勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2010年12月

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(オリエンタルランド社が創造したキャラクター、ネポス・ナポス)


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(JR舞浜駅イクスピアリ入り口にあったキャンプ・ネポス)


ロイヤリティからの脱却:コンテンツの創造

前回は、東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランド社(OLC)が、その経営がディズニーからのフランチャイズに基づいていること、そしてフランチャイズのロイヤリティ(上納金)が不当に高額なため経営に苦労することになった経緯について説明しておいた。さて、ではOLCはこのロイヤリティの呪縛からどのように逃れようと努力し続けてきたのだろう。ここからは、その艱難辛苦の道を見ていこう。

ネポス・ナポスというOLCオリジナル・キャラの失敗

まず、OLCが考えたのは、ロイヤリティの発生しない独自の事業展開をすること、つまりディズニーとは直接関係のない業態へ乗り出すことだった。ただしOLCといえば、実質「日本のディズニー」。だから、当然この財産、文化的資源をロイヤリティに抵触しない状態で利用するというのがとりあえずの得策と考えた。そして開始した新しい事業はキャラクター・ビジネスだった。ディズニーとは関係のないキャラクターを創造し、これをディズニーの周辺に配置することで、さながらディズニーのキャラクターであるかのような装いを見せるというのが戦略で、このキャラクター・ビジネスのために、OLCライツ・エンターテインメントという企業が設立される。

そして、この企業が発信したキャラクターは”ネポス・ナポス”と名付けられ、BSフジで子供向け番組として放映された。また、東京ディズニーシーとほぼ同時期にオープンしたJR舞浜駅前のショッピングモール・イクスピアリの入り口に“キャンプ・ネポス”というキッズ向けのアミューズメント施設も開設している。イクスピアリの入り口は、同じくOLCが運営するモノレール、ディズニー・リゾートライン舞浜駅の入り口の手前にあり、それ故必然的にディズニーの各リゾートに行くためにこのモノレールを利用する客たちはキャンプ・ネポスの前を通過させられるという仕組みになっていた。こうやって、ディズニー各施設に向かう途中に、施設を配置することで認知させることが狙いだったのだ。

コンテンツにコンテンツで対抗することの無謀

だが、もくろみは見事に外れてしまう。ディズニーからは全く乖離した、ディズニー・イメージすることすら難しいキャラクターは人々の関心を惹起するにはあまりに貧弱。いや、むしろ、ディズニーのイメージを破壊するネガティブな存在とすら思われてしまうほど。ワールドワイドなディズニーのキャラクターというコンテンツに対し、コンテンツで真っ向から勝負するというのはあまりに無謀だったのだ。そして、キャンプ・ネポスの方も、これからディズニーの各施設で興じようという人間から目を向けられることもなく、施設は閑古鳥が鳴くという状態に。結果として、このキャラクターはほとんど認知されることなく終わってしまう(現在、イクスピアリのキャンプ・ネポスも閉鎖され、そこには他の商業店舗が入っている)。

しかし、OLCはディズニーのキャラクターに対して、オリジナルキャラクターで対抗する、いいかえればコンテンツにコンテンツで対抗するというこのやり方を継続する。次にリリースしたのは“ポペッツ・タウン”というキャラクター・ワールドだった。しかし、これもまたさしたる業績を上げることもなかった(ポペッツ・タウンは現在、ソニー・クレイティブプロダクツが継承している)。そして、この二つの失敗の後、1009年、OLCライツ・エンターテインメントは事業を停止してしまう。

新しいオリジナルキャラクター=コンテンツによるロイヤリティの派生しない事業展開はこの時点では全くといっていいほど功を奏しなかったのだ。(続く)


オリエンタルランド社って、何?

