勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2010年08月

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(路にはみ出すバー。タイ人と欧米人がごちゃまぜ)



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(歩道にはみ出すマッサージ。店内左は今年流行のフィッシュ・スパ)



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(Tシャツ、今年のニューモード)



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(ビール缶でつくられたトゥクトゥクのおもちゃを物色する欧米人の子ども)


通りを歩くことが、できない

タイ・バンコク・カオサンの賑わいは、カオサンという安宿街をバンコクでも知られた観光地にまで押し上げるようになった。そう、賑わい見たさ(ファラン=白人が闊歩していることがファッショナブルに思えたこともある)に、ここにタイ人の若者たちが押し寄せるようになったのだ。だから、レストランやバーは必ずしもバックパッカー向けというわけではなくなった。店の中を覗いてみれば、半数以上がタイの若者。こういった風景がごくごく一般的なものになったのだ(さすがにゲストハウスに宿泊するタイ人はまだまだ少ないが)。そんな中で、周辺を構成する店舗もどんどんと変化している。

企業経営の店舗が増える

以前あったのは、まず民家(80年代終わりくらいまで)。あるいはこれをゲストハウスに改造したもの。そして、やはりこれを改造したバーやレストラン。さらに旅行代理店、そして何故か銀製品屋と仕立屋(当然インド系の経営)。だがレストランやゲストハウスは、次第に企業が展開するようになる。そして、90年代後半からはコンビニがオープン。一方、かつてはかなりの数に上った銀製品屋が減少。代わってインターネット・カフェやクラブが建ちはじめる。前者はバックパッカー向け、後者はどちらかというとタイ人若者向け。2000年以降はマックやスタバと言ったファースト・フードも進出した。さらに各国料理も充実していく。イスラエル、インド、ネパールなど。本格的なピザ釜でピザを提供するところも登場。気がつけばカオサンは、世界のどこなのか、わけのわからない”インターナショナル・プレイス”へと変貌していた。

飲食物以外のものもいろんなものが登場している。マッサージ店は路上にベッドを堂々と置き営業している。昨年にはiStudioというアップルの製品を専門的に扱う見せもオープンした(一年持たなかったが)。ちなみに今年の旬はFish Spaだ。マッサージ屋が店の前に小魚の水槽を置き、客がこれに足を入れると、魚が皮膚表面の老廃物を食べてくれるというエステで、その珍しさで結構、流行っている(まあ、これはまさに”流行り物”。三年後には、もうないな、これは)。

ネカフェが減少

一方、減少が顕著なのは、なんとインターネット・カフェ。95年に初めてネカフェが登場して以来、カオサン通りにはどんどん増殖していったのだが3年ほど前にその増加がストップしたかと思うと、今度はどんどんなくなりつつあるのだ。その理由は簡単。これが商売としては成り立ちづらくなったから。

メールやIP電話などの需要もあって、90年代後半以降、バックパッカーにとってインターネットという存在は欠かせないものになった。ただし、当時はまだインターネットに関するインフラは整っていない。パソコンも標準ではネット対応でなかったし、回線も電話回線で非常に遅かった。もちろんWi-Fiなんてものもない。しかし電話や手紙に代わるメール、そしてネット回線を使った格安のIP電話という手段は極めて便利。それゆえ、バックパッカーが連絡手段としてネットを早くから選択したことは極めて当然の成り行きだった。だからカオサンについたら、まずネカフェというスタイルが定着していた。

しかし、ネットのインフラがここ数年で充実。その波は当然カオサンにもやってきた。ゲストハウスやカフェでWi-Fiを配置したところが現れただけでなく、タイのプロバイダ(Trueなど)と契約して気軽にネットにアクセスすることが可能になったのだ。あっちこっちでフリーの電波を飛ばしているところも(通称”野良電波”)。となるとネカフェ自体が、公衆電話的な立ち位置に立たされることになった。つまりケータイの普及で公衆電話が減少したように、Wi-Fiなどのネット環境の充実でカフェもまたその存在根拠を失っていったのだ。

