勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2008年04月

出現した中国留学生大聖火応援団

オリンピックが本来政治それ自体であり、また聖火リレーもまたナチスドイツ、突き詰めればヒトラーたちによって作り上げられた政治的プロパガンダであること。そして今回、中国政府もまた、人権団体と同様、自らの政治手段としてオリンピックを利用していること。要するにオリンピック、いやそれだけでなくメディア・イベントとしてのスポーツがすべからく「政治それ自体」であることは数回前の本ブログで示しておいた。そしてこの政治性を象徴的に示すのが、今回の聖火リレーを巡る一連のゴタゴタ、つまり聖火リレーへの妨害(あるいは、リレー中継を使ってのチベット迫害抗議)だった。

さて、こういった「政治性」に疑義を挟む中国人、とりわけ海外に滞在している中国人、とくに留学生を中心とした人々たちが「オリンピックと政治は別」ということを示そうと、聖火リレーが行われる場所へ大挙して向かい、中国の旗を振り「中国万歳、オリンピックを成功させよう」と街頭で大々的な応援を繰り広げた。つまり、彼らは聖火リレーが「政治の道具」に利用されないよう、聖火リレーの現地で大勢で旗を振り盛り上げることでこれをかき消そうとしたのである。

留学生応援団こそ究極の政治集団

しかし、これこそ究極の政治行動と僕は考える。ただし、沿道に陣取って旗を振っていた留学生があからさまに政治的意図を持っていたというわけではない(もちろん、一部その手の人間もいたであろうが)。むしろ、彼らは純粋に北京オリンピックを成功させようと聖火を応援しに来ただけだろう。ただし、だからこそ、これは究極の政治行動と考えることが出来ると僕には思えるのだ。

中国人留学生たちが育った情報環境を考えてみよう。もちろん彼らは中国に生まれ中国に育った。ということは中国共産党の政治方針の中で自らの人格を培ってきた人間たちだ。そして中国政府は中国人民の思想統制をこれまで続け来たし、現在でもずっと続けている。しかもその思想統制のやり方は情報化社会の進展とともに巧妙になっているとも言える。それは現代思想の言葉を用いれば「規律訓練型」の権力行使から、「環境管理型」権力への移行ともいうべきものだ。今回はこの違いを示しながら、聖火での中国留学生たちの政治行動を考えてみたい。結論を先取りすれば中国の環境管理型権力の見事な作動の結晶が、この留学生たちの聖火への旗振りなのだ。(続く)

関東に戻って気付いたこと

私事で恐縮だが、十年ぶりに関東圏に戻ってきた。未だに環境を見る目線は三月末まで暮らした宮崎のそれだ。で、その視線で見ると十年前とは明らかに違っている東京=関東に気づくことが出来る。それは、まあいろいろとあるのだが、ちょくちょく東京には来ていながら(宮崎在住時にも月一回くらいの割合で東京に通っていたので)気づかなかったことの一つをここでは取り上げてみたい。それは「東京がニューヨーク化、いやユニクロ化している」ということだ。

どいつも、コイツも真っ黒だ

現在僕は川崎のマンションに住んでいる。かなりの大規模マンションで、朝、駅に向かう通りには多くのサラリーマンたちが急ぎばやに職場に向かう姿を見ることが出来る。彼らは三十代なのだが、なんとスーツが男女を問わず、ほとんどがインディゴ系の黒の出で立ちなのだ。グレーを見ることなどほとんどない。それゆえ駅のプラットホームは黒一色に染まる。さながら「カラスの集団」。これは十年前には見かけることのない風景だった。なんだか学生服のようにすら見えるが、まあ、ちょっと藍色がかったところは異なる。もちろんダサいということはなく、それなりに決まっているのだが……制服みたいに誰もが誰も同じ色、格好というのはどうなっているんだろう。

