術を行ったことを告白し、自身が大西賢治からはるな愛に至るプロセスが一般に広く知れ渡った。そして、その高いタレント性は、これまであったようなニューハーフへの偏見を凌駕するものがあり、これがそれ以降のニューハーフ・ブレイクのきっかけとなったと言えるだろう。

ただし、その一般化に伴って、単にニューハーフであるだけでは人気を獲得できないという状況も出現している。言い換えると、現在ブレイクしているニューハーフ系タレントはそれぞれが、かなり高度な芸風を備えている。

彼女たちの言動はメディア論・記号論的視点から見ると、かなり興味深い。今回は、マツコ・デラックスとミッツ・マングローブの発言を取り上げ、彼らのメディアの魔術師としての巧みさについて分析してみよう。(続く)

↑このページのトップヘ