勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2009年01月

「まなざし」としての旅

イギリスの社会学者J.アーリはメディア論と現代思想(フーコー)の視点を持ち込むことで、観光学という分野に新たなパースペクティブを提示した研究者として知られている。彼によれば、観光というのはすべからく「まなざし」であるという。そこが観光地になる正当な根拠などなく、誰かが観光地と決めて、それらしいものを用意したり、勝手に「これは観光的にすばらしい」とかでっち上げてしまえば、そこは観光地になってしまうという、「由緒正しい観光地」を自称する人たちからすれば噴飯ものの議論を展開している。とはいっても、これじゃなんだか解らないので、具体例を挙げて説明してみよう。ちなみに、ここからの展開は社会学者・山中速人の研究を参考にしている。

究極のでっち上げパラダイス・ハワイ

ハワイのイメージを浮かべてほしい。常夏の島、フラダンス、アロハ、ハワイアンなどなど。実はこれが二十世紀になってから作られたものであることは、観光人類学ではもはや定番の議論になっている。

もちろん「常夏の島」にはあたりまえだがウソはない。問題はそのあとの項目だ。まずフラダンス。これはちゃんとフラと呼ばれるダンスが元々存在した。われわれがよく知っている、手を横にのばして、腰をゆっくり動かして踊る優雅な踊りがそれだ。しかし、問題は服装。女性がブラジャーに腰蓑つけているわけだが、これが全くのインチキ。19世紀のハワイはキリスト教文化が普及していた。キリスト教の教えは当然「禁欲」。当然、諸肌を見せるなんてことは許されない。だから、当時の人たちは衣類を全身にまとった状態(上着も長袖)でフラを踊っていたのだ。

次、アロハシャツ。これ、実はある意味「日本製」なのだ。19世紀終わりから日本人のハワイへの大量移民が始まっていく(その中心は沖縄出身者だった)。彼らが衣類として所持したのは和服。しかしこれは暑い。着ている場合じゃない。そこで生地を裁断してシャツに変更、それがアロハシャツとなったというのが定説だ。つまりアロハシャツの柄は元々和服のものだったのだ。

そしてハワイアン。ウクレレとスラックキー・ギターを用いたそれは、南国ムードたっぷりだが、これもまた二十世紀に、ある意味輸入されたものだ。


つまり、われわれが抱いているハワイのイメージは徹頭徹尾、二十世紀に入ってからのでっち上げであり、百年前のハワイへタイムマシンで行ったら決してみることのできなかったものなのだ。

ハリウッドのビジネス戦略としてのハワイ

じゃあ、なぜこんなでっち上げのイメージが作り上げられたのか。それは実はハリウッド映画の戦略だったのだ。

あたりまえの話だが、映画は客を呼ばなければならない。そのためには何でもやる必要がある。つまり芸術性とか道徳性なんかよりも、商業性が問われるわけで、そのためには形而下のもの、つまりひたすら興味本位とか、人間の直接的な欲望に訴えるようなネタを持ち込んでくる。その三大要素はスペクタクル、死体、そしてハダカだ。で、このうちのハダカに目をつけたのだが、アメリカ(そして映画のマーケットであるヨーロッパも)の宗教は、19世紀のハワイと同様(というか、当然こっちが先だが)、キリスト教。キリスト教の教えは、さっき書いたように禁欲だから、ハダカなんか映画で映したらエラいことになる。でも、やっぱり見たい。なんとか、ハダカを映像化するいいわけはないか?そのとき、ハダカであることの正当化として考えられたのが、南国を舞台にすることだった。南国は暑いからハダカ、つまりハダカでいることに必然性がある。そこで、ハワイを舞台とした映画が作られ、そこに女性のハダカを用意したのだ。それが腰蓑にブラジャーというスタイルだった。ちなみに、当時の映画はこの格好でフラを踊る女性が大量に出演しているのだが、その真ん中に位置したのがハリウッド女優、しかも白人だった。なんのことはない、観客に見せたかったのは、この女優のハダカだったのだ。そして、背後にいる一般のハワイ人はアロハシャツ。映画のバックに流れるのがウクレレとスラックキー・ギターによる音楽になった。

