勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2007年03月

嗜壁化し続ける、エレクトリック・マイルス

のっけから個人的なエピソ-ドで恐縮だが、ジャズ界の帝王と呼ばれるマイルス・デイビスを聴き始めてから、はや三十数年が経つ。マイルスといえばファンの多くが、その代表作とかお気に入りとして*Kind of Blue*や*Birth of Cool*あるいは*My funny Valentine*あたりをあげる。しかし、僕にとっての代表作は、いわゆる「エレクトリック・マイルス」と呼ばれる60年代末から70年代前半までの一連の作品だ。

こうなってしまった理由は、初めて聴いたマイルスがたまたまエレクトリックものだったからだ。中学二年の時、オ-ディオ・マニア(当時はオ-ディオブ-ムだった)の兄がいる友人の家にいって、その兄が聴いていたレコ-ドをコピ-させてもらったのだが、それが*Get Up with it*というこの時期のアルバムだった。

当時、ジャズといえばサッチモとかデュ-ク・エリントン、ディキシ-ランド・ジャズみたいなもんだとしか思っていなかった僕にとっては、この何ともいえぬ音楽に首をかしげながらもとにかく一生懸命耳を傾けたのだった。このアルバム、なんとマイルスはオルガンを中心に弾いているというとんでもないアルバム。で二枚を聴いてもひたすらいうならば電気音で「チャカポコ」(ジャズ評論家の悠雅彦がこう表現していたと思う)としか聞こえない音。しかも二枚組。ちなみにマイルスがトランペッタ-であること以外、ほとんど知識がない状態でこれを聴いたのだが、とにかく知ったかぶりで聴いていた。

しかしである。これがトラウマになったというか、その後も延々このアルバムを聴き続け。レコ-ドを購入しCDも購入しということになり、しかも、これと関連するエレクトリック・マイルスを次ぎ次ぐとコレクションし(つまりビッチズ・ブリュ-、オンザ・コ-ナ-、アガルタ、パンゲアなど)、結局……気がつくと三十数年聴きっぱなし。ちなみに未だによくわからんというか、悪趣味としか思えないサウンドだとは思うのだが(絶対BGMとしては聴けません)、とにかくやめられない状態がず~っと続いているのである。で、どうやら自分と同じようにエレクトリック・マイルス中毒に陥っているリスナ-、結構多いらしい。

そこで、今回はこれをチョイ、分析してみたいと思う。(続く)

トレド・オルガス伯爵の葬送の永遠

スペイン・トレドのサント・トメ-教会には、エルグレコの作品「オルガス伯爵の葬送」がある。荒れ果ててていたサント・トメ教会の再建を果たしたオルガス伯爵を称えたこの絵画。オルガス伯が亡くなり、葬式が開かれている中、イエスに導かれて天へと召されていくシ-ンが描かれている。多くの式の参列者たちはオルガス伯の死を悼んでいるが、その中でオルガス伯の魂だけがイエスやマリアとコンタクトを取り、参列者はそれを見つめている。
(画像はhttp://www.salvastyle.com/images/collect/elgreco_orgaz00.jpg参照。このときURLから%BB%B2%BE%C8%A1%A3%A4%B3%A4%CE%A4%C8%A4%ADURL%A4%AB%A4%E9%BB%B2%BE%C8%A1%CBl%A4%CE%C9%F4%CA%AC%A4%F2%BA%EF%BD%FC%A1%CBの部分を削除)

二十数年前、トレドでこの絵とじっくりとつきあったひとときは忘れられない。バックパッカ-だった僕は、前日トレドに到着。安宿に一泊したお陰で、朝一番でサントトメ教会に到着。まだ誰もいない、この絵の前で三十分くらい対峙するとう幸運にありつくことができたのだが、眺めているうちに、自分がさながらオルガス伯を葬送している参列者の一人のようにすら思えてきたのだ。

