勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2010年10月

日本がハブ空港としての機能を復活するためのプランを考えている。前回は「羽田一本化」案だった。今回は残り二つを提示してみよう。

2.成田一本化

二つ目は、逆に「成田の一本化」だ。ようするに国内線も成田に持ってくる。こちらの場合は羽田は閉鎖する。ただし、この場合、いくつかの条件が必要。ターミナルを都心に置き、成田は単なる「乗り場」にすること。これは箱崎のシティ・エアターミナルのような中途半端なものではなくて、たとえば東京駅とかにこれを設置する(土地をどうやって確保するんだ?という問題はあるが。さしあたり考えられるのは地下になるのだけれど、東京駅は結構、掘られているので、品川あたりになるか、東京駅の東側のビルの地下に作るとかする)。さらにターミナルと乗り場=成田をリニアモーターで結ぶ(当然、無料)。時間にして20分以内で到着するはずだ。

こうなると交通機能の「究極の集約」が可能になる。つまり海外に出るためには飛行機であれ、列車であれ、バスであれ、東京駅にやってくればいいのだから。こんなに利便性が高いプランは他にはないだろう。世界有数のハブ空港になることは間違いない。

このプランの問題点は、なんといっても費用が膨大になること。東京駅の新ターミナル建設、そしてリニアモーターカーのための土地買収と敷設費用……「ちょっと無理があるかな?」という気がしないでもないが、集約性としては秀でている。

3.成田と羽田の一本化

そして、三つ目は「成田と羽田の一本化」である
成田ー羽田間にリニアモーターカーを敷設する。そして成田=国際線、羽田=国内線の機能はそのまま。こうすると、二つの間は、成田プランと同様、二十分以内で移動が可能になる(こちらも、同じ空港内の移動という前提だから料金は当然、無料)。つまり、成田と羽田を同じ空間にしてしまうというやり方だ。

で、この三つ目がいちばん合理的ではないだろうか。新たにターミナルを増設する必要はないし、リニアモーターカーは東京湾を何らかのかたちで利用すれば、土地買収料金も格安で済む(陸地だけ。陸地は地下にすれば土地買収についてはタダ)。しかも直線で結べるので二空港間の距離も最短で結べ、さらに時間を短縮化できる。また、成田は深夜の発着枠がないので、深夜便の国際線については羽田を使用すれば24時間体制を維持できる。

ただ、話を元に戻すようだが、こういったグランド・デザインが構想できず、場つなぎ的に対処しているのが航空行政の現状だ。場つなぎだったら、数年もしないうちに、おそらく綻びが生じて、またわけがわからなくなるのは必定だろう。だから、僕は今回の羽田国際線ターミナルにほとんど賛成できない(もちろんハブ空港など目指さず、国内の需要だけに目を向けるのならば、話は別だが)。

だれかジョブスみたいなことをやってくれないもんだろうか?(小沢一郎とか、どうよ?(無理?))

で、最後にオマケで究極の手段として四番目を提案しておこう。ある意味、これがもっともよい手段といえないこともないものだ。しかもカネがほとんどかからない。それは

「国際線は、全て仁川に向けて飛行機を発着させる」

これである。言い換えればハブ空港の機能をあっさりあきらめる。で、使わなくていい金がたくさんできる分、「それ以外の方策」で日本の国際化を考える。案外、こういった存在論的な考え方も悪くはないのではないか。つまり、これは「独自の道を行く」ということなのだから。もっとも「それ以外の方策」を考えられる政治家がいるかどうかは、かなり、疑問だけど。

もっと集約したプランが必要

羽田国際線ターミナルのハブ機能について考えている。はたして韓国・仁川空港からその機能を奪還することは、どうすれば可能だろうか?

