実は野球をめぐる物語、夢の演出は続行されている
夢=物語+キャラクターの図式が登場するのは個人の資質ではなく、実はメディア・イベント、つまりメディア、とりわけテレビによる部分が大なのだ、という文脈で議論を展開している。しかもテレビの政治として。で、このことは、現代の野球においても同様だ。実は、野球というスポーツをめぐってドラマは依然として展開している。現在、プロ野球はほとんどドラマらしきものを失ってはいる(新庄という、特異な物語喚起能力のあった例外的キャラクターを除く。あれはメディアの上を行ってしまった特異な存在だ)。しかし、ちょっと目先を変えてメジャーリーグを考えてみればどうだろう。なんのことはない、人々は巨人の選手は知らなくとも、野茂、イチロー、松井、松坂、岡島、城島なら知っているし、この選手の今日の成績も結構知っている。これは大リーグという、より物語を喚起しやすいステージをメディアが見いだし、大リーグにもかかわらず、日本人選手に特化するかたちで報道を積極的に展開しているからだ。
そのドラマのキャラクターの先鋒としてあげられたのは野茂英雄だった。野茂はプロ野球界のバッシングにもめげることなく95年、単身渡米。大リーグピッチャーとしてデビューし、新人王と三振奪取王を獲得する。この「蛮行」、しかしメディア的に極めてキャッチーな出来事(つまり、これは「逆黒船」だったのだ。つまり攻められっぱなしの日本がアメリカに攻め入ったことに日本人は拍手喝采した。またこれは待望されていた日本人の大リーグでの活躍の実現でもあった)にメディアは一斉に注目。そこでは野茂をめぐってドラマが展開され、人々はこれに大いに注目した(野茂はしゃべりがヘタで、記者会見でもほとんど何も話さない。つまり、トルネード投法という特異なピッチングフォームを除いて個人としては物語喚起能力が極端に低いキャラクターなのだが、そんなことはもはや問題ではなかった)。ちなみに、この時、最も野茂の報道に力を入れていたのがNHKだった。NHKはBS放送の普及コンテンツの一つとしてそれまで大リーグ中継を行っていたのだが、なかなか実を結んではいなかった。そんなとき野茂という存在はその普及のためにの格好のキラーコンテンツと映ったのだ。その年、NHKはBS放送において野茂が所属したロサンゼルス・ドジャーズのホームグラウンドでの全試合を中継する。いうならば、この大リーグブームもメディアコンテンツ普及のための手段。それがメディアイベント化したわけである。
そしてその後、イチロー、松井、松坂が大リーグ入りしたことはもはやいうまでもないが、やはりこの時もメディアは彼らを大々的に取り上げ、キャラクターと物語を配置し視聴者に夢を提供したのである。
そう、こちらも野球、ただし大リーグになっただけ。メディアがプロ野球から大リーグに鞍替えし、夢をまた演出しているのは、専らメディア=テレビ側の都合なのだ。(続く)