勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2009年06月

東国原は無謀なことはしない「確信犯」

引き続き政権と東国原宮崎県知事の動向について分析を続ける。
昨日(24日)の動きで今後の流れが多少見えてきたような気がする。で、昨日の僕のブログの分析を発展させる形でさらに動向を占ってみよう。

今回は一つの前提に基づいて考えてみたい。それはこの一連の騒動をアングルと捉えてみれば、というものだ。アングルとはプロレスの用語で「 試合展開やリング外の抗争などに関して前もってそれが決められていた仕掛け、段取りや筋書き」のことをさすが、まさに今回の一連の騒動はこのアングル=やらせ、あるいは巧妙に仕掛けられた罠であるかのように見えるのだ(今日の「とくダネ!」の分析もアングルではないかと占っていた)。というか出来過ぎに見える。

要するに古賀選挙対策委員長も丸山和也参議院議員も橋下徹阪府知事も全員がひょっとしてグルなんではないか。こんなふうに考えるのは、東国原という男は「無茶」はやるが「無謀」「無策」では絶対ないからだ。言い換えれば常に「そろばんずく」。かなり周到に計画を練り、これを実行し、現在の地位を確保している。県知事選のマニフェスト提示(県知事候補としては初)、テレビジャック、鳥インフルエンザ騒ぎを逆手にとっての宮崎地鶏の全国区化などなど。これまで東のいろんなやり口を見てきたが、やはりかなり計算している(もちろんアドリブ的な部分もあるが)。 しかもテレビとブログを駆使してこれを巧妙にやる「メディアの魔術師」でもある。

アングルはこうなっている

ではアングルという想定で、今回の騒動を考えてみると……話が見事に一致してしまうという恐ろしい状況になる。

その1:古賀選挙対策委員長の正式な出馬要請


前日のブログでは「地雷を踏んだ」と表現したが、もしはじめから古賀と東国原が今回のことを前もって準備していたら、これは「地雷を踏んだフリ」になる。騒ぎを起こして注目を自民党に向ける。一旦、自民党は「タレント出身の男に頼らなければならないほど落ちぶれたか」とはなるが、それでも担ぎ出せば東国原は「地方から中央へ向けての政治」を常に訴えているゆえ、自民党のイメージを一新するには都合がいい。失地回復は十分すぎるくらい可能だ。

そして、実際、今回の県庁訪問に先立って二人は何回か会合を持っているという。ということは、二人がそこで今回のシナリオを描いていると言うことは十分に考えられるのだ。そして、それをセンセーショナルに行うために、東国原が訪問したのでも、二人がどこかであったのでもなく、古賀選対委員長が直々に宮崎県庁を訪問した。これは、メディアが飛びつくには最高の場所だろう。演出としては完璧だ。

実際、メディアは大騒ぎになった。民主党も自民党もまずは非難。丸山和也参議院議員に及んでは古賀選対委員長の責任問題まで持ち出すほど。一方、自民党の重鎮たちは総裁にしろという東の発言に「ふざけるな」とか「ジョークでしょ」と答える。

これは東国原にとっては(そしてアングルとすれば古賀選対委員長にとっても)思うつぼの展開だ。これらを受けて東国原は「ジョークではない。本気だ」とドスを突きつけた。ただしここで「総裁にしろとはいっていない。総裁「候補」にしろと言い直す」つまりメディアを使ってさんざん騒がしておいて、さらに爆弾発言を行ったのだ。これに対して古賀選対委員長も認める発言。まったく反省している様子もない。それどころか東国原にはめられて慌てているといった様子すらない(というか、これからの動向をうかがっているような顔にも見える)。これは、どうみてもヘンだ!(続く)

古賀自民選挙対策委員長が東国原宮崎県知事に出馬を要請

自民の古賀選挙対策委員長が急遽宮崎県庁を訪問し、東国原宮崎県知事に対し次期国会への自民党からの出馬を要請した。ところが、これに対し知事は全国知事会がまとめたマニフェストの全面受け入れと自分を次期総裁政戦候補とすることを条件として回答し、これがメディアで大騒ぎになっている。

僕は宮崎時代、東国原知事と直接関わり合う中で、彼のやり口を何度となく見てきた(詳細については本ブログファイル「東国原宮崎県知事」を参照)が、今回も「この男、またやったな」との思いが僕の頭をよぎった。実に「頭のイイ男」、これが率直な今回の知事のスタンドプレーに対する僕の感想だ。

