勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2009年08月

東浩紀のデータベース論……二つの物語の奇妙な接合

哲学者の東浩紀は、2001年に刊行された『動物化するポストモダンーオタクから見た日本』(講談社現代新書)リオタールー大澤の<物語>と大塚の「物語」をアクロバティックに接合することでデータベース論というメタ的な<物語論>を展開している。これについてみておこう。ただし、今回はその前半部分でデータベース論それ自体には触れない。

<大きな物語>の凋落……リオタールー大澤の文脈

東はオタクの出現に<大きな物語>の終焉を見ている。

オタクの古典的定義は週刊読売が89年に掲載した「人間本来のコミュニケーションが苦手で、自分の世界に閉じこもりやすい人々」というものである。アニメや漫画などに埋没し、反面で社会的活動から撤退するという文脈だが、東はオタクがこのような行動を行う理由を「失われた社会的規範、すなわち<大きな物語>の代替を求めるため」と分析する。「オタクたちが社会的現実よりも虚構を重視するのは後者の方が人間関係にとって有効、すなわち友人たちとのコミュニケーションを円滑に進ませるから(43)」である。
東のこの指摘は、まさにリオタールー大澤の量的及び質的側面での<物語>の縮小を踏襲している。すなわち「単一の大きな社会的規範が有効性を失い、無数の小さな規範の林立に取って替わられるというその過程」が前提され、これに対してオタクは「ジャンクなサブカルチャーを材料として神経症的に「自我の殻」を作り上げる」。もちろんサブカルチャーそれ自体が虚構であるのだが、これ以外に依拠すべき<物語>が存在しないゆえアイロニカルにこれらに没入しざるを得ないのである。このオタクたちの振る舞いは、まさに、<大きな物語>の失墜を背景として、その空白を埋めるため登場した行動様式と定義されているのである。

虚構の時代の<小さな物語>の保持方法としての物語消費

東によれば<大きな物語>=カルチャーの<小さな物語>=サブカルチャーへの移行は、オリジナルとコピーの区別が消滅し、シミュラークル=虚構が増加することによって生じる。そして、このようなシミュラークルの生産過程を説明する装置として用いたのが前述した大塚の「物語消費論」である。

東は<大きな物語>の凋落に対処するために、その補填として大塚の設定=世界という「大きな物語」(≠<大きな物語>)を充当する。ただし、これとて虚構であることに変わりはない。そこでこの「大きな物語」にリアリティを与えるために、「大きな物語」の断片である「小さな物語」(≠<小さな物語>)が持ち込まれる。よって<小さな物語>は「大きな物語」と「小さな物語」の二つの物語から構成されることになる。

<小さな物語>は「大きな物語」

二つの「物語」のリアリティ形成を上記の内容を整理するかたちで展開すれば、以下のように機能する。リオタールの<大きな物語>が凋落すると、その代替として虚構かつ細分化された<小さな物語>が出現する。この<小さな物語>というシミュラークルは東によれば物語消費として構築されている。すなわちその内部に大塚の指摘する「小さな物語」があり、それらが集積された世界観=設定である「大きな物語」を志向することで<大きな物語>の代替を確保しようというわけである。

このように整理すると東においては<小さな物語>=虚構が「大きな物語」=世界であることが理解できる。相対化され信頼しきることの出来ない<小さな物語>を、それでもアイロニカルに信用する、言い換えればシミュラークルにリアリティを付与する機制こそが物語消費、すなわち「小さな物語」の背後に「大きな物語」を見ようとする行為なのだ。そして、そのような虚構=「大きな物語」を共有するサブカルチャー=準拠集団に所属する人間たちを、東はオタクと呼んだのである。(続く)

大澤真幸の物語論……わが国への<物語論>のローカライズ

リオタールの<物語論>を本格的なかたちでわが国に導入したのは大澤真幸である。大澤は『虚構の時代の果てーオウムと世界最終戦争』(筑摩新書、96’)の中で、見田宗介の議論(『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫、95’)を整理するかたちで戦後史を<理想の時代>から<虚構の時代>への移行とらえている。そこでは<大きな物語><小さな物語>という表現こそ出現しないが、理想から虚構への移行の中に実質、<物語>の縮小を見ているといってよい。これを詳しく見ていこう。

