先ずジョン。ヨーコによるジョンの平和の象徴としての神格化はさらに徹底度を増し、ヨーコは数々の国際的イベントにいわば「ジョンの使者」として登場する。その典型は9.11のテロの際に、世界の各新聞紙に掲載した全面広告だった。広告には中央に大きく'Imagine'と明記され、その下に'Imagine'の歌詞が小さく続けられていた。だが、この広告の掲載主が誰なのかの明記がない。そこで読者から新聞社に問い合わせが殺到。新聞社としてはそれを受けて、ヨーコによるものであること伝える。するとその事実が全世界に再び発せられる。こうすることで、'Imagine'が伝えようとする歌詞のメッセージがメディアを介して二重三重にメディアを、そして口コミを介して伝播していった。ヨーコのアートのテーマであるlove,peace, imgine,communicationの四つをジョンを利用しながら見事にまとめてしまうという天才的なマーケティングを行ったのだ。ここではヨーコの備える形而上的側面=アートと形而下的側面=ビジネスがここでは見事に融合していた。もちろんこれでジョンの神格化はどんどん進む。そしてヨーコの評価もそれに付随するというかたちで。
もはやヨーコにとってジョンは自らのアートを実現する道具=メディアとなっていった。ヨーコの芸術表現とジョンの神格化は完全に表裏一体となったのだ。世界をカンバス、ジョンを絵の具に自由な創作活動をヨーコ。これこそ前衛芸術家の本領発揮だった。そしてヨーコは「ビートルズを解散に追い込んだ怪しい東洋人女性」から、彼女のアイデンティティである「前衛芸術家。フルクサス(ヨーコが所属した前衛アート集団。J.ケージや前々夫の一柳慧が所属していた)のメンバー」という評価を勝ち取るのである。
21世紀以降、ヨーコは2006年トリノ・オリンピックの開催式に登場し、やはり'Imagin'を掲げながら平和を訴え、そしてアイスランドにはジョンを記念したモニュメントイマジン・ピースタワーを建立した。デザインを担当したのは、もちろんヨーコだった。そしてこの二つの出来事に共通する言葉はいうまでもなく'imagine'だった。
と、このように考えるとヨーコという存在は、今日のジョンの社会的認知にとっては必須であったということができるだろう。ヨーコはしばしば批判の対象となるが、なんのことはない。ジョンを輝かせたのはヨーコの力によるところが大きいのである。もちろんヨーコは自分の取り分も計算に入れているというわけなのだが。