天に召していくオルガス伯。彼は自ら神のもとへ向かうと同時に、天と地のメッセンジャ-の役割もまた担っている。オルガス伯は神の声を聴き、神と会話し、神にゆだねられる。そして神の啓示を下界の参列者に伝えてくる。だが、参列者の我々はオルガス伯が自らの死と引き替えに伝えてくるメッセ-ジを間接的に知ることが出来るだけだ。そう、参列者、そしてこの絵を眺めている僕は、神と会話するどころか声すら聴くことが出来ない。ただできることの唯一が、オルガス伯の死の美しさの背後に、神の永遠を想定することだけ。しかし、そうやって天に召していくオルガス伯は限りなく美しく、またオルガス伯が神と同じ永遠を今獲得したということを確信することが出来る。その瞬間に参列できたことだけでも、それは下界の我々にとっては至福の瞬間である。エルグレコは神の啓示を媒介としたオルガス伯の永遠を見事に切り取って、現代の我々にも永遠の美を提示し続けてくれている。 

スケ-トリンク上で二人の浅田が会話する

浅田真央は、インタビュ-の際、目をまっすぐに据え、あたかも自分に向かって話しかけるようにインタビュ-ワ-に答える。浅田は常に自分がどううまく演技出来るにしか話の焦点がない。競争相手の話を一切出さない。たとえば今回の世界選手権のショ-トプログラム。浅田は順位をとても気にしていた。しかし、それはキム・ヨナに比べてとか、安藤美姫に比べてとかではない。他人のことには一切、関心がない。単に順位が気になっているだけなのだ。そしてその順位もまた実は自分の演技の出来の目安でしかない。だから、結果として優勝できなかったとしても、自分の演技について納得できればそれで、十分満足してしまう。だがその満足とはたとえば必ずしも二位に甘んじたという結果に満足しているのではない。満足はその日の演技の結果ではなく、次のもっと上の目標が新たに設定されたことへの満足なのだ。そして、浅田はスポ-ツにつきものの根性とか、苦労とかをかいま見ることが出来ない不可思議な存在でもある。加えていえばセクシ-さすらも感じることがない。

彼女は、なぜそこまで無垢に、純粋にフィギアスケ-トという世界に対峙することが出来るのだろうか。実は、それは、彼女の演技にすべて現れている。

浅田の演技で最も重要なのは演技最初の大技である。はっきり言ってしまえばトリプルアクセルの瞬間がそのときの演技全体のすべてを決定してしまうと言っても過言ではない。これが決まった瞬間、浅田の表情は急変する。緊張でこわばった顔が、突然何かを発見したような、いや、至福を得られたような「ハッ」とした表情に変わるのだ。それは自らのトリプルアクセルへの納得というよりも、誰か他の人がトリプルアクセルを成功させ、それを観客席で観ていて、おもわず感動してしまったような、他者の位置からの喜びなのである。

こうなってしまうと浅田はもう手がつけられない。それ以降の彼女の演技は、自分がやっていながら自分の演技ではなく、他人がやっているようにしか思えず、そして次々と高度な技を決めている他人としての自分に、感動してしまっているのだ。いや、それだけではない。次はどんなにすばらしい演技をするんだろうと、自分が他人としての自分にわくわく、どきどき期待しながら演技を続けるという、分裂病的なトランス状態が続く。

浅田の演技を観ているもう一人の浅田は、演技している浅田にけしかける。「次はなにをやるの」「どんなにステキなことがおこるの」「もっとやって、もっとやって」「これもやってみれば」「いっちゃえ、いっちゃえ」彼女はスケ-トリンク上でも、インタビュ-時と同様、他人=観客を全く無視して、もう一人の浅田と会話をはじめるのである。

この時、観ている浅田は踊りながらも観客席にいることになる。つまり、観客(もちろんそれは茶の間の観客を含むのだが)とともに踊る浅田を観るているのである。ただし、他の観客と違い、浅田だけが踊っている浅田に注文をつけることが出来る。そしてこれが興に乗ってくると、演技は信じられないような劇的な展開をみせはじめる。「観客」浅田にけしかけられて、「演技者」浅田が調子に乗り、何でも楽しくやり始めてしまうのだ。調子に乗っているから演技も大胆繊細、スピ-ドもアップする。まるで映画のスペクタクル・シーンをめまいとともに眺める状態。これがわれわれには快楽なのである。

「観客」浅田はそうやって踊らされている「演技者」浅田に驚きを隠さない。演技の最中、微笑みすら浮かべる。もちろんこれは演技としての微笑みではなく、心から微笑んでいる本当の感情の露出だ。演技終了時には、自らの演技に感動し、涙してしまうことも。そして、「観客」浅田の驚きと喜びと感動の表情が現れる場所は……「演技者」浅田の顔の上である。演技中に現れる浅田の歓喜は演技者の歓喜であると同時に我々観客の歓喜と同じものでもあるである。

神、そして永遠との会話

さて、浅田が会話している演技者浅田とは誰か?

