勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2007年05月

(以下、ネタバレは含まれていません。)

忙しい、映画

パイレーツ・オブ・カリビアン、ワールド・エンドを観てきた。クラーケンに飲み込まれて死んだジャック・スパロウの運命は、そしてティナ(オーランド・ブルーム)とエリザベス(キーナ・ナイトレイ)の二人、そしてデイビッド・ジョーンズの心臓の行方は、バルボッサ船長はなぜ生き返ったのか、チョウ・ユンファやキース・リチャーズはどう絡んでくるのか……などなど「お楽しみどころ」満載でお客としては、いやがうえにも期待をふくらませざるを得ない状況。

で、先ず見終わっての第一印象は「忙しい映画」というものだった。前記した様々な「お楽しみどころ」を整理する作業でこの映画は終始し、とにかく忙しい。事務所の机に山積みされた書類を片っ端から処理していくような感覚に襲われたのだ。これは「飽きさせない。けど、つまらない」という印象を抱かせるものでもあった。

飽きさせないというのは、それがやはり「山積みされた未処理の書類」だったから。つまり、内容はとにかく次から次へと課題を処理するという作業は、リズムとスピード感がないとやってられない。そして、この映画は、その謎解きの短いスパンによるリズム感と、バカみたいに金をかけた特撮スペクタクルシーンが次から次へと現れることで、飽きることが一切無いのだ。言い換えると、素早く次々と処理するという作業は結構楽しい。内容なんかわからない子どもが観ても、その映像のめまぐるしい展開でアタマがグルグル回ってきて、そりゃ楽しいものになる。三時間はあっという間に過ぎる。ロジェ・カイヨワの指摘する遊びの要素の一つ「イリンクス(=めまい)」を、ここでは感じることができるのだ。

つまらないというのは、うまく情報の整理がなされていないという点。先ず、こういった膨大な情報処理を行うことが作品の中心の仕事になってしまった結果、それぞれの情報の深みがなくなり平板なオチになった。キャラクターも同様で、描き方が薄くなっている。とりわけ主役であるジャック・スパロウのキャラクターが一本調子になってしまったのは残念。ジョニー・ディップが新しい映画を作る度に見せる独特の新しい手法=個性(たとえば「チャーリーとチョコレート工場」のようなエキセントリックで、それでいて斬新なキャラクター)が、ここには感じられず、いつものジャック・スパロウでしかない。だから、新味が無くてなんだかちょっとメッキがはげたようなジャックに見える。これはジョニー・ディップの責任ではなく、情報処理のためにキャラクターの魅力を描ききる時間が無くなってしまったためだ。いわゆる「総花的」な展開の弊害が、ここでは生じている。

また謎解きの課題となった情報のつじつまが合わなくなり、あるいは無理矢理合わせる格好となって作品構成自体の綻びを生じてしまっている。さらに、とにかくつじつま合わせに執着することになるので、ストーリー自体がこのつじつま合わせに合わせて展開させられる、つまりつじつま>ストーリーということになり、平板になってしまった。(続く)

意外にも、すぐ側にスゴイ、サービスのシステムがあった

さて最後にメルリンビーチホテル周辺のちょっと面白いお店を紹介しよう。その名はパトン・ガーデン・レストラン。メルリンビーチリゾートのプライベートビーチ横の丘の中腹にある。大型ホテルがあると、その周辺にミニマートやら、おみやげややら、レストランやらが出来るのだが、そういった「ハイエナ商売」で儲けているのがここ。つくりはいわばバックパッカー向けビーチバンガローの併設レストラン風。つまりよく言えばワイルド、悪く言えば掘っ立て小屋。にもかかわらず、料金は結構高め。シンハービール大瓶一本150バーツも取る(これはスーパーで一本45バーツ)。それでもメルリンビーチリゾートよりは安いが。料理も一番安い野菜チャーハンで80バーツくらい(これもバンコクの大衆食堂だと30バーツくらい。メルリンでは180バーツ+税金+サービス料)。なかなかセコイ商売をすると思ったが。ビールはキンキンに冷やしてある、料理は意外なほどに外連味が無くウマイ。そしてスタッフは常に客に注意し、ヒマがあればお愛想してくる。ビールはピーナツつきだし、雨の日にやってきたときには「わざわざきてくれてありがとう」とミネラルウォーターをプレゼントしてくれた。このスタッフたち、全く手を休めず、客に関心を払い続ける。時間をもてあましているお客には必ず話しかけているのだ(こりゃ、温泉女将の心づくしのおもてなしバージョンだね)。

