勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2008年06月

地元で当たり前すぎると、記号化されない

ローカル・フードが記号化されない理由はもう一つある。それは、地元の人々にとって、あまりに当たり前であるため、文化として相対化されず、語られることすらないという状況があるからだ。いいかえれば透明な水のような存在で語彙としては扱われていない。これもまた「記号されない」メカニズムの一つである。

前述した宮崎のうどんやラーメンがその典型で、地元の人間たちはこれを文化とも思っていない。いいかえれば、そんな仰々しく考えるものではなくて単なる日常の一部としてしか見なしていないのだ。うどんはああいうもの、ラーメンもああいうもの。どちらもただの「うどん」そして「ラーメン」。マルクス的に表現すればすべて即自的存在なのだ。

宮崎にいた頃、僕の学生に「熊本に就活に行くんですけど、おいしい熊本ラーメン屋さんに行きたいので紹介してください」とたずねられたことがある。そこで僕は熊本駅前にある「黒亭」(こくてい)を紹介した。で、後でその感想を聞いたところ「う~ん、ただしょっぱいだけで、甘みが足りないですね」。この学生がこんな感想を漏らしたのは「ラーメンというのは多少甘いもの」というとが、存在論的に前提されたているから。つまり、この学生は宮崎ラーメンが「ラーメンの味の基本」としてあり、これを基本=土台に、その差異として熊本ラーメンを語ったのだ。しかし、肝心の宮崎ラーメンのテイストについては全く相対化がなされていない。ラーメン=宮崎ラーメンとしか考えていないので、熊本ラーメンにやったような他者の視線からの評価を宮崎ラーメンにすることが出来ないのだ。

で、ここまで味覚が身体化されていると、それが当たり前ゆえ、語彙として明示化されることがない。これが結果として、文化としては記録されないという事態を起こし、だから記号化されずにローカルエリアにくすがったままという状況を生むのだ。

マーケッターよ、もっとクリエイティブになろう

さて、こういうふうに考えると、日本全国にはまだまだ「記号化」されず埋もれたままの食文化がものすごくたくさんあるということが見えてくる。で、僕は提案したい。こういったものを発掘するというのが食文化における新しいマーケットを開拓するよい方法なのではと。具体例を挙げれば前述した静岡おでんだ。これは、地元では駄菓子屋に埋もれていて「言葉=記号」になっていなかったものを「記号化」することで全国的に認知させることに成功した好例だろう。

タイ料理、ベトナム料理もいいけれど、実はこういった日本に根付いた食文化の発掘のほうが日本人にはしっくり来る、そしてずーっと親しみ続けるようなものになることができるのではなかろうか。

マーケッターのみなさん、がんばってください!掘るべき穴は意外に近くにあるはずですよ。

記号化されないものは、認知されない

タイやベトナムなどのアジアンフードはドンドン店がオープンするのに、国内ローカルエリアの食文化は相変わらず知られないまま。なぜ、こんなことが起きるのだろう。
原因は記号論のテーゼ「記号化されないものは認知されない」というところにあるだろう。つまり、これらの食文化が記号=シニフィアンとしてメディア上に出現する機会がない。ということは、それは存在しないに等しいということになるのだ。「メディアが取り上げない事件は事件でない」「事件でなくてもメディアが「事件」として取り上げればそれは事件となる」(これはメディア論では「メディアイベント」と呼ぶ)。要するに味云々の問題ではないのだ。取り上げる、取り上げないというところが分岐点になる。ではローカルフードはなぜ取り上げられないのか。

一つは、メディアがこれに気付いていないということだ。うどんやラーメンなんていうのは日本国中どこに行ってもある。ということは、取り上げても仕方がない、取り上げたところでこれがビジネスに繋がるとは考えづらいという文脈が存在する。ようするに「記号性」が低く、他と差異化が難しい。かぶってしまっているので、違いを出しづらいのである。

