勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2009年04月

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      " (テーマ性を失ったフロートと、セットが何もないショー) "

ニーズに応えた東京ディズニーランド

こんなヘンテコリンなかたちで東京ディズニーランド(以下TDL)をカジュアルに使い倒し、物語を無視、あるいは持たない、そしててんでバラバラに行動する俺様化したゲストたち。ところが、TDLは盛況でこの不況時にも年間入場者記録を軽く突破する勢い。なぜか?それは、意識的か無意識かはわからないがTDLがこのディズニーオタクたちに対応したからだ。具体的には細分化した個別のニーズに徹底的に配慮したのである。それは言い換えれば物語を省略するというやり方でもあったのだが。

25周年を記念して開催されたパレードのジュビレーション。このパレードはこれまでのものとは全くと言っていいほど異なった構成によるものだった。これまでパレードの多くはフロートごとにテーマが設定されていた。というより作品ごとのフロートというパターンだった。つまりスノーホワイトが乗るフロートなら七人の小人もそこに同乗する。そしてフロートが映画・白雪姫をあしらったものになっているというパターンだ。

ところがジュビレーションは違う。とにかくてんでバラバラでわけのわからないフロートがひたすら登場するのだ。たとえば鯨のフロート。これはピノキオがテーマのはず。当然ピノキオとジムニークリケットが同乗し、その前をストロンボリ劇団の人形が練り歩くところまではいい。ところがこのフロートはダンボも同乗しているのだ。これをつなぐ接点は鯨の真ん中に用意されたトレジャーアイランドのジェットコースターとメリーゴーランドだ。これがダンボに登場するケイシーサーカス・トレインを彷彿とさせるようになっている。で、さらにその後ろに連結されているフロートはファンタジアのフロート。これはなんのことはない「象つながり」、つまりダンボとファンタジアの「時の踊り」の中に登場する象だけが接点なのだ。いやいや、このフロートはよく見ると後ろの方に三匹の子豚がいるではないか。もうこうなると単なる動物つながりでしかなくなってくる。で後ろに続くダンサーたちは今度はピエロ。これはダンボに戻ったと言うことなのだろうか?とにかくミクロな形で関連性はあるのだがフロート全体としてのテーマは完全に破壊されている。

また同時期にキャッスル前で開催されていたショー、マジック・ウイズイン(だっけな?すいません。後で確認します)も同様だ。とにかく一つの鍵をめぐってなんの脈絡もなくキャラクターが登場する。しかも物語的な背景を背負っていないキャラ立ちの状態で。とにかくキャラクターやダンサーが次々と登場し、物語のないダンスをし、入れ替わるというかたちでショーは展開される。かろうじて子供を狂言回しとして出ずっぱりにすることでこれをつないでいる状態。ちなみに、これらを演出する仕掛けはほとんどないという「お金をかけないショー」でもあった。さすがに、これには僕もあきれてしまった「二十五年間のキャッスル前で行われたショーの中で、これは最低のもの。しかもダントツで」思わず僕はため息を漏らした。

しかし、これ、実は見事な送り手=ディズニー側の対応と考えれば合点がいく。「萌え萌えゲスト」にとって、自分が入れ込むキャラクター以外はすべてディズニー的イメージを醸し出す添え物でしかない。しかも、ゲストたちが入れ込むキャラクタはバラバラ。だったらいちいち物語りレベルでシーンを設定すれば、その物語の中に感情移入させられる必要が出てくるわけで、キャラ萌えしたい側からすればそれはうざったいノイズになる。だったら、いっそのことテーマや物語は希薄にして、そこにキャラ立ち可能なようにキャラを配置すればいいのだ。意識的か無意識的かはわからないが、ディズニー側は確実にこういった演出を行っている(とりわけ21世紀に入ってから、あるいはディズニーシーがオープンしてからのTDLはこの傾向が著しい)。
で、パレードやショーに、細分化した嗜好を持ったディズニーオタクたちが各自バラバラに萌える。そうすると……見事に利害は一致し、入場者は増加するのである。

もうここにはディズニーのコンセプトなどというものはとっくに消えているのだ。TDLは当初、ウォルトの理念を踏襲して作られた環境だったが、次第に日本文化にローカライズされたあげく、オタクランドとして完成を見たのである。そしてこのローカライズの基調となったのが徹底した細分化と物語の消去なのであった。もうここにウォルトはいない。だからここはウォルト・ディズニーの描いた国、つまりディズニーランドではない。「ディズキャラ萌え萌えランド」なのである。

細分化が生んだ必然的結果。ただし、情報化社会の最先端として

A.ブライマンが指摘していたディズニー化という現象。どうやらTDLにはもはや当てはまりそうもない。TDLはある意味、もはやもっと先を行っている。ディズニーランドは常に情報化時代の未来に生じる現象を先取りしてきたが、TDLのこの「ディズキャラ萌え萌えランド化」も同様に捉えることが出来るのではないか。つまり世界がディズニー化しているとき、本家の一つTDLはその次のステージに向かっていると。(続く)