お陰で、この店だけ、いつ行っても満杯。多分この連中、いずれデッカイレストランでも作ってしまうんだろうなあという印象を受けた。ここには小さいながらもホスピタリティの精神がスタッフ全員に浸透している。だからサービスを受けているこちらも、とても気持ちがよい。二回目に店を訪れたときには、もちろんこちらの顔をすっかり記憶していた。脱帽である。

大衆化の中でのホテル=リゾートのこれから

ホテルはこれからどうあるべきだろう。かつてとは異なりホテルは限りなく大衆化を遂げている。ならば、その大衆化にともなってホテルもかつてのようにお高くとまっているわけにはいかない状況にあることは言うまでもない。

ところが現状を見ていると、まだまだ旧態然としているものが多いことも事実だ。たとえば比較的安価な価格で部屋を提供しているホテルでも、併設のレストランは結構な値段を取ったりする。また客室内のミニバーのドリンクなどは高くて、手をつけるだけバカバカしいというものも多い。これは特に今回見てきたタイのリゾートに顕著に見られる傾向だ。だから必然的にホテルの周りに、前述した「ハイエナ商売」が林立することになる。そして宿泊客はドリンクを手に入れるためにハイエナ商売のミニマートに購入に行き(これとて街中のスーパーに比べればそこそこ高いのだが)、食事も周辺に出来たレストランで済ます。おかげでこういったハイエナ商売は大繁盛ということになるのだが……これもまたバカバカしくないだろうか。自分が経営者だったら、あらかじめこういった「ハイエナ」的要素をホテルの中に取り込んでしまうだろう。つまりミニバーの中身は空っぽにしておき、施設内にミニマートを設けて、そこそこの値段で買わせれば、それらの収入はこちらのものと言うことになる。また、レストランも同様。スーパーで400バーツ程度で販売しているワインを1500バーツ以上で売るような商売をやっていては、そこでワインを注文してくれる客は限られる。逆に600バーツくらいで提供すれば、ホテルのレストランで酔っぱらってくれるというもの。そのとき料理の質を上げていれば、外のレストランなどに行かずにホテルのレストランを頻繁に、そして楽しみにしながら利用してくれるはずだ。そして、客の回転がよければ料理の鮮度、ワインの鮮度も上げることが出来る。つまりそれは結果として顧客の満足度を高め、リピーターになるというシナジーが発生するはずだ。言い換えれば、それはホテルの収益を上げることになるということなのだ。

もちろん、大衆化が進むと言うことは、徹底的な差別化を図った超高級なホテルがあってもいいと言うことになる。こちらは最高の値段で最高のサービスをやればいいだけの話。そしてそれで棲み分けが出来るとともに、これらリゾート地のホテル一体が、一種の文化を構成するようになっていく。

ホテルというのは意外に奥の深い「生き物」、文化なのだ。(おわり)

スゴイホテルを紹介しよう

ホテルの話をしてきたので、ここタイのとっておきのホテルを紹介したい。ホアヒンにあるソフィ・セントラル・ホアヒンだ。もともとはタイ国鉄が経営していたセントラル・レイルウエイ・ホテルをマネージメントで定評があるソフィテルが買い取ったもの。建物は築90年(最も古いもので)の総二階建て、コロニアル建築。ただし駅舎風であり、レストランもレセプションも駅の待合室やプラットホームをイメージさせる作りになっている。ここのサービスは本当に痒いところまで手か届くレベルだ。ゴロゴロとスーツケースを押して玄関にやってきたわれわれ(そんな客はわれわれしかいないだろう。普通はタクシーでレセプション前まで乗り付ける。われわれはバスでバンコクからやってきて、バスターミナルからスーツケースを転がし、歩いてやってきたのだ。バックパッカーのケチケチさ加減がなかなか抜けません。所詮、ビンボー人?)。それに気付くと、なんと守衛が荷物を運び出したではないか。「あの、それ、オタクの仕事じゃないんですけど」といってもかまわず荷物をどんどん運んでくれた。

