勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2009年06月

溥儀はどのように教育を受けたか~そしてメタファーの存在

一代記=伝記映画化はデフォルメと省略

前回、一人の人物の一生を映画化する際にはすべて主人公との関わりで役所を配置してしまうというやり方をとると述べておいた。映画『ラスト・エンペラー』では教育者、利用者、そしてメタファー=分身の三つのパターンに役所が配置され、主人公溥儀のアイデンティティ獲得のための一生が描かれている。それでは、ストーリーを追うかたちでこれら役所がどう展開され、それとの関わりで溥儀がどのように変容していくのかを観ていこう。


アーモという乳母の存在は母体を意味している

溥儀の最初の教育者は養母であるアーモである。溥儀は幼くして母親から話され、紫禁城でこの母の代役に育てられることになる。ただし、この時点でアーモは教育者というより、ひたすら母親、そして故郷の代替でしかない。宦官たちが溥儀を遊ばせ、それに飽きてしまったとき、寂しくなった溥儀は叫ぶ。

“I want go home”

そしてアーモに駆け寄り泣き崩れるのだ。この溥儀の言葉は意味深だ。ここでのhomeは「おうち」というよりも「心の拠り所」という意味だろう。言い換えればまだ皇帝と言うことの自覚すらなく、自我の目覚めもない。
だが、アーモはその成長の中で溥儀を寵愛したがゆえに、他の母たちに妬まれた、やがて紫禁城から追放になる。変わって登場したのがジョンストン(P.オトゥール)だった。

イギリス人家庭教師・ジョンストン教師が教えた「世界を観ること」

ジョンストンは赴任するやいなや紫禁城が単なる形骸的な存在でしかないこと。宦官たちの保身によってかろうじて清朝が成立していることを見破る。そして、そういった利害のために、溥儀が実は紫禁城内に幽閉され、そして外部へと関心を向けさせられていないことを知る。そこで、ジョンストンは溥儀に「世界を観ること」を教授しはじめるのである。言い換えれば宦官にとってジョンストンは天敵となる。

授業、その1:自転車

授業内容のその一は、溥儀に自転車を買い与えることだった。ジョンストンはイギリス・スコットランド出身で儒教のプロパー、そして紳士というちょっと変わった経歴を持つ。この設定ゆえか、英語の用いられ方もわれわれが一般的に用いられるそれとは少々異なっている。そして、それが映画のテーマを暗に示すヒントとなっている。

ジョンストンが溥儀に自転車を与えようとしたとき、溥儀は「自転車は健康に悪いと宦官たちが言っていた」と答える。すると、ジョンストンは「馬鹿馬鹿しい」と一刀両断した。しかし、溥儀のこの発言はある意味では的を射ている。自転車は溥儀はともかく宦官たちの「健康」、つまり自分たちの地位保全には都合が悪いからだ。

ジョンストンは自転車のことを”cycle”と呼んでいる。日本人からすれば一見違和感がないが、自転車に一般的に与えられている訳語は”bicycle”あるいは”bike”であり、ちょっとこれは不自然な感じがしないでもない。

しかし、映画の意図からすればこれは”cycle”で正解だ。”cycle”とは言うまでもなく「一巡、一回り、循環」という意味。つまり、ここで自転車は世界を一巡りすることのメタファーとして機能している。ジョンストンが意図したことは、まず何はともあれ紫禁城というエリアを「回らせ」、世界を知る、つまり紫禁城の外に出て行くことの始まりにしようとしたのだ。(続く)

イメージ 1

               """(今、首相になってもらいたい人は?)"""

学生に次期首相候補をきいてみた

僕の講義(社会心理学)を受講している学生219人に「今、首相になってもらいたい人は」というアンケートをやってみた。条件は「現役の政治家に限る」。もちろん、授業時間の無駄にはしたくないので、出席カードの裏側にちょこっと書いてもらうというやり方でやったのだけれど。結果は以下の通り。

1位:小泉純一郎(21.5%)
2位:東国原英夫(19.6%)
3位:麻生太郎(17.3%)
4位:鳩山由紀夫(12.8)
5位:舛添要一(4.5%)
6位:鳩山邦夫(3.2%)
7位:小池百合子(2.7)
その他(18.4%)

さて、この数字をどう考えたらいいんだろうか?