シンプル・イズ・ベスト

そして、もう一つ特徴的なのがコテコテのデザイン・スーツもまた一切見あたらないこと。よく言えばスタイリッシュ、悪く言えば地味である。だからやっぱりそれなりに決まっているのだが……これと同じ風景を僕が初めて経験したのはもう七~八年前のニューヨークだった。その時、感じたのは、なぜエリートのニューヨーカーは地味な黒の、シンプルなスーツに身を固めているのだろうか、というものだった。もっと派手でも良さそうなものをとその時は思ったし、松井秀喜がヤンキースに入団したとき、いきなりこの格好をしたのにも驚いた記憶がある。「ニューヨーカーってのはあまりファッションにこだわらないで、この「黒」ファッションになるんだろうなあ」僕はその時、そんな風に考えていた。

日常もまたシンプル、そして黒

さて、この黒が気になってくると、今度は日常の格好もまた気になり始めた。で、よく見ると、シンプル、そして黒基調がやはり多く、その他オレンジやグレーなんて言うのもあるが、ちょっとくすんでいて、そして落ち着いたファッションに仕上がっている。黒はもちろんだが、ほとんどが無地なのだ。

そして、この黒ずくめの原因はなんなのか?しばし僕は考えた。その結論が今回のタイトル「日本はユニクロ化しているのではないか」というものだった。

このシンプルで少しくすんだデザイン。よ~く見るととってもユニクロに見えるのだ。言いかえると公私を含めて、生活を彩る衣服のすべてがユニクロづくし(おそらく、必ずしもユニクロで購入しているのではないのだろうが、デザイン的には「ユニクロ基調」に見える)。実際、ユニクロに行くとどこも盛況だし、ユニクロで衣類を購入に着た客は、判で押したようにユニクロを身に纏ってユニクロ製品を購入に着ている。だから店舗それ自体が客も含めて妙な統一感に溢れているのだ。

ファッションからおりたなら、ユニクロという時代

こう考えると、関東の人間の多くがニューヨーカー化したと言えるのかもしれない。もっともアメリカ人はファッションセンスが基本的に最低。何も考えていない。でもニューヨークではそこそこの格好をしなければならない。だったらあつらえのニューヨークファッションセットを着ておけば安心とニューヨーカーは考えているのでは。

で、これと同じ考え方を東京人がはじめたのだ。いちいちファッションにこだわるのはカネがかかるし、うざったい。もっと他のことに関心を集中したい。でも、みっともない格好はできない。だったらユニクロが提供するトータルコーディネートをそのまま身につけておけば、さしあたり安心だし、費用もかからない。

つまり、かつてのようにファッションにこだわるのはやめたとしても、ユニクロにすがっている限りは問題ない。80年代の消費による差異化、個性化の果てにたどり着いた新しいシステムとしての、な~にも考えなくていいファッションに全面依存し、ファッションからおりること。これをやり始めた結果が「黒ずくめ」というスタイルを生んだのではないか。アメリカといえば肥満の国。しかしニューヨークだけは肥満が非常に少ない。ニューヨーカー、実は他のアメリカ人以上に周囲を気にする存在。でもファッションセンスはダメ。だから黒というシステムが用意された。一方、日本人も周囲の目を気にする。その二つのニーズが共通に選んだテキスタイル。それが黒を基調としたファッションシステムだったのだ。

この「ファッションから降りたらユニクロ」という図式。いずれ全国を取り巻くのではなかろうか。ファッションにこだわるマイノリティは徹底してファッションにこだわり、そんなの面倒くさいという人間にはユニクロという無難なコーディネートシステムが用意される。こういったファッションの二極化が今、全国的に展開されようとしている。僕にはそんなふうに思えてならない。

メディアイベントとしての最後の楽園の創造

バリ観光の歴史について人類学の新しい視点から考察を行う『バリ観光人類学のレッスン』(山下普司著、東京大学出版会)は、その中でバロンダンス、ケチャ、ウブド芸術といったバリの伝統的と思われている文化のすべてが実は20世紀になって創造されたことを明らかにしている。20世紀初頭、バリ島を植民地化したオランダは、バリ周辺地域のイスラム教に基づく民族主義の台頭の抑止とバリ植民地支配の正当性を内外に示すために、バリですでに廃れつつあったヒンドゥー教を無理矢理復活させ、バリ島住民を強制的に改宗させていったのだ。そして多くの欧米観光客をバリ島に招き、バリ「古来」の「伝統」芸能を披露することで「最後の楽園」としてのバリ島のイメージを世界に向けて演出していたのだという。