ちょいと話は変わるが、AppleのCEOスティーブ・ジョブスが1996年、瀕死のAppleに復帰し(もともとジョブスはAppleの創業者。社内のもめ事で85年に追放されていた)、起死回生のために入れた大ナタはラインナップの大幅な整理だった。これまで何種類もあったパソコンを、縦軸にプロ仕様ーコンシューマー仕様、横軸にデスクトップ-ラップトップという軸を入れ、デスクトップはMacとiMac、ラップトップはiBookとPowerBookの、たった四つに集約してしまったのである。だが、これによって消費者は、どの商品を購入すればよいのかが明確になり、結果として、これがAppleを瀕死の状態からV字回復させていく契機となった。つまり、消費者たちに何を買えばよいのかを明確に示して見せたのだ。それは、言い換えれば、これまでのやり方は、顧客の個別のニーズに細かく対応したがために、むしろこれが仇になり、顧客がどれを選択すればよいのかをわからなくしていたということだったのだ。

ハブ空港の機能の復活のためには、こういったジョブス的な「機能の集約」「情報の集約」、つまりシンプル化が必須の条件になるのではないだろうか。だが、現在の「成田・羽田共存プラン」では、はっきり言って煩雑で、航空会社も利用客もその意図がわからないし、空港のインフラを用意する交通機関や宿泊施設も対策が見えない。だから、おそらくグチャグチャになる。わけのわからない見せや設備が乱立し、一方で乗客が混乱するだろう。ということは、一点に集約したソウル・仁川やシンガポール・チャンギのやり方には太刀打ちできないということになる(ちなみにチャンギの年間利用客数はシンガポール国内人口の三倍に達している。チャンギ空港は広大で、四つのターミナルがある。そして、なんとターミナル間を移動するためのスカイトレインが走っている)。

シンプルな三つのプラン

そこで、利用方法を集約し、シンプル化してハブ機能を復活するためのプランを三つほど提案してみたい。

その1:羽田一本化

一つ目は「羽田の一本化」だ。東京湾をさらに埋め立てて滑走路を増設し、全ての飛行機を羽田発着にする。当然、成田空港は閉鎖する。東京湾はまだスペースがあるので滑走路は確保できるし(海を埋め立てるか、D滑走路の一部みたいに海上に杭を打って、そこに板を並べるというパターンになるだろう)、24時間オープンというメリットがある。いや、なんと言っても都心が目と鼻の先にあるという条件は大きい。当然、国際会議が東京で開催されるなんてことが頻発するということが想定されるし、経済効果も大きいだろう。経費的にも滑走路とターミナル、そして整備地区の拡充だけなので、安くつく。

このプランの問題点は二つ。一つは米軍管制下の空域(羽田北エリア)での旅客機利用が可能となること。もうひとつは千葉県民を納得させることだ。後者の方は利権が大いに絡むので、もの凄く揉めることになるだろうけれど。(続く)

華々しく開講した羽田国際線

10月21日、羽田空港の滑走路(D滑走路)増設に伴い、羽田空港国際線ターミナルがリニューアル。世界17都市を結ぶ定期便が31日から就航することになった。32年ぶりの国際定期便の再開となるが、本来、国内=羽田、国際=成田という棲み分けがありながら、再び羽田空港を国際空港化するのには、周知のように「日本の空港のハブ空港としての地位回復」という狙いがある。

ハブ空港としての復活を目指して

現在、成田空港への航空会社の乗り入れ数は、韓国・ソウル・仁川空港の半分強。また、シンガポール・チャンギー空港にも水を空けられている状態で、ハブ空港としての地位をすっかり失っている。成田の国際的地位が低下した理由は二つ。一つは交通の便の悪さ。ハブ空港であるならば、まずそこに国内各地からいったん飛行機で乗客を集め、再び国際線に乗り換えるという機能を果たさなければならない。ところが、成田の場合、国内の乗客はまず列車で東京か成田にやってくるか、飛行機で羽田にやってきて、そこから移動するという必要=手間がある。前者の場合には、遠距離であれば成田近辺か東京で一泊する必要がある。後者の場合には羽田から成田まで移動する必要があるのだが、バス移動だけでも一時間半。だが実際には、これに飛行機の乗り降り、チェック・イン手続きが加わるため、結果として乗り継ぎ時間は4時間を超える。