一方、タイやベトナム料理というのはどうだろう?これは、もともとわれわれの知らない料理。しかも試しに食べてみれば、ちょいと海外旅行気分が味わえる。で、その経験をちょっと自慢しながら他人に吹聴することも出来る(もっとも、最近はもう自慢するほど珍しいものではなくなってしまっているけれど)。つまりこちらは「記号性」が高いのだ。アジアと日本のあんまり知られていないローカル。前者の方が人目につきそうということはいうまでもない。逆に言えば宮崎のうどんやラーメンであったとしても記号性が高ければ注目されるということでもある。

宮崎のラーメン屋・ラーメンマン(これは風来軒系の新宮崎ラーメンだが)に行くと、カウンターの後ろにセレブの色紙がたくさん飾られている。その中には東国原県知事の色紙もある。しかもその隣の色紙はそのまんま東だ。つまり知事就任前も後も彼はやってきているわけで、そんな彼が宣伝すればラーメンであれうどんであれ知られる可能性が出てくるんだろうけど。

静岡おでん?そんなもの地元静岡では存在しません!

いや、ローカルな食べ物で、ここ数年の間で突然メジャーになったものもある。それは「静岡おでん」だ。鰹ダシ、醤油炊きで、何日間もつけこんである。おかげで、いちばんのウリである黒はんぺんは真っ黒だ(鰯のすり身のはんぺん。当然、元の色は灰色なのだが、つけ込むために食べる頃にはこうなっている。ちなみに、地元では「黒はんぺん」は、単に「はんべ」とよばれ、白いはんぺんのみ「白はんべ」と呼ばれる)。これを魚粉末をトッピングして食べる。この静岡おでんの店がテレビ・雑誌などで紹介されてメジャーになり、東京のあちこちにできはじめている。僕の実家のある浦安にも、これをメインで出す居酒屋がある。

しかし、実は「静岡おでん」などというものは地元・静岡では、ある意味存在しない。えっ、ないの?……というわけではない。もちろんあるのだが、静岡県民はそんな呼び方をせず、たんに「おでん」と呼ぶ。そして、「静岡おでん」を供する専門店などといったものも元々はどこにも存在していなかった。じゃあ、あれはいったいなんなんだ?ということになるのだが。

駄菓子に付けられた記号、それが静岡おでん

静岡おでんとは、実は静岡の駄菓子屋が出しているフツーのおでんのことなのだ。静岡県民なら、子どもの頃、駄菓子屋に行って親しんでいた安物のおでん、これが現在、「静岡おでん」などという仰々しい名前で売られているだけのことなのだ。僕は静岡県生まれなので、子どもの頃は毎日これを駄菓子屋で食べていた。当時は一本五円。当時の子どもの小遣いの平均が二十円くらいだから、お手頃の駄菓子の一つだったのである。で、静岡を離れてからは、この味を懐かしく思ったものだ。

おそらく静岡おでんは、僕と同じような経験を持っている静岡出身のマーケッターあたりが、メディアに乗っけた、つまり記号化したから知れ渡ることになったのではないだろうか。また、この「真っ黒け」(ネタも汁も)というのも記号的差異化を図るのには好都合な特徴だったこともあるだろう。つまり静岡おでんは「記号化されたから認知された」ということなのだ。(続く)

日本のローカルフードはど~なのよ?

首都圏で定着を見せるタイ、ベトナム、インドなどの各国料理。情報社会における流通革命は、食に関してもグローバル化を推進しつつあるのだが……いや、ちょっと待て!

このあいだまで自分がいた宮崎の料理ってのは?いやいや関西以西の代表的な料理であるうどんは?もちろん、ここラゾーナのフードコートにも中村屋という関西のうどん屋は入っている。しかし九州のうどん屋なんてのはない。そしてラーメンも有名どころ、つまり池袋=えるびす、葛西=ちばき屋、札幌=純連がある。ところが九州のラーメンはない(一風堂とかのメジャーじゃないよ)。
つまり、海外の料理は入ってくるのに、国内のローカルフードというのがほとんど無いのだ。あらためてツッコミを入れておくと、九州のうどんは関西のうどんとは違う。基本的にはいりこだしで、麺にコシがない「でろでろうどん」なのだ。このコシのなさがダシとよく絡んでハマる。つまり関西以西のうどん=讃岐うどん系のコシの強いうどんという図式は完全に間違っている。これは別のカテゴリーに属するうどんなのだ。これは九州の人間しか知らないだろう。