どっちに転んでも東はトクをしている

というのも、これだけ危ない発言をしても、結局は東はトクをする、株を上げることになるからだ。しかも、この結果が最終的にどう転んでも、だ。

その1:自民党が東の要求を受け入れたなら

まず、自民党が東国原知事の要求をすべて受け入れたとする(これはどう見てもありえないだろうが)。こうなると突然「東国原自民党」が誕生し、「お祭り党」が発生する。ネタ的には最高だ。おもしろい、そして政治が根本的に変わるのではないかというイメージが助長されるので有権者は自民党に投票し、自民党は勝利する(今やこんなマンガチックなことが平気で起こるのが情報化社会、そしてスペクタクル社会の現代だ)。東は突然日本の顔となり、あっという間に日本政界の頂点に上り詰める。ちなみに、素人なので何もできない、などとこの男をナメてはいけない。県知事選挙に出馬したときも「素人に何ができるか」と他の政治家たちはナメ切っていたが、結局は完全に切り返され、その後、県政においても、現在、オール野党にもかかわらず、ほとんど議会を、そして県庁を牛耳る状況を勝ち取った。つまり、東国原という男。政治についてはプロ中のプロだ。

その2:受け入れを拒否したら

一方、「何をふざけたことをほざいているのだ」ということで、自民党があっさり手を引いたならば?今度は、東国原はこれを「シャレだった」とブログ(=そのまんま日記)あたりで切り返すだろう(ちなみに、東国原の発言に大阪府知事の橋下徹大は「大胆ですね。シャレとしか思えない」と笑いながらコメントしている。これも明らかな援護射撃だろう)。

実際、このことの伏線をもう東国原は張っていて、今朝、マスコミが行った知事への追跡取材で、東国原は「要は自民党が変わるかどうかです」という発言をしている。つまり、こういった「あり得ない発言」をすることで「自民党、なんとかせい」と檄を飛ばしたということになる。

この発言は県知事として国政、そして自民党を憂いていると言うことになるわけで、これは全国県知事の思いを代弁したことになる。つまり、地域=宮崎のことを考えながら、その一方で国家大のことも考えているという宣伝になり、後々の国政への進出の大きな宣伝効果になるのだ。

また県民への国政進出正当化の発言としても有効だ。これが「シャレ」ならば宮崎県民の怒りも静めることができるからだ。昨年十月、宮崎日日新聞が東の国政進出についてどう思うかとのアンケートを県民100人に行った際には51人が反対だったが、こういった騒ぎをすることで、県民たちの思いは「せめて一期でもつとめてもらいたい」というトーンに変わっていく(当初、東は「県政は二期やらないとつとまらない」と明言していたのだが、この発言も、こういった騒ぎによって「一期」までに短縮されてしまうのだ)。
つまり、これら一連の発言で国政への準備としてはワンポイント稼いだことになるわけだ。

玉虫色の発言と、大バカをやった自民党

しかし、この東国原知事の要求。実は結構本気ではないのか?というのも、後続の「自民党が変わるかどうか」という発言が実に玉虫色だからだ。

「自民党を叱咤激励した」という言葉で取れば、それはそれでいいだろう。だがその一方で、自分の要求を受け入れるかどうかが「自民党が変わるかどうか」の試金石になるという意味にもとれるようになっている。つまり、この後続発言には知事のさらなる欲望を込めた意図が見える。この玉虫色の表現は、お得意のパターンだが、様々な解釈と、その一方での東のスタンドプレーの逃げ道を用意している。

マヌケなのは自民党だ。自民党は東国原のこのスタンドプレーで、自らを窮地に追い込んでいるからだ。つまり「おまえは変わらなければならい」という最後通牒を東によって突きつけられ、それをメディアが大々的に報道し、国民=世論がおもしろがってお祭り党と化し、その最後通牒をまともに受け入れてしまっている状況が一夜にして作られたのだ。

東国原の要求を突っぱねれば、自民とは「変わっていない」ことになるわけで、これはさらなるイメージダウンを招くことは必定。受け入れれば、今度は東と県知事の発言権が国政に大きく反映されることになる。しかしこれは、要するに政界再編が起こると言うこと。つまり、どっちにしても自民党は現状のままではいられない。
要するに自民党は「東国原」という地雷を踏んでしまったのだ。