しかし、映画はべらぼうな数の人間がこれを見る。一方、ハワイに行ったことのある人間なんてごくわずか。となると当然、ヴァーチャルのイメージのほうが、一般大衆の常識的イメージになるわけで、だったらこのイメージに合わせてハワイをでっち上げてしまえば、ここに客を呼ぶことができる。で、結局、このヴァーチャルなイメージに基づいてハワイは「創造」されてしまったのだ。(続く)

バックパッカーたちの旅行スタイルの変化

僕は毎年夏、世界最大の安宿街でありバックパッカーの聖地とも呼ばれているタイ・バンコク・カオサンに三週間ほど滞在し、日本人バックパッカーの生態を調べている。このフィールドワークは始めて十四年ほどになるのだけれど、最近バックパッカーの行動パターンがどうも変わってきたように思えるのだ。それを一言で表現すれば「二極化」。パックツアーとほとんど変わらないスタイルを採る旅行者と、ものすごくトリビアなことに関わっている旅行者だ。ちなみに大多数は前者なのだが。そして、日本人のバックパッカーは、少なくともこの地域ではどんどん減少している(反面、欧米人は相変わらず多い。それから韓国人がどんどん増えている)。

パックツアー型のバックパッカー

バックパッキングはパックツアーのようなお仕着せを嫌って、旅を自由にカスタマイズできるところが魅力のはず。ところが最近多いのが「ほとんどパックツアー」と言っていいようなバックパッカーだ。カオサンだと旅行先のイチバン人気は、まずカンボジア。いや、もっと厳密に言うとシェムリアップにあるアンコールワットだ。とにかく、どいつもこいつもアンコールワットに行きたがる。現地の旅行代理店も心得たもので、専用のミニバスとかで格安のツアーを用意している。で、実際に現地に行ってみると、パックツアー客と混ざってバックパッカーがうろうろ(韓国人も、すごく多い)。次が定番で、アユタヤやカンチャナブリ。前者なら寺と日本人町跡巡り。後者だとクワイ川鉄橋、泰緬鉄道跡(映画「戦場に架ける橋」ね)。でも、これもまたパックツアーの企画するルートとほとんど変わらない。ちなみに市内ツアー(水上マーケットとかローズガーデンとか王宮とかをめぐる)なんてのもカオサンの旅行代理店にはあって、これを利用するバックパッカーも多い。こうなるとオプション・ツアーと変わるところはないなあ。

いや、まだある。プーケット、サムイ、タオといった島へのリゾートだ。これもパッケージが用意されている。ここ数年、人気なのはタオ島でダイビングのライセンスを取得すること。これもまた往復交通費、宿泊施設、ダイビング教習と試験料がすべて含まれたパッケージがある。

で、結局こうなると、こういったパターンをとるバックパッカーは「お仕着せの旅」、つまりパックツアーと同じものを選択しているということになる。違うのは選択が国内でなされたか、現地でなされたかだけと言っても過言ではないかもしれない。

こういったバックパッカーたちに見られる「結果としてのお仕着せツアーの踏襲」について、実は僕が十年前に行った調査でも調査でも同様の結果が出ていた。ただし、ちょっと違うのが、その多様性がいっそうなくなったところだろうか。つまり、ここ十年で、こういったスタイルをとるバックパッカーたちの旅のスタイルが、よりパックツアーに近づいたということなのだ。今回についてはデータをとっていないので、まあフィールドワークでの印象の域をでないのだが、それにしても、どいつもこいつも判で押したような旅のパターンを答えているのだ。

