2007年06月
広島平和記念資料館のメディア性について~戦争と原爆を考え続けるために(4)
丹下健三の平和主義
広島平和記念公園一帯には、実はこのような仕組みを巧妙に組み込んだ見事な施設、というか環境が存在する。それは公園一帯を設計した丹下健三の思想だ。広島平和記念公園はなぜか三角州の形に対して少々斜めを向き、しかも三角州の少々東側を中心とした形で設計されている。このからくりは正面玄関(つまり記念資料館本館)から見据えるとその理由がわかる。非常に印象的な風景が目に入るのだ。平和記念資料館は一階の部分が柱だけで、上階の部分が資料館になっているのだが、正面からこの柱だけの1階部分から建物越し、真ん中のその一番先に原爆ドームが見えるのだ。しかも正面玄関と原爆ドームの中間地点に慰霊碑があり、原爆資料館、慰霊碑、原爆ドームの三つが一直線でつながっている。そう、この公園はすべての中心が原爆ドームに向かうように出来ているのである。しかも、丹下はその原爆ドームを悲惨なものとして演出すると言うことを拒否した。こういった、建物越しにドームが見えるような構成にすることで、極めて美しい構築物=シンボルとして原爆ドームを演出したのだ。原爆で焼け落ちた神聖な場所。もしこれを手がけたのが平和記念資料館の資料展示をプロデュースしたスタッフだったら、やっぱりおどろおどろしい悲惨なものにみえるような演出にしたのではないだろうか。しかし丹下は違った。丹下は原爆ドームとそれが受けた受難のすべてを昇華するような、美に変えてえてみせるという離れ業をやって見せたのである。(ちなみに、これでさえ岡本太郎は「平和主義の押しつけ」と批判しているのだが。僕は、必ずしもそうは思わない。ここの印象は、先ず美しい公園である。キャプションがなければ原爆の悲惨さはわかりづらい構成だ)アート化することで、原爆は永遠となる
原爆ドームは単なる悲惨な記憶ではなく、アートとして演出することで、丹下はわれわれが後世においても代々と語り継がれていく空間を構築することに成功している。つまり、まず「美しい」と感じ、次に、付随的にそれが原爆によって作られたものだと認識する。こういったアレンジを施さなかったら、時代が経つにつれ、ひょっとしたら原爆の記憶それ自体は風化してしまうのではなかろうか。しかし、遺物を美へと昇華させることによって、原爆ドームは永遠を獲得する。そして百年後、二百年後の人が、その美しい原爆ドームとそれを取り囲む環境に魅せられ、想像力を働かせる。これこそ、戦争を徹底的に相対化した状態=言い換えればメタ平和主義、普遍的平和主義といえるのではないだろうか。ある意味、父母を原爆で亡くした丹下の戦争に対する冷静な、それでいて強烈な問題意識が、ここにはある。広島平和記念資料館のメディア性について~戦争と原爆を考え続けるために(3)
客観的な配列ですら政治的イデオロギーを含む
Museumの展示は、すべからくイデオロギー性を含んでいる。プロデュースする側が確信を持って展示配列のストーリーを作り上げている場合は言うまでもない。平和記念資料館は批判を受け続けることで、その存在意義が生じる
また、広島平和記念資料館を批判することについて、嫌悪感を覚えたのであるのならば、それはファシズムの始まりだと僕は思う(つまり現在の原爆イデオロギーを「神聖にして不可侵なもの」にしている。しかも展示物を担保にイデオロギーの正当性を主張している。つまり展示物の正当性をイデオロギーに置き換えているのだ。これは展示物に対する冒涜ではないのか)。むしろ、平和記念資料館を批判することも原爆を考えることの一つと考えるという視点が、原爆に対する考察を深化、あるいは進化・変容させる方法だろう。いいかえれば記念館は、議論を続ける空間として機能する、そして機能し続けること、つまり「生き物」として取り扱うことが必要なのだ。中身も時代に合わせてどんどん変更させていってもいい。もちろん、展示物も変更されてもよい。少なくとも展示されていない物はまだまだあるはずだ。並べ替えれば、原爆はいろんな形で解釈が可能になり、原爆をより相対化できるきっかけを提示してくれるはずだ。(続く)広島平和記念資料館のメディア性について~戦争と原爆を考え続けるために(2)
一元的な原爆イデオロギーの押しつけは、戦争を起こさせるファシズムと変わらない
