勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2010年05月

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(チラムでマリファナを喫煙する日本人)

ヒッピーとドラッグ

ヒッピーのライフスタイルの一つとして必ず取り上げられるのがドラッグの摂取だ。このことはサンタナ・ロッジでも例外ではなかった。摂取されていたのはマリファナ、オピウム(阿片)、そしてLSD。マリファナはガンジャ(同じ言葉だが、ここではマリファナを乾燥したものを、こう呼んでおく)か、ガンジャにハシシ(マリファナを樹脂化したもの)を混ぜてチラム(マリファナ専用のキセル)で喫煙するというのが一般的だった。またマリファナをジュースやラッシー(ヨーグルト)に混ぜ、ミキサーにかけての飲むバング・ジュース、バング・ラッシーという摂取の仕方もあった。マリファナとオピウムは近くのガバメントショップで販売されており、簡単に手に入れることが出来たが、LSDは主にネパール・カトマンズのジョッチェン地区あたり(当時、安宿が多くあったところ)やポカラで仕入れて持ち込んだものだった。

実はほとんど初心者

マリファナとオピウムに関しては簡単に入手できるとはいうものの、一般のインド人がこれを摂取することはないし、これをやっている人間はやはり悪い印象を持たれる(また、彼らにはマリファナを購入するような経済的余裕もなかった)。もちろんサンタナもやらないし、客に販売すると言うこともない。ただし、ヒッピーたちはあたりまえのようにやっていた。とはいうものの、そのほとんどは初心者。つまりインドに来たらドラッグは試してみるものという感じでやってくる。当然、これを自国に持ち帰ろうとか、まして況んやドラッグで商売をやろうという人間はいない。だからやり方が結構素人っぽいと言うか、マリファナ程度で大騒ぎするという無邪気なものだったという。

もっともこの無邪気さは困りものでもある。販売していると言うことは合法(実は販売こそしているが、オリッサ州でもこれらドラッグは違法。バックパッカーたちの間に言われていた「オリッサでは合法なのでドラッグを堂々とやれる」というのは風説だった)と考え、その辺でおおっぴらにやっては騒いでいた。また慣れないゆえ、摂取の仕方がわからず、LSD摂取時には、しばしばバッド・トリップに陥り、周囲に迷惑をかけることもあったらしい。

当然、こういう風景を住民はいやがった。そこでサンタナは彼らに約束を取り付ける。それは「ドラッグをやってもかまわないが、必ずサンタナの部屋の中でやること」。そして、これをヒッピーたちはキッチリと守ったのだった。(続く)


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(サンタナレストランの看板とサンタナ、使用人、宿泊客

「おかしなひと」と「いい人」

こういった「アタマの調子が悪い」ヒッピーたちはドラッグでおかしくなったというわけではなく、そのほとんどがやって来たときからおかしかったらしい。こういった人物は多いときには5~6人もいたこともあったとか。

サンタナはヒッピーたちを「おかしな人」と「いい人」に大別する。そしてほとんどは「いい人」たちだったという。おかしな人はすでに紹介しておいたけれど、それでは「いい人」とは?前述したアタマの調子が悪くなったフランス人の騒動でこのことを紹介しよう。

コミューンを彩る”神の見えざる手”

フランス人は店の食器や料理道具を勝手に持ち出して、すべてを近くにいた漁師たちにあげてしまった。そして明らかに錯乱していた。サンタナは仕方なくこのフランス人を病院に連れて行った。

さて、このフランス人、アタマはおかしいわ、カネはないわで、これじゃあ弁償してもらうわけにも行かない。しかもサンタナもカネはない。でも道具はないわけで、これではレストランは営業不可能になるはず。……ところが、フランス人を病院に預けて戻ってみると、レストランは何事もなかったかのように全ての食器と料理道具が揃っていた。

ヒッピーたちがサンタナの留守中に待ちに繰り出しひと揃い購入し、元の位置に配置しておいたのだ。言い出さないので、誰が買ってきてくれたのかもわからない。そして……サンタナもまた、何事もなかったかのように店を再開したのだった。

サンタナが言いたい「いい人」とは礼儀正しく、ルールを守る、そして相手思いの人たちということらしい。また互いの行動を尊重し、重い重いが自由に振る舞うことを許容し合う人間と言うことでもあったのだろう。

ちなみに、サンタナはこういったアタマの調子の悪くなったヒッピーを全く気にすることなく、単に「アタマの調子が悪い人」として、他の客と同様に扱った。だから、調子が悪くなるとサンタナにやってくると言うことにもなったのだけれど。

「おかしな人」と「いい人」そしてサンタナが、相互に気ままに暮らすコミューン。まさに”あうんの呼吸”。サンタナを中心としたコミューンは万事が万事こんなかたちで展開し続けたのだった。(続く)


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(サンタナの屋上で踊るチャイニーズ・ダンシング・ババとヒッピーたち)