もちろん、これは必ずしも「かつての旅行者の方が主体的に行動していた」なんてことを言うつもりはない。むしろ、こうなったのはいろんな要因が絡んでいるはずだ。たとえば、海外旅行のスタイルが多様化して、そのスタイルがバックパッキングの中に持ち込まれたということがある。かつて海外旅行はパックツアーかバックパッキングかという二者択一的な選択しかなかった。ところが現在ではスタディツアー、語学研修、ワーキングホリー、友人宅訪問など様々。だから、たとえばバックパッキングにこういった旅行スタイルを持ち込むこともあり得るわけで、ここで挙げた例はパックツアーをバックパッキングに持ち込んだと言うことになる。また、旅先での旅行者受け入れのインフラの充実もある。今やゲストハウスといっても、エアコン、ホットシャワー付き、インターネット利用可なんてのはあたりまえ。ハウスキーピングも毎日という感じで、だんだんとホテル仕様になっている。で、ゲストハウス周辺にはマックだケンタッキーだセブンだと日本と同じ環境が用意されている。もう、ビビる要素なんかなくなっているのだ。だからパックツアー感覚でやってきても、実は何の問題もない。

トリビアなことに関わる旅行者たち

もう一つの「トリビアな事に関わっている旅行者」だが、これはたとえばボランティアに来た、アジア雑貨の買い付けに来た、ものすごくマイナーな地を訪れるためにベースキャンプとしてやってきたなんてのがある。これは、さすがにパックツアーでは無理。だから結果としてバックパッキングのスタイルをとるしかないというわけなのだけれど、これもまた、かつての旅行者とはちょっと違っているという感じがする。こういった旅行者に共通するのは、そのトリビアな項目に関して、ちゃんと「目的」が設定されていること。そして、それが済めば旅は終わる。だから、かつてのように、あまり期間や目的地を明確に規定せず、とにかく世界を(カオサンの場合はアジア中心)、いわば”漂泊”するような旅行者とも違うのだ(ちなみに、こういったバックパッカーも確かにいる。しかし、その数はどんどんマイナーになっている)。この手の話をしたときに「カオサンはメジャーなところになったので、そういった本格的なバックパッカーはカオサンから消えたのだ」と指摘をうけたことがあるが、それは間違っているだろう。なんだかんだ言っても、アジアを旅するのにはカオサンを起点にするのがもっとも便利なのだから、ここを避ける理由はないし、避けるとするならばそれは意図的に避けるというアイロニカルな態度ということになる。そんな旅行者はほとんどいないだろうし、いたらそれこそスノッブなヤツ(つまりバックパッキングすることがエラいと勘違いしている人ね)になってしまう。

ということは、かつてのバックパッキングのスタイルはどんどんマイナーになっていると言うことになるのだが、それはどうしてなんだろう。今回はこれをきっかけに海外旅行スタイルの、そして対海外旅行意識の変化を考えてみたい。(続く)

やる気のある人を集めることの重要性

地域活性化(具体的にはマンション活性化)はどうやるべきか。郷土カルタ普及を例にとって話を進めている。前回までは、いくら声をかけても全く反応がなかったというところで、突然、アドバイスをもらったところまでお話しした。つまり……

「かるた事業の内容をよく理解し、積極的に取り組んでくれるような人にアクセスすべき」

以降、このアドバイスに基づいて僕の戦略は180度転換する。つまり、どんなに集めたところで、やる気のないヤツはダメ。そしてこれを相手にすることは、無駄な時間をいたずらに費やすだけということがよくわかったというわけだ。言い換えれば制度的な側面を利用して、強制的にやらせるのではなく、はじめからやる気のある人、この事業の公共性をよくふまえてくれる人、そして教育のためなら、地域のためならなんでもやってやるというような人にターゲットを当てて勧誘するようにしたのだ。そう、自分のことばかり考えているのではなく、常に社会の利益を考え、そのためには自己犠牲もいとわない「公共バカ」さんにアクセスすること。これがポイントと踏んだのだ。

