勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2008年01月

政党、政治家支持から政策支持へ=しがらみの排除

知事の不可解な行動

ここ一年。東国原知事の手法の中には一般の政治家のやり方ではちょっと理解しかねる行動、言動が数多く見られた。たとえば昨年四月の統一地方選では、自らの人気にもかかわらず、これを利用して東国原チルドレンを指名しなかったために、オール野党の県議会は安泰となった。また最近では中山成彬氏を応援するとか、自民党の政策を支持するなど……これらは一見すると、「知事、実は保守与党寄り、実はしがらみ志向」との印象を抱かせるものでもあった。

ただし、ここで知事が言わんとしていたことは「政策重視」ということ。つまり、政策がよいものであったならば、党がなんであれ、政治家が誰であれ、そんなことは二の次だというもののとらえ方であったように思われる。

そして今回の超党派での政策組織「せんたく」の立ち上げは、その視点を明確に打ち出すものといえるだろう。これもまた政党や個人に関わりなく、政策に焦点を当てるというものでは、視点は一貫している。

これら不可解な行動を一貫するもの

さて、一年前の知事選のことを思い返してみよう。この時、争点となったのは「しがらみ」だった。つまり政党や代議士との癒着が県政の腐敗を招き、それに嫌悪感を抱いた県民が指名したのが、「しがらみ」の一切ない東国原知事であったことは記憶に新しい。

そして、知事の「政策重視・政策至上主義」の方針は、「しがらみの排除」という点でも、非常に効果的なやり方といえるだろう。

これまでの政治といえば、政党や政治家に庶民がいろいろとお願いをするかわりに、庶民がこれを支持するというのがパターン。つまり、組織や人間とのつながりが必ず政治に含まれていたわけで、実はこれが「しがらみ」の温床になっていた。

ところが、こうやって政策と政党・政治家を完全に分離してしまうことで、このような「しがらみ」を作ることが、事実上、困難になる。また、政党・政治家は政策次第で支持されたりしなくなったりするわけで、それが結果としてちゃんとした政策を打たなければならなくなる。

こう考えると、東国原知事の不可解な行動。実は「政策重視」と「しがらみ」排除と言う点で、一貫性があったということになるだろう。

オマケ・次は国政改革のキャラクターシールに?

もっとも今回の「せんたく」の発起人は、北川前三重県知事や松沢神奈川県知事、佐々木毅前東大総長である。ただし「せんたく」立ち上げの記者会見でまん中に座っていたのは東国原知事だった。これはなぜか?実は知事は「北川さんにまんまとハメられた」とオフレコだがコメントしている。発起人の一人として参加し、会見席に臨んでみたら、自分の席がまん中だったというわけだ。

ただし、こういった北川氏のやり方はメディア論的には「常套手段」と判断できる。とにかくマニフェスト=政策重視の政治、そして地方から中央へ提言する政治。こういった新しい政治のスタイルを提唱するに当たって、東国原というマークほどわかりやすく、耳目を集めるものはない。宮崎県産品を売り込むために商品に次々東国原シールがつけられ、これが膨大な売り上げに繋がったように、今回もまた「せんたく」という商品=政治集団を売り込むために東国原シールがつけられたというわけだ。

さて、この「せんたく」というグループが本当に、日本の政治を「洗濯」してくれるかどうかはまだ未知数だ。だが、もし、そのようなことが起きた暁には、東国原英夫という存在が、国政改革の記号となるであろうこと、それは想像に難くない。

社会の大きなうねりが生じるときには、かならずキーマンが登場する。本人が実際にそれを起こたか否かにかかわらず。歴史というのはそういうものだ。

理系アタマは、原則獲得できる

ココまで述べてきた理系アタマの話、つまり偏差値を上げるという話は、要するにノウハウがきちんとあり、この環境を用意すれば、たいていの人間は偏差値をゲットし、理系アタマにはなれるということだった。ということは、この理系アタマ養成ギブスを大学入学以前に装着していれば、東大や早慶もさしたる難関ではないということになる。だが、多くの人間がこの「思考停止、バカ正直」方法に気づいていない。で、ヘンな教育方法とか教育産業が跳梁する……みなさん、冷静に考えましょ。理系アタマ、これって単なるスキルなのよ。