マルクス主義的に見ればこれは”搾取”に他ならない。だがそれは浅薄な見方だ。なぜならこの政策を支持したのが他ならぬバリ島民だったのだから。彼らはオランダ政府が強制する古びた伝統を積極的に取り入れ、自らの文化の一部としてリニューアルする。そして独立後、バリはまさに「最後の楽園」というキャッチコピーをバリ島民自らが標榜して観光化を推進し、復活した様々な伝統芸能に新しい解釈まで加えてこれをより活性化していったのだった。いいかえればバリ島は最も古いテーマパークのひとつだったのだ。当然、観光客は見事にダマされている、ということにかたちの上ではなるわけだ。(もっともこうなると誰が誰をダマしているのかもう全く判らないのだが……)

移りゆくもの。それこそが文化だ!

こういった現実は伝統、文化というものが何なのかという問いをわれわれに突きつける。伝統とはかつて存在したもので、今日、文化遺産として保護すべきものなのか、それとも人々の生活の中に入り込みながら変容してゆくものなのか。バリ島の人々の生き生きとしたパフォーマンスを見せつけられたぼくは、その選択に悩むことはもはやなかった。バーチャルな存在に現地の人々が乗り、それを文化・伝統として引き継ぐことで生活の中に再び取り込まれ、そうした新しい「伝統」が人々を活性化させ、社会を成り立たせる重要な要素として彩りを添える。ならばバーチャルな存在こそがリアルであり、かつてあった伝統=現実という名のリアルを保護することのほうがむしろよっぽどバーチャルなことではないのか。

ぼくがあのショーで見たのは、そういった観光の捉え方を身体化しているバリ島の人々の機敏な切り替えの瞬間だったのだ。会場がゲストで満杯であったら、彼らは観光モードに基づいたバリダンス、ガムランを聴かせてくれたのだろう。一方、あのときは観客がいないことをよいことに自分たちの楽しみとしてのパフォーマンスを繰り広げたのだ。そう考えれば、観客無きパフォーマンスでの彼らのあの熱狂は十分に理解できる。僕はダンスの、そして文化の二つのモードの存在をまざまざと見せられたというわけだ。

バリの人々のバーチャルなパフォーマンスに対する生き生きとした感覚。これこそ彼らにとってはもっともリアルな、そしてオーセンティック(真実)なものにほかならない。

ほとんど客のない中で、勝手に盛り上がりはじめたバリダンスショー

バリ島、ロビナビーチへリゾートに出かけた時のお話である。
ある日、宿泊するホテルのレストランでバリダンスショーが開催された。元来、ぼくは、こういった”いかにも観光”のたぐいの催しには興味を示さないのだが、ホテル内で読書と原稿書きの毎日で少々マンネリ化という気分もあったので、「たまにはこんなのも見てみるか」と、いい加減な気分でこのショーを見物することにした。

ところが夕刻、レストランの席に着いてみるとちょいと困ったことが起こる。というのも観客が僕を含めてたった四名しかいないのだ。一方、楽団とダンサーは総勢なんと15名。気の弱いというかお人好しのぼくには、これがとても重圧に感じられた。おもしろかろうが無かろうが、ショーが始まったら、僕らは無理矢理ショーに集中しなければならなくなる。ではとっとと席を立てばいいのだが、それでは一層客が減り申し訳ない……。

一方、ショーを催す側にしたところで、これっぽちの客ではヤル気もおこらないのは目に見えている。その場にいたくない人間とやる気のない人間が鬱屈した空間の中で科されたノルマを消化すべく、がんじがらめにされる……状況は最悪を迎えようとしていた。
ところがショーが始まると事態は予想外の展開を見せる。ヤル気なしと思われたショーの一行は、なぜかウキウキ、威勢よく、元気に演奏・ダンスを始めたのだ。メンバーは誰もが楽しげで、楽団とダンサーが顔を見合わせ笑みを交わすほど。挙げ句の果てにはぼくらも踊りの中に連れ出され、勝手も分からぬままに踊るというハメに。そしてなんと、ショーは終了時間を過ぎても延々と続いたのである。「いったい、これはどういうことなんだ?」楽しくも不可思議なそのひとときが僕の脳裏にこびりつき離れることはなかった。