さしあたり自民、民社の代表が三位と四位というのが示すのは、要するに現状の政党にはきわめて物足りないと感じていることではなかろうか。

人気を獲得するのは「お祭り」を起こす「メディアの魔術師」

そして彼らが望んでいるのはメディアを駆使してお祭りを巻き起こす「メディアの魔術師」だ。それが、上位の二人、つまり小泉と東国原ということ。要するにみんなわくわくしたいというわけなんだが。

しかし、この二人は政治的には何をやったというのか?小泉の場合は経済活性化を弱者切り捨ての格差社会を形成することで達成しようとしたが、辞めた後、さらなる不況をまねいた。おもしろいのは小泉がまいた種を刈り取らされたのが後発の阿倍や福田だったことだ。つまり惨状の責任をとらされたのが、はじめた当事者ではなかったことだ。そして、この二人、さらには三人目の麻生がダメとなると「やっぱり小泉さん」ということで、その待望論が持ち上がった。このデータは、実績よりもイメージが優先することを傍証しているのではないか。

東国原もまだ宮崎県政一期すら務めていない。実績的には「宮崎のトップセールス」をやったこと。つまり宣伝をやって宮崎の知名度を高めたことが大きなもので、宮崎経済の活性化を実現したわけではない。そして、今や東国原は「知事という仕事では国を動かすことは出来ない」と、仕事もまだ途中で投げ出して国政に向かおうとしている。そして、これをテレビが今頻繁に取り上げている。やっぱり、こっちもイメージだ

ただし、二人ともそのイメージは強烈であり、これに学生たちは大きな魅力を感じたのではないか?イメージだけで社会が変動するというのは、一見すると恐ろしい。現実という担保が存在しないから、あたりまえだ。ただし、そのイメージで人々をぐいぐいと引っ張っていけば、そのイメージが現実化すると言うこともないではない。そして、もし、それを可能にすることが出来たとするならば、それは新しい政治形態の出現と言うことになる。情報化時代はなによりもイメージで世界が動く時代だからだ。

今必要なのは「イメージを飼い慣らすこと」

小泉は実はイメージだけで、それを現実化することには失敗していることは、先ほど述べた。東国原はまだわからない(もちろんこれは東国原をほめているのでもけなしているのでもない)。

しばしばイメージが現実化するスペクタクル社会。イメージはイメージでインチキだから信用してはいけないという考えはもはや古い。かといってイメージは現実から乖離しているから、それに無邪気に踊らされれば、大変な墓穴を掘る可能性もある。現実とイメージとの関連をどうやって渡りをつけていくか?イメージをどう飼い慣らしていくか。思想家・浅田彰の古い言葉を引用すれば、どうやって「シラケつつノリ、ノリつつシラケるか?」これが僕たちの前に現在出されている課題だろう。

映像音楽の題材としてのマイケル・ジャクソン

こういったメディアの変化に適合的な存在としてまず脚光が浴びせられたのがマイケルジャクソンその人だった。もっとも、新しいテクノロジーへの需要があるのならそれでいいわけで、何もマイケルが指名されるいわれはない。言い換えれば、それはマイケルでなければならなかったそれなりの理由というものが無ければならない。

その理由を僕は二つほど考えることが出来る。一つはマイケルがすでにそこそこの人気者で知名度があったこと。まったく無名よりはリスクは少なくて済む。そしてもう一つはマイケルがダンスというビジュアル的に卓越した技術を持っていたことだ。

実際、マイケルのダンスはすさまじい。ステージでダンスが繰り広げられる際には歌手が中央で歌いながらダンスをするが、必ずその後ろに複数のダンサーが同じ踊りをする。これは「みんなが踊れば、それなりにまとまって上手に見える」というスケールメリット効果をねらっている。言い換えれば、メインの歌手があまり踊りがうまくないので、ダンサーの中に埋めてしまうことで、それなりに見せようとしているのだ。