ちなみに残念ながら低偏差値のまま大学に入ってしまったキミ。でも、まだ勝負は始まったばかりだ。とりあえずは、この方法で理系アタマをゲットし、就職戦線とかに参戦すべきだ。もちろん、キミの所属する大学は低偏差値ゆえ、そこでハンディを背負うことになるのは致し方ない。大学名は偏差値のバロメーター、キミは理系アタマが、少なくとも大学入学までは弱かったことを、大学名によって証明されてしまっているからだ。しかし、この理系アタマ養成ギブスを生かせば、このハンディをフォローすることも十分可能だ。つまり、まあ一流会社にはいると言うよりも、このスキルをいずれかの職種や技術に生かしていけばいいわけだよね。

ホントーに「頭の悪いヤツ」ってのは、残念ながら存在する。但し、ほとんどの人間が、こういったかたちで潜在的能力を開花されていないだけ。僕はそう考える。

理系アタマ+文系アタマ=頭がいい

さて、しかしである。リーダーになる、つまり「アタマがいい」のではなく「頭がよい」ためには、理系アタマだけではダメということを前に述べておいたことを思い出して欲しい。理系アタマ、これだけだと「兵隊」としての能力しかないわけで、これに統合したり、創造したりする「文系アタマ」が加わらなければ、決して頭がいいとはいえない。

ダイビングで遭遇した、理系アタマ・バカ

ここで、理系アタマ・バカのエピソードをちょっと。これは、僕がタイのタオ島でダイビングをしたときの話だ。そのとき、たまたま一緒にダイブすることになったヤツがW大政経学部のバカだった。バディと一緒に潜ったのはいいが、この学生、ひたすらダイブ・メーター見たり、潜り方のスキルをしゃべったり、ダイビングをするという行為についての技術にこだわり続け、船にあがっても、そのことを喋り続ける。そこの技術はあーだこーだ言う語りの背後には、「オレはこんなにスキルがあるんだぜっ」てな過剰な意識がありあり(もちろん、このさらに背後に「オマエらはこんなスキル、ねーだろー」という優越感もありあり)。

そう、確かにコイツは、ダイビングのことについて詳しいことは詳しい。しかしである。だからどーなんだっ!何でダイビングしているんだ?それから、オマエ以外の一緒にダイブしているヤツが、オマエのお陰でどういう気分でダイビングしているのか察しているのか……こいつ、もちろんKYである。

あのね、悪いけど、ほとんどの人は「鯛やヒラメの舞い踊り」が見たくてこれやってんのね。オマエみたいにスキル自慢のためにやってるんじゃあ、ないの。

そう、要するにこの男は、なまじ理系アタマなので「オレは頭がいい」と勘違いしているほど「頭の悪いヤツ」なのである。で、実は無意識に「自分が頭が悪い」ことを知っていて、それだからこそ、自分が他の連中より能力があることを示さないではいられない。だから、こんなダイビングなんてレジャーでも、自分の理系アタマをみせつけようとする、って考えられないこともない。偏差値の高いヤツの中には、こういう頭の悪いヤツが、かなり多い。

本当に頭が良ければ、まず周りの状況を読んで、その中で自分も楽しむ術を考えるはずだ。ここでおもいっきり自意識過剰に自己主張する必要もないはずだ。でも、可哀想なことに、コイツは「理系アタマ」に頭を蝕まれて、限りなくバカになっている。「うーん、やっぱり良くて、コイツは兵隊止まりだな」「いや、このままだと、単なる「こまったちゃん」かも?」

文系アタマの養成。これこそ、永遠の謎だ

理系アタマの養成については、もうさんざん述べてきた。では本当に頭が良くなるために、これにどうやって文系アタマを積み重ねるか、ということになる。だが……実はこれが永遠の”謎な”のである。こればっかりは、なかなか鍛えられるものではないというのが正直なところだからだ。「これ」といった決めてはないのではなかろうか。でも、それじゃなんなので、二つほど方法を述べておきたい。

一つはコミュニケーション能力だ。つまりKYでなく、他者の行動を察することができること。そしてその行動を踏まえて自分の行動を規定できること。そのためには多くの人間と関わり合い、対人的なスキルを養成しなければならないだろう。

もう一つは、最初のものと関連するが、相手を見ると言うことは自分を見ると言うことなので、自分を冷静に見つめる能力を養成するということ。これによって相手、そして自分の立ち位置を決めることができる。逆に言えば、さっきのダイビング・バカは自分の理系アタマにうぬぼれてしまっているので、相手の行動を観察することもできていなければ、自分を相対化することもできていない。

二つを総合すれば、マクロレベルで状況を冷静に読み取り、その中で何ができるかをやはり冷静に判断するということを常に心がけることだ。そして、こういう冷静な判断をするにあたって、状況をバッサリ切ることができる分析能力が必要だ。で、この能力というのは、実は理系アタマのなせるワザでもあるのだ。