ゲストの優位化

リピーターの増加によってゲストたちにとってカジュアル化=日常化した東京ディズニーランド(以下TDL)。この日常化はもう一つの側面でも進行する。それは、いわば「ディズニー・リテラシーの向上」と表現できるものだ。二十五年前、日本人のディズニーに対する認識は非常に低く、そのレベルはミッキーマウス以外はディズニーといってもピンとこないというくらいのものだった(もちろんグーフィとプルートの区別もつかない)。それが東京ディズニーランド開園以来、人々は頻繁にディズニー関連のものにアクセスするようになり、すっかりディズニー通に。部屋の中はディズニーグッズでいっぱいなんてのは、結構あたりまえになった(実際、僕の講義の受講生でディズニーグッズを携帯している学生は他のグッズに比べても圧倒的に多い)。つまりディズニー世界が生活の中に浸透していき、ディズニーがそこにあることが日常になったのである。

こうなると東京ディズニーランドは日常生活の延長の場と位置づけられるようになる。要するに自分の部屋の続き。部屋の中なら誰でも自由に振る舞うことが出来る。だから、ディズニーランドでも勝手気ままに振る舞うのはあたりまえ。部屋とディズニーランドの違いは私的空間か公共空間かという違いがあるが、あまりに日常に満ちている公共空間であるディズニーランドはもはや私的空間にしか思えない。だから、好き勝手に行動する。自分の部屋に食べ物もってこようが、地べたに座り込もうが、化粧をしようが、俺の空間。勝手気ままにやってどこが悪い、ってなことになってしまうのだ。

細分化の果てに

そしてこの勝手気まま空間における公共性の消滅は次のようなプロセスによって達成される。今やディズニーといってもその世界は広い。前述したように以前だったらミッキーマウスとその周辺キャラクターという形で一連のヒエラルキーが構成され、この序列に従って人々はディズニー世界を見ていた。ところが今やキャラクターは乱立。覚えきれないほどのキャラクターがディズニー世界にあふれている。そして、それぞれにまたヒエラルキーが存在する。

こんな細分化されたディズニー世界に対して人々はマクロ的にではなくミクロ的=局所的に対応する。つまり特定のキャラクターにフェティッシュに熱狂するというパターンを取るようになるのである。その典型はスティッチやマリーといった最近のキャラクターへの熱狂だ(マリーは映画「おしゃれキャット」のキャラであり、作品が作られたのは70年と古いが、クローズアップされたのはディズニーシーのオープン時だ)。たとえばスティッチのファンはもっぱらスティッチ関連のグッズをコレクションし、ディズニーランドにやってくる理由もスティッチを見るためである。その時、ディズニーの他のキャラクターはスティッチの存在を盛り上げるディズニーという環境でしかない。つまり、他のキャラなど見ていない。

萌え萌えランドの誕生

で、この細分化はキャラクターにとどまらない。さらにどんどん進んでいて、それはたとえばパレードのダンサー、パレード、ショーにまで及ぶ。ダンサーには取り巻きファンがいて、これ見たさにディズニーランドにやってくるゲストが存在するのだ。もちろん、そのファン=ゲストにとってお気に入りのダンサー以外はディズニーという環境、まあ、そこにあればどうでもいいものと言うことになる。

ようするに、こういった細分化された嗜好を形成したゲストたちはディズニー的世界を雰囲気としては利用しているが、それはあくまで特定のフェティッシュに熱狂するキャラクターなどとの関連で存在するものでしかない。つまりキャラ>ディズニー世界。そしてこのキャラと自分の関係の構築が重要なのであり、その関係を成立させる限りでディズニー世界は成立するわけで、言い換えればその関係さえ損なわなければディズニー世界などどうでもいいのである。

ディズニーはオタクたちによる「萌えランド」という位置づけを与えられている。当然、ミクロ=局所的にしかディズニーを見ないゲストにとってウォルト的世界観なんか知ったことではないのである。(続く)

「われわれ」

団塊世代の功績は消費を媒介として「ヤング」というヴァーチャルな世代コミュニティを立ち上げたことにある。故郷を離れ足場をなくした若者に、ヤングという言葉はアイデンティティの拠り所を提供した。それはいわば「われわれ」という仲間意識。そう、学生運動の演説の冒頭に必ず切り出された、あの言葉だ。

「君と僕」

だが、この「われわれ」意識は、意外に早く衰退する。70年代前半、学生運動の嵐も過ぎ、若者は私的生活への関心を高めていく。フォークソングは当初、「われわれ」による反体制のプロパガンダだったが、やがて「君と僕」「彼と彼女」の私的な関係を歌う四畳半ソングへと転じていった。

「私」の消滅

八十年代になると、この私化に拍車がかかっていく。今度は「君」が外され文字通りの「私」へと意識がシフト。何よりも私が輝いていること、イケていることが最優先事項となるのである。ここで事実上、世代意識=ヤングは消滅。残ったのは消費とメディアを環境とする生活だった。

そして21世紀。若者はいっそう意識を細分化させている。私=個ですらが細分化され、ノリや感情にまかせるままに様々なものに志向するようになったのだ。だから、自分もなぜそれに意識が向かうのかわからない。これが「萌え」という行動。それは「自分が若者」という意識の完全消滅でもあった。