浅田だけに会話を許されているもう一人の浅田。しかしながら「観客」浅田ですらその浅田、つまり「演技者」浅田を完全にコントロ-ルできているわけではない。「演技者」浅田は観客浅田の予想できない動きをするからだ。しかし、いやだからこそ「観客」浅田は「演技者」浅田に近づこうとする。そしてけしかける。このやりとりをわれわれは観客席から観ることが出来る。それは至福の瞬間である。ただし、われわれは「演技者」浅田と会話することも声を聴くことも決して出来ない。それが出来るのは「観客」浅田だけだ。そんな浅田真央に観客である我々は永遠=神のメッセンジャ-としての役割を見いだすのである。

そう、浅田はオルガス伯なのである。永遠=神である「演技者」浅田と関わり合うことの出来る唯一の存在。そしてわれわれはオルガス伯葬送の参列者として「観客」浅田越しに「演技者」浅田=神をそこに想定するのみである。

しかし、われわれは何とかして永遠にふれたいと思う。浅田の演技は限りなく美しい、そしてわれわれはそこに神につながる永遠性を観ることが出来る。だからわれわれは浅田の演技を観ないではいられない。そしてひれ伏さないでいれらいないのである。

旅とは何か~自分にとっての豊かな時間を見つけること

さて、今回、問題にしたいのは「旅とは何か」ということです。で、僕は「量より、数より、やっぱ質」、つまりたくさん見ることではなくて、じっくり見る、じっくり経験すること、これこそ旅なんじゃないかと思います。それは言い換えれば、何かに向かって次々と事をこなしたり処理することではなくて、一期一会、その瞬間を楽しむこと。そこに自分なりの意味を見つける豊かな時間を過ごすこと。そのために、時には、その瞬間を引き延ばして堪能し尽くしてしまうこと、ということになります。ということは、その場にくすがってしまって、移動しない旅なんてのがあってもイイ(まあパックツア-ではなかなか、そういう風には行きませんが)。

そこで、わかりやすいようにエピソ-ドを一つ。僕は、ここ十数年、タイ・バンコクにあるカオサンというバックパッカ-向け安宿街で日本人旅行者の調査をしているんですが、そこではいろんな旅行者にインタビュ-しています。で、悲しいことにバックパッキングという自由な旅にもかかわらず、最近はバックパッカ-の若者たちが向かうところもだんだん同じになっている。その最たる目的地はアンコ-ルワットなのですが、これってパックツア-の世界遺産スタンプラリ-と同じ感覚(アンコ-ルワットはもちろん、世界遺産に登録されてます)。だったらバックパッキングするなとちょっといいたくもなりなます。でも、そんなバックパッカ-の中にも、とっても面白い人間を発見することができます。

その一人が、今回紹介する日本人おばあちゃん。年齢は74歳。娘がバックパッカ-で、話を聞いているうちに興味が沸いてきて、自分も行きたくなり、娘にねだってタイとネパ-ルを旅することにしたのです。もちろん初バックパッキング。ただし、さすがに一人では大変なので娘さんが付き添いです。で、他の若者バックパッカ-と同じように一泊300円くらいの安宿に宿泊し、食事は屋台でやっぱり100円くらいのものを食べます。

おばあちゃんの最初の目的はヒマラヤを見ることでした。そう、とっても世界遺産スタンプラリ-なパタ-ンだったんです。ところが、ここカオサンにやってきて話は変わります。この安宿街の喧噪、ゲストハウスの窮屈さ、そこにいる人たちにすっかり魅せられてしまったのです。「人がいっぱいいるこの騒がしさ、汚らしい屋台。そしてこの活気。戦後の誰もが貧乏な頃を思い出し、なつかしい。屋台の料理もね」「人と人の距離が近いから、いろんな人と話が出来る。見知らぬ若い人がいっぱいやってきて、いろんな話が出来る。とくに若い人がいっぱい私に話しかけてくる。こんなこと日本じゃなかった。ホント、こんなに楽しいところはないよ」そして、彼女のネパ-ル行きはちょっと中断。しばし、この安宿街にとどまり、いろんなことを自分から発見する旅を「移動しない旅」の中ではじめたのです。そう、彼女の旅行地はカオサンという安宿街、本来なら中継地であるところになったんですね。