結局やっぱり理系、文系二つの頭がバランス良く、そして弁証法的に相互作用して機能しないと、頭が良くなることはできないというのが結論になるのだろうか。言いかえれば、天才というのはやっぱり天才で、ごくわずかしか存在しないと言うことになってしまうのだが。

基本重視・基本繰り返しの勉強と同じことを、われわれの勉強以外のところでは日常的にやっている

で、こういった公文式のような同じことを飽きることなく繰り返して行くことで、身体にスキルを打ち込みレベルを上げていくという作業。実は、偏差値の低い人間ですら日常的にやっていることでもある。ただし、そのスキルアップの対象には「勉強」とは書いていないので、ヘンな抵抗がなく、苦もなく、しかもスピード感を持ってやっているのだが。

それは何か。いろいろあるが、ココでは一つだけ取り上げておく。テレビゲームだ。例えばマリオにしてもドラクエなどのRPGにしても、これはひたすら同じことの繰り返しだ。次のステージ・レベルに進むためには、現在のステージをクリアしなければならない。誰かが自分より上のステージをやっているところをやらしてもらっても、全くできないなんてのは言わなくてもわかることだと思う。で、現在のステージから次に行くためには、現在のステージをほとんど完璧にできている必要がある。つまり90%以上の達成度があって次のステージに進める。で、これができれば次のステージで、また同じ作業が待っている。そう、これって前述した英語のスキルアップ方法と全く同じ。ただし、これがゲームであるため、英語の勉強と全く同じことをやっていることに気づかないだけなのだ。

僕の家庭教師経験

実証例を一つ。もう十数年も前のこと。僕は予備校の教員をやっていたのだが(講座名は”法政・明治英語”というものだった。六大学の偏差値下位二つに合格するための英語を教えるわけね)このとき、なんとこの予備校の理事長に、自分の息子の英語の家庭教師をやってくれとたのまれたのだ。その息子は中学三年、頼まれたのは11月も末になってからだった。とにかく、全然英語ができない。親としてはそこそこの高校、できれば大学にエレベーターで行けるところに入れたいのだが、現在の状況ははなはだ酷い。そこで、大至急対応をして欲しい、というわけだ。偏差値は、現在40。う~ん、こりゃキビシイ。

RPGおたくの少年をダマくらかした?

その息子の趣味はゲーム。とりわけRPGが大好きでドラクエ、ファイナル・ファンタジー、桃太郎電鉄、ロマンシング・サガと、人気のロールプレイングゲームのほとんどをこなしており、人生RPG見たいなガキだった。

もちろん英語なんかに興味なし。そこで、僕がやったのは、上のやり方。つまり一番簡単な問題集からやらせたのだ。もちろん文法についてはポイントをこっちで教え、同時に中学校の教科書を一年から全部やり直させた。

でも、ただ押しつけたら、英語に興味のないこの息子がやるわけない。で、こちらとしては受験のための体系=見取り図を彼に見せることから始めた。そう、受験英語をRPGに見立て、攻略すべき世界全体をまず示したのだ。そして、ステージを細分化させ、それらをどう攻略したらいいのかと言うことを、その都度教えていった。で、次のステージに進むときには前のステージがちゃんとできていないと処理が十分にこなせないことをわからせた。つまりスライムをやっつけることもできないのに、次のステージのモンスターを倒すことなど決してできないということを、本人に自覚させたのだ。

RPGおたくの少年はこの図式に見事にハマった。つまり受験英語=RPGの図式を頭の中にセットしたのだ。こうなるともう話は別。寝ないでRPGやっていい、っていわれたらずーっとやっている人間だったので、当然、英語を寝ないでずーっとやっているという状況に入っていった。で、RPGだったら親が「ヤメロ」と注意するだろうが、これが「勉強」、しかも「受験勉強」だから親の対応は全く逆になる。英語に夢中になる息子に夜食を作り、お菓子を買ってきてやり、この英語の内容ができたなんて自慢話を聞いてやり、ってなことにり、もう本人はやりたい放題状況。僕が家庭教師にやってきたときにも、「今日はこれだけやって、言われたステージよりちょいとアップしてきたぜ。アイテムの使い方も磨いたぜ!」とか自慢するようになる。