今回はオリエンタルランド社(以下OLC)という一企業の企業戦略について考えてみようと思う。といっても、この会社のことを知らない人もいるかもしれないので、まずちょっと紹介。OLCは東京ディズニーリゾートを運営する企業。東京ディズニーランド、東京ディズニーシー、イクスピアリ、ディズニー直営のホテル(アンバサダー・ホテル、ホテル・ミラコスタ、ディズニーランドホテル)や系列のホテル(パーム&ファウンテン)などの事業を展開している。

もともとディズニーランドを日本に誘致することを目指して(本当は「沖の百万坪」と呼ばれた浦安沖の浅瀬を干拓して一儲けしようとして)、三井不動産と京成電鉄が合弁で創設されたのだけれど、ご存じのように、上に並べたような様々なリゾート事業へと手を広げることになった。

ディズニーが突きつけた高額のロイヤリティというトラウマ

で、OLCはフランチャイズ方式でウォルト・ディズニー・プロダクション(現ウォルト・ディズニー・カンパニー、以下ディズニー)からディズニーランドを誘致することを決定したのだけれど、その際、ぶち当たった難関が、ディズニー側が提示してきたロイヤリティだった。フランチャイズ方式とは、たとえばセブンイレブンなどのコンビニエンス・ストアがその典型的なシステムで、フランチャイザーである企業(この場合セブン&アイ・ホールディングス)がフランチャイジーの個人事業主(たとえばセブンをやろうとしている酒屋のオヤジ)に対してセブンイレブンの看板、ユニット、そして流通システムのすべてを使用可能にさせて店舗を営業させる代わりに、売り上げの一部を企業側に支払い続けるというものだ。その際の支払い料金のことをロイヤリティというのだけれど、ディズニー側はOLCに対して10%と言う高額なロイヤリティを、しかも50年契約で要求してきたのだ。

これでは、儲けたところで利益は期待できない。OLCはこのパーセンテージを少しでも下げられないものかと、粘り強く交渉を続けたが、ディズニー側が妥協したのは契約期間を45年に短縮することだけ。結局、OLCはこの10%という数値を泣く泣く受け入れることになった。

しかし、オープンしてみると、こりは杞憂に過ぎないことが明らかになる。予想外の入場者数で東京ディズニーランドは盛況となり、ロイヤリティを易々とクリアしてしまう売り上げを記録したからだ。この結果に、ディズニー側は東京ディズニーランドを直営にしておくべきだったと地団駄を踏んだほどだった(ちなみに、ディズニーはこの失敗を踏まえ、ディズニーランド・パリ(当初名はユーロ・ディズニー)をオープンする際には、これを直営にしたのだが、こちらの方は赤字経営という、これまた裏目の結果となっている)。

とはいうものの、このロイヤリティが高額であることに変わりはない。そこでOLCは常に、このディズニーのロイヤリティという呪縛=トラウマから逃れることを課題とする事業展開を指向していくことになるのだが……。そして、これがディズニーシーやダッフィといった、ちょっと変わった、独自の展開を生んでいくことになっていく。では、OLCのだつディズニーはどう展開してきたのか?(続く)

大学側の受け入れ体制は

リメディアル教育=大学入学前、あるいは入学直後の導入教育、勉強を学ぶための学び方の教育について考えている。前回は、様々な理由で大学がリメディアル教育を行わなければならなくなった経緯について述べておいた。

さて、こういったリメディアル教育の必要性が叫ばれる中で、大学当局側はどういった対策を講じているのだろうか。

実は、これが全然ダメなのだ。大学教員の仕事は1.研究、2.教育、3.学内行政の三つだが、2以降についてはほとんど素人に近い(2については、大学教員は教職資格がいらない)。よって教育のノウハウについてのスキルは低い(ちなみに一般社会経験を経ることなく大学教員になったものが多数を占めるので、当然社会性も低く、よって3に関する能力も当然低い)。それゆえ、こういったリメディアル教育を施すためには「教員にリメディアル教育の教育方法」についての研修などを実施する必要があるが、そこは自由が重んじられる大学という環境。それゆえ、「負担が増す」という理由で、これらへの教員の対応はおおむね消極的。