屋台や露店も変化した

路上の屋台も同様だ。当初合ったのはパッタイ、ソーセージ・春巻き、フルーツなど。ところが、これにカクテル、シェラスコなんてのも登場した。タイ人向けのイサーン屋台(ソムタム、ガイヤーン、サイクロ・イサーンなどタイ東北地方の料理を提供する)、さらにはこれもイサーンものなのだがタガメやイナゴ、芋虫などの虫(食用)を売る屋台まで。虫屋台は最近では欧米旅行者にも「ゲテモノ・チャレンジ」の感覚で、結構トライされている。実は昨年、僕のゼミ生たちが、虫屋台で購入したいろいろな虫をカオサンにいるバックパッカーたちに食べさせてみるというビデオを作成したのだけれど、かなりの欧米人が快く協力してくれた。

そして今年ホットな新しい店は、なんと日本料理店なのだ!(続く)

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(95年、新たに建設されたホテル並のゲストハウスD&D Inn。通りがまだ閑散としている)



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(現在のD&D Inn周辺。上写真を15年後に反対方向から写したもの)


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(夜のカオサン通り。屋台や露店が道路の真ん中にまでせり出している。衣類の衣紋掛けは路に面して垂直に置かれている。人が通れるのは2メートルくらいの幅しかない)


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(狭くなった通りをプラカードを持ち客引きする従業員。通行の邪魔になる)


世界最大の安宿街、カオサン

バックパッカーが集う世界最大の安宿街、タイ・バンコク・カオサンに今年もやって来た。僕は毎夏ここでフィールドワークをしている。最初にカオサンを訪れたのは28年前だが、調査を始めたのは95年から。カオサンは九十年代から安宿街として急激な発展を遂げたのだが、その変遷を見続けてきた。僕が調査を始めた頃から安普請のゲストハウスの中にちょっとしたホテル仕様のゲストハウス(D&D InnやKhaosan Palaceなど)が建ちはじめ、さらにこじゃれなバー(Gulliver、Susie Pubなど)がオープンし、通りに露天や屋台が増え出して……そうこうするうちにカオサンはどんどんごった返すようになる。訪れる人間ももはやバックパッカーよりタイ人の若者が圧倒的多数を占めるようになり、 バンコクでも有数の歓楽街になってしまった(この辺は青山や、六本木、麻布がかつて外人が多かったことからファッショナブルな空間と認識され、日本人の若者が押し寄せたのと事情が似ている)。

その発展は終わることがない

去年あたりから、そろそろ成長が止まったかな?と思えないこともながったのだが、やはり、よくよく見てみるとカオサンの勢いは留まることを知らない。

通りが店でいっぱいになってしまったのは2000年頃だが、それ以降は、この店の様式が変わるというかたちで変容を見せ始める。いかにも安宿っぽいゲストハウスが密集していた地域が一掃され、ここに起業家たちによる大型の中級ホテルっぽいゲストハウスが建設される。屋上にプールを設置したり、室内をビジネスホテルふうにしたりという、バックパッカーが宿泊するにはちょっと不似合いな空間が次々と出来ていった(もちろん、これにあわせて宿代も1000バーツ(2700円)くらいになってしまったのだが)。レストランやバーも同様で、より大型でファッショナブルなものが林立するようになる。街は、さながら歌舞伎町の様相を呈するようになったのだ。

要するにスクラップアンドビルドが繰り返されているのだが、ここ一二年、また新しい傾向が見え始めている。それは……屋台が通りいっぱいに広がりつつあることだ。それ以前、屋台は道路脇に、昼過ぎくらいから露天と並んで設営されるという感じだったのだけれど、もうそこもいっぱいになってしまった。そこで、カオサンが午後四時から自動車通行止めになることを逆手にとって屋台が道端に建ち並びはじめたのだ。