政治家とは東国原英夫のことである

哀れだったのは自民党国会議員たちの反応だ。まさに「ふざけんな」というようなコメントをした者(松浪健四郎)、ビビった者(麻生首相)、まんざらでもないという顔をした者(鳩山邦夫)と様々だが、この東国原の一言で自民党に爆風が吹いてしまったことだけは事実。いいかえれば、元お笑い芸人の県知事がシャレを飛ばしただけで、国政を司る国会議員たちが慌てるという図式なのだが、これは、ようするに自民党がもはやダメだということを身をもって現しているというふうにも読み取れる。また、民主党も同様だ。党首の鳩山由紀夫は「ポピュリズムの極み」「一期も終えていないうちに、政党を救うため知事の職を投げ捨てる発想が国民や県民に理解されるかどうか」「自民党の値打ちが下がった」と発言しているが、これは明らかに東国原の要求を自民党が受託した場合の前提に基づいて牽制している(つまりもしそうなったら民主党はヤバいと考えている)わけで、こちら側もまた「東国原のシャレにビビっている」という図式が出来上がる。いいかえれば自民も民主も東の出した政治の駆け引きに対応できていない。つまり、国政は自民だろうが民主だろうがもうダメ、というイメージを国民に一気に植え付けることに、今回の東国原のパフォーマンスは見事に成功している。そして、これは政治家としては東国原英夫という男の方が、これら連中よりも一枚も二枚も上であるということになってしまうのだ。

でもって、これはいつか来た道ではないか。タレント出身の素人に気がつくと県政を牛耳られていた宮崎だったが、今度もタレントの素人と見せかけて、今度は国会を乗っ取ろうとしている?。

ちょっと東国原英夫という男を持ち上げすぎかもしれないが、この男が政治のプロであるということを忘れてはいけない。事実、たった一人、一つの発言で国政を揺るがしかねないような状況を作り出してしまった今回の件はそのことを証明している。

さて、国政は、どうやらエラいことになりような様子になってきたようだ。

史上最高のオスカー獲得率を誇る映画

1987年、イタリア、イギリス、フランスによって共同制作されたB.ベルトリッチ監督の映画『ラスト・エンペラー』はオスカーとしてノミネートされた9部門のすべてを受賞した「獲得率100%」の快挙をあげたことで傑作として歴史に刻まれている(ちなみに音楽賞は坂本龍一が受賞。今やテレビで中国の映像が出てくると必ずといっていいほどBGMとして使用される「定番」になっている)。

今回はこの映画を徹底分析してみようと思う。本作品は清朝最後の皇帝・溥儀が歴史の変化に翻弄される一生が描かれている。溥儀は、もはや何ら実質的な政権を持たず形骸化された清朝に、幼くして皇帝に即位させられる。そして宦官たちに利用され、次いで大日本帝国に利用され、さらには中国共産党に利用されることで、結局、自らの存在証明、アイデンティティを獲得できることなく一生を終えていくという、かなり悲惨なストーリーだ。

一代記=伝記を映画化するときのルール

いわゆる「一代記」のカテゴリーに属する映画だ。しかし、一人の一生をたった一本の映画(この映画の場合、完全版だと220分程度)で語るというのは、実はかなり乱暴ではある。そこで一代記=伝記の場合には、それをヘッジする手法が用意されている。

1.テーマ設定による単純化
ひとつはテーマを設定し、そのテーマに基づいて作品を単純化すること。この映画の場合には溥儀という個人が、自らに振られてしまった皇帝という役割とどう関わり合うか、そしてその中でどうやって自らのアイデンティティを確保するのかと言うことにテーマが絞られている。その際、キーワードとなるのは”Open the door”=「ドアをあけろ!」という台詞だ。溥儀の一生はこの言葉とかかわる中で展開していく。つまり、どうやってドアを開けるか?これが溥儀の一生の課題となる。

2.キャラクターの役割をいくつかにパターンわけする
もうひとつは、中心人物との関連づけによって各キャラクターを配置するやり方だ。たとえ、それが歴史的事実であったとしても、関連づけの薄い人物は登場させない。さらに、それらキャラクターと中心人物の関係を、いくつかのパターンに絞ってしまう。

『ラスト・エンペラー』の場合、キャラクターは「利用者」「教育者」「メタファー=分身」の三つに分けられている。それぞれを担う役割を最初にあげておこう。

利用者:清朝(=紫禁城と宦官)、日本軍(=甘粕)、中国共産党(=所長)

教育者:アーモ(乳母)、W.ジョンストン(家庭教師)、所長(再教育施設の最高責任者)