ただし、大学がサバイバルの状況になっている、つまりつぶれる大学が登場する時代。だから、こんな極楽とんぼみたいなことを言っている場合じゃないというのが現状だ。そして一部の高偏差値大学を除いて、ほとんどの大学こういった状況にある。そういった意味で偏差値五十以下の大学は、すべからくサバイバルな状況にあるといっていい(ちなみに高偏差値大学でも導入教育は行っている。それくらい学生たちの全体的な学力低下は著しい)。

基本的な解決策は

ではどうすればよいか?まず考えるべきは「高校までの基礎教育の見直し」だ。これまでのような、ゆとり教育は考え直すべきだろう。競争原理を導入しろとは言わないが、やはり多少はないとモチベーションも沸かない。少なくとも何らかの形で自らの学力スキルを透明化することは必要だろう。たとえば自動車免許取得のように段階を設け、これをクリアすることで次のレベルに達することができるような。問題は「個性」ではなく、まず「基礎学力」の養成にある。何の基礎もないのに個性云々を声高に叫んでいる場合じゃないだろう(個性教育なんて呑気なことを言っているから、中国や韓国にどんどん負けてしまうということじゃないのかな?)。

もうひとつは大学側の導入教育システムの配備だ。大学側も、導入教育を充実させるようなカリキュラムを設定する必要がある。もはや大学教員は「生徒指導」ならぬ「学生指導」をしなければならない時代になった。ちなみに僕の大学では一年の基礎ゼミナールで「本の読み方」というゼミを新入生に実施している。本を読んだことがない、本の内容をまとめる力がない、本を読んで考え人と議論するといった経験がないという学生がほとんど。つまりチョー基礎的なメディア・リテラシー教育=導入教育=リメディアル教育をやっている。

しかし、これは大問題ではありますね。

早稲田、慶応がスポーツで強い理由も、実は同じ構図。
これはオマケだが、なぜ最近、早稲田や慶応がスポーツで強いのか?それはスポーツ推薦入試があるから。かつてだったら学力的には絶対に合格不可能なスポーツ選手をこの推薦枠で取り込む。その結果、早慶はスポーツにおいても列強になる。だから、早稲田からプロ野球ドラフト第一位が三名も輩出したことは、何ら偶然ではない。その一方で、かつてはたくさん強力な選手を取り込むことができていた低偏差値大学は割を食うという状況になっている。つまり高偏差値大学=スポーツの強い大学という図式ができあがる。そう、大学も格差社会化しているのだ。

リメディアル教育って、何?

最近リメディアル教育を実施する大学が増えている。 と言っても、わからない人にはさっぱりわからんのだけれど、これはremedial、つまり治療ということばが語源になっている。で、もうすこしわかりやすい説明をすると、何のことはない「補習」のこと。でも「補習」だと居残りみたいでイメージが悪いので横文字にしている(ってことか?)。ちなみに、本当の語源はアメリカで、貧困層の教育不徹底を補うために、別枠で授業を設けたことに端を発する。

これが、今なんと数々の大学で、次々と行われているわけだ。その中身は二つ。入学前の教育と入学後の導入教育(両方実施する大学もある)。まず前者の入学前、つまり、まだ高校生のうちにやる教育。これは、推薦入試で合格した高校生に対し、大学で学ぶ基礎学力を養っておこうというのが課題。裏の事情としては、他の大学に逃げないように取り込んでおくというのもある。一方、後者の場合は、入学直後、基礎ゼミナールなどで、やはり大学で学ぶべき基礎教育について指導を行うものだ。

内容は基本的なメディア・リテラシーの指導。1.情報入手(図書館利用、ネットの使い方、情報の集め方)、2.情報処理(文章の書き方、レポートのまとめ方、レジュメの切り方)、3.情報発信(プレゼン、討論の仕方)などが中心で、要するに「勉強を学ぶ」前に「勉強の学び方を学ぶ」というのが教育の基本となる。でも、何で、こんなことを大学がやるようになっているのか?

