引退させることの重要性
じゃあ、こういった「宙づり状態」にある人間はどうしたら救済可能か。これについて処方箋として小谷先生は「ちゃんと「引退」させること」をあげる。つまり、もうあんたはこの世界では一流になれない、だからダメなんだということをしっかり教えてあげること。そしてそのためには、彼らに引退式というお祭り=通過儀礼をやって、この世界から出て行くと言うことを社会的に促し、本人にそのことの自覚させるけじめとすべきだというのである。こうしないと、こういう連中は、いつまでもこの宙づり状態の中でグズグズし続けてリズムがおかしくなり、人間崩壊を起こす。
たとえばプロ野球界の桑田や清原というのはその典型で、ヘタするとこの二人は犯罪に手を染める可能性すらあるという。大リーグ挑戦だとか言っているが、もう桑田はとっくに終わっているのだ。これをメディア的にはおいしいネタなので、メディアが引っ張り続けることで、結局、桑田もその気になった挙げ句、人間崩壊する可能性が高い。事実、かつてこの道を歩んできた人間に江夏豊という前例があるではないか。江夏は晩年、西武で広岡監督と仲違いした後、大リーグに挑戦し、木っ端みじんに打ち砕かれ、その後ドラッグに身を染めていった。そして引退式らしきものはほとんど行われなかった。あの大投手・江夏が、だ。つまり、江夏には引退式がなかったが故に自らを再定義することができず、こうなったというのだ。桑田、清原はともに巨人が呼びつけて派手な引退式をやるべきだ。小谷先生は、こう指摘する。
これは慧眼だ。そして、こういった社会構造ひずみの中で、やむ終えず悲惨な状況に追い込まれる人間がきわめて多いにもかかわらず、全くと言っていいほど指摘されてこなかったことをズバっと言い当てるところもスゴい。この議論をちゃんと展開すれば、非常に多くのスポーツマンに救済の手がさしのべられるはずだからだ。
カラダもココロも急にリズムを崩すことはできない
これは、われわれの精神が肉体と同じ性質を持っていることを示しているとは言えないだろうか。たとえば一流のスポーツ選手は引退後もトレーニングを続けるという。ソウルオリンピック100メートル背泳ぎのゴールドメダリスト・鈴木大地は引退後も、毎日トレーニングを欠かさなかったという。これは、今後とも水泳選手を続けていくためではない。練習量を急激に落とすと身体に変調を来すので、まずは現役時代の練習量と同じだけの練習を積み、次第に練習量を落としていくのだ。そうしないと身体がリズムを崩して、体調を崩したりするのだという。ココロのほうもこれと全く同じだ。つまり、ダメとなったら引退を告げ、儀式をやり、次第にこの環境から外れていく。そういったけじめやモラトリアムを用意することによって、第二の人生、新しい人生へ踏み出すことができるようにしてあげる。そうすれば、それまでスポーツ選手としてやってきた経験も必ずや新しい人生に反映されるだろうし、たとえば当該のスポーツ世界に残って、コーチや指導者になったときにも、環境を相対化してみることができ、よい指導者になることができるだろう(事実、鈴木大地は解説者として活躍中だ)。突然、選手をやめて指導者になったら、やっぱりリズムを崩したことになるので、ロクなものにはならないだろう。多分、自分の現役時代のやり方を、タダそのまま押しつけて、まわりの選手たちにとっては迷惑この上ない話となるに違いない。
人生において必要なのは、社会的なけじめとリズム。たとえば引退というのはそういうものの一つとして存在するのだ。