フルーツ屋台やパッタイ(タイ風焼きそば)屋台が、なんと道の真ん中で店を開いている!Tシャツ屋も陳列する物干しを道に対して平行ではなく、垂直に置いてある。だからカオサン通りが「通り=道」ではなく「通路」「廊下」になってしまった。しかもくねっている。で、通りを闊歩するタイ人やバックパッカーは以前にも増して増えて……その結果、夕方以降、通りは常に渋滞状態。しかも、この狭い通路にプラカードを持って売り込みをやっている連中が立ちはだかる、いや物乞いまでいる始末。四年前「夜、カオサン通りを西から東まで全力で駆け抜けたらどれくらい時間がかかるか」という企画を、僕の学生たちがやったことがある(迷惑な企画ではあるが)。この時は「走りづらい」というのが、これを企画する動機になっていた。いいかえれば、まだ当時は夜でもカオサン通りをそれなりに「走る」ことは可能だった。もし、今、こんなことをやったら、人にぶつかるわ、屋台にぶつかるわということになってしまうだろう。

とにかく、カオサン通りは”ぎゅうぎゅう詰め”なのである。僕は「これじゃあこの先やることはないな」と思ってしまったのだが……いやいや、カオサンのこと。来年ともなると、また新しいアイデアで街そのものが変わっているというふうに考えた方がいいのかもしれない(事実、毎年そう思ってきたのだが、常にこれを裏切られてきている)。カオサンという空間を巡る人々の欲望は、果てしないのだ。(続く)

コピペはダメよ!

「ウィキペディアは匿名の人間による寄せ書きなので信用がおけない。ちゃんと辞書・事典を引くべきだ」という俗説について考えている。前々回は、これが根拠のないものであること。つまり信用性がウィキの問題ではないこと、一方、前回はウィキ使用にあたっての問題点が利用者側にあることを指摘しておいた。だがウィキの問題点は他にもある。それは本ブログの冒頭にあげた「そっくりそのままのコピペ」という行為だ。情報をほとんど編集していないわけで、これではいけない。こんなことやっていたら、バカの拡大再生産になってしまう。では、こうやって入手した情報をどのように編集するのか(但し、この際「収集された情報はそれ自体は適切なもの」という前提で、情報それ自体の真偽は問わない。これも、別のエピソードを使って説明してみたい。

奥田民生的な辞書編集術

ミュージシャンの奥田民生は、かつて女性ユニットPuffyのために『これが私の生きる道』という曲を書き下ろしたことがあるのだが、これが他の曲の引用、つまりほとんどビートルズのパクリで構成されていた。冒頭は『恋する二人』、そこから『涙の乗車券』『デイ・トリッパー』『P.S. I Love You』と続く。ちなみにそれ以外の曲もちょこっと入っているのだが、それはサビの部分。60年代末の日本のグループ・サウンズブームでワイルドワンズが歌っていた『バラの恋人』(安井かずみ作詞、加瀬邦彦作曲。一時加入していた渡辺茂樹のボーカルがフィーチャーされていた)のサビの部分がほとんどそのまま使われている。

まあ、こうやってみてみると、奥田民生のこの曲はウィキの内容やサイトの情報をつぎはぎしてコピペしたというのと同じ、つまりビートルズ=ウィキとその他のサイト=加瀬邦彦をパクったというわけで、その意味では「とんでもない!」と言うことになる。ところが、この曲を聴いてみると面白いのは、奥田民生ファン、いや一般のわれわれリスナーにとっても、これはビートルズの曲ではなくて、あくまでも「奥田節」にしか聞こえないところだ。つまり、ほとんど全部がパクリであるにもかかわらず、極めてオリジナリティが高い。そして大ヒットした。言い換えれば、既製品だけでオリジナルを作ることが出来てしまう奥田という人間は才能の面で「とんでもない!」のである。

ちょっと話が全然関係のない方に飛んだように思われるかも知れないが、そうではない。事典やウィキの使用方法というのは、実はこういった奥田的な使い方をすることが正しいと、僕は言いたいのだ。つまりレポートや論文の書き方、構成の仕方というのは、こういうふうに奥田的にやるものだ、と。ウィキや他のサイトに掲載されている情報の有用なところをコピーし、これを組み合わせる。それによって、全く新しい立論を組み立てる。その組み合わせの妙が、実はオリジナリティになるのだから。