だが、この疑問は『バリ観光人類学のレッスン』(山下普司著、東京大学出版会)という書物を手にしたとき解明する。(続く)

判決がメディアに影響されたとは言い難い

光市の母子殺害事件。この事件で被告に死刑が下されたことを視聴者の多くは肯定している。でも、これはちょっと恐ろしいと思う。それは善と悪、二つのタレント性を引っ張ったメディアによって、この肯定が構築された可能性があるからだ。本村氏は「悲劇のヒーロー」。一方、被告は「悪魔」、弁護団は「悪魔の手先」。前回の表現をもう一度繰り返せば悪代官と越後屋のセット。でも、よく考えてみて欲しい。現実の世界はこんなに単純ではないのはあたりまえだ。まさに事件がメディアの視聴率至上主義によってわかりやすいシンプルな勧善懲悪ドラマに編集され、それに視聴者のほとんどが納得してしまっているのだ。社会の複雑性は、ここにはない。ここにあるのは「現実」のスペクタクル化だ。こうなると、この事件は視聴者の暇つぶしには最も適合的なコンテンツに化けてしまう。しかしである。これは敷衍すれば、メディアによって視聴者はどのようにでもコントロールされてしまうということでもあるのだ(ちなみに、言いかえるとメディアも視聴率というもので自らがコントロールされているとも言えるのだが)。

一方、死刑判決を批判する側にも問題ありだ。批判する側は、これがメディア主導で行われた報復劇、魔女狩りだと指摘する。つまりメディアがもっぱら、この善悪二元論図式でこの事件を報道することで、判決自体に影響を与えた。司法は大衆の思いを反映させて、死刑を宣告してしまったというわけだ。僕は、これもちょっとおかしいと思う。判決を下した裁判官とテレビにコントロールされ死刑を肯定してしまった視聴者をイコールで結びつけることは出来ないからだ。言いかえれば、司法はそんなに迎合主義的だとは思えない。

でも、やはりこの死刑判決はメディア・イベント的に構築されたもの?

では、メディアの報道がこの判決に全く影響していないのだろうか?僕は、やっぱりメディアはこの判決に大きな影を落としていると思う。それはもちろん、前にあげたメディアの報道に司法が影響を受けたからというのではない。むしろ影響を受けたのが安田を中心とする弁護団と考えるからだ。

つまり、先ず犯人の友人あての手紙、つまり犯行のことを全く悪びれていないようなそれを、メディアが大々的に報じた。これでは分が悪い。そこで弁護団は、今度は「全く殺意はなかった」という話に事件の全容を作り替えてしまった。ところが、これがかえって墓穴を掘ることになってしまったのではないか。この話、素人目にも全然リアリティがないのだ。いや、むしろ罪の軽減をねらった「狂言」的な印象を与え、裁判官の心証をかえって悪くしてしまったとすら考えられる。だからこそ、裁判官は弁護側の主張に判決では一つ一つ丁寧に反論していったのではなかろうか。要するに、こういった作戦によって、裁判官はむしろ「これは巧妙な罪逃れであり、被告は全く反省していない」というふうに判断した、こんなふうに僕には思えてならない。

いったい21人の弁護士たちは何を考えていたんだろうか。僕にはメディア報道にあわててしまい、急ごしらえで今回のような「話」をでっち上げてしまったように思える。佐木隆三が指摘したように、そういった意味では今回、弁護団は「自爆」したと考えてもよいのかもしれない。

そうなると、この弁護側の「自爆」を引き出したのは誰?ということになる。そう、これはメディアがやったことだ。ということは、今回の死刑判決は弁護団がメディアに踊らされた結果だと考えることもできるわけで、そうなれば、この判決は、やはりメディア・イベントということになるのだ。弁護側が最初の「殺意の肯定」の自白を引き継いだかたちで弁護していたら、ひょっとしたら死刑という判決は出なかったのかもしれない。

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