「こんなことで、いいのかねえ」おばあちゃんは笑いながらいいました。僕は、ちょっと偉そうだったかもしれませんが「おばあちゃんは、バックパッキング一回目から、もう貧乏旅行の達人ですよ。恐れ入りました」と答えさせてもらいました。等身大の旅の楽しみを一回目で見つけられるんだから、これはすごいと僕は考えたからです。もとより、人生経験のなせるワザなのかもしれません。で、そのときのおばあちゃんのうれしそうな表情が、未だに忘れられませんね。

ガイドブックをたどるのではなく、自分専用のガイドブックをつくること

彼女は、お仕着せの形をたどる旅をやるつもりできたのだけれど、そこで自分なりの旅のスタイル、意味を発見したんです。量より質の旅がここではじまったというわけです。そして、それは今日のお題の「ガイドブックを持たない旅」であったということですね。旅の楽しみはガイドブックには書いてありません。あなたが自分で見つけるものなんだと、僕は思います。

みなさんも、こんな旅をやってみたらどうでしょう?えっ?そのためにはバックパッキングしなければならないって?そんなことはありません。パックツア-の中でも、いろいろな楽しみ、自分なりの旅の意味を見つけることが出来るはずです。今日はお話ししませんでしたが「パックツア-の達人」という旅行者だっているはずですよ(僕はそういう人を知っています)。楽しむことに決まったスタイルはない。自分なりのスタイルを見つけること、それこそが旅の醍醐味なんじゃないでしょうか。いずれにしてもガイドブックの地図に従うのではなく、自分で旅の地図をつくること、言い換えれば自分で自分専用のガイドブックをつくること、これが旅の本質と、僕は思っています。(終)

貧困な想像力

でもこれはまだ許容範囲かもしれません。僕にとってもっとヘンに感じるのは、旅に対する想像力がちょっとないということです。添乗員に観光地に連れて行かれ、そしてフォトスポットにやってくる。と、パックツア-の団体客はそのフォトスポットの前で「列を作って」「順番に」「次々と」撮影を開始するんです。しかも添乗員、慣れきっている(いやひょっとしてナメ切っている?現地添乗員って、結構ヤクザな連中が多い。この連中の行動を見ているのは、実はかなり、オモシロイ。だいたい、ちょっとくたびれている)。即座にツア-客のカメラを受け取って、撮影のサ-ビス。そのときのポ-ズは、ご存じ「ピ-ス」サイン。あれって、いったいなんなんでしょう?そしてすべての客がここで写真を撮るので、結構な時間がかかります。で、撮影が終わればそこの敢行は終わり。とっとと次の観光地へ。この人たちは、いったい何を見ていたんでしょうか?何をしにここに来たんでしょうか?(ちなみに、こういうマヌケな風景を観察、撮影するという「悪趣味」を、僕は持っています。社会学者的アイデンティティのおかげなんだろうか。それとも、もともと品がないせいなのか?)。

またこの延長線上にあるんですが、旅をするということへの認識が、とにかく名所をたくさん訪れるということという旅行者も多い。やれエッフェル塔に上っただの、モンサンミッシェルだの、ノイシュバインシュタイン城だの、ピラミッドだの……で、こういうところへ行ってもさっきと同じことが起こります。なんのことはないちょこっと見て終わり。でもって、かならずピ-スサインでこれらをバックに記念撮影。要するにガイドブックに掲載されている写真の確認、ガイドブックの絵の中に自分が収まった映像を撮りに来ている。ガイドブックに示された名所を訪れたという事実それだけを獲得に来ているというわけで、実際にはな~んにも見ていないんじゃないだろうか?僕はこういった人たちを「世界遺産スタンプラリ-御一行様」と読んでいます。でも、こういったスタンプラリ-的なパックツア-が、一番人気があるみたいなんです。国へ帰ったら自慢できる、同じところへ行った物同士で話が出来るからなんだろうけど、