サンタナロッジに集ったヒッピーたち

サンタナ・ロッジに集ったヒッピーはどんな人間たちだったのだろう。

彼らの母国はアメリカ、フランス、ドイツ、オーストラリアなど、ほとんど欧米人。アジア人は当初はほとんどいなかった(最初にやってきたのは日本人)。サンタナは印象深かった客にそれぞれニックネームを付けている。それらは全て終わりに「ババ」という言葉が付けられていた。「ババ」とはオリヤー語(注) で「旦那さん」という意味だ。その人物をいくつか、ここで紹介してみよう。どの人物も個性溢れる、というか、あやしい人間ばかりで、おもしろい。

※オリヤー語はオリッサ州の共通語。インドは地域で言葉が異なる。公用語はヒンドゥー語だが、これは主にインド中部・北部で用いられており、必ずしも全国で通用するわけではない。どちらかというと全国的に定着している英語の方が汎用性がある。以前、僕はサンタナ長男のクンナとコルカタに出かけたことがあるのだが、その際、サダル・ストリートの名物絵はがき売りの、通称”さとし”(インド人。日本人宿、ホテル・パラゴンの横で商売をするうちに日本語(大阪弁)を覚えてしまった)とクンナが会話に用いた言葉は、なんと日本語だった。クンナはオリヤ語、さとしはベンガル語がマザータングだったためコミュニケーションが不可能。そこで、互いが知っている日本語が持ち出されたのだ。インド人同士が日本語でコミュニケーションするというのは不思議な光景だった。

・ターキッシュ・ババ
その名の通りトルコ人。最初はコルカタに泊まっていたが、お金がなくなりサンタナにやってきた。半年間宿泊を続けたのだけれど、一銭も金を払わなかった。普段はとにかく冗談ばかり連発していて、みんなから好かれていた。

・ライティング・ババ
とにかく毎日文章を書いている。文の中身は全く不明。他人と一切会話を交わさなかった。

・チャイニーズ・ダンシング・ババ
中国人。ただし、当時なので当然中国本土からやって来たのではない。日曜日になると街に出て踊っていた。その踊りが卓越していて、みんなが見物料を払った。これで収入を確保し、サンタナに宿泊し続けた。宿代をきちんと毎日必ず2ルピー払い続けた。

エッジなヒッピーたち

中にはこれ以上にエキセントリックなヒッピーもいた。サンタナがよく使う言葉に「アタマの調子が悪くなる(“Head condition is down”)」というのがある。性格がおかしいのか、それとも精神に支障を来したのかわからないが、とにかく奇矯な行動をとる人間が結構いたらしい。

・ギター・ババ
朝から晩までギターを弾き歌を歌っている。歌が好きと言うよりも「アタマの調子がおかしくなって」歌を歌うことがやめられなくなっている。

・インチキ・サドゥに洗脳された女性
毎日食事にやってくるフランス人女性。インチキ・サドゥ(修行僧・苦行僧)に騙されて完全に洗脳されている。夜はサドゥのところに宿泊。修行と称して性的関係を持たされていた。彼女によるとそのサドゥは海の上を歩くことが出来るという。また、身を清めると称して彼女は火葬場で人肉を食べていた(プリーは海岸南に火葬場がある)。

・逆さまのまま、一週間過ごす
アタマの調子が良くなかった人が街のレストランへ行き、そこで店の皿や道具を全部井戸に投げ込んだ。その男はただ”サンタナ、サンタナ”と叫び続ける。警察がやってきてその男をサンタナに連れてきた。その後、屋上に行き、頭を下にし足を上にしたまま一週間ずっとそのままの状態でいた。ただし人にはなんら危害を加えることはなかった。

・「アタマの調子が悪くなった」フランス人
勝手に店の食器や料理道具を全て持ち出して近くの漁師にあげてしまった。

と、まあ奇妙奇天烈な人間がいたわけだ。もっとも、そのほとんどはまじめな人物ばかりだったという。(続く)


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(初代サンタナロッジ(手前部分)。現在は日本人・杉浦由美さん経営のゲストハウス・ガンダーラ)

ゲストハウス、サンタナ・ロッジのはじまり

サンタナを中心にヒッピーたちが集まり、コミューンを形成していたレストラン・サンタナ。レストランと言ってもバンブーハウスに過ぎなかったが、それでも賑わいを見せていた。

そのレストランが、ある日突然政府の手によって解体される憂き目にあったのだ。66年、インディラ・ガンジーが政権を掌握。同時に、インドにおける土地制度の整備が行われ、区分の明確化が大々的に実施された。その結果、ガバメントの土地に生活する人々の住居が次々と強制撤去されたのだ。なんのことはない”打ち壊し”だ。

レストラン・サンタナも例外ではなかった。前述したように、ここもまたサンタナが勝手に建物を建てた不法占拠の場所。だから、軍によって撤去が突然執行されたのである。もっとも、現在でもインドでは公的土地に不法占拠して住居を建設するという事実はある。発見されては撤去され、またほとぼりが冷めた頃に建設されるといういたちごっこが繰り返されている(これはプリーでも同様だ。毎年訪れる度にバラックが出来たり撤去されたりが繰り返されている)。

