僕が関東→九州→関東と生活権を移動することで、アルコールライフが日本酒→焼酎→日本酒と変化したことをヒントに「アルコールのメディア社会論」を展開している。で、前回は、九州生活でもっぱら焼酎がアルコール・ライフの中心になったことを示しておいた。その一方で、日本酒は全然飲まなくなってしまったのだ。これは、九州の食文化のお陰だった。
食が日本酒に合わない
もし九州の料理を日本酒でやったらどうなるか。いわずもがななのだが、全くダメなのである。九州のボヤーッとしたおおざっぱな味、そして単純なハッキリした味は、完全に日本酒のコクに負けてしまう。また、食材の甘ったるさが、日本酒のほのかな上品な甘みを完全につぶしてしまうと言うことで、両者の良さが完全に相殺されてしまうのだ。
九州の居酒屋ではトウがたった日本酒を、全く合わない肴でやることになる
もちろん宮崎にも多くの居酒屋には日本酒が置いてある。たとえばマイジャーな越後の久保田、八海山、〆張鶴、石川の天狗舞、長野の真澄、福島の大七生酛みたいなやつだが、飲み屋でこれをショットで注文した場合にはヒドいことになる。前述したように、ただでさえ料理に合わないところで、多くの人間は焼酎をたしなむので、日本酒を注文するということは無い。で、こんな状況で日本酒を注文すれば、日本酒は開栓してから、もう何日も経ったやつが注がれて供されるのが必定で、ということは、とっくにトウが経っている(醸造酒は発酵するので、開栓したらすぐ飲むもの。開栓して数日もおかれたものなど飲めたものではない)。だから、酸っぱくて鮮度が無くて飲めたものではないのだ。
我が家もまた、焼酎の日々に
しかし、我が家の食卓に並ぶ食材も、当然こういった宮崎の大味なもの。こちらでシャバシャバの日本酒を揃えたところで、まったく料理には合わないわけで、それが結果として、我が家でも焼酎を常飲すると言うことを結果したのだった。
日本酒を飲むのは宇宙食、昭和基地での食事感覚
もちろん、日本酒を飲むことも年に数回はあった。この時は、全てネットで肴を購入し、クール宅急便で送らせたものをテーブルに並べて、これで日本酒で一杯というやり方になったのだ。例えば秋なら岩手・大船渡の秋刀魚を送らせて、南部杜氏の辛口の酒でやるという感じで。ようするに日本酒の楽しみ方は昭和基地や宇宙ステーションで越冬隊や宇宙飛行士が食事をするような、極めて無理な状況になってしまったわけで、当然、そんなバカバカしいことを高々のカネを払ってやると言うのはおっくう。だから日本酒は僕の生活から遠ざかっていったのだ。そう十年も(僕は宮崎で十年間暮らしたので)。(続く)