「イヤミ」な人たちが、未だにいる

これって俗物、しかもかつての洋行自慢のスノッブ連中と何ら代わりはないんじゃないか?こういった原型は、かつて赤塚不二夫が「おそ松くん」の中で描いたキャラクタ-「イヤミ」で表現されていた。イヤミはフランスに行ったかどうかもわからないのに、フランス帰りを自慢し、ことあるごとに「おフランスでは」を連発していた「嫌み」なやつだったんですが、この人たちはまさにイヤミ的なんですね。赤塚がキャラクタ-を描いてから40年もがたっているのに、こういう俗物がいるというのが、なんというかイヤハヤというところではあります。しかも、海外なんて、前述しましたが「日常的な非日常」。ちょっとカネだせば誰だっていける時代なのに、こんなことで自慢しようというのがかなり精神的な貧困、想像力的な貧困という感じがします。

で、こういった行動パタ-ン。実は老若男女かかわらずという感じ。若い人はもう少しアクティブかと思うと、そんなことなくて、だいたいみんなこんなことやってます。むしろお年寄りの方が、イイ意味わがままで旅を「勝手に」楽しんでいる節がある。なんか日本の未来は暗いという感じがしないでもありません。

こういった旅行者たち。かつて日本人旅行者をみて欧米人たちが抱いたステレオタイプ、つまり背が低く、めがねをかけ、首からカメラをぶら下げ、ス-ツで身をまといながら団体でゾロゾロと歩くといったものと、さして代わりのない印象を、現在でもひょっとしたら現地の人々に抱かれているのかもしれません。

これじゃ旅はあなたのものになっていないのでは。組み立て工場で組み立てられるクルマみたいに、ベルトコンベヤに乗っけられて、「そこに行った」という事実が残るだけと僕は思います。

この「もったいない感覚」「なんでも見ておかなきゃ」の世界遺産スタンプラリ-感覚。人に自慢するにはいいかもしれませんが、それだけのために出かけたんでは、こっちのほうが「もったいない」気がします。(続く)

定着する日本人の海外旅行、しかし

かつて日本人にとって海外旅行は高嶺の花でした。海外旅行へ行くということは清水の舞台から飛び降りるくらいの感覚。親戚縁者が空港にまで見送りに行くなんてことがあった時代でもありました。

しかし、80年代半ば以降、円高の急激な進行、そして格安航空券、格安ツア-の出現で、海外旅行というのは珍しいものではなくなり、日本人にとっては「日常的な非日常」となりました。80年代前半には400万人程度だった海外渡航者数も、現在では1700万人に達しています。

僕は大学時代からバックパッキングという旅のスタイルをするバックパッカ-でした。これは格安航空券だけを購入して、海外を行き当たりばったりで旅するという自由旅行。で、行く場所は気ままですが、それでも大空港に降り立つというのがまず最初なので、それがある大都市から旅をはじめるのがならわしでした。で、こういう旅を初めて25年になりますが、大都市に行ったとき、またたまたま世界遺産みたいなところを訪れたとき(ちなみに、僕にとっては全く関心がない「どうでもよいところ」なのですが……)、日本人旅行者を見かけることも多くなりました。それは企画旅行、いわゆるパックツア-の旅行者。そのとき、僕はあることに気づきました。それは……なんか日本人旅行者ってヘンだということに。

先ず服装がヘン、いわゆる「よそ行き」の格好なんですが、これがその場と全くもってアンバランス。日本では流行なのかもしれませんが、海外ではそれはアウトオブモ-ド。それこそ現地の人が見たこともないような格好になるわけです。最近だとブ-ツなんてのが典型。これってものすごい違和感ですよ。で、それを見た僕も同じ日本人なので、日本人としてちょっと恥ずかしくなったりもしてしまうんですが(こういうときって、なんかナショナリストになってしまいますよね)。また、決まったようにブランド物のバッグを持っています。これもすごい違和感。ちなみに日本人以外の旅行者もよくわかりますが、動きを取りやすいようなラフで機能的な格好をしています。だから、現地の人とそれほどの違和感はない。要するに日本人の格好は、見ただけでそれが日本人であることが判明してしまいます。(ちなみにお年寄りの場合は腰にウエストポ-チをつけています)。ということは、現地に疎い一見さんであることがまるわかり。泥棒さんにとっては格好のカモということになりますね。で、予想通り、そういったトラブルにいとも容易に引っかかっているわけですが。

