勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2010年06月

iMacも結局はパソコン・ユーザーにとっての魅力を喚起しただけ

iPadがコンピューターマニア、ビジネスユーザーだけでなく、パソコンに疎い層に食い込む可能性について考えている。

さて、iPadはまさにこの”Think Different”(違った視点から考えよう)と”The Computer For the Rest of Us”(私たちの中の残された者・部分ためのコンピューター)というアップルのコンセプトの延長上にあるもの、いや、さらにこの理念をドラスティックに一歩前進したものと捉えられるのではなかろうか。そして、それこそが今回の特集で僕が取り上げたいと思っていることなのだ。

98年、iMacは確かに既存のパソコン・ユーザー以外の購買層を掘り起こすことに成功した。しかし、そのインターフェイスは結局のところ”パソコン”というカテゴリーの域を出てはいない。キーボード、マウスがあり、ソフトウエアを購入してインストールするという点ではウインドウズもマックも変わるところはないからだ。だから”The Computer For the Rest of Us”を必要とする利用者層の掘り起こしは限定的なものに留まった。そして、もはやいうまでもないが、こうやって取り残されたのが高齢者、子供、そしてパソコン操作があまり好きではない女性層だった。そして、今回これを取り込もうとしているのがiPadということになる。

iPadこそ”Computer For the Rest of Us”

さて、今回の特集の冒頭に示した高齢者にとってのiPad(僕の母も含めて)を考えてみよう。実に操作が簡単で、そして結局、一般の人間がパソコンでやりたいことのほとんどがこれですんでしまう。いや、それだけじゃあない。ピンチ・イン、つまり親指ともうひとつの指を使ってディスプレイを押し広げたり、タップしたりすれば画面は自動的に拡大するわけで、これだったら老眼鏡を使用しなくてもディスプレイを見ることが出来る。ようするにコンピューターの操作方法がぐっと一般向けにすり寄ったかたちがiPadなのだ。(続く)

12年前、瀕死のアップルが打った起死回生の戦略


かつて、企業としては瀕死の状態になったアップルは、97年の創業者・S.ジョブスのアップルへの復帰とともに大胆な方向転換を行った。それが、あのサクマドロップみたいなiMacであったことは記憶にある人間も多いだろうが、それよりもっと印象的だったのは販売に向けた広報戦略でのキャッチコピーだった。そのひとつは”Think Different”、そしてもうひとつが”The Computer For the Rest of US”だった。

Think Differentの真意


前者は、ようするに「違った視点から考えてみよう」ということで、広告にはクレージーで異端でありながら世界を変えていった人たちをリスペクトしたかたちで、そのポートレートを大々的にフィーチャーしたポスターやCMが流された。ガンジー、ジョン・レノン、ピカソ、キング牧師、ヒッチ・コック、ジム・ヘンソン……。直接的にアップルの商品とは関係のない人物が次々と紹介されたのだ。

この広告の真骨頂のひとつは、投げかけるメッセージそれ自体をアップルが踏襲していると言うことだった。こういったリスペクトする人物それ自体はアップルの商品と直接的には結びつかない。それどころか取り上げられた人物の中にソニーの会長・盛田昭夫が連ねられていた。ライバル企業のヘッドを褒め称えるという視点がまさにThink Differentだった。


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(スピーチの中でソニーの会長・盛田昭夫を讃えるジョブス)


もうひとつはこのキャッチ・コピーが文法的に間違っていると言うことだった。Thinkは動詞なので、この修飾語は副詞でなければならない。つまりDifferentlyが正しく、だからキャッチコピーは”Think Differently”とすべきなのだ。ここを敢えて形容詞のdifferentを用いたのだ。これはジョブズが文法的な問題より音の響きが大事と主張し(この広告戦略にはジョブズが全面的に関わっている)、文法の間違いよりこちらを優先したのだ。まさに「違った視点から考えてみよう」を地でいっていたのである。

Think Differentの現実化としてのFor the Rest of Us


そしてThink Differentの実践としてリリースされたのがiMacだったのだが、この時のサブキャッチこそがThe Computer For the Rest of Usだった。これは「違った視点から考えてみよう」をコンピューター(この場合にはパソコン)にも当てはめてみると言うこと。そしてこのコピーは直訳すれば「私たちの残りにとってのコンピューター」ということになるのだけど、これまたこの言葉にも美的な二重の意味が付与されている。

一つは「ウインドウズ・パソコンを使えない取り残された人々にとってのコンピューター」という意味。つまりウインドウズ・パソコンは使いづらくて、一般の人間が取っつきにくい。でもiMacなら簡単だからこうやってパソコン無縁の人々=The Rest of Usにも大丈夫だよというメッセージだった。