メタファー=分身:コオロギ、ネズミ、文?墸(第二夫人)、婉容(第一夫人)、犬、所長

本ブログでは以降、これら役割との関わりを踏まえながら、映画の中での溥儀の描かれ方について分析を加えていく。ちなみに、こうやって役割どころを列挙してみると、 脇役のなかで一番重要な役は所長ということになる。つまり所長は溥儀を育て、溥儀を利用し、最後に溥儀と同じ立場に立った(それゆえ意外に見える(この映画を見た客の多くが、唖然とする展開)ラストシーンの手前”文化大革命”シーンには、重大な意味があるのだが)。 果たして溥儀は「ドアを開けること」ができたのだろうか。(続く)

ジャンルや組織が永続するには

あるジャンルや組織が長らえるためには、いずれ人格に依存した構造を脱却する必要がある。つまり、その世界を立ち上げた人物が去った後でもシステムが残り、これが自動的に作動するような構造を作っていかなければならない。そして、これは組織すべてに該当することだ。いいかえれば現代では最終的にスポーツもまたビジネスにならなければならない限りは永続しない。

安っぽい例をあげれば、これは戦国武将の徳川家康が典型だ。天下を取ったらそれで終わりではなく三百年に渡って継続するほどのシステムを作り上げたのだから。徳川家康はたぐいまれなるビジネス感覚の持ち主だったというわけだ(だからビジネス雑誌でよく取り上げられるわけなんだが)。また、現在ではディズニーがその典型で、ディズニーは立ち上げたウォルト・ディズニーが66年に死去した後、いったん苦境を迎えるが、八十年代、当時のCEOマイケル・アイズナーの尽力で復活、いや成長し、今日の巨大メディア産業となっている(そして今ではそのアイズナーすらいない)。名前こそディズニーだが、そこから即座にウォルトの顔が思い浮かぶと言うことは、もはやなくなっているのである。ちなみに、その反対はAppleで、もしCEOのS.ジョブスが亡くなるようなことがあれば、現状では間違いなく大打撃を受けることになるだろう。

プロレスの組織にはこれ、つまりシステムがない。まったくもっての人格依存システム。だから、牽引車=カリスマが存在しなくなれば、それはそのまま衰退するという構造なのだ。

猪木のパフォーマンスの怪しさ

この、システム構築能力の欠如については80年代にアントニオ猪木がおもしろいことを言っている。「スポーツマンは大きなものに流される」「スポーツマンは考えずに、まず行動する」。前者の発言は自戒の念を込めてだろうが(村松友視との対談で日本プロレスでの除名(乗っ取り失敗事件?)のゴタゴタを回想してのコメントだったと記憶している)、とにかく実は流されやすいということ。後者はスポーツ平和党時に発言した積極的な発言で、政治家の行動力の弱さを批判するような文脈での発言だったと思う。ちなみに、このとき猪木はロシアや北朝鮮、イラクなどで平和、親善をねらいにプロレス興業を行うなど、スタンドプレー的にプロレスを利用した政治行動を行っている。ただし、この後、スポーツ平和党が瓦解したのはご存じの通り。つまり、猪木は政治の世界にプロレスでの人格依存モデルを持ち込んだので、やっぱり最後には組織が崩壊していったのだが。ようするに、とにかく実行する、そしてその場しのぎの物語(=ウソ話)をでっち上げるが、その後を考えていないという点では、この二つの発言と、それにまつわる猪木の行動は共通している(猪木だな~)。

プロレスが組織として永続するために

ということは、今後、プロレスが生きながらえるために必要なことは二つ考えられることになる。一つは、人格依存をやめて、近代的なシステムに改造するということだ。 これの一番簡単なやり方は、テレビ局と完全にくっついてしまい、プロデュースも含めて、その傘下に入ることだ。K-1はその典型だろう(フジテレビはバレーボールやF1でもこのシステムを構築している)。プロレスで気を吐いているもう一方の雄?ハッスルは、結構微妙だ。テレビ東京と関係を持ってはいるが一部興業の放映というつながりでしかないので不安定。だから興業の打ち方によって浮き沈みが続くだろう。ちなみにその他の弱小団体は人格システムもどきの下に自転車操業的に興業を続けているというのが正直なところ。ほとんどビジネスとしては成立していないというのが現状だろう(もはや、アマチュア劇団のような趣味の領域に近いかも?)。