到達可能な「理想」

<理想の時代>は45年から70年まで(終戦から連合赤軍事件まで)を指している。大澤によれば、理想とは「未来において現実に着地することが予期(期待)されているような可能世界である。だから、理想は、現実の因果的な延長上になくてはならない」(大澤96、P.39)。これを敷衍すれば<理想の時代>とは、「現実=現在が来たるべき未来において理想に到達することが可能であると信じられた時代」ということになろう。これはリオタールの用語を用いればイデオロギー(=現実)が物語(=理想)によって正当化されている時代と言うことになる。すなわち<理想の時代>とは現実ー理想/イデオロギーー物語関係が安定したかたちで整合し、現実が秩序づけられていた段階であり、換言すれば社会大のレベルで確信されていた<大きな物語>の時代ということになる。大澤は理想の時代の黄金期を60年代の高度成長期に見ている。

到達不可能を知りつつ依存する「虚構」

一方、<虚構の時代>は 70年から95年まで(連合赤軍事件からオウム真理教事件まで)を指している。虚構は「現実への着地ということについてさしあたって無関連であり得る可能世界」(同P.39)ゆえ、最終的に現実が理想へと到達すると言った関連を見いだすことが出来ない。それ故、虚構の時代とは「情報化され記号化された疑似現実(虚構)を構成し、差異化し、豊饒化し、さらに維持することへと、人々の行為が方向付けられているような」時代である。言い換えれば、理想的なものをいくら志向しようとも、それは虚構であるゆえ絶対に到達不可能ということをわれわれは知っている。にもかかわらず、それを虚構と知りつつアイロニカルに志向し続ける段階である。再びリオタールの用語を援用すればイデオロギー(=現実)を支える<物語>への不信感が増大し、一方でその整合性が破綻していることを知りつつ、この関係形式的に維持し続けるような時代である。すなわち<虚構の時代>とは理想ー現実/物語ーイデオロギー関係における理想が虚構に取って代わったことで、理想(=虚構)への到達が不可能となり、その整合性に不信感を抱きつつも、不信感を抱いたまま虚構ー現実という関係に依存しざるを得ない段階と言うことになる。

このような<虚構の時代>の態様は、まさに片桐が指摘した「大きな物語の終焉」の二つの側面に照合している。すなわち物語が社会的に構築された相対的存在でしかないことが明白化され、これによって物語が拡散し、その結果、大きな規模の<物語>は小さな規模の<物語>へと移行していくのである。(続く)

大塚英志の物語消費論……もう一つの、そして異なった物語論

<物語論>のわが国への導入はきわめて奇妙なかたち行われている。ここでは、時系列を辿るかたちで、その導入過程について確認しておきたい。<物語>の概念は二つの異なる側面から展開され、それが後に強引に接合されることになるのだが、それが今日における物語論の混乱を招来することになる。

リオタールの物語論が導入されたのは大塚英志の『物語消費論』(新曜社、89)を嚆矢とする。だが、ここで大塚が用いた”大きな物語””小さな物語”という用語は、リオタールの運用とはまったく異なったものだった。単に名称だけが同じだったと言ってよい。『物語消費論』の中で、大塚はこれら概念をリオタールではなく、むしろJ.ボードリヤールの消費記号論、とりわけ使用価値と記号的価値の概念からこの着想を得ている。 それゆえ、二つの運用の混同を避けるため、リオタールの運用については山括弧で<大きな物語><小さな物語>、一方、大塚の運用を括弧で「大きな物語」「小さな物語」と表記する。

大塚は八十年代、グリコが発売し、大ヒットしたビックリマン・チョコのおまけであるビックリマン・シールを例にとって物語消費を説明する。ビックリマン・チョコが売れたのは、子供たちがチョコ(=使用価値)ではなくビックリマン・シール(=記号的価値)を求めた、つまり、オマケがほしくて本体を購入したからだという(事実、購入後チョコの多くが廃棄され社会問題となった)。ただし、このようなオマケで本体を買わせる手法はそれ以前にも存在した。例えばカルビーが70年談前半に発売した仮面ライダースナックがそれで、こちらもおまけとして添付されたライダーカードというブロマイドを子供たちが求めて、商品を購入し、その一方で本体が廃棄されるという事態が社会問題視されたりもした。