これは具体的にはまず例のサクマドロップ型のデザインに反映された。初代のiMacには、マシンの周囲に全くジャックが見あたらない。もちろん実際にはあるのだが、これらはフタがされており、外から直接は見えないようになっていた。またデザインもそれまでのパソコンの基本である四角い筐体とベージュ色を廃してドロップ型で透明なカラープラスチック(二世代目からは五色のバリエーションが登場する)になっていた。さらに細かい手続きを必要とせずインターネットに接続可能であることもCMで売り込んだ。これは要するにパソコン=機械からパソコン=インテリア、そして事務処理機械からインターネットブラウズを中心としたエンターテインメント・マシンという図式へのシフト=Think Differentだった。


(初代iMacのCM。外観の美しさとインターネット接続の簡便性がアピールされている)


そして、もうひとつのFor the Rest of Usは既存のウインドウズ・ユーザーの中にある「私たちの残り」の部分へのコンピューター利用への働きかけだった。Think Differentのキャンペーンが行われた当時、マックのシェアは一桁。パソコン業界はもはやすっかりウインドウズとインテルが搭載されたマシン、通称ウインテル連合によって席巻されていた。そう、マックに勝ち目などはなかったのだ。

そこで、既存のパソコン=ウインドウズ・ユーザーに働きかけたのは「仕事場ではウインドウズを使おう。でも、家に帰ったらマックで遊ぼう」というもの。つまり「あなたがコンピューター=ウインドウズを使わない残りの時間にMacを使おう」というわけだ。もちろん、これもThink Differentというわけだ。

そして、こういったThink Differentな発想はiPod、iPhone、そしてiPadと、21世紀のアップル戦略の根幹をなしていくことになる(続く)

6月15日。テレビ東京「ガイアの夜明け」「“電子ブック”の衝撃~活字市場はどう変わるのか?」という番組を見た。ビジネス業界の今を一時間かけて取り上げるこの番組、今回はiPadの出現がわれわれのメディア生活をどのように変えていくのかについての考察を行ったものだった。

高齢者がiPadに飛びついた!

この中の最も興味深かったのは、定年退職した男性が、老後の自らを発憤させようとiPadの生活に期待していることを取り上げたシーンだ。この男性、まるで恋人を待ち焦がれるかのように、iPadの発売を今か今かと心待ちにし、購入と共に片時も手から離さないという生活を始めたのだ。この男性のiPadの主たる用途は読書と言うことになっていた。

まあ、この後どうなるかはわからない。しばらくしたら飽きてしまうこともあるかもしれない。それでも僕は「この視点は面白い」と思った。そう思った理由はiPadがメディア特性として備えているインターフェイスの簡便性が気になったからだ。

僕の母はパソコンを始めてそろそろ十年近くになる。そもそもの購入動機はインターネットをするため。ウェブサイトをブラウズし、メールをチェックするというミニマムなパソコン利用を行っているのだが、これが結構僕にとっては面倒くさいものだった。というのも、操作法がわからなくなると母はちょくちょく僕のところに電話をかけてくるのだ。ところが、僕はマック派。ウインドウズというかマイクロソフトのOSをまともに使ったのはMS-DOSの時代にまで遡る人間で、ウインドウズを使うのは出先とかがメイン。もちろんウインドウズマシンを持ってはいるし、マックにもウインドウズはインストールしてあるが、ほとんど使わない。Microsoft Officeでさえもファイルはマックで開いてという感じ。だからその操作法については正直、疎い。ところが母はそんなことはお構いなしにいろいろとトラブル・シューティング方法を尋ねてくるのである。

でもって、母のマシンはウイルスに冒され、スピードがどんどん落ち(ウインドウズは使い込めば使い込むほどスピードが落ちるのは、皆さんご存じだろう)、ソフトがしょっちゅう壊れ、あやしいメッセージが送りつけられ、わけもわからないアップデートを突然促されという具合で、とにかくややこしい。

そこでテレビを見ながらひらめいたのが「そうか、お袋にiPadを持たせればいいわけだ」というものだった。なんのことはない、僕をしょっちゅう混乱におとしめる母のPCと、もう関わらなくてもいいからだ。前述したようなトラブルに陥ることはないし、しかも母もこっちの方が遙かに操作がラク。こりゃ、いい!