だから団塊の皆さん。もし、いまどきの若者と意気投合したと思っても、自分の感性が若いなどと思ってはいけません。それはたまたま波長があっただけ。ヤングは消滅したので、彼らもジジイ。自分を若者とすら思っていないのだから。(神奈川新聞2009年4月20日掲載文)

本家DLの倍以上もする年パスを多くのゲストが買い求める

一方、年間パスポートだが、具体的な年月については記憶が定かではないが、これは元はといえば80年代後半、何かを記念して一年だけの限定と言うことで設定されたものが、その後システムとして取り入れられたもの。これを、かなりの客が購入した。とりわけ周辺(たとえば浦安市)の住民などが買い求めた。

で、近隣人口五千万と年間パスポートの発行という二つの条件が重なって東京ディズニーランドはリピーター率がどんどん上がっていった。ちなみにそれに乗じて年パスの料金もどんどん上がっている。当初は30000円程度だったものが、現在では45000円。これだけ年パス所有者が多いと、単価をあげなければ儲からないからだ。ちなみにアメリカ・アナハイムの年パスはディズニーランドとカリフォルニア・アドベンチャー二つのパークに出入り自由で(その他特典もたくさん)170ドル程度でしかない(近隣住民だったら134ドル)。年間駐車料金込みでも370ドル程度だ。言い換えると、年パスを利用するゲストが本家の場合は非常に少ない。だから、こんな廉価な設定が出来るというわけだ。これを東京ディズニーランドでやったら大変なことになるだろう。

そして、気がつけばパーク内には年パスをぶら下げて闊歩するゲストがたくさんということに。当然、このゲストたちはしょっちゅうパークにやってくるわけで、次第に認識も変わってくる。つまりディズニーランドが非日常から日常へと転じていく。「あこがれの地」は「近くの公園」に成り下がるのだ。

東京ディズニーランドという独自のディズニーランドが出現

ディズニーランドがカジュアル化するもう一つの原因である「海外のカジュアル化」もディズニーランドの「近くの公園化」「非日常の日常化」に拍車をかけることに。海外旅行などあたりまえ。また海外をイメージさせる風景もあちこちに出現している。それどころか、今やディズニーの「テーマ性」というコンセプトを踏襲した施設が乱立。店がジャングル風だったり、昭和レトロ風だったり、ファクトリー風だったり、まあどこもかしこもテーマパークになり(A.ブライマンはこれを社会のディズニー化=Disneysizationと呼んでいる)、もうテーマ設定などあたりまえ。これらに慣れきってしまい、ここに華やいだ雰囲気も外国(欧米)のイメージも人々はさして抱かなくなっていったのだ。それは言い換えればありがたいディズニーランド、拝むディズニーランド、コンセプトにひれ伏すディズニーランドという認識の終わりでもあった。

こうなると東京ディズニーランド、そしてそこを訪れるゲストはこの空間を自由にカスタマイズし始める。当初のディズニー側の理念、つまりウォルトのコンセプト=スピリットをさしおいて、日本独特のディズニーランドのスタイルが生まれ始めたのだ。それが、実は「俺様化するゲスト」を生んでいく温床となったのだ。では、俺様化するゲストの心性はどのようなものか。?(続く)」

非日常から日常へ~リピーター率の増加

かつてはディズニーランドの理念=ウォルトのコンセプトに威厳を感じ、忠実に従っていたゲスト。ところが様子はディズニーランドがカジュアル化することによってその様子は次第に変わっていく。これは東京ディズニーランドが日本人に定着、浸透していくこと、海外旅行がカジュアル化していくことで発生した必然的事態だった。

立地条件の良さ~周辺に客が5000万人!

まず前者について。83年のオープン当時の年間入場者数は1000万人ちょうど。これはパークを運営するギリギリの数だったので、その行く末が案じられたりもしたが(当時キャストだった僕も、あまりのガラガラさに「こりゃ、ヤバイかな?」と思ってしまったことがあるくらいだった)、その後、順調に入場者数を増やし、現在では2パーク併せて年間2700万人もの人間が訪れる、つまり数字の上では毎年日本人五人に一人が訪れるという国民的文化施設となった。

そして、この入場者数を助長したのがリピーターの存在、そしてさらにそれを煽る年間パスポートの登場だった。

リピーターが多数現れるのは、ディズニーの情報の濃密さがやみつきになったためというのは言うまでもないが、もう一つは東京ディズニーランドの立地的条件によるところが多い。関東圏、つまりディズニーランドから100キロ圏に5000万人以上(日本の人口の約五割)が暮らしているので、簡単に訪れることが出来るのだ。東京駅という交通のハブから15分というのも大きい。これは他のディズニーランドと大きく異なるところ。たとえば本家のディズニーランド。アメリカ人にとっては能登路雅子が指摘するようにここは「聖地」。日本人が一生に一回、日光や伊勢神宮に行かなければならないと思っているように一度は訪れるところ。ただし、リピートするという感覚はあまりないし、パークの周辺に五千万人もの人間が暮らしているわけではない。だからリピーターの方がまれなのだ。(続く)

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