ところがマイケルの場合はまったく違う。プロのダンサーをバックに回し、自分も同じダンスをすると、マイケルのダンスの卓越さが一層引き立つという、おそろしく華麗なダンスなのだ。繊細さ、大胆さ、どれをとっても超一流ゆえ、観ている側はそのあまりのすごさにマイケルに神がかったイメージ抱いてしまうほど。当然、金をかけたビデオ・クリップには、そのマイケルのダンスが映し出されているわけで、何度もみたいと思ったオーディエンスは、これをビデオに録画する(スリラーのダンスをまねた経験のある人間はかなり多いんじゃないんだろうか?日本でもピンクレディーの「UFO」の次くらいにまねられていたのでは?)。そしてレコードをすり切れるまで聴きながら、音楽からマイケルのダンスをイメージするのだ。

まさに、マイケルは音楽の映像化にとって最高の素材だったのだ。

卓越したエンターテイナーとして……だが

メディアはそのドラスティックな変容のためのキーパーソンとしてマイケル・ジャクソンという逸材を指名した。だからマイケルはミュージシャンというよりもエンターテイナーであり、そしてもちろんパフォーマンスを含めた上でのアーティストなのだ。もし映像重視の時代がこなかったら、あのネズミが踏みつぶされる瞬間に出すようなか細い声が大衆に受け入れられたかどうかは疑問だ。

ただし、ここには重大な問題があった。新しいメディア普及のキーパーソン=道具としてはマイケルは才能がありすぎて、アブないツールだったとことだ。その神がかったパフォーマンスはビデオとCATVという強力なメディアによって過剰に増幅され、膨大なビジネス的成功を生み、多くのマイケル信者を生むと同時に、その副作用をマイケル自身にもたらした。それは増幅されたマイケルのイメージによってマイケル本人が犯されていくという事態だった。虚像が一人歩きし、マイケルの実像とプライベートをむしばんでいく。

もし、マイケルがあれほど才能を持たない状態で産業ロックのシステムに乗っかっていたら、あるいはもう一人の産業ロックの申し子でありQueen of Popであるマドンナのような強靱な精神力を持っていたら、マイケルはこれをもっと容易に乗りこなすことが出来たのではなかろうか(マイケルは子供の頃からスターとして世間を知り得ない人生を続けてきた。一方、マドンナはたった35ドルを手にしてニューヨークにたどり着き、数々の難関を自力で乗り越えてきたという根本的な違いがある)。

天才であるためにメディアの変容と産業ロックに乗せられ、そして最後にはメディアと産業ロックによって食いつぶされてしまった繊細な人間。それがマイケル・ジャクソンという存在だったのではなかろうか?いずれにしても彼もまた、メディアの変容、そして音楽需要のスタイルの変容の中の関数として出現したイコンであったことは、間違いない。

マイケルの音楽界への功績とは?

昨日(26日(日本時間))の急逝の報道後、メディアはスーパースター・マイケルジャクソンのことで持ちきりの状態だ。マイケルが偉大なアーティストであることはもちろんだが、ここでは少々冷静にマイケル・ジャクソンという存在をメディア論的に評価してみよう。ポイントはミュージック界への影響についてだ。

音楽それ自体には、ほとんど何も貢献していない?

マイケルは活動の中で音楽界に対し何の貢献を果たしたのだろう?彼は自ら音楽を作るわけではないし(自作曲も多少はあったが)、その曲のスタイルも常にきわめて保守的だった。だからミュージシャンとしての内実はごく普通と捉えるべきだろう(それは、逝去した直後、集まったファンたちが歌っていた歌が彼の曲の数曲(ビリージーン、スリラーとバッド)に限られていたということからもわかる)。しかし、これだけのスーパースターに上り詰めるにはそれなりの要因がある。それは、マイケルを取り囲む音楽環境、そしてメディア環境がまずあったからと考えることができるだろう。

産業ロックによる音楽ビジネスのシステム化

マイケルは常に音楽システムの中にあった。それは「産業ロック」というカテゴリーに属するものだ。これはポップミュージックを完全なビジネスと位置づけ、大々的にマーケティングとプロモーションを実施することで商品として音楽を市場に展開するものだ。そして、これはしばしば批判の意味を込めて語られることが多い。