で、母にiPadを見せたとき、案の定「これは簡単でいいわ」との返事。では、早速!ということにしたかったのだが、なんと母は2代目のパソコンがほとんどお釈迦になったので、新しいNECのパソコンに買い換えたばかりだったのだ(しかも十数万はする。どうみてもこんなハイスペックなマシンが必要とは思えないのだけれど、業者にススめられたらしい)。ちょいと、僕が手抜きを出来るのは、さらに数年後に遠のいたのだった。

ただし、こういったiPadの簡便な取っつきやすいインターフェイスは、コンピューターユーザーに関する新しい視点を垣間見せてくれるものでもある。では、それはなんだろうか?考えてみよう(続く)

団塊は子供時代にテレビと関わった第一世代。多感な時代にテレビの出現を経験し、テレビの普及と共に成長した。それゆえ、テレビが団塊の精神性形成の一助となっているとしばしば指摘される。今回はそのエピソードを一つを紹介したい。

六十年代前半、読売の総帥・正力松太郎は自局・日本テレビ普及のために、さまざまなコンテンツ(普及促進のための番組やキャラクター)を用意する。その典型が金曜夜八時台、「三菱ダイヤモンド・アワー」というプログラムの中、隔週で放送された二つのコンテンツだった。

一つはプロレス中継。力道山、ジャイアント馬場が外人レスラーを次々となぎ倒し続けたのだ。これは当時の日本人の敗戦コンプレックスを癒すにはうってつけだった。日本人がフェアプレイで反則技を繰り広げる白人レスラー(実際はどうであれ、明らかに米国人が想定されていた)に勝利することで,「日本も米国に追いつける」という意識を涵養したのである。



もうひとつは米ABC制作の「ディズニーランド」という番組だった。この番組ではW.ディズニーが米国の圧倒的なテクノロジーと豊かな生活を披露。団塊たちの子供心に目指すべき目標を提示した。つまり,抱き合わせに放映された二つの番組はマッチポンプ的に団塊の、そして日本人のガンバリズムを煽ったのだ。



なんのことはない、日本人はテレビ放送の父・正力に見事にハメられたわけだ。 今考えてみれば、滑稽なことなのかも知れない。だが、それは夢を見ることが出来る”よき時代”ということでもあった。

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(産経新聞のネットサイト。全ページが掲載されている)

産経新聞は全紙面をネット公開している


皆さんはご存じだろうか。産経新聞が紙面をネットに公開していることを?しかも他の新聞のようにその一部を公開していると言うことではない。全面を毎日そのまま公開しているのだ。しかもタダで。iPhone用には以前からあったが、iPadも発売と同時にこちらのバージョンも公開した。もちろんこちらもタダだ。新聞が紙面の一部をネットに公開しているのは販促のため。要するに一部を公開して「気にいったら新聞を購読してね」ということなのだが(もっとも、他紙がやっているので、こちらもやらざるを得ないという事情もあるのだが)。

でも、こんなことをしたら産経新聞を購読しようとする人間などいなくなってしまうのではなかろうか?実は、僕はずっと産経新聞を取り続けている。宮崎に暮らしている頃には販売店がないので、提携している西日本新聞の配送所から取り寄せていたほど(しかも一日遅れのものだった。こんなところで産経を講読しようなどという「奇特な人間」は僕ぐらいしかいないので、無理矢理やると、必然的にこういうことになった)。ちなみにだからといって僕が右翼と思われては困る。産経新聞は「モノを言う新聞」、立ち位置がハッキリしていて面白いと思っているからだ。とりわけ韓国や中国へのバッシングというのもは、はっきり言ってスゴイものがある。だが、こういった立ち位置がかえって「では、この記事はどう読めばいいのか」という自らの視点を提供してくれる、という点で痛快なのだ。いわば「お~っ!相変わらず韓国・北朝鮮イジメをやっているなあ」という感覚だ。

そんな僕でさえもが、iPad購入を機に講読を本格的にヤメようと考えているのだ。さて、僕のようなヘンテコではあるが、ある意味「産経マニア」すらもが購読をやめようとする気にさせるコンテンツをネットで配信している産経新聞は、いったい何を考えているんだろうか?

ネットに賭ける?


以前ブログでも触れておいたが、日本の新聞の収益構造はアメリカのそれとは大きく異なっている。アメリカの場合は実売と広告が主たる収入源。だから新聞を電子化しても収益は十分に確保できる可能性が高い。実売をネット購読料に置き換えればそれでいいのだから。一方、日本の場合、収入源はアメリカ収益構造に加え、配送所からの配達によるものがあり、しかもこの比率が大きい。ということは電子化はこれら配送所を切り捨てることを意味する。販売手段のひとつを失う、つまり収益構造を根本から変更することになるのである。しかもアメリカのそれとはそれとは違って、産経の場合はタダだから(たとえばNewYork Timesは有料)、こういった電子配布方法を続けるのは、結果として収入源を広告収入のみに依存することになる。

産経新聞の、明日は?


しかしそれは無理な話だろう。だから考えられるのは、近い将来、有料化することだ。つまり、とりあえずはタダにしておいて、読者層が定期購読を定着化した頃を見計らって、課金制に切り替えるという方法だ。

だがこの方策はおそらく無理だろう。というのも現状ではネット情報はタダであるべきという認識が強いからだ。実際,無料性を課金制に切り替えた途端,購読者を大量に失った例は枚挙に暇がない。

だから僕には産経新聞が何を考えているのかさっぱりわからないのだが?さて、みなさんはどうお考えだろうか?

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