総合的な学力の低下

まずなんと言っても基礎学力の低下という大問題がある。個性を伸ばすという前提の下で実施されたゆとり教育は、結果として基本的な学習(昔だったら「読み、書き、そろばん」といった)が完全におろそかになるという事態を生んでしまった。基礎的な勉強が全くできていない。たとえば英語の例をあげれば、五文型がわからない、発音記号が読めないといった学生があたりまえのように存在する。たとえば、僕が講義で英語の話なんかしようものなら、いきなりアレルギー反応を起こし、急に口ごもったりするのだ。いやそれどころか、勉強の基本的手続きである文章が書けない、議論ができないなんてのも、あたりまえのように存在する(1200字のレポートを、たった一段落だけで書いてくるなんて”蓮實 重彦”ばりの文章がいっぱいある)。つまり、ゆとり教育は、ほとんどの子供たちをほったらかしにするという事態を結果として招いてしまっているのだ。ゆとり教育では自ら考える力を養うことが求められたのだけど、教える方、つまり教員側がそのやり方を知らなかったので、結局、スカスカの授業内容になってしまった。そして、そのツケが大学に回ってくると言うわけだ。だからリメディアル教育が必要ということになる。

大学全入による「学生」という顧客の奪い合い

大学側にも事情がある。現在、5割程度の大学が定員割れという供給過多の状態。当然、大学側は学生の確保に躍起になる。その際、戦略的に用いられるのが「推薦入試」。かつてなら学生のほとんどは一般入試、つまり、ちゃんと試験を受けて入ってはきたが、現在では、そのうち5割以上が推薦という大学はザラ(文科省は6割以下に抑えるように指導するようになっている)。大学側は、様々な推薦入試スタイル(公募制推薦、AO入試、スポーツ推薦入試、指定校入試、社会人入試、留学生入試などなど)を用意し、多方面から学生を集めようとする。つまり「青田刈り」だ。しかし、これらの入試制度に共通するのは、それらしい受験科目がほとんどないこと。内申+小論文+面接といったものが普通で、中には面接だけというのも。

こうなると完全な売り手市場。受験生としては、志望校への合格が一般入試では学力的に無理とわかると、より入学が容易な推薦に切り替えて受験してくる(ここで「 推薦より一般入試で入学した学生の方が明らかに学力が高い」という、かつてとは全く違った状況が出現している。)。しかも高校側はこういった推薦を受けたい生徒の内申書をチョコチョコっと操作する、つまりゲタをはかせるなんてことを平気でやっている。だから、前述した五文型が言えない、発音記号が読めないなんて学生が出現してくるのはごくごくあたりまえということに。ちなみに、ウチの大学(私学)だと、まあ英語の学力レベルは中二程度、前任の公立大学も同じようなものだった。つまり、英語の話をするとフリーズする。

もっとも、推薦入試は大学側にもメリットがある。推薦入試は偏差値には現れないので、一般入試の偏差値低下をカムフラージュすることができるからだ。つまり、受験生は推薦で採用するので、偏差値に現れない(偏差値の維持はもっぱら一般入試の受験生が担当している)。

この二つの要素によって、かつて無いほど学力不足、とりわけ基礎学力が不足している学生が大学に入学してくる。学問に関しては建築工事どころか基礎工事・造成作業すら行われていない、フロンティアが果てしなく広がった人間が入ってくるわけで、それが結果としてリメディアル教育の実施を余儀なくさせることになったのだ。ちなみに、学生の方も、買い手市場のことをよく知っているので、勉強はあまりしないし、勉学意欲も問題意識としては持ち上がってこない。苦労して入ってきたというのではないので、よりいっそうモチベーションは低い。要するに「何気で」入学してくる。

つまりゆとり教育→供給過多→入試の易化→学力低下→勉学意欲の不在という負のスパイラルが展開するわけで……そして入試の意味はどんどんと形骸化する。それは、もちろん大学教育の意味自体を形骸化すると言うことでもあるのだが……これって、ヤバいんじゃない?なんか対策立てないと。では、どうするべきか?(続く)



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(フライバー・コーヒー、これはフレンチ・バニラ)



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(こちらはデカフェ。カフェイン・レスだ)