すると人がどんどん集まり始めた。もちろん、個別にあたっているので、大量にというわけにはいかない。ただし、こういった公共心のあふれた人たちはネットワークを持っている。もちろん同じタイプの「公共バカ」のみなさんだ。そしてこのネットワークから芋づる式に人が集まってくる。しかも、こういった人たちは自分から積極的に参加してくれる。しかも、確実に継続的なメンバーをやってくれる。で、全員が判を押したように仕事のスピードが速く優秀だ。で、あっちこっちから集まってもらっても、結局お互いつながっていたりする(おそらく、いや間違いなくこれからの宮崎の教育を背負っていく人たちになるだろう。つまり、器がデカい!)。

結局、かるた活動の活性化のために必要なの人材は「量より質」だったのだ。

やる気のある人が集まると……

そしてもうひとつ。こういう人たちが集まると活動は盛り上がる。何のことはない、みんなワクワクして、おもしろくてやめられなくなるのだ。そして、僕に代わって、かるた活動の教育的効果とかすばらしさとかを、フツーの教員たちに自分から勝手に説いてくれる。そうすると、嫌々ながらやっていた受け身の先生が、今度はその気になってくる。つまり、この「ワクワク感」が伝染していく。そうこうするうちに、みんな気づくようになる。一人でやるよりみんなでやった方が、すごくおもしろいことを。つまり、1+1が3とか4とか、10とかになることを発見する。こうなると、もうやめられなくなる……こういった「公共バカ」の皆さんと飲み会をやったときには、いうまでもなく異常なまでに盛り上がることはいうまでもない。「こんな楽しい飲み会はないよ」メンバーの一人は、そうつぶやいてくれた。

そう、忘れていたが「公共バカ」というちょっと失礼な言葉は、このメンバーの一人が考えてくれた言葉。つまり「俺たちはバカ。バカになることくらい楽しいことはない」。だから「バカ」は究極のほめ言葉なのだ。

ではマンション管理組合は、どうやって活性化するか

さて、かるた普及の例をふまえるとマンション管理組合の活性化はこんなふうにやるのがよいのかもしれない。

まず、役員になったところでやる気のない人は無理に仕事を押しつけない。一方、やる気のある人たちで、まずはよろしくやる。会合やって、懇親会やって……共有する議題はてんこ盛りだから話題は尽きないはず。これをやる気のある役員だけでやって盛り上がってしまう。するとだんだんとおもしろくなってくる。そうやると、会合は必然的に盛り上がる。で、あんまり関心のなかったメンバーにそのおもしろさを伝染させる。そうやって一人一人取り込んでいく……まあ、こんな感じになるんだろうか。

実際にうまくいくかはわからないし、道は遠い。これはかるた普及活動と同じだ。しかし公共バカの放つこの「楽しさ」をじわじわと、気長に伝染させていくこと、これが気長だが活性化のための最短距離なのではなかろうか。このとき、もちろん、自分が楽しむことを決して忘れてはいけない(これがいちばん肝心)。

ちなみに第一回会合。二時間の予定が終わってみれば三時間。つまり、盛り上がったのだ。終わった後、理事の面々は結構満足げな顔をしてた。どうやら、ここにも「公共バカ」のみなさん、御輿担ぎの好きな方々がおられるようだ。さい先はいい。

「地域興しは、ワクワク、ドキドキ」でやるべきなのだ!

あんたは掘るところを間違えている!