こんなことならば、国内各地から仁川に飛んで、そこで乗り換えて世界各地に飛んだほうがはるかに利便性が高い。実際、国内各地から仁川行きの国際便を飛ばしている空港は多い。

ちなみに、地位低下のもうひとつの理由は、飛行機の離発着使用料が仁川に比べて高い点で、これで多くの航空会社が二の足を踏む状況を作り出している。

そこで、国内線が集結する羽田に国際定期便を用意すれば、これで問題解消ということになるというわけだ(航空使用料の問題はそのままだけれど。おそらくはこれはローコスト・キャリア=格安航空会社用のターミナルを増設することで対応するだろう)。それがめでたいかどうかはわからないが、とにかくメディアは新国際ターミナルの報道を一斉に行った。これで日本のハブ空港としての地位が復活するかのような勢いの報道が、この一週間ほど続いたのだ。

しかし、これは、いわばメディアの「ご祝儀報道」。事態はそんなに甘くない。

へっちい国際線ターミナル

ちょっと冷静にテレビの映像を見て欲しい。あのターミナル、かなり小さくないだろうか?羽田の国内線ターミナルののべ床面積は第一と第二をあわせて55万㎡。一方国際線のそれは16万㎡しかない。ちなみに成田は第一と第二をあわせて47万㎡。ここに、どれだけの国際便を持ってこれるんだろうか?増便したところで、あっという間に需要が供給を追い越してしまうことは目に見えている。

ただし、日本におけるハブ空港機能の奪還は至上命題。そこで羽田と成田が合体することで、これに対応しようというわけで、今後は成田の国際便もローコスト・キャリアの積極的な受け入れなどによって増便を目指すことを予定している。

何とも中途半端な構想

しかし、二つの空港には問題が山積している。まずは羽田。発着数がギューギューで、国際線を増やそうにも限度がある。また、羽田北の空域は米軍の管制下にあり、旅客機はこのエリアを使えない。一方、成田の方は、あたりまえの話だが、相変わらず都心からは遠いままだ。なおかつ深夜は使えないというハンディもある(だからこそ羽田の24時間営業が生きるというわけだが……なんだかなあ、という気がしないでもない)。

そう、よくよく考えてみるとハブ空港機能を奪還するという目的のためには中途半端なのだ。さながら九龍城のようにつぎはぎ、つぎはきのプランで、統一した理念が全く感じられない。いや、さらによく、そして冷静に考えてみると、これは「羽田にちょこっと国際線が発着するようになっただけのこと」ではないのか。そんなふうに見えないのは、単にメディアが大々的に報道しているから。僕には、どう見てもそう思えるのだ。言い換えれば二つの空港の根本的欠陥(羽田=海外に飛べないこと、成田=交通の便が悪くて乗り継ぎがやりづらいこと)は、そのまんまなのである。

では、どうするべきか?(続く)

同じ音楽をやっても収入が全く違う

ロック・ミュージシャンとジャズ・ミュージシャン。同じ音楽をやっているのに収入が全く違う。知名度はそんなに差がないのに……これはなぜか?

こういった知名度と所得の格差が生じるのは、要するにロックがビッグ・ビジネスであり、一方のジャズがそうではないからだからなのだが。ただ、それだけではないだろう。たとえばロック・アーチストのバックで演奏するミュージシャンたちは、どんなに有名であってもロック・アーチストよりもはるかにギャラが低い。しかし、このメンバーとレコーディングをしているようであれば、そのアルバムはロッカー単独の努力によるものではない。ミュージシャンの力もあるし、当然プロデューサーの力もある。ただし、そのほとんどをロック・アーチストが巻き上げるのだ。