次に行動がヘン。行動に落ち着きがありません。旅行者だからだれでも多少は緊張しているのはあたりまえなんですが、旅行している日本人同士がうつろな目で見つめ合っているような状況が起きている。つまり置かれた環境が不安なので、お互いに頼りあうんですが、お互い頼れない。だから、あまりよく知らない同士が見つめ合って、どうしようか困っている。で、その結果、しびれをキラした添乗員(いや、もう慣れきっているかもしれないのですが)が、ちょいとくたびれた対応で、こういった「烏合の衆」化したツア-客をどっかへ移動させていく。ツア-客たちはカモの親子のようにぞろぞろと後をついて行くというわけです。で、レストランやおみやげ屋で現地人にツッコまれると、答えようがなく「謎の微笑み」で返し、向こう側の思うつぼ、断ることも出来ず、言い値で買わされるということに。ちなみに、同じパックツア-の団体でも中国人は違いますよ。みんな楽しく大騒ぎです。もっとも、これも周りにとってはしばし大迷惑となることもあるんですけどね。

貧困な想像力

でもこれはまだ許容範囲かもしれません。僕にとってもっとヘンに感じるのは、旅に対する想像力がちょっとないということです。添乗員に観光地に連れて行かれ、そしてフォトスポットにやってくる。と、パックツア-の団体客はそのフォトスポットの前で「列を作って」「順番に」「次々と」撮影を開始するんです。しかも添乗員、慣れきっている(いやひょっとしてナメ切っている?)。即座にツア-客のカメラを受け取って、撮影のサ-ビス。そのときのポ-ズは、ご存じ「ピ-ス」サイン。あれって、いったいなんなんでしょう?そしてすべての客がここで写真を撮るので、結構な時間がかかります。で、撮影が終わればそこの敢行は終わり。とっとと次の観光地へ。この人たちは、いったい何を見ていたんでしょうか?何をしにここに来たんでしょうか?(ちなみに、こういうマヌケな風景を撮影するという「悪趣味」を、僕は持っています)。

またこの延長線上にあるんですが、旅をするということへの認識が、とにかく名所をたくさん訪れるということという旅行者も多い。やれエッフェル塔に上っただの、モンサンミッシェルだの、ノイシュバインシュタイン城だの、ピラミッドだの……で、こういうところへ行ってもさっきと同じことが起こります。なんのことはないちょこっと見て終わり。でもって、かならずピ-スサインでこれらをバックに記念撮影。要するにガイドブックに掲載されている写真の確認、ガイドブックの絵の中に自分が収まった映像を撮りに来ている。ガイドブックに示された名所を訪れたという事実それだけを獲得に来ているというわけで、実際にはな~んにも見ていないんじゃないだろうか?僕はこういった人たちを「世界遺産スタンプラリ-御一行様」と読んでいます。でも、こういったスタンプラリ-的なパックツア-が、一番人気があるみたいなんです。国帰ったら自慢できる、同じところへ行った物同士で話が出来るからなんですかね?

で、こういった行動パタ-ン。実は老若男女かかわらずという感じ。若い人はもう少しアクティブかと思うと、そんなことなくて、だいたいみんなこんなことやってます。むしろお年寄りの方が、イイ意味わがままで旅を「勝手に」楽しんでいる節がある。なんか日本の未来は暗いという感じがしないでもありません。

こういった旅行者たち。かつて日本人旅行者をみて欧米人たちが抱いたステレオタイプ、つまり背が低く、めがねをかけ、首からカメラをぶら下げ、ス-ツで身をまといながら団体でゾロゾロと歩くといったものと、さして代わりのない印象を、現在でもひょっとしたら現地の人々に抱かれているのかもしれません。

これじゃ旅はあなたのものになっていないのでは。組み立て工場で組み立てられるクルマみたいに、ベルトコンベヤに乗っけられて、「そこに行った」という事実が残るだけと僕は思います。

この「もったいない感覚」「なんでも見ておかなきゃ」の世界遺産スタンプラリ-感覚。人に自慢するにはいいかもしれませんが、それだけのために出かけたんでは、こっちのほうが「もったいない」気がします。(続く)

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