言語力強化、文章力の養成のために必要なことは何か?それはいうまでもなく、この多様化(もちろん、これは前回示したように情報化がもたらしたものだ)した文章表現パターンの中でおぼれることをやめ、どこか一つのパターンに固執して、そのパターンのみをとりあえずは習得してしまうことだろう。
包丁の使い方は、どうやって覚えるのか
これは包丁の技術を学びたければ菜切り包丁一つだけを購入し、これでとりあえずあらゆることをやってしまおうというやり方と同じだ。菜切り包丁は出刃包丁のように先が尖っているわけではないので刺したりするのには不便だが、たいていのことは出来る。で、これだけを使っていろんな切り刻み方を覚えれば……その次に出刃包丁に手を伸ばしたとしても、菜切り包丁のスキル=菜切り包丁で鍛えた包丁の使い方についての基礎の上でこれを使い始めるので、簡単に応用が利く。昔の人のように型に流し込む練習をすれば、その先には……
つまり、とにかく文章パターンひとつを覚え、そればっかり使ってみる。要するに一本調子の型に流し込む。そしてこのパターンなら何でもござれという状態になれば、そこで次第に、そして自然に応用パターンにも手が伸びていくはずなのだ。そのパターンばっかり使うことでフォーマットがしっかりして伝達性が高まるとともに、そのパターンばっかりでは飽きてくると、今度はスケベ心が芽生えて、ちょこちょこっとやり方に尾ひれをつけていくようになり、それが次第に自分のオリジナルなスタイルになっていくからだ。のび太になろう
これは、のび太がドラえもんから渡された”秘密どうぐ”を、はじめは手順通り使っているんが、途中から悪用し始めるのと同じ。人間は意味を求める動物なので、最終的に必ずこういうのび太的なスケベ心が現れる(ちなみに、スケベ心が現れる直前、われわれの意識に浮かび上がってくるのは「そのやり方は飽きた」という感覚だ)。とはいうものの基本を押さえずに、つまりパターンをちゃんと習得しないうちにスケベ心が出てくると、のび太みたいに失敗してしまうことになる(この場合は文章スタイルが空中分解する)ので、このへんは気をつけなければいけない。つまり、パターンが完全に定着するまでは禁欲しなければならないのだけれど。で、これって、要するに昔の人の文章学習パターンに戻ればいいってことなわけだ。じゃあ、現代ならどんなパターンを使えばいいのか。それは……(続く)