部屋の中もこれと同様の環境が。たとえばバスルーム。バスタブに寝っ転がって右手を伸ばしたちょうどその先にハンドシャワーが、そして左手を伸ばしたところに石鹸箱がってなぐあいに、人間の動きを考え尽くしたインテリアのレイアウトがなされている。そしてその配置の奥深さがある種の美的な輝きを魅せている。デザインの美しさと機能性の見事なハーモニー。これは長年の顧客対応の中で試行錯誤してベストのポジションを探っていった結果に他ならない。う~む、これこそホテル文化。システムの密度が濃い、濃い!ここもファラン客が中心のホテルだが、タイ料理もしっかり。しかも、おいしい。ナマズの胃袋のスープなんてタイ・グルメの人間には有り難いメニューがバイキング形式の朝食会場にさりげなく並ぶ。バゲットの外側カリカリ内側フワフワ加減も完璧だ。プールは大きくないが、広い敷地はすべて整備された芝で覆われ,あちこちに大木があるので読書スペース、パソコンスペースを探すのには困らない。庭のイスは宿泊客がビーチタオルを借りて、それをイスにかけ「場所取り」をするというのがリゾートでは良くある風景なのだが、ここはダメ。いすにタオルを掛けて他に何もものを置かず席を外すと十分以内でタオルは取り去られてしまう。つまり場所取りが出来ないようにすることで、イスを有効に活用するという「合理的」なシステムが出来上がっている。いやさらに言えば、宿泊客が必要とする以上に椅子が用意しているのだ。値段は少々張るが、宿泊する価値が十分にあるホテルだ(とは言っても予約サイトで一室15000円程度で宿泊できるのだから安いものだが)。ちなみに隣はヒルトンホアヒン。ホテルがホテルであることの必要条件だけを完璧に実現した施設なので、こちらにも宿泊し、比較すると結構面白い(こっちも十泊くらいしたことがあります。シェラトン、ヒルトンは所詮、この程度のサービスです。シェラトンタワーズとかクラブセレクションなどのスペシャルを除いて)。ホテル文化とは何かがよくわかる。

接客サービスこそ、すべて

プーケット・パトンビーチ南のメルリン・ビーチリゾートを例にホテルはどうあるべきかについて考えてきた。前回までその必要条件としてマネージメントがきちんとしていることを指摘しておいた。それでは十分条件とは何か?

ホテルでいちばんビジョンが必要とされるもの。それはスタッフによるサービスだ。これがこのリゾートは「なんだかなあ~?」なのである。ここのスタッフのサービスは、すべからく「受け身」。こちら側から何かを言い出さなければなにもしてくれない。言い出せばやってくれるが、それはマニュアルの範囲内なのだ。つまり、自分で考えたりするような行間を読むサービスは全くと言っていいほど出来ない。僕が要求しているのは、向こう側が積極的に働きかけてくれる「こてこて」のサービスではない。いいかえれば「温泉女将の心づくしのおもてなし」を期待しているわけでは全くない。サービスの基本はこちら側が言い出すまで待っているでかまわないと思う。ただし、はじめから「痒いところに手が届く」ような配慮がホテルのあるべきサービスだと考える。そのためにはスタッフは自分の役割を理解するだけでなく、自分がホテルというシステムの中でどのような位置にあり、適材適所でどのような形で動くべきかについての洞察を持つ必要があるのだ。いうならば、客の先手を打っておくような配慮である。マクロな眼とミクロな眼の二つが必要なのだ。残念ながらこれがない。こういったものは施設云々ではなく教育の問題だろう。

ちなみに、僕がチェックインしたときにエアコンが壊れていたために部屋を変更したことを前回書いておいたが、この時の対応もビジョンが全く感じられなかった。先ずエアコンがおかしいことをレセプションに報告すると修理がやってきた。そしてしばらく調整していた(その間三十分待たされる)が、どうにもならない。そこで部屋の変更と言うことになった。僕はバッグをすでに開けてしまっていたので、またこれをしまうという作業をさせられるハメに。ところが連れて行かれた部屋は建物角の暗い部屋。しかも隣のベランダが丸見え。「う~ん、これは、ねえ~」。僕が考え込んでしまったのは、部屋が悪いと言うことではない。そちら側のミスでエアコンが壊れていて、客に苦労をかけて異動させなければならないという状況を踏まえた対応ではないということなのだ。こういう場合、1.客はすでに最初の部屋のグレードを確認してしまっている、2.そちらの都合で客に迷惑をかけた、という二つの心理的付加を客にかけてしまったのだから、こんな「ガキの使い」的な対応では客は不満になるのがあたりまえだ。ちなみに到着したのが午後九時半。僕は晩飯を食べていなかったので、外に出て行きたかったのだが、こんなトラブルのためにそれが出来ず、やっと終わった頃になってレストランに行くとすでにラストオーダーだった。そして日本人スタッフが事情を話しても全く受け付けてはくれなかった。仕方なく、ルームサービスを頼むという羽目になってしまったのだが。う~ん、これじゃ、だめだねえ。