マイケルジャクソンは子供時代、白人向けに黒人音楽を提供することでビジネスを成立させたモータウン・レコードに所属し、子供のスターと言うことで地位を獲得する。いうならば少々「イロモノ」扱い。

もっとも、当時は産業ロックと呼ぶほどのシステム化されたビジネスが展開されていたわけではない。これが本格化するのは80年代、アルバム「スリラー」制作からだ。まず制作スタッフ。プロデューサーにはクインシー・ジョーンズが抜擢された(ただし前作「オフ・ザ・ウォール」から)。クインシーはジャズ界の巨匠、57年のデビュー以来輝かしい業績を上げてきた敏腕ミュージシャン=プロデューサーだ。日本人のあいだでも、たとえばテレビ番組「警部アイアンサイド」のテーマソング(日本のテレビ番組”ウイークエンダー”でも使用された)や「愛のコリーダ」ですでにおなじみの存在だった。当然出来上がったアルバムはポップミュージックの中でもきわめて完成度の高い緻密でゴージャスなものだった。

ポップスとロックは見るものになった!

そして、このときスリラーは同時にミュージック・クリップが制作されるのだが、これもとんでもない費用をかけたものだった。制作にあたってはジョン・ランディスを起用。スピルバーグの秘蔵っ子で、「ケンタッキー・フライド・ムービー」「トワイライト・ゾーン」(共作)、そして「ブルース・ブラザース」などを手がけ、すでに巨匠に達していたこの監督に任せて作品は制作された。

そして、このミュージック・クリップこそがマイケル・ジャクソンを、そして産業ロックのシステムを形成する大きな要因となっていく。というのも、この時期音楽ビジネスは大きな変容を果たしていたからだ。原因はビデオデッキ、そしてケーブルテレビの普及による。

この二つのメディアは音楽のスタイルを根本から変えていった。ビデオはレコードやテープで聴くだけのものでなく、ビデオに録画して映像とともに観るというスタイルが生まれたのだ。またケーブルテレビとしても使い回しの聴くコンテンツとしてビデオクリップは重宝。音楽専用のテレビMTVもこの時期にはじめられている。
となると、映像は曲のオマケではなく、それ自体が作品として独立したものでなくてはならない。いや、音楽と一体になった作品として成立しなければならない。音楽は観るものになったのだ。(続く)

その2:あやしすぎる丸山和也

丸山和也参議院銀もあやしい!
前日、古賀の責任問題を打ちあげた丸山参議院議員がなぜか「古賀選対委員長が知事会のマニフェストをおおむね満額で受ける方向」とのコメントをした。ちょっと待て!なんで、前日まで怒り心頭に発している人間にこの男が、打って変わって怒っている当の相手の話を聞きに行って、今度は古賀の話を持ち上げるようなスポークスマン的なコメントをするんだ。また、よく考えてみれば、なんでこの騒ぎの中で丸山和也が登場する必要があるんだ?つまり、この人がコメントすることはもちろん、登場すること自体が不自然なのだ。

しかし、これはアングルと考えれば非常に納得がいく。丸山と言えばタレント弁護士であり知名度がある。「行列のできる法律相談所」のバンカラ風?パフォーマンスが受けて、国会に進出したのは周知のこと。とういことは、この知名度を生かして狂言回しをやらせれば、こちらも演出は完璧だ(ちなみに松浪健四郎をはじめとした憤慨した自民党員などは、逆になんにも聞かされていないと考えれば、こちらも納得がいく。これは「敵を欺くにはまず味方から」で、普通に怒らせれば、話は盛り上がって効果的)。つまり、丸山という存在もアングル、仕込みとなる。

その3:抜群のタイミングで橋下徹大阪府知事が登場

そこに、今度は橋下大阪府知事が登場した。橋下徹知事は24日夜に東京都内で横浜市の中田宏市長らと会談し、地方分権の推進を目指す自治体首長らで政治グループを結成することを正式に決めたのだ。次期衆院選の各政党のマニフェストを精査し、グループとして支持政党を表明することを決めた。すでに20人以上の首長が賛同しているとうのだ。「思いは東国原と同じ」との発言まで。

で、なぜこのタイミングで橋下を中心とする知事や地方自治体の首長がタッグを組み、政党支持の一本化を行うなどと言う発言をするのだ。どうみてもタイミングが良すぎる。ということは、もう橋下と東国原の間には、あるいは知事会とのあいだでは(つまり政治集団「せんたく」の発展形態としてのあいだでは)シナリオができていて、それを実行しただけ?