こういった格差は実は恣意的に決定されている。アルバムならロッカーはさしずめボーカルをやるか楽器の一部を担うだけだ。しかし、その名前がアルバムのタイトルに冠せられれば、それは彼らの取り分となる。あたりまえと思うかもしれないが、これはわれわれがあたりまえと思わされるようになってしまったからそう思うわけであって、アルバムやライブというのは、いわば総合芸術であると言うこと考えれば、これは明らかにおかしいことなのだ。

メディア論的には、これは「あり」~イメージとしての音楽

しかし、メディア論的に考えなおしてみれば実はそうでもないといえないこともない。というのも、なんだかんだ言っても音楽産業はビジネス。そしてそのビジネスを成立させるためには、これをメディア的に引き立たせるためのメディアが必要。ということは、タダ音楽を流しているだけでは訴求力が弱いのだ。

そこで最も注目されるボーカルに焦点を当て、これを中心に音楽を売り込むことで、聞き手の方に音楽から浮かべることが可能なイメージを創り出す。さらに、これにルックスが良ければ一層音楽とイメージが一致する。こうなると音楽というのは突然「わかりやすいもの」に変貌するのだ。そう、結局われわれは音楽を聴いているのではなく、音楽とその周辺を含めて楽しんでいる。そういう意味ではイメージとしての音楽を聴いているのである。

一方、ジャズの方は、純粋に音楽の部分の他にはほとんど訴求力を持つメディアがない。とりわけ歌詞がないので、意味としてもイメージしづらいというハンディを持つ(ちなみにアーティストも”おっさん”で、ビジュアルとしては精彩を欠く)。

そして、こういった音楽が備える音楽以外のものがモノを言う時代が情報化時代だ。80年代に入りMTVが登場。音楽とビデオ・クリップが一体化するようになると、音楽は完全に「見るもの」ということになった。そして、そのイコンがKing of Popことマイケル・ジャクソンだった。マイケルの、あの「奇声」が世界を席巻するためには、“スリラー“というべらぼうに費用をかけたビデオクリップと、そこで展開されるダンスが必要条件となっていたのだ。よくよく考えてみれば、マイケルの本当によく知られた曲は少ない。マイケルが死んだときに追悼として歌われていたのは”Beat It””Thriller””Bad””Human Nature”くらいしかなかったのは、いかにマイケルが「見る音楽」であったかを象徴する。

さてこうやって考えてみると、記号的にキャッチーではないジャズというジャンルは、今後ますます立場が悪くなって行くとことが考えられる。総合芸術としての音楽が一般化する中、純粋に音楽をやっているようなジャズは「イケてない」のだ。

でも、貧乏なまま細々続く

とはいってもジャズがなくなることはないだろう。音楽のレベルが非常に高いと言うことが、その担保になっているからだ。言い換えれば音楽としての奥行きが深い。だから、音楽がもの凄く好きで、自らも演奏するようなリスナーたちが支持し続けるだろう。ただし、それは、いわゆる「オタク」の趣味として。

ジャンルで違うミュージシャンのギャラ

「ロックで一発当てればスーパースター」
こういったアメリカン・ドリーム的な感覚をわれわれは共有している。古くはイギリスで労働者階級出身のビートルズがそうであったように。もちろんこれは、言葉の語源であるハリウッドでも同じ。たとえば、70年代半ば、シルベスター・スタローンはその典型で『ロッキー』一作でハリウッドのスターダムに上り詰めた。

そして、こういったスーパースターは巨万の富を得るわけなのだが……ところがほとんど同じことをしながら相変わらず貧乏のままという人間がちょっとジャンルを換えるだけで登場する。つまり「スーパースター的に知名度がありながら貧乏なまま」という人たちが存在する。音楽の世界で、その典型はジャズ・ミュージシャンだ。