地域活性化、マンション管理組合活性化のためにはどうするべきなのかについて考えている。で、前回、僕が取り組んでいる宮崎の郷土カルタ「ひむかかるた」普及がなかなかうまくいかなかったのだかれど、これが「公共バカ」の登場によって状況が一変したというところまで伝えておいた。では、実際、何が起きたのか。

「かるた普及のためには、とにかく、この効用をわかってもらわなければならい。そのためには小学校の上部組織である教育委員会をあちこち回ることだ」

僕はまずそう考え、宮崎県内各地の教育委員会を回り始めた。ところが、ここでも「おまえ、何しに来たんだ?」みたいな迷惑顔をされる。向こうとしては忙しいし、大学教員のバカ話なんぞ聞いてられないという扱いをあちこちで受ける。「やっぱり、なかなかうまくいかないなあ」と思いながらも教育委員会を回り続けた。そんなときに遭遇したのが「公共バカ」の教育委員会の人間A氏だった(誤解を被らないように保持目にお断りしておくが「公共バカ」というのは、言葉こそ汚いが「究極のほめ言葉」と理解していただきたい。なんでこんな名称がつけられた経緯、詳細については後述する)。

A氏は僕の話に熱心に耳を傾けてくれたのだが、その話を終えた直後僕に、こう忠告してくれたのだ。

「あなたは掘るところを間違えていますよ。どれだけ教育委員会をまわったところで、ほとんど反応はないはずです。そうでしょう?」

もちろん図星である。僕はうなずいたと同時に、あっさりと言い当てられたことに驚いた。A氏はさらに続ける。

「ここはお役所です。お役所はめんどくさいことはしないというのが基本。それが教育にとっていいとか悪いとか、そんなことはどうでもいい。だから、教育の効用なんて考えない。だからくるだけ無駄。むしろ、こういう企画は、もっと教育に熱心な人たちに働きかけなければ意味がありませんよ。もちろん私は協力いたしますけどね(事実、この後A氏には多大なるご援助をいただくことになる)」

そう言ってA氏が紹介してくれたのが「小学校社会科研究会」という、小学校での社会か教育に熱心な先生方のグループだった。で、たったこれだけで状況は急展開してしまう。

紹介してくれた人物はこの研究会の委員長とその役員の先生二人。そしてなんと、二人は当時赴任していた大学の真ん前の小学校の先生だったのだ。約一時間ほど彼らの前で説明をさせてもらったのだが、これまでの先生とは違いものすごい真剣に耳を傾けてくれた、そして僕のレクチャーが終わった瞬間、ひとこと

「これは、やるしかないですね。やりましょう」

即決だった。逆に、こんなにあっさり決断してしまうことにこっちが驚いたくらいだった。なんで、そうあっさり協力の手をさしのべてくれるんだこの人たちは?(続く)

マンション管理組合の不活性

僕が暮らしているマンションは戸数700を超える大規模物件。築一年が経過したところだ。突然のマンション不況で、ご多分に漏れず、結構売れ残っている。
さて住居者からなる管理組合も二期目を迎え、僕は役員をやることになったのだが……こちらもご多分に漏れず、非常に活気がないものだった。メンバーは二十五名。数名の立候補者の他は地区分けをして機械的に(つまり抽選で)選考されている。だから、何というか「当たった人は残念でした」という感じになる。

で、新役員の第一回会合が行われた。欠席者は七名。そのうち委任状を提出したのは二名。つまり残りの五名は完全無視を決め込んでいるという状況。また、予想通りというか、出席した役員の多くは迷惑そう。どう見ても顔には「早く終わらないかなあ、仕事はしたくないなあ」と書いてあるという感じなのだ。ここに暮らす人たちの共同の建物なのだから、これを運営しようという意識を持ってほしいところだが。なかなかそうはいかないらしい。とにかくやる気が感じられない。