スタバはニュー・アメリカン・コーヒーで日本的

アメリカン・コーヒーはあっても、これがメイド・イン・ジャパンで偽物。本当のアメリカのコーヒーが未だ日本に入ってきていないことについて考えてみよう。

いや、厳密に言えば入ってきてはいる。それはスタバなどのシアトル・コーヒーだが、あれは、いわばヨーロピアン・コーヒーの焙煎の強さを薄くしたモノといったらいいだろう。だから、こちらを飲んだときには確実に胃が荒れるし、何倍も飲んでいると、だんだんイヤになる。だから、これは我々日本人が馴染んでいるコーヒーの生活習慣と同じ。つまり”日常品”ではない”嗜好品”としての扱い。(まあ、だからこそすんなり溶け込んだのだろう。また、スタバはドトールなんかに比べると高級感があるというイメージが強いので、そういった意味では嗜好品的印象をより強調する側面もある)。

仕方がないので、結局、僕は前回にも書いたようにアメリカに行くたびにスーツケースにめいっぱいコーヒーを詰め込んで持ち帰るというわけだ。

隠れたアメリカ文化

ようするにアメリカのコーヒーは、コーヒーと言っても、全く文化的、食生活的背景においては日本のそれとは違ったものなのだ。もっといえば、これは文化の根本的な違いを意味している。そして、なぜか、これは日本人には現状では受け入れられることのないアメリカ文化ということになる。なぜなのか、その理由はわからない。最近は、酸っぱいモノ(アメリカのコーヒーは酸味が強い)が日本人の食卓から外されつつあるという傾向がないこともない(たとえば、ヨーグルトはその酸味が減らされたモノが主流になりつつある)。ひょっとしたら、こういう理由なのかもしれないが……やっぱり、これは完全な文化のブラック・ホールなのではなかろうか。そして、ひょっとして、日本人が最も受け入れがたいアメリカ文化の一つなのかもしれない。

もっとも、日本でさらにコーヒーが定着するようになったとき、つまりお茶のように飲むような習慣が次第に浸透したときには、こんどはアメリカのコーヒーの出番になる可能性があるかもしれない。それは、要するに、その時にこそ、コーヒーの嗜好品から日常品への認識の変容と言うことになるのだろう。

オマケ:アメリカのコーヒーの邪道系

最後にオマケで、アメリカ独自のコーヒー文化を一つご紹介しておきたい。それは「フレーバー・コーヒー」だ。コーヒーにキャラメル、フレンチ・バニラ、チョコレート、ヘーゼルナッツ・シナモンなどの香りを添加したもの。これも日本にはなかなか上陸してこない。たとえば、スーパーで「フレイバー・コーヒー」と銘打ったものは売られているし、コーヒー通販のBrooksでも売られてはいるが……これもやっぱり嗜好品としてのコーヒー、つまり苦みとコクのあるコーヒーベースに香り付けがされている、。で、僕としては、やっぱりフレーバー・コーヒーは浅煎り豆に香りがつけられたモノと思っているので、やっぱりこれもまたフレーバー・コーヒーとしては認められないのだ(とはいっても、Brooksの通販を購入してはいるのだけれど。これも何倍も飲むと胃が荒れます)。

さらにオマケで、カフェインを抜いてしまったdecafeというのもある。ちょっとノンアルコール・ワインみたいな間の抜けた味だが、慣れると結構おいしい。こっちの場合はカフェインもないので、もう完全にお茶の状態になる。つまりどれだけガブガブやっても、胃は全く何ともない。でもって、アメリカのホテルだと客室には通常、コーヒーとデカフェ二つのコーヒー・バッグ(コーヒーメーカーに直接放り込むティーバッグみたいなやつ)が、置かれている。う~ん、アメリカ文化だなぁ、これは。

どなたか、アメリカの本当のアメリカン・コーヒーを輸入販売してくれはしないものなのだろうか?最近、アメリカに出かけてないので、豆が切れて久しいのだけれど……KALDIさんあたり、いかがでしょ?


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