九州ラーメンにしてもそうで、九州には博多ラーメン、長浜ラーメン、熊本ラーメンの他に、久留米ラーメン、鹿児島ラーメン、宮崎ラーメンなどがある。久留米、鹿児島、そして宮崎は博多ラーメンとは違うもの、そしてそれぞれもまた違っている。さらに、それらは当地では住民に長く親しまれており、食文化として定着している。一例を挙げれば宮崎のラーメンは九州全般に普及しているとんこつだが、もやしがトッピングされ、そしてちょっと甘みがある。で、必ずと言っていいほど沢庵が添えられていて、客の多くはにぎりめし(塩むすびで海苔はまいていない)をサイドオーダーする。でもこんなラーメン、宮崎の人間以外にはほとんど知らないだろう(ちなみに、博多のラーメンスタジアムなどに出店した風来軒というラーメン屋は、伝統的な宮崎ラーメンとは異質)。

なぜ、外国料理なら入ってきて、九州のうどんや博多・熊本以外の九州ラーメンは入ってこないのか?
(続く)

今回は文化伝播の不平等について考えてみたい。対象とするのは九州の「うどん」だ。ただし、第一回は、一切うどんは登場しない。代わりに展開されるのはタイ料理なのだが……(うどんは第二回以降に登場します)

川崎のフードコートにタイ料理があった!

宮崎から川崎に移り住んで三ヶ月が経とうとしている。で、「やっぱり都会だなあ」とビックリしたのは、川崎駅前ラゾーナ川崎プラザの一階フードコート=ダイニング・セレクションにタイ料理のコーナーがあったこと。その名は「バンコクチキンライス南国泰飯」(以下、バンコクライス)。宮崎市内にはタイ料理屋なんか数件しかなかった(しかもChai-yoというレストラン一件を除くと、ほとんど味はなーんちゃってだったのだが)。まあ、レストランとして存在するのは分かるのだが、フードコートのコーナーというのはさすがに驚いた。ようするに、それほどまでにタイ料理がポップなものになったということなんだろう。昔だったら東京でさえもタイ料理にありつくことは大変だった。東京ですら数件(ベトナム料理に至っては大久保の喜楽南くらいしかなかった。インド料理店だって九段下のアジャンターとか銀座のナイルとかわずかだったのだ)、だからタイ料理を食べに行くのはタイというのが相場だったのだが……それが今やフードコートなんだから。

味はホンモノ

このバンコクライスというお店はゲーンキョーワン=タイカレーやバーミーナム=タイラーメンなどの現地の屋台料理を提供している。で、味はどうなんだろうと試してみた。すると……「ウマイ!なんじゃ、こりゃ?」という味だった。正真正銘のタイの味(日本風にアレンジしてません)なのだ。しかも、かなりいいレベル。僕は二十六年前にはじめてタイを訪れてから、これまで何度となくタイの地を訪れているので、タイ料理の味というのは結構理解しているつもりだ。たとえばバンコクでも屋台料理も本当においしいのはそれこそ十件に一件くらい(もっと低いかな?)ってことは知っているし、レストランに行くときもガイドブックに掲載されてない馴染みのところへ通っている。そこそこタイ料理の味は鍛えているつもり。そのタイ料理リテラシーでもって、試してみてもウマイのだ。ちなみに厨房を切り盛りしていたのはタイ人だった(カウンターのおっちゃんに「タイチキンカレー一つください」と注文したら、このおっちゃん「ゲーンキューワンガイ、ヌン」ってタイ語で声を上げ、ついで奥の方で料理人が「カー」(タイ語の「ハイ」の意味。「カー」と引き延ばすので料理人は女性。男性なら「カッ(プ)」となる)。で、よくよく調べてみるとこの店はタイ料理チェーン店・ティーヌン(「一皿」という意味)のいわゆる’エクスプレス’だった。このフードコート。他にもインド料理、イタリア料理などがある。いやあ、情報化、高度消費社会科で東京の食も豊かになったもんだとつくづく思ったのだが。……しばらくして、チョット僕はこの考えを改めはじめた。(続く)