だから、僕は、たとえウィキからの引用であったとしても(そして辞書・事典からの引用であったとしても)、これが適切に用いられ、自らの立論のためのツールとして適切に機能していれば、つまりオリジナリティに昇華していれば全く問題はないと考える(ただし、レポートや論文の場合、もちろん引用であることを示す必要はあるが)。当然だが、学生たちがレポートでたとえウィキを引っ張ってきても、これが自分の論の展開としてうまく組み合わされていれば、僕はちゃんと評価する。それは部分と部分をつなぎ合わせたものではあっても、実質的には別のものと判断されるからだ(こういうふうに作られているのはコピペと見抜くのが難しい。つまり教員が見事にダマされるほど芸がすぐれているというわけだ)。いや、考えてみれば、今や、こういったスキルこそが求められているのではないか?

結局、辞書もウィキも同じ。要は受け手の使い方で決まる

だが、この手続き。よくよく考えてみれば、レポートや論文の書き方と全く同じであることがわかるだろう。論文は、勝手な思いつきをつれづれなるままに書く散文=エッセイではない。既存の先行研究を踏まえつつ、それに新しい視点を一つ、あるいは二つといった具合に追加するもの。ということは「ウィキの引用それ自体を否定する」という、今回のブログの冒頭にエピソードとしてあげた大学教員の姿勢は、そのまま論文という文章の形式を否定するとことになってしまうのだ。

辞書・事典であれウィキであれ、これを高度な「辞書リテラシー」を持って使いこなすこと。そのためにウィキという検索サイト、そしてGoogleという検索エンジンは格好の情報化時代のツールであると、僕は断言する。少なくとも辞書よりはフレキシブルなのだから。ということは、教育機関がやるべきことは、図書館の使い方や辞書の使い方を教えるように、こういったネットの使い方もまた教えることであることは、いうまでもないだろう。

でも、なんでやらないんだろう?

事典もウィキも、問題はその使用法にある!

「ウィキペディアは匿名の人間による寄せ書きなので信用がおけない。ちゃんと辞書・事典を引くべきだ」という俗説について考えている。前回は、これが根拠のないもの、そしてウィキが市販の辞書と同様の信憑性(言い換えると、”同様の疑わしさ”)を備えていることを指摘しておいた。ではウィキの使用は、どこが問題なのか?(それはくどいようだが、こちらも言い換えれば、辞書の使用は、どこが問題なのかという問いでもある)。

僕が言いたいのは、コピペという行為も含めて、こういった事典やウィキの使用の際に発生する問題のほとんどは、それを使用する側にあると言うことだ。事典だって、ただ引用して並べてあるだけなら、それは結果としてウィキのコピペと何ら変わるところはない(論文やレポートでは事典の内容を並べればいいと考えている学生がしばしば見受けられるが、この態度はウィキをコピペすることとまったく同じ。いや、権威主義的な分、こっちのほうがタチが悪いかも知れない?論理学者の戸田山和久は『論文の教室』(NHKブックス)の中で、学生たちのこういった辞書の項目でレポートや論文の文字数を稼ぐという蛮行を「広辞苑攻撃」と呼んでいる)。

つまり、どちらも完全には信用がおけないわけで、これらを利用する側としては、これをどう適切に使いこなすかと言うことが常に課題として課されているのだ。市販の辞書であれウィキであれ、こういった、辞書を使いこなす能力が必要。いうならば「辞書リテラシー」が求められている。つまり、辞書とは「たかが、されど」という立ち位置で関わり合い続けること、言い換えればこれを完全には信用しないこと。そして、辞書であれ、ウィキであれ、あるいは他の情報源(他の文献やGoogleから引っ張ってきたサイトの情報)であれ、これらを横断的にチェックすることで情報の正確性(厳密には、本人にとっての有用性)を確保すること。こういった心性とスキルを養成する必要があるのだ。

辞書リテラシーを突っ込んで考えてみると?