スーパー有名なスーパー貧乏

名前が知られているけどド貧乏生活を強いられたジャズ・ミュージシャンは山ほどいる。チャーリー・パーカーは晩年(といっても三十代前半なのだが)、後輩やクラブのオーナー、果てはファンにまで物乞いしていた。バド・パウエルは穐吉俊子などの他のミュージシャンの家を泊まり歩いた。セロニアス・モンクはやはり晩年、マックス・ローチ宅の居候だった。トゥーツ・シールマンスは彼をレコーディングセッションに呼ぼうとしたプロデューサーがニューヨークの街中を探すことになった(シールマンスはホームレスだったのだ)。チェット・ベイカーはドラッグ欲しさにストリート・ライブを敢行した。ジャコ・パストリアスはニューヨーク・イーストビレッジの道端で自分のレコードを売っていた。まあ、枚挙にいとまがない。

マイルスもたいして金を持っていなかった

ジャズの帝王、マイルス・デイビスも例外ではない。マイルスはケチな性格でも有名だったが、自宅の電気料を払わないので電気を止められていたなんてことがあった。また、ギャラにこだわったのだけれど、これもジャズの世界では破格であったものの、中堅のロック・ミュージシャンに比べるとはるかに安い値段だった。マイルスについては、あれほど有名にもかかわらず、それほどでもない生活だったのだ(だから死ぬまで物欲がマイルスの周りをうろついていた)。彼らは、ジャム・セッションを延々繰り広げることで日銭を稼いでいたのだ。こうなるとジャズをやるのは「アート」とか「楽しいから」というのとはちょっと遠いという感じがしないでもない(身体売っているのに近い?)。

チック・コリアのライブがタダ同然

2003年のこと、ワシントン在住の友人からこんな下りのメールが来たことを良くおぼえている。「いや、ワシントン。最高っすよ!ちっこいライブハウスでチック・コリアのライブが15ドルくらいで聴けちゃうんだから。日本だったらヘタすると十倍くらいはとられるんだから。ありえないよね!」

ちなみに、彼らジャズ・ミュージシャンにとって、日本はとても”よいところ”だった。というのも日本ではジャズは「ステイタス」。だから、ニューヨークで日銭を稼いでいるミュージシャンが、ここにくるとVIPとして迎えられるからだ。チェット・ベイカーは日本に来日した際、彼は日本を大いに気に入ったという。普段は安宿に泊まっている身分が、日本でもピンのホテルがプロモーターによって用意されていたからだ。しかもライブの後は接待があって、文字通りVIP。こんなベイカーみたいな経験をしたジャズ・ミュージシャンは多く、だから毎年のように来日する者も現れた。

マイルスにビビったジミ・ヘンドリックス

以前にもこれはブログで紹介したが、エレギ・ギターのカリスマ、ジミ・ヘンドリックスはマイルスと親交があった。というより、ジミのギター奏法に興味を示したマイルスがジミを呼んだのだ(マイルスは60年代末エレクトリックに傾倒したのだが、積極的にギターを取り入れている。しかもジミっぽく)。現在ではどちらも巨人というイメージなのだが、当時、二人のライブでの集客能力は圧倒的な差があった。マイルスの集客力は、まあコンサートホールを満杯にできる程度。一方、ジミの方はホールではとてもまかないきれず、野外にライブステージを設置し、数万人規模でやれるほどの集客力を有していた。(その典型は、ご存じ「ウッドストック・フェスティバル」だ)。

となれば、知名度的には当然マイルス<ジミということになるわけで、この力関係からすると呼びつけるのはジミの方、呼ばれるのがマイルスの方ということになるはずなのだが。やって来たのはジミの方だった。しかもジミ自身が「格下」であるということを自覚した状態で。マイルスはロッカーではないがアーティストとして、プロたち、つまりアメリカのミュージシャンの間ではすでに神格化さていた存在。だからジミは尊敬するマイルスに呼ばれて恐縮の至りと言うところだったのだ。楽譜を読めず、完全独学のジミはマイルスの前でびびりながら演奏を披露して見せた。それに対してマイルスは「おまえのやっていることは正しい」と言ったらしい。
ちなみにこういった関係、80年代にはマイルスとプリンスの間に生まれるのだが、やっぱり、プリンスが格下だった。

そう、音楽の世界で、カネと名誉は比例しない。(続く)


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