ただしこの二つには根本的に異なった点がある。仮面ライダーカードは仮面ライダーや怪人などのキャラクターが掲載されているだけだが、ビックリマンチョコは裏面に「魔界のうわさ」という文章が添付されており、七百六十二枚のシールをすべて集めることで、そのうわさの背後にある壮大な物語が完結するというしくみになっていた(ライダーカードも裏面にキャラクターのデータが掲載されていた)。子供たちはそこに関心を持ったのだ。つまりビックリマンシールはチョコでもなく、シールのキャラクターでもなく、シールの裏にかかれたエピソード=「小さな物語」を拾い集め、最終的にその物語が包摂されている世界=「大きな物語」を知りたいがゆえに、これを求めたのである。そしてこの時、チョコとの関係では記号的価値だったビックリマン・シールが、今度は背後に想定されている世界=大きな物語との関係で使用価値に転じ、世界=大きな物語を記号的価値として照射している。すなわち、このような「大きな物語」をめざして「小さな物語」を収集する行為を大塚は「物語消費」と呼んだのだ。言うまでもなく、これはリオタールの<物語>の運用方法とはまったく関係のないものであった。(続く)

物語論とポストモダン

八十年代中盤、京都大学助手(当時)の浅田彰の出現と共にわが国にニューアカデミズムが流行した。それはまさにブームと呼ぶにふさわしいもので、J.ドゥールーズ、J.デリダ、J.クリステヴァ、M.フーコーといった現代思想のフロントランナーたちの理論が一般の週刊誌で解説されたほどだった。

ニューアカデミズムとは言い換えればポストモダン哲学を指していた。ポストモダンとはその名の通りモダンの次にやってくる段階を指す。モダンにおいては近代的なツリー構造=ヒエラルキーが存在し、社会構造がこのヒエラルキーに包摂されていた。だが、情報の多様化、相対化と共にヒエラルキー構造が崩壊し、権威や価値観が均質化していく。現代思想ではこの一連の状況を建築学の用語を借用するかたちでポストモダンと命名したのである。この時代は、一般大衆が使いこなせるパーソナルコンピューター(16ビットパソコンの発売)やテレビ・ゲーム、ファミリー・コンピューターの本格的な普及、既存の価値観を相対化するパロディや差異化広告の流行、欲望を全面肯定し、既存の権威や常識を無視する新人類の出現などが社会的現象としてしばしば取り上げられ、これらが情報化時代の到来の象徴的かつ具体的なあらわれと見なされた。そして、これら新しい現象を分析する手法としてポストモダンというパースペクティブが、きわめて有効な装置として機能すると考えられたのである。

そんな中、86年フランスの哲学者J.リオタールが著書『ポストモダンの条件』を発表する。この中でリオタールは、こういったポストモダンにおける価値観の相対化というゼーションを物語の終焉というかたちでまとめ上げる。

リオタールの物語論

リオタールはポストモダンを「大きな物語の終焉」という言葉で括っている。これを説明するために、まずリオタールによる<物語>の概念を確認することからはじめよう。リオタールは<物語>の典型として啓蒙主義の物語(理性と自由の解放)、キリスト教の救済の物語(自己犠牲の愛による人間の救済)、マルクス主義の物語(資本主義社会において搾取され疎外された労働の解放)、科学技術の進歩の物語(科学による人類の豊饒化)をあげているが、ここでは、その内の科学進歩の物語を取り上げ、<物語>について説明しよう。

科学という視点からすれば<物語>は単なる寓話である。ところが科学もまた真なるものを探求するものである限りは、科学は自らのゲーム規則を正当化する後ろ盾が必要となる。この場合には科学というイデオロギーが真理を求めているものであるということを保証するもの、科学というアプローチが正しいという認識を存在論的に認証するいわれが必要となる。 こういったイデオロギーを正当化するメタ言説こそがリオタールの指摘した<物語>という概念だった。 それゆえ科学の場合、これは「科学の進歩によって人類は前進的に豊饒化していく」とういう物語になる。そして、そうした<物語>に準拠することで科学が保証され、社会の制度として受け入れられている時代、すなわち<物語>という機制が正常に稼働している状況をリオタールは<モダン>と呼んだ。<モダン>とは<物語>によって知が正当化された時代なのである。