僕が、広島平和記念館を批判した理由を述べよう。これはマズい。このような記念館のプロデュース方針は、要するに思想統制にほかならない。そしてかつてそういった思想統制によって何が起こっただろうか。いうまでもなく戦争だ。そして原爆が落とされた。つまり、一元的なイデオロギーの押しつけとは、ファシズムと質的に全く異ならないということになるのだ。いいかえれば、あの記念館は「戦争はいけない」というイデオロギー=ファシズムを振り回している、と僕は考える。戦争は、時代時代で個人がその都度想像し、そして構築し続けることによって、様々に解釈・理解される中で、その悲惨さが伝わるものではないだろうか。だから、遺族が寄贈したものが悪いのではなく(これ自体は展示すべき)、それを並べた後に(並べること自体は問題ではない。厳密には注意が必要と言うことにはなるが。並べることも存在論的なイデオロギーを構成するので(後述))、一元的な物語を構成し、こちらに押しつけるのが悪いのである。
ちなみに正しい歴史など、存在しない。「歴史」とはその時代の権力を握ったものが、自らの権力を正当化するために都合のいいように過去の事実を配列して作り上げた物語に他ならない(だから歴史は普遍ではなくしばしば変わる、いや厳密に表現すれば変えられてしまう。従軍慰安婦、竹島、南京大虐殺問題などはその典型)。ということは、この展示物の並べ方も、現在の権力の正当化のために使われていると考えるのがメディア論的な考え方となる。要するに、認識論的側面が平和でも、その認識のさせ方の根本的態度、すなわち存在論的側面がファシズムでは、どうしようもないというわけだ。そして、戦争は存在論的ファシズムがなせる業でもあるといえるだろう。そもそも戦争とは「正義と正義の戦い」、「神々の闘争」なのだから。ちなみに、こういったイデオロギーは、しばしば党派における権力闘争の道具として使用されていることはいうまでもないだろう。(続く)
広島原平和記念資料館のメディア性について~戦争と原爆を考え続けるために(1)
「広島平和記念資料館は出来が悪い」発言へのリアクション
先日、講義の中で僕は「広島平和記念公園の記念資料館は出来が悪い。並べ方が押しつけがましくて、想像力を喚起しない。資料館のあり方としてはレベルが低い」と批判した。これについては以下のようなリアクションがあった。ポイントは、原爆の悲惨さを訴えている施設にたいして、僕が批判したことの倫理感を問う意見だった。その一方で、僕の見解を評価するリアクションもあった。そこで、今回は全く異なる二つの典型的な見解を挙げ、これに対してMuseum=博物館、美術館のあり方について考えてみたい。先生のコメントは「不快」
広島の原爆の話について、私はとても不快に思いました。原爆を二度と引き起こさないように原爆ドームとして残し、平和記念資料館を建てたのに、先生の考え方を聞いてハッキリいってかなりショックでした。確かに先生がおっしゃったように「見せ方」としてはいいものではないかもしれません。しかし、過去にどのようなことがあって、そして、今があるといった点で、こういった建物、資料館は必要ではないでしょうか。原爆を二度と起こさないようにしなくてはという考えの下にに遺族の方が亡くなった人の服などを使っていたものを寄贈したのだと思います。そうしたものを展示することによって多くの人に原爆の悲惨さを伝えると行った考え方だと思うのですが。(同様のコメント他1部)「原爆ブレイン」な人々が出てくる危険性
僕も中国地方出身と言うこともあって、平和記念資料館には何度か行ったが、先生と同じで、アレは少し危険をはらんだ施設であると思っていた。ことわっておくが、僕は戦争支持者でも何でもなく、危険をはらんでいるというのは、戦争を知らない若者(自分も含む)に対する警告である。平和記念公園は全部見るのにさほど時間はかからず、30分もあれば全部回れるが、少なからず出口からは洗脳を終えた「原爆ブレイン」な人々が出てくる危険性をはらんでいる(僕の友達もそうだった)。記念館はある意味、情報が一方通行であり、その情報も単一である。「原爆=悪」。これ自体は僕自身、同意をするが、問題はその後の「核を使った戦争」、極端な話「核を持った国に対する戦争」が正当化されるような可能性をはらんでいること。それでは「沖縄」で起きたことはなんであったのか?核を使っていない戦争であったのでは?戦争に対する考え方が偶然であれ、洗脳されるのは少々危険ではないか?さて、この二つの意見、どう考えるべきか。(続く)