ご多分に漏れず、サンタナもめげてはいない。軍が去ってしばらくし、ほとぼりが冷めた頃に再び、但しちょっと場所をずらしたところにバンブーハウスを建設。そこでレストランを再開する。ただし、これは長続きはしなかった。まもなく再び軍によって強制執行がおこなわれたのである。

さすがに、こんないたちごっこを続けていたのではらちがあかない。そこで、バンブーハウスの前にあった家を借り受けることにした。ここは別荘だったのだが空き家となっていて、ほとんど廃屋同然、野良牛の住み家となっていた(これは、現在ゲストハウス・ガンダーラとなっている)。

部屋を借りるに当たっては周辺の住民が協力してくれた。というのも、このままレストラン・サンタナがなくなってしまえば、ヒッピーたちの居所もなくなり、彼らがプリーから去ってしまうのではないかと恐れたからだ。周辺の別荘の管理人たちにとっては、サンタナが作り上げたシステムによって、今や収入源となっているヒッピーたちを手放すのは都合が悪かったのである。

こうしてゲストハウス、サンタナ・ロッジがオープンする。三つの部屋、キッチン、ライブラリー、そしてレストラン。収容力は9名(全てドミトリー)と小さな者だった。これに別荘に宿泊するヒッピーたちがやってきて、ゲストハウスは異様な盛り上がりを見せる。ここに本格的なヒッピーたちのコミューンが誕生したのである。(続く)

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(バンブーハウスのレストラン・サンタナ。右は若き日のサンタナ氏)

収容施設を用意

サンタナの好奇心のお陰でレストラン・サンタナを中心に出来上がったヒッピー・コミューン。しかし、その人数は日に日に増えるばかり。また、周辺がコミューン化してしまえば近所の住民たちには迷惑この上ない。そこでサンタナはヒッピーたちに収容施設を用意する。しかし、それは当初、ゲストハウスではなかった。

すでに述べたが、プリーはリゾートとしては好環境にある。街は海に臨み、コルカタに比べれば湿度は低く、一日中潮風が吹く。だから避暑地としてはかつてから人気のロケーションであり、コルカタの富裕層の多くがこの地に別荘を抱えていた。しかし別荘はあくまで別荘。常駐していいるわけではないので、普段は空き家だ。そのままだとすぐに盗難に遭ってしまう。そこで所有者たちは管理人を雇っていたのだが、これら別荘の鍵の管理を取り仕切っていたのがサンタナだった。

サンタナはここに目を付ける。サンタナは管理人たちに話を持ちかけた。

「空き家をヒッピーたちに貸してやってくれないか?」

これはなかなか妙案だった。管理人たちは自分の代わりにヒッピーが宿泊することで、彼らに別荘の管理を代行させることが出来る。しかもヒッピーたちから宿賃を徴収することも出来る。なおかつ、自分が一切仕事をしなくてもオーナーから管理者としての収入を得ることが出来る。管理人たちは何もしなくても収入口が二つもできる。ヒッピーたちもねぐらに困らない。つまり「管理人もヒッピーもハッピー」という関係が出来る。

だから管理人たちはこのオファーを次々と受け入れていった。ただし、ここは田舎。金にガツガツした住民は少ない。だから、実際のところヒッピーの宿泊料はほとんどのところでタダだったのだ。

サンタナの取り分は「好奇心」

では、サンタナの取り分は?実はこれが一切無かった。つまり斡旋こそしたが、斡旋料を一切徴収していない。サンタナのヒッピーたちへの要求は、1.斡旋した場合はサンタナに食事に来ること、2.部屋をきちんと管理してきれいに使うことだった。もっとも食事に来ている常連に斡旋しているのだから1は言うまでもないことだった。面白いのは2で、ヒッピーたちは別荘の管理を徹底して行った。日本でもレンタルのバンガローの室内に「来たときよりも美しく」といったスローガンが張られていたりするが、彼らはこれを忠実に守ったのだ。庭の手入れまでしていたり、要求もされていないのに宿代の支払いを進み出たりする者もあったほどだった。後述するが、こういったヒッピーたちの行動は、当時のヒッピーたちの心性を、実は象徴する。現在のイメージからするとヒッピーはネガティブな印象をぬぐい得ないが、おおかたは約束を良く守るまじめな人物ばかりだったらしい。またサンタナとの友情が築かれていたこともあり、彼の面目を保つことも念頭にあったのだろう。

「まじめなヒッピーたちを騙してお金をかすめ取るインド人がいて、困ったこともあった」
サンタナは当時を述懐する。

結局、サンタナの取り分は少々の鍵の管理代のみ。管理人へのヒッピーたちの宿賃はサンタナが徴収し、そのまま渡していた。とどのつまり、取り分とは自分の好奇心をヒッピーたちが満たすことだった。

こうやってピッピーたちは豪華な別荘に暮らし、そして昼間はレストラン・サンタナで、そしてビーチでまったりと過ごすという快適なプリーライフを過ごしたのだった。

しかし、こういったレストランを中心としたコミューンは崩壊する。そして、それはある日、突然やって来た。(続く)

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