ところが<ポストモダン>においては、このイデオロギーと物語、すなわち<科学>と<人類の豊饒化>の関係が不安定になり、<物語>の信憑性が失墜する。これは科学の進歩によって、依拠すべき<物語>自体への不信感が露呈した必然的結果であった。科学の進歩は膨大かつ多様な情報を社会一般に提供することであらゆるものの相対化を促し、さらに科学が拠って立つメタ言説としての<物語>の正当性すらも相対化してしまったのである。
これによって、社会大かつ一元的に保持されていたイデオロギーと物語の関係が解体し、これらの<イデオロギー>と<物語>の関係は分散されていく。それが「大きな物語の終焉」すなわち<大きな物語>から<小さな物語>への移行である。

大きな物語の終焉、その二つの側面

さて、リオタールの「大きな物語の終焉」の議論について、片桐雅隆は二つの側面を指摘している。一つは前述したような社会大のイデオロギーを正当化する物語の解体、すなわち啓蒙主義、キリスト教による救済、マルクス主義、そして科学主義に付随する物語等が次第に縮小していくという側面であり、もう一つは物語が「歴史的な「客観的な事実」や法則ではなく、歴史を解釈する一つの物語」でしかない、つまりこれらも社会的に構築された相対的な存在でしかないことが明白化していく側面である(『過去と記憶の社会学』世界思想社)。言い換えれば、「大きな物語の終焉」とは認識論レベルの量的な縮小(規模の縮小)と存在論レベルでの質的な縮小(絶対性の崩壊)の二つが同時進行し、<物語>が社会の複雑性を縮減する装置としては機能不全を起こしていく過程を意味しているのである。(続く)

現代思想、とりわけポストモダン哲学の中で大きなキーワードとして用いられるものに<物語論>という概念がある。一般には<大きな物語><小さな物語>という言葉で知られているものだ。これはリオタールが86年に提示した概念なのだが、これが90年代半ばに日本の現代思想にローカライズされると、きわめて独特の展開を遂げた。だが、それが混乱を呼び、その状況は現在にまで及んでいる。で、僕はこのような混乱を生んだ張本人が哲学者の東浩紀と考えている。そこで今回は日本で<物語論>がどうやって導入されたのか、そしてそれが現在どういう状況にあるのか、さらに<物語論>はどうあるべきかについて考えてみようと思う。

つまり、やってみようと思うのは<物語論>の整理。具体的には東のデータベース論(すごく問題点の多い議論で有名。トンデモ本学会でも推薦図書になっている。とはいうものの21世紀の現代思想に、恐らく最も大きな影響を与えたことも確かだ)を叩き台に、これを脱構築するかたちで、新しい物語論というか、物語論の修正案、あるいはデータベース論の修正案の提出を試みてみたいと思う。

とりあえず、今回は目次を出しておきます。ちなみに今回は論文調なので少々展開が難解になることをご容赦いただきたい(当然、目次も論文調)

(目次)

・概要と問題の所在……日本への物語論導入は歪んでいる
・物語論とポストモダン……ニューアカデミズムから物語り論へ
・リオタールの物語論……大きな物語の終焉
・大塚英志の物語消費論……物語消費論
・大澤真幸の物語論ー<理想の時代>と<虚構の時代>
・東浩紀のデータベース論……大塚と大澤の奇妙な接合
・物語論の統合……データベース論の脱構築

というわけで、次回から順に議論を進めていく。では早速はじめよう(ちなみに論文調なので、最初の部分はかぶります)。

問題の所在と概要

本論文はJ.リオタール<物語論>のわが国におけるその受容と展開についての考察である。物語論は80年代後半にわが国に紹介されて以来、リオタールの概念とは異なった複数の解釈によってこれが導入され、その混乱が現在も続いている。そこで本稿では、その導入過程を辿るとともに、これによってその過程で生じた解釈のねじれを明らかにし、これを修正、統合しつつ、時代の分析装置としての物語論の構築を試みたい。
展開は以下の通り。まず雛形となるリオタールの物語論を示し、次いでわが国へのローカライズとして時系列的に大塚英志と大澤真幸の物語論を取り上げる。さらにこれら二つの物語論を折衷するかたちで登場した東浩紀のデータベース論を概観し、その理論的な矛盾を脱構築することでわが国における物語論=データベース論の可能性について提示する。最終的に提示されるのは物語論の二つの視座の統合としての物語の今日的態様と文化社会学の概念装置としての<物語論>の可能性である。

(キーワード:ポストモダン、大きな物語、小さな物語、データベース消費、リオタール、大澤真幸、大塚英志、東浩紀)(続く)

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