よく考えてみよう。橋下と中田宏のコメントのパターンは東国原とまったく一緒ではないか?最後に出てくるのが「地方主権」「地方分権」という地方にシフトした政治の必要性。何でこんなに一緒なの?これは口裏合わせができているとしか考えられないだろう。 つ・ま・り、アングル?

その4:山本拓もヘンだ!

怪しい動きは自民党内部にもある。山本拓だ。党総裁選の前倒しを訴えているではないか。しかも自民党国会議員の賛同票を108票も獲得している。ひょっとして、こっちにもすでに話はすんでいるんだろうか……どちらにしても話がうまく出来すぎで不自然。だから、おもわずアングルと思わないではいられない。

そうであるとするならば、東国原宮崎県知事は、地方の政治家たちと国会の政治家の一部が政治の大変革のために仕掛けた「トロイの木馬」ということになる。東国原を旗頭にして国政を地方から変革してしまおう、そして55年体制を本格的に終焉させようと考えれば、賽はなげられたのだ。

そして、こういったシナリオに基づく展開は「劇場」を発生させる。東国原劇場第二幕の始まりだ。で、この劇的な展開に大衆は再び「お祭り党」となって踊るだろう。この「漫画チック」な展開は、情報化社会の大衆にとっては格好の話題のネタだ。25日のとくダネ!で、こういったアングル的な予測を聞かされたコメンテイターの真鍋かおりは思わず「わくわくしちゃいますね」と発言した。そう「お祭り」の準備は着々と整っているのだ。こういった波状的な、そして革新的な情報に、メディアは、もうさっそく飛びついている(25日の報道ステーションは、このネタだけで冒頭の25分近くを消化した。ゲストは中田宏横浜市長だった)、さて、そうなるといよいよ「お祭り」の始まりだ。小泉劇場、新庄劇場、ホリエモン劇場に続く……。

このシナリオ=アングルが本当だったら?

もし、こういったアングルが本当だったら、実際政治は変わってしまうだろう。で、この連中のやり方は自民党や民主党以上に「政治的」だ。そして古賀と東国原の宮崎県庁での会談は「歴史的会談」となる。古賀は、ぐらつき、死に体の自民党を地方の風を吹き込むことによって立て直した名選対委員長としね歴史に名を残すだろう。そして東国原は55年体制を質的に完璧にかえてしまった名政治家(量的にかえたのは細川護煕)ということで、こちらも歴史に名を残すだろう。

では宮崎県民はどうなるのか。つまり東国原に捨てられるのか?実は、このアングルならば、最終的に東国原は宮崎を捨てたどころか宮崎の救世主ということに結果としてなるだろう。なぜか?

東国原が宮崎県政でいちばん実行したい、そして県民の悲願と認識している項目は九州を周遊可能となる高速道路、 つまり西都原-大分ラインの建設だ。これを宮崎産業活性化のキーと考えているのだ。そして古賀誠と言えば……道路族のドンだ。ということは、この二人の政変の背後に取引として存在するのはひょっとして、高速道路の建設?だとすれば、東国原は宮崎を捨てることで逆に宮崎を救うことになる。大きな置き土産を置いていくことになるわけで、しかもこれは本人が連呼している「宮崎のため、地方のために国政に出て行く」という発言も正当化される。これが実現されれば、それこそ県内に東国原の銅像の一つも立ってしまうだろう。すくなくとも建設された道路は、通称「東国原道」と呼ばれることだけは間違いない。

と、アングル的な視点から今回の件を考えてみたが、皆さんはどうお考えになるだろうか?

東国原という人は徹頭徹尾「政治家」なのであることを、われわれは肝に銘じなければならない。もう、こんなふうにわけのわからない「スペクタクルの時代」が現実化しているのだ。

↑このページのトップヘ