レイジング・スピリッツの不可解

東京ディズニーリゾート最速のコースター

レイジング・スピリッツは2005年7月、ディズニーシーオープン後初の新規アトラクションとしてロストリバーデルタ、ユカタンベースグリル・キャンプの隣りにオープンした。「古代神の石像を発掘する現場で、神聖さを汚した人間に神が怒りを爆発させる」というテーマ設定。レイジング・スピリッツとは「怒り狂う神々」を意味している。ホッパーカーという二両編成のライドに乗って炎の中をくぐり抜ける。全長六百メートルと、東京ディズニーリゾートのコースター系の中では最も距離が短いが、スピードは最速60キロと他を凌ぐ(ちなみにスペースマウンテンは最速50キロ、ビッグサンダー・マウンテンに至っては40キロしか出ていない)。いちばんの見せ場は360度回転する場面ということになっているが、むしろこのアトラクションは二回の落下時の方が迫力がある。先頭に乗る以外は身体を上から支える安全バーが邪魔をして前が見えない。だからいつから落下しはじめるから予測がつかず、これが結構スリリングなのだ。

あんまり意味ないかな?と思わず思ってしまうのだが

さて、当然ここは「遊園地」なので、華となるコースターものはある程度必要。しかし、である。だからといって、チョットこれはないかな?と思わないでもない。ロストリバーデルタに位置するので秘境とか密林とか、怒れる神とか、まあわからないでもないのだけれど、ストーリーが一般に認知されていないということが最大のデメリットになって、どうも、全体の中でのテーマの連続性が感じられないのだ。おそらく、これがどういういわれ=物語を持っているのかなんてことはほとんどのゲストは知らないだろう(一方、タワー・オブ・テラーの方は濃厚な物語の味付けをし、ライドに乗り込むまでにその説明をしつこくおこなったり、オープンにあたってはwebやラジオなどを駆使してシリキ・ウトゥンドゥをめぐる物語の認知キャンペーンを行い、背景をわからせるような努力をしている)。

その結果、このアトラクションはどうしてもコースターという遊具=キカイの側面が前面に出てきてしまう。つまりテーマパークの中に完全には流し込まれることはなく、ちょっとそのへんの「遊園地」の乗り物っぽい印象を受けるのだ(この違和感は、かつて東京ディズニーランドにあったアトラクション、ミートザワールドを彷彿とさせる。こいつはどう見ても万博のパビリオンだったのだ)ちょっとテーマ性が崩れていて残念ではある。ちなみにここにある水の神(アクトゥリクトゥリ)は、タワーオブテラーの主役、ハイタワーホテルの支配人で悪辣な探検家であるハリソン・ハイタワーが略奪しているのだが、そのシーンはタワーオブテラーに飾られている写真の中に見つけ出すことが出来る。つまりホッパーカーが怒って走り回るのはハイタワーのせい、ということになる。

隣のインディー・ジョーンズとリンクさせればよかったのに

このテーマ性の貧弱さは何とかならないか。僕は考えたのだが、ここはどうせなら初めからインディージョーンズにしてしまえばよかったのではないか。それはインディージョーンズ第二作”魔宮の伝説”のハイライトシーンは地下のトロッコに乗ってカーチェイスならぬトロッコチェイスをするところ。このモチーフを持ち込めばと思ったのだ。このトロッコのシーンはかなり有名で、テレビのクイズ番組でもアイデアが借用されている。問題は、トロッコ一台なので客捌けが悪いというところ。だったらスピードを落として景観や瞬間的な変化で楽しませるのがよいだろう。たとえばオーランド・カリフォルニア・アドベンチャーのマルホランド・マッドネスのような小さなライドだが、カーブで突然スピードが上がったり、突然落下したり。これにストーリーをつければ、気分はすっかりインディージョーンズということになると思うのだが。”

最後に、東京ディズニーリゾートで最速のアトラクション、実はこのレイジング・スピリッツではない。では、いったい?…………。その答えは”スプラッシュ・マウンテン”。滝壺の落下速度は62キロもある。ただし一瞬に過ぎないんだけど……

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