こっちとしては”思うツボ”。そこで、新たなアイテム、いや学習内容を提示し、次のステージをどうクリアすればいいのかを伝授。そのうち都立高校受験の英語なんか楽勝モードになっていく(都立高校の入試問題は百点が当たり前になっていった)。で、こちらとしてはそこで、「これまで教えていたのは公立攻略アイテム。これからは私立ハイレベル・アイテムのその1を教えよう。それができたら、さらに上の私立のアイテムを教えてやっかんな」なんてことで、奥義を伝授。もう、彼の方は面白くってたまらなくなり、挙げ句の果ては他の受験科目に関する攻略方法まで聞いてくる始末。

結局、この少年は三ヶ月ちょっとの間に偏差値を25以上アップし、駒沢高校に入学。エレベーターそのまま駒澤大学に進学していった。親である理事長から結構なボーナスが支給されたことは言うまでもない。(続く)

要は基本、コレである

結局、この英語勉強は何をやっているのか。なんのことはない、ひたすら基本を繰り返し、文法をしっかり網羅し、しかも身体化するというプロセスをやっているにすぎないのだ。ちなみに勉強というのは「体系」。土台の上に構築していくもの。だから、土台がどれだけ盤石で、しかも裾野が広いかで、上に積み上げることができる量が決まってしまう。だから、受験英語に必要なあらゆるものを網羅しつつ、それを繰り返し、身体化し、その上に新たな知識を積み上げる必要があるというわけだ。

ちょいと思い返してみて欲しい。小学校、中学校、そして高校。このとき勉強ができるヤツというのは、原則的にすべての科目が優秀だったはずだ。つまり算数や国語だけでなく、音楽とか体育まで、だいたい成績がいい。なぜか?これはどれか一つの科目が好きとかそういう問題ではなく、この基礎ばっかりやるということを自主的に、あるいはこのやり方をたたき込まれてやってきたからだ。おそらくこれは親が子どもに資金を投入して(まあ塾だろうな。カテキョーかもしれないが)、基礎をみっちりガキに仕込み、秀才にさせたわけで、ようするに、この親の連中も星一徹と同様、息子・娘に大リーグボール養成ギブスならぬ、偏差値上昇養成ギブス(東大入学養成ギブス?)を装着させていたということになる。で、もしこれがなかったならば、高偏差値大学に入学した人間の多くは、単なる文系バカのままであった可能性は、かなり高い。

養成ギブスをビジネスとして販売している企業も、ある

で、この理屈を知らず、知らないうちに偏差値を上げることのできるシステムというのも教育ビジネスに展開されている。これをちゃんとやっていれば確実に偏差値が上がっていくというシステム。古くは教育社のトレーニング・ペーパー、そして近年では公文式が、それだ。とにかくこれは、ここまで説明した学習システムを企業の側が用意してくれているというもので、金さえ払えばよいわけで(しかも比較的安い)、これはとっても便利だろう。あとは娘・息子が文句を言おうが何だろうか、無理矢理延々やらせておけば、それで偏差値獲得は可能なのだから。ということは、もし、これを読んでいる人間が高校生で、あんまり偏差値が上がっていないとしたら、公文式に入って、もっぱらそれだけをやる(この時、他の参考書や問題集には目もくれないこと、そして学校の英語の授業もすべて無視すること。だいたい学校の教員なんてのは、非効率的な授業をやっているというのが相場だからだ。塾講師のようなスキルはない)。ただし、傾斜生産方式、つまりこれだけをものすごいスピードでやる。公文式ってのは、要するに英語の基礎をひたすら繰り返して知識を身体化させ、スキルにするもの。だからとにかく、スゴイスピードでやる必要があるのだ。そんな退屈なことはやりたくない?いやいや、そんなことはありませんよ。このスピード感を持って、一気呵成にやると、結構ハイになります。で、やめられなくなるなんてことにもなる。昔、公文式のCMで、公文式をやったことで東大にはいることのできた将棋の羽生名人が「やってて良かった、公文式」ってコピーを言い放っていたが、これは全く正解なのだ。ちなみにくどいようだがチンタラやると飽きてしまう。(続く)

では、文系低偏差値人間は絶望的か?

と、こうなると文系低偏差値の人間は絶望的、ということになってしまうのだが……。いやいや、そんなことはない。もし、ココまで説明してきた「頭の構造」が生得的なものだったら、そりゃ、もちろん絶望的だ。ところが、この理系アタマ、文系アタマというのは必ずしも先天的というわけでもない。得てして後天的、つまりその個人が置かれた環境が、こういう状況を作る可能性がかなり高いのだ。

僕が、こんなことを主張するのはそれなりに根拠がある。何のことはない、僕が面倒を見ている学生の連中だ。ウチの大学は、国公立大学の偏差値からすると最下位レベル。だから、ど~みても偏差値は低い。ところが、である。ウチの学生、鍛えれば処理能力が急激にアップするのが結構いるのだ。これって、要するにそれまで理系アタマが開発されていなかったと言うことになる。