そう考えるとレポートのコピペや事典の丸写しなんて言うのは最もレベルが低いということになる。お手軽であるだけでなく、その内容について全く疑義を挟んでいないのだから。どちらにしても、これらの項目は、あくまで「自らの立論のための道具」として使いこなす必要があるのだ。では、どうやるか。次にその使いこなしについて考えてみよう

最高のコストパフォーマンスを誇るリゾートホテルをサイトからの検索だけで予約する~ウィキペディアの信憑性を確認し、適切な情報を確保する方法

まずは、情報の信憑性をどう確認すべきか。これを、考えてみる。ただし、別のエピソードを用いて。

あなたが、例えばタイのプーケットにリゾートに出かけるとして、予算やニーズに応じた最高のリゾート・ホテルを、それらを直接見ることなく探したいと思ったらどうすればいいか。

かつてだったらガイドブックにあたる、旅行代理店に評判を聞くといった方法が考えられた。しかし、これはかなり不正確だ。前者はあちこちのリゾートを少しづつしか紹介していないので、実態が掴めない。写真が掲載されていても、多くても三枚くらいだ。一方、旅行代理店の場合は担当者に尋ねるわけだが、これはあくまでも個人情報、つまり口コミ。また、そのホテルに泊まらせてマージンを稼ぎたいという考える場合もしばしばある。だから、情報は個別的なものでしかない。

ところが、これをネットを使って調べればかなり正確に望み通りのものを見つけることが出来る。まず目的先のリゾートが一覧されているようなサイトにチェックに入る。典型的なのはTrip Advisorだ。ここは複数のホテル予約サイトをとりまとめたサイトで、予約サイトごとの価格比較などが掲載されている。で、ここから自分のニーズに応じたリゾートを見つけたら、今度はレビューをチェック、さらにはリゾートのオフィシャル・ページや他の予約サイトの映像、レビューに進む。これを検索するのはもちろんGoogleだ。

さらに、他のサイトのレビューをチェックし、またオフィシャルサイトの画像などもチェック。ここで、基本的な情報を収集するだけでなく、何が強調されていて魅力なのか、あるいはこのリゾートには何が欠けているかも調べる(このあたりはメディア・リテラシーを要求されるところだが)。例えば部屋の写真にバスタブが掲載されていなければ、その多くは、実際ここはシャワーだけだと言うことになるし、プールが映っているが、ビーチといっしょに映っていなければ、それはビーチフロントにはないリゾートと言うことになる。

こうやって、あちこちのサイトを横断し、適切な情報を判断した後に、もっともコスト・パフォーマンスの高いサイトに予約を入れるわけだ。

ウィキの情報利用法もネットでのリゾート探しと全く同じ

さて、こういった「望みにピッタリのリゾート探し」のやり方。実は、ウィキの情報を利用するやり方と全く同じだ。つまり、ある項目を知りたかったら、まずウィキにあたる。そうするとその項目についての情報が一覧的にウィキには掲載されている。上のサイトの例で言えばウィキはTrip Advisorにあたる。また関連項目が青色でリンクされているので、こちらもチェックを入れる。一方この信憑性を確保するために、他のサイトをチェックするのだけれど、これにはリゾート探しと同様にGoogleにあたる。そして、それらの情報との整合性を考慮し、情報の適切性を吟味する。こうやって、結果としてその項目に対する最適な情報を入手するというわけだ。

かつて、まだネットがなかった頃、僕はリゾートにいくときには、初日は安ゲストハウスに宿泊し、その間にバイクをレンタルしてリゾートを見て回るということをやっていたが、今やこんなことは全く必要がなくなった。そして、こうやって足で調べるよりも、前述したようなネット・サーフィンで検索したほうが「当たり」が多い。

ということは、ウィキ、そしてネット検索というのはバカにしたもんではない。いや、それどころか、極めて優れた検索手段と言えるのではなかろうか?(続く)

レポート簡単仕上げのツール・ウィキペディア

ウィキペディアは大学教員泣かせのツールだ。というのも学生にレポート課題を提示したときに、ある程度の学生たちが、ここからそっくりそのままコピペし、それを提出するからだ。レポートを何枚か読んでいるうちに、全く同じ字面が見つかると、それはまず間違いなくウィキのコンテンツからのコピペだ。当然、本人はなんの努力をすることもなく(コピペしたという努力を除き)、単位を得ようとする「姑息」な行為ゆえ、見つかった瞬間「こりゃカンニングと同等の行為」と見なし、即刻不可にする。