しかし、この「公共の仕事はなるべく避けたい」という心性。現代人に共通したものではないだろうか。今回はこの活性化の方法について考えてみたい。

地域活性化事業での落胆

僕は宮崎で「ひむかかるた」という、宮崎県の文化や歴史、産業、偉人、名所、遺跡などを読み札にした郷土カルタを作成し、その普及に努めている。実はこういった郷土カルタは全国に千種類くらいある。しかし、そのほとんどは成功していない。「成功する」とはそのカルタが売れて、しかも地元の人々(主に子供相手なのだが)がこれに親しんでくれるようになることを意味するのだけれど、ほとんどの郷土カルタは作ったらそれで終わりなのだ。だからしばらくすると忘れ去られていく。で、このカルタの普及を成功させるためには工夫が必要。具体的には定期的にカルタ大会を開いて(だいたい年一回)、そこで競わせるようなことをする必要がある。昭和二十二年に作られた群馬県の「上毛かるた」がこの方式を採用した元祖で、現在では群馬県子供会育成連絡協議会によって毎年大会が開催され、全県の子供が参加するに至っている。で、群馬県人では上毛カルタを知らない、いや読み札をすべて暗記していない人間などいない状況を作り上げたのだ。そして「上毛かるた」は子供会、そして地域を活性化するツールとして大きな貢献を果たして現在に至っている。大会は一月に行われるのだが、県内の老若男女がこれに熱狂するのである。ちなみに審判や読み札の読み手、運営委員もかつてはこの大会に参加した人間なのだ。(この件については、いずれブログでご紹介したい。ちなみにブログの左端上の絵は「ひむかかるた」の読み札「我が輩は、宮崎牛だよ、おいしいよ」)。

これにあやかろう。つまり、この群馬のやり方をパクって、子供たちにかるたをやってもらい、地域活性化に役立てようと考えたのだが……なかなか人は動いてくれないというのが現実だった。
ねらいをつけたのは小学校。つまり先生方に授業や部活動などで使ってもらい、かるたを遊ぶことで地域アイデンティティを子供たちに植え付けるのがいいのではと考えたのだ。そこで市の教育長に談判に行くと、教育長は大いに理解を示し、即座に協力を約束してくれた。そこまではよかったのだが、さて、じゃあかるたやってくださいと声をかけると……全然、反応がなかったのだ。

まず、小学校では毎月「校長会」というのが開催されている。つまり市内の小学校長全員が出席していろいろと取り決めをするのだが、そこでかるたのことを説明し協力をおねがいした。だが、何の反応もないどころか、「おまえはどこの馬の骨だ?くだらん仕事を増やされても、困るんだよ」ってな雰囲気。

そうはいっても教育長の指示でもある。やらんわけにはいかない。で、まさに「仕方なく」という感じで各学校で担当教員が指名されたのだけれど、この指名された先生方もまた、明らかに迷惑顔。もっとも、最近の小学校教員は僕が子供の頃に教わった先生などに比べると仕事量が膨大(当時、教員は教卓の横の教員机で鼻くそほじくりながら、子供たちと雑談することができるような牧歌的な時代だった)。ただでさえ忙しいのに、こんなもの増やしやがって、大迷惑って雰囲気なのだ。口頭でその効用を説明しようにも(総合的な学習の時間とか郷土教育とか学級経営とか部活のツールとしては抜群に重宝するのだが、そんなことには気づかない)、話は右から左へ流れていくだけ。つまり、僕が役員になったこのマンションの管理組合と同様、やる気なさでいっぱいの人たちだったのだ。「こりゃ、ダメかな」と、当初は絶望的な気分になっていた。

ところが二年目を迎え(二月に第二回ひむかかるた大会を開催予定)、状況は意外にも好転している。参加校も増え、かるたクラブを設置した小学校もいくつか現れた。かるたの第一版3000部も無事完売、第二版を売りに出している。どうも普及は軌道に乗ったようなのだ。しかし、なぜ?こうなったのは僕たちスタッフの努力というより、意外なところから。いや、瓢箪から駒みたいなきっかけがあったからだ。そして、それは今回のマンション管理組合の活性化のノウハウにも通じるものがあると思っている。それは一言で言えば「公共バカ」の存在だった。彼らがかるた活動を突然、後押ししてくれたのだ。それは、いったい?(続く)

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