もうひとつは新たにカリスマを生むことなのだが……これはなかなか難しいかもしれない。力道山、猪木に続く「三匹目のドジョウ?」がそう簡単に出てくるとは、ちょっと考えられない。もちろん、出てくれば一気に失地回復になるだろうが。そしてシステム構築というのが根本的に不得手なプロレス業界にとっては、こっちの方が案外簡単かもしれないのだが。でもって、こっちのほうが、ある意味「プロレス的」でおもしろいのでもあるのだが……。

テレビでは見られなくなってしまったプロレス

もう最近では、すっかりプロレスをテレビで見ることは出来なくなってしまった。深夜枠とか、何かのイベントが開催されたときとか、ケーブルテレビとかといった形でしかという意味だが。かつてなら日本テレビが金曜八時枠で日本プロレス(ディズニーと隔週放送だった話は有名)→全日本プロレス(馬場→鶴田の団体。最後は三沢)を、70年代後半から80年代前半までならテレ朝(当時NETテレビ)で新日本プロレス(猪木の団体。同様に黄金期には金曜八時枠、この頃全日は、すでに時間枠をゴールデンタイムからは外されていた)を見ることが出来たのに。

プロレスのピークは一つは力道山の時代、つまり50年代後半頃、もう一つは猪木の時代の70年代後半(異種格闘技決定戦なんかが催された)だろうが、それ以降はじり貧、じり貧で、ついに一般のテレビ電波からは姿を消してしまった。これはどうしてだろう。前回はメディア・リテラシーならぬ「プロレス・リテラシー」の視点からこれを考えてみたが、今回は組織論の視点からこれを考えてみたいと思う。

人格に依存していたのが最大の問題

実はこうなってしまったのは意外とハッキリしている。それはプロレスという世界が、あくまで人格依存のシステム、いやシステムもどきであったことによる。つまり、時代時代でプロレスの世界を引っ張るカリスマが登場し、そのヒエラルキーの中でプロレスというジャンルが展開することで活況を呈したということだ。前述のように六十年代なら力道山、そしてそれを引き継いだジャイアント馬場。そして七十年代ならアントニオ猪木がプロレス界を牽引したのである。ちなみに力道山と猪木は「物語」あるいは「ウソ話?」(力道山は「堪忍袋の緒が切れて、悪い白人を空手チョップの嵐で撃破する」。一方、猪木は「過激なプロレス」、あるいは当時の古舘伊知郎のキャッチなら「過激なセンチメンタリズム」)をメディア的に喚起して、大衆の心をつかむことに成功した。一方、馬場はたぐいまれなるビジネス感覚で組織運営を行っていた。

だが、こういった人格=カリスマに依存したシステムが、あくまで「もどき」でしかなく、脆弱であることは言うまでもない。というのもカリスマが消滅すると、同時にそのジャンルが弱体化し、あるいは消滅するという図式があるからだ。その最たるものは71年、突如として大ブレークしたローラーゲームというスポーツ?エンターテインメント?だった。ここには佐々木ヨーコ、ミッキー角田というカリスマが存在し、瞬間的に大ブームを引き起こすのだが、彼らが世界を去るとあっという間に存在自体が消滅してしまったのだ。

また日本限定だがF1もこれに該当するだろう。90年代前半、F1は国民的な人気を博するが、これもまたA.セナというスーパースターに依存した人気で、その後放映は続いているがあまり話題に上ることはない(ちなみに、F1自体は究極のシステム化されたスポーツであり、ヨーロッパやアジアでは絶大に人気を維持し続けている。だからこの現象、つまりF1に人格依存モデルを見てしまったのは日本人だけ。これはフジが古館を使ってそういう演出をしたことによる)。

プレロス界において経営の近代化を図るのに成功したのは、強いて言えば馬場だろう。前述したように、馬場自信はカリスマと言うより経営能力を持っていたことになる。馬場は、70年代、米プロレス界のトップ・レスラー(ファンクス(ドリー・ファンクとテリー・ファンク)、B.ブロディ、ダスティ・ローデス等)を招聘して、さながら「外人ショー」(当時のプロレスファンが全日の経営方針に少々批判を込めて表現したもの。批判したのはもちろん新日ファンだった)を展開する力量を見せた。もっとも死後、すぐにゴタゴタが起こり、全日の選手と従業員のほとんどすべてが脱退しNOAHを立ち上げたということは、やはり、あくまで馬場という人格の上にこのビジネスモデルが成立していたと言うことになるのだが。(続く)

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