ウィキからのコピペの場合、「そっくりそのまま」は簡単に発見できる(当然ながら、こっちも、あらかじめ課題内容についてのウィキのページをチェックしているので)。また、部分引用というか、部分と部分を貼り付けたようなものは、レポート内容の構成がいびつになるので、これも発見することはそんなに難しいことではない。最近は、コピペを発見するソフトも開発されたらしい。

「事典が正しくウィキは信用がおけない」という神話

こういった「手抜き行為」に警鐘を与えるため、大学教員はしばしば次のような指摘を学生に行うことがある。

「ウィキペディアは専門でないような匿名の人間が書き込んで出来上がっている事典なので、内容に偏りがあったり、事実誤認があったりして信用がおけない。だから、こんないい加減なものは使わないで、ちゃんと辞書、事典をひきなさい」

まあ、手を抜かれたくないためのもののイイであることはわかるのだが(そして、教員の多くが本気でこういうふうに考えているのだけれど)、果たしてこの「もののイイ」は本当だろうか?

僕は、こういった指摘の適切性は20%くらいだとかんがえている。つまり、むしろウィキは正確で役に立つという立場に立つ。そして、われわれはこれを有効に活用すべきだとも考える。

こういった「もののイイ」がおもしろい、というか完全に見落としているのは「辞書もまた正確性に乏しい」という事実だ。とりわけ事典、とくに専門分野のそれは結構、イイカゲンとかんがえてもいいだろう。僕の研究分野は社会学なので社会学事典や社会学文献事典をよく紐解くことがあるが、すごくわかりにくい。端くれではあるが、自分も社会学者の一人。社会学の基本的な用語くらいはフォローしているつもりだが、その僕が見ても何が書いてあるのかさっぱりわからない解説が多々見られる。これが学部生だったら全くわからないだろう。実際、僕は学部時代、有斐閣の『社会学事典』をよく使っていたが、ぜんぜんわからなかったという記憶がある(ちなみに、今見ても「なんじゃ?この解説は?」と思わせるものが多い)。項目の解説に社会学の別の専門用語が登場。これがわからないので、今度はこっちを引いてみると、それもまた別の専門用語で説明されていて、ではその専門用語を……ってなかんじで、ほとんどお役所のたらい回しみたいなことになった。実は僕も事典の項目を執筆したことがあるのだけれど、かつて自分の書いたものを今見ていると、ちょっと恥ずかしいなんて思ったりもするのだ。

ウィキペディアも辞書=事典も正確性はあまり変わらない?

それに比べるとウィキの文章はわかりやすい。たいていは一般の人間にも理解可能な普通の文章で綴られている。また専門的な辞書にあるようなこういったループに陥ることはほとんどない。主要な関連用語にはリンクが張られ、そこに飛べばその内容も理解できるようになっている。

情報の正確性はどうだろう?僕は、これも結構バカにならないと思っている。執筆されたものが疑わしかったり、明らかな偏りがあったり、あるいは誹謗抽象的な内容が掲載された場合には異議が唱えられ、場合によってはその項目に関する掲載が中止されることもある。また、こういった使用者の間での不断のチェックがはいることでジェームス・スロウィッキーが指摘するような「みんなの意見は案外正しい」という集合無意識が働きもする。つまりなんだかんだやっているうちに何度も修正が加わり、結構正確なものになっていく。

ということは、よくよく考えてみれば市販の事典よりはるかに便利だったりするのだ。そして、さらによくよく考えてみれば、この正確性、市販の事典と大して代わることはないのではないか?表現を変えれば市販の事典もウィキと同じくらい不正確と考えられるとうことになるのではなかろうか。こういった立ち位置を取れば、不用意に事典の内容を信じ込むことは、ウィキを信じ込むのと同じくらい危険。つまりただの権威主義と言うことにならないだろうか?

では、ウィキの使用では、何が問題なのだろう?(続く)

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