スターウッド(ウエスティン、シェラトン、セントレジス、Wなどのホテルを抱える企業)という世界最大のホテルチェーンに勤め、ニューヨークのエセックスハウスやウエスティンのフロントのマネージメントを任された僕の友人は、こういう時には1.同等の部屋を用意する、2.アップグレードする、のどちらかで対応するというのが常識という。ホテルは生き物であり、顧客はその生き物にとっての重要な食料源。だから、こういうミスがあったときには印象の悪さをぬぐうどころか、ここぞこてこてのサービス、つまり普段の倍のサービスでもてなし「対応がいい」と評判を取ってしまうこと。つまりマイナスをむしろプラスに転じさせるような発想こそが大事だという。それがホテルというものを成長させ、生きながらえさせるためのビジョンなのだと。

もちろん、今回対応してくれたスタッフ(日本人だった)がふざけていたというのではない。彼女は一生懸命やってくれていた。しかし、それは「ガキの使い」レベルなのだ。そう、このホテルがもうワンランクレベルを上げるためには、ホテルのビジョンを掲げ、それをスタッフたちに浸透させる必要があるのである。

ホテルは何をするのか、誰を相手にするのか、どう対応するのかということについて試行錯誤を重ね、それを施設とスタッフに換言していく。それが蓄積されることでホテルは文化と歴史と伝統を備えることが出来るようになる。メルリンビーチリゾート、道はまだまだ遠そうである。

良いホテルであるための十分条件はホテルのビジョン

マネージメント的には一通り揃っているプーケットのメルリンビーチリゾート。では何が欠けているのか?それはホテルにビジョンがないということだ。一つ一つその状況を見ていこう。

まず施設の構成。全500室という大型リゾートなのだが、そのうち200室はオーシャンビューではない。この200室はビーチから少し離れたところにプールを囲む形で建てられている。プールの周辺すべてを客室で囲んでしまうのではなく、南側の部分を開けておきさえすれば、なんとか全室オーシャンビューになるのだが。どうやら収容数を優先したらしい。もちろんその代わりとして、すべての部屋がプールビューという作りにはなっているが。あまり意味のあることとは言えない。しかも、五月というこのシーズンは比較的間期。パッケージツアーでやってきている客が多い。パッケージはカテゴリーの低い部屋に客を回すので、その結果、こちらのプールビューが満杯状態で、オーシャンビューの側はガラガラ。だったらグレードアップして開いている部屋に入れてしまった方が客は満足するだろうし、リピーターになってくれる可能性も強い。つまり「損して得取れ」、言いかえれば「長期的な利益を見込んで、短期的な損益に目をつぶる(もっともアップグレードしたところで、経費的にはほとんど代わらない)。だが、ここはシステムが動いているだけで、顧客への対応の哲学=ビジョンはないので、結局こういった形になる。

部屋の構成もあまり考えられているとは言い難い。面白いのは浴室だ。バスタブとシャワーブースが独立しているのはいいのだが、二つが部屋の両端にあって移動の際には床がびしょびしょになる。またリゾート気分を演出するためにバスタブの横がガラス張りになっており、部屋越しに外が見える。これ自体はいいのだが、窓の位置が高すぎてバスタブに浸かっていると外が見えない。この作りは全室統一されているようだが、プールビューでは窓から外を見たところで向かいに他の客室が見えるだけだ。これもあまり意味があるとは思えない。いやむしろプライバシーを侵害することになる。

朝食もビジョンに欠ける。和食を出すのはいいのだが、カレー(チキンかポーク)かうどんのどちらか。四日いるとローテーションが一巡してしまうので飽きる。問題は味でだ。う~んちょっとねえ。種類を出せばいいってもんじゃあない、という気分にさせる出来。宿泊客のほとんどが外人であることもあってタイ料理は二三種類しかない。しかも味は結構ヒドい。僕はタイ料理を25年以上食べてきた人間なので、こういったファラン・テイスト(ファランとはタイ語で白人の意味)はいただけない。で、朝食というのはそのホテルで出す食べ物の「顔」。マズければ、絶対ホテルのレストランで食べるという気にはならない。だから、結局、ここのレストランには一回も行っていない(まあプーケットのパトンにいけば安くてウマイ店がいっぱいあるというのもあるが)。

場所がパトンの南にあり、山も越えるため、歩いてはパトンに行くことは出来ない。そこでフリーのシャトルバスサービスがあるのだが、これが最悪。夕方便の出発が4時45分、帰りが6時45分、夜便の出発が9時30分、返りが11時30分。これじゃ何にも出来ないでしょ。パトンでは三時間くらいは遊びたいし、出発するのはやっぱ六時半とかがいちばんイイ。ところがこんな中途半端な時間帯を設定している。まあ、ホテルで食事させようということなのかもしれないが、そりゃセコイ商売だよ。食べて欲しければ味をアップさせればいいだけの話。客を外に出さないような戦略だったら、こりゃ全然、先を見た商売じゃないよね。(続く)

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