そう、自分が文系低偏差値大学に入ってしまったからと言って、自らを卑下する必要はない。単に開発されていない可能性がかなり高いのだ。ちなみ、こりゃあくまでも印象だが、ウチの大学の学生の内、七割くらいはこれに該当していると思う(ということは、三割は完全に絶望的なのだが……)。

ということは、この開発されていない「理系アタマ」を鍛えれば、とりあえず「兵隊」になることができるわけで。で、これが獲得できれば、ひょっとしてクリエイティブな「文系アタマ」が炸裂して「使える人間」になるということも考えられるわけだ(もちろん、今度は文系アタマがないということがわかって、単なる兵隊止まりということもハッキリしてしまうのだが)。そう、じゃあ、先ず必要なのは「理系アタマの養成」ということになる。これは、どうやればいいんだろうか。

理系アタマ養成ギブスをつけよ

簡単だ、理系アタマ養成ギブスをつければよい。って、言ったって星飛雄馬の大リーグボール養成ギブスじゃ全然、効果なしだろうし、オウムのヘットギアみたいなギプスじゃヤバイし(もちろんこれも効果なし)。理系アタマ養成ギプスは何か?もちろん、そんな機械はない。そうじゃなくて、これはノウハウだ。これを一言で表せば「バカ正直、思考停止学習」ということになる。まずはわかりやすいように英語を例にとって説明しよう。

「バカ正直、思考停止学習」とは

英語の偏差値55以下の人間がこの偏差を70近くまでに上げるためにやるべきこと。それは「バカ正直」に原点に戻ることだ。「原点」とは……中学英語をやることに他ならない。とにかく中学校の教科書とか、問題集を買ってくる(説明つきのものがいい。ちなみに今回は「教科書による学習」の説明は省略する)。まず最初にやるのは一番簡単なヤツだ。つまらんが、やる。で、それが9割り以上できているようなら、ちょっと難しい中学校の問題集をやる。でそれが9割になったら、さらに難しい中学校の問題集を。で、それが……という具合にグレードを上げていき、最後に中学の英語の問題集のいちばん難しいヤツにまでたどり着く。難関私立高校受験用みたいなヤツだ。これが9割できたら、同じレベルの難しい高校受験問題集を片っ端からやる。ただし、次第に一日一冊仕上げるというスピードにまで揚げていく。ちなみにこのスピード感がないと、はっきり言って、アキる。要は、ノリでやらないといけない。

で、これができたら、おめでとうございます。今度は高校へご入学だ。後は同じことを繰り返す。高校生用の一番簡単そうなヤツを次に選ぼう。ちなみに、この簡単そうな問題集をやってみると驚くべきことが起こる。ほとんどすべてができてしまっているはずだからだ。難関高校受験用の問題集というのは高校受験レベルの内容をすっかり超えていて、過去完了とか分詞構文、同格、倒置、省略とかがヘーキで出てくる。だから、ちゃんとやってれば、高校1~2年の問題集を解くことなど、簡単この上ないということに気づくはずだ。そうなっていない場合は、中学の問題集をちゃんとやってこなかったということの証明になる。かなりのスピードが出てきて結構、キモチイイってな感じになり、ノリノリになっていたら、それが実力がついた証拠となる。

禁物なのは「文系アタマ」

で、この時、問題となるのが、勝手な判断をしないということ。つまり「発音問題なんてのは受験には関係ないからなあ。発音記号はど~でもいい」とか「五文型なんかも関係ないよな」とか、アホな判断を下すことを決してしないことだ。こういう判断こそが理系的な「思考停止」をやめさせ、マヌケな文系的「思考稼働」の状態。これこそ自分なりに勝手な判断をしてしまう「アホ」な文系アタマのなせるワザなのだ。ちなみに発音も五文型も英語にはチョー重要である。というより、この二つが実は、文法で一番重要といえないこともないくらいなのだ(オマケをつければアクセントも)。とくに偏差値の低いヤツは文型分けができない。われわれは日本人なのでネイティブみたいに感覚的に英語がわかるなんてことは、さしあたりありえない。だから文法、とりわけ文型で文章を腑分けしていくしかない。そのことがわかっていないわけなのね。だからココは「思考停止」させ、「バカ正直」にやる。

で、結局これを繰り返していって、最終的に大学受験の問題集のどこのレベルにまで到達できるかが、あなたの英語偏差